進撃の飯屋   作:チェリオ

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第04食 サバみそ

 はぁ……はぁ……はぁ……。

 

 私は走る。

 息を切らし、足の裏から血が出て、身体中が汗でびっちょりと濡れようとも走り続ける。

 後ろは振り返らない。

 振り返れば見てしまう。

 憎悪や殺意で歪む男たちの顔を……。

 

 幼い頃の私は孤児だった。

 貧しい孤児院で引き取られ、同じ境遇の子供たちや孤児院の大人たちと細々と暮らしていた。

 大きな喜びも無ければ絶望もない。

 ある意味幸せな時だったのかも知れないと今では思ってしまう事がある。

 

 が、私の生活はある日を境に一変した。

 孤児院に訪れた男性が「今日から君はユミルだ」と名前すらなかった私に名前を与えてくれたのだ。

 たまに子供たちが大人に連れられて孤児院から出て行くのを知っていたので私はこの人に引き取られるんだと理解した。

 ついて行くとそこは教会を中心にした街を囲ったような施設で、私がユミルと名乗るとそこの大人たちは私を崇め、大事に大事に扱ってくれた。今までの暮らしが嘘のような生活。美味しい食事に綺麗な洋服。何よりも大人たちが大事にしてくれているというのが本当にうれしかった。

 

 その夢のような生活は一変した日と同じように唐突に終わりを迎えた。

 どうやら私を引き取った男性は【ユミル】という大昔の人物を崇め奉る宗教集団の教主だったらしく、王政府からしてはその宗教そのものが危険だと判断されたのだ。深夜に叩き起こされて数人の大人と共に教会を抜け出すと地獄が待っていた。

 何が起こっているのかも分からずに追われ、隠れ、怯える日々。

 

 日に日に一緒に逃げ出した大人達は捕まっていき、三日前には一人になっていた。

 最近になって知ったのだが引き取った男性は国家反逆罪で死罪、教徒達は投獄にされたとか…。

 宗教団体の象徴とされていた私はどうなるのだろうか…投獄?…いや、私も殺される…。

 危機感が募るがどこか自分だけは大丈夫だと意識の片隅で考えていた自分の甘さに反吐が出る。

 とうとう私の番が来たのだ。

 一緒に逃げていた男はもはや限界だったのか、それとも教徒としての矜持を投げ捨てたのか、中央憲兵に私を売ったのだ。

 

 僅かな隙を突いて私は逃げ出した。

 太陽の昇りきっていない早朝の路地裏を薄汚れたシャツ一枚で走り回る。

 早朝と言う事もあって誰とも出会わない。

 出くわしたところでこんな格好で必死の形相で逃げ回っている不審な女を匿ってくれるような物好きは居ないだろう。

 ……いや、二人だけ居たか。

 誰に対しても笑顔と優しさを振りまく天使や女神のような金髪の少女と冷たくも根は優しい少女。

 各地を逃げ回っていた私達を一時期匿ってくれた少女だ。

 

 あんな馬鹿のように人が良い人間なんて早々いるものか。

 

 体力も足も限界を超えていたユミルはふと扉が半開きの建物に飛び込んだ。

 飲食店らしき店に入り込んでどこか潜める場所を探す。

 幸いにも店内には人はいない。カウンター裏には扉がある事から二階か物置に繋がっているのだろう。いったんそこに隠れようと近づくと扉の向こうから足音が聞こえてくる。

 ぎょっとして慌てて四人席のテーブルの下に潜りこみ口を押えて震える。

 扉がゆっくりと開かれ、足音がゆっくりと近づいて来る。

 

 (頼む……通り過ぎてくれ……)

 

 そう祈りつつじっと身を潜める。

 足音が聞こえなくなったことに気が付いて、ゆっくりと顔を挙げる。

 

 目が合った。

 屈んでテーブル下の覗き込んでいるエプロンを付けた優し気な青年。

 声が漏れそうになったのを必死に堪える。

 青年は後頭部をポリポリと掻くと何か考え込んでいる。

 

 「おい!こっちのほうに逃げた筈だぞ」

 「やっと見つけたんだ。絶対に逃がすもんかよ!」

 

 そこから大声で叫ぶ憲兵の声が聞こえて来た。

 多分青年も察しただろう。

 どうする?

