雄英高校の誇る施設の中の一つに、全校生徒の八割を収容できる大食堂がある。プロヒーローである『クックヒーロー』ランチラッシュが、名店に劣らぬ食事を格安で提供してくれるとだけあって、平日昼時の混雑は凄まじいものがあった。
「いやー、でもびっくりしたわ。早乙女さんがまさか男子やったなんて……いまでもちょい信じられへんもん」
「ぼっ──俺も驚いたよ。しかし、そうだと思って見れば確かに所々男性的でもあるな!」
「けろ。……ちなみに飯田ちゃん。その『男性的な所々』って具体的にはどこかしら」
「すまない。嘘を吐いた。身長と体の起伏くらいしか思い浮かばない」
「「謝罪が早いなおい」」
名店の美味に舌鼓を打ちながら、クラスで大体固まっている一年A組の生徒たちの話題は、もちろん早乙女 天魔という生徒についてだ。
事情ありきの留年生で、絶世の美女な容姿で実は男子で、個性がとんでもねぇ反則(女子談)な、もう話題しかないクラスメート。
用事があるとのことで現在この場にいないが──いないからこそ、失礼だとは思いながら話題にしやすいのだろう。
「……ねえ切島ー。率直に聞くけどさ、男子は早乙女のこと、男子扱いできそうー?」
「あー、いますぐに、って言われると無理だなぁ。時間をかければもしかして、って感じだ」
同じ中学の出身である芦戸が切島に問うが、その返事は名前に反して切れ味が鈍い。時間をかけても『もしかして』レベルなのは何故? と女子陣の数人が視線で続きを促した。
「いや、だってよぅ……外見はもうしょうがねぇけどさ。早乙女の言葉遣いとか動きとか、もう全部が女子じゃねぇ?」
「「「あー……」」」
賛同するように頷く男子と、その言葉に納得してしまう女子。
授業中もそうだが、数回の休み時間でのやり取りを思い出しても、男性的なあれこれが一切無いのだ。
「俺は申し訳ないけど、トイレと更衣室は使わないって聞いて、ちょっとホッとしたよ。意識するなっていうのは、流石に無理だって」
「……!(コクコク)」
「切島の言う通り、同性扱いをいますぐにしろ、というのは無理だ。ならばと言って、女性扱いしない、というのが、どういうことなのかもイマイチな……」
「どう見ても年上のお姉さんだもんな! いま『実はドッキリでした!』って看板出されても納得できるぜ俺は」
気まずそうに心中吐露する尾白に続き、口田と障子が続く。上鳴が笑って言えば、少なく無いメンバーが周りをちらりと窺った。
「……で、さ。……爆豪はあれ、どうしたんだ? なんか、ずっと機嫌悪そうだけど」
「ウチらが聞きたいっての。……まさかとは思うけど……早乙女に惚れてたとか」
「おい聞こえてるぞクソ髪にクソ耳」
人を殺せる目。これは実際何人か殺してる目。そんな眼光でジロリと睨んでくるヒーロー志望。
凄まじ過ぎる暴言アダ名に一同が唖然とする中、爆豪は激辛カレーの上に更に唐辛子パウダーを掛けた味覚の暴力をガツガツと食べていく。
(クソが……!)
