昼食頃を過ぎ、午後のティータイムを楽しむ時刻。
とある人物が長年会う事が叶わなかった友人と会うべく、待ち合わせに指定された喫茶風の露店に訪れていた。
本当はこのような騒がしい祭りの露店で会うよりは静かな喫茶店の方が良かったのだが、昔と違って別の意味で大きく動けない身としては、誰の目にも止まり難いこういう場の方が好都合なのだ。
あれから何年…何十年の年月が経ったのだろうか。
出会ったのは幼い少年だった彼も青年となり、家庭を築いて子供も成人した。
そんな彼を任務のためとは言えマーレからエルディアに送らねばならないのは心苦しかった。
かなりの月日連絡がなく、亡くなってしまったかと思っていたので、こうして面として会えるというのは心から嬉しく思う。
食事処ナオの露店が一つ、カフェ風のテーブル席に腰かけた“エレン・クルーガー”は、周りからは無表情にしか見えない微笑を浮かべ、姿勢を正したまま動かないグリシャ・イェーガーと対面していた。
そしてその子供であるジーク・イェーガーも同席している。
私が居るからかこの親子に会話は無い。
クルーガーは注文したカップに口を付ける。
積み立ての果実の様に瑞々しく、爽やかなフルーティーな風味と緩やかな渋み。
香りはそこまで強くないのでお淑やかな印象を受ける。
ブレンドにしても良いが、こうしてストレートで頂いても飲み易い。
エレン・クルーガーはマーレ治安当局で働く職員であるが、その実態は“エルディア復権派”の重鎮。
自らマーレの懐に入り込んで諜報活動を行う。
復権派内でも存在自体は知られていても、ほんの一部にしか顔どころか名前も知らせていない。
その為か“フクロウ”という名で呼称され、マーレでは最重要危険人物とされ探されていたりした。
まさか治安当局に入り込んでいるとは露とも知らずに…。
灯台下暗しとはよく言ったものだな。
ごくごくと飲んでいる訳ではなく、ちびちびと少量ずつ飲んでいるにも関わらず、紅茶は時間と共に無くなってしまう。
それだけの時間が過ぎているというのに一向に会話はない。
最初に集まった際に挨拶をしてから口を利いて無い気がする。
別に何かしら急ぎの予定がある訳でも立て込んでいる訳でもないので、時間にはゆとりがあるのでこうした穏やかな午後を過ごすのは構わないのだが、少々手持ち無沙汰なのは確かだ。
さて、どうしたものかと考えるも小腹も空いているので、何かしら頼むかとメニュー表を開く。
小腹が空いたと言っても年齢もあって、食が細くなってそれほど食べられる訳ではないが…。
グリシャと出会ったのは彼が十代の少年だった頃。
すでに治安当局に在籍し、とうに二十代後半を過ぎた身であった。
あれから時が過ぎ、グリシャは復権派の中核を担う様になり、彼にならと王家の血を引いていたダイナ・フリッツを任せ、それがきっかけとなってグリシャとダイナは交際を始め、二人の間には結婚して子供が生まれ、その子供はすで成人して戦士隊の隊長を務めた。
歳をとる筈だなと思いながら、注文すべく店員に声掛けをする。
ケーキと先ほどの紅茶を頼み、グリシャとジークも何か注文しないのかとようやく挨拶以外で彼らの声を聴く。
しかしどうした事か様子が余所余所しい。
数十年ぶりの再会ゆえに距離感が掴めないでいるのだろうか。
それだけという感じではなさそうだが、他に思い当たる節が無いので話してくれない限りこの場で知る術はない。
「お待たせしました」とあまり時間も掛からずに店員が、席に注文した紅茶とベーシックな苺のショートケーキを運んできた。
食だけでなく、脂分の多いものにも弱くなってしまったしまったとは言え、ショートケーキ一個程度は食べきれる。
それにロールケーキやミルクレープほどホイップクリームが多い訳でもないしな。
ケーキ用フォークで一口分を切り分け、崩れないように刺して含む。
甘さ控えめで、ふんわりと柔らかなスポンジケーキ。
非常に軽く、包み込むような優しい滑らかな口当たりと、後を引きそうな甘さと風味を持つホイップクリーム。
小さくカットされホイップクリームと共にスポンジケーキの間に挟まれた果汁たっぷりで瑞々しい苺の酸味。
悪くない。
否、寧ろ良いなコレは。
しつこ過ぎるどころか苺の酸味でさっぱりとしながら、含んだ時にはっきりと味わいを主張する。
