ちょっと読みづらいかな?
神字の翻訳という仕事を始めてはや半年、私は今日も書物相手に奮闘していた。
基本的に、神字で綴られる文章には物語が多い。そしてその中で語られる技術や、思考から神々の教えを読み取るのが私の仕事だった。
「やっほーイノ、今時間いい?」
「あっ、おはようメル。こっちに帰ってきたんだ」
「一緒に仕事した人達が優秀でさ、予定より仕事が早く終わったの」
メルは、セフィラムに入ってできた最初の友人だ。セファー経由で知り合ったのがきっかけで、休日には一緒に買い物に行ったりする。
セファーが言うには優秀な魔法使いらしく、その研究の関係で私に神字の解読を依頼してくるので、仕事上の関係も深い。
「せっかく戻ってきたしお昼でもどうかと思ったけど、時間空いてる?」
「講義が夕方だから、それまでは時間あるよ。翻訳の仕事は昼前にだいたい終わったし」
「この前頼んだ本も解読終わったの?」
「内容の大筋を掴むくらいなら。まだ普通の文字は書けないから、また口での説明になっちゃうけど……」
この仕事を始めてから、仕事に必要ということもあり国の公用文字であるルディ文字を習い始めていた。
まだ日常で使う文の表現がわからないことも多いけど、来年の今くらいには最低限仕事で必要な文章を書けるようになるのが目標だ。
「その辺は仕方ないでしょ。それに私はイノの語りを聞くの好きだよ。ただ本を読むより、ずっと物語に没頭できるの」
「そ、そう? なんだか少し照れるね」
思わず頬が熱くなった。すると、それを見たメルが意地悪く笑った。
「むふふふ、イノのそういうところは反応が初々しいしくていいですなぁ」
「メル、なんだかおじさんみたいだよ」
基本的にメルは明るくていい子なんだけど、たまに酒場のおじさんみたいになるのが欠点かも。
「むっ、失礼な。そんなことを言う子はこうだぞ~!」
「ちょっ、メルだめだってば!」
わきわきと手を動かすメルを見て思わず後ずさる。そして気づけばメルの顔が間近にあり、そのまま体をくすぐられた。
ちょ、くすぐったい。ってこの子どこ触ってるのよ!
「もう、いい加減にして!」
「いったぁ! 本気でぶつことないじゃん!」
「メルが変な所触るからでしょ、スキンシップにしたっていきすぎだよ」
「えぇ~ちょっと胸触ったくらいじゃない。女の子同士なんだからセーフなんだよなぁ」
この子、そっちの気があるんじゃないの……やたらとスキンシップ過剰気味な友人に身の危険を感じた。
「もう、馬鹿なことやってないで本題にうつるよ。この前メルが解読を頼んできた本は、神代に存在した詩聖パルケニウスについて書かれていたの」
「パルケニウス……詩人であり、言葉に含まれる魔力をはじめに発見した魔法使い、現存する魔法が詠唱による威力増大をされるようになったきっかけを作った人ね」
「へぇ~そういう凄い人だったんだ」
「この道を志してる人か詩人でもなければ知らない人の方が多いけどね」
こういう、本を解読しただけは知れないことを知れるのは、メルからの依頼を受けるメリットでもある。
「その話を聞くと本で読んだ内容もまた違う印象を受けるなぁ、じゃあ、そろそろ始めるね」
「ええ、お願いイノ」
メルの表情からは先程までの同年代の少女のそれが鳴りを潜め、代わりに魔法の道を探求する研究者の顔になっていた。
そのさまに背を正された私は、咳払いをする。
「……これから語る話は、詩人パルケニウスの物語。後に詩人の道を歩き始めた彼が、それ以前にある運命に出会うったときの話」
言葉には力あり、ゆえに神々の名を呼ぶことは彼らの力に呼びかけることにもつながる。故に、忌まわしきかの蛇の名前を軽々しく呼ぶことなかれ。
――詩聖パルケニウスの警句
気の遠くなるような昔、大陸はロムレス帝国が各地の原住民族を征服し、彼らを自国の属国として従えていた。
かつて、崩壊の危機を幾度か迎えた帝国もその当時の英雄達の活躍によって国難を乗り越え、そのたびに発展を遂げていた。
