はぁぁ──……と、肺の中の空気を全て吐き出す様な、深い吐息。
都会のど真ん中。かつ、夕暮れにはまだ遠い昼間だというのに薄暗いそこは、所謂アウトローと呼ばれる者たちの縄張り
そう……過去形、である。それも、たった今、過去形になったのだ。
違法なクスリを自慢げに使い悦に浸る者も、先日犯した犯罪行為を自慢げに誇る様に仲間に語る者も、これから起こす犯罪の拙い作戦を拙く練り上げ下衆な笑みを浮かべていた者も──。
皆、等しく例外なく死んだ。──否、殺されていた。血の海としか表現できない凄惨な現場に倒れる、十数名の遺体は、さながら赤い海に点々浮かぶ島の様であった。
「……社会のクズが……多すぎる。
なぜだ? ヒーロー飽和社会と言われ始めて、何年経った? 少し歩けばヒーローの事務所がある場所で、その事務所が密集している都会の中心で、なぜこれだけのクズどもが我が物顔でのさばっている?」
確認する。己の意思を。信念を。成すべき使命を。
今一度。いや、幾度でも。何度でも。果たすまで。やり遂げるまで。
「……『偽物』だからだ。紛い物ばかりだからだ。取り戻さなければ……英雄を。真なる英雄を──犯罪の抑止たる存在を。平和の象徴たるオールマイトのような」
不意に視線を動かす。そこには、この中の死体のどれかの持ち物であろう携帯テレビがあり、荒い画像とノイズだらけの音を発していた。一方的な戦闘で電波でも乱れていたのだろうか、少しずつ、映像も音も鮮明になっていく。
画面越しにも感じられる熱気。音量はそれほど上げていなかったのだろうが、大きな歓声として頭が勝手に認識した。
「嗚呼、もう──そんな時期か……」
男が全身に帯びていた狂気が、わずかに霧散する。
……画面の向こうを懐かしむような、それでいて、永遠に届かなくなってしまった憧憬に縋るような──そんな眼を向けた。
ほんの数秒、再び狂気を纏い直した男は、もうここに用はないと血の海を歩き出し……ふと足を止める。
「そう、いえば……」
思い出したのは、ある『情報』。
あのオールマイトが、母校である雄英高校に教師として就任したという。
やれ引退だ、やれ後継者探しだと、だんだんと下火になりつつあるが、未だに根も葉もない憶測が飛び交っている。
だが──もし、育てているのだとしたら。
「次代の、英雄……本物か、否か」
その小型テレビを踏み砕く。なにかを断ち切るように、決意を新たにするかのように。
そして、再び静寂が訪れる──ことは、残念ながらなかった。
「……ちっ」
まだ遠いが複数の慌ただしい足音。いかに拝金主義の偽物とは言え、職務には忠実らしい。反響する音はいくつかの組に別れて、こちらを包囲するように広がりながら接近している。……一人、やたら足が速いのがいるらしい。接敵まで十数秒もないだろう。
「良い判断だ──教科書通りの、な」
粛清を。我が身がどれだけ穢れようと。どれだけの罪を重ねようと。
粛清を。粛清を。粛清を。
全ては、正しき英雄を取り戻すまで。
***
ごめんなさい。
「まず先に、伝えなければならない事があります」 そう前置きされて、天魔から麗日に告げられたのは、誠心誠意からの謝罪だった。
……真剣に聞かなければ、と身構えた直後だったから、目をパチパチとさせて変な声を出してしまったのが非常に恥ずかしい。聞かれていなかったか、若しくは忘れてくれていることを切実に願う。
なんで謝るのか、何に対しての謝罪なのかと問えば、いくつかの現状と、それによって生じる、一つの不義理。
まずは一つ目、『雄英体育祭のルール』。
第一・第二種目は毎年変わるのでなんとも言えないが、最終種目は確実に一対一のトーナメントになる。
そのトーナメントのルールによる枷が、実は個人によってかなり重さに差が出るのだと魔女は語った。
(『試合開始前の個性使用は禁止』 聞いた時はみんな同じやー、って思ってたけど……全然違う。前に使う必要がそもそもない人と、使えば有利になる人じゃ結構な雲泥や。ヒーロー科は
最たる例は、先の試合で勝利を収めた八百万だろう。彼女が試合前から個性を使用できれば、完全フル装備・かつ脂質補給を終わった状態で試合に臨めるだろう。
そして二つ目、『麗日 お茶子の個性』。
