「温かいわねエレン君」
「あの…ちょっと止めてくれません…」
厚着はしているとは言え寒さが肌を刺してくる冬の寒空の下を、エレン・イェーガーは歩いていた。
けれどそれほど寒くはない。
何故なら人肌で温められているからだ。
後ろから人形を抱きしめる様にダイナ・フリッツが手を回してくる。
嫌がるも正直に暖かいのと裏路地と言う事で人目が少ないのでとりあえずされるがままで抵抗はしない。
あと、いつものマフラーにブクブクの厚着をしまくっても寒そうにしているミカサ・アッカーマンに無言で右腕に抱き着かれているのも理由の一つである。
先頭を進むグリシャ・イェーガーにフェイ・イェーガーは振り返り、後ろのカルラ・イェーガーとジーク・イェーガーはこちらを見つめて微笑む。
今日はイェーガー家
父であるグリシャがダイナと結婚して蒸発し、母カルラと結婚した事を知ってからイェーガー家は荒れた。
いや、主に被害者だったダイナやカルラよりそれを知ったキース教官が怖い事怖い事。
話を聞いたキース教官が父さんを殴りつけに来たと聞いた時には本当に驚いたよ。
…ハンネスさんはあんな美人とも結婚してたのか――と、酒のつまみ程度に笑っていたが、こっちは笑い事ではない。
一度はカルラも離婚を考えたが自身の年齢から就職も難しい。
開拓地なら人手が足りないので雇って貰えるかも知れないが、それもそれで年齢的に身体が付いて行かないだろうとの事。
なので別居もせずにグリシャと同じ家で今も暮らしている。
ただ二人暮らしではなく、ダイナもグリシャの妹のフェイとも暮らしているらしいのだ。
ダイナとカルラは出会った際に何故か仲良くなり、フェイの提案で一緒に住まう事が決定したとか。
ちなみにジークはグリシャを許せない+
エレンがカルラから聞いた話なのだが、フェイはお兄ちゃん子でダイナとカルラの事で怒っているものの甘えられなかった事もあってグリシャにべったりらしい。
まぁ、フェイが緩和剤となってあの家は上手く回っている。
そして何故か俺は顔を合わせる度にダイナとフェイの玩具にされるのだ。
一度どうしてそんなに構うのかと聞いてみたら、まだ幼くて可愛らしいからと…。
「すまないなエレン。母さんの好きにされて」
「だったら助けて下さいよ」
母違いの兄であるジークが苦笑いを浮かべつつ話し掛けてきたので、救援要請を求めてみるも無残に笑ってごまかされた。
諦める様にため息を漏らしているとキラキラと綺麗な灯りが視界に映る。
食事処ナオの外装にカラフルな灯りが灯って、緩やかに点灯してまるで満点の星々を眺めているようだ。
「おぉ…見ろよミカサ!」
「凄く、綺麗」
「だな」
少し興奮気味にミカサに声を掛け、ミカサも見惚れて消えそうな声で返す。
今日は“くりすます”。
総司さんの故郷ではちょっとしたお祭り騒ぎとなる行事。
詳しくは説明してくれなかったけど、大体家族や恋人と過ごしてチキン料理や“くりすます”ケーキを食べたり、家族の年長者や“さんたくろぉうす”なるお爺さんが良い子にプレゼントを配るんだとか。
それにちなんで食事処ナオでは“くりすます”限定のメニューを提供する。
ハンネスよりその話を聞いた家族で過ごす日というのであればと、グリシャが皆を誘って訪れているのだ。
彩られた食事処ナオのイルミネーションに全員が見惚れて一、二分ほど足を止めていたがさすがに寒く、グリシャがおもむろに扉を開けた。
扉を開けるとふわりと温かな風が肌を撫でる。
もはや気にも止めていなかったけど、この暖かさはどうやって調節しているのだろうか。
ふと、掘り起こされた疑問は「ま、なんでもいっか」と投げやりな答えの元、再び奥深くへ潜り込んで行った。
店内に入ると寒い中訪れた客でそれなりに埋まっている。
席は何処かなと眺めようとすると手の空いていたファーランが歩み寄って来た。
「いらっしゃいませ」
