【KENSHI】あぽかりぷす異世界へようこそ! 作:うささん
カランコロン。羊の胸元で乾いた音を響かせ鈴が鳴った。荒野の煤けたような土と砂の色が交じり合う境界線から上は真っ青な天の色だ。
空に広がる青は爽やかな色だが、この場の温度はすでに耐え難いレベルにまで上昇している。何せ雲一つないのだから。
苛烈な世界を旅をするのは五人と一匹。
旅というべきか、それとも逃亡の最中というべきか……
どこまで行けば休憩できるのか。私は先頭を行くリドリーの後を追って足を痛めつけながらも歩いた。
「もうダメ……はきそーだ」
暑さに顔がゆだったようになってるジュエルの言葉などリドリーはまるで聞くそぶりを見せない。
「おいきーてんのかよぉ? デカ女」
ジュエルを支えるイズミが足元の砂を蹴飛ばして目の前の縛られた哀れな男の背中を蹴った。男は倒れてリドリーが持つ縄がピンと張る。
リドリーが立ち止まって振り返る。
「ガキども、余計なことするな。チョコ、そいつを立たせな」
「はいはい」
人使いが荒い命令に従って私は貴族の男を立たせる。
「うう……グシュン……」
涙と涎と泣き崩れた顔に砂をまぶしたみたいになっていて少し哀れな気持ちになる。
もっともこの男を捕らえることになったのはチョコが男をクロスボウで撃ったからだが……
ロープで縛られて散々連れまわされた挙句、文句を言おうものなら張り倒されるを繰り返して男の抵抗心はすっかりと打ちのめされている。
貴族の男が持っていた武器ははぎ取られ、スプリングバットはイズミが持ち、武器はジュエルが腰に下げていた。
懐にあった金などはリドリーが押収している。家主権限を発動し文句を言う二人を黙らせた。
私ではこうはいかない。この場にいる誰も従わせられる気がしなかった。
リドリーには無言でものを言う迫力があるのだ。つまり、今の私にとっては文句なしのリーダーといえよう。
「あれが見えるか? あの岩場」
「え? うん……」
リドリーが指さす先には岩山の尖がった先が見える。が、どれがどの岩場かなんてまるで見当がつかない。
「お前らも我慢して歩きな。やつらも手土産分くらいの歓待はしてくれるかもしれないぞ」
「俺はもう、こんなところ歩くのは嫌だぜ!」
「羊の肉食わせろ!」
にく、にく! と連呼するイズミとジュエルをリドリーはめんどくさそうに一瞥する。
「お前らで羊の一匹も殺せるものか。このド素人ども。言っとくがお前らじゃ無理だ」
「ああ、やろうっての? あたしら二人相手にするっての?」
「羊は一匹、あたしら二人。やっちまおう」
ジュエルが腰の武器を抜き、イズミがスプリングバットを構える。
「チョコも手を出さなくていい」
確かに素人かもしれない。ジュエルの武器の持ち方は何だか変だし、イズミの構えではどこを撃っても当たりはしないだろう。
短い観察でそれだけのことが分かったことに自分で驚く。素人くさいなんて「ここ」に来たての頃の私では判別すらできなかっただろう。
リドリーは止めるでもなく逆に羊をけしかけてその尻をぶった。砂を蹴った羊がジャンプして敵対行動に出た二人に襲い掛かる。
二分後……
砂地に飛び散った血があっという間にしみ込んでその跡を地に刻んだ。
二人の女が倒れ伏していた。そのすぐ側で羊が何事もなかったように地面のわずかな草を食んでいた。
この戦いは勝負というほどのこともなかった。
羊のタックルと執拗な攻めにジュエルが沈み、逃げたイズミの後ろから羊がタックルしてノックアウトである。
「死ぬ……」
「……」
血みどろのジュエルがどうにか助けを求めた。イズミはまったく反応がない。
「あの……リドリー。やりすぎじゃ……」
「あたしは無理だって止めたんだよ。大人の羊相手に正面から勝つのなんて無理さ。おい、生きてるか? 次はもっと考えてやれ」
「そう……する」
顔面蒼白の死の一歩手前という顔でイズミが答えた。そのやり取りを貴族の男が泣き顔でうんうんと頷いている。
「チョコ、手当てしてやんな」
「うん……」
たいがいの怪我なんぞ包帯まいときゃ治る、がリドリーの口癖だ。擦り傷、切り傷程度でギャーギャー喚くな、とよく言われる。
この世界の人たちは常識外にタフネスでとうてい真似できそうにない。
応急手当セットで治療を開始する。血を見るのなんてホントに大嫌いだ。でも手当てをしないといけないのだ。
