一台の馬車が月夜に照らされた道を走る。
通りには人の姿は無く、ゴトゴトという馬車が走る音だけが響き渡り、静寂に支配されていた世界を小さく揺るがす。
馬車の中には一人の男性が腕を組んで黙って座り続けていた。
エルディアには三つの軍事組織が存在している。
壁外へ赴いてマーレとの戦いを行うエルディア最強の兵団である調査兵団。
数では兵団トップで壁の補修工事から警備などを手掛ける駐屯兵団。
警察機構であり王を護る近衛の役割を担うエリート兵団の憲兵団。
それぞれが独立した一個の組織であるならばそれらを纏め上げる人物が必要になるのは必須であろう。
今ウォール・ローゼ南方トロスト区の大通りを走り抜ける馬車の中に居る人物こそ三つの兵団を総括する軍の最上位者。
ダリス・ザックレー総統その人である。
―――が、彼は現在仕事の為にトロスト区に訪れた訳ではない。
公の場で着るような総統用の制服も立場に相応しい正装もせず、草臥れたロングコートに色がくすんだハンチング帽、真っ黒のサングラスとまるで自分を隠すような出で立ちである。
暗い夜道を窓より眺めていたザックレーは見覚えのある通りに近づくと御者が座っているであろう位置付近の壁をこんこんと叩く。
「ここでいい」
「畏まりました」
落ち着いた返事が返ってくるとゆっくりと馬車が止まり、カツカツと足音が聞こえてくる。
足音は馬車の扉の前で止まり、御者より確認の声掛けがあってから扉が開けられる。用意された足場を使って地面に降り立ったザックレーはいつも通りに手で行けと指示を出す。
毎度の事なので御者も気に留める事無く走り出し、角を曲がって姿が見えなくなるとようやくザックレーも進みだした。
「今日も案内たのんだぞ」
「ナォウ」
振り向きもせず発した言葉に一匹の猫が鳴く。
嫌に賢い猫に笑みを浮かべ、カツカツと靴音を鳴らしながら路地裏を進む。
斜め前にはぴったりくっ付くようにこの辺りを縄張りとする黒猫のナオが案内するように進み、ザックレーは躊躇う事無くついて行く。
今日ザックレーがここを訪れたのは毎週欠かさず訪れるお気に入りの店で食事をする為だ。
総統の地位について色んな物を口にしてきたが、心の底から食事を楽しめると思えるのはあの店しかありえない。
王都の高級店に比べて外装は劣るものの、接客態度は勝るとも劣らないと言っても過言ではない程親切丁寧。しかもそれを立場を考えずにお客全員に対して行えるという店は他には無いだろう。
そもそも王都の高級店などに行くと
無能なくせに地位だけは最上位クラスを手にする阿呆共。
思い出すだけでも吐き気がする。
「奴らにお前さんほどの知能があれば良かったんだがな」
「なぅ?」
心の底からの呟きを不思議そうに見上げるナオに苦笑する。
とことこと歩くナオに連れられ目的地である食事処ナオに到着した。
周りには一切灯りが無いというのに扉や窓を覆っているカーテンから灯りが薄っすらと漏れ出している。
この時間帯は蝋燭などの消費を恐れて一般的には就寝時間となっており、店という店は閉まっているのが普通。それは食事処ナオにも当てはまり、扉には閉店の立て札が掲げられていた。
しかしそんな事知るかと言わんばかりにザックレーは扉を開いた。
「いらっしゃいませ
「あぁ、今日もいつもので頼む」
そう言うと毎週座るカウンター席に腰かける。
カウンター内で下準備をしていた総司は手を止めておしぼりとホットプレートを用意する。
「ここに訪れて一か月が経つか」
「はい。本当にザックさんには何とお礼を言って良いのか…」
「気にするな。好きでやった事だ」
ぼそりと呟く。
偶然にも見つけたこの店は店を開こうにも許可証の類を持ち合わせていなかった。
……違うな。彼が言うには
なにやら訳があるのだろうがその時旨い飯を食わせて貰ったのもあり、気に入ったので面倒を見てやったのだ。
まぁ、半ば強引に食事を頼んだがね。
以来それを恩と感じて人目に付くと不味い私の為にと毎週水曜日だけ営業時間外でもこうやって開けておいてくれるのだ。
ちなみに彼には私がダリス・ザックレーで総統の地位に就いている事は伏せている。
もしも名乗れば立場を振りかざしたようであの無能どもと似たようなものに成り果ててしまいそうで口に出来なかった。と、言っても彼には杞憂であったかもしれないが。