最初に言っておくが、彼の『これ』は、おおよそ恋愛感情と呼べるものではない。
爆豪と天魔の初対面は、クラスの大半と同じく入試の実技試験。だが出久たちのように、救助されたわけでも、況してや、治療を施されたというわけでも無い。
上昇志向──いや、もはや頂点志向と言っていいほどトップを望む爆豪は、入試の実技試験など、気にも留めない通過点と考えていた。
実際、同じブロックに振り分けられた受験生を端役やら踏み台と決めつけ、『爆破してはいけない動く障害物』レベルの認識しかしていなかった。
ただ一人。
……早乙女 天魔を除いて。
黒い棒に腰掛けるように座り、鋭い速度で飛翔する女。モブ・端役と括らせることを躊躇わせる美しい容姿に一瞬呆然とし……すれ違い見送った先で、目を見開いた。
落ちてくる無数の瓦礫。その落下地点にいるのは、腰の抜けた数名の受験生。
女は更に加速。爆破による加速で、瞬時速度には自信を持っていた爆豪を軽く抜き去る速度で、瓦礫よりも早く落下地点に到達。
そしておもむろに片手を上に挙げ、掌を天にかざし──
衝撃。
その掌から何かが弾け、それが無数の瓦礫を小石レベルに粉砕し、さらには吹き飛ばしたのだ。
結果だけ見れば、爆豪も同じことができるだろう。だが、ノータイムでは無理だ。数秒の溜めがいる上、周りへの被害も相当出るだろう。
それを、何事もなく。
──プライドの塊である彼が、認めざるを得なかった。それだけでも認められないというのに、相手はなんと女なのだ。
『女に負けた』……それが、何よりも許せなかった。
実技試験が終わって、猛る感情のまま白黒付けようと挑みかかるが、結果は最初の不意打ちの爆煙がギリギリ掠っただけ。追いかけようとしても空中は相手のフィールドであり、楽々と逃げられてしまって不完全燃焼。
試験後……『決着は雄英で付ける』と、相手の合格を無意識に確信していたことにも立腹。幼馴染で同じ中学のモサモサ緑頭のことなど、もはや忘我の彼方だ。
そして、いざ入学してみれば……自分が(大変遺憾ながら)認めた女が、忘我の彼方に居た幼馴染と仲良さげに話している。
腹が立った。
続く個性把握テストでは、空を自由に飛ぶ女に対して空中戦用にいくつか考え出した個性応用を見せつけるが、意識すらされていない。それどころか、またデクの方に寄って行く。
腹が立った。
最後のボール投げに至っては、ただ呆然とすげぇと思わされてしまい──また、腹が立った。
担任から留年生だの、その上、雄英ヒーロー科でも上位だの。プライドが再び揺さぶられたが……爆豪の顔は、それはそれは血に飢えた、獰猛な獣のような笑みを浮かべていた。
──越えるべき壁は高い方がいい。なにせ、ぶっ壊し甲斐がある。
そんな信念を定めた翌日に、実は男だったという暴露。しかも、木偶の坊の代名詞たる幼馴染はそれに気づいていたという。
自分が見抜けなかったことを、淡々と格下のナードが気づいていた、それが何よりも、何をおいても、気に入らない。
「はっ……男だろうが女だろうが、関係ねぇだろ。ぶっ潰して俺が上にいく。ただそんだけだ」
言葉にする。
その通りなのに、それでいいはずなのに。イライラは落ち着く気配を一向に見せなかった。
この場にいない、早乙女 天魔。そして緑谷 出久。
その事実を振り払うように、爆豪はカレーにさらなる赤い山を作り上げた。
***
『オールマイトの事務所の事務員』
『オールマイトとは母方の従兄弟で親戚』
『五年前にヴィランとの戦闘に巻き込まれて重傷を負い、オールマイトが罪悪感を覚えてしまっているようでなんとかしたい』
──以上の三点が、オールマイトこと八木 俊典が一晩で考えたシナリオだった。探せばいろいろと粗は出てくるだろうが、一先ずはこれで問題ないだろう。
緑谷の紹介と、互いの自己紹介。そして上記の説明を終えて……所謂
……剥き出しにした、脇腹の傷。生々しい手術痕が腹部全体や胸部にまで広がり、肌の色さえ変色している。
そこに、触れないように手を翳して、目を閉じて集中している天魔がいた。
(……なんというか、不思議な気分だ。早乙女少年はまだ学生なのに、なんだかリカバリーガールや本職のドクターに診てもらってる気分だよ)
咄嗟にオールマイトと呼んでしまう可能性が高いため席を外してもらった緑谷が、最後までオロオロハラハラとずっと落ち着きがなかったからこそ、余計にそう感じるのだろう。
子供の頃の一歳の差は大きいんだなぁ、と、どこかズレた感想を抱きながら、オールマイト改め、八木 俊典は天井を眺めた。
しばらくして翳していた手を離し、吐息を一つ挟んで、天魔は緊張を解く。
