聳え立つ木々。
生い茂る草花。
鳥が囀り、獣たちは駆け巡る。
街などでは見る事の叶わない自然豊かな光景。
近くには小さな村があり、木材などで拵えた数軒の民家がまばらに並び、馬小屋と脱走防止用の柵が広く設置されている。
娯楽施設どころか商店も公共施設の一つも見当たらない。
大きな建物と言ったら風車小屋のみ。
道は舗装される事無く、馬や馬車が踏み鳴らして土が剥き出しとなっているだけ。
この村で育った者には当たり前で、街などから訪れた者からすれば不便が付きまとう。
買い物も出来ず、虫は多いし、街に行くだけでもかなりの遠出となる。
ほとんど自給自足の生活。
何故こんな不自由な暮らしを出来るのだと思う反面、この空気の美味さは街では味わう事は出来ないだろう。
遠目に森を眺めながらニコロは杯一杯に空気を吸い込む。
元マーレ軍の兵士で戦士隊に協力してエルディアへの潜入任務を受け、食事処ナオの調理担当として働いていた彼は、辞めてサシャの故郷ダウパー村で生活していた。
と言うか半分無理やりだった気がする…。
調査兵団に所属していたサシャは数年の勤務を経て、故郷に帰ろうと退団を決意したのだ。
ただそれは馴染みであった食事処ナオとの別れを意味する。
無論行こうとすれば行けるのだが今のように頻繁には不可能だ。
そこでサシャは仲の良い俺を連れて行こうとしたのだろう。
「私が養いますので一緒に暮らしましょう!」
※意訳:食料は私が用意するのでご飯作って下さい!
プロポーズにしか聞こえない一言を食事処ナオの営業時間中に大声で言うものだから店内は騒然としたよ。
総司さんなんて本気でおめでとうございますとか言ってくるし、もうちょっと説明が欲しかった。
誤解して返事する所だっただろうが…。
思い出すたびに顔が熱くなり、ため息が漏れる。
しかもその後が怖い。
とりあえず考える時間が欲しかった俺は曖昧な答えで場を濁したのだが、それを肯定または前向きと捉えたのか父親に手紙を出して伝え、来るならばと空き家となっていた一軒家を修復して村に迎える準備を始めたという。
普通家の建築や改修は業者に金を払って頼むものだが、小さな村落などでは村人同士が協力し合って立てる事がある。難しい建築物ならいざ知らず、木造で材料はすぐ側の森より集めると来たら人手さえあれば頼まずとも完結してしまう。
数日後にこれを聞かされては行かざるを得ない。
暮らし始めて思った事は一つ。
ダウパー村の生活は俺に合わないと言う事。
村の収入源は育てた馬の売却。
畑もあるがそれは最低限で街まで行って売るには量は少なく、それほど金になるとは思えない。
馬の世話に畑仕事、川まで水を汲みに行くなど非常に体力が消費される。
利便は悪く労働はキツイ。
そこで俺はここでも飲食店を営むことにした。
自分で言ったが利便は悪いので外からの客を狙ったり、一儲けしてやろうという考えではない。
料理が作れて生活が出来ればそれで良いのだ。
小さいながらも畑を作り、ちょっとした鶏小屋を建設。
貯蓄はあったのでそれで調味料などを購入し、肉や足りない野菜類は適正価格で購入すれば良い。
村人たちは馬の売却で幾らか金を持っていたが、必要な物だけを月一ぐらいに代表がまとめて購入に行くので不必要な物や衝動買いすることがないので多少余っていたりもする。
物は試しと訪れた者は満足げに帰り、人同士の繋がりが強いのですぐに村中に広まって、今ではお金に余裕がある時や何かしらの記念日に訪れ、中には余った野菜や肉類を売りに来てそのお金で飯を食って帰る者も出て来た。
料理人としての欲求を叶えつつ、裕福ではないが貧しいほどではない暮らしを手に入れた俺は満足だった。
しかしこれは予想だにしなかった村外よりの客を齎す事にもなる。
村と村同士の交流があり、その際にダウパー村に飲食店が出来たと知って訪れた他所の客が味に大満足で帰り、さらにそれがそいつの村中に、そして他の村に伝染して行ったのだ。
美味しい物を食べたいが街までは遠い。けどダウパー村ならまだ近いという近辺村民達。
街中では珍しいジビエ料理を食べてみたいと遠路はるばる訪れる者。
すると今度はダウパー村でも何かしようと言う動きがあり、今では村外向けの乗馬体験コースなどが設けられた。
他にも色々と行っていたら青空食堂の時に知り合った記者が取材させてくれって来たっけ。
あれ以来本当に多くの人が訪れて来たもんだ。
午前中にパンを焼いたり、畑仕事や材料の買い付け、家での仕事を済ませたニコロは用意され、飲食店も兼ねた自宅の厨房に立つ。
開店時間は一応十一時ごろなので基本的に誰も来ない。
ま、時間厳守の店ではないので来たら来たで開けるけどな。
材料が決まっているだけに限られた材料で何を作るかなと頭を悩ませていると勢いよく入り口の扉が開かれた。
「猪を狩りましたよ!