物腰は柔らかで大人しそうな青年ではあるが、料理に対する姿勢だけは頑固なようで、例え脅されたり誘惑されたりしたとしても頑なに頷くことはしないだろう。
そもそも金に栄誉に権力といった欲が非常に薄そうだしな。
それにしてもお金か。
「やはり安すぎるな」
「……そうですよね」
微笑んではいるものの表情に影が落ちた。
この店の料理は美味しい。
それは材料と料理人の腕と知恵で出来る事。
されど値段が他に比べて安すぎるのは無理がある。
前にもその事を指摘すると採算はとれていると回答された。
違うのだ。
そうではなくこの店がこれほど安いとなると周りに与える影響は大きい。
知る人間が増えれば増えるほどこの店に人が殺到して、奪い合うように買い求めるようになるだろう。
供給を間に合わせられるかとの問いには不可能との答えが返って来た。
「前に考えておくように伝えたが、あれから何か妙案が浮かんだのか?」
「えぇ、今仕入れている材料の一部を
「ふむ…その辺が妥協点か」
「ご利用頂いているお客様には申し訳ないですけどね」
本当に申し訳なさそうに言う総司にそれ以上言う事は無く、肉を乗せた皿を次々並べられる様子を眺める。
七種類の生肉の脂分がテラテラと照明の光に反射して輝く。
一週間前に食べたというのに待ち侘びて夢にまで出て来た料理に笑みが零れる。
煙やにおいが酷いので通常メニューでは取り扱ってない私専用のセットメニュー“焼肉”。
「では、頂こう」
どういう原理で熱を発生させているか分からない“ホットプレート”なる機器と、大きめの茶碗に盛られた艶やかな輝きを放つホカホカの
ナオ特製のタレにしっかりと浸けられ、黒みついた肉厚なカルビ。
薄くスライスされながらも七種の肉の中では一番長いロース。
赤身の様にしか見えないが内臓系の部位だというハラミ。
カルビのような薄っすらとした黒みではなくもはや黒よりの赤黒さと他と違った質感が特徴的なレバー。
長方形に近い形に切られた肉の中で円形という変わった切られ方をし、専用にネギと塩を混ぜた薬味が用意されているネギ塩牛タン。
薄っすらと桃色がかった白いふわふわと柔らかそうなホルモン。
ホルモンよりも純白に近い色合いで多少厚く切られた牛ミノ。
満足げに並べられた肉を眺め、焼き肉用のトングを手に取ってホルモンへと伸ばして、落さぬようにしっかりと掴むとホットプレートに載せる。
どうしてもホルモンというのは早すぎると食えたものではないので、焼くのに時間が掛かる。
だからまず最初に焼き始めておいて、焼けるまでの間に他の肉を喰らうのだ。
熱せられたホットプレートの鉄板に次々と肉を置いて行くとその度に焼ける音が耳に響き、焼ける匂いが鼻孔を擽り空腹感を増幅させる。
特にタレに漬け込まれたカルビの匂いと言ったら堪らない。
この匂いだけで酒は進み、米をがっつける。
口が、胃が、身体が早く食べたいと急いているがここは焦らずにじっくりと構える。
一件無造作にホットプレートに載せているようではあるが、タレ付きのカルビもあるので並べた際に、重なって味が移らないように注意は怠らない。
一通り並べてちらっと総司の様子を窺うがこちらを気にする事無く、半分に切った大根をおろし器に直角に立てて、円を描くようにゆっくりと擦っていた。
これがまたザックレーにとってはお気に入りのポイントのひとつで、総統などの職に付くと周りが気を使ったり、こちらも気を使う場面が多くなる。特に料理店では食べ方ひとつも気に掛けないといけない。正直言って飯を食うだけでそんなに神経を払わなければならないのかと苛立つ時だってあるが、この店ではそういった事は無い。
例えスープを飲む際に啜る音を立てたとしても他の客に迷惑をかけなければ笑って許すだろう。
何より自分で好き勝手に食えるというのは楽でいい。
ただ自炊させられている気もするが、その作業も含めて焼肉は完成するのだと理解している。
焼ける音と匂いさえも楽しみながら眺めているとタンに焼き目が付いてきた。
待っていましたと言わんばかりにトングで取り皿に置くと、ネギ塩をスプーンで載せて、タンでネギ塩を包むようにフォークで折ってから刺し、大口を開けた口へと運ぶ。
