進撃の飯屋   作:チェリオ

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第25食 チーズタルト

 薄暗い路地裏を一人の男性が進む。

 ギョロリとした眼で辺りを見定めるように動き、自分の感性に合わずに軽く鼻で嗤う。

 傍から見て彼はただ一人。

 筋肉隆々の猛者という訳でもただ者らしからぬ雰囲気を撒き散らしている訳でもない。

 なのに路地裏で生活をしている者らは遠巻きに見て、敬遠するように身を潜ませ離れて行く。

 この辺りは食事処ナオが出来て調査兵や訓練兵なども含めて人通りが多くなり、地下街で名を挙げたファーランとイザベラ、そしてナオの働きによってこの辺りは日の当たらない路地裏にしては案外安全な地域となっているが、それでもスリは起こるし暴行事件が発生する程度の治安の悪さは持っている。

 それなのに誰も離れるばかり。

 理由は彼の素性にある。

 足首より下と首より上、手以外を覆うゆったりと余裕のある黒一色の司祭平服は、教会または教団の関係者を現す。

 聖職者相手だから悪さは出来ないなんて事はあり得ない。

 物持ちが良さそうな相手だろうが物持ちの悪そうな相手だろうが関係はない。ないのだが首に掛けられている三つの壁につけられた“シーナ”“ローゼ”“マリア”の紋章を施された装飾品により彼が“ウォール教”の人間だと理解すれば話は別となる。

 ウォール教とはマーレによって追い出されたエルディアの先人達が血と汗と己の命を賭して創った三つの壁を崇める宗教団体で、ことあるごとに市民だろうが憲兵団だろうがくってかかる厄介者と一般的に認識されている。

 防衛能力向上の為に壁に砲台を設置しようとしたら「神聖な壁に手を加える事を許さない」と抗議を飛ばして調査兵団に対して実力行使で訴えかけたり、調査兵団よりの話をしていた市民が耳にしたウォール教信徒の一人を始めとして複数人に囲まれたなどなど…。

 過激な一面が多くみられる彼らウォール教の信徒に関わるなど、大貴族に喧嘩を売るのと変わらないぐらいの厄介事。

 しかも司祭の地位に居る人間となるとさらに厄介な度合いも増す。

 ゆえに誰もが離れて行くわけなのだ。

 

 トロスト区のウォール教支部に在籍するニック司祭は食事処ナオの前で足を止める。

 

 「ここか…」

 

 ポツリとそう呟き、忌々しそうに風変わりな建物を睨みつける。

 ニックは信徒より“調査兵団が屯っている飲食店がある”と報告を受け、それを確かめるべくここにいる。

 壁を崇拝して維持を願うウォール教と、壁を防衛の手段としか考えていない調査兵団は水と油の関係以外を築くことは出来ない。その調査兵団を贔屓にする店と言うのは面白くないというのが本音だ。

 それもウォール教支部近くの路地裏となると余計に。

 

 本来なら司祭の地位にいるニックが出向くようなことではないのだが、事情が事情だけに下手に手が出せる店でも無い。

 なにせトロスト区の物流を仕切り、多くの者がくいっぱぐれないようにトロスト区の経済を回しているリーブス商会。その現会長であるディモ・リーブスが傘下に収める訳ではなく、後ろ盾も無いような小さな飲食店を対等の取引相手として扱い後ろ盾ばかりか贔屓にしている節がある。

