二月十四日はバレンタイン……などという認識はエルディアには存在しない。
食事処ナオの店主であり、
いつもならいの一番にリーブス会長辺りが嗅ぎつけるも、今回それを知ったのは後日談を小耳に挟んだ時点で時すでに遅し。
売り出して利益を出そうにも過ぎてしまっては仕方がない。
すでに来年の商戦計画は脳内で練っているのは言うまでもないだろう。
それと同時にバレンタインのお返しとなるホワイトデーの存在を先んじて得たものの、そもそものバレンタインを逃した時点で今年のホワイトデーも見逃さる得ない。
リーブス商会は来年の準備は進めるが、今年は諦めて来年に挑む気満々。
多分来年のバレンタイン前に成ったら情報を拡散したり、関係各所に準備を促して行くのだろう。
さて、現時点でホワイトデーを知っているエルディア人はどれほどいるだろうか?
バレンタインを知っているのは食事処ナオの面子を除けば、お菓子を作った女子たちに受け取った男性陣、そしてその現場を見るかまた聞きして詳細を知った者達のみ。
すでにバレンタインだけでも知っているのは極一部で、お返しに当たるホワイトデーとなると余計に知る者は少なくなる。
ゆえに…だろうか。
ミカサ・アッカーマンよりフロランタンを受け取ったエレン・イェーガーがホワイトデーを知らなかったのは致し方ないと言えよう。
三月十四日ホワイトデー当日。
エレンはミカサ達が訪れるよりも早くに食事処ナオに訪れ、エプロンを着替えて食事処ナオの生活スペースにある台所に居た。
アルミンとライナーは貰った時点でお返しをしないといけないなと考え、総司からバレンタイン関連を聞いていたのでホワイトデーの存在は知ったので前もって準備を行っていた。
アルミンはライナーが知っていた事で、ライナーはアルミンが同様に知っていた事でエレンも知っているだろうと思い込んで教えなかったのが裏目に出てしまう。
最近二人が悩んでいる事に気付いて問いかけ、ホワイトデーを知ったのが前日。
何を返すか悩んだ末に総司に相談しようという考えに至り、今に至るという訳だ。
忙しくない時間帯に店舗側の台所より総司が戻り、エレンは姿勢を正して頭を下げる。
わざわざ営業中に手伝ってもらうのだから礼儀を持って接するべき。
ユミルに手伝って貰おうかと最初は思っていたのだが、デザートを担当していてそろそろ三時の菓子類の制作をしなければいけないと断られてしまった。それで総司が知って助け舟を出してくれたのだ。
比較的簡単に出来るお菓子として進められた“カップケーキ”。
他に作る予定も無かったし、簡単ならと言われるがままそれを作る事にした。
「すぐに出来るという事でカップケーキを選ばせて頂きましたが、クリームは如何致しますか?」
「クリーム?カップケーキって文字通りカップ型のケーキだろ」
「まぁ、そうなのですが、今回は上にクリームを添えるタイプにしようかと。添えないノーマルでも良いと思いますけど」
少し悩む。
今まで自身でそれほど自炊してこなかったので、調理は得意と言う訳ではない。
下手に手を出して失敗するよりはそのままの方が良いのではと思う。
けれど見栄えを良くして見栄を張りたい気持ちもある。
悩んだ末にクリームを添える事にする。
「ならクリーム添える方向で」
「クリームは苺、抹茶、チョコレート、マンゴー、キャラメルと出来ますが」
クリームと聞いてホイップクリームを想像していたエレンはさらに悩む。
イチゴと聞くとクリスタやヒストリアのイメージが強いし、マッチャとマンゴーとやらはよく解らない。
チョコレートかキャラメルとで悩み、食事処ナオでチョコレート菓子は多いけれどそれほどキャラメルのお菓子を見ないな…という物珍しさで選んだ。
「では調理を開始しましょうか。一応手本はお見せ致しますがお渡しする分には一切手を出す気はありませんので」
「お願いします」
もう一度頭を下げて頼み、エプロンが乱れてないかをチェックし、手を洗っていつでも“いけます”と視線を送る。
