佐為がアイドルに取り憑きます   作:エレティムさん

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アイドル、和谷と呼んでみる

 

 アイドル斜陰の握手会は、本人の要望でかなり時間が短い。

 つまり、握手券の絶対数が少ないのである……人気No.1で一番需要があるのに、そんな状態なため、ファンたちの間で握手券のために熾烈な争いが繰り広げられていた。

 

「CD買いすぎて、今月も金がなくなっちまった」

 

「和谷ってかなりイベントにも出ているから、稼ぎも相当あるんじゃないのか?」

 

 和谷のアパートで、伊角が疑問を口にする。

 

 プロ棋士の収入源は、大手合いの対局料が基本だがそれだけではない。

 特にあまり勝ち進めないような棋士にとって、一番大きな収入源は、囲碁教室や各地で行われる囲碁イベントへの出席なんてこともよくある。

 

 和谷は頻繁にイベントに出ており、稼ぎも多い。

 しかし、貯金なんてまるでできていなかった。

 

「斜陰ちゃんの握手券を甘く見るんじゃねーよ。俺は後悔したくねーからな。やれることは全部やって握手券を手に入れられる確率は少しでも上げておきたいんだ」

 

「それで、握手券は手に入ったのか?」

 

「ああ、バッチリだぜ!」

 

 和谷は握手券を見せつけるのだった。

 

 

 

 

 会場にはたくさんの人が詰めかけていた。

 

 それぞれのメンバーの前には長い列ができている。

 その中でも、一番そわそわと緊張感漂う列は、超人気アイドル斜陰の列なのは言うまでもない。

 

(あー、苦行が始まる……)

 

『誰もがユウコさんと会うのを楽しみにしてきたんですから、そんなこと言わずに……』

 

(じゃあ、佐為、変わってよ)

 

『え?』

 

(ほら、私に乗り移ってさ)

 

『私にそんな力はありませんよ』

 

(はぁ~、つらい……今日は帰ったら速攻で寝るから)

 

 つまりネット碁の時間はないということである。

 

『ええ、ええ。もちろんです』

 

 しかし、佐為は怒ることなんてない。

 むしろ忙しい日々なのに、ネット碁をさせてくれていることに感謝しかなかった。

 

(ま、でも今日は和谷が来るし)

 

『そういえば、何かするつもりって言ってましたよね?』

 

(格付けだよ、か、く、づ、け。和谷って『僕』のこと、下に見てくるし)

 

 と答えた。

 

 そして、苦行が始まった。

 貼り付けたアイドルスマイルで対応し続ける。

 

 服装は、アイドルらしいフリフリの衣装であるが、同時に斜陰らしさも表現されているような黒を基調としたものだった。

 

(あれ……もうすぐ終わる時間じゃない?)

 

『あと10分ほどでしょうか』

 

 前半は終了し、後半も残り10分ほどに迫っていた。

 

(え? 私のファン辞めちゃったとか)

 

 斜陰はファンと握手しながら、佐為と会話する。

 

『いえ、今日は来るって言ってましたし……そんなことはないでしょう』

 

 と言っている時だった。

 

 ついに、和谷が現れた。

 ぱあっと斜陰の心が晴れ渡る。

 

 斜陰は両手で和谷の手を包んで、超完璧なアイドルスマイルを見せつける。

 

 そして――

 

 

「――来てくれてありがと、和谷くんっ!」

 

「あっ、えっと」

 

 名前を呼んでみた。

 知っているはずのない名前を。

 

 反応は劇的だった。

 そう言ったが直後、面白いくらいに顔を赤くしている。

 

 

――やっぱり和谷はこうじゃないと!

 

 ユウの時の雑な扱いも、許せるというものだ。

 

 いつの間にか、アイドルスマイルが崩れて、素でニヤついてしまっている斜陰。

 

 一方の和谷は顔を赤くして固まっている。

 

「お客様、お時間です」

 

 係りのスタッフが言うと、固まった和谷は動き出そうとする。

 しかし、動けなかった。

 

「あ……っと」

 

 なぜなら、斜陰の両手が和谷の手をしっかりと包んでいるから。

 和谷が乱暴に振りほどけるはずもない。

 

 しかし、係りのスタッフには、そんなことは分からない。厄介な客だと思うだけだ。

 

「お客様」

 

 再度、スタッフは和谷に言った。

 

 

――このくらいが限界かな?

 

「あっ! ごめんね!」

 

 斜陰は、たった今気付きましたと言わんばかりに、手を離す。

 そして舌を少し出して、てへぺろ、と美少女のみに許された表情をした。

 

 もちろん、和谷のハートにぶっ刺さってしまったのは間違いない。

 

「あ……」

 

「和谷くん、またね!」

 

 和谷は返事すらできずに、顔を赤くしながら去っていった。

 

 一方。

 

(和谷が来たし、今日の握手会、多少意味あったかも)

 

『ふふ、そうですね』

 

(決めたよ、佐為。今度会ったとき、からかってやるから! どー、からかおうかな?)