中でも3代もの間、名君が統治を続けた3賢帝時代に帝国は黄金期を迎え、ありとあらゆる文化が花ひらいた時代だった。
詩人パルケニウスは、2代目賢帝ネツァの時代に産まれた。元老院に議席を持つ貴族を父に持ち、歴史ある高貴なる家の者として教育を受けたという。
彼が受けた教育は多岐に渡ったが、その中でも修辞学と魔法学において秀でた才能をみせた。
そんな彼が人生の転機を迎えたのは15歳のときだった。
「ミルノへの留学ですか?」
「ああ、あそこの学長は私の知己でな。癖の強い男ではあるが、パルケが学ぶ上でよい経験になるだろう。強制するつもりはないから、よく考えなさい」
パルケニウスはしばらく思案した。ミルノは当時の帝国では学術都市として知られている場所であり、そこでの経験は彼の糧となるのは確かだった。
一方で、慣れ親しんだ故郷を離れることへの不安もあった。ミルノからはそう離れていないものの、実家へ帰るのは年に数度程度になってしまうだろう。
パルケニウスは唸った後、意を決したように父に告げた。
「この上ない機会でしょう。ぜひ行かせてください」
「……よいのか? そう急がなくともゆっくりと結論を出していいのだよ」
「いいえ、こういった判断の早さの重要性は過去の偉人達の教えるところでもあります。生まれ育った我が家を離れるのは後ろ髪引かれる思いではありますが……」
「そう言うならば早速手配しよう。私の方で学長への話はつけておくから、その間にお前は友人達への挨拶などを済ませておきなさい」
そうして、パルケニウスは翌年の春にミルノへたどり着いた。
彼は留学先の学園に足を運ぶと、父の友人である学園長と顔を合わせた。
その男の名前はセファーといい。率直な感想を言えばどうにも信用ならない印象を受ける男だったという。
素朴なつくりの机を前に仕事をしていた彼は、パルケニウスの入室にきづくと薄く笑った。
「やぁ、パルケニウス君だね。話は君のお父上から聞いているよ。よくこの学園に来てくれた」
「はじめましてセファーさん、この度は私の留学を快諾頂き感謝しております。まだ若輩の身ではありますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
「これはご丁寧に、だがそうかしこまることはないよ。もとはと言えば君の父上から話を聞いた私が留学を勧めたのだからね」
「そうだったのですか……理由をお聞きしても?」
「君の書いたという詩篇を読ませて貰ってね。興味深い題材を扱っているから、気になったのだよ」
その言葉にパルケニウスの顔に朱がさした。
この頃から彼は詩作を始めていたのだが、その題材は彼にとって気恥ずかしさを覚えるものだった。
「あれをご覧になったのですか。私の見た夢が着想のもとですので、自分の空想を晒すようで恥ずかしくはあるのですが……」
「夢か、君はあれが夢ではないと言われたらどう思うのかね?」
「というと?」
ゼファーは机の引き出しから一枚の紙を取り出すと、それをパルケニウスに手渡した。
その紙は相当な年月を経たのか、いまにも破れそうだった。
ボロ紙を渡されたパルケニウスは怪訝な顔をし、やがてその紙に描かれた絵をみて驚愕した。
「……これは!」
どこまでも巨大な白蛇は、まさに彼が夢にみて詩作の題材としたものだった。
遠目から見てもその全容を見ることはできず、真紅の蛇眼と頭部の一部しか描かれていない。
それでもパルケニウスが夢にみた蛇だと気づいたのは、蛇眼の瞳にある特徴が原因だった。
奇妙なことに、白蛇の瞳の中には魔法陣を思わせるような幾何学的な文様が無数に存在した。
それが白蛇の目の動きに連動して、変幻自在に描かれている文様が変わるというのが夢の内容で、そのインパクトから忘れがたい記憶として脳裏にこびりついていたのだった。
「その白蛇は君が夢にみて、詩篇の題とした蛇と同じだろう?」
「間違いありません、しかしこれは誰が描いたのですか?」
「残念ながら誰の作かはわかっていない。それは知り合いの古物商から買ったものでね。冒険者がダンジョンを探索した際に見つけたものとか」