「予約していたグリシャだが」
「はい。こちらにどうぞ」
案内された席は大人数で座れるように机がくっ付けられ、白いテーブルクロスが掛けられていた。
真ん中には見事な装飾が施された
それぞれが名前のプレートが置かれた席に座ると、元々時間指定をした予約だったので早速料理が運ばれてきた。
並んだ料理にエレンはゴクリと生唾を飲んだ。
こんもりと膨らんだパイ生地に包まれているパイシチュー。
瑞々しく新鮮そうな野菜やまだ柔らかそうな玉子などに白いドレッシングが掛かっているシーザーサラダ。
パンやご飯が置かれるところには菓子パンでもあるシュトーレン。
そして中央に居座るはクリスマスメニューの主役であろう大きな骨付きの鶏もも肉。
さらにさらにデザートとして丸太を模したようなケーキ“ブッシュ・ド・ノエル”まである。
豪華すぎる夕食にごくりと喉が鳴る。
料理の他に一つずつワイングラスが置かれており、総司が一つずつ注いでいく。
ワイングラスに飲み物が注がれていくがエレンとミカサの二人は未成年。
ホットワインと言う訳にはいかないのでグレープソーダでワインの気分だけでも味わう。
短い時間とは言えお預けを喰らったエレンの腹の虫が鳴き、皆がクスリと笑みを零す。
「では、頂こう」
グリシャの一言をきっかけに料理に手を付ける。
まずは目が釘付けになってしまったローストチキンからだ。
骨を持って齧り付こうとも思ったが、さすがに行儀が悪いと出しそうになった手を止め、父さんや母さんのようにナイフとフォークで切り分けて口へと運ぶ。
味付けは食事処ナオでしか味わえない“ショウユ”を使っているらしくコクのある塩気を主軸に甘味や主張し過ぎないとはいえガツンと来るガーリックなどの食欲を刺激するタレが鶏肉に沁みており、鶏肉の旨味も加わって美味過ぎる。
しかも外はパリパリで中はふんわりジューシー。
味も食感も量も大満足だ。
なによりこれだけの量の肉を食べるのは何年ぶりになる事やら。
あまりの美味さと嬉しさに頬が緩む。
もう一口、もう一口と続けて食べ、そろそろ飲み物が欲しいなとワイングラスへ手を伸ばす。
シュワッと炭酸が癖のある刺激を喉に与え、濃く甘い葡萄風味のジュースが胃へと流れてゆく。
寒い夜に冷たい飲み物は身体が冷えすぎてきついが、この温かな店内ではキツイことはなくひんやりとして心地よい。
しかも炭酸と冷たさで口の中がさっぱりする。
ワイングラスを置いてまたローストチキンをパクパクと食べたところで、次の料理にも手を出そうとナイフとフォークを置いてスプーンを手に取る。
次に食べようと思ったのはパイシチューだ。
スプーンをゆっくりと突き刺すとサクリと香ばしい音が鳴り、空いた裂け目よりホカホカと温かな湯気が立ち昇る。
円を描くようにスプーンを動かし、パイ生地の一部を落すと真っ赤で温かなビーフシチューが姿を現す。
落ちたパイ生地もろともビーフシチューをすくいあげて口に含む。
サクサクとしたパイ生地の食感にとろりと濃厚なビーフシチューの味が広がる。
味もそうだがこんな寒い日にはこう温かな料理は身体が喜ぶ。
もう一口含むと具の牛肉が入っており、小さいながらも噛み応え十分。
ポカポカと温まりながらパイシチューを堪能する。
口の中が濃厚なビーフシチュー一色に染まって来たので、そろそろさっぱりさせようとシーザーサラダにフォークを伸ばす。
レタスに刺した瞬間に伝わってきた食感から歯応えが連想出来、楽しみにしながら頬張る。
やはり思った通りシャキシャキとした瑞々しいレタスの食感。
それにカリッカリに焼かれた刻まれたベーコンにザクザクとしたクルトンも加わり、噛み締める度に心地よい音が美味さと共に鳴り出す。
何より濃厚なチーズの味わいのドレッシングが堪らない。
さて、そのまま二口目をいくのも良いが玉子にも手を出そう。