薄い筈なのにコリコリとした噛み応えに、ネギの香りと程よい塩気がタンと混ざって口内に広がる。
牛タンにはレモン汁をかけて食べるのも酸味が味を引き立て、脂っこさをさっぱりさせて美味いが私はそうはしない。
何故ならネギ塩牛タンを飲み込み、後味が残る口内にキンキンに冷えたレモンサワーを流し込むからだ。
「かぁ~、美味い!」
レモンの強い酸味を滑らかな甘みがまろやかな味わいにし、強炭酸なる刺激が喉をバチバチと叩くように通り過ぎて行く。
初めて飲んだ時はその炭酸に驚き咽たものだが、慣れればなんとも病み付きになる感覚だ。
ただし飲み易くても酒の類なので呑み過ぎには注意しなければ。
そう思いながら差し出されたジョッキの半分ほど飲んでしまったがね。
左手はジョッキを掴んだまま、焼けていくネギ塩牛タンを次々と噛み締め、レモンサワーで流し込む。
あっと言う間になくなったタンに物足りなさを感じるも、決して追加の注文はしない。
焼肉の肉は各種五枚から六枚と少なめだが、抜群に米や酒が進む為に多く注文すると自分の首を絞めかねないのだ。
牛タンを腹に収めたところで、次の肉に照準を定めていく。
ホルモンは焦げ目がつくぐらいしっかりと焼くので、今は保留としてロースに箸を伸ばす。
薄く長いロースはタンに次いで早く焼き上がる。
まずは掛かっている塩コショウだけで味わう。
薄くとも噛み応えのある肉質に塩コショウが本来の味を引き立てる。
よく噛み締めて二枚目を摘まむと今度はタレに浸け、白米の上に広げて包むように持ち上げた。
十分に焼けたロースが白米を包み、浸けたタレと油がじんわりと真っ白な米に広がってゆく。
行儀が悪いだろうがこの食べ方は酷く好ましい。
焼き肉用のタレは甘味、辛味、旨味が複雑に絡み合った上、深いコクに果物のようなフルーティな味わいを持つ。
この不思議な味わいが焼いた肉にも合うのだが、米にも非常に合う。
そんなタレに浸したロースで米を包むことで、タレに肉の脂や旨味が加算されて米にも浸透し、噛み締めるとタレの下で融和したロースと米が口いっぱいに広がる。
これが本当に堪らない。実に堪らないのだ。
どうしようもなく旨いのだ。
三枚目のロースを食べたザックレーは四枚目を焼かずに、今度はハラミに箸をつけた。
先のロース同様にタレに浸すが、白米とではなくレモンサワーのジョッキを手に取る。
こいつは強敵である。
ハラミは肉らしい弾力を備えているが、それ以上に柔らかいのだ。柔らかい上に広がる脂の旨味が段違いなのだ。非常に酒か米を欲してしまう肉で好きだが肉らしい。間違えた。憎らしい。
少し加減を間違えれば腹が膨れて他を楽しみづらくなる。一歩間違えれば食べ残す羽目になる。
勢い任せに食い散らかすのではなく、ペース配分を考えなくては…。
ゆっくりと口に含み、噛み締めれば脂が溢れ肉は解れる。二度、三度と噛めば噛むほど旨味が溢れ出て来る。それをレモンサワーで流し込む。
短く息を吐き、さっぱりとしたところで二枚目へと挑む。
まったくこの焼肉と言うのは本当にどうしようもなく美味い。
いくらでも味わいたいというのに無暗に食えば米で腹が膨れ、酒と楽しみ過ぎると酔い潰れ、肉ばかり食えば脂が回って食べれなくなってしまう。なんとも厄介で愛しい存在だ。
さて、ネギ塩牛タンにロース、ハラミと楽しんだら次はホルモンとミノを楽しむとしよう。
焦げ目が付いたホルモンは余分な脂が落ちて、残った脂には強い旨味が宿る。噛み切れぬ感触を楽しめば、ハラミとは比べものにならない程の脂が噴き出て来る。一口で脂が身体中に回りそうだが、それらを抑えるのがレモンサワー…なのだがいつの間にやらジョッキは空となっていた。
「総司。おかわりを頼む」
「レモンサワーおかわりですね。それと先に熱燗の準備もしておきましょうか」
「このペースなら問題ないな。なら準備も頼んだ」
「畏まりました。少々お待ちを」
手を止めてレモンサワーを用意するのを待っている間はホルモンには手を付けず、ミノを摘まんで口へと放り込む。
他とは違ったコリコリとした噛み応えを楽しみ、飲み込むと次のミノを続けて食べてゆく。
同じホルモン系だというのに脂気がほとんど感じられないミノは幾らでも食べれそうだ。
