エレン・イェーガーは食事処ナオでの食事を何よりの楽しみにしていた。
訓練ばかりで他に無頓着だった以前と比べて、財布の中身が急激に減るようになったがそれも許容範囲内だろう。
今日も今日とて同じく楽しみにしているアルミンやミカサと訪れ、期待を胸に扉を開けたのだったが…。
「――ん、エレンか?」
来客を知らせる扉上部に取り付けられた小さな鐘の音に反応して、カウンターに腰かけている人物と目が合った。
そこに居たのはエルディア最強の兵士であるリヴァイ兵士長。
これが自分一人なら笑顔で答えていた事だろう。
だが、今は悪い――いや、最悪と断言できる。なにせ…
「どうしたのエレン―――チッ…」
中々店内に入らないエレンに対して疑問に思ったミカサが中を覗き、リヴァイを目にした瞬間舌打ちをした。
同時にリヴァイはガンを飛ばしてくる。
両者の嫌悪感と殺意に近い苛立ちに挟まれたエレンは表情を引き攣らせた…。
リヴァイ
尾ひれがついた噂を除いても実力確かで未だに負け知らず。
強者の象徴とも言える彼を前に、初対面の訓練兵がこのような態度を取る事はまずありえない。
しかしながらエレン達は事情が違う。
リヴァイ兵長の本名はあまり知られていないが、リヴァイ・アッカーマンと言って、ミカサ・アッカーマンの親戚なのである。
正確に言えばリヴァイは本家筋でミカサは分家の出なのだ。
昔は多くの血族が居たらしいが今となっては片手で数えれる程度に数を減らし、時たま様子を確認するべく顔を見に来ることがあり、ミカサと遊んでいたエレンとアルミンはリヴァイと出会っていた。
ただあの頃は無邪気と言うか理解が及ばなかったというか、失礼な事を仕出かしてかなり躾けられた。エレンとしては自分が悪いと割り切っているが、ミカサはあれ以来リヴァイを親の仇の様に認識しており、出会うたびに剣呑な空気を発している。
「出会って舌打ちとは躾がなってねぇな」
「ガンを飛ばして来たチビに言われたくない」
「ほぅ、喧嘩を売っているのか根暗」
俺を挟んで火花を散らさないでくれ!!
いや、違う。
ここで喧嘩なんてしたらアニに投げ飛ばされる。
「落ち着こうよリヴァイの兄貴」
「ミカサも落ち着けよ、ここで争っても良い事ないんだから…な?」
「そうそう早く注文しようよ」
リヴァイは店員のイザベルが先に動いてくれたので、エレンはアルミンと一緒にミカサを宥める。
お互いに気に入らない様子であったが矛を収めて席に付く。
一触即発の危機が去った事でほっと胸を撫でおろし、いつものカウンター席に腰かける。
何も考えずに座った為に後からその問題に気付いてしまった。
先ほどはまだ距離があったから良かったものの、座った席の左隣はリヴァイ兵長。当然右にはミカサが座っている。
しまった!挟まれた!!
ヤバイと思っても一旦座った席を立ち、移動するのは兵長にいらん誤解を与えそうで後が怖い。アルミンに助けを求めようと視線を送るとミカサの右隣に座ってこちらにサムズアップしてから総司に注文をしていた。
あいつ他人事だと思って良い顔しやがって!!