 人質にするか?………無駄だ。人質を取った所であいつらには意味はない。

 泣きつくか?………憲兵に追われているのだ。匿っただけでどんな目にあわされるか知らない筈がない。

 思い切って逃げ出すか?………無理だ。もう足が動かない。

 

 近くの建物をノックして聞き回っているのだろう。

 ドン、ドン、ドンと扉を叩く音がだんだんと近づいて来る。

 はぁ…と大きくため息をついた青年はカウンター裏の棚に掛けてあった大きな白いシーツを手に取ってテーブルに掛けた。すっぽりとシーツに覆われた事で不思議と不安が遠のいた。

 いや、期待するだけ無駄だ。絶対に突き出される。

 

 不安と期待に揺れ動くユミルの元にシーツを潜って黒猫が入って来た。

 ちらっと目線があったが素知らぬ顔で入って来た場所をじっと見つめる。

 

 順番が回って来てこの店の扉が叩かれる。

 心臓の鼓動が五月蠅いぐらいに身体中に響く。

 

 「失礼!憲兵隊である!!」

 

 扉が開かれて威圧的な言い方をしながら憲兵が入って来た。

 対して青年はにこやかな口調で「朝からお疲れ様です」と返す。

 入り口付近で私の特徴が伝えられてから「見ていないか?」「潜んでいないか?」と軽い問答が行われる。答えは全部知らない見ていないの一点張り。

 そのまま帰ってくれれば良いものを憲兵はシーツの掛かったこの机を怪しんだ。

 指先がシーツから覗き、握られる持ち上げられる様子がとてもゆっくりと見える。これはもう駄目だと諦めたがシーツが捲られることは無かった。

 

 「痛ッ!?」

 「フシャー!!」

 

 黒猫が覗いた指先を引っ掻いて、顔をシーツから出して威嚇している。

 まるで私を護らんとしているかのように…。

 指先を怪我した憲兵は怒りを露わにするが、青年が謝り何とか怒りを収めてくれるように努める。怒鳴り散らしていた中、憲兵はカウンター裏の棚に並んでいた酒瓶に目を付けた。

 遠回しに寄越せと言う憲兵に、青年は指先を消毒・治療した後に数本と言わず十本単位で渡す。

 予想以上の数に憲兵は大いに喜び、先ほどとは180度違う態度で店から出て行く。

 

 やり取りを耳だけでだいたい把握したユミルは、怪しまれずに憲兵が出て行った事に大きく安堵する。

 しかし、この後はどうする?

 どうすれば良い?

 迷いそのままテーブルの下で蹲っていると、カチャカチャという小さな音が鳴り続ける。

 

 動けぬまま何分が経ったのだろう。

 唐突にシーツが捲られ、椅子が近くに置かれる。

 恐る恐るテーブル下から顔を覗かせると青年は笑みを浮かべて見つめ返してくる。

 

 「のど乾いてるでしょう。どうぞ」

 「―――ッ!?」

 

 手渡されたコップには薄っすらと白く濁った水が注がれていた。

 この際、カラカラに乾いたのどを潤わせることが出来るなら泥水でも何でもいい。

 受け取るとすぐに口を付けて飲み切った。

 

 薄っすらとした酸味に柔らかな甘みを含んだひんやりとした水は、飲むと同時に体内に染み渡って行く。一杯では足りないと分かっていたのか空になったコップにもう一杯注がれる。

 礼も言わずに三杯程飲み干して一息ついた所でユミルは言葉に詰まった。

 お礼を言うべきか、何か思惑があって匿ったのか疑うべきか。

 

 悩むが黒猫を褒めながら餌を渡す様子にもしかしたら馬鹿が付くほどのお人好しなのではないかと思い始める。

 

 「おい―――」

 「…朝食」

 「――は?」

 「一緒に食べませんか?」

 

 ニコリと微笑みを向けられ問われ、口よりもお腹が大きな音を立てて先に答えた。

 恥ずかしさに頬を赤らめ、顔を見られぬように俯きながらこくんと頷く。

 テーブル下より這い出て立ち上がるとシーツを避けられたテーブルの上には朝食と思わしき料理が並べられていた。

 

