ジャン・キルシュタインという今期トロスト区訓練兵団で優秀な成績を修める人物。
ある特定の訓練兵と相性が悪く喧嘩になる事が多い事から問題児の一人ではあるが、立体機動の技術も座学も平均以上の上に指揮官としての才を持つ。
最近では喧嘩する訓練兵が良い刺激となって、怠ることなく競う合うように訓練に励んでいる。
そんな彼は恋をした。
彼が惚れた相手はミカサ・アッカーマン。
訓練兵団にて最高成績を叩き出した最優秀者。
入団式の時に彼女の凛とした横顔を見た瞬間、身体に電流が走るような衝撃を受け、心より欲しいと願った。
一目惚れだった。
生まれて初めて芽生えた強い恋心に彼は高揚し、その感情は次の瞬間には鎮火された。
ミカサには彼氏こそ居なかったものの、大事にしている男が存在した。
その男こそジャンが目の敵にし、些細なことで喧嘩を吹っ掛けている相手であるエレン・イェーガー。
奴と周りを比べるとミカサの対応は天と地ほどの差がある。
決して理由もなく周りを無下に扱うという事でなくて、すべてエレンを中心に考え行動している。
正直過保護過ぎるほどの対応が目立つが、それ以上に自分には決して向くことの無い好待遇を「餓鬼扱いするんじゃねぇ」と無下にする事に殺意すら覚える。結果苛立って騒ぎを起こしてしまう訳だ。
「匂いますね」
「あぁ、ぷんぷん臭うぜ畜生が…」
建物の陰よりジャンは人ごみから抜けて、裏路地へとミカサと共に進むエレンを忌々しく睨みつける。
裏路地に連れ込んで何をする気だと言わんばかりに殺気だっている。
「ねぇ、まだ尾行するのかいジャン」
呆れたように同行者であるマルコ・ボットが口を挟む。
嫉妬に狂うジャンではあったが、一人で尾行することを良しとしなかった。
相手はあのミカサだ。
下手な尾行では発見される可能性が高い。
ゆえに自身では足りないところは他者の力を借りることにしたのだ。
元々狩猟民族で獲物の様子を窺う事や追跡に長けたサシャ・ブラウス。
同期の中でも一、二を争う馬鹿であるが、小回りや機動力にかけては非常に高い能力を持つコニー・スプリンガー。
指揮能力に長け、味方への気配りが行えるマルコ・ボット。
恋愛事に関して詳しい同期トップクラスのバカップルであるフランツ・ケフカとハンナ・ディアマント。
それと何故か顔を青くしながらついてきたミーナ・カロライナ。
編成としては十分だろう。
ただ報酬として飯を奢るとは言ったものの、サシャが居る為に高くつきそうだがな…。
尾行を続ける気満々なジャンは、マルコの一言に眉を潜め振り向く。
「ったりまえだろマルコ。逆にここからこそ本番だろ!?」
「いや、本番だからこそいかない方が良いんじゃないかと思うんだけど…」
マルコに一言言ったジャンは再び視線をミカサ達に向けようとするが、すでにそこには居なかった。
慌てそうになるが、駆けて行って待ち伏せされている可能性を鑑みて落ち着いて行動し、待ち伏せなどしてなかったミカサ達を完全に見失ってしまったのだ。
「クソッ…どこ行った?」
「あー、完全に見失っちまったな」
「諦めて帰らない?帰りにショッピングとかして……ね?ね?」
当たりを見渡しても誰も居らず、イライラを増したジャンにミーナが諦めようと進言するも全く耳には届いていない。
コニーやハンナ、フランツも辺りを見渡すが人が隠れるところなど周りには無く、仕方が無いと諦め始めた矢先、クンクンと匂いを嗅ぐサシャの動きが止まった。
「やはり匂います」
呟くと同時に駆け出したサシャにジャンは期待を抱き後を追う。
「そっちなのかサシャ!?」
「あ!そっちは…」
ジャンに続いて全員が走り出すと、その方向に覚えがあったミーナは顔を顰めた。
駆け出したサシャはある一軒の建物の前で止まり、ビシッ!っと指をさして真顔で告げる。
「ここから良い匂いが!!」
「食い物に釣られてんじゃあねぇよ芋女!!」
期待が呆気なく砕け散り、遣る瀬無さだけを残して霧散した。
がっくりと肩を落として項垂れるジャンの肩にマルコは優しく手を置く。
「今回はここまでだよ。また手伝ってあげるから元気だしなよ」
「マルコ…」
反対側の肩を同じように乗せられて振り返る。
「奢るって言いましたよね!ここにしましょう!!」
「テメェはもう少しなんかねぇのか!!」
もう一度探す気も失せたジャンは重々しい内心を、ため息と一緒に吐き出して正面の店へと視線を向ける。
サシャには手伝ってくれたら奢ると約束したし、金だけ渡したら全部使われそうだ。
なら自分の目があるほうがストップをかけ易い。
また街まで出るのも面倒なのでこの店で食事をすることにする。
「お腹もすきましたしここでご飯にしましょう。勿論ジャンの奢りですよ」
「よっし、俺何食おうかな」
「高いもん頼むなよ!」
「僕は自分で出すよ」
「…すまん。助かる」
マルコの言葉に財布の心配をし始めたジャンは心の底より有難く感じる。
また今度別にマルコには借りを返さないといけないなと扉を開けると、カウンター席に並んで腰かけるエレンとミカサの姿があり、開けた時にドアの上部に付けられていた小さな鐘の音に誘われるように振り返ったエレンと目が合った。合ってしまった…。
「ジャン!?それにお前らまで」
思わぬターゲットの再補足にジャンは良しと喜ぶと同時に、ミカサの隣に並んで座っている事に酷く羨ましがる。
ジャン達に驚き狼狽えるエレンと逆に、ミカサはミーナに冷たい視線を向ける。
「……ミーナ」
「待ってミカサ!