とりあえずいつも通りチーズハンバーグを注文しよう。食べていたら別段気にならないだろうし。
そう考えて注文を済ませたエレンはミカサが「プリンをチーズで」と言った言葉が気になった。
「チーズ?」
「ん、どうかしたの?」
「いや、プリンにチーズって合うのか?」
単なる興味だった。
チーズハンバーグのチーズは濃厚で塩気が強かったりする。それが甘いプリンに合うのかと。
想像したのがとろりと蕩けたチーズがキャラメルの代わりに掛かっているのだったがゆえに疑問は大きかった。
それを聞いたミカサは少しムッと不機嫌そうに表情を変えた。
「―――合う。あの爽やかなチーズと滑らかな食感は非常に合う」
表現としては短い文章であったが、発した言葉のひとつひとつには強い想いが込められていた。
しかし想いの強さは理解できても、どう合うのか今ひとつ理解出来てなかった。
「けどこれ塩気濃いだろ?」
「お前は無知か?チーズと言っても様々な種類があるんだ。俺や根暗が頼んでいるデザート系にはさっぱりとしたクリームチーズが使用されていることが多い」
「……癪だけどそのチビの言う通り」
「そうなんだ」
一人感心して納得していると、予期せぬ爆弾が放り込まれた。
「まぁ、プリンよりもパウンドケーキの方が合うがな」
空気が凍り付いた気がした。
恐る恐る左へと視線を向けるとミカサの目からハイライトと表情が完全に消えていた。
それを当然のように受け流しながら、総司より受け取ったパウンドケーキと紅茶を楽しみ始めているリヴァイ。
「プリンはクリームチーズを入れようが入れまいが似たような食感だろ。パウンドケーキはしっとりとした食感に甘さ控えめなデザートでな。クリームチーズが加わる事で口当たりがさらに優しくなり、薄っすらとした甘さがクリームチーズの味わいを丸くする」
「―――クリームチーズ入りとそうでないものの区別がつかないなんて可哀そうなチビ。パウンドケーキのほうが変わらないと思う」
「あぁ?チーズはパウンドケーキの方が合うに決まっている」
「違う!プリンの方がチーズに合う!!」
あたふたとヒートアップしている二人に頭を悩ませながらエレンは気付く。
店内に居るのは総司にユミルにイザベル。
あの店の荒事担当のアニが居ない事に。
もしここで喧嘩が起これば店側が止める術はないのではないだろうか。
そうなれば歯止めも聞かずに暴れ、店の備品とか壊してしまい、最終的にはミカサと一緒に来た俺も出禁を食らうのでは…。
不味いと思い止めようとするエレンよりも先にある男性が割り込んで来た。
「そこまでです兵長。それに君もね」
「モブリット…」
どうやらモブリットという調査兵はリヴァイ兵長の知り合いらしい。
生真面目そうな人物が間に入った事で確証の無い安堵を覚える。
「何を騒いでいるかと思えば…子供相手に大人げないですよ」
「…ッチ」
「好きなもので熱くなるのは分かりますが、それで口論になっては美味しいものも不味くなっちゃいますよ」
「そうですよ。それにチーズに合うのは春巻きなんですから」
「あー…アレは美味しかった。チーズのとろみの中からぷりっぷりのエビが絡み合い、春巻きの薄い皮が油で軽く挙げられてパリッとした食感と共に楽しめる」
「何と言ってもビールに合いますからねぇ」
「言ってたらまた食べたくなったな」
「モブリットさんも食べますよね?」
「そうだな。ビールも含めて四人前―――では無くて!!」
話に入って来た
ハッと我に返った時には時すでに遅し。
仲裁に入った筈なのに自ら“チーズに合うのは春巻き”と宣戦布告を済ませてしまった。
これにはミカサとリヴァイの鋭い眼光が黙っていなかった。
が、それ以上に黙っていられない人物がこの店には多くいた。
「何言ってんだ。チーズに合うって言ったら魚料理だろう」
立ち上がったのは少し
「白身魚の淡白な味わいに濃厚なバターが加わったムニエルに、粉末状にされた粉チーズが風味を豊かにし、表面で溶けてカリッカリに焼かれたチーズが旨味や熱ごと包み込んで中はジューシー、外はカリッとした香ばしい食感を演出するんだ」
「いやいやチーズに合うと言ったらお肉ですよ!!この蒸した鶏肉に掛ったクリーミーなチーズを用いたソース」
「違うぞサシャ。チーズに合うのはこの蒸したジャガイモだって。バターも醤油も良いけどチーズのとろみとほろりと崩れるジャガイモの組み合わせは絶品だって」
