秘密の遊び   作:seiro

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その化け物は、今もなお。

 

「うわぁ……ぐちょぐちょ」

 

 個室に入り便座に腰を下ろすと、そんな言葉が口を突いた。教室から少し離れたトイレを選んだおかげか、アタシ以外に人はいない。

 

 ──うぅ、気持ち悪い。

 

 とりあえず不快感を訴える下着を脱ぎ、脚に伝った液体やその源泉をトイレットペーパーで拭き取る。敏感になっている秘部は、少し触れただけで声が漏れた。

 

「はぁぁぁ……何やってるんだろ、アタシ」

 

 事が済んで冷静になった途端、激しい後悔が思考を埋めた。

 普通に考えておかしいじゃん、学校であんなことするなんて変態みたいじゃん……! ああああさっきのアタシはなんであんなことを……。で、でも気持ちよかったなぁ。今までのなんて比べものにならないくらい。だ、大丈夫だよね……? 誰にも気づかれてないよね……?

 

 本当、今日のアタシはどうかしている。

 今まではこんなこと絶対にやらなかった。環境が、時間が、理性が常に自分を律し続けていたのに。確実に制御できていたはずなのに。

 原因は何? 昨日の夜のこと? ……違う、昨日はいつもとなんら変わらなかった。内容だっていつか使ったものと同じだし、その後に自分を慰めるのだって珍しいことじゃない。

 

「なら……」

 

 ……朝、なんだろうか。

 

 確かにいつもと変わってはいた。実際ルールも破りかけた。幾重にも積み上げてきた理性の層が、いとも簡単に崩れかけた。

 でも、本当にそれが原因……? なにかもっと大切なことを忘れてない……?

 

「あ〜〜!」

 

 いくら考えてみてもわからない。

 しばらくうだうだしていると、チャイムが授業開始を告げた。これで他に誰か入ってくる可能性はほぼないだろう。

 そう思った途端、脱力気味に溜息が漏れた。

 

 ……まあ、多分バレてないと思う。それに羽丘は女子校だ。共学で男子がいたらまずかったしれないが、同性だけなら……大丈夫じゃないけど、まあ大丈夫。

 終わったことをこれ以上考えても仕方ない。それより今は──

 

「どうしよ、これ……」

 

 目の前にある濡れたショーツをどうするか。それが最優先の課題だった。

 

 濡れやすい体質なのか、はたまたあの状況に興奮しすぎたのか。尋常じゃないほどの水気を含んだそれの始末に頭を悩ませる。

 

 うーん……トイレットペーパーで拭いてみる? 気休めかもしれないけど今よりマシになるはずだ。それか本当に保健室に行って替えの下着を借りるとか……? でもなんて言えば……。下着だけ濡れたなんて恥ずかしくて言えないし、仕舞おうにも袋もバッグも教室だ。流石に今日一日穿かないで過ごすのはちょっと……。

 

「そうだ」

 

 ならいっそ早退しちゃおっかな?

 このまま教室に戻ったってどうせ集中なんてできっこないだろう。まだ体は熱いし、体調不良って言えばなんとかなるかもしれない。それに、真面目に学校生活を送ってきたアタシなら怪しまれることもない。えっちな理由で早退するっていけない気がするけど……大丈夫、いける。

 

「……うん、よし」

 

 そうと決まれば動き出すのは早かった。トイレットペーパーを手に取ってショーツの水気を一応念入りに拭いていく。

 

「うわぁ」

 

 糸、引いてる。

 

 自分のあそこからこの液が溢れていたと考えると、顔がかぁぁっと熱くなった。

 

 粗方拭き終えるとペーパーを流していく。

 ひんやりとした空間に水洗の音が木霊した。

 

「うへぇ……やっぱり気持ち悪いなぁ」

 

 ショーツを穿くと、肌にひんやりとした感覚が伝わった。

 髪などの例外はあるが、基本的に人は体の一部が濡れていると不快感を催す生き物だ。今回の場合、デリケートな部分であるだけにその不快指数は高かった。だがそれも仕方ないと割り切りトイレを出る。