「──怪我による胃の全摘。そして、肺を始めとした呼吸器官の半壊。……そこから連鎖するように、内臓の殆どに相当な負荷が掛かってますね」
「正解だよ。けど、えーと……連鎖、というと?」
「まず、胃の全摘に伴って──慢性的な極度の食欲不振と、他の消化器官の消化不全。それによる栄養失調から、肝臓や腎臓にも影響が出ています。そして、呼吸器の半壊で軽度の低酸素症になって疲労を上手く回復できないようです。それに、睡眠不足もかなり。
あの……失礼ですが、なんで入院していないんですか……?」
──診断結果は、本人が思っている以上に深刻だったらしい。
かなり深刻そうな顔で、今にも119番通報しそうな天魔が、よりそう思わせた。
「た、担当の医師からはちゃんと許可はもらっているんだよ! それにほら、薬も処方されているから、それでなんとか。
それで……その、治せそうかい?」
藁にも縋る……そんな声を聞いて。
しかし天魔は、ゆっくりと首を横に振った。
「……申し訳ありませんが、お力には成れません。怪我を負った直後ならまだなんとかできたかも知れませんが……負傷した臓器を治療するならまだしも、摘出した臓器を丸ごと作ることは、できません。
なにより、時間が経ち過ぎています。すでに八木さんの体が『今の状態が本来のものだ』と、認識している可能性がとても高いんです。仮に新しい臓器を移植したとしても……適合せず、かなりの確率で合併症を引き起こす可能性があります」
その回答を聞き、オールマイトは……静かに目を閉じた。
治療不可……その事実にショックは、ない。
(──わかっていた、ことじゃないか。勿論、もしかしたら、と考えなかったわけではないが……それでも、覚悟はしていたはずだ。
自分が落ち込むよりも、悲嘆に暮れるよりもまず先に、世話と手間と──私のせいで要らない無力感を背負わせてしまった生徒を思うべきだろう。緑谷少年にもかな。彼は特に、自分を責めやすいから)
目を閉じたまま、まず感謝を告げようとして──「ですが」と続けた天魔の言葉に、目を開いた。
「抜本的な治療はできませんが……怪我から連鎖している諸々の症状は、大きく改善できると思います」
「えと、それ、は……つまり?」
「説明するよりも、実際にやってみましょうか。『知覚誤認』『生体強化』」
離した手を、もう一度翳す。
言霊に連なって柔らかな赤い光が手に灯り、その光が横になっているオールマイトの全身を薄く包んだ。
光はすぐに、体の内側に浸透していくように消え……不思議な静寂が仮眠室に広がる。
「さ、早乙女少年? 今のは……っ!?」
勢いよく体を起こし、腹部を抑える。
明確な違和感。だがしかし、かつては……負傷する前はそれが正常だった、その感覚。
「え、うそだろう……?
──お腹、空い、た?」
それは『空腹感』。本来、胃が空っぽになった時に脳に生理信号が送られ、食事を取ろうとする欲求である。
……胃を全摘してから、約五年。オールマイトが失い、忘れかけていた感覚だった。
「催眠療法を魔法で再現しました。その空腹感はおよそ20分ほど持続し、『ごちそうさま』のキーワードでそこから少しずつ満腹感へ変わります。
さらに、残った消化器官の消化性能と吸収性能を強化しました。胃による第一消化がなくても、よほど暴飲暴食しない限り問題はないはずです。こちらはおよそ六時間ほどで効果が切れます」
天魔の説明を、どこか呆然とした面持ちで聞き入るオールマイト。
彼の言い方が余りにも何気ないので別段特別なことなど何もないように聞こえるが……とんでもない。現代医学で同じことをやろうとしたら、一体いくつの薬を重服用しなければならないのか。さらにその副作用にも苦しんだことだろう。
個性でならばできるかもしれないが……果たして、ここまで狙ったような効果と時間を出せる者がどれだけいるだろうか。
──説明を終えた天魔は、おもむろに空間に手を突っ込み……手頃だが、そこそこの大きさの包みを取り出す。
包みを外し、蓋を取れば……そこには、なんてことはない。
なんの変哲も無い、一般家庭で作られていそうな……普通の、お弁当だった。
「……っ(ゴクリ)」
──なのに、目が離せなかった。普通の……手の込んだ、美味しそうな手作りお弁当を前に、オールマイトは口の中を唾液で満たしていく。
「いまから食堂は少し難しいので、『こんなこともあろうかと』! ……ふふ。あ、すみません。実はこれ、一回言ってみたかったんですよ」
(……やっぱりこの子、女の子にしか見えないよなぁ)
『照れてはにかむ綺麗なお姉さん(黒髪超ロング)』で想像していただければドンピシャである。お弁当だけかと思いきや、いそいそと汁物やデザートなのかカットされた果物を用意しているではないか。