「何言っているの二人共。チーズに合うのはハムとパンで挟んだサンドイッチだよ。ハムのあっさりとした味わいを包み込むようなチーズの食感。それを引き出すためにとろけるか否かの瀬戸際を攻める総司さんの技術。見た目も白に桃色に白っぽい黄色で見事なんだから」
静かに食っていたと思えばやはり参戦したかサシャ…。
一緒に居たコニーはまだしもアルミンまで参加するとは思っていなかった。
それにしてもこうも語られると俺も黙っては居られない。
「チーズに合うのはハンバーグだろ!肉厚のハンバーグに絡みつくチーズは最高なんだ。上に乗せられた味も色も濃い黄色のチーズは見栄えも味も良く、切れば中からねっとりなめらかなチーズがとろりと垂れる。さらにはオプションで濃厚なチーズソースが付けれる点からもハンバーグはチーズと共にあるもんなんだよ」
「ハァ!?何言ってんだエレン。チーズが最高に合うのはオムレツに決まってんだろ」
我慢できずに言い放ったエレンの言葉にジャンが噛み付いてきた。
「あのふんわり柔らかなオムレツの食感に違和感なく混ざるなめらかさ。具材はチーズを除けばベーコンだけだけど、それがまたチーズと相性が良くてベーコンの旨味を引き出してくれるんだ。何より黒コショウによってピリッとした辛さが全体を引き締めて良い味を出す。そして割った時に見える卵の黄色とチーズの白っぽい黄色の層が織り成す美しさと来たら…」
想像したのか口の端が緩み、軽く涎が垂れそうになっていた。
慌てて啜ったジャンを睨みつけつつ俺は立ち上がる。
「何言ってんだよ!一番合うのはハンバーグに決まってんだろ。」
「んだとテメェ!?」
「やんのか!!」
「もう!皆さん落ち着いてください」
声を荒げたのは誰も予想だにしなかったクリスタだった。
向かいでパフェを黙々と食べているヒストリアはクリスタの声に合わせるように周りに冷やかな視線を向けて牽制する。
「最初に話していたのはクリームチーズに合うデザートだったはずです」
「違っ…いや、そうだけども違う!」
止めてくれるかと思いきや、まさかの参戦にエレンは思わずコケそうになる。
ミカサとリヴァイは受けて立とうと言わんばかりに振り返って聞く気満々。アルミンは別の理由で聞く気満々だがそれは放っておこう。
「クリームチーズと言うのであればアイスこそ一番です」
「私もそう思うわ」
「ちょっと前に総司さんに新しいアイスの試食をお願いされたのだけれどその時のクリームチーズを使ったアイスが絶品だったの!」
「リヴァイ兵長が推薦するクリームチーズのパウンドケーキとは違って、甘味を濃くしたクリームチーズの味はキンキンに冷えたアイスではしつこいどころかちょうど良い甘さになる」
「でもそればかり食べたらしつこくなるからさっぱりさせたい」
「けれどレモン汁を混ぜるのは在り来たり、けどアイスには苺が一緒に使用されている」
「苺独特の味わいと酸味を強め」
「クリームチーズがそれを柔らかで優しい味わいに変える」
いつにないマシンガントークに二人を知っている面子は注視してしまう。
主張するよりも受け身になる事が多いクリスタと、周りに興味なさげなヒストリア。
あの二人が嬉しそうに語り合う光景など思いもがけなかった。
しかし長くは続かなかった…。
「だからチーズに合うのはアイスよ。クリームチーズを混ぜた苺アイスを用いた
満面の笑みを浮かべて宣言したクリスタに対し、その周囲の気温が急に下がったような気がする。
実際には気温の変化など起きてはいない。起きてはいないのだがそう感じてしまったのだ。
ヒストリアの一気に変わった冷たい表情によって。
「何を言っているのクリスタ。なんでもかんでもクレープ生地で巻けば良いという物ではないわ。クリームチーズを混ぜた苺アイスのパフェこそが至高でしょ」
信じられないと言いたげな言葉に今度はクリスタがムッとする。
「ヒストリアこそ何でもかんでも盛れば良いという訳では無いと思うよ」
ピシリ…。
何か目に見えない物に罅が入った気がする。
「分からず屋!」
「頑固者!」
「二人共落ち着けって」
「「ユミルはどう思うの!?」」
仲裁に入ったユミルへクリスタとヒストリアの問いが同時に掛けられる。
一瞬悩み、どうしようかと総司に視線を向けるが総司もどうしたものかと悩んでいる様子。
「それはチーズでって事だよな。だったら昨日食べたピザトーストが美味しかったかな。濃い目のトマトソースに薄いサラミとかの具材が乗せられ、とろりと濃厚なチーズが掛けられるんだ。アレは本当に美味かったな」