必死に弁解しているようだが――まぁ、それは放っておくとしよう。
「お前ここで何を――」
「何をって飯食いに来たに決まってんだろ」
「いや、そうじゃなくてな……いや、何でもいいか」
燃え上がりかけた気持ちを鎮火させ、店員に案内されるがままに席に付いたがどうするべきか。
もはや見つかった以上尾行は難しいし、無理やり付いて行く事も叶わないだろう。
サービスという事で出された冷たい水に口をつけて一息ついているとサシャの奇声が響き渡る。
「にくぅうううう!!」
「うおッ!?いきなりどうした」
「店内で騒ぐなよ」
「一大事ですよこれは。お肉がこんなに安いんですよ!」
驚きを露わに興奮してメニュー表の一ページを見せてくるが、目の前過ぎて見えやしねぇ。
ひったくるようにメニュー表を取り、目を通してみると確かに安い。
ただ料理名としては知らないものが多いのでどれほどの量が入っているかは分からないが…。
「なんだこれ?マルコ分かるか?」
「皮付きフライドポテト…芋の揚げ物かな?」
「何か甘いもの食べたいねフランツ」
「そうだね。デザート類も結構あるよ」
「デザートならプリンがおすすめ。ぜひ食べるべき!」
カウンターの近くだからかミカサまで会話に入って何を頼むかを話し始め、俺もなにか頼むかと財布の中身と相談しつつメニュー表を捲ると予想外な安さに目を見張る。
これなら然程…いや、この人数だから出費はデカいが他所と比べて少なく済む。
多少の安堵を覚えながらページを捲っていると、一品物の欄で手が止まった。
“オムレツ”
懐かしい料理に自然と頬が緩む。
幼い頃からの好物で、よく「オムオムが食べたい」つって母ちゃんに強請ったっけ。
恥ずかしながらも懐かしい思い出が脳裏を過ぎり、値段も良い位なのでこれにしようと決めた。
「おめぇら注文決まったか?」
「勿論ですよ。というかジャン待ちだったんですよ」
「そうだぞ。眺めたまま固まってたから先に注文しようかと思ったぐらいだ」
「そりゃあ悪かったな」
二人いる店員の内、一人の少女を呼び止めて注文を伝える。
俺はオムレツを注文し、コニーとサシャは“若鳥の唐揚げと皮付きフライドポテト”、フランツとハンナはミカサに勧められたカスタードプリンとチョコレートプリン、ミーナは元々決めていたマンゴープリン、マルコは出費を控えたのかパンとスープを注文していた。
「マルコ。思いのほか値段が安いんだ。俺が出すからもっと良いのでも…」
「いや、止めておくよ。どうも知らない料理も多いし、値段の安さも気になるからね」
「パンとスープをお持ちしました」
注文したすぐ矢先だというのにパンとスープが早速運ばれてきた。
見た目は兵団で食べている物と変わりない様に見える。
「先に食べるね」
申し訳なさそうにマルコが謝り、スプーンでスープを掬い口へと流し込む。
――動きが止まった。
不味かったかと思い込んでいると、今度は引っ切り無しに手を動かしてスープを口へと運び続ける。
スープが喉を通るたびにマルコは頬を緩ませて笑みを漏らし始める。
「おいおいどうしたマルコ?」
「――ッ!!…あぁ、ごめん、つい手が止まらなくって」
「止まらないってただのスープだろう」
「いや、兵団で出される物とは全くの別物だよ」
いつになく高ぶっているマルコはパンにかぶりつくと、ふわりとパンが裂けて純白の
見ているだけでも柔らかさが伝わってくるパンと、スープを交互に味わうマルコ。
たかがと思っていたパンとスープであのマルコがこうまで変わる事に、自分達が注文した料理への期待感が高鳴る。
じゅわ~、パチパチパチと油で揚げられる音と、香ばしい匂いが店内へと漂う。
これだけでも空腹感が刺激されて腹の虫が鳴き喚く。
早く食いたいなと思うのは俺だけではない。コニーもそうだがいちゃついていたフランツとハンナまで動きを止めて調理場へと視線を向けるほどだ。
ただ注意すべきはサシャが突撃しないようにするという事。
「分かってるだろうな。突っ込むなよサシャ」
「―――ッ!?や…ヤダナァ、スル訳ナイジャナイデスカァ…アハハ」
