進撃の飯屋   作:チェリオ

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第03食 シチュー

 休日の昼過ぎに一人の少年がウォール・ローゼ南方トロスト区の裏路地へと踏み込む。

 焦げ茶色の髪に翡翠のような翠色の瞳、幼さの残る鋭い顔付の彼は何処か浮かれたように笑みを零しながら辺りを見渡す。

 

 彼の名はエレン・イェーガー。

 第104期訓練兵団の訓練兵の一人で、色々と有名になってしまった訓練兵である。

 普通は開拓地送りが嫌で兵団入りしたり、内地での勤務を求めて上位十名に入る者が大半の訓練兵団の中で、唯一初めから強い意志を持って壁の外へと出向く調査兵団を希望している。

 自分が生まれ育ったウォール・マリア南端シガンシナ区をマーレより奪還しようと決意を胸に、たゆまぬ努力と熱意で上位十名を狙っている。

 同期には死に急ぎ野郎などと言われるが彼自身は気にしない。

 良くも悪くも頑固で非常に強い正義感を持った彼を止めることは教官や長く接してきた幼馴染でも不可能だ。

 おかげで訓練兵団で問題も多々起こし、知らぬ者は居ない程。

 

 いつもの休日であれば休みを返上してでも自主練に励み、汗を流している時間帯なのだが彼は訓練兵団の訓練場ではなくここに居る。

 と、言うのも今日は幼馴染で親友のアルミン・アルレルトと外食する約束をしていたからだ。

 アルミン曰く『とても美味しく、値段は安い。その上材料は上質』という夢のようなところを見つけたと言う。あり得ないだろうと一蹴するところだろうけども、アルミンが嘘をつくとも思えないしつくような人物では無いと知っている。

 食料品の質が落ち、価格が高騰しているこの国でそのような店があるならば是非にでも行ってみたい。

 しかも肉が出ると聞いたなら尚更である。

 

 四日前だったか突然キース・シャーディス教官に呼び出され、何かしてしまったのだろうかと不安を募らせながら向かった先でエレンはキース教官と父親のグリシャ・イェーガーと旧知の仲であることを知る。しかも母親のカルラ・イェーガーとは酒場のウェイトレスをしていた頃の顔なじみだと言う。

 世間は狭いなぁと思いつつ教官の話を聞いていると最後にアルミンと俺との話を聞いて“食事処ナオ”に行ってみたらしく、そこの感想と良い店を知れたと感謝を口にされた。

 なんでもその店で食事をしていて父さんや母さんを思い出したらしい。

 

 その話の中で一番気になったのが唐揚げという料理だ。

 話によると一口サイズの鶏肉に粉を塗し、透き通った油で揚げた料理なのだとか。

 このご時世にそのような料理が固いパン一個より安く提供されるなどあり得ない。

 アルミンにキース教官と二人から聞いたナオには是非とも行きたいなとアルミンに頼み込んだのだが、前日になって午後近くまで予定が出来てしまい、道のりだけを教えられたエレンだけがこうして向かっているのであった。

 

 「にしてもアルミンのやつ。俺はガキじゃねぇってのに」

 

 道を教えてくる際に何度も何度も心配され、まるで子ども扱いされているようだったのを思い出して腹を立てる。

 ふと、アルミンが不思議な事を言っていたのを思い出す。

 

 『裏路地に入って道が分からなくなったら黒猫を探してごらん。食事処ナオの看板猫のナオって言うんだけど、声を掛けたら多分案内してくれるから』

 

 猫が案内してくれるっていうのもおかしな話だ。

 それこそあり得ないだろう。

 

 薄っすらと笑みを浮かべていると塀の上に一匹の猫が寝そべり、こちらに鋭い視線を向けていた。

 黒一色の毛並みに翠色の瞳とアルミンが言っていた特徴と一致する。となるとこの黒猫がナオなのだろうか。

 疑問を抱きつつ近づくと警戒の色を濃くした黒猫の視線が突き刺さる。

 これ以上近づかない方が良いと判断して立ち止まり口を開く。

 