紅茶の風味とも相性が合うので、非常に心地よい。
これならともう一つぐらい頼むかと再びメニュー表を開け、さっさと店員に追加の注文を告げる。
ゆったりと会話の無い無意味にも感じる時を、苺のショートケーキと紅茶を味わいながら楽しむ。
復権派が表舞台に立てた以上、以前ほど忙しく裏でこそこそ策略を巡らす事もない。
これからはこういう時の過ごし方の方が多くなるだろう。
立場ある身であったが復権する事には尽力したが、新たに設けられる政治に深く関わる気はない。
一応そういった話もあったが全て断った。
もう私も歳なのだ。
残りの人生はゆったりと過ごさせてほしいものだ。
ただ私の想いがあるように誘った同志にも考えがあり、せめて相談役だけでもという頼みぐらいは聞いてやるべきだろうな。
ショートケーキを食べながらそんな事を考えていると追加の注文が届けられる。
追加で頼んだのは小粒の苺がたっぷりと乗ったベリータルト。
見た目も鮮やかで美味しそうだ。
早速食べようと思うもまだショートケーキが残っているので、先にそちらを食べきってから楽しむとしよう。
黙々と黙ってそれぞれケーキを味わい紅茶を飲む。
それだけの時間が過ぎていく。
急く事無くゆったりと食べきったクルーガーはベリータルトにフォークを差し込む。
甘くも酸味ですっきりとしたベリーソースに、プチプチと小気味よい食感を立てる苺の種。
下にはまろやかでくちどけの良い濃厚なカスタードクリーム。
底や側面を覆うタルト生地は香ばしく、カスタードに残っていた水気を帯びてしっとりとしている。
口の中でほろりと崩れるタルト生地に蕩けるカスタードクリームとベリーソースが合わさって、見事なハーモニーを奏でる。
自然と頬が緩む。
ベリータルトに舌鼓を打っているとようやくグリシャが口を開き始めた。
美味しいケーキで口が滑らかになったか、それとも過ぎ去った時間で重い腰を上げたのか。
どういった理由でも場が動くのだ。
積もりに積もった彼の話を聞くとしよう。
私が知らない空白の彼の物語を…。
紅茶を含み、タルトを食べながらエレン・クルーガーは耳を傾けるのであった。
世界を照らしていた太陽は地平線の彼方に沈み、星々が姿を覗かせる夜空に月が昇る。
祭りの熱気と賑わいに誘われ、ついでに夕食でもと訪れる客は多く居た。
そんな中をマーレ軍側の警備部責任者の一人を務めさせられているテオ・マガトは、ぼんやりと眺めながら歩いていた。
彼は戦士隊のリーダーを務めた戦士長ジークの上官で、戦士隊の隊長を務めたマーレ軍人。
今回エルディアで開催された祭りではエルディア人とマーレ人の衝突を抑えるべく結成された、共同の警備部隊マーレ側の責任者を務めているが、戴冠式が無事終了して帰国するとマーレ軍元帥の地位が用意されている。
これは彼自身がジークに協力したり、取引して用意させた地位と言う訳ではなく、近くにいたからこそ彼の有能性を知ったジークの推薦である。
テオ・マガトと言う人物はマーレ軍人の中では“まとも”と言うよりは非常に“出来た軍人”であった。
威圧的な態度を取ったり、人種差別的言動を口にする事もあるが、それらは軍人としての上下関係や政府が設けた規律を厳しく認識されるためで、本人の差別意識は非常に薄かったことは接したエルディア人の誰もが理解していた。
決断力は早く、判断能力は高く、凝り固まった常識を合理的に思考して時には破る柔軟性。
私利私欲や一時の感情よりも先を見通して最善の行動を取れる優秀な軍人で頼れる指揮官。
そう認識されていた上に、復権派が政権を奪っても軍を纏めれるほどの高い能力を持った者がいないし、僅かでも経験をした者も居ない事から彼が元帥へと選ばれたのだ。
しかし本人はその評価を嫌味としか捉えていなかった。
なにせ部下であったジークにまんまと出し抜かれて、軍どころか政府機能を完全に抑えられたのだから。
逆にジークが彼を警戒したからの結果だとしても、本人としては許す事が出来ないだろう。
「どうした浮かない顔をして」
「いや、少し想うところがあってな」
先を歩くエルディア側の責任者の一人であり、以前は調査兵団の団長を務めていたというキース・シャーディスの言葉に苦笑いを浮かべて答える。
