最近総司さんがおかしい。
料理に対して真面目で頑固で、我が身を顧みないのが、総司さんの良い所であり欠点であるのは常連客なら皆知っている。
だからか目の下に薄っすらとクマがあっても気にしなかったし、どうせアニかユミルが気付いて注意するだろうと誰も口にしなかった。
いつもならばだ…。
昼食を摂ろうと立ち寄ったミカサの目から見ても最近の総司は異様だった。
目の下には濃いクマが出来ており、声には何処か覇気がなく、ミスなどは無いものの微笑に疲労感が滲み出ていた。
さすがにこの状態で皆が放置している筈も無いと思いつつ、アニに聞いてみると頑なに「あと三日だけだから」と押し切られてしまったらしい。
何があるのだろうと首を傾げるも、疲れているらしい総司さんに直接聞くのも憚られたので食事を済ませて帰るだけ。
アニに聞いてから翌日。
前日と変わらず疲れた様子の総司さんが作った絶品料理を満喫し、デザートも食べて帰宅する予定であった。
「アルミン君もミカサさんもお母さん似なんですね」
アルミンがデザートのプリンを運んで来た時に、総司さんがぽつりと漏らした。
二人して意味が分からず硬直した。
なにせ私もアルミンも幼い頃に両親を亡くしている。
家には二人の面影を知る肖像画などは当然ないし、食事処ナオに飾っている写真は存在すらなかったのだ。
それなのに今になって知った…違う、今になって見たかのような言葉に疑問を覚えない筈がない。
同様の疑問を持ったアルミンが問いかけると、失言だったのかばつが悪そうな表情を浮かべ、少し悩んだ後に「明日の深夜にお店に来れるかな?」と聞いてきたのだ。
深夜に赴くのは少し想うところがあったが、先の発言の解答がそれなのだとしたら異様に気になってしまい、指定された時刻に訪れる事に。
勿論探求心の塊みたいなアルミンは聞き出そうとしたが、頑なに口にしない様子から行く気満々と言った様子であった。
そして総司がアニに言った最後の日である本日。
いつも通りに昼頃前後に昼食を済ませ、同じく夕食を食事処ナオで摂ったミカサは、そのまま総司が空き部屋を貸し出してくれたので時刻まで待つことに。
アルミンは貸し部屋というよりは総司の書斎で本を読んで過ごしているようで、ミカサは一人貸し出された一室で日課であるトレーニングを行い、全く慣れない電化製品の扱いや温かい湯の出る風呂場などをアニやユミルに教わり、恐る恐る扱っては冷静な表情を崩してはいつもとのギャップに笑いが零れた。
しかもイザベルが総司から扱いを聞いたカメラで写真を撮るのだから、恥ずかしさで真っ赤になってしまう。
そんな普段では味わえない生活に戸惑いながら過ごしていると、いつの間にか時刻になっていたらしく、総司さんが知らせに来てくれた。
他の皆は私服や寝間着なのだが、総司さんだけが仕事着を着ていており、周りと比べて妙な違和感を覚えつつ案内されるままついて行く。
案内されたのは食事処ナオの店内。
居住スペースと店舗スペースを区切っている一枚の扉の隙間より光が漏れ、向こうからは人の気配が感じられる。
すでに時刻はとっくに営業時間を過ぎている。
例外として
そんな心情を察してなのか、優しい微笑を向けた総司は「時間も時間ですし、あまり大声は出さないで下さいね」と言って扉を開いた。
店内は大勢の客で溢れかえっていた。
確実に席に対して客が多すぎて、中には立って食事や酒を楽しんでいるものもいる。
大半は大人や老人だが僅かながら幼い子供の姿も見受けられるのはさすがにどうかと思う。
「良いんですか?子供がこんな時間に…」
「良いんです。彼ら・彼女らにとってはこんな時間だからこそ」
そう言って総司は奥のテーブル席へと二人を連れて行く。
“こんな時間だからこそ”との言葉に困惑したが、その意図を理解するのにはそれほど時間は掛からないだろう。
なにせその向かっているテーブル席に答えが待っていたのだから。
