青空が何処までも広がり、燦々と太陽の恵みが降り注ぐ昼頃。
地方貴族でありながらも王政府を支える大貴族の一つ“レイス家”。
その当主の兄であるロッド・レイスは不満を押し殺して上等な椅子に腰かけていた。
本日は料理人を招いて食事でもという事で中庭に長机や椅子を用意させ、妻に弟で当主のウーリ、我が子のフリーダにウルクリンにディルクにエーベルにフロリアン。そして料理人を用意しウーリの唯一の友人であるケニーが席についている。
私はあの男が嫌いだ。
今はウーリの友人として接しているが、元々はレイス家に仇名す刺客としてやって来たのだ。
幸いにも弟は左腕をナイフで刺されるという大けがを負ったものの命の危険はなく、襲ってきたケニーは何とか抑える事が出来た。
あの時の有り様は今でも思い出せる。
捕まった事で拷問され殺されることを理解したのか命乞いに殺害予告が合わさったような事を喚き散らし始めた時は正直呆れ果てたものだ。
誰がそんな奴を助けると思うのか。
いや、助けた奴が一人だけ居た。
襲われた本人であるウーリだ。
襲ってきた相手がアッカーマン一族だと分かるや否や、解放させて頭を下げて許しを乞うたのだ。
確かに我が一族のせいでアッカーマン一族は迫害を受けた歴史がある。だからと言って殺しに来た相手を解放した挙句、頼み込むように命乞いをすることはないだろう。
対してケニーは何をする事も無く去って行き、度々ウーリに接するようになり、いつの間にか二人は友人となっていた。
ウーリは非常に温厚で近くにいるだけで意図せず周囲の人を穏やかな空気で包み込む。
不思議な魅力に当てられた人は親しくなるどころか崇拝に近く、対等な関係を築けるものは今まで居なかった。
逆に素行は悪く、言動は荒っぽいケニーはウーリの魅力に当てられたものの、ずかずかと物を言う事が出来る稀有な人物。
そしてウーリのとはまた違う人を引き付ける魅力を有しており、互いが互いを惹き合わせたのだ。
口が酸っぱくなるほど奴は危険だと注意したがウーリは笑って「大丈夫だよ」と言うばかり。
あの事件以来ケニーに仕事を頼む事も多くなったが、出来れば仕事だけの関係で家には近づいてほしくない。
ウーリの事もそうだが、幼い子供達が周囲には居ない種類のケニーを“格好良い”と思い、真似したりして教育上悪影響なのだ。
ロッドが幾重にも嫌っているケニーが用意した食事会。
これが気に入る筈がない。
しかし楽しみにしていたウーリに水を差すのも気が引けるので黙って受け入れるしかなく、感情を表に出さないように努めているのだ。
ケニーが用意した料理人である青年―――飯田 総司はテキパキと持参した組み立て式の調理道具を組み立てている。
意外と若い料理人に不安を覚えるが誰もその事を口にしない。
フリーダに関しては総司を見た際に何処か信頼感のようなものを視線から感じたような気すらした。
「今日はありがとうケニー」
「おう、こいつの料理は美味いから腹いっぱい食ってくれ」
「それは楽しみだ。しかし当日になっても料理は秘密なのかい?」
「あー…そういや俺も聞いて無かったな。店で一番高くて美味い料理としか言ってなかったしな」
ウーリとケニーの会話を聞きながら、自ら誘っておいて料理も知らないというのはどうなのだろうかと心の中で突っ込む。
呆れながら組み立てを終えて食材などの準備を始めた様子を眺めるも、米や調味料を用意しているのは見えても主菜となる食材が見当たらず首を傾げる。
まだ出していないのか、またはぴちゃぴちゃと水音を立てている桶の中に居るナニカがそれなのだろうか。
ケニーが確認しようと総司へ振り向く。
「総司さんよ。今日は何食わしてくれんだい?」
「一番高くて美味しい料理との事でしたのでうな重を作ろうかと」
「ウナジュウ?なんだそりゃあ。どんな食材使うんだ?」
「ご覧になりますか?こちらです」
そう言って手に持って見せてきたモノにぎょっと目を見開き、動揺を顔に出して引いてしまった。
ぬるぬると動き、身体は太陽よりテラテラとぬめりの有る輝きを放ち、蛇の様な身体が露わになる。
………鰻。
エルディアでも料理されるものではあるが、アレを好んで食べようとは一切思わない。
以前試しに食べてみたのだが、食感も味も苦手で長年経った今でも当時の記憶が鮮明に思い出せる。
何より料理がゼリーに寄せるか、煮るかの二択ぐらいでどちらもぶつ切りの為に小骨が酷いのだ。
アレを食べねばならんのかと表情で訴えかける。
「にょろにょろだ」
「触っても良い?」
「構いませんよ。手が汚れるのでお気を付けください」