「さあ、お召し上がり下さい。拙い自作で申し訳ありませんが」
「あ、いや……これだけ作れれば十分以上じゃないかな。でも、その、いいのかい? これ、ひょっとして君の分じゃ……」
「細かいことを気にしちゃいけません」
(……あ、これ逆らっちゃいけないやつだ)
経験則だ。自分がヒーローとして活動している時に意識して浮かべている笑顔とは、違うベクトルの強さを持った笑み。……かつて自分がやらかしたとき、恩師や相棒が浮かべていた笑顔に近い。
──座ったままでよかった、と心から思う。思い出したらちょっと足がガクブルしてきた。
用意された箸を取り、少し迷って、卵焼きを選ぶ。食べて噛めば、ほんのり甘く、柔らかい卵の味。次はご飯。卵の余韻が残っているうちに、一口……いや二口。
「──っ」
次はきっとオカズのメインだろう鷄の唐揚げ。しっとりジュウシーな鶏肉に、しっかりと付いた下味が、米を寄越せと凄まじく訴えてくる。
箸は……止まらなかった。
味の染みた肉じゃが。彩のプチトマト。
汁物は味噌汁。インスタントじゃない、出汁からしっかり整えた味噌の風味が、豆腐と柔らかく煮られたキャベツと人参によく染みている。
「あっ……!」
無我夢中、という勢いで食べることに没頭していたオールマイトが、自分の眼からいきなり溢れ出した涙に箸を止めた。
咄嗟に拭う。ゴミが目に……と言い訳を言おうとして、しかし涙は止め処なく、大粒に。
「ご、ごめんね! みっともない所っ、見せちゃって……いい歳したおじさんが、ほんとに……!」
止めようとするが、止まらない。拭えど拭えど意味がなく……掌で覆い隠すしかなかった。隠れていない口元は、込み上げてくる何かを押さえ込むように強く噛み締められている。
「大丈夫です。……ちっとも、みっともなくなんてないですよ。何を隠そう、私も似たような経験がありますから」
──期間は半年で、食べたものは『おもゆ※お粥のさらに薄いもの』でしたけど。
オールマイトの記憶の隅に残っていた、天魔の来歴。誘拐拉致監禁をコースメニューで周回した彼にして、おそらく最悪だっただろう半年。
……強化し続けた消化器官が、排泄を不要とするまで完全消化・完全吸収をするようになった──ならざるを得なかった、半年。
「『食事に喜びを感じる』──それは、正しく生きている証拠です。みっともなくなんて、ありません。絶対に」
涙腺は完全に決壊した。だが、それでも箸を動かし、ご飯粒一つ残すものかと食べる。
そして数分と経たずに、『ごちそうさま』が唱えられ、懐かしき満腹感にただ浸った。
「……ありがとう。早乙女少年。お弁当、本当に……本当に美味しかったよ」
「はい♪ お粗末様でした。──ところで八木さん、午後のご予定は?」
「え、午後かい? 午後は君たちの授業……の見学ゥ! ほっ、ほら、あれだよ! オールマイトってなんだかんだ教師デヴューしたばっかりじゃない!? 身内としてはちょっと心配でねHAHAHA!」
「では、下準備もあるとすると……あと二十分くらいですか。それでは、改善の第二段階です。
『休息圧縮』」
なにを……と問おうとするが、強い眠気に襲われてそれどころではない。座ったままでフラフラと危なっかしく船を漕ぎ、眠気に抗おうとする前に、天魔の手でソファーに寝かし付けられた。
「こ、れ……は、なん、だい?」
「『短時間睡眠での疲労回復』を限界まで突き詰めた魔法です。二十分後に自然に目が醒めるようにしましたので……二度寝しちゃだめですよ?」
──それ、プロヒーロー全員が欲しいやつじゃないか。
「はは……君、本当──凄い、ね。二度寝、かぁ。自信、ないなぁ……」
「……さて、ランチラッシュ先生にお願いして、オニギリだけでも作らせてもらいましょうか。
その前に、『空圧操作』と念のため『警報泡』をかけて、と。……それでは良い夢を」
《おまけ》
「やあ! 早乙女くん! 八木くんの治療は……その様子だとできなかったようだね。改善が大成功という塩梅かな?」
「もう驚きませんけど、本当に見ていたように正解ですね、校長先生。あ、オニギリ食べますか?
それにしても……オールマイトの親戚っていうだけあって、スーツの趣味も似てるんですね。黄色の
「はは、あははは! うん! そうだネ! ……一つもらえるかい? できれば抱えてくれるとなお良し。ちょっと癒しが欲しくなっちゃった」
読了ありがとうございました!
半年以上食事が点滴で、おもゆで大泣きしました。
なお、当作ではオールマイトの日常吐血はさせません。
基本は原作通りですが、英雄へ何気ない幸せが、魔女によってもたらされます。