進撃の飯屋   作:チェリオ

85 / 123
第68食  すき焼き 弐

 疲れた…。

 身体の節々は痛み、座り続けた尻や書き続けた腕は痺れが残り、酷使した脳はガンガンと鐘を鳴らす。

 圧倒的なまでの人手不足に次々と押し寄せて来る膨大な仕事量。

 人を増やしたくとも任せられる能力と信頼に足る人物など限られるうえにすでに彼らもオーバーワークで疲労困憊。

 仕事量を減らせば政治機能が著しく低下する事案も多くあって国自体が停滞しかねない。

 使える僅かな人員を酷使して黙々と山の様な仕事を熟して耐えるしかなく、こうなる事は辛くも自ら望んだ結果となれば受けなければならないだろう。

 そうは思っても疲労によって重い身体に、心情を吐き出されるため息は止められはしない。

 

 ―――が、本日に限ってはそれらが多少なりとも緩和される。

 

 明るい灯りが降り注ぎ、程よい風が我が身を包む。

 座る椅子の座り心地は心地よく、カチリカチリと音を立てる時計の音は落ち着かせてくれる。

 ここの所忙しくて休む暇も無かったダリス・ザックレーは深夜の食事処ナオにてホッと安堵の吐息を漏らしていた。

 

 「お疲れ様です」

 「うむ」

 

 総司の微笑を受け、差し出されたビールジョッキを受け取るとカウンターに置く事無く煽る。

 グビリグビリとビールが喉を通り過ぎている音が静かな店内に響く。

 きめ細やかな泡が髭に付着しようとも気にせずに、ビールはジョッキからザックレーの口へと流れ続け、あっという間に底のガラス面が顔を覗かせる。

 一気にビールを飲み切り、代わりにプハァと息を吐き出してにっかりと笑う。

 

 「この一杯が美味い」

 

 疲れた身体に冷たくスッキリとしたほろ苦さが美味さとなって流れて五臓六腑に染み渡る。

 苦いというのにこの甘美なまでの旨さは一体どういうことなのだろうか。

 ジョッキをカウンターに置いたザックレーは、期待感を込めた視線を厨房へ向ける。

 本日は溜まりに溜まった疲れを発散すべく食事処ナオに訪れたのだ。

 ただし注文したのは“焼肉”ではなく“すき焼き”である。

 

 まったく、顔を合わせる度に自慢するように話しおって。

 おかげで食べたくなってしまっただろうが。

 会議の度に顔を合わせる元エルディア王を思い浮かべながら心の中だけで悪態を付く。

 

 厨房では鍋に具材が盛られ、割り下が注がれて肉に野菜、そして香ばしいタレの匂いが充満し、一呼吸する度に空腹感が刺激され期待値がグンと跳ね上がる。

 同時にピクシスが進めてきた“ハイボール”の準備が行われる。

 冷えたグラスに氷がコロンと音を立てて入れられ、トクトクトクとウイスキーが氷を僅かに溶かしながら注がれる。

 そして最後にコーラやサイダーの比ではないほど強い炭酸を持つ、強炭酸水が混ざり出来上がる。

 

 「お待ちしました。注文されたすき焼きとハイボールです」

 

 カウンターにコンロが置かれ、出来上がったすき焼きが入っている鍋が乗せられる。

 内容はレイス家で披露した物と同じで焼き豆腐、長ネギ、ゴボウ、椎茸、白菜、春菊、麩、榎茸も入っているのだがそれらは鍋の半分以下のスペースに追いやられ、ザックレーの注文の残りのスペースを肉が埋め尽くしている。

 さらに追加するであろう事から後で投入ように肉も準備され、傍から見ればどれだけ肉を食うんだと突っ込むだろう。

 