制御さえなんとかできれば即時戦力の向上につながる訳でもなく、創意工夫で新たな道が開ける訳でもない。
触れることさえできれば無重力状態にして無力化……と言えば強く聞こえるのだが、逆に触れることができなければ、無個性の一般人と対して変わらないのだ。トーナメントまで進む生徒が、そう易々と接近を許してくれるとも思えない。
(相手が遠距離攻撃の手段持ってたらアウト。相手に機動力で負けてたらアウト。相手に格闘技術で負けてたらアウト。
うっわー、爆豪くん相手やとスリーアウトやんこれ……)
──最後に、三つ目。なによりも……『時間』だ。
個性強化で伸ばせるだろう重量限界と負荷による吐き気は、少しずつ、それこそ何か月という長い時間をかけて伸ばし改善していくものだ。
ならば近接戦闘を鍛えるか、と言っても、筋力増強や武術を習得するには、こちらも最低で数ヶ月は時間を要するだろう。
(こればっかりはもーどーしよーもないなぁ……お手上げや)
たはは、とどこか力の抜けた苦笑を浮かべる。
相手は一年でもトップクラスの実力者。遥か格上の相手だ。個性相性も最悪と来ている。苦笑も致し方ないだろう。
──でも。
(でも……いややなぁ。うん。いやや)
──USJの敵襲撃事件から、雄英体育祭に向けた鍛錬期間。
麗日 お茶子は……緑谷 出久よりも、八百万 百よりも、常闇 踏影よりも──彼に多くの時間を
分身による個人レッスンのような鍛錬時間は大きく変わらないが、『彼女の個性でなにができるか』を、魔女はずっと模索し続けた。
模索したら、いくつもあった。いくつも出て来た。
自分の個性なのだからお茶子の方が詳しいはずなのに、『言われてみれば』や『気付かなかった』のあれやこれやが、1日1個以上。それはもう、ポンポンと。
その中には『お茶子がこれから目指すヒーローの完成形』に至るだろう光明さえ、いくつかあったほどだ。
──なのに、それなのに……魔女は謝る。
お茶子からすれば、両手をとってピョンピョン飛び跳ねながら感謝したいくらいなのに、魔女はいまにも泣きそうなほどに顔を歪めながら、謝ってくるのだ。
全力で肩入れすると宣言しておきながら、お茶子が活躍したいと気炎を登らせた体育祭では、有効と思える献策が何一つできない……と。
そう、全てを告げて──ごめんなさい、と。
──白状、しよう。
嬉しかった。
嬉しくないわけがない。家族以外で、ここまで自分のことを親身に、そして真剣に考えてくれた人がいただろうか? 今思い出してもちょっとウルッときてしまうくらいに、嬉しかったのだ。
正直言えば、まだ、少し怖い。
なんせ相手はあの爆発さん太郎ことミスターダイナマイトだ。まず容赦や手加減は確実に無いだろう。
だが、それがどうした。むしろ手加減なんかしたら引っ叩いてやる。怪我やら痛いのが怖くてヒーローなんか目指せない。
──それに、あの黒いのと戦っていた魔女はもっともっと苦しくて、辛かったはずなのだ。
(せや。あんな思い、もう二度とごめんやもん)
あの日……お茶子は何もできず、ただ守られるままに守られていた。
冷たくなっていく体に、ただただ慌てて、恐怖することしかできなった。
──強くなりたいと思った。必要かどうかもわからない支えではなく、隣に立てるようになりたいと……心の底から、願ったのだ。
あの日からわずかながら、しかし確実に前へ進んでいるはずなのに……知れば知るほど、遠く感じた距離がさらに伸びていくのだ。
──その遠さに、麗日 お茶子はため息を零す。
しかしすぐに上を向き……満面の笑顔を浮かべた。
「上等やん……!」
パン! と頬を両手で挟むように強めに叩く。
相手は格上。たとえどれだけ不利でも、勝ち目なんか殆ど無くっても……何もしないで、何もしないままで……諦めるわけには、いかない。
勢いよく立ち上がり──控え室を後にした。
できることをやろう。やれることを、全てやろう。
ほんの少しでも……周りからしたら、みっともない悪足掻きにしか見えないことでも、勝つことを、前に進むことを──諦めないために。
***
『ヘイリスナー! とりあえず二人の硬派ボーイがまだ目覚まさないから、次に進ませてもらうぜ!