キースとは陣営が違うとはいえ同じ責任者として、何度も顔を合わせていた程度の付き合いで、とても仲の良い関係は無かったのだが、戦士隊に所属していた部下が現在は訓練兵を育成していた彼の教え子だと言う事を知られて飲みに誘われたのだ。
別段断る理由もなかったし、一人居ても悶々と悩む日々だったのでこうのも良いかと誘いを受け、彼の先導の下で飲みに向かっている。
すでに夜間の責任者とは引継ぎを済ませているので、今夜の仕事は無いので酒を飲んでも何の問題もない。
自棄になってる気もしないが、それこそたまには良いだろう。
「まぁ、お互いに語る話題に困る事は無いだろう。それと旨い肴を摘まみに飲むのも一興と言うもの」
「毎日では困るがな。それでお勧めの露店は遠いのか?」
「いや、もう見えている。あそこだ」
示された先にあったのは警備隊の間でも話題になっていた緩衝地帯にある露店群だった。
当初はあんなところで露店をやったら揉め事に巻き込まれるだろうと迷惑に思い、日が過ぎる毎に「あの店の料理は美味い」など賛辞が増え、今日なんてカフェか茶屋どちらが美味しいかで論争が勃発したぐらいだ。
それ以上に露店を開いている食事処ナオと言う店はマガトにとっては送り込んだ戦士隊の面々が虜にされ、今も尚働いていると関りの有る店だっただけにため息交じりに「あの店か…」と呟く。
周囲の喧騒で掻き消えてキースの耳にまで届かず、カウンター席に座り込んだ。
左右にある茶屋とカフェで働いている元戦士隊の面々の視線を感じながら、続いて隣の席に腰を下ろした。
「ビールを二つ頼む。あぁ、勝手に頼んだがビールで良かったか?」
「エルディアの酒事情には疎くてな。任せるよ」
一応ジークの報告書で知ってはいるがそこは詳しく語らなかった。
アイツ食べる事が仕事ですとでも言いそうな勢いで食事事情ばかり書きやがって…。
深夜に報告書を見て空腹感に何度かられたことか。
忌々しく思い出していると曇りの無いガラス製のジョッキに、透き通るような黄色い液体が注がれ、飲み口に細かな泡で蓋をしてカウンターに置かれた。
報告書に合った通りの実物に興味が湧く。
「では乾杯」
「乾杯」
カンと音を立ててジョッキを当て、ジョッキに口を付ける。
歳をとった事で美味いと感じてしまう苦みに炭酸の刺激、きめ細やかなことから口当たりの良い泡。
ゴクリと飲むとすっきりとした味わいと共に心地よい喉越し。
呑み込む度に喉が音を立て、ジョッキの中は当然ながら減っていく。
ぱふぁと同時に飲み干して息をついて、ジョッキをカウンターに下ろす。
「美味いだろ!エールも良いがこいつも堪らなく美味い。特に最初の一杯は最高にな」
「ほぅ…
キースが自慢するように語る中、ぽつりと言葉を漏らす。
エルディア人で行動も食事の幅も自由が利き辛かったジークは知らなかったかも知れないが、このビールと呼ばれるラガーはマーレには存在する。
以前はエールが主流だったというのに、ラガーが流通するようになって一気に酒の勢力図が塗り替わったのは記憶に新しい。
まさかエルディアにもあったとはと考えたところで、報告書に他国から潜入した者の可能性を示唆していた事を思い出し、これは本当にそうなのではと警戒を高めるには充分であった。
今後もエルディアと関係を持つことを考慮すれば背後関係を洗っておく必要はあると、頭に留めつつも今は酒と料理を楽しむとしよう。
「―――うにくれそん?」
品書きを眺めたところでまったく聞き覚えのない料理名が目に留まった。
名前から想像がつかない事と、値段が他に比べて高めである事から頼み辛い。
高くて不味いなど論外でしかない。
そう判断して別の品に目を向けようとしたところ、今の呟きはキースに届いてしまった。
「ウニクレソン?なんだそれは…とりあえずそれを二つ頼む」
反応からキースも知らない事は明らかだというのに、即座に注文した事に驚きを隠せない。
その視線から察して「ここの料理は外れなんてないから、知らないから手を出さない行為は愚策になる」と断言してきた。
頼んだ以上は口にしようと興味有り気に眺める。
注文を受けた総司は鉄板にポトリとバターを落とし、溶けだすとその上に大量のクレソンを置いて炒め始める。
クレソンのバター炒めかとぼんやりしていると、溶けたバターと絡まったクレソンに多めのウニが投下されて、目を見開いてしまった。
内地にあるエルディアでウニだと?