 

 

 

 

 あれから。

 和谷の頭の中は、握手会のことでいっぱいだった。

 

「おい、和谷ァ! 何、ぼーっとしとる!」

 

 定例の研究会で、森下九段が声を荒げる。

 

「あ、すみません」

 

「ははは、アイドルの斜陰にお熱なんですよ」

 

 と白川。

 

「和谷ァ! ネット碁のシャインの方に熱を出せ! 冴木もネットの死神を倒しに行け!」

 

「うえぇ、とばっちりだぁ……というか、師匠でも勝てないような相手に」

 

「なんか言ったか!?」

 

「いえ、なんでもありません!」

 

 森下の研究会では、ネット碁の――正確にはshineの検討もよく行っている。

 以前森下は和谷にお願いされ、アカウントを借りて対局をし、見事に負けた。それからというもの、shineの碁はよく検討されていた。

 さらに森下は以降、自身のアカウントを作ってまで対局していたりもしているのだが、未だに勝ったことはない。

 

「ははは、冴木君だとそもそもシャインとやるにはレートが足りなんじゃないかな? 僕でも一回しか対局できていないし」

 

 盤面に並んでいるのは、ネット碁の棋譜。

 

 白は韓国のトップ棋士。

 黒は、ネットの死神shineだった。

 

 初手天元から始まった碁は、既に僅かに黒良しになっていた。

 

「ここまで進むと、いつの間にか黒が良くなっていやがる……じゃあ、白に悪手があったはずだ。冴木ィ!」

 

「はいぃ!」

 

「どこかわかるか?」

 

「えっと、ここでしょうか」

 

「なるほど。では、どう打つ?」

 

「えっと、こことか?」

 

 冴木が一手を示す。

 

「それは、こうしてこうで……」

 

「白が悪いな」

 

 白川と森下で検討が進み、冴木の一手では白が悪くなることが確認された。

 

 一方の和谷。

 

(斜陰ちゃんに、和谷君って……)

 

 完全にトリップ状態だった。

 

「おい! 和谷はどう思う!?」

 

「えっ!? あ、はい。自分も白の悪手は同じところだと思います」

 

 和谷は咄嗟に答える。

 しかし、これも当然。

 和谷はプロ界でも随一、死神shineを追っている棋士だった。今までのshineの棋譜はすべて何度も並べているし、細かい検討も少なくとも一人では行っている。自分のアパートで開く検討会でもよく検討を行っているというのもあり、今回はまさに「それ進〇ゼミでやったところだ!」状態だった。

 

「じゃあ代えてどう打つ?」

 

「……こことか、どうでしょうか」

 

 和谷は、伊角たちと検討した手を示す。

 その一手は、森下を唸らせる。

 

「悪くない」

 

 そのとき、ドタドタドタと足音を立ててやってくる者が一人。

 

 扉を開け放し、現れた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

「進藤ォ! 遅いぞ!」

 

「遅れてごめんなさい! 塔矢が大真面目にアイドルの勉強をしないか、とか言い出してさ! あ、それこないだの佐為の棋譜! ……で、白の手を検討してるんだろ?」

 

「よし、進藤はこの局面、どう打つ」

 

 森下は問題の局面に戻り、聞く。

 

「元の手も悪くはないけど、佐為ならこっちに打つと思うんです」

 

「ほう」

 

「そうすると、こうしてこうしてこうなって、展開は激しくなるけど、ここまで進めばひと段落」

 

 ぱっぱと並べるヒカル。

 ヒカルもまた、shineの棋譜検討には余念がなかった。

 

 

 検討が一区切りついた後、対局を行うことになった。

 和谷はヒカルと戦うことに。

 心あらず状態の和谷だったが、碁が始まるといつの間にかちゃんと集中できていた。

 それどころか、いつも以上の集中力を出せていた。

 

 ヒカルは和谷の読みの深さに驚く。

 

 

――そうか、こうなってみると……っ!

 

 ヒカルは既に形勢が悪くなっていることに気付く。

 

 

「ありません」

 

「ありがとうございました」

 

 勝ったのは和谷だった。

 

「和谷ァ! やるじゃねーか! ぼさっとしてたのは帳消しにしてやる!」

 

 森下は和谷の圧勝と言ってもいいくらいの内容に、内心かなり驚く。

 

「進藤ォ! 休んでのはよくないが、ちゃんと死神との連戦でさらに一段階強くなってる。ただ、今回は和谷が上手だったな……」

 

 森下はヒカルの力が大きく伸びていることも分かっていた。

 

「今日の和谷は今までで一番強かったぜ?」

 

 ヒカルは言った。

 

「あ、ああ……」

 

 対局が終わり、和谷の心は早くもトリップしていたのだった。

 

「和谷、さっきの集中はどこ行ったんだ!?」

 

 

 そして、研究会が終わり、和谷は携帯を確認する。

 

『明日、予定はある?』

 

 ユウからのメールが来ているのだった。

 

 

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