――神はヒカルにこの一局を見せるため、1000年の時を生き長らえさせたのですね。
佐為は自らの存在意義を悟った。
それと同時に、もう自分が現世にとどまる意味などないと気付いてしまった。
そしてそれから一か月も待たずに、藤原佐為は消えたのだった。
※
それから2年後。
ヒカルは立ち直り、アキラとはいがみ合いながらも、よくやっていた。
碁の力も、まだアキラには及ばないまでも、急速に追いつこうとしている。
『俺の手の中に、佐為はいる』
ヒカルのそんな想いが、ヒカルの碁を強くしていく。
『アイツはこんなもんじゃない、アイツは……!!』
佐為とともに過ごした時間は3年にも満たない。
それでもヒカルにとってそれは大切な時間だった。
2年経った今でも、ヒカルの佐為に対する思いは色褪せないでいる。
ヒカルが佐為の消滅から完全に立ち直った一方、藤原佐為は――
――全く別の場所で――
――現世に蘇ったのだった。
※
溝口斜陰はアイドルだった。
斜陰と書いて、シャインと読む。
もちろん本名ではない。
芸名だ。
最初のオーディションのときに、『私は陰キャなので裏方目立たないところが良いです!』と言ったせいだったりそうでなかったり。
そして光り輝く陰キャという意味を込めて“斜陰”という名前になったとか。
彼女は16歳だ。
本当なら高校1年生となっている年齢だったが、中卒のまま高校へは進学しなかった。
そんな彼女は超有名人だった。
彼女の所属するアイドルグループは、国民的アイドルグループであり、彼女はそこでセンターを務めていた。
もちろんすごく忙しい。
どれだけ本人が『もっと休み頂戴!』って言っても週6は働かされる。とてもブラックだった。
「はぁ……」
斜陰はため息をついた。
斜陰は陰キャなのだ。
はっきりいって何万人という人の前でライブするより、家でゴロゴロしていたい人間だ。
もちろん他人からチヤホヤされたいという欲求はある。
いや、正確にはあった、か。
毎日の過密スケジュールと、国民的アイドルという現実感のない状況に、斜陰の心は未だについていけていなかった。
「……おうち帰りたい」
斜陰は呟いた。
※
今日は廃墟でテレビ撮影がある。
斜陰は本当にいますぐ帰りたかった。
そもそも幽霊なんているわけないじゃん。
それなのに、わーきゃー言わないといけないなんて、本当にアイドルは大変だ。
「しゃ、シャインちゃん、怖いよね……」
斜陰についで人気No.2の子は、がくがくぶるぶると震えている。
はぁ……
内心ため息を吐く斜陰。
いつもいつも、本当に良い反応を見せてくれるよね、あんたは。
うらやましいよ。
斜陰は思った。
「はーい! じゃあ二人で廃墟の中に入って貰いまーす! 今回は、ちゃんとシャインちゃんを怖がらせられるように頑張ったので、良い反応期待しているよ☆」
ディレクターが二人に言った。
「ひいいいいいい、あの人、絶対性格悪いよ! ね、ねね! シャインちゃん!」
「そうだね」
No.2の子は震えまくっている。
こんな状態でまともに歩けるのだろうか。
でも、まあいっか。
この子が怖がってくれれば私は何もしなくても“頼りがいのあるセンター”というキャラになれる。
斜陰は感謝した。
※
二人は廃墟の中を歩く。
正確に言えばカメラマンさんとかいろいろへっついて6人で歩いている。
でもここでは2人ということになっている。
「た、頼れるのはシャインちゃんだけだから!」
むにゅむにゅ。
そう言いながら胸を当ててくる。
斜陰はやっぱりこの子は天才なんじゃないか、って思った。
演技でも何でもなく、ド天然としてこの言動をしている。
もうカメラマンさんとか全く気にしていない。
ずっとビクビクしながら、床がきしむだけで、『きゃあ!』と叫ぶ。
その反応は同性の私から見てもカワイイ。
ついでに胸を押し付けて巨乳アピールをする。
す、すごい!
むしろなんでこの子を差し置いて自分がNo.1なのかが分からないよ。
斜陰は冷静にそう思った。
※
廃墟の中を進んでいく。
もう撮影も終盤だろう。
しかしほとんど何も起こらなかった。
No.2の子――春奈が何もないところで勝手に怖がり、何もないところで勝手に転んだりするので一応番組としては成立しているが。
もし斜陰一人だったら番組は成立しなかっただろう。
ただ真顔でてくてく歩いて終わるだけになる。
しかし斜陰は、ほとんど何も反応しないので、『もうちょっと怖がって。次で最後の部屋なんだから』という指示を受けてしまった。
斜陰は、
(やった! やっとおうちに帰れる! でも、どうしよう? きゃーとでも言えばいい?)
と内心、悩む。
しかしそんな気苦労は意味がなかった。
――そこには本物の幽霊がいたから。
そして月明りのみが窓から差し込む部屋に何か、一つのものだけが置かれていた。
「こここ、これ、なんなの???」
「う~ん、将棋か囲碁用の盤だと思うけど……」
「へ、へ~」
『碁盤です!』
斜陰の耳に何かが聞こえた。
「え? 碁盤?」
「な、何、どうしたの?」
斜陰はカメラマンさんの方を見たりときょろきょろするが、誰かが声を出したような様子はない。
そもそも声質から違うし、その声はなぜか少し不機嫌そうだった。
『あなた! 私の声が聞こえるのですね!』
また声がした。
斜陰はキョロキョロと辺りを見回す。
どこから声がしたかな?
大方、どっかにスピーカーがあると思うんだけど……
斜陰はそんな風に思いながら、ふと違和感を感じた。
(あれ? 春奈が反応しない??)
「しゃ、シャインちゃん、どうしたの??」
確かに春奈は怖がっているが、それはさっきの声に怖がっている様子ではない。
「え、聞こえてないの?」
「こ、こここ、怖いこと言わないでよ!」
ずっと斜陰にへばりついていた春奈だが、ここにきて初めて斜陰から離れた。
『私の声が聞こえているのはあなただけですよ』
「え」
斜陰はこの廃墟に来てから、初めて恐怖した。
春奈はいる。
カメラマンさんたちはいる。
私を騙しているような雰囲気でもない。
むしろカメラマンさんは感心して見ているようにも、見える。
私が演技をしているとでも思っているのだろうか。
斜陰はドッキリの類ではないことを確信した。
そもそも天然の春奈がドッキリの企画側に参加するわけがないし、もし参加していれば顔で分かる。
春奈の顔は斜陰を本気で怖がっている顔だった。
『聞こえているのでしょう?』
「――」
斜陰は恐ろしかった。
震えた声が漏れた。
斜陰は泣きそうだった。
しかし、なんとか耐える。
「……だ、誰なの??」
『私の名は、藤原佐為。碁打ちです』
「碁打ち?」
『ええ……碁を打って生活する者のことです』
しかし声の主はいなかった。
声の主は、きっと生活する必要がない。
生活していたのは昔だけ。
そうつまり、生前が碁打ちの――
「――幽霊なの?」
斜陰は聞いた。
瞬間、ダン! という鈍い音が聞こえた、
春奈が腰を抜かし、尻餅をついたのだ。
――そして月明りの中、何かが浮かび上がった。
それは烏帽子をかぶった美丈夫だった。
斜陰にしか見えていない。
彼はゆっくりと頷いた。
そして言った。
『次があるとは……神よ、感謝いたします』
直後、斜陰は意識を失った。
もっとあっさり済ますつもりだったのに……