食べた事がなく、まだ幼いエーベルとフロリアンは興味津々に近づき、桶に手を入れて鰻を掴もうとしてぬるりと滑らせていた。よくもまぁ触れるものだと嫌悪感を露わにしたが、すぐに表上の嫌悪感を収めて表情を整える。
「総司さん。さすがに鰻はちょっと…」
「もしかして苦手でした?」
「苦手と言うか…ゼリー寄せとかあんま好きじゃねぇんだ」
「あ…あー、そう言う事ですか。なら大丈夫ですよ。ゼリー寄せではなく開きにしてタレで焼きますので」
「焼く?煮るんでなくてか?」
「はい。すごく美味しいですよ」
用意したケニーもまさか鰻が出るとは思っていなかったらしく動揺していたが、満面の笑みで自信満々に言われて黙り込んでしまった。
これは見物かなとニタリと嗤う。
中央憲兵と言えども下々であり、それが貴族を食事に誘っておきながら不快にさせたとなれば攻める口実になる。
上手くいけば二度とウーリに近づけさせないようにも…。
そんなロッドの思惑など知らない総司は調理を開始する。
まず氷水に浸けていた鰻をまな板に乗せて後頭部辺りに釘を刺して固定し、腹部に包丁を刺したらスーと滑らすように裂いて二枚に広げる。
大概の鰻料理がぶつ切りだった事から鰻の開きなど初めてで、あまりに純白な身に自然と魅入ってしまう。
静まり返って注目を集めている中で次に内臓を除けて、包丁で中骨と身の間を走らせて尾っぽと一緒に切断、まだ腹骨が残っているので今度は包丁で撫で擦るように取り除く。
流れる様に手際のよい作業はまるで魔法のようで子供達だけでなく、その場の全員が感心して声を漏らす。
身のみとなった鰻を切り分け串を刺し、パチパチと炭火で熱した網に置くと音を発して焼き始める。
ポタリ、ポタリと鰻の脂が炭火に垂れて、その度にじゅわりと湯気が立ち昇る。
ふわりと鼻を擽る香りが漂う。
美味しそうな匂いだなと思っていると鰻を網より持ち上げてタレの入った壺にしっかりと浸け、取り出すと黒茶色の透き通ったタレでコーティングしてまた網の上に乗せられる。
タレが付いた事でジュワっと勢いよく音と湯気が立ち、パタパタと団扇で扇がれて香ばしい匂いが周囲に広がる。
先の鰻だけの匂いだけでも空腹に響いたというのに、なんと食欲を駆り立てる香りなのだろうか。
この香りだけでもおかずになりそうだ。
焼かれる音に鰻とタレの香りだけで涎が溢れそうになる。
すると小さく腹の音が鳴った。
それが誰の音色かなどはどうでも良い。
なにせここに居る全員がこの音と匂いに同じような空腹感を味わっているのだから。
「凄く良い匂い。これだけでお腹が空いちゃうね」
「確かにこれは期待出来るか」
「あー…総司って性格悪いよな」
「はい?」
「だってよ。空腹の人間に音と香りで余計に空腹感を煽りに煽るんだからなぁ」
「なら煽った分だけより満足して頂けるよう努力致しましょう」
焼き上がる鰻を前にして総司は外は黒く、中は朱色に塗られた重箱にほかほかの白米を敷いて、焼き上がった鰻を乗せて行く。
その工程を
見事なものだなとロッドはその箱に目を奪われた。
簡素そうな見た目ではあるがムラは無く、木目が見えるほどに薄っすらと均一に塗られている。それだけでもこれに掛けられた
「では、蓋を開けてお召し上がりください」
言われるがまま蓋を開けると封じ込まれていたお米の湯気が放出され、先のタレ付きの鰻の香りが漂う。
なんと美味そうな香りなのか。
いや、香りだけではない。見た目もかなり食欲をそそる。
純白のお米の上に白かった鰻はタレと焼き色で茶色くテカり、掛けられたタレが鰻より垂れて白米に沁み込んだ。
今まで見た鰻料理とは全く違う料理に驚きを隠せない。
…が、鰻は鰻だ
匂いは良いが味や食感が駄目では意味がない。
恐る恐るスプーンをいれると身が柔らかいのだろう。
スッと切れて白米と一緒に持ち上げれる。
美味しそうな見た目と匂いに喉が鳴るが、過去の鰻から中々口が開かない。
自分を落ち着かせようと深呼吸をし、意を決して勢い任せにバクリと食べ、ゆっくりと噛み締めた。
ほろりと解けた。
身は非常に柔らかく、舌の上で解れたのだ。
小骨は一切なく、解れた身より鰻の旨味がたっぷり含まれた脂が溢れ出る。
口の中いっぱいに脂が広がったのにギトギトと不快なべとつきはなく、寧ろさっぱりと滑らか。
そして鰻や白米にも掛かっていたとろりと濃厚で甘辛いタレに旨味が合わさり、白米との相性が良くて非常に美味しくスプーンが止まらない。
それと皮も柔らかく食べやすく、焼かれた際に出来た焦げ目のほろ苦さが良いアクセントとなっていて、これが食欲を刺激して堪らない。
食べながらも横目でウーリを見つめると同じくスプーンの速度が上がり、ケニーはもはやスプーンで運ぶのが面倒なのか、運ぶまで待てないのかお重に口を付けて掻っ込み始めた。
