【KENSHI】あぽかりぷす異世界へようこそ! 作:うささん
「あの……」
「喋るな。聞くな。妙な真似はするな」
こちらに向けて女が腕を伸ばす。その先に細い矢じりが装てんされている。
狙いはあやまたず自分を撃ち殺すだろう。私は一ミリも動かずにただ待つことにした。
女が構えるのは弓ではない。クロスボウという十字の発射武器だ。自分が知っている知識でわかるのはそれくらいだ。
クロスボウは連射が利くと聞いたことがある。中学の頃、アーチェリーの先生が教えてくれたのだけどあまり興味がある話題でもなかった。
こちらに向けられる矢じり。男たちをあっさりと射殺したことと、それに対する何の感情も伝わってこない。
もし逃げれば容赦なく撃たれるだろうという予感があった。
女は砂場を下りてくると倒れた男たちの懐をまさぐりはじめる。
「ただのチンピラか……ろくなものを持っていない」
物盗り……人を殺すことに何のためらいも持たない人たち……
女は落ちていた面を拾い、もう一人の男の面を剥いだ。露わになった顔は固い皮膚の様なもので覆われたものだった。頭から生えている幾本の突起と角は間違いなく本物だ。
普通の人間ではない……もう一人の異相の男もそうだが、ここは自分が知る現実世界とはまるで異なる世界なのだ。
そこにたった一人ぼっちで投げ出された……
「見るなと言っただろう。さっさとどこへでも行って消えろ」
視線を感じ取ったのか女が睨みつける。
「私、行くところなんてないの……どうしたらいいのかもわからない……」
「元居たところへ帰ればいいだろう? こんな砂漠で何をしていた? マスターからはぐれたか逃げ出したかは知らんが、そんな格好で歩いてれば餌食にしてくださいと誘っているようなものだ」
「……」
制服は埃だらけの砂まみれだ。靴も傷ついて体中が痛い。
「奴隷じゃありません……」
「じゃあ何だ?」
女が目の前に来て腕を掴む。
「痛い……」
「見せろ」
まじまじと無遠慮な視線が注がれる。頭の先からつま先まで。手を掴んで指先までなぞられる。
「奴隷の手じゃないね。石切り場とかにいたわけじゃなさそうだ。じゃあ貴族の慰み愛玩物か。男どもに媚びを売ってればいいものを何で逃げだしたんだ? いい暮らしをしていたんだろうが?」
「違いますっ!」
手を振りほどくがすぐに掴まれて引き寄せられる。あの鋭い目が自分を見つめている。
心臓がバクバクして体を強張らせた。その怯えた顔から女は目を背けた。
「何だろうがあたしの知ったことじゃないね……あんたはもう自由なんだ。好きなとこに行けよ」
手が放され女は男たちの遺品でめぼしいものを背負っていた袋に詰め込んでいく。
とたんに突き放された気持ちになって途方に暮れた。どこに行けば……ここには何もないのだ。生きていける自信なんて全然ない。
ここを離れてどこかに人里があったとして、出会う人間がこの男たちのようだったら?
女一人で何の力もないのだ。ケモノじみた男たちの餌食になるなんて考えたくもない。自分にはここで生き残る知恵も勇気もない。
ためらいなく人を殺した人間でも縋るしかない……助けてくれたことは間違いない。その細い縁でも必死で掴むしかなかった。
女が袋を背負って歩き出す。その後を砂に靴を埋もれさせながら懸命について歩き始める。
「おい、ついてくるな」
女は後ろを振り返らない。が、突き放すように歩いていないと感じた。自分よりもきっと早く歩けるに違いないのに。
「自由にしろと言ったので勝手に歩いてるだけです。たまたま方向が同じなだけ」
声を大きく張り上げた。自分を奮い立たせるつもりで。
「じゃあ、勝手にしな……また襲われても今度は助けない」
「やっぱり」
「何だ?」
女が立ち止まって振り向いた。
「助けてくれたんでしょ? 私、まだお礼言ってないし」
「くだらん……礼をするならもっとましなもので返してもらいたいね」
「お礼は必ずします!」
「やっぱいらないね。あたしは一人が好きなんだ。足手まといなんかごめんだね」
再び女は歩き出した。さっきよりも少し早い歩調で。
たちまちついていけなくなり砂に何度も足を取られ、二人の間隔はどんどん開いていく。
その背中が遠く点のようになりながらも私は歩いた。
届かなくてもいい。
この先の道が自分の道を切り開いてくれるかもしれない。
私を助けてくれた人にはもう会えないかもしれない。
もう彼女の姿は砂のうねる丘の向こうに消えてどこにも見えない。
明るすぎる頭上の星と月だけが頼りだ。
でも生きてさえいれば……
足はもう力を失い砂の丘を越えられない。
もう一歩……
あと一歩でいいよ……
乾ききった口の中はザラザラしている。
立ち上がろうとして砂に沈む体を自分でも支えられない。
ここは寒い……
目を閉じて砂に身を埋めてただ風の音を聴いていた。
風が転がす砂が交わって音色を奏でる。
ああ、砂漠って音楽なんだなぁ……
それからどれだけ時間が過ぎたことだろう。
「変な女だ」
砂の音に混じって響くのは人の声だ。すぐ側に女の気配がある。
「足手まといはごめんだね」
「足手まといにはなりたくない。自分の足で歩きたいの」
重たいまぶたを開くのも一苦労だ。砂が目に入る。
「あんたはヒヨッコ以下だよ。生まれたばかりのヒナでも自分で立ち上がれるんだ。根性見せな」
動けない体を必死に動かした。立ち上がろうとして砂にあがく。すると手が伸びてその腕を掴まれた。
その力強い手を掴み返して何とか立ち上がる。服も何も砂まみれだが回りまわって何も感じないくらい開き直っている。
「名前は?」
「千代。チョコって呼ばれてた」
「おかしな名前だ」
「かもね。あなたは?」
「リドリー……群れるのは好きじゃないんだ。自分で歩けるようになったらあとは好きにするんだな」
そっぽを向いてリドリーは歩き出した。今度はチョコの足に合わせるように。
砂丘を越える女二人を星月の明かりが照らし出す──それが彼女らの長い旅の始まりであるとは知らずに。