活気に満ちた表通りを外れ、暗がりが続く裏通りに一人の少女が入って行った。
人目が付きにくい裏路地は治安が悪く、下手に足を踏み入れれば窃盗や暴行などの被害にあう事もしばしば。
入って行った少女は裏路地を寝床にしているような感じは無く、寧ろ服装から裕福な家庭で育ったのが見て取れる。
まさに鴨がネギを背負ってやって来た感じであるも、この辺りはある猫と少女の縄張りであった事と、調査兵や駐屯兵、憲兵などが良く訪れるようになってそう言った輩はこの周辺から消え去っている。
「ここですか?」
「えぇ、ここが話していた店です」
案内したエルヴィン・スミスの言葉に少女は期待と僅かな罪悪感を胸に、周囲と雰囲気の違う建物を見上げる。
少女の名前はフィーネ・タイバー。
“英雄の一族”として以前は大国マーレでエルディア人でありながらも大貴族並みの生活と、マーレを裏で操れるほどの力を持ったタイバー家当主の長女である。
実は“偽りの英雄”である事を公にして、権限とそれまでの生活が送れなくなったタイバー家が、新たな事業を手掛けて以前と引けを取らぬ生活水準にまで戻し、今や成功者として世間に知れ渡っている。
ただ収入が大きくなるにつれて比較するように忙しくなり、当主のヴィリー・タイバーは勿論ながらヴィリーの妹であるラーラ・タイバーも打ち合わせなどで色々と忙しくマーレにエルディア、ヒィズルの会社関係を行き来するようになった。
そうすれば父の手伝いをするべく母も付いて行くようになり、家事などは家政婦が行うものの老いた祖父祖母に幼く遊び盛りの弟妹の面倒などは長女のフィーネが請け負う事に…。
文句を言わずにそうしてくれることは有難くもあるも、我が子が気を使ってくれている事を解かっているだけに申し訳なく、何かしら労ってやりたいと常々思っていた。
そこで一度だけ連れて行った飲食店に行くことを進めたのだ。
フィーネとしても一度しか行っていないが、他では味わえない味を気に入ってまた行きたいと思っていただけに嬉しい話である。
が、子供一人で向かわせるなど危険極まりない。
それもご令嬢ともなれば尚更に。
なのでエルヴィン・スミスが同行しているのだ。
元調査兵団団長を務めたエルヴィン・スミスは現在色んな土地や街を見て回って知識だけだった見聞を大いに広め、時にはマーレとエルディアの仲介役として依頼を受ける生活を送っている。
タイバー家も仲介役として何度か依頼すると同時に、ほとんどを屋敷で過ごしたタイバー家の子らは彼の話に興味津々。
何度か屋敷に招いて色々と話を伺う事もあって、タイバー家は親しい関係を築いている。
本人も聞かせる事を楽しんでおり、いつかは教師をするのも良いなと思いを馳せ始めていた。
「では入ろうか?」
「――ッ!?は、はい!」
促されるまま食事処ナオの扉を開ける。
小さな鐘の音が客の来店を知らし、店員の視線が集まるもエルヴィンに冷たい視線が突き刺さる。
「いらっしゃいま――――…」
いらっしゃいませと言おうとしたアニは、エルヴィンとフィーネの組み合わせを見て戸惑い、怪訝な表情を隠さずに何度も二人を視線で往復させる。
どうしたのかしらと首を傾げるフィーネは兎も角、視線の意図をエルヴィンは理解した。
「…
「違う。断じて違う」
「…そういう
「法に触れるような事は何もしていない。寧ろ道案内を頼まれただけだ」
「いらっしゃいませ。カウンター席にどうぞ」
アニによる疑いの眼差しを受けるエルヴィンに総司が助け舟を出した。
これ幸いとエルヴィンはフィーネをエスコートしながらカウンター席に向かう。
少し高いカウンター席の為にアニが台座を用意し、フィーネは礼を言って台を使って腰かける。
さて、なにを注文しようかとメニューを開いた所で問題が起きた。
豊富過ぎるメニューに知らない料理名などで迷いに迷ってしまったのだ。
常連や店員にオススメを聞く手段もあるが、いきなり見知っていない誰かに聞くというのは中々にハードルが高い。
「あの…何が良いのでしょうか?」
「ふむ、なら任せて頂いても?」
隣のエルヴィンを頼るとクスリと微笑んで問い掛けられ、頷くと注文を口にされた。
