焦った。
酷く焦った。
まさかジャンがあんな美味しそうな料理を作れるとは思いもしませんでした。
今度作って貰いましょう!
違った。作り方を教えて貰いましょう。
「次、サシャ・ブラウス前へ!!」
キース教官の声が響き、サシャはディッシュカバー載せた皿を持ってステージに立つ。
美味しそうだったジャンの料理に心奪われて集まった人々が、負けるだろうと勝手に決め込んで残念そうな視線を向けて来る。
だけどそんな視線全く気にもならなかった。
なにせこちらには心強い味方が居るのだから。
同じ班員と言う事で手伝ってくれたコニーにライナー。
そして
例え向こうが高級なステーキが出て来ても負ける気はしない!!
……食べたい気持ちは強く出ると思うけど…。
スキンヘッドに鼻下に髭を生やしたピクシス司令と向かい合い、老齢であるのにギラリとした鋭い視線がこちらを貫く。
まるで獲物を前にした肉食獣と対峙したような感じが肌から伝わってくる。
臆するな。
ここで怯んだら飲み込まれる。
堂々としたまま皿を置き、ディッシュカバーの取っ手に手をかける。
「では、ご賞味ください。これが私が用意した料理です」
確固たる自信を胸にサシャはディッシュカバーを上げ、充満していた香りを一気に開放する。
ジャンとピクシス司令、そして集まっていた観客が驚き声を漏らしたのを聞いて自信満々に笑みを浮かべた。
半日ほど前。
ピクシス司令より料理勝負で決着を言われたサシャは困り果てていた。
勝負という事で負けたくないという気持ちはあるのだが、如何せん料理勝負となると分が悪すぎる。
なにせ自分で言うのもアレだが食べる専門で作った事はない。
記憶に残るのも訓練兵団の厨房にて蒸かしてあった芋を
同班で手伝ってくれるというライナーとコニーも料理は得意では無いという。
このメンバーでは出来ても切るか焼くか。
焼くなら肉一択で、近くの山に出没する巨大猪を狩ってステーキにして出すのが一番だろう。
料理の腕はからっきしでも狩りには自信がある。
血抜きや解体も覚えているから問題ない。
ただ最近入り浸っている食事処ナオに通う身としてはそれで良いのかと思う。
あの店は魔法のようにいつも口にしている料理を御馳走に変えてしまう。本当に料理と言うのはああいったものを言うのではないか?ただ焼くだけのステーキでも総司さんが調理すれば天と地ほどの差のある料理になると確信している。
しかし作るにしても知識も技術もない。
どうしようもない問題に悩みながらなにか参考にならないかなと避難所に設けられた出店に赴いたら何と総司さんが来ていた。
慌てて呼び止めて事情を話すと二つ返事で手伝ってくれることに。
これで私達の勝ちは決まったも同然です。
厨房に合った食材や香辛料、調味料を机の上に並べて総司さんはざっと眺めながら呟く。
「ブラウスさん。私は貴方達に料理はお教えしますし実際に作って見せたりもします。ですが料理勝負との事なのでお出しする料理は貴方達自身で作ったものを出す。宜しいですね?」
「はい。
「あー…気にしないで下さい。本音が漏れただけですので」
作ってとの言葉に反応して口端より涎を垂らしている様子にコニーもライナーも呆れ顔を浮かべ、総司はその光景に苦笑いを浮かべる。
「それと私が料理を教えた事は内緒でお願いします」
「なにか不味いのか?」
「とても不味いのですよ。もしもバレたら私が宙を回されます」
三人ともその言葉に納得してしまった。
何度も店に訪れていると嫌でも気付いてしまう。
総司の異常なほどの料理への執着を。
なにせ自身の昼食はバナナ一本で済ませて、すぐに調理に戻ろうとするぐらいだ。
以前アニが“総司は休憩なしで調理をしようとする”と愚痴っていた。
つまりバレたら心配そうにしていたアニが総司を投げるのかと理解した三人はそれは約束した。
誰だって自分達の手伝いをしてくれた人がそれが原因で怒られたとしたら居心地が悪い。というか食事処ナオに訪れた先にどのような顔で会ったら良いのか分からないというのが本音だ。
「そのピクシスさんはお酒などは飲まれる方ですか?」
「えっとどうだろう?」
「飲むんじゃないか。スキットル片手にして歩いていたのを見たような…」
「ならアヒージョも良いかも知れないですね」
「アヒージョ?アヒージョって何でしょう」