 まったく気にもしていないザックレーは、最初はやはり主役であろう牛肉を口にしようとする。

 焼肉の肉と違って薄く大きい。

 ようやく慣れてきた箸で挟み、鍋より持ち上げると器に置く事無く、そのまま口内へとぶち込む。

 醤油の香ばしい塩気により引き上げられた甘みが、牛肉の旨味と共に口いっぱいに伝わり、籠っていた熱量が旨味や肉の柔らかさを強調する。

 ピリッとした辛味やフルーティさがある焼肉のタレとは違うも、この濃厚で深みのある甘さというのも中々に良い。

 熱と味わいが籠っている内にハイボールを流し込む。

 バチバチと強い炭酸が喉を叩き、度数の高いウイスキーが体内で焼けるような熱を生み出す。

 ウイスキーの香り高さが鼻から抜け、後味だけが残る。 

 この美味さもまた食事処ナオでしか味わえないものだなとしみじみ理解する。

 エルディアでは火酒(ウイスキー)と言えばストレートか水割りで、貴族や裕福な者など一部はロック()で飲む。

 しかし炭酸というものはここにしかなく、強炭酸なんて物も勿論他にはない。

 

 酒で食うのも良いがライスが欲しくなるのも道理の味わい。

 二切れ目は純白のライスの上に乗せ、じわりと肉に沁みていたタレがライスに移り、下から掘り起こすように肉と一緒に掻き込む。濃い目の旨さがほんのりとした甘味を帯びたライスに絡まり、相性の良さから茶碗に収まっていたライスの二分の一が一枚の肉で消費し切ってしまった。

 

 「ふむ…これもまた魔物だな。ライスも酒も進むから肉を食うよりも腹が膨れそうだ」

 

 美味過ぎて困り顔を見せたザックレーであったが食事をするその手は止まる事は無い。

 今度は摘まんだ肉を溶き卵が入った器に下ろし、三分の一ほどが浸かったところで口へと放り込む。

 生卵のとろりとした食感に、玉子の味わいが濃厚で甘じょっぱいすき焼きの味にまろやかさを加える。

 しかも玉子が肉を包むものだから舌触りどころか喉を通るのも非常に滑らかの飲み込み易い。

 

 これはライスで食うべきか、ハイボールで流すべきかと悩み、最終的にライスと一緒に食べてハイボールで流す事に。

 ぷはぁと息をついたザックレーはふと思い出した事を口にする。

 

 「そう言えば出店するらしいな」

 「はい?」

 「祭りの出店だよ」

 

 新エルディア王の戴冠式を祝うのを目的とした祭り。

 エルディアは勿論、マーレやヒイズルからも観客としても商売をしようする者も多く訪れる。

 露店も各国の料理人が出店する話になっており、確保した場所に対して応募が多すぎて倍率が跳ね上がっていた。

 総司もその露店に応募しており、運が良く抽選を通ったのだ。

 …まぁ、食事処ナオの場所取りはリーブス商会に任せたり、出店したのをピクシス司令やエルヴィンが耳にしていたり、マーレ国のジークにヒイズル国のアズマビトにエルディアのヒストリアなどが楽しみにしたり、抽選の選考委員長を儂が行っていたりしたので何処かで不正が働いていても可笑しくないがな。

 

 「えぇ、私は勿論ですけど従業員の皆さんも稼ぎ時だって参加するようで」

 

 ニコリと楽しそうに言うが総司に与えた(・・・)場所は“緩衝地帯”と言われて他の出店者は心から嫌がる場所である。

 総司に食事処ナオの従業員纏めての場所取りとなった為に、食事処ナオは広い場所を求めた。けれども倍率が高過ぎてそれほど纏まった場所は取れず、ここで言いならと勧められたのがマーレとエルディア露店が並ぶ中間地帯―――それが“緩衝地帯”と呼ばれている場所だ。

 エルディア人の多くがマーレ人を憎んでおり、マーレ人の多くはエルディア人を蔑んでいる。

 何年、何十年と続いた人種間の関係が早々変わる訳もなく、両国の露店エリアが接する所は空白地帯を設けられたのだが、どうも担当者は総司を東洋人、つまりは“ヒイズル国関係の人”と認識してしまい、それならば問題ないだろうと渡してしまったのだ。