それを見てエーベルにフロリアンが真似をし、堪らずディルクも同様に掻き込み始めた。
貴族は規定や作法を順守するものであるが、気持ちは解らなくもないので今回は…今回に限り…この料理に限って見逃しておこう。
「もしよければ山椒をお使いください」
「サンショウ?聞かない調味料だな」
「ピリッとしますのでお気を付けください」
机に置かれた小瓶を手に取り、試しに掛けてみる。
黒っぽいきめ細かな粉が振りかかり、その部分をスプーンですくって含む。
言っていた通りにピリリと舌に刺激が走り、味を引き締めながら独特でスッと爽やかな香りが鼻から抜けて行く。
これは良いな。
「こりゃあうめぇな」
ケニーも掛けて食べており、賛辞を口にしながらかけ過ぎだろうと思うほど振り掛け、がっつくように掻き込んでいた。
なんとも忙しなく食べるものだなと呆れながら食べていると、中から鰻のかば焼きが姿を現した。
お重の深さから上に乗っている鰻のかば焼き一つでこれだけの白米を食べれるのかと疑問に思っていたのだが、中にタレと一緒に挟まれているのを見つけて一人納得する。
これなら問題なく楽しみながら食べきれるなと何気なく挟んでいた鰻と白米を含んだ。
蕩けた…。
上もかなり柔らかかったというのに、白米と白米の間に挟まれていた鰻はさらに柔らかかった。
ふわりと蕩け、挟んだ上下の白米に余すことなく浸み込んだタレは上の様な濃さはない分、しっとりと落ち着いた優しい味わいとなっている。
アツアツの白米と白米に挟んで鰻を蒸す“まむし”にロッドは驚き、これほどの料理を提供する総司に関心を持った。
すると満足気に息を付いたウーリが微笑みながら総司に声を掛けた。
「最近食欲が少なかったんだけど、美味しくて全部食べきってしまいそうだよ」
「ありがとうございます」
「他にも美味いもんがわんさかあるぜ」
ウーリの賛辞に自然と深々と頭を下げてお礼を返す様子に、ケニーが用意したにしては礼儀が出来ているではないかと褒めた矢先、ケニーの一言で意識は態度から料理に戻った。
このうな重よりも…以上はないとしても同等ほどに美味い物があるのか、と。
大嫌いな相手であるが関心が向いたロッドはケニーの言葉に聞き耳を立てる。
「俺のお勧めは食事処ナオでしか食えねぇ味付けのステーキだな。高級店でも無かったからな」
「そこまで言うのであれば機会があれば是非とも頼もうかな」
「でしたらイチゴのパフェやクレープなども美味しいそうですよ」
前向きに検討し始めたウーリにフリーダが食い気味にオススメを口にする。
そんなフリーダにウーリは微笑ながら聞いているが、ロッドは眉を潜めた。
どうしてフリーダが総司の店の料理を知っているのかという事に…。
ロッドが疑問を抱いているのに気付かずにフリーダは言葉を続ける。
「あそこの料理は他と違いますから。ヴルストとザワークラウド一つとっても美味しくて」
「………良く食べているのかいフリーダ」
「えぇ、食事処ナオの食事が毎週の楽しみで―――――――あ」
嬉し気に語っていたフリーダはぴたりと動きを止めた。
吐いた唾が飲めないように、漏らしてしまった言葉は今更戻ってこない。
この時、顔を青くするフリーダと眉を潜めていたロッドとの間で認識の齟齬が発生した。
我侭を口にしなかったフリーダが自由な時間を欲した理由を
秘め事を自ら自爆してしまったフリーダに対して笑い合う中、ロッドは暫し考え込む。
これほどの料理を提供できるのであれば、予定している食事会での調理を頼むのも有りか………と。
そんな事を思っていると予期せぬ言葉がウーリの口から放たれた。
「今度行ってみるか。
あの子達が誰を示しているのか察して苦い顔をするが、取り合う気がないのかフリーダに微笑みかけるばかりでこちらに視線を合わそうとしない。
気まずい食事になるだろうなとロッドは頭を抱える様な気持ちであるが、ウーリの一言で嬉しそうに笑うフリーダ
●現在公開可能な情報
・レイス家
元々はフリッツ家で正当なるエルディア王家なのであるが、フリッツに変えて地方貴族になった一族。
原作の様に始祖の巨人を用いて記憶操作など出来ない。
レイス家の事情を知る大貴族の中にはいつか正当なる王家と謳って現政権を脅かすのではと不安がっている者も居るという…。
レイス家の年齢ですが原作に合わせるとかなり成長してしまい、イメージがし辛かったので年齢は原作でグリシャが始祖の巨人を奪った当時にしております。
フリーダ・レイス :長女で第一子 18歳
ウルクリン・レイス:長男で第二子 17歳
ディルク・レイス :次男で第三子 14歳
エーベル・レイス :次女で第四子 12歳
フロリアン・レイス:三女で第五子 10歳