「えっとオリーブオイルをふんだんに使い、ニンニクの香りを利かせた料理なんですけど…あぁ、そうでした。ここには海鮮類が手に入らないから…。なら鳥のアヒージョを作りましょうか。鶏肉と硬いパンが欲しい所ですね。」
「鶏肉ですね!なら私に任せて下さい。すぐに
「―――ッ!!い、いや待てサシャ。今回はピクシス司令が提案した料理勝負なのだから言えば鶏肉ぐらいなら貰えると思うぞ」
確実に持って来てほしいの意味合いを持った“取って”が上官の食糧庫より盗む“盗って”に変換されている事にいち早く気付いたライナーが待ったをかける。
危うく肉を盗んだ一団になりそうになった危機から脱し、ライナーが上官達に許可を取って鶏肉を分けて貰って戻って来た。
「では、調理を始めます」
まずは手本として総司が作る。
厨房に置かれていたマッシュルームの汚れを拭き取って薄くスライスし、鶏肉は一口サイズに切って塩を振るって置いて置く。
次に芽を取ったにんにくをみじん切り、へたと種を取り除いた唐辛子を小口切りにする。
後はオリーブオイルを用意して準備完了。
小鍋を温めて軽く油を敷くと切り分けた鶏肉と香りを立てるためにニンニクを少し放り込む。
鶏肉の表裏の面が軽く白くなってきたらオリーブオイルに唐辛子、にんにくにマッシュルームを入れて弱火で煮込む。
意外に簡単そうな料理にコニーは拍子抜けするが、ライナーは料理は不得手な自分達に合わせて簡単なようにしてくれたことを察しており、何処か物足りなさそうな総司に対して申し訳なさそうな気持ちでいっぱいになる。
そんな事よりサシャは香りに当てられて試食したくてしょうがない。
「こんな感じですね。今度はブラウスさん達が作る番ですが、その前にどのような料理か試食――」
「したいです!!」
言葉を遮り、すでに皿とスプーンを用意してスタンバっているサシャに呆れを通り越して笑いが込み上げてくる。
遅めの昼食となったが三人はアヒージョを食べ、予想以上の美味しさに頬を緩めながら味を確かめながら勝負に備えるのであった。
尚、敵情視察に来たエレンであったが入り口で見張りをしていたナオに見つかり、サシャ達が作り終わるまで追い回されたのであった…。
ディッシュカバーより解き放たれた鼻孔を刺激し、食欲を刺激する香りにピクシスは期待を膨らます。
出てきたのは一口サイズに切られた鶏肉やスライスされたキノコを入れたスープと、見慣れた硬そうなパンだった。
「温かそうなスープじゃの。まず一口―――」
「えぇ!?ちょっとお待ちを!!」
慌てて止めようとしたサシャの言葉は間に合わず、
大きく咽ながら咳き込む様子に周りの反応が目に見えて悪くなった。
さすがに名前を出さないと言っても手伝ってもらってこれで悪い評価を下されては合わせる顔がない。
「えっと。これは…そう!パンを浸して食べるんです」
総司が教えてくれた食べ方を思い出して口にするが、飲んでしまった本人としてはもっと早くに教えて欲しかったものである。
一度咽てしまった喉への刺激を引き摺りながら渋々パンを千切って浸す。
オニオンスープのように澄んだ薄茶色のオリーブオイルが、少し炙ってカリカリになっているパンにじんわりと浸み込んでいく。
浸み込んだのを確認して持ち上げるが、やはり大丈夫なのかと不安が過って何度かサシャの顔を窺う。
疑いを晴らすだけの言葉が見つからないので苦笑いを浮かべるばかり。
腹を括るしかないかと諦め交じりにがぶりと被り付き、ザクリと香ばしい音を辺りに響かせた。
すると先と表情が一変し、歯形がついている面を浸してまた被り付く。
飲んだ時は刺激と油特有のぬるっとした不快な感触が絡みついて嫌な思いをしたが、パンを浸す事でそれらが一変した。
オリーブオイルに溶け出した鶏肉の旨味に塩気と唐辛子の辛味が混ざり、さらにガツンと響くほど胃にも鼻にも主張してくるニンニク。
そのまま飲んでは濃すぎ、どろどろと飲み辛かった筈なのにパンを浸して食べるだけでこうも一変するとは…。
しかもザクザクと香ばしいパンの食感が心地よい音と一緒に広がる。
「なんじゃこれは。いやはや確かにスープとして飲んではアレだったが、このカリッカリに焼いたパンとの相性は良いのぉ」
ぱぁああと安堵するサシャに打って変わるような高評価に周りが騒めく。