 調査兵団と衝突する事は恐れはしないが、生活に関わるリーブス商会を敵に回すような愚行は避けたい。

 なんとも厄介な店だ。

 おかげで司祭である自分が出向く羽目になったのだから。

 さっさと済ませてしまおうとノブに手をかけて、扉を大きく開いた。

 カランと鳴った小さな鐘の音が耳が奪われた。

 常連や総司達にとってはいつも通りの音色であるが、ニックの耳にはそうは取られない。

 耳障りにならない程度に小さく、周りに客の出入りを知らせるぐらいには大きい。

 音色は高音過ぎずにとても澄んだ音を奏でていた。

 ウォール教にも立派な鐘が置かれて何かしらあれば鳴らしているが、これほど心を揺さぶるほどの音色は持っていない。

 鐘の音に心惹かれたニックに向かって店内よりふわりと風が吹く。

 これも別段大したことはない。

 空調設備によって創り出された人に丁度良い温度が、扉が開けられた事で少し外に出て行っただけ。

 こちらも初体験なニックの身を振るわせた。

 ふわりとした風が通り過ぎると心地よい温かな何かに包まれた感触が覆う。まるで目に見えないナニカに抱き締められたかのような…。

 本人にとっては神秘的な体験を受けて、若干表情が和らいだ。

 人の出入りを知った客がちらりと視線を向けて、食事を続けようと視線を一旦戻し、すぐ慌てるように二度見する。

 自分達がどう思われているのかを熟知しているし、慣れているので気にも止めずにカウンター席に腰を掛けた。

 近くの者は面倒事から逃げるように席を移動し、食事を終えようとしていた者や終えて雑談していた者はそそくさと済ませて店をあとにする。

 まったくもっていつものことだ。

 尊き教えを理解しない不信仰者は決まって我々を厄介者とみなして非礼な態度を取る。

 客は勿論だが客を出迎える店員すら同じ対応をする。

 だから気には―――…。

 

 「いらっしゃいませ」

 

 優しい声色で告げられた言葉にきょとんと呆けた。

 大概こういう場合は顔を引き攣らせて平静を装うか、思いっきり嫌な表情を向けるかのどちらかだ。なのにどうして目の前に青年(総司)は自然な微笑を向けているのか。

 懐かしくもウォール教に入信する前の頃を思い出す。

 あの頃は今のような視線を向けられることもなく、気軽に行きつけの店に足を運べたものだ。

 今となってはその行きつけだった店も同じ視線を向けてくるがな…。

 

 悲しくも懐かしい気持ちに浸っているニックは知らないだろう。

 彼、総司は元々客を選ばないのだが、それ以上にウォール教そのものを知らないのでニック司祭を見ても服装から宗教関係者かなぐらいにしか思っておらず、宗教によっては食べれない食材があるのでそちらを気にするぐらいだ。

 多分そうなんだろうなと思って説明と忠告したいファーランとアニであったが総司の目の前であるカウンターに座られてはそう言った事も憚られる。

 

 お互いの考えも、ハラハラしているアニ達の想いも知らずに総司はいつも通りに穏やかな微笑みを浮かべてメニュー表を渡す。

 受け取ったニックは少し躊躇いつつも目的を果たそうと口を開く。

 

 「君がここの店主かな?」

 「はい。食事処ナオの店主、飯田 総司と申します」

 「随分と若いのに店を持つとは大したものだ」

 「お褒めのお言葉ありがとうございます」

 「ところで一つ質問良いかな?」

 「なんでしょう?」

 「この店は調査兵団員を贔屓していると聞くがほんとかね?」

 

 出だしは緩やかだったが突如として剣呑な雰囲気に変わる。

 雰囲気が変わった事にファーランもアニも警戒の色を強め、寝ていたナオも今では跳び掛らんと体勢を取っていた。

 そんな中で総司は微笑はそのままに、強い意志を瞳に宿してニックに対峙した。

 

 「いえ、違います。調査兵団の方々には御贔屓して頂いて(・・・・・)おります」

 

 たったそれだけ言うと総司の瞳はいつもの柔和なものに戻っていた。

 こうも芯の籠った瞳を向けられてニックは少しばかり感心する。

 同じ瞳を持った者が信徒に何人いるかと思うと信徒でない事が非常に惜しく思えてくる。

 

 「調査兵団だからと言って贔屓にすることは無いと言いたいのだな」

 「食事をしようと来られたお客様に貴族も平民もないと私は考えておりますので」

 「如何にも優等生が答えそうな答えだな」

 

 素直に認める訳はないとは思っていたが、こうも青臭い回答を口にするとは思っていなかった。

 軽く笑いながらメニュー表へと視線を移す。

 このまま問いただしても良かったのだが飲食店で注文をせずにただただ問うというのは営業妨害しているようで外見的に悪い。せめて何かを注文すれば遠目からは()が店主と会話していると言う事に変わるだろう。

 その考えからメニュー表を見ているのだがどれもこれも知らない料理ばかり。

 好奇心が大きければ試したりもするのだろうけども、こんな路地裏の飲食店で期待するだけの料理が出てくるとも思えない。その中でチャレンジするなど蛮行に等しい。

 ペラリ、ペラリとページをめくっていくとデザート覧に辿り着き、“new(新しい)”と目立つ色でド頭に書かれた品に視線が止まった。

 チーズタルト。

 昔食べたことのある菓子だ。

 注文するだけしよう程度なのだから、小腹に少したまるぐらいがちょうど良いだろう。

 不味かった事も考えてもそれが最善の筈だ。

 