それも時間帯は夜で何時とったかは知らないが鮮度も落ち、下手をしたら腐っているのではないか。
水槽に入れて今捌いた様子はなく、箱に入れた状態で出てきた事からその可能性が高い。
顔を顰めながら見ている最中、タラリと醤油が垂らされて、じゅわりと香ばしい匂いを発生させる。
ヘラで全体に絡めるように回して出来上がったウニクレソンを皿に盛り、カットされたフランスパンを乗せると出来上がって二人の前に差し出される。
「お待たせしましたウニクレソンです」
「これはまた美味そうだな」
早速と言わんばかりにフォークでウニクレソンを口へと運んだキースは、噛み締めると頬を緩ませてジョッキに手を伸ばす。
しかしビールは先ほど飲み切っており、非常に悔しそうな表情を浮かべる。
「ビールのおかわりを!いや、瓶ごとでも構わない」
反応から酒の摘みとして良かったのだろう。
自分も注文すべきか悩むもとりあえず味見してからだと一口含む。
「――――ッ」
声にならなかった。
火が通った事でしんなりとしたクレソンは食感だけでなく独特に苦みも優しく親しみ易くなっており、そこに濃厚なウニのまろやかさを伴う苦みと甘味。
どちらも癖のある苦みを持つもの同士。
反発し合うどころか合わさる事で高みに至る。
香ばしく塩気のある醤油が食欲を誘い、後を引く苦みに深みを持ったコクが酒を進ませる。
表面をカリッカリに焼かれたフランスパンに乗せて食べても美味しい。
量に対して高い料理であるが、この美味さを知ってしまえばもはや納得せざるを得ない。
「確かに美味いな。こんな美味い物をエルディアでは毎日食べているのか?」
「いや、もっと質素な物さ。冬になると物流も止まって毎日芋料理ばかりだ。
「そうか。なら今のうちに食いだめしておくのも手か」
「良いのか?二度と戻れなくなるぞ。総司は料理だけじゃない。酒も逸品ぞろいだ」
「安い挑発だな。良いだろう乗ってやろう」
キースに習ってマガトも瓶ごとビールを注文し、互いにビールをジョッキに注ぎ合ってがぶがぶと飲み干す。
もう食中毒の疑いや食事処ナオの背後関係の洗い出しなどは、思考の片隅どころか綺麗さっぱり消え去ってしまっていた。
独特の風味と苦味を持つウニクレソンが酒を欲せさせ、酒によるアルコールが口を滑らかにする。
「私なんぞ兵を率いれば多くの者を失い、何の戦果すら持ち帰れなかった無能だぞ。それに比べてアンタの部下は優秀揃い。実際優秀な成績を収めて卒業して行ったしな」
「それは私が有能と言うより奴らが優秀だったからだ。そんな優秀者を抱えておきながらこの様な私が無能な証明ではないか」
「でも元帥に推薦されたのだろう?それこそ有能な証ではないか。私の唯一の功績など早めに団長の座から降り、優秀な指揮官を団長にしたぐらいだぞ」
「違うな。確かに指揮官として無能だったとしても、貴方は教官として優秀だった。言っていたではないか。私の優秀な部下を格差をつけた訓練兵が居たと」
「アンタが言ったのと同じだ。私が鍛えるまでもない才能がそいつにあっただけの話だ」
酔いの回ったキースとマガトは饒舌に自分を卑下しては相手を慰めたり喋り続ける。
その頃になるとウニクレソンは食べきっており、メニューに書かれている品と次々に注文し、水を飲むかのように酒を呷り続ける。
日頃の鬱憤を晴らすかのような二人はにこやかな笑顔を浮かべながら、心から楽しい一時を過ごす。
翌日、体調不良を理由に両者とも休んだのは言うまでもないだろう。