「お…かあ…さん…おとう…さん…」
ミカサはそこに居た人物を見るや言葉が漏れ、涙が頬を撫で落ちた。
短く斬り揃えた短髪に顎髭を伸ばした男性に、エルディアでは珍しい黒髪の女性。
あの日、目の前で亡くなった筈の両親が優しい笑みを浮かべてミカサを見つめていた。
脳が現状に追い付けずに動けずにいると、二人はゆっくりと近づいて抱き締めた。
触れられた所は冷たいのだが、温かな想いに包まれて涙が余計に溢れる。
どれぐらい泣いていたのだろうか…。
落ち着くまで泣き続けたミカサは両親同様に優しい表情で見守る総司とナオに気付いて、目を擦りながら恥ずかしさも有って俯く。
「すぐにお料理をお持ちしますね」
総司はそういうと厨房へと戻って行った。
ふと一緒に居たアルミンはどうしたのかと視線を向けると、優しそうな小太りの男性とほっそりとした金髪の女性と抱き合っていた。
両者ともアルミンに似ている事から同様に両親なのだろう。
席に座ったミカサは正しく認識する。
自分の両親もアルミンの両親も間違いなく死んでおり、都合よく何処かに隠れて生きていたという訳ではない。
私達は目の前にいる筈の無い死者と対面しているのだ。
それがどういう原理なのか、夢とか現実なのかなどはどうでも良かった。
今はただただこの時間を噛み締めるのみだ。
口下手であるけど私は話し続けた。
あの後、何が合って何をしてきたのかを時には笑顔を浮かべ、時には涙を零して語り続けた。
両親は何を言う事無く嬉しそうにただただ聞いていた。
途中アルミンも交えて二人でいろんなことを語って楽しい時間を過ごす。
そんな楽しい時間と言うのは過ぎるのもあっと言う間で、話している内に総司が調理を終えて料理を運んできた。
「お待たせしました」
総司が運んできたのは彩り鮮やかに具材が乗せられた料理であった。
具材の隙間より麺が覗いていたので、普通に麺料理と思ったのだがどうも汁がない。
食事処ナオではパスタやスパゲッティ、うどんなど多くの麺類が存在するも、どれもこれも汁かタレが当然のように入っている。
しかしこれは具材が乗っているだけで、一滴も汁が見えないのだ。
おかしいなと思いながらフォークで除けて底を覗くも汁は無し。
「あぁ、ミカサは冷やし中華は初めてだったね」
「冷やし中華?」
そう言ってアルミンは説明してくれた。
食事処ナオで提供している麺料理の一つで、四種類ほどの具材を乗せて酢醤油のタレかごまだれをかけて食べるとのこと。
夏場でも食べ易いとの事で、南蛮漬けに並んでよく注文されているらしい。
そういえば最近はよく麺類を啜る音が聞こえるなと思っていたのだが、これだったのかと興味津々に見つめ、まずは酢醤油のタレを掛けてみる。
酸味の効いたさっぱりとした醤油タレが麺を濡らし、つるりと入って来る。
程よい酸味が食欲を刺激し、さっぱりとした味わいが食欲の衰える暑い夏場でも食べ易い。
シャキシャキとした食感に瑞々しい胡瓜の千切り。
水気が少なく口当たりは滑らかな蒸し鶏の淡白な味わい。
一本一本が繊維のようで噛めばそれらが織りなす食感とほのかな風味を持つカニカマ。
他とは違って塩コショウで塩気が多い錦糸卵。
それら四つの具材が縄張りを持っているように分かれて鎮座しており、麺を啜るたびに一緒に食べるので飽きがこない。
無心で啜っているとクスリと微笑ましそうに笑われて、また恥ずかしくて頬を染めながら、勢いを少し押さえる。
「どうしたのミカサ。いつもはがっつくように食べているのに」
「ア、アルミン!!」
揶揄う様にわざといって来たアルミンを睨むも、皆から微笑ましそうな視線を受けると「もぅ…」と呟いて顔を背けるしかなかった。
けどなんて嬉しい食事なのだろうか。
もう二度と味わう事なかった家族揃っての食事…。
しみじみ思うと涙が溜まり出したので、袖で拭って食事を続ける。
今度はゴマダレをかけて食べてみる事にする。