「なるほど……しかし、驚きです。まさに私が夢にみた白蛇の姿そのものですから」
「私の研究テーマの一つに歴史の解明があるのだが、様々なツテから過去の遺物を買い漁っているうちにさまざまな出土品にこの蛇が描かれていることに気づいてね。それ以来この蛇の正体の解明しているのだよ」
「そして、まさに研究に行き詰まった所で君のお父上から君の詩篇を拝見する機会を得てね。ひと目でかの白蛇を題材としているとわかった時、雷に撃たれたような衝撃を受けたものだよ」
そこまで聞いて、パルケニウスはセファーが自分に興味を持った理由に納得した。つまりは、自分の研究にとって有益な人材と見込んだのだろう。
「どうだろう。もし君がまたこの蛇の夢を見たならば覚えたことや感じたことを私に教えてくれないか? 勿論、いくらか謝礼はだそう」
「……わかりました。何かと物入りですしこちらとしてもありがたい話です。後、出来る範囲でその蛇についてわかったことを教えて頂けませんか?」
「ふむ……内容によっては難しいだろうが、問題ない範囲でよければ教えよう。それでいいかね?」
「ええ、是非ともよろしくお願いします」
こうしてパルケニウスは、後に長年の付き合いとなるセファーと出会ったという。
彼との出会いはパルケニウスにとって必ずしも良い運命をもたらさなかったが、この出会いなくして彼が詩聖と呼ばれることはなかったのだろう。
「……やっぱり出てきたか」
私が今日解読した内容を語り終えると、メルはげんなりした様子で言った。
「読んでるときも思ったけど、これってうちの学長みたいだよね」
「みたいじゃなくて、多分本人よ」
そんな馬鹿な。冗談かと思ったがメルの顔はいたって真剣だった。
「本人って……そんな訳ないでしょう。これが何年前のことを書いているのかはわからないけど、もしそうだとしたらいったい何歳になるのよ」
「ああそうか……そういえばイノはうちの学長のこと知らないんだったね。うちの学長はね、魔法使いの中で唯一不老の秘奥に辿り着いた男なの。不死かどうかは知らないけど、少なくとも数百年、下手すれば数千年は生きているはずよ」
不老、不老ときたか。そりゃあ、龍眼なんてものを持っているのだから普通ではないと思っていたけれど……
「魔法ってそんなことまでできるんだ。そりゃあ、魔法使いが必死になって研究するわけだ」
「学長はね、魔法の可能性を世に知らしめた第一人者でもあるの。だからこそ、このセフィラムには大陸中から優秀な人材が集まってくるわけ」
「メルも不老を求めて?」
「私はそこまで興味ないかな。だってさ、そうやって不自然に長生きするのってダサくない?」
それは私も同意見だった。こういった美意識の部分では、メルとはなんとなく気が合う。
「んで、この学園の入試で学長にそれを言ってみたら何故か気に入られたの」
「入試でしかも張本人にそんなこといったの?」
「だって、最初から私がそれを目指してるって決めつけてくるからさぁ」
メルの性格的に口が滑ったのかも知らないけど、しかしまぁよく言えたものだ。
「よく合格できたね……」
「あとで本人に聞いたら、逆にそれが面白かったらしいよ。だから気に入ったってね」
「……そんなおとぎ話に出てくるような人なんだあの人」
「まぁ、私の同期には学長みたいになりたいって人は多いよ。それこそ信者みたいな人もいるくらいだし」
「でもなんで不老になろうなんて思ったんだろうね」
不老となったならば、親しい人との別れや自分の信じてた価値観の変容なんていっぱい体験してそうなものだ。
もし私がそれを直面して耐えられるかと言ったら、到底耐えられないだろうと思う。だからこそ、学長が何を求めて不老になったのか興味があった。
「さてね。いっそ直接聞いてみれば?」
「答えてくれるとは思わないけどなぁ」
それもそうね。とメルは話題を切り替えて別の雑談を始めた。私も不意に湧いた疑問を忘れるとメルとの会話に興じた。
私が思いがけずその疑問の答えを知るのは、この少し後のことである。