準備は整ったという事で総司は用意していた材料に手を伸ばし、エレンはそれを見ながら同じ動作を行う。
まず室温に戻されたバターを小皿からボウルに移す。
ボトリと落ちたバターに泡だて器を押し当てて混ぜ、途中途中に砂糖を加える。
間にバターが入り込むと振って外に出して掻き混ぜてはまた入ったのを振るいだすを繰り返す。
ちらりと総司に視線を向けるとそう言った動作はほとんどなく、バターはクリーム状にまで練られていた。
やっぱり経験の差だよなぁと思いつつ、クリーム状になるまで混ぜ続ける。
「次に卵を溶いて混ぜ合わせますが―――」
「…え?」
目の前で起きた事にエレンは説明の途中であるが、言葉を漏らしてしまった。
別に卵が嫌いな訳でもない。
ダチョウの卵やウズラの卵など見慣れないサイズの卵が出てきた訳でもない。
驚いたのは総司が行った卵の割方だ。
顔に目を向けていた為にはっきり見えなかったが、コンとひびをいれたら片手で握り潰して器に形を保った生卵を落としたのだ。
視線から察した総司は察し、ゆっくりとエレンに見せるように割る。
卵を横向きに角に当て、真ん中に罅をいれるとそこに親指を当て、そこを基準に人差し指と中指、薬指と小指で卵の殻を左右に開いた。
見たとおりにひびを入れ、恐る恐る卵を片手で割ってみる。
結果は、黄身が潰れて小さな破片が入り込んだ。
「最初はそういうものです。練習あるのみですよ」
「くそっ、簡単そうな感じだったのに」
「私も最初はよく黄身を潰してましたよ」
「総司さんが?嘘だぁ…」
二人して笑い合いながら作業を続ける。
器に入れた生卵を溶いたら少しずつバターに加えて混ぜ、薄力粉を振るいながら振り掛けては混ぜを交互に繰り返す。
それらが混ざり合ったらバニラエッセンスで香りを足し、全体に渡るように混ぜて生地が完成する。
完成した生地をカップに移し、180℃で予熱しておいたオーブンに25分から30分焼き上げればカップケーキの出来上がり。この間にキャラメルホイップを作っておく。
まずは生クリームに砂糖を加え、氷水でボウルごと冷やしながら泡だて器でツンと角が立つぐらいに、手早く混ぜ続ける。
生クリームがホイップクリームになると今度はキャラメルの制作だ。
フライパンを熱し、砂糖に蜂蜜に生クリームを加えて焦げ過ぎないようにヘラで細かく混ぜながら温める。
蜂蜜で黄色がかったキャラメルソースが徐々に焦げて茶色くなってきたら、火を止めて多少ホイップを加えて粗熱を取り除く。
ホイップが混ざって水気が足され、まだ温かさが残って液体に近い状態のキャラメルをホイップクリームのボウルに入れて混ぜる。
すでに何度も混ぜて腕が悲鳴を上げているが決してエレンは音を挙げずに腕を動かし続ける。
ようやくキャラメルが混ざり切り、温かいキャラメルが加わった事で溶けたホイップが元に戻ったところで混ぜる作業から解放された。
後は焼き上がったカップケーキの熱を取り、上に絞り機でキャラメルホイップをトッピングするだけ
「もう少しで…」
「最後の最後に気を抜いて失敗する事もありますので」
「は、はい」
知らず知らずに気を緩みかけていた自分の頬を叩き、喝を入れて緩んだ気持ちを引き締める。
焼き上がったカップケーキの粗熱を取り、程よく冷めたところでキャラメルホイップを渦を巻くように絞り、エレン初めてのお菓子作りは終了した。
ミカサに渡す一個以外にも何個か多めに焼いていたので、総司に言われるがまま試食をする。
ケーキらしいふわりとした食感に、濃厚なキャラメルとホイップの上品な甘さが一口で全体に広がる。
美味いなコレは。
自分で言うのもなんだけど絶賛してしまう。
口にカップケーキが入ったままなので言葉にはしていないが…。
一つをぺろりと食べたところで気になり、エレンは総司が焼いたカップケーキを指差す。
「少し総司さんの焼いたのを食べても良いですか?」
「別に構いませんけど」
