佐為がアイドルに取り憑きます   作:雷雷バーガー

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ヒカル編②

 

「ヒカル!」

 

「なんであかりがうちにいるんだよ」

 

 ヒカルは自室から降りてリビングに向かうと、幼馴染のあかりがいることに驚いた。

 

 彼女は葉瀬高校2年生で、その制服を身にまとっている。

 あかりが振り返ると、短いスカートが少し浮いた。

 

「今日は囲碁部に来るって約束だったでしょ?」

 

 あかりは囲碁部に入った。

 葉瀬高校には囲碁部はなかったので、あかりが作った。

 

 しかし今ではなぜか、部員が13名もいる。

 なぜか上級生もいるが、もちろん部長はあかりである。

 

 そんな中で、あかりは幼馴染特権として、頻繁にヒカルを呼んでいた。

 実際、まあ、ヒカルは高校に通っていないので、かなり暇なのだ。だから週一で行くことくらい、むしろ気分転換になってプラスなくらいだった。

 

 そして今日は、あかりに呼ばれた日だった。

 

「……ああ、そういえばそうだったな」

 

 一方のヒカルは本当に今、そのことを思い出したかのように言う。

 

「……わかった、明日行く。それでいいだろ?」

 

 ヒカルは佐為がいるというだけで、もう自分が碁を打つ意味が分からなかった。ある意味、聞き分けがいい状態になっていた。

 

 だからヒカルはいつもと違ったし、当然あかりには予想外となるわけで。

 

「えっ」

 

 とあかりは困惑した。

 そして冷静に思う。

 

「でも明日って、大手合の日じゃなかったっけ? たしか相手は、冴木五段?」

 

「なんであかりがそんなことまで知っているんだよ」

 

「別に? ちょっと週刊碁を見ただけだよ」

 

 そして流れる沈黙。

 

 いつもの2人なら、このくらいの沈黙気にならないはずなのだが、この場合は違うようだ。

 

――ヒカル、何かを隠している?

 

 あかりの疑惑が場を気まずくしていた。

 

「……え? それで……大手合の日じゃなかったの?」

 

「あはははははは、大丈夫だって」

 

「急遽、変更になったとか?」

 

「ああ、そんな感じだ」

 

 ヒカルの言葉に、あかりは割り切れないものを感じていたが、それで納得してしまうのだった。

 

 

 ※

 

 

 塔矢はここ最近、ヒカルが碁会所に顔を出していないことが気がかりだった。

 

「進藤は手合いにも来ていないのか!?」

 

 手合いにも来ていないことを知り、驚きをあらわにする。

 

「ああ、これでちょうど1週間だぜ、あいつ。冴木さんとの手合以来、一度も来ていない」

 

 と和谷。

 

「みんなして、進藤、進藤って。そんなことは2年前にもあったじゃないか。前みたいに素知らぬ顔で戻ってくるさ」

 

 越智はあまり気にしていないようだ。

 

「だが、どうしたんだろうか? 前の時は、俺と一局打ったとき、何かが吹っ切れたようだったけど」

 

 伊角が言う。

 

「どうせ、彼女にでもフラれたんだろ?」

 

「彼女? 進藤にいるのか?」

 

 和谷と伊角の話が続く。

 

「ああ、前、明日うちに来ないかって誘ったら『明日は囲碁部に行くから無理』つって」

 

「囲碁部?」

 

「あいつには女の幼馴染がいるんだよ。で、その幼馴染が作った囲碁部に行くってさ。週一くらいで行ってるぜ、あいつ」

 

「はぁ」

 

「しかも一回進藤ん家行ったとき見たんだけど、その子、本当にかわいいんだぜ! あのかわいさなら間違いなくクラスでトップとれるレベルだぜ?」

 

「でも、囲碁部に遊びに行っているだけだろ? 彼女って決まったわけじゃ」

 

「いいや、彼女だ。だって週一だぜ? いくら幼馴染だとはいえ、週一で自分のためにもならない囲碁部に遊びに行ったりするか?」

 

「まあでも、プロになっても今まであった人間関係を捨てないのは、良いことじゃない?」

 

「そういう話じゃねーよ!」

 

 伊角はあまりヒカルのことを悪く言いたくないようだが、和谷に一蹴されてしまう。

 

「……あーあ、でも碁なんてどうでもいい! っていうくらいの失恋か~、考えられねーよな。だって俺たちって碁のことを考えない日なんてないだろ?」

 

 和谷の中では、失恋説で決まっているらしい。

 

「まあでも、進藤も失恋くらいすぐに吹っ切れるだろからな、ずるずる引きずるタイプでもなさそうだし。素知らぬ顔で戻ってくるっていうのは、俺も越智に賛成だぜ」

 

 一方、アキラはその和谷の言葉に気に入らない部分があった。

 

 進藤が“碁なんてどうでもいい?”