 確かにヒイズル国はエルディア国には恩人であり、マーレ国とは長年貿易やらで関係を持っていたのでエルディアとマーレの様に敵対する事は無いだろうが、営業しにくい場所であることは変わらない。

 しかしその事をザックレーは指摘しない。

 どうせ料理馬鹿の総司の事だから気にしないだろうからな。

 決して飲み食いするのに集中して口にし忘れたとかではない。

 

 話を聞きつつ思考していたザックレーは手は止めず、食事を続けていたがその手も具材がなくなると止まってしまっていた。

 食材が尽きて止まった…と言う訳ではない。まだ用意して貰っていた追加の肉だってある。

 ただ油が回ってしまって身体が待ったをかけたのだ。

 まだお腹には余裕があり、追加の肉が目の前にある事から口惜しく感じるもこのまま食べても美味しくは無いだろう。

 今日は諦めるしかないと思っていると、察した総司がにこりと笑う。

 

 「味を変えられますか?」

 「すき焼きと言うのはレパートリーがあるのか?」

 「はい。トマトは大丈夫ですよね」

 「あぁ…任せるよ」

 

 シメでウドンかライスを入れるというのは聞いてはいたが、レパートリーがあるというのは初めて耳にした。 

 しかもトマトを使うと言うのはどういうことなのだろう。

 甘じょっぱいタレにトマトを浸けるのかと考えていると、総司はタレの残った鍋にカットしたトマトをドバっと多めに入れ、追加の肉とバジルの順番に乗せて蓋をして少し煮た。

 蓋を開けるとふわっと湯気が舞い上がり、すき焼きの香りにトマトの匂いが混ざって広がった。

 

 「トマトすき焼きです」

 

 そう言われたがザックレーは怪訝な顔を見せる。

 本当に切ったトマトを入れただけのすき焼き。

 見た目も茶色っぽかったのがトマトが入って赤く見えるのは異様にも捉え、本当に美味しいのかと言う不信感からすぐには箸が伸びなかった。

 何度覗き込んでも鍋の中身は変わる事は無く、総司は微笑を浮かべるばかり。

 疑っている訳ではないのだがこうも見た目も変わり、味の想像がつき辛くなった事で戸惑いはしよう。

 だが、何時までもこうしている訳にもいかず、恐る恐る箸を伸ばして一枚の肉とトマトを摘まんで食す。

 

 「……美味い…」

 

 ぽろっと言葉が口から洩れた。

 熱されて食感がとろっとしたトマトは甘味と旨味が増し、本来の酸味は脂と混じるも全体的にさっぱりとしたものへと変えていた。

 何よりすき焼きのタレと味も食感も合うのだ。

 これは良いと箸が進む進む。

 同時にハイボールの消費量も上がっていく。

 

 美味い料理に美味い酒で疲れは癒え、すき焼きを食べきって満足気にお腹を撫でるころにはザックレーは酔いが回ってしまい、一人では歩くことも出来ずに馬車まで総司が肩を貸して行く羽目になってしまった。

 大変ではあるもののそれだけ満足そうに食べて頂けたという事で総司も嬉しそうだったが、次はこんな事の無いようにしようとザックレーは心に硬く決意するのであった。

 

 

 

 翌日、会議の途中で抜け出して食事処ナオにトマトすき焼きを注文しに来たエルディア王の姿があったとか…。




●現在公開可能な情報
 
・会議参加者の悩み
 何故か遅刻者や突如として抜ける者が目立つようになった。
 国家間の会議やエルディアの重要会議でやられると信用的にも仕事的にも問題を抱える事になる。
 しかしそれはマーレ側もヒイズル側も同じであったりする。
 にも関わらず会議する者は別段問題にすることなく、寧ろ円満に進んでいるようで、参加している食事処ナオに訪れた事のない者らは不思議そうに首を傾げるのであった…

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。