次々に放り込んでは感触を楽しんでいたが、レモンサワーのおかわりが到着すれば再びホルモンに方向転換。
濃厚な脂と味わい、レモンサワーでさっぱりとさせる。
ここまでほぼノンストップで食べ続けたザックレーは、一旦落ち着かせようとレバーに目標を変更する。
レバーと言うのは難物だ。
触感は肉やホルモン系とは異なりボソボソしており、味はとても血生臭く感じる。
好き嫌いがはっきり分かれるほど癖が強すぎるのだ。
若い頃であれば難色を示していただろう。
だが、今の私であれば受け入れられる―――違うな、好きになれる。
この臭みと食感を併せ持った独特の癖が堪らない。
癖があるものは癖になるとはよく言ったものだ。
そして癖のあるレバーにはレモンサワーでなく、酒を熱した熱燗との相性が抜群なのだ。
熱すぎず、ぬる過ぎない温度にされた酒はゆっくりと身体を流れ、癖のある味わいが爽やかな風味と合わさって鼻から抜けていく。
ほっと安堵するような感覚に食べる速度が自然と落ちる。
レバーと熱燗はがっついて食べるものではない。
ゆっくりと味わい、落ち着いて飲むものだ。
そして熱を帯び、食に急く身体を落ち着かせ、心に平常心を取り戻させる。
レモンサワーが脂に対しての中和剤なら、レバーは焼肉に対しての安定剤。
時間を考えず、ゆるりと味わい、最後の一口を飲み込んだところでザックレーはニンマリと笑みを零す。
これでようやく心置きなく喰らい付ける準備が整ったと…。
目を爛々と輝かしたザックレーは、最後にとカルビを豪快に焼き始めた。
カルビは噛み応えは強く、尚且つ柔らかい。
肉らしさを誇りながらも脂の旨味を多く含んだ肉。
タレに付けても塩コショウで食べても美味いのだが、私はこの食事処ナオ特製のタレに漬け込まれたこれが大好きなのだ。
カルビ以外の肉を食べきったので他の肉の事も、腹の容量も、己が体調すらも気にすることなく、待ちに待ったカルビへと箸をのばす。
焼き目が付いてもテラリと輝きを放つカルビに食欲が働きゴクリと生唾を飲み込む。
待望のカルビを口に含み噛み締める。
噛めば勿論の事ながらカルビの旨味が広がるさ。
それと同時に特製タレが絡みつくように広がり始める。
ロースやハラミにもつけたタレをベースにしているのだが、ピリッとした辛味が強くなり、にんにくの香りと味わいがまったくの別物のようなパンチ力を与えている。
落ち着いた身体が、頭が、心が、溶鉱炉の如く熱を発して動き出す。
一枚に対して倍以上の米を掻っ込む。
もはや噛まずに飲み込んでいるような速度で米が消えていく。
そろそろかなとおかわりを言われるかなと総司は新しい茶碗に白米を盛り始めると、予想通りにザックレーのおかわりの声が掛かる。空になった茶碗を受け取り、おかわりを渡すとカルビ一枚で盛った白米の三分の一が飲み込まれた。
見た目お爺さんであるがその食べっぷりは働き盛りの若者と変わらないほど力強く、あっという間に二杯目が空になる。
さすがに三杯目は頼まずに、最後の一枚を味わい尽くすと残っていたレモンサワーを一気に飲み干す。
膨らんだお腹を軽く摩ると、身体に溜まった熱を排気するように空気を吐き出す。
「今日も旨かったよ」
「ありがとうございます」
「また来るよ」
「お待ちしておりますねザックさん」
ホットプレートの脇に代金を置くと重くなった身体を立ち上がらせ、扉へ向かって歩き出す。
眠りかけていたナオが大欠伸をしながら背筋を伸ばす。
扉を開くとカランと鐘が鳴り、火照った身体を涼し気な外気が冷ます。
心地よい夜風をその身に受けて、見送りに付いてきたナオと共に馬車へ来た道を戻る。
「ナオよ。今後あの店には何かしら問題が起こるかも知れぬ。助けてやれることもあるが、咄嗟に護ってやることは叶わない。しっかりと護ってやるのだぞ」
「ナァ~オゥ」
解っていると言いたげな返事にクスリと笑みを浮かべる。
本当に賢い猫だ。
どうにか総司とナオ両方手元に置けないものかと本気で悩んでしまいそうだ…。
他愛もない事を悩んだザックレーは無理だろうなと諦め、馬車に乗り込む頃には次回を楽しみに思いを馳せているのであった。
ザックさんが帰った食事処ナオは静寂に包まれた。
総司は喋ることなく洗い物を済ませて、淡々と大根を擦り続ける。