ユミルがクリスタに同意すればヒストリアからの冷めた視線。
ヒストリアに同意すればクリスタの涙目での抗議。
どちらを選んでも遺恨が残るならどちらにも同意しなければ良いだろう。
そんな浅はかなユミルの答えは別の問題を生み出したのであった。
「あれ?昨日そんなの食べたっけ」
イザベルは首を傾げながら思い出す。
朝の朝食はふわふわとしたスクランブルエッグにパリッとした食感の
同じ時間帯の勤務だったのでそれは覚えているし、店のメニューに“ピザ”なんて料理はなかった。
「あぁ、だってそれは夜食に――――あ…」
「ずりぃよそれ!アタシも食べたい!!」
つい口を滑らせたユミルは口を塞ぐがもう遅い。
イザベルの猛抗議を受けてしまう。
しかしながらイザベルは抗議するだけでは無かった。
「総司さん!」
「何かな?」
「今日のまかないその“ピザ”が良い!」
その言葉にリヴァイ兵長はふと何かを思いついたようだった。
「おい根暗。お前の考えが間違っているか、正しいかを判断してやろう」
「…なにを?」
「俺にクリームチーズのプリンを」
「――ッ!?なら私にはパウンドケーキを」
食べ比べを始めようという二人に釣られてあちこちで誰かが主張していた料理を交換するように注文し始めた。
俺も癪だがジャンが言っていたチーズオムレツとやらを頼んでみるか。
全員の注文を聞き届けた総司はにっこりと笑みを浮かべた。
「ご注文承りました。―――が!あまり騒がれると他のお客様の迷惑になります。当方としましては対処法に出禁を含まなくてはなりませんのでご留意ください」
笑っているようで目が一切笑っていない。
それから店内では騒ぎ過ぎず食事を各々楽しんだ。
…チーズオムレツも中々美味しかったよ…うん。
私は悩んでいる。
こんな国がどうなろうと関係ない。
私は―――私達はマーレの戦士としての役割がある。
それを全うする為に努力し、父は戦闘技術を授けてくれた。
長年共に訓練に励んだ仲間がいる。
訓練の過程で父の足を再起不能にしてしまったという罪悪感がある。
全てを合わせた重すぎる責任が圧し掛かっている。
だから私は数週間後にトロスト区から外へと繋がる扉を開ける“手助け”をする。
己の役割を果たすべく…。
脳裏に過る食事処ナオでの日常…。
訓練と与えられた任務がすべてだった私に楽しみと安らぎを与えてくれた場所。
同僚のユミルは訳アリで新人のイザベルとファーランはゴロツキ。
高潔な人間でもなければ、世間知らずの馬鹿でもない。
普通に日常を謳歌してきた者達では味わえないナニカを経験してきたがゆえに、偏った教養しかないとしても聡く聡明だ。
お互いに触れてはならない部分には鼻が利く。
裏のある私を
何とも接し易く、気の良い連中なのか…。
訪れる客は不愛想な私に対して景気よく笑いかけてくる。
習った技術で迷惑なモノを宙へと舞わすと拍手喝采で楽し気に喜んでくれる。
これは貴方達と戦う為…死を訪れさせるための技術とも知らずに凄い凄いと褒めてくれる。
これだから何も知らない奴らは…。
店主の総司は“馬鹿”がつくほどのお人好しで、“大馬鹿”が付くほどの料理馬鹿。
目を離せば不眠不休で料理に没頭し、私みたいなろくでなしを拾いかねない。
危険を
あまりに素で考え無しにしているのではないかと思う時もあるが…。
そしてただの動物とは思えぬあのナオ。
いつも自由気ままに振舞いながらも総司や店に関係する者達を守護している。
敵となる私も庇護の対象としているのか警戒しつつも在る事を許している…。
なんとも可笑しな店。
馬鹿と道化が並び立って騒ぎ立てる。
騒々しくもなんとも居心地の良い私の居場所。
ここに長く居れば居るほど天秤が傾きかける。
任務を優先すべきか。
ここでの暮らしを護るべきか。
私には分からない…。
アニ・レオンハートは宛先と宛名だけを封筒に書いた手紙をポストへ入れた。
後は彼らの判断に任せる為に。
自身がどちらを斬り捨てるなんて事をしたくないが為に。
これからのエルディアの未来を
●現在公開可能な情報
・食事処ナオでの品不足問題
数日前に一日分とは言え一名の訓練兵団所属の少女に食い尽くされた。
客に制限するか品を増やすか悩み、料理別に食材を振り分けて制限を掛ける事に。
※とある唐揚げを食べるお客からの提案。
ちなみにその数日後にチーズが消費された…。