 白い陶器のお椀によそわれた白米。

 漆の汁椀に注がれたお味噌汁。

 小皿に盛られた5cm幅に切られたキュウリの浅漬け。

 主食として皿に乗せられたしっかりと煮込まれたサバの味噌煮。

 

 日本人なら見慣れた料理であるがユミルにとっては未知の料理である。

 

 おずおずと椅子に腰かけると青年は向かいの椅子に腰かけて対面上に座る。

 手と手を合わせて「いただきます」と軽く頭を下げた動作を見て、見よう見真似で行い様子を窺う。

 別段毒が入っていたりしないかと警戒してではなく、どれをどう食べて良いかよくわかってないのだ。あと、自由に食べ始めたら昨日の夜にジャガイモを1個食べて以降、何も口にしていない自分は恥じらいを捨ててがっつきかねない。

 だから青年に合わせて食べようと思ったのだ。

 

 汁椀に注がれたお味噌汁を口にする。

 今まで口にした事のあるスープ類とは全く異なる濃厚かつすっきりとした味わいに目を見開いて反応する。嫌な訳ではない。寧ろ食欲をそそる香りも含めて好感が持てる。何処か素朴でほっとする味わいに心が落ち着く。

 次に青年は白米を箸で食べるが、ユミルの前には箸ではなくフォークが置かれており、フォークを使って一口食す。

 一粒一粒がふっくらと炊き上がったお米の感触とほのかな甘み。先ほどの味噌汁に比べて確実に味が薄いが、噛めば噛むほどに甘みが増すというのは面白い。

 ふと、思い立って口の中に先ほどの味噌汁を少し流し込む。

 思った通り味わい深いお味噌汁と白米の相性は抜群だった。

 この白米はパンのように何かと一緒に食べるものなのだと理解したユミルは青年を見つめて次の動きに合わせる。

 キュウリがないこの地では野菜の類としか分からず、とりあえず同じように食べてみる。

 浅漬けを食べると程よい塩気が白米を欲せさせる。程よい塩気と白米の甘みがお互いに味を引き立て合う。ポリポリと少し弾くような触感すら美味しく感じる。

 

 こんな落ち着ける食事は久しぶりだと心に余裕を持ったユミルは青年に倣って主菜に手を出す。

 ただ何なのかよく分からずじっくりと眺める。

 観察して分かったのはこの料理が魚料理だったという事だ。

 切り身の状態なのとかけられた茶色いソースで判りにくかったが、付いていたヒレと皮の模様から魚だと見分けがついたのだ。昔に何度か食べた事があるが生臭くてあまり好きではない。しかしここで好き嫌いするのも気が引ける。

 それ以上に今までの美味しい料理にこれも美味しいんだろうなという食欲と興味のほうが強かった。

 

 フォークで身を切り分け、一つを口に運んだ。

 

 あまりの衝撃に先ほどよりも目を見開いて動きを止めてしまった。

 味噌汁と似た味だがよりコクが強く、断然濃いソース。

 脂身で柔らかく舌先で解れる身。

 魚独特の生臭さはなく、香ばしく食欲そそる香りが漂う。

 上に乗っている生姜が良いアクセントを出す。

 

 これは白米に絶対合うと思考ではなく身体が理解し、白米を口いっぱいに掻き込む。

 

 ――美味しい。

 美味し過ぎる。

 このサバみそと白米の相性は今までの比じゃない。

 感激と幸せを味わい、ゴクリと飲み込む。

 一切れのサバみそを食べるごとに倍以上の白米が消えて行く。

 あっと言う間に茶碗の白米がなくなったのを見た青年は「おかわりはいるかい?」と問いかける。

 答えは勿論イエスだ。

 もう意地汚いとか失礼とか考えられずにただただ食べる事だけに集中する。

 

 がっつくように食べてしまったユミルの前には空になった食器類が並ぶだけ。

 サバみそに至っては汁まで綺麗になくなっていた。

 白米を5杯もお替りしたユミルは満足そうな笑みを浮かべて息をつく。

 

 「美味しかったですか?」

 「あぁ―――あ、はい…」

 

 普段通りに荒い言葉遣いで返そうとしたのを寸前のところで抑える。

 匿ってくれたうえに食事まで用意してくれた相手にさすがに失礼だろう。

 すでに食べ終えていた青年はのんびりとした様子でこちらを眺めていた。

 落ち着いた所で姿勢を正して正面から向き合う。

 