 廊下は静まり返っていた。

 

「なんかいけないことしてる気分……♪」

 

 いや、実際にはいけないことなんだけど。

 

 普段授業をサボるなんてことはしないため、緊張感と高揚感に口角が釣り上がる。

 扉を一枚挟んだ教室からは先生の声が。そんな中、アタシはその外を足音を立てないように屈んで歩いていた。

 

 ──楽しい。

 

 こっち側って、こんなに心踊る場所だったんだ。

 窓の外は青一色。雲一つない晴天に、木々の若葉を撫でる柔らかな風。不快感など何処へやら、今のアタシはこの天気に負けないくらい晴れやかな気分だった。

 

 廊下をゆっくり進んでいると、ある教室から声が聞こえてこないことに気がついた。

 

「ここは……友希那の教室?」

 

 じっと耳を澄ましてみるも、やはり音は聞こえてこない。上の窓をちらりとみると、電気が消えているのがわかった。どうやら別教室で授業をしているらしい。

 

 そう認識した瞬間、体は勝手に動いていた。

 

 この行動を、アタシは今でも悔いている。でも、仕方がなかったんだ。この時のアタシは熱に浮かれていた。初めてへの興奮で思考が麻痺していたんだろう。

 気付かなければよかったものを。気付いたとしても、そのまま保健室に向かっておけばよかったものを。

 

 盲目に溺れたアタシは、静かにドアに手を掛けた。

 

 

 

 

 

 ー ー ー ー ー ー

 

 

 

 

 

「おじゃましまーす……」

 

 控えめに開いたドアから入り込むと、教室内を見回した。窓から差す陽の光に明るく照らされた室内は、しかし何処か寂しく見えた。

 机の上に制服が置かれていることから見るに、今は体育をやってるんだろう。

 

「……友希那の席どこだろ」

 

 またもや自然と体が動く。

 教卓の中を漁り座席表を探す。友希那の席を確認すると、すぐさまそこへ移動した。

 

「これが……友希那の席」

 

 動悸が激しくなる。心なしか頬も上気し始めて、つい胸の前で掌を握った。

 友希那の制服がある。友希那のバッグがある。友希那の教室、友希那の席、友希那の友希那の友希那の友希那の。

 

「はぁぁぁ……」

 

 甘美な吐息に目眩がした。席に座り丁寧に畳まれた制服に顔を埋める。洗剤のにおいと、お日様のにおい。それと、強烈な友希那のにおいがした。

 

 ──やばい、にやける。

 

 頭の中がぐるぐるして今にもとろけてしまいそうだ。それでも何故か心は寂しいままだった。

 ずっとこうしてたい。ずっとこれに包まれていたい。アタシを満たして欲しい。でもそれは叶わない。このままだと止まらなくなってしまう。それだけはダメだ。

 

「日記の内容に類する行為をしないこと、かぁ」

 

 アタシを縛る呪いを口にする。

 言うならば、これは檻だ。心の奥に息づく醜い化け物(願望)を閉じ込めるための鉄の柵。切り離し、閉じ込める。ずっとそこに住み着いている感情を隔離するための監獄だ。

 それと同時に制御できないその化け物(欲望)から飼い主を守っている砦でもあった。

 

「類さなければ、いいかなぁ」

 

 何気なしに零れた呟きは、次の瞬間アタシに雷を落とした。制服に預けていた顔をばっ、と上げて、机の上を眺める。

 

 置いてあるものは制服のみ。机の脇にはスクールバッグ。そして空いた隙間からは教科書やノート、筆箱などが見えた。

 

「例えば……私物がなくなってたら友希那、どんな顔するんだろう」

 

 檻がぎしりと軋んだ気がした。

 

 正常な判断ができていない。教室で欲に塗れてしまった時点で今更自制が効くはずもなかった。

 ただぐるぐると視界が回転し、この先に進んでしまったらどうなるんだろう、なんて衝動的な期待と危機感が心地よく心を蝕んでいた。

 