 「お前がナオ…か?」

 「ナァ~ォウ」

 「アルミンが言っていた特徴にあるけど、看板猫にしたら眼つき悪くないか」

 

 同期に聞かれればお前が言うなと突っ込まれそうな言葉を投げかける。

 大欠伸を一つ漏らした黒猫は伸びをして立ち上がる。

 すると背を向けて歩き出し、こちらが立ち止まっているのを知るとその場で顎で示す。

 付いて来いと言わんばかりに…。

 

 物は試しにと付いて行くとアルミンが言っていた通り、食事処ナオと看板を掲げた店に到着した。

 周りの建物とは異なった建築物だというのに、不自然に感じるよりも自然と周りに溶け込んでいる。

 外見が異なるのもさることながら入口や窓には一切の曇りのないガラスがはめ込まれてあったりと、何処からか来る不安によって進む足が重くなる。

 ナオが扉の前で振り返り、ひと鳴きする。

 入り口で立ち止まっていても仕方がないと覚悟を決めて扉を開く。

 

 カランと扉の上に取り付けてあった鐘が店内に鳴り響く。

 扉が開いた事でさっさと店内に入って入り口付近の台座に鎮座したナオを気にする余裕も無く、店内に足を踏み入れたエレンは目を見開いて驚愕した。

 

 埃一つ落ちていない清掃された店内。

 窓から入って来る光以上の明るさ。

 路地裏の湿った空気ではなく、透き通ったような新鮮な空気。

 見た事の無い物から装飾が施された調度品。

 入る店を間違えたかと思うぐらいの光景に足が一歩下がる。

 

 「いらっしゃいませ。おひとり様でしょうか」

 

 カウンターより優し気な笑みを浮かべた飯田 総司の声に驚くが、すぐさま平静を取り戻す。

 

 「あぁ、ここ食事処ナオ…で、良いんだよな」

 「はい。間違いありませんよ」

 「そう…なのか」

 

 間違っていない事に安堵するも自分以外に客がいない店内には不安が残る。

 アルミンが言っていた店であるならば昼過ぎとは言え客で溢れかえっていると予想していた故にこれは想定外の事である。

 

 「全く客が居ねぇな…」

 「ははは、そうなんですよ。まだ馴染めてないのかあまり客入りは良くないですね…。あぁ!どうぞお好きな席へ。今メニューとお水をお持ち致しますので」

 

 想ったことが口から洩れてしまったが気分を悪くした様子は一切なく、総司は水とメニューの用意を始めた。

 その様子に胸を撫でおろし、空いている席に座る。

 

 先ほど客が来ない事を馴染めてないと言ったのだが、実際は外装と内装によって高級店と誤認された上に、こんな路地裏にある事で敷居の高さ以上に不審な事から誰も近寄らないのであるが、それを総司が理解するのはまだまだ先の話である。

 

 自分一人独占している状態のエレンは店内を見渡すと一つのボードに視線が止まった。

 ボードには本日のおすすめが記載されており、今日のおすすめはシチューと書かれている。

 

 シガンシナ区で暮らしていた時には母さんが良く作ってくれた料理だが、食糧の高騰で最近は滅多に作ってはいない。

 本来ならキース教官が言っていた唐揚げを食べたいところであったけれど、懐かしさからエレンの口はシチューへと変更された。しかも値段は1200と固いパンと同等でパンが付いてくるという。

 

 「すみません。おすすめをひとつお願いします」

 「畏まりましたシチューですね。すぐにお持ち致しますので少々お待ちください」

 

 テーブルの上に透き通った水の入ったガラスのコップとメニュー表を置いて行った総司は、注文を承ってカウンターへと戻って行く。

 すでにシチューは用意されており、寸胴の鍋が温められる。

 アルミンの言っていたように透き通った水を口に含み、雑味や異物がまったくない水に感心を示す。

 