1年A組、『ヒーローとしてその言動はどうよ?』な爆裂ボーイこと爆豪 勝己!
VS!
同じく1年A組! ──ごめん贔屓する! 俺こっち応援したい! 無重力ガールこと麗日 お茶子!』
『贔屓してんじゃねぇよ実況者』
『執拗な脇腹への肘はらめぇ!?』
目つきの悪いヤンキーと純朴そうな女子。応援云々の前にお巡りさんorヒーロー案件な気がしないでもない。
だが、二人は──これから戦うのだ。互いの信念と矜持を賭けて。
「──おい丸顔。一応、聞いておいてやる。怪我したくねぇならとっとと棄権しろ」
「丸顔やめて、って何度も言ってるやん爆発さん太郎。そっちこそ、開会宣誓に言ってた一位、いつになったらとるんかなぁ? みんな、そろそろ楽しみしとるかもよ?」
──ピキリ。
という音はもちろん幻聴だ。しかし、そうと断言できないほどに爆豪の眼は釣り上がり、獰猛な笑みが犬歯を覗かせる。
「はっ……言うじゃねぇか没個性が。上等だ。そこまで言うなら、手加減も遠慮もいらねぇよなぁ……!」
バチバチと、彼の掌から小規模な爆発が連続して生じる。少しずつ規模が大きくなっていくそれは、高まっていく彼の怒りのボルテージを現しているようだった。
「い、いや流石にちょっとやばくねぇか……? 男女差別な発言はしたくねぇけど、それでもよ──」
「──大丈夫だよ、瀬呂くん。かっちゃんは本気でやるけど、皆が心配してるような一線は超えないよ。絶対に」
爆豪から発せられる不穏な気配に、クラスメートの多くが心配を抱く。一様に案ずるのは麗日のことだが、それを真っ先に緑谷が強く否定した。
「かっちゃんは、もう見ての通り超乱暴で超喧嘩っ早いけど、何気に将来のこととか、かなり真面目に考えてるんだ。
そんなかっちゃんが『試合とはいえ女の子に大怪我させた』とか『一生残る傷を付けた』とか、そういうマイナス要素を受け入れる訳がない」
だから。
「ギリギリのラインまで威力を抑えた爆破で戦うはずだよ。その……女の子だから、ふ、服が破れたりするのも、多分ない……と思うけど」
強い言葉は、恥ずかしさから弱くなり──舌打ちしたブドウに女子からのコンボ制裁が決まったが無視した。
無視して、緑谷は言葉を止める。
ギリギリのラインまで抑えられた爆破……それは逆に言えば──『耐えようと思えば耐えられる威力で、倒れるまで攻撃される』というわけである。
十中八九、一方的な試合になるだろう。それを確信し、緑谷は下っ腹に力を入れて覚悟を決める。なにかあっても、この試合を最後まで見届ける、そんな覚悟を。
「……今の緑谷の説明で微妙に安心はできたりできなかったりだけどよ……その、なんだ? 爆豪が意外と慎重というか」
「けろ。そうね、緑谷ちゃんの言葉が正しいなら、結構みみっちいわね、爆豪ちゃん。怪我させたくない理由がお茶子ちゃんじゃなくて爆豪ちゃん自身の将来のためとか、ちょっとどうかと思うわ」
「梅雨ちゃぁん、必死に濁そうと頑張った俺の努力ぅ……」
そんなやり取りをしていると……爆豪が凄まじい形相でA組クラス席を睨みつける。メインは緑谷で、殺意すら込められているのではないかと思えるほどだ。──聞こえたというのだろうか。この距離とこの歓声の中で。
(別の覚悟も、しておこう……!)
ミッドナイトの試合開始の宣言を聞きながら、もう一度腹をくくる。
──だからだろうか。
この場にいるA組メンバーの中で唯一、緑谷だけが、開始直後の大爆発に動じることがなかった。
読了ありがとうございました。