斜陰にとって、人生2度目の碁は、非常に楽しいものであった。
奈瀬は演技だと思っていたが、そんなことはなかった。
ただただ、子供のように自分の気持ちに正直になっていただけであった……
(楽しかったな~)
『ええ、私もユウコさんが楽しそうでうれしかったですよ』
テレビ収録が終わり、佐為と心の中で話す斜陰。
(また、明日美先生と打ちたいな~)
『それならご自宅かどこかに呼べばよろしいかと』
(え!? そんなことできるの?)
『ええ、ヒカルと切磋琢磨した越智という者は、よく自宅にプロを呼んでいたとか』
(そうなんだ! なら次の休日は明日美先生を呼んで、打ってもらおう!)
そうして、マネージャーにお願いして、手配してもらう斜陰。
数日後。
「斜陰ちゃん、例の囲碁の先生をお呼びしたいという件だけど、断られちゃったわ」
「……え??」
マネージャーにそう言われて、驚くが、普通に何か予定があったのかもしれない。
そう思って、斜陰は一か月分の休日すべてに、依頼するのだった。
(今更だけど、私、一ヵ月に休み5日っておかしくない?)
『ユウコさんは働き者ですね』
(いや、心外なんだけど? それにこれでも前より休みが増えてるっていうんだから意味わかんないよね……)
ひどいときは休みが月イチとか月ゼロなんてこともあったのだ……
最近は多少は改善されたものの、前よりマシとは思えなかった。
(あと一年、いや半年でアイドルなんてやめてやるから!)
斜陰は心の中で、ファンが聞けば悲鳴を上げそうな決意をしているのだった。
*
(それで今日はどうしようっかな~)
迎えた休日。
斜陰の中で囲碁をやることは決定事項だったが、どうやって囲碁をやるかは考えてなかった。
『碁会所はどうでしょうか』
(ゴカイジョ?)
『そうです! 碁好きの者が集まって、碁を楽しむ場所があるんです!』
と佐為。
そして、佐為の案内で、碁会所に向かった。
ちなみに、ヒカルは和谷と伊角と一緒に碁会所巡りをした時があった。
佐為の記憶力は、特に囲碁に関することについては驚異的だった。
佐為はヒカルとともに訪れた碁会所の中から、女性が入りやすく、なるべく近い碁会所を案内した。
……とは言っても、斜陰は男装斜陰だけども。
「うわー、ここが碁会所!」
とあるビルの1フロアに、碁盤が並んでいる光景に、斜陰は目を輝かせる。
「ここは初めてかい? 学生なら500円だよ。名前と棋力を書いてくれ」
受付はスムーズに終わった。
棋力は佐為に言われたものを書いたし、名前もユウコではなくユウにしただけの、本名を書いた。
「って! 和谷~!」
「うわっ、ユウ!? なんでここに」
「それはこっちのセリフだよ」
斜陰は、おじさんたちの中に混じって和谷がいることに気付いた。
『まあ、まるで運命ですね』
(ちょ、変なこと言わないで)
『え? でもこの前もヒカルに会おうとして、和谷に会ってましたよね?』
(でも運命とかないから!)
と斜陰は全否定する。
そして和谷の方に向かうと、和谷はおっさんたち相手に多面打ちをしているようだ。
(一人で3人同時?)
『ええ、強い打ち手にとっては何も難しいことではありません。私ほどの打ち手になれば、100人同時にだって――』
と佐為が謎の対抗。
「俺はたまにこの碁会所には来るんだよ」
和谷は打ちながら、答える。
「僕の方は、初めての碁会所だよ。でも、せっかく和谷がいるんだし、和谷打とうよ!」
と男装斜陰は言った。
「いいぜ。ユウ一人増えたくらい問題ねーよ。好きなだけ石を置きな」
「言ったね! 後悔しても知らないから!」
マスクに隠れた口元を満面の笑みにしながら、盤面の4隅――4つの石を星に置いた。
「和谷がプロでも、最初っから4隅取られてたら無理でしょ~?」
斜陰は流石に4隅全部は卑怯すぎたかと思いながら、そう聞いた。
しかし――
「は? たった4子でいいのかよ」
――和谷の反応は真逆だった。
斜陰は置き碁というのはやったことはない。
しかし、今まで佐為の碁を見てきて培った感覚というのはある。
その感覚からすると、4子というのはとてつもなく大きな差だ。
実際、それは正しく、佐為レベルや奈瀬レベル相手なら、4子のハンデを覆すのは不可能というほどのものだ。
しかし、それはあくまで、プロレベルから見た時の話。
囲碁には他のボードゲームと比較にならないほどの選択肢が常にある。
これは実力差が非常に出やすいことを表している。
つまり、斜陰が和谷と戦いたいなら、もっと置石を置かねば勝負にならない。
「4子もあれば十分だから!」
でも斜陰はそこが分からなかった。
「ま、お前がいいならいいぜ」
そういって、和谷は初手、星にカカリを打っていった。
斜陰の黒と和谷の白が交互に放たれる。
最初にあった貯金はすでになく、形勢不明の状況にまでなってしまっている。
「ほらな。4子じゃ足りねーだろ?」
他の対局との多面打ちをしながら、和谷は言った。
「ん? ユウ?」
「……」
和谷は、少年から返事がないことに疑問を持つ。
――まさか。こいつも進藤みたいな、周りの音が聞こえないほどの集中を?