許可も貰ったし、早速と言わんばかりに一口食べた。
違う。
違い過ぎる。
自分が作ったのよりふんわりしながらしっとりとしており、キャラメルホイップはなめらかで確かな調和を持って優しく口内に広がった。
「なんで同じ材料を使ったのにこんなに味が違うんですか…」
悔しそうに見つめると本気で困った顔をされてしまった。
普通こういう時は“経験の差”とか言うところだと思うのだけど…。
まぁ、そう言ったところが総司さんらしいのだが。
「もう来てるよ」
店舗側より声がかけられ、ミカサが来店した事を告げられる。
さて、持っていくかと思うと妙に緊張してきた。
「わかりました。ではエレン君。行きましょうか」
緊張している俺に微笑みかけて後押してくる。
覚悟を決めろと深呼吸を二度ほど繰り返して、完成したカップケーキを乗せたトレイを持って店舗側へと向かう。
「エレン?」
奥よりエレンが出てきた事に、カウンター席に座っていたミカサはキョトンと驚く。
驚いているミカサの下に速足で自身が作ったカップケーキを運び、カウンターに置いた。
エレンが出てきた事に続き、注文もしてないのに置かれたカップケーキに困惑が重なって、どうしたらいいのと瞳で訴えかけて来る。
面倒臭いなと照れ隠しに頭を掻きながら答える。
「その…バレンタインのお返しだよ。……有難く食えよ!」
「ありがとうエレン」
少し…否、大分照れ臭くてそっぽを向きながら上から言ってしまったが、そんな事気にせずエレンがお返しとは言え手作りで返してくれるなんて想像していなかったミカサは嬉しくて満面の笑みを浮かべる。
寧ろ忘れられているどころかホワイトデーを知らないと思っていただけに嬉しさも大きい。
そわそわしているエレンの前でミカサはフォークを手に取り、一口分を切っては口に運んだ。
そっぽを見ているので見えはしないが、音で嫌でも分かってエレンはドキドキと鼓動を高鳴らせる。
これは不安だ。
俺は美味しいと思ったけどミカサはどうなのだろうか?
食事処ナオでデザートばかり食べて自分より舌が肥えている。
総司さんのと比べられると…。
不安が不安を呼び、心中穏やかでないエレンにミカサの言葉が光をもたらす。
「美味しい。すごく美味しいよ」
なんだか背中がむず痒くなる。
やけに頬が緩むし、顔がポカポカと熱くなる。
なんだコレ?なんだコレ!?
どちらにしても心中穏やかではないエレンを他所に、ユミルはミカサが食べているものを見て呟く。
「へぇ、カップケーキ作ったんだ」
「お、おう…」
「しかもキャラメル付とはねぇ…やるねぇ」
なんとも含みのある言い方とニマニマとしたいやらしい笑みが引っ掛かり、険しい表情で睨んでしまうとクツクツと声を殺して笑い出しやがった。
余計にムッと表情に感情を出すと悪いと謝りつつ、耳元に口を寄せてくる。
今度はミカサの表情が険しくなるが、囁かれた言葉でエレンはそれどころでなくなった。
「え、あ!?」
「なんだぁ?知らなかったのか?」
「…何の話?」
「ななななな、何でもねぇよ!!」
顔を真っ赤にして何でもねぇよと言ったところで素直に信じる訳も無し。
と、いうか総司さんにはめられた。
ホワイトデーの贈り物としてカップケーキとキャラメルに
…いや、キャラメルを選んだのは俺だけども…。
「あのカップケーキとキャラメルなんだけどな―――」
「言うんじゃぁねぇよ!!」
騒ぎになり始めたのでアニが叩き出す準備を始めようとするが、微笑を浮かべる総司がそれを止めた。
少し言葉を続けたユミルが離れた席では沈黙が流れ、耳まで真っ赤に染めるミカサとエレンの姿があったのであった。
●現在公開可能な情報
・食事処ナオのホワイトデー
バレンタインにフロランタンや思い思いの品物を貰い、そのお返しにと“マドレーヌ”に“カップケーキ”、“クッキー”などを送った。
勿論ファーランもイザベルにお返しに買い物に付き合ったり、リヴァイがお返しに飯を奢りに来たりした…食事処ナオにて。