マヨネーズが入っており、まったりとした濃厚な味わいがさっぱりした味わいをガラリと一変させた。
濃厚過ぎるゆえに食欲の衰える夏場の料理としてはしつこ過ぎる気もするが、先に食べた酢醤油によって食欲が刺激されており寧ろこの濃さがちょうどよく感じる。
感心するように啜り、夏場でありながらも快適な空間に美味しい料理も相まって話に華が咲く。
会話は弾みに弾み、夢の様に楽しい時間をミカサとアルミンは過ごし、やはり夢の様に唐突に終わりが訪れる…。
「みぁ~」
猫の鳴き声がした。
ナオとは違った低めの鳴き声が気になり振り返ると、入り口に丸まる太った三毛猫が鎮座していた。
その猫は入り口から決して中に入る様子は無かった。
逆にその三毛猫に対峙するように店内よりナオが警戒心を露わに見つめている。
あの猫は何なのだろうかと疑問を浮かべていると、周りの客達が席を立って店外へと向かって歩き始めた。
どうしたのかと周囲を見渡していると自分達の両親も立ち上がり、寂しげな表情を浮かべながらぎゅっと抱き締め、離れると同時に外へと歩き始めた。
外にはまるで茄子のように丸っこい牛の牛車が並んでおり、外に出た客達は次々と乗り込んでいた。
先ほど死者と理解したばかりではあるが、別れたくないと思ったミカサは
「待っ―――ッ!?」
横っ腹に衝撃を受けてよろめき、背後から首根っこを掴まれて店外へ足を出す前に、店内へと引き戻された。
何事かと思っていると衝撃を感じた方向には唸り声を挙げているナオが居り、背後には血相を変えて首根っこを掴んだ総司が立っていた。
「
驚くほど低い総司の声に戸惑い、急に襲ってきた寒気からミカサはもう踏み越えようとは思わなかった。
そんなミカサに安堵した様子の母が頭を撫でる。
遅れて追おうとしていたアルミンもその一連の出来事によって足を止め、外の違和感にようやく気付いた。
入口より見える店外は暗いのだ。
深夜なのだから暗いのは当然とかいう話ではなく、何があるかも認識できない程に暗いのだ。
まるで奈落の底にように…。
ゾッと背筋が凍り付く感覚を味わいながらも視線は牛車に乗り込んでいく両親を向き続けた。
アルレルト夫妻もアッカーマン夫妻も振り返ってはにこやかな笑みを浮かべ、牛車より別れを惜しむように手を振るい続けた。
牛車が徐々に離れて行き、見えなくなったところで店外が
「先ほどのは何だったんですか?」
「私の故郷ではお盆と言って先祖の霊を迎える行事があるんですよ。ただお客としてお越しになるなんて初めての体験でしたけど」
「じゃあアニに言っていた日数って」
「アニさんから聞いてたんですね。アレは迎えてから送るまでの期間です」
「と言う事は来年も?」
「可能性はありますが、先ほどみたいに冷や汗を掻きたくないので呼びたくはないですけどね」
「…ごめんなさい」
あの時ナオと総司が止めなければ自分はどうなっていたのだろう。
そう思うと不安と恐怖が過り、震えながら謝る。
対して総司はいつもの微笑を浮かべ「温かい飲み物でも用意しましょうか。砂糖多めのホットミルクなど如何ですか?」と二人を居住スペースへと促す。
誘われるまま付いて行くミカサとアルミンは今日の事は決して誰にも言わないと誓い、クーラーの効いた一室で甘いホットミルクを飲むのだった。
●現在公開可能な情報
・お盆の夜間メニュー
いつものお客と異なり、中には意思疎通も難しい方も居る為にその日その日で提供する料理は二択で決められている。
夏場と言う事で南蛮漬けや素麺、茄子料理がほとんどで、ミカサとアルミンが訪れた日は冷やし中華の日であった。
お酒も同様にビールかウイスキーにしていた。
二択と決めていたのは意思疎通もあるが、一人一人聞いていたら調理から運ぶことも考えて身が持たないと判断して簡略化を図ったのもある。
倒れたりすればアニかユミルより強制的にストップがかかるのでそれだけは阻止したかった…。