次に具材であるマッシュルームを噛み締めるとぷにっとした弾力の後にマッシュルーム特有の味わいと、浸み込んでしまった多少キツイ塩気が堪らない。
鶏肉は塩気が多いことはなく、唐辛子ににんにくの風味を含んでなんとも癖のある味わいへと変貌を遂げている。
老いた鶏肉を使ったのであろう。
肉質が硬いものであるがピクシスにとって今回そちらの方が好都合だった。
噛めば噛むほど味が出てくるし、硬ければそれだけ口の中に時間をかけて残る事になる。
強めのにんにくの風味の時点で思っていたが、こちらの料理も酒の合う事間違いなし。
噛み締めながら火酒を流し込むと予想通り…いや、予想以上に合う。
「カァー…美味い!!何という日じゃ。儂はたかが素人料理と侮っておったわい」
食べながら、飲みながら呟かれた言葉に全員が終わりが近い事を察した。
ガツガツと食らい、飲み干したピクシスは悩まし気に空になった双方の料理が乗っていた皿を見比べる。
簡単で素朴な味わいであったが一口だけでも味わってしまえば病み付きになってしまうハッシュドポテトとキャベツの塩漬け。
食べる前に嗅覚に訴えかけてくる食欲をそそる強烈な香りを放って誘うアヒージョ。
「はてさて、どちらにしたものかのぉ…」
どちらも甲乙つけ難い。
味の好み的には濃い味だったアヒージョだったが、あの素朴で病み付きになるハッシュドポテトとキャベツの塩漬けが劣っていた訳ではない。
もしもどちらかが肉を焼くだけとか野菜を切っただけの料理を出したのならそちらを落とす事も出来たが両者ともちゃんとした手間な調理を経て出されている。減点の対象とはなり得ない。
何かしら思考を働かせて片方の良い点を挙げると、台頭するようにもう片方の良い点が浮かび上がる。
本人は意図して時間をかけている訳ではないのだが、まるでわざと間を開けて焦らされているようで観客も含めてその場の全員がまだかまだかと言葉を待つ。
見比べ眉を潜ませ、最後には大きく頷き顔を上げた。
「この料理勝負―――――引き分けとする!!」
引き分けと言う結果にサシャもジャンも何処か納得したように一息ついた。
どちらも勝つ自信はあった。
総司さんに手伝って貰って負ける事など万が一にもないだろうと。
しかしアレだけ美味しそうな料理を相手が作ったのだ。
勝てなかった悔しさよりも納得の方が大きかった。
観客からの歓声を浴びて、誇らしげに笑う。
両者を眺め、胃も心も満たされたピクシスは微笑んだ。
「双方見事な料理であった」
「「ありがとうございます」」
「しかしこのような
ピクシス司令でも知らない料理?
最後の一言に誰から教わったかを察した二人は向き合って苦笑する。
そして告げる。
――「それは秘密であります」と。
料理勝負が行われて二日後。
訓練後に設けられた自由時間を各々自由に過ごし、料理対決を行ったジャンとサシャも訓練兵団の宿舎へ向かっていた。
「凄く喜んでいましたね」
「うるせぇよ」
ニマニマと笑いながら顔を覗き込んでくるサシャにジャンは苛立ちを露わにする。
あの後ジャンは実家へと戻ったのだが、サシャ達が跡をつけてやって来たのだ。
どうせ俺を揶揄う目的で着いてきたのだろう。
前に送られた手紙を覗き見られて俺が母さんより“ジャン坊”と呼ばれていた事でよく絡んで来たからな。
さっさと追い返そうと思ったが母さんは俺の友達と言う事で泊まって行けと誘ったのだ。
代わりにと言わんばかりにサシャは勝負で披露したアヒージョを作り、俺はハッシュドポテトとキャベツの塩漬けを振舞った。
夕食はいつになく豪華だった。
俺とサシャの料理にあわせて母さんの手料理も並んだ。
久しぶりの母さんの
そんなに嬉しそうに食うなっての…。
「…ったく。また帰りたくなっちまうだろうが」
「もうお母さんが恋しいんですかジャン坊」
「テメェ、次言ったらぶっ飛ばす」
やっぱり揶揄ってきたサシャに怒りを向けるが怒鳴りはしない。
いや、怒鳴る訳にはいかないと言った方が正しいか。
何故なら俺達は包囲されているのだから。
体格のいい屈強そうなやつから目付きが悪いゴロツキ上がりみたいのまで周囲を駆け巡って俺達を探している。
理由はどうであれ良い勝負をし、母との良い思い出を新たに作ったジャンとサシャが何故裏路地に身を隠さねばならぬのか?