中央に陣取った玉子にスーッとフォークの先で切り口を入れると、そこを中心にトロトロな半熟の黄身が溢れ、周囲の野菜に零れ落ちてゆく。
黄身の掛かったレタスを刺して口へと運ぶ。
先ほども味わった濃厚チーズのドレッシングの味わい歯応えの良いレタスにベーコンにクルトン、そして新たに加わった半熟黄身のとろりと滑らかでまろやかな味わい。
野菜なんてあんまり好きではないけど、これなら腹いっぱいになるまで食べれる。
しかしまだローストキチンもパイシチューもあるのだ。
そちらも食べなければとあっちこっちをナイフやフォーク、スプーンが行ったり来たりを繰り返す。
おっと、シュトーレンをまだ食べてなかった。
一切れを手に取ってがぶりと齧り付く。
口に入れた瞬間、上に振り掛けられていたきめ細やかな粉砂糖の上品で優し気な甘さが溶けだす。
噛み締めれば少しパサつく生地の食感とアーモンドの風味と乾燥させることで増したドライフルーツの甘味が溢れる。
甘いのにしつこ過ぎない。
これは毎日食べても飽きないだろう。
はむはむっとあっと言う間に一切れ食べきる。
あれもこれもどれも美味しい料理達に手はまったく止まる気配はない。
豪華な食事は瞬く間に胃の中へと納められ、残るは僅かな食べかすとそれを乗せた皿だけとなってしまった。
さて、デザートのブッシュ・ド・ノエルを食べるとしよう。
各自に配られている十センチほどのブッシュ・ド・ノエルをフォークで一口分切り取る。
ふわりと柔らかなクリームの食感を感じ、期待を込めて大口を開けてパクリと含んだ。
美味しい。
…美味しいのだがこれは食べきれるのだろうかと不安が過る。
腹が満たされたという理由ではない。
外側も内側も濃厚なチョコレートクリームが惜しげなく使われており、一口しただけでも相当な甘さが押し寄せて来る。
腹に収まったとしても甘さでダウンしそうだと思いつつ、二口目を口にすると考えが一変した。
さっぱりとした酸味が濃厚な甘さに中和し、足され続けるであろう甘ったるさが一気に緩和される。
一体何が…と疑問を抱いて切り口を眺めると内部のチョコレートクリームの間にイチゴが挟まっていた事に気付いた。
あぁ、これなら食べきれる。
飲み干したワイングラスにグレープソーダが注がれ、一口を呑み込むとグレープソーダを流し込む。
予想外にケーキとグレープソーダの相性も非常に良い。
これは止まらないとブッシュ・ド・ノエルを食べては、グレープソーダを流す工程がもはや作業のように往復する。
アレだけ食べたというのに食べる速度は落ちる事無く平らげ満足気に息を漏らす。
「美味しかったね」
「あぁ、本当に美味かった」
少し食べ過ぎた感はあるが大満足なので気にもならない。
隣のミカサと微笑合っていると、その様子を見たジークがニヤリと笑う。
「そういえば知っているかな。クリスマスというのは恋人同士で過ごす日でもあるらしい」
「あぁ、総司さんが言ってたな」
「だから来年はミカサちゃんと二人で来るといい」
「――ッ!?なななな、なに言ってんですか!」
「ご予約承りました」
「総司さんまで!?」
ジークの揶揄いに乗っかった総司の追加の攻撃も決まり、エレンとミカサは顔を真っ赤に染め上げる。
暖房要らずの二人を周囲は微笑んで穏やかに眺める。
こうしてイェーガー家の初クリスマスの食事会は幕を閉じて行くのであった。
●現在公開可能な情報
・“クリスマス”
こちらでのクリスマスの意味が通じないので無難に総司が答え、結果リーブス商会の手によってエルディア全土に伝わる事になる。
クリスマスは家族や恋人同士で過ごし、お祝いに大きなチキン料理とクリスマスケーキを食べ、子供にプレゼントを配る日。
ならばそれを大々的に伝え、浸透させることでケーキに鶏肉におもちゃの売り上げを伸ばそうと画策されたのだ。
日本で言うところのバレンタインデーの始まりに似ている。