 

「……進藤には深い事情があるはずだ。失恋なんかで休むような奴じゃないんだ!」

 

「じゃあ、なんだ? 他に何があるんだ? 秀策めぐりとかか?」

 

「それは分からないが……進藤は失恋なんかで、碁をないがしろにする奴じゃない! 進藤の碁への情熱は、僕と同じ! 僕の生涯のライバルなんだから!!」

 

 と熱くなる。

 

「はぁ……進藤には同情するぜ。で、失恋を“そんなこと”扱いする塔矢くんには彼女はいるんですか~?」

 

 と和谷。

 

 そしてその発言はクリティカルのようで――

 

「……」

 

 塔矢は顔を赤くしてうつむいてしまう。

 

「あっれ~、もしかして、色恋沙汰なんて全くしたことがないのに、“そんなこと”扱いしたんですか~」

 

「……」

 

 塔矢は顔を赤くしたままだ。

 

「おい、和谷! そんなに塔矢をからかうな!」

 

「けっ、それにしも……わかんねーな、あいつ」

 

 そうやって棋院では的外れな議論がされていた。

 

 ヒカルの実情を知る者はいない。

 

 

 ※

 

 

 ここはネット碁の世界。

 

 ここでは日々猛者たちがしのぎを削っていた。

 

 そんな中に、一人、Hikaruというアカウントがその戦いの渦中に潜り込んでいた。

 

 その新しいアカウントは強い。

次々に強敵を倒していく。

 

 圧倒的な早碁。

 圧倒的なノータイム指し。

 

 早々と相手を投了に追い込み、レートをものすごい速度で上げていく。

 

 

――待ってろ! 佐為!

 

 

 ヒカルは佐為と一局、相まみえるため、ネットの世界で戦っていた。

 

 

――一局打てば! 一局打てば、何か分かるかもしれない!

 

 

 ※

 

 

 ついに来たヒカルと佐為との戦い。

 

 それは佐為復活から2カ月が経とうとしていたころだった。

 

「佐為! やっとお前と戦える……」

 

 ヒカルの黒。

 佐為の白。

 

 ヒカルは待ちきれなかった。

 この時を待ち望んでいた。

 

 

――佐為! なぜお前がおれの前から消えたのか、そして別のやつのところで今打っているのか、教えてもらうぞ!

 

 

 ヒカルはノータイムで進めていく。

 

 

 しかしそれは佐為のほうも同じ。

 

 斜陰も驚くほどの早碁。

 

 

 否。

 正確にはそうではない。

 

 佐為は、ヒカルの手を見る前からもう斜陰に次の手を示していたのだから。

 

 

 だからこそ、斜陰は驚いていた。

 

 相手の手を見ずに次の手を指し示していく。

 

 それゆえの圧倒的ノータイム。

 

 しかしそれは相手も同じようだ。

 互いにノータイムが続く。

 

 

 斜陰は疑問に思い、「これって……」と声を漏らす。

 

『これは、棋譜並べなんです』

 

 佐為は楽しそうに答える。

 

『以前、ヒカルとは毎晩打っていました。何百、何千という数のヒカルとの碁。その膨大な数の碁の一つなんです、これは。私は今でも覚えています。ヒカルのおじいちゃんに買ってもらった碁盤で、初めて打った碁。院生になった頃の碁。プロ試験の最中の碁。そして、プロになってからの碁。すべての碁の石の並びを今でも鮮明に覚えています』

 

――相手はヒカルさんなんだ。

 

 斜陰は思った。

 

――まあ、アカウント名そのまんまだし、そうかと思ってたけど……

 

 斜陰は佐為の手を素早くクリックしていく。

 

『む――ヒカルの手が止まりましたね』

 

 いつまでも続くかと思われたノータイム指しが、突然終わった。

 

 

 ※

 

 

 やっぱり佐為だ。

 

 もちろん今までの対局を見てきても、佐為なのは分かっていた。

 

 でも俺のことなんて、まるでみようとしないし、もしかしたら佐為は俺のことなんて忘れて新しい奴と楽しんでいるかもなんて思っていた。

 

「ちゃんと覚えてくれたんだな……幽霊なのに」

 

 声を漏らすと、ヒカルは自分の目から涙が零れそうなことに気付いた。

 

 ヒカルは涙をグッと堪えて、盤面を見据える。

 

 

――こっからは、佐為の知らない俺だ! この2年間、遊んでいたわけじゃねーんだ!!

 

 ヒカルは棋譜にない手を放った。

 

 

 ※

 

 

『はずれましたか。勝負はここからですね』

 

 佐為はその一手を冷静に見る。

 

 パッと見は普通の手。

 しかしプロレベルから言うと、若干ぬるそうな手でもある。

 

 だが深く深く読んでいくと、うまい咎め方がない。

 単純な咎め方をすると、かえってこっちが悪くなってしまう。

 

『ふふっ、いかにもヒカルが好きそうな手ですね』

 

 相手に誘って打たせるような、一手。

 

 しかし悪手ではない。

 

 以前のヒカルのそのような手は、大抵悪手ばかりだった。

 

――ヒカル、成長しましたね。

 

 佐為は感慨に耽る。

 

――本当に、ヒカルの成長には驚かされます。やはり、私がヒカルの元に蘇ったのは、ヒカルのため。

 

 佐為はその思いを深め、そしてヒカルとの碁を楽しもうとする。

 

 

 一方、斜陰は二人の邂逅を黙って見ていた。

 邪魔にならないように、声を出さない。

 

 パソコンの画面を見ていると、しずくが、落ちる。

 

 斜陰は佐為から零れる涙に気付いた。

 

 気付いてないよ、気付いてない。

 

 斜陰は見て見ぬふりをするのだった。

 


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