 「その…助けてくれてありがとうございました」

 「どう致しまして。っと私だけでなくナオにも言ってあげてくださいね」

 

 ナオと呼ばれた猫は空になった器の前で大きなあくびをして、眠たそうに転がっている。

 「寝るんでしたらクッションへ移動しましょうね」と言われると言葉を理解しているのかクッションの置いてある台座に飛び乗って寝転がる。

 この人は聞かないんだろうか。

 追われている私が何をして、何で追われているか。

 それを聞かないという事は理由に関わらない、避けているのだろう。

 匿ってくれた事や美味しいご飯を御馳走してくれた彼をこれ以上関わらせる訳にはいかないと、考えていたユミルにとっては好都合である。もし彼が底なしのお人好しであるならどう断ろうかと思っていたし。

 

 「本当に助かりました」

 「―――これからどうするのですか?」

 「…そこいらを転々としながら生きる。それだけだな…です」

 

 慌てて言葉遣いを直し、席を立つ。

 青年はうーんと唸り大きく頷いた。

 

 「少し宜しいでしょうか。私、見ての通りこの店を経営してまして……ところが最近お客が増えて人手不足で困ってるんですよ」

 「は、はぁ、それは大変ですね」

 「そこで働き手を探してるんです」

 

 こう話して青年はにこにこと笑みを向けて来る。

 この流れでこの反応。

 間違いなくこいつは馬鹿が付くようなお人好しだった。

 わなわなと震えながらキッと睨む。

 

 「アンタ言っている意味わかってんのか?あたしを雇うってんなら相当なリスクを背負う。店を潰しても良いのか?」

 「それは嫌ですね」

 「だったら――」

 「ですがそれ以上にここで見捨てるという方が嫌なんですよ」

 

 今までの笑みではなく、真面目な表情でしっかりと目を見据えられて言われると何も返せなくなった。

 大きなため息を吐いて乱暴に腰を下ろし、じろりと睨みつける。

 言い返せなかったのは呆れてものが言えなかったから……いや、アイツと同じ瞳をして言ってきた…からか。

 

 「……ありがとよ(ぼそっ)」

 「なにか仰られました?」

 「―――ッ…何でもねぇよ。で、何をすればいい?」

 「店は朝七時から夜十九時まで空いているけど働く時間についてはあとで決めるとして後回し。家が無い事を考えれば住み込みで時給1000前後。最初はとりあえずお客様から注文を承ったり、掃除したりですかね」

 「はぁ!?そんだけで一時間1000だって?しかも宿まで用意ってどんだけ好待遇なんだよ」

 「それと三食まかない付き」

 「…まかない?」

 「朝昼晩のご飯ですよ。その時々にあまりもので作ったり、店の料理を出したりしますけど」

 「………さっきの魚もか?」

 「サバの味噌煮の事でしょうか?お望みなら出しますが――」

 「良し!明日から…いや、今日からでも働くぞ!!」

 

 久しぶりに笑みを浮かべたユミルは本当に嬉しそうだった。

 この後、仕事用の制服を用意したり、仕事の手順を習ったり大変だったが、まずは汚れた身体を洗うとの事で使ったシャワーやドライヤーといった家電製品を扱う方が大変だった。

 主に教える側である総司が、だが…。

 

 

 

 

 ユミルを追って店を訪れた憲兵が、翌日今度は客として足を運んできた際に、ユミルを目撃したのだが手配書にある薄汚れたぼさぼさの長髪の女と違って、綺麗に透かれた髪を後ろでまとめ、清潔感漂う制服を着こなしたユミルを同一人物とは認識できなかった。

 特に怯え、疲労困憊して死んだ魚のような瞳が今では生き生きとしていて、以前を知っている青年でさえ同じ人物には見えないのだ。




●現在公開可能な情報

・ユミル
 原作ではマーレの国で始祖ユミルを崇拝するエルディア人に拾われたが、この作品内ではエルディアの国で作られた集団(ユミルの民)に拾われている。
 されど信仰対象である事には変わりはなく、エルディア政府はそのような信仰を認めておらず、内乱や争いの旗印になっても困るので排除対象とされた。

 巨人が存在しないこの作品では巨人化することも、壁外を何十年も彷徨っていたなどは無い。

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