 シチューを温めている間に総司はフランスパン(バタール)を斜めにスライスして皿に乗せる。

 次にシチュー用の大皿を取り出して温まったシチューを装い、粉状のパルメザンチーズにバジルの順に振り掛けた。

 見栄えを確認してトレイに乗せて待っているお客の下へ向かう。

 

 「お待たせいたしました。おすすめのシチューと付け合わせのパンをお持ち致しました」

 

 エレンは待ってましたと言わんばかりに視線を向け、目の前に置かれた器に釘付けとなる。

 大皿にいっぱいに注がれたシチューには赤・緑・黄と色とりどりの具材により、記憶にある母さんの物より鮮やかで、濃厚な香りを放っていた。

 具材は一口サイズのジャガイモにブロッコリー、トウモロコシに花びら型の人参、そしてごろりと形を残した鶏肉。

 匂いもさることながら久しく食べていない肉らしい肉にごくりと喉がなる。

 焦る気持ちをぐっと堪え、エレンはシチューと共に運ばれたパンに注目した。

 兵団で出されるパンと違い、斜めにスライスされ茶色く硬そうなクラスト(外皮)に囲まれた純白のクラム(内層)が露わになっている。綺麗な白いクラムには無数の穴が開いており、何となくスカスカした触感を連想させられる。

 

 「パンはおかわり自由ですのでお気軽にお声かけ下さい」

 「おかわり自由!?」

 

 驚きより不安が先に押し寄せてきた。

 普通ならパンのお代わり自由と聞けば固くぱさぱさしたパンでもありがたいが、あれだけ白いパンであれば使用されている小麦は上等なものだろう。だというのにおかわり自由という事はおかしい。

 何か材料に問題があるのか、それとも味に問題があるのか。

 アルミンがこの場に居たらもっと何かしら分かったかも知れないがまだ到着していない。

 考えている間に総司は料理の下準備に戻っている。

 何時までも睨めっこしている訳にもいかず、物は試しとパンを手に取って一口齧る。

 バリっとしたクラストの触感に穴が開いているというのに噛み応えのあるクラム。

 そのまんまとは言わないが、このパンはシガンシナ区で暮らしていた頃に食べたものに似ていて、非常に懐かしい感覚に陥らされた。

 確か壁が破壊された日にシチューと一緒に食べたっけ…。

 懐かしさとパンを噛み締めるように味わい、皿に乗せられていた二切れのパンをあっと言う間になくなってしまい、物足りなさを感じ総司へとおかわりを注文する。

 おかわりがくるのを待つことなく、エレンはスプーンを手に取りメインであるシチューへと伸ばす。

 

 真っ白なソースから漂うシチューの香りに期待を大きく膨らませながら一口含んだ。

 とろりとしたソースが流れ込み、野菜と鶏肉の出汁を多く含み、チーズによりコクが深まった味が口いっぱいに広がる。懐かしさとそれ以上に美味しいものを食べれて心が喜び、身体がほんのりと熱を持つ。

 堪らなかった。

 一口付けたらもう止まらない。

 飲み込むたびに次を欲し、スプーンが何度も往復する。

 芯まで柔らかいブロッコリーに花びら型の人参。

 口の中でほろほろと解けていくじゃがいも。

 ふにゃりと柔らかくなっているタマネギ。

 ぷちりぷちりと独特な触感の後にとうもろこしの甘みが混ざる。

 十分に味が出ている筈なのに噛めば噛むほど味を出す鶏肉。

 気付けば幼い頃のように皿に口を付け、スプーンでシチューを口へと掻っ込んでいた。

 

 「おかわりのパンをお持ちしました」

 

 おかわりのパンを持って来た総司が視界に入ると、行儀の悪い食べ方をしていたのに気付いて恥ずかしさから手を止め、微妙に顔を赤らめながら姿勢を正す。

 その様子で理解した総司はクスリと微笑む。

 