それはあの料理勝負が原因であった。
多くの観客の中には料理関係者や商人たちが居たのだ。
最初はちょっとした暇潰しや娯楽を楽しもうと来たのだが、あのような材料でまったく知らない上に美味しい料理を見せつけられたら黙っては居られなかった。
商人達は金になるとレシピを聞き出そうと躍起になり、料理人たちはレシピどころかうちの店で働かないかと勧誘に動いた。そこに話を聞きつけたリーブス商会まで動き出してもはや収拾が付かなくなった。
個人で動いていた料理人や少ない人手で捜索していた商人とは違い、リーブス商会が行ったのは大人数を動員しての大規模捜索。
これにはいくら何でも逃げ切れない。
家を出てからその事を知ったサシャとジャンは何とか逃げ延び、手伝ってくれたお互いの班のメンバーとも散り散りとなって今に至る。
どうしたものかと悩みながら、ジッと潜みながら様子を窺っていると急に人の数が多くなった。
それも駐屯兵ばかりだ。
捜索していた奴らを牽制するようにする駐屯兵の中央には辺りを睨みつけるキース教官の姿があった。
「キース教官!!」
咄嗟に声を上げたサシャにその場全員の視線が集まるが、もうリーブス商会が集めた連中は近付こうとしなかった。…否、近付くことは許されなかった。
素早く動いた駐屯兵によりジャンとサシャの周りは壁が出来、手が出せない状態に移行したのだ。
ホッと胸を撫でおろしながら、ゆっくりと歩いて来るキースに対して姿勢を正す。
「二人共大丈夫そうだな。あとでライナー・ブラウン訓練生やコニー・スプリンガー訓練生に礼を言っておくのだな。アイツらが教えに走らなければこうも早く来ることは出来なかった」
「ライナーとコニーが…」
「それにしても駐屯兵は一体」
「今は教官だが以前は調査兵団の団長をしていてな。色々とコネがあるのだ」
知らなかった事実に驚きながら、キース教官に続く形で窮地を脱したジャンは名前の挙がってないアルミンやエレンを思い浮かべた。
別にエレンだけなら良いが、エレンに何かあれば必ずミカサも巻き込まれている筈だと思ったからだ。
「アルミンとエレンはどうなりましたか?」
「ミカサ・アッカーマン訓練生を含めて憲兵団の詰め所だ。派手に暴れたらしくてな。この後で迎えに行かねばならん」
そう聞いて容易に光景が脳裏に浮かぶ。
手伝いをしていたエレン達もレシピを知っているだろうと人が殺到し、あまりにも鬼気迫る様子で来たので危険を感じてミカサが全員を伸したんだろうな。
笑みが零れそうになるのをぐっと堪え、再び姿勢を正して礼を口にする。
「お手数をおかけして申し訳ありませんでした」
「ありませんでした」
「いや、構わん。ただ…その、なんだ」
いつもの教官にしては歯切れが悪い。
言い辛そうに淀む様子にキモ……コホン、違和感を感じ首を傾げる。
「あの料理を作ってはくれんか」
最後の言葉を聞いて脱力する二人だが、総司との約束を守った上でこの窮地を脱せれるんならと頷いた。
以降トロスト区の第104期訓練兵団では卒業するまで定期的に二人の料理が出るようになったのであった。
●現在公開可能な情報
・その後の総司
トロスト区内襲撃想定訓練が終わり、ジャンとサシャに料理を教えた総司は食事処ナオに帰宅した。
数日後に客として来たキースより事の顛末を聞くことになり、投げられなかったがアニより呆れたような冷めた瞳が突き刺さる。なんにしてもリーブス商会と掛け合って追い掛け回すのを止めるように言おうと商会に向かい、何故か最終的にレシピを売ってくれという話になったとさ。