「全部片言の上に視線を逸らすなや」
やる気満々だったサシャを睨みつけ、動きをけん制する。
マルコの反応に腹の減る匂いを嗅がされ、馬鹿が面倒を起こして叩き出されるなんてオチは勘弁してほしい所だ。
気が抜けない時間は店員が運んできた料理によって緩和され、皆の意識がその料理へと注がれる。
テーブルに置かれた若鳥の唐揚げと皮付きフライドポテトを見て、声を上げずに居られる者が訓練兵団に居るだろうか。
絶対に俺は居ないと断言する。
なにせ大皿の上には油で揚げられた鶏肉と、同じく揚げられた皮付きのままくし切りされたジャガイモが二つの山になって登場したのだ。量に比べて値段が安く、量と値段が釣り合っていない。
揚げたてで湯気が立ち昇る唐揚げをサシャとコニーが摘まんで、ひょいっと口へと放り込む。
すると目を輝かせて頬を緩ませた。
「美味しい!何ですかコレ!!」
「マジでうめぇ!」
興奮したままがっつく二人を若干引き気味に眺めていたら、サシャは盗られると思ったのかさっと護るように隠す。
逆にコニーはその行動からジャンが欲していると勘違いし、皿をジャンやマルコへと寄せた。
「おい、お前らも食ってみろよ!」
「お、おう…」
言われて物は試しに唐揚げ一つを摘まんで口に放り込む。
噛み締めると外はカリッと香ばしく、中は噛み応えがありながらも柔らかい。
ジュワ~と口の中を肉汁が駆け巡る。
油で揚げたのに脂っこく無く程よい位だ。
もう一個と唐揚げを口に放り込んだジャンは、今度は同じく山になっていた皮付きフライドポテトを美味い美味いと食べるサシャとコニーの様子に疑問を覚えた。
芋は訓練兵団でも家でも良く出る食材のひとつだ。
スープの具材に吹かし芋、マッシュポテトなど生産性の良さと腹に溜まりやすい事、さらに他の食材に比べて大量に生産されている分安いこともあって、食事を用意する側としては有難い食材であるが、逆に食べる側からすれば「またか…」と呟きたくなるほど毎回登場する食材で飽き飽きしているところだ。
だからそんな芋を揚げただけの料理にあまり興味を持てなかった。
しかも皮付きとか手抜きにしか思えない。
「芋なんて食い飽きてるだろうに」
「そんな事ないですよ!」
「本当に美味いんだって!これが飯ん時に出てくるなら俺毎日これでも良いぞ」
「同感です!」
興奮気味に言い切ったコニーとサシャに冷めた視線を向けるが、気になったマルコが一つ齧ると驚きの声を漏らした。
「確かにこれは良いかも」
「マルコまで。ただの芋だろ」
「食べてみなよ」
「ったく…」
マルコまでもかと内心ため息をつきつつ一つ齧る。
サクリと香ばしい食感と共に芋のホクホク感と程よい塩気が広がる。
原理は簡単なものだろう。
皮を残した芋を油で揚げて、塩を掛けただけの芋料理。
ガキでも作れそうな料理の筈なのに、一口齧ったら手が止まらない。
この雑味の無い洗練された塩気。
芋本体よりも芋の香りや味、そしてパリッとした食感を生み出している皮。
油で揚げられているのに脂っぽさは表面だけでしつこさがない。
何より甘味があり、口当たりも良いこのホクホクとした芋の味を妙に身体が欲し、それらすべてが合わさりなんとも言えぬ食欲を生み出す。
手が止まらない。
まさに病み付きになるという奴だ。
先ほどミカサがミーナにこの店を知らせた云々で睨んでいたが、これらを食べる前と食べた後では意味の理解度がかなり違っていた。
これほどいい店なら黙っておいて自分だけのお気に入りにしたい。
「あ!そうだお前ら」
「なんだよ」
予想外な美味しさにご満悦となり、苛立つ素振りもなく普通に返事を返すジャン。
少しばかりその事に驚きつつエレンは言葉を続ける。
「この店で他の客に迷惑かけるほど騒いだら―――」
「美味し過ぎる!!貴方は料理の神様ですかぶらっ!?」
「―――投げられるぞ…って遅かったな」
「そうだな…」
忠告の途中で美味しさによって生まれた歓喜により、興奮状態へと陥ったサシャは調理場に突撃する勢いで総司に迫り、近くに居たアニによって投げ回された。