 「チーズタルトを一つ。あと何か飲み物が欲しいな」

 「でしたら珈琲などは如何でしょうか」

 「コーヒー?紅茶か何かかね」

 「いえ、珈琲というのは茶葉ではなく炒った豆(珈琲豆)より抽出した独特な苦みのある飲み物です」

 

 薦めてくるという事はそれなりに自信があるという事か…。

 チーズタルトはチーズの味を持ちつつ、甘味の強い菓子だ。苦みのある飲み物はちょうど良い。

 勧めた珈琲を淹れ、冷蔵庫からチーズタルトを取り出して盛り付ける。

 差し出されたチーズタルトを目にしてニックは目を見張った。

 以前口にしたものは一口サイズの大きさの円形のものだったが、ここのはケーキの一ピースのようであった。

 白い皿の上に厚みは違うが綺麗に焼けているタルト生地が底面と後面にあり、それを支えに滑らかそうなチーズの断面を覗かせ、紫がかったソースが掛けられていた。すぐ側にはふんわりと盛られたクリームが添えられている。

 チーズタルトを乗せた皿と一緒に珈琲とかいう飲み物が置かれ、興味深く覗き込む。

 色合いからして泥水みたいだが、漂う独特な香りが妙に鼻孔を擽る。

 試しに一口含むと言っていた通りに苦みが広がる。が、不快な感じはしない。寧ろこの苦みと香り、酸味に風味が加わった深みのあるコクが堪らなく欲しくなる。

 勧めるだけはあった。

 珈琲というのは理解し、メインであるチーズタルトにフォークを向ける。

 フォークでまずはチーズのみを切り取って味わう。

 甘さを持った濃厚なクリームチーズの味が蕩ける様な柔らかな舌触りと共に広がる。

 ただ甘いだけではなく混ぜられたレモンの果汁により甘さを残しつつもさっぱりとした上品な味わいは、早々に甘ったるさで飽きはしないだろう。

 しっかりと味わってから飲み込むと、喉を優しく撫でるようにチーズが通って行く。

 ニックは「ほぅ…」と小さく感心したような声を漏らし、あまりの出来の良さに驚きを隠せない。

 こんなと言っては失礼だろうが路地裏で営業している飲食店でこれほど上等な品が出てくるとは思いもしていなかったのだ。

 いやはや、これだけ美味しいものを安く提供するのだ。調査兵団を含めた客が入り浸るのも分る気がする。

 一人納得するニックは今度は底面のタルトへと視線を向ける。

 チーズは文句なしの美味しさだったが、タルト生地の方は如何なるものか。

 上のチーズだけを取った個所のタルト生地を切り取って口に含む。

 ザクザクとした食感にバターの風味とタルト生地の香ばしい風味がダイレクトに伝わってくる。

 生地も確かに美味しいのだが単体で食べるには味が濃過ぎる。

 ならばと今度はチーズと共にタルト生地を含む。

 舐めらかなチーズがタルト生地の食感とバターの風味を包み込み、調和が取れた程よい味わいと風味に頬が緩む。

 

 それにしてもこの紫色のソースは何なんだろうか?

 彩としてはチーズの黄色系に生地の茶色系とも混ざらない紫は良い。けれど彩だけという事は無いだろう。

 ソースだけを少しだけ先につけてペロリと舐める。

 舌先でとろりとしたソースの感触の後に伝わって来たのは甘味に少し強めの酸味を持った葡萄系の風味。否、通常の葡萄より酸味が強く味が独特だ。

 もうひと舐めして推測は確信と変わる。

 これはブルーベリーソースだ。

 自家製ジャムのように多少形を残したものではなく、粒が残らない程滑らかな物に仕上げられている。

 あぁ、これはパンに塗りたくって食べるより、このように甘い菓子と一緒に食べるのが吉だ。

 滑らかな食感は混ざり合っても違和感はなく、酸味はクリームチーズの甘さが緩和してブルーベリーの風味が際立つ。

 ガラリと味を変えて楽しませてくれるチーズタルトにフォークが進む。

 半分ほど食べたところでふと、皿の端に盛られていたクリームを思い出したかのように視界に入れた。

 これだけレモンやブルーベリーでさっぱりさせているというのに、甘味の強いホイップクリームを盛るとは一体どういう事だろうか?