「お子様セットを通常と大を一つずつ」
「…ムッ、子供扱いは止してください」
料理名から子供扱いされたと思い、フィーネは頬を膨らませて抗議する。
立派なレディなのですからと続ける前に遮られた。
「確かに名前はお子様セットと言う名だが、これほど豪華で好き嫌いの少ない料理はないと断言しよう」
あまりに自信のある様に抗議するのを止めて、でしたらとそのお子様セットを待つ事に。
どんな料理なのかと期待し、浮いている足をプラプラとさせているとふわりを香りが漂う。
ぱちぱちと油でカラッと揚がり、フライパンでジュワっと焼かれ、赤みがかったライスが舞う。
様々な料理音が合わさって音楽を奏で、食欲をそそる美味しそうな匂いが鼻孔を擽る。
期待どころか意識が全部持って行かれた。
耳で鼻で食欲を駆り立てられてお腹が鳴き、恥ずかしさから顔を真っ赤にしてきょろきょろと周りを見渡す。
隣で音が聞こえたエルヴィンは当然ながら聞こえなかった振りをしておく。
そわそわと出来るのをじっと見つめて、まだかまだかと待っていると様々な料理が乗った大きなトレイが差し出される。
「お待たせしました。お子様セットです」
「うわぁ!」
置かれた大皿の上に並ぶ料理に目を輝かせて、フォークとナイフを手に取る。
大皿にはエビフライに若鳥の唐揚げ、ミニハンバーグにチキンライスとオムレツ、フライドポテトとバターコーン、人参のグラッセなどが並ぶ。
「食べても良いのですか?」
「勿論ですよ」
「っていうかお連れはもう食べてるけどね」
テーブルの掃除をしていたガビが通り様に呟く。
ふと視線を向けると指摘を受けてぴたりと動きを止めるも、明らかに量が減っているのが見て取れた。
普段は頼りになる大人なのに子供っぽいところもあるんだなと笑い、冷めないうちに料理に手を付ける。
まずは若鳥の唐揚げをフォークで抑え、ナイフを入れようとすると待ったを掛けられる。
「唐揚げやエビフライは切り分けて食べるのではなく、齧り付いた方が美味しいですよ」
「え?…でもはしたなくないでしょうか…」
「郷に入っては郷に従えという言葉もあります」
そう言ってバクリと頬張るのを見て、少し躊躇いがちに齧り付く。
カリッと表面が音を立てて破れると中から鶏肉の旨味が詰まった肉汁が溢れてきた。
一気に口内を肉汁が流れ、噛み締めれば柔らかくジューシーな鳥の味わいが広がる。
鳥の旨味に塩気と
確かに切っていてはこの肉汁は皿の上に流れ落ちてしまっていただろう。
「美味しいです!!」
満面の笑みを浮かべ、感想を言うと作った総司も勧めたエルヴィンもほっこり笑う。
今度はエビフライに齧り付けばカリカリの衣の食感の下にはプリップリで淡白な味わいの海老が姿を現す。
二つの食感を楽しみながら食べていくと、タルタルソースの掛かった部分にて味がガラリと変わる。
まったりとしたマヨネーズにシャリシャリと歯応えの良い刻まれたらっきょうが、甘酸っぱさを齎してさっぱりさせる。
チキンライスにフォークを伸ばして口に含めば深いコクのあるトマトベースが、パラリとしたライスにしっかり浸み込み、噛めばふわりと香り豊かに口内に溢れる。
鶏肉に玉葱、人参などの具が味に変化を与え、飽きることなく山型に盛られたチキンライスがみるみる削られていく。
上に乗ったオムレツは中が半熟となっていて、チキンライスと共に含めばとろりとライスに絡みつつ広がり、なめらかさとほのかな甘さを付け加えた。
なんでこうも味が次々と変わり、そしてどれも美味しいのだろうかと小さいながらもずっしりとしたハンバーグを切り分けて口に運ぶ。
噛み応えがしっかりしており、噛めば噛むほど肉の旨味が奥より引き出され、掛かっていたデミグラスソースがよく合う。
こんなに肉類を食べていたら野菜を食べなさいと言われるが、このお子様セットの野菜は少量だ。
それも嫌いな野菜は一切見られない。
外はカリッと、中はほろりと崩れる塩気の利いたフライドポテト。
唇で切れるほど柔らかで、甘い人参のグラッセ。
コーン本来の旨味を活かし、バターの風味を利かせたコーンのバター炒め。
ようやくわかった。