結果、斜陰の大敗した。
「う~、くやしい~!」
斜陰、初めて囲碁でくやしいと感じていた。
「お前、強くなったな。あー、まあそりゃそうか。前の時が初めてだって言ってたもんな」
「強くなったって言われても、僕、今まで一度も勝ったことないんだけど?」
「え、嘘だろ……」
「うん、と言っても、今日で3局目だけどさ~」
と何気なく、斜陰は言った。
ガバッ!
「うわっ」
和谷が斜陰の両肩をガシッと押さえつける!
「ちょ、えっと」
和谷の顔が近づく。
「それは本当か!?」
「え、あ、うん。最初と最後は和谷で、2局目はプロの卵的な人とやって……」
「お前――」
和谷がそう言って、じっと見つめてくる。
な、何!?
なんで突然止まった!?
まさか!?
マスクに、つばのあるキャップをしているとはいえ、これだけ近づかれたら流石にバレた、とか??
そんな考えが脳裏によぎった。
「――すごい才能あるぞ!」
そう言って、和谷の両手が離れた。
和谷は席にぽすっと座る。
(はぁ~、びっくりした。バレたかと思った……バレてないよね?)
『ええ、純粋にユウコさんの才能に驚いていただけだと思います』
(そっか。よかった~)
『ふふっ、ユウコさん、顔が赤くなっていましたよ?』
(うるさい! バレるかと思って緊張しただけだから!!)
男装斜陰は、佐為にぷいっと顔を背けた。
「もしよければ、俺が教えてやってもいいぜ?」
「え? 和谷が?」
「ああ。お前高校生って言ってたか? 1年だろ?」
斜陰は、なんでそう思ったー、と思いながら、年齢的には高校一年生なのでコクリと頷く。まあ実際には中卒なんだけどね……
「囲碁のプロになる場合は、子供の頃に碁を覚えるんだ。小学生になる前から碁をやっている奴も多い。遅くとも小学生、それも低学年の間には覚えなきゃ、プロにはなれない――普通はな。でもお前は才能がある。もしかしたら、高校生から始めてプロになれるかもしれない。それほどの才能だ」
「僕は別にプロになる気はないけど?」
最近、ヒカルや佐為に言われたけど、プロになる気なんてない。というかアイドルやりながらは絶対無理に決まってる。すべてのエネルギーを碁に注いでどうかっていうレベルなことは分かるし、あんなに強い明日美先生ですらプロになれていないのだから、その厳しさは分かっているつもりだ。
「プロを目指せって言っているわけじゃねーよ。才能のある奴を教えたら、俺が伸びるかもしれねーって思っただけだ」
和谷は思う。
思い返せば、進藤にいろいろ教えていた時期が一番棋力が伸びていた。まるで進藤の棋力上昇速度に合わせるように……アイツは、結局、出会ったときからプロになってからもずっと凄まじい速度で成長してやがるが。
「……ま、お前のためってわけじゃねーから」
「む、それはそれでひどくない?」
「で、どうするよ?」
「まあ、僕が暇な時間なら、教えてくれてもいいよ?」
「ユウめ、言うじゃねーか!」
「和谷が先に言ったんだよ! それで、和谷は最初に何を教えてくれるの?」
斜陰はマスクの中でニヤつきながら、和谷に聞いた。
和谷は白石をパチンと、盤に打った。
「そりゃ、まずは碁打ちの持ち方を教えてやるよ!」