一目見ただけだがアレに勝てる気がしねぇ…。
ミカサでもどうだろうな…。
絶対騒がないようにしよう。コレ絶対。
投げ飛ばされた
よくある事なんだろうなと納得しつつ、視線を先ほどからこちらに絡んでこないフランツとハンナに向けると…。
「はい、あ~ん」
「あ~ん」
「美味しい?」
「凄く美味しいよ。ハンナも」
「あ~ん…うん、フランツのも美味しいね」
お互いのプリンを食べさせっこしていた二人のバカップルぷりに、妙な甘ったるさ感じて目を逸らす。一人黙々とプリンを食べているミーナもなんとも言えない視線を向けている。
塩気が欲しくなったなとフライドポテトに手を伸ばそうとすると、横からオムレツが差し出され手を止める。
「オムレツお待ちどう様です」
「お、おう」
音もなく横からオムレツを出された事よりも、先ほどサシャを投げ飛ばした女性が真横に居る事に緊張した。
別段騒いで周りに迷惑かけてないから投げられないだろうと理解していても身構えてしまう。
アニがオムレツを置いて離れたことで、ようやく自分のが来たと視線を向けると中々に立派なオムレツが置かれていた。
焦げ目は最小限で綺麗な黄金色のオムレツに、とろみのついた赤いトマトソース。
家で母ちゃんが焼いてくれたのとは見た目から別格だった。
スプーンで掬おうと刺し込む。
刺すという表現は違った。
入るが正しい。
ふんわりとした触感のオムレツにスプーンの先がスーと入り込む。
思わぬ触感に驚きつつ、そのまま持ち上げるとフルフルと揺れながらもしっかりと形を保っている。
なんだこれはと目を見張り恐る恐る口へと運んで噛み締める。
噛み締めたがこれは歯が必要ない程柔らかく、唇でふつりと切れる。
生クリームを混ぜ、焼き加減に注意を払われたオムレツはとろけるような食感と同時に、卵の優しくも素朴な味わいが広がる。
それだけではない。
強い肉の旨味を持ったひき肉に、飴色になるまで炒められ甘味を増した細かく刻まれた玉葱、ほろほろと崩れてオムレツに滑らかさを追加するジャガイモ。
これらが良いアクセントとなり、味を豊かで繊細なモノに仕上げている。
さらに掛かっているトマトソースも今まで口にしたどのソースよりも、深いコクと程よい酸味がオムレツにベストマッチしてさらなる高みへと昇らせていた。
こんな美味しいオムレツを食べたのは初めてだ。
でも、どうしてだろう。
口にするたびに母ちゃんのオムレツが脳裏を過ぎる。
…断じてだ。
断じてここのオムレツより美味い訳ではない。
卵の質も下だし、とろけるほど柔らかくもない。
トマトソースは雑多で粒が多いし、味自体も簡単な家庭的な物だ。
だけどなんでだろうなぁ…。
物凄く母ちゃんのオムレツが食べたい。
帰ってもしつこい位構ってくれる母ちゃんに対して恥ずかしがったり、餓鬼扱いされるのが鬱陶しく感じて強く当たってしまうだろうから、あまり帰らないでいたけれども―――今は母ちゃんの平凡で質素なオムレツが無性に食べたい。
「大丈夫かい?」
「……なにがだよ」
「泣いてるよ」
「―――ッ」
マルコの言葉を聞いてそっと目元を拭い辺りを見る。
皆が皆、ここの料理に夢中で気付いていない。
見られていたら絶対に冷やかされていただろう。
「何でもねぇよ。――ただ、まぁ…感傷的になっただけだ」
確か今度の市街地訓練先は俺の生まれ育った街だったな。
時間を見つけて帰ってみるか。
ジャンは当初の目的を忘れ、今はただ懐かしい我が家へと思いを馳せるのであった。
●現在公開可能な情報
・トロスト区訓練兵団の悪夢
訓練兵団卒業が近づいているこの時期に、トロスト区訓練兵団で訓練兵の大半が倒れ込む寸前にまで追い込まれる厳しい訓練が行われた。
訓練を担当したキース・シャーディスは一日中不機嫌さを撒き散らしており、どうしてそのような訓練を行ったかを語ろうとしなかったのだとか。
ちなみにとある訓練兵が店名は伏せるがその店が用意していた一日分の鶏肉を食い切ってしまい、キース教官らしき人物が鶏肉料理を食べれず怒りを露わにしたとか…。