 全て手を伸ばせば届く距離にあるものだ。いつも届かなかったものが、何よりも欲していても叶わなかったものの代替品が此処にはある。

 

「っ、はぁ、はぁ」

 

 じわじわと手が這うように伸びていく。破裂してしまいそうな胸はどっどっどっと痛いくらいに音を鳴らし、荒くなる息は五感全てを狂わせる。

 時間がゆっくり流れて、まるで世界が回転しているようだった。

 

 やめるなら、今だ。

 

「やめる……?」

 

 

 

 

 ──なんで?

 

 

 

 

 不意にチャイムが鳴りこの時間の終わりを告げる。

 

 心底つまらなそうに響くその音に背中を刺されていることなど気付かずに、

 

 

 アタシの腕は、

 

 

 スクールバッグの、

 

 

 中に──。

 

 

 ──。

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー ー ー ー

 

 

 

 

 

 むかしむかし、あるところに女の子がいました。女の子はいつもやわらかい笑顔を浮かべていて、みんなの人気者でした。

 

『◯◯ちゃんはしっかりしてるねぇ』

『◯◯ちゃんっていつも楽しそうだね。ともだちもいっぱいでうらやましいな』

『◯◯ちゃんはやさしいね』

『◯◯ちゃんは』

『◯◯ちゃんなら』

『◯◯ちゃん』

『◯◯ちゃん』

『◯◯ちゃん』

 

 まわりの人は女の子を褒めました。たくさんたくさん褒めました。女の子の両親にとっても、女の子は自慢でした。

 

 ですが、女の子の心はいつも空っぽでした。みんなの中心に入って行くたびに、女の子の中心はスカスカになっていました。寂しくて、空虚で、乾いていて、なにも入っていませんでした。

 女の子にとって、『みんな』はおばけのように見えたのです。

 なにかを入れなきゃ。大事なものを。あたしだけの宝石を。

 

 女の子は探しました。ずっとずっと探しました。

 探し続けていたある日、それは突然見つかりました。とっても綺麗な宝石を。なにより大事なかがやきを。

 

 それからは、毎日が満ち足りていました。

 幸せで、幸せで。

 10年の月日が流れてもずっと、その心は満ち足り続けていましたとさ。

 

 

 

 

 

 

 なんて、馬鹿な話だ。

 

 

 

 

 

 

 ー ー ー ー ー ー

 

 

 

 

 

 

「あ、おかえり! もう大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。心配してくれてありがとね♪」

「うん、さっきよりもずっと元気そう」

 

 教室に戻るとクラスメイトが駆け寄ってきた。心配そうに顔を覗き込んできたが、笑顔を浮かべるとたちまち釣られて相手も笑った。

 

 あれから制服のシワや椅子を元に戻して、アタシは友希那のクラスを後にした。

 もう、保健室に行く程など忘れ去っていた。もう大丈夫? と聞かれた問いに対しても、一瞬何のことかわからなかったくらいだ。

 

 ただ、そんなことはどうでもいい。

 どうでもいいことなのだ。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 席に着く。

 途端、努めて平静を装っていた笑顔が崩れ落ちた。

 

 ……やっちゃった。やっちゃった、やっちゃったやっちゃったやっちゃった!!!

 

「盗っちゃったあ……っ♡」

 

 ──はぁぁぁ……幸せ。

 

 溜息が震える。

 

 アタシには誰にも言えない趣味がある。

 アタシだけの秘密。アタシだけの、ナイショの遊び。

 

 それは、たった今第二ステージに突入した。

 

 ルールは同じく、決して誰にもバレてはいけないこと。

 

 

 

 ──さぁ、秘密の遊びの始まりだ。

 

 

 

 

 握り締めたシャープペンシルを恍惚とした表情で眺めながら、その化け物(本性)は歯を見せた。

 

 

 

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