ゆっくりとザックさんが来る前から擦り続け、二時間が経って
一旦手を止めて扉に視線を向けると微笑を浮かべる。
「どうしたのですかユミルさん」
扉の裏に誰かが居る気配がしていたのを感じ取っており、自身にも
すーと音を立てずに上に続く階段への扉が開き、ユミルが何処か照れ臭そうに笑っていた。
二階は居住スペースになっており、空き部屋のひとつをユミルに与えているので今や二人暮らしとなっている。
扉で区間を遮っていても焼肉の匂いと言うものは強く、扉の隙間を縫って二階まで漂ったのだろう。
「いや、その…なんだ」
口篭もりながら何かを言おうとするユミルに代わって、小さく腹の虫が鳴いた。
今度は恥ずかしそうに顔を背ける。
やっぱりと予想が当たっていた事にまたも笑みを浮かべる。
「夜中に食事を摂るのは身体に悪いんですけど、少々小腹が空きましてね。しかし同居人が居るというのに一人だけ食べるというのは罪悪感があります。どうでしょう、私の為に夜食に付き合って貰えないでしょうか?」
「―――ッ!?そ、そういう事なら仕方ねぇな」
用意した理由に跳び付くや否や席に腰かけて待ち遠しそうに視線を向けて来る。
まだ私が幼かった頃に父が友人と家で呑んだ後、美味しそうな匂いに釣られて物欲しそうにしていると、何処か気まずそうに夜食を作ってくれたのを思い出す。
父親になっていないけれども、こうやって父と同じことを自分がしていると想うとどこか感慨深い想いに駆られますね。
汚れを落としたホットプレートの鉄板を戻して熱し始める。
身体の事を考えて夜食でさすがに肉は出せないので、冷蔵庫から刺身用のサーモンを取り出す。
温まるまでにお茶碗にホカホカのお米をよそって、刺身用の甘めの醤油を用意する。
お米ではなく酢飯の方が海鮮丼みたいで合うのだがこれは夜食。
父もそうだったが私も夜食は手間暇をあまり掛けずに簡単に美味しい物を、と思っているので酢飯までは作らない。
程よく熱せられたところでサーモンを切り分けずにそのまま鉄板に置く。
ジュワ~と焼ける音が薄っすらと店内に響く。
これをやる時は決まって弱火。
中火でも良いが強火は駄目だ。
今からする料理は焼くのではなく、炙るに近い物。
表面に焼き色が少しつく程度で中にも火を通す。
強火でやってしまえば早ければ表面だけ熱し、遅ければ表面を焼き過ぎてしまう。
置いてからは目を逸らすことなくじっと見つめる。
下にしていた面が薄っすらと白くなり始めるとひっくり返す。
そしてまた眺め、ひっくり返す動作を全面に行う。
終えたらまな板に移して素早く平切りに切り分け、ご飯の上へと乗せてゆく。
そこに醤油を掛けてワサビをのせるだけでも美味しいが、総司はご飯とサーモンを覆うように大根おろしをたっぷりとのせ、回すように醤油を掛けるのだ。
一つは自分用に、もう一つはカウンターで餌を待つひな鳥のようなユミルへと渡す。
「どうぞ、サーモンのみぞれ丼です」
舌で唇を嘗めると、手と手を合わせて「いただきます」と言ってからスプーンを手に取って一口分すくう。
ホカホカの白米の上にオレンジ色のサーモン、そして醤油がじわりと滲んで黒みを含んだ大根おろしが層のように重なっている。
興味津々に迷う事無くパクリと食べると頬を緩めた。
「旨い!」
笑顔を浮かべてパクパクと食べる様子を満足げに眺め、総司も自分の分に手を付ける。
熱したことでサーモンの旨味と甘味が強調され、身が柔らかく口の中でとろけ、ふわりとした大根おろしと混ざり合う。食べ続けると脂がしつこくなってくるが、おろしがさっぱりとさせて重く感じる事無く食べ終えられる。
夜食を食べ終えて片付けた二人は、明日に備えて眠りにつく。
また明日もいつものように料理を振舞おうと。
この生活を失わぬようにしっかり働こうと。
●現在公開可能な情報
・食事処ナオの混ぜ物
異常過ぎる安さから発生する問題と総司の心情を解消する打開策。
進撃の世界の材料を混ぜることで値段は他に比べて安いが近づき、進撃の世界の商人にも利益を得て、多少なりともお金を回せるようになる。
ただ肉類などは割合によって値段が跳ね上がるので、まだまだ割合の見当が必要。
イザベル・マグノリアが口走った案を採用。