任されたからには仕事はしなければならない。それがこの世界で生きていくための真実正しいことだ。
「……さんきゅ」
ジュエルはかなり出血していたが血は止まったし、自分の血を見て再度昏倒したイズミの腕に包帯を巻き終わった。
修羅場終了。
リドリーが羊の乳を搾って金属の器に絞った。あんたも飲みなと進められてミルクに口を付ける。
野生の乳臭い匂いが鼻を突くが濃厚な一口が口の中に広がった。その液体を口の中で反芻するように味わって飲んだ。
この一口、一口が貴重な栄養源でエネルギーになる。飲み終わって私も休憩と座り込んだ。
今はこの二人を抱えて歩きたいとは全然思わない。どちらかに起きてもらわなければ困る。
しばらくして目を覚ましたのは比較的傷が浅いイズミだった。
「そっちの抱えて付いてきな」
リドリーの命令にブツブツ何かを呟いたもののイズミが従った。
しばらく歩き、リドリーの言う岩場が何か分かった。丘を越えて見えたのは壁に取り囲まれた砦というに相応しい建造物があった。
こんな世界では人がいることだけで希望が持てる。ただし、それが自分にとって味方であるか、敵であるか、それを確かめることが一番重要だ。
リドリーからは仲間以外で表で出会う奴はみんな敵だと思えと言われている。
もし敵であれば戦うか逃げるしかできないのだから。捕まれば自由を奪われて酷い目に合うのだ。
「おい止まれ余所者!」
壁──鉄板を木の杭に建てつけあちこちを補強して作った門から男が叫んだ。閉められた門の向こうから油断のない目がこちらに注がれている。
「それ以上近づくんじゃない。一歩も動くなよ」
「ああ、動かないよ」
リドリーが返事を返し羊が鳴く。上から見下ろしていた男の顔が引っ込んで見えなくなる。
ロープに繋いだ囚人と怪我人を抱え、私たちはそこで待つことになった。
「ここは何?」
「おい」
「え?」
隣のイズミが肘で私の小腹を突いて顔を寄せて囁いた。
「何だかいけ好かない連中だよ。見ろよあいつら血走った目であたしらを舐めるように見てる。身ぐるみ剥がして素っ裸にして大釜で茹でちまう気でいるんだ。こいつらはカニバルに違いないぞ」
「カニバル?」
何なのかよくわからない。カニバルってどういう意味?
「出まかせ言ってんじゃないよ。こいつらがカニバルなら今頃はやつらの脳みそをほじくり返してる所さ。あたしがいいと言うまで黙ってな」
ジロリとリドリーが二人に鋭い視線を向けた。疑問はリドリーに封じられ、どこかへ行っていた男が戻ってくる。
白髪交じりの貫録のある男がついてきていた。その男が身を乗り出して訪問者に声をかけた。
「お前は何者だ? 何が目的で来た? 返答次第では門をくぐることも帰ることも許さないぞ」
生きては返さないという含みを持たせた言葉に乾いた舌を引っ込ませる。
交渉はリドリーがする。その返答は……
「あたしはリドリーだ。あんたらのことは知ってるよ。好みの囚人を連れてきたやったのさ。あんたがボス・シミオンか?」
「げ、反乱農民のボスかよ……」
「反乱農民?」
イズミが呟くのを聞き返す。
「リドリーか。お前のことも私は良く知っているぞ。群れを好まず一匹オオカミを気取ってるはぐれ者だという噂だが、主義を変えて群れることにしたのか? オオカミの群れみたいにコソ泥になったのか?」
「こいつらとは成り行きで一緒にいるだけだ。あたしらを入れないってならここで野宿するぞ。飢えたビークシングが寄ってきても知らないからな」
「お前の取引条件は何だ? その囚人に一猫(貨幣=カタン>キャット)ほどの価値があるなら教えてほしいものだ」
「じゃあ見せるぞ。お前らは待て」
「うん……行ってらっしゃい」
イズミと私を置いてリドリーが縄で繋いだ男を引き出して前に進む。シミオンが見下ろす位置の門前まで捕虜を引っ立てていく。
「顔を上げな」
うなだれていた男が顔を上げる。わずかな水と食料で生かされ、小突かれては土ほこりにまみれているが、その上等な上着は貴族の身分を現わしている。
「貴族のボンボンさ。今頃はこいつの奴隷が町に報せて大騒ぎだろうね。あたしらを匿う理由が他に必要かい?」
「リドリー、貴族狩りに転向したのか? そのろくでなしはどうやって捕まえた? 門を開けろ」
シミオンが指示して門が開かれる。こうして私たちはシミオン砦──都市連合、帝国に反旗を翻す反乱者たちの町に入っていた。