 「構いませんよ。人の迷惑になる行為は困りますけど好きに食べて楽しんでもらえれば私も嬉しいですし」

 「す、すみません」

 

 恥ずかしさに悶えながら寛容な総司に感謝する。

 再び戻って行ったのを見送り、食事を再開しようとスプーンを手に取ったところで止まった。

 先ほど食べたパンの触感を思い出しシチューを眺める。

 少しだけパンを千切って躊躇う事無くシチューに浸し、恐る恐る口に含む。

 

 「うまっ!!」

 

 バリバリのクラストはそのままで、隙間が多かったクラムにはシチューが浸透して噛み応えがありながらもとろりと舌触りが滑らかになる。癖になりそうな口当りにパンの香ばしさがシチューの味と混ざり合ってまた違った味を演出する。

 思わず言葉に出してしまい慌てて振り向くが、嬉しそうに笑みを浮かべて気にしてない様子だった。

 それならばこちらも食べ方を気にせずに行こうと腹を決めてパンのおかわりを頼む。

  

 もうそこからはノンストップだった。

 パンを浸しては食べ、具材はスプーンですくっては食べ、喉に詰まりそうになると水を勢いよく流し込む。

 マナーもへったくれも無くただただがっついて食べ尽くす。

 大皿に残ったシチューもパンで拭き取って完食した。

 

 お腹も心も満たされ余韻を味わいつつエレンは大きく息をつく。

 懐かしさのある料理に自然と両親の顔を思い浮かべる。

 

 (最近長期の休みも訓練所で過ごして家には帰ってなかったな。今度の休みには帰ってみるのも良いか)

 

 帰ったところで調査兵団入りしようとしている事を母親から怒られるだろうと苦笑いを浮かべていると、カランと扉が開かれ振り向くとそこにはアルミンが立って居た。

 

 「おぉ!アルミン。遅かったな」

 「ごめんエレン。意外に時間が掛かっちゃって」

 「いらっしゃいませアルミン君。今日はいつものかい?」

 「勿論いつものサンドイッチセットで」

 

 総司ともはや顔なじみとなったアルミンはそれだけで注文を済まし、エレンの向かいの椅子へと腰かける。

 腰かけたと思ったら興味深そうに身体を乗り出してきた。

 

 「で、どうだったのエレン?」

 「言っていた通りだったよ。本当に美味しかったし、値段も安い。なぁ、また来ようぜ」

 「勿論だよ――――あれ?」

 

 一緒には来れなかったが誘ってよかったと笑みを浮かべたアルミンだったが、エレンの前に置かれている皿を見つめて不思議そうな顔をした。

 なにかおかしなことがあるだろうかと小首を傾げる。

 

 「なんかあったのか?」

 「いや、エレンは何を注文したのかなって…」

 「俺はおすすめのシチューを頼んだよ」

 「えっ、ハンバーグもあったのに?」

 「・・・・・・はぁ!?」

 

 驚きの余りに今度はエレンが身を乗り出してしまった。

 一切目を通してなかったメニュー表を開いてざっと目を通すと確かに書かれてあった。

 しかもハンバーグステーキ120g850とシチューよりも安く…。

 

 「あぁ…」と悲壮感漂う声が漏れ、後悔で苛まれるエレンはその場で頭を抱える。

 すでにお腹は満腹でこれ以上は入りきらないのは理解している。けれどハンバーグは食べたい。

 悩んだ末にエレンはまた今度食べようと決意するのであった。




●現在公開可能な情報

・食事処ナオの特製シチュー
 総司の両親が家で作っていたシチューに総司がアレンジを加えたもので、具材は鶏肉にジャガイモ、ブロッコリーにタマネギ、人参を入れ、ソースは濃い牛乳とブイヨンが大まかな材料となっている。
 花びら型の人参は輪切りにした人参を花びらのクッキー型でくり貫いたものでよく母親がシチューの際には入れてくれていた。

 アレンジとして最後に振り掛けたパルメザンチーズ以外にクリームチーズとラクレットチーズを入れている。

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