お子様セットというのは子ども扱いしているとかではなく、好き嫌いの多い子供でも満足出来るほど美味しい料理が詰まったセットなのだと。
そう考えると確かに豪華な料理と言った意味が理解出来る。
先ほどまではしたないと気にしていた少女はもっもっもっと頬が膨らむほど料理を詰め込み始めていた。
パクリパクリと幸せそうに食べ、大皿に盛られていた料理は綺麗さっぱり無くなる。
満足気に膨れたお腹を撫で一息つく。
お腹はいっぱいなのに倍の量が盛られたエルヴィンのお子様セット(大)を見て、大人は良いなぁ…と羨む。
「ここはデザートも逸品ですよ」
食べきってしまえば待ちぼうけを食らう事を見越して、デザートを勧めるエルヴィンはクリームソーダを注文する。
デザートと聞いてケーキ類を想像するも、デザートの欄だけでもかなりの品が並んでおり、そこにはバニラにチョコレート、苺に抹茶などのアイス類も並んでいた。
アイスも良いなと思っていたら追加でビスケットとナッツパウダー、ブドウジュースが書かれていた事に気付いて小首を傾げる。
マーレでアイスを食べた事はあるものの、このようなセットは見た覚えがない。
「このバニラアイスと追加をお願いします」
「畏まりました。バニラアイスに追加のセットですね」
注文の確認を行っていると背後が少し騒がしく感じ、振り返るとニコニコと笑みを向ける
一体何なのだろうと考えるも、すぐさま用意されたので意識をデザートに向ける
皿に真っ白なバニラアイスが中央に鎮座し、端にビスケットが数枚並べられており、底の深い小皿に小さく砕かれたナッツが盛られ、飲み口の広いワイングラスにブドウジュースが注がれる。
なんだかお父様がたまに口にしているワインとつまみみたいと思い、早速食べようとするもスプーンが見当たらない。
いえ、スプーンはあるのだけどそれはナッツパウダー用と思われる
戸惑っているとすかさず総司が説明を入れる。
「そのバターナイフでビスケットにバニラアイスを乗せ、ナッツパウダーをかけてお食べ下さい」
「あ、はい!」
言われるがままビスケットにバニラアイスを乗せて、ぱさりとナッツパウダーを掛ける。
こんな食べ方をした事が無かっただけに、興味津々と言った様子で含む。
口に入れて真っ先に広がるのはひんやりとした冷たさに濃厚なバニラの風味、そして舌を喜ばせる甘さ。
そして続くは香り豊かなアーモンドにカシューなど複数のナッツ類が合わさったナッツパウダーの深い風味。
アイスを乗せたことでしっとりと柔らかくなり、ほろりと砕けながらビスケットの香ばしさと塩気が絡まる。
特に塩気は甘さを引き立て、また甘さも塩気を引き立てるので甘くもあり程よい塩気が広がる。
思っていた以上に美味しいと驚きつつ、ブドウジュースを口にする。
口が広いワイングラスなので口元に近づけただけで芳醇なブドウの香りが鼻孔へ流れ、さっぱりとしながら濃い味わいを持つブドウジュースが舌を喜ばせつつ喉を優しく撫でて行く。
ワインとつまみを模したデザートが、まるで自身が大人になったような感覚を与え、美味しさと相まって酔い痴れる。
ご満悦だったフィーネだったが、ふと罪悪感が募る。
いつも頑張っているご褒美という事だが、自分だけこんな美味しい思いをして良いものか…と。
「あ、あの!持って帰る事って…出来ますか?」
「アイスは難しいですが、お食べになられたお子様セットなどでしたら問題なくお包み出来ますよ」
「ならお願いします!」
お父様もお母様も叔母様も今日は帰って来ない。
なのでお爺様にお婆様、それと弟妹の分のお持ち帰りを注文して罪悪感を断ち切り、皆の喜ぶ顔を思い浮かべながらフィーネは帰路につくのだった。
…後に元調査兵団団長が少女を連れていたという噂から、疑いを持ったハンジとリヴァイが眉を潜めながらエルヴィンに詰め寄ったとか…。
●現在公開可能な情報
・アイスのセット
ビスケットでアイスクリームを挟むアイスがあると総司から聞いて、ならばと大人の真似事をしてこっそりワイングラスにブドウジュース、ビスケットにアイスを乗せて食べていたのをファルコに目撃され、そう言うのも有りかと総司がメニューに載せたのだった。