「お前の方が猪より勢いあるな…。扉を壊す気か?」
調査兵団の制服ではなく弓を背負い、狩人の格好をしたサシャに呆れてしまう。
ダウパー村の近くには大森林が広がっていたが、ウォール・マリアが戦場になった事で多くの民が流れてきた為に、大半を伐採して人が住める土地にして狩りだけで生計は立てれず、当時の王政に従って馬を育てていた。
それがウォール・マリアを始めとした土地が戻った事で、ここいらに越していた住民が故郷に戻り、急ごしらえで作られた村の多くが廃村となり、完全ではないと言え森に飲み込まれていった。
人が少なくなり、自然が広がり始めたことで動物も増え始め、今では森だけでなく村まで降りて来るほどに。
無論それほど増えても生計を立てれるほどではないが、狩りの頻度は以前に比べて増えた。
狩りに行く時のサシャは活き活きとして、昨日から隣村と合同で狩猟に出ていたのだ。
「さぁ!さぁ!さぁ!早く鍋にしましょう!!」
「下準備も出来てねぇのに出来るわけないだろ」
「えー!?ニコロなら何とか出来ますって」
「出来るか!!」
本当にそう思っていたのか?
そうだとしたら少し頭痛がするのだが。
がっくりと肩を落としているサシャの様子にクスリと笑みを漏らす。
「“ぼたん”は無理だが“さくら”なら出来るぞ。良い馬肉貰ったからな」
「
「出立前に親父さんから注文受けていたしな」
「だったら皆呼んできます!」
「おい!―――って行っちまったか。まだ出来てねぇってのに」
今度はニコロが肩を大きく下げる。
早速用意するかと底の薄いすき焼き用の鍋に馬肉、それと置いてあったキャベツにネギ、キノコ類を持ってくる。
出来るならゴボウなんかも欲しかったが無い物強請りになるので諦めた。
総司から個人的に買ったみりんや日本酒の残量を確認して、味噌と共に台に並べて調理の準備を整える。
「連れて来ました!出来ましたか!!」
「早いよ!少しそこで待ってろ」
サシャにサシャの両親、前に来た時に知り合った少女カヤも呼ばれて店に訪れた。
カヤも親父さんも落ち着いているようで座って、そわそわとしている様子が伺える。
鍋を火に当てて脂身を塗りながら脂分を出し、馬肉を幾らか焼きながら酒にみりんを注ぎ、砂糖を加えて味噌を溶かす。
味噌は自家製でも作っているのだけどまだ納得出来ないので今回使用しているのは総司から買ったやつである。
こちらが調理している間にサシャ達には取り皿に玉子を割り入れて掻き混ぜて待機している。
「もう食べてもええんか?」
「早―――って
驚きの表情を浮かべながら見るもすぐに納得した。
他の村人もそうだが食べ方が悪く言えば汚く、良く言えば豪快に喰らうのだ。
一番食い意地張っているのはサシャであるのは間違いないのだが、食事量は同じぐらいのレベルなので納得である。
「まずは……いや、どうぞお食べ下さい」
お肉を楽しみ下さいと言おうとした所で“腹ペコ状態で餌を前に待てを言い渡されて涎を垂らしながら待っている犬”のような集まった面子に言葉を呑み込み、食べても良いよと合図を出す。
すると野犬の群れが獲物に襲い掛かる様に群がった。
馬肉は結構筋肉質でしっかりとした食感を持ち、あっさりとして美味いのだ。
新鮮ならば刺身にしても美味しいのだが、馬肉用の醤油は前に使って切らしたままなので諦めるしかなかった…。
ダウパー村の連中は俺の料理が美味いという絶対の信頼をしてくれていたので、生魚だろうが生卵だろうが生肉だろうと提供した物は全部受け入れられた。
そんな馬肉の旨味にみりんと酒も入った味噌のコクが絡み、かき混ぜた生卵がなめらかな味わいを加える。
これが美味いんだよなぁ…。
想像するだけで口内に涎が溢れるが音を立てないように飲み込む。
「足りません!」
「解ってるって。ちょっと待て」
残った味噌タレに馬肉の旨味が溶け込み、少し醤油、みりん、砂糖、味噌を足して、切ったキャベツ、ネギ、キノコ類などの野菜類を入れ、馬肉を追加して入れる。
くつくつと煮えて野菜類が味噌タレが浸み込み、真っ赤な馬肉が色が変わって“桜色”になって食べ頃になる。
馬肉と味噌タレを楽しんだだけにスイッチが入った全員が肉食獣のように鍋に見つめている。
「もう食べ頃ですよ」
一瞬きらりと目を輝かせて、次の瞬間にはクワッと目を見開いて早い者勝ちの取り合いが始まった。
野菜の旨味も溶け込んで深みが増してタレに米を入れても美味いんだ。
うどんでも良いんだけどどちらも無いからなぁ…。
ガツガツと食らいつくサシャを次の食材を用意しながら眺める。
相変わらず詰め込むように掻き込むも、汚いと思うより美味そうに食うんだよな。
「美味いか?」
「
「何言ってるのか解んねぇよ」
そう言いながら俺は微笑を浮かべる。
なんでこうなったんだろうか。
昔の俺だったらこんな生活想像もしなかっただろうな。
もし
想像だけ膨らませても現実は利便の悪いド田舎で小さな飲食店を経営している事は変わらない。
別にそれを不満に感じている訳ではない。
思うのはこういう幸せも有りなんだなと噛み締めるだけだ。
ニコロはおかわりを催促されるまで美味しそうに頬を膨らませながら喰らうサシャを眺めるのだった。