 チーズタルトと一緒に食べることはせずに、フォークの先で少量をすくって舌の上に乗せる。

 広がったのは想像していたホイップクリームの味ではなく、チーズタルトに使用されたクリームチーズを甘さを控えてホイップクリーム状にしたものであった。

 なるほど…。

 ホイップクリーム状にした事で含んだ瞬間に蕩けて、ふわっと口内にクリームチーズの風味が強く広がる。

 こうすることでチーズを味わい楽しめるようにしているのか。

 感心しながらホイップクリーム状のクリームチーズを含み、またチーズタルトへとフォークを向ける。

 しかしながらレモンやブルーベリーの酸味でさっぱりさせてはいるが、何口か口にしていると甘さとチーズの味が口内に蓄積されていく。

 若い頃なら兎も角年を取るとがっつりと食べれなくなったり、肉類の脂を身体が受け付けなかったりする。

 こういう甘いものも多少ならまだしも多く、溜まり出すと無理が出てくる。

 そこで珈琲を口にして、独特な苦みを持って甘味などをリフレッシュさせてくれる。

 口内だけでなく脳内までもリフレッシュされ、直に感じていた味を記憶として薄れさせる。

 おかげでまた味わいたい気持ちが高まってくるわけだ。

 再びチーズタルトを楽しんでいるとすぐに食べきってしまった。

 カップに視線を向けるとまだ珈琲が三分の一ほど()残っている。

 少し悩む仕草をしてもう一品チーズタルトを注文して、また楽しみ始めるが今度はチーズタルトを残して珈琲は無くなり、今度は珈琲を注文する。

 それを繰り返してニックは我に返った。

 どうしてこうなった…。

 確か調査兵団との関りを正してやろうと来た筈なのに、気が付けば黙々とチーズタルトを四皿、珈琲を四杯もお代わりしていた。これではただ食事に来た客ではないか。 

 使命を思い出したものの満たされた小腹と心の前に「別にもう良いか…」と内心満足し切って緩み切っている。

 店が逃げる訳でもないし今日はここまでにして帰るとするか。

 席を立ち上がろうとすると別段今すぐ食べたくて仕方ない訳ではないけれど、妙にあのチーズタルトが欲しくなる。

 

 「これは持ち帰りできるかな?」

 「えぇ、出来ますよ。ご家族のお土産にと買って帰られるお客様も居りますので」

 

 家族にか…。

 その言葉に自身の妻子に想いを向ける。

 ニックには妻と子供がいるが、ウォール教の司祭として尊い教えを広めることに奔走するあまりに、家族はおざなりにしたばかりか溜まったストレス発散にと酒を摂取すると妻子に当たり散らしてしまっている。

 罪悪感に苛まれつつもその生活が最近は続いてしまっている。

 この頃二人の笑顔を見ていない気がする…。

 

 謝ろう…。

 誠心誠意謝って、今の生活を改めよう。

 司祭の仕事も大事だけれども家族を犠牲にしていては駄目だな。

 

 「なら妻と子と私の分で、持ち帰りを三つ頼む」

 「畏まりました」

 

 きっかけに買って帰ろうと注文すると総司は短い返事を返し、冷蔵庫よりチーズタルトを取り出した。

 直径21センチものチーズタルト。

 驚きよりも見た目に心奪われた。

 内側のチーズを護るように周囲を囲む分厚いタルト生地。

 これはまるでエルディアを護る壁のようではないか…。

 ゴクリと唾を呑み込んだニックは切り込みを入れようとした総司を止めて、チーズタルトワンホールをそのまま買って今日は早めに帰路につくのであった。

 

 

 

 

 

 

 その後、食事処ナオにて妻子を連れて笑みを零すニック司祭の姿が目撃された。




●現在公開可能な情報

・レモン
 今回チーズタルトにも使用されたレモンだが、エルディアでも食用に用いられるがそれ以上に水回りの掃除アイテムとして使われることが多い。
 その為に一般家庭の中では庭で幾らか育てているところがある。

 調査兵団の兵士長であるリヴァイ・アッカーマンが指揮する“調査兵団特別作戦班”の拠点の庭には、ちょっとしたレモン畑が作られている。

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