私は平安時代の都で、囲碁の指南役をしておりました。
しかし指南役は二人もいらない。
そう言われ私は戦い――負けてしまいました。
私は入水しました。
しかしまだ神の一手は極めていない。
そんな私は江戸時代に虎次郎の心に蘇ります。
そして、神の一手を極めるための日々を送りました。
しかし虎次郎は病で倒れ、若くして死んでしまいました。
そして最後に出会ったのがヒカルでした。
私は初め、再び現世に戻ってこられたのは、神の一手を極めるためだと思ってました。
ですがそれは違ったのだと、気付きました。
神の一手に最も近い男――塔矢行洋との戦いをヒカルに見せるために、神は1000年の時を永らえさせたのだ、と悟りました。そしてそれは正しかった。その戦いからほどなくして私は消えました。
ですが完全には消えなかった。
2年という時を経て、今度はあなたの心に住まわせて頂けたのですから。
「へー」
斜陰は、囲碁というものが分からない。
「つまりそのゲームを極めるために1000年生きたけど、実はヒカルに戦いを見せるためだったってこと?」
『はい……でも囲碁をゲーム呼ばわりなんて』
佐為は斜陰の心の中で、しくしくと泣いた。
「うっ……」
斜陰は口に手をやる。
やばい、吐き出しそうだ。
「……な、何をしたの?」
『囲碁を知らないという私の悲しみが、あなたの心を覆ったのです』
「は、はぁ……でも、私ぐらいの女の子なら普通、碁なんて知らないと思うけど」
『でもあかりちゃんは真剣に碁をやっていましたし、平安時代でも清少納言殿や紫式部殿も碁を嗜んでおられましたよ!』
烏帽子をかぶった美丈夫は、必死な顔で言った。
「は、はぁ……」
なんでたかがゲームにそこまで……
と斜陰は思ったが、佐為に対して悪感情はもっていなかった。
どんなことであれ、単純に一つのことに打ち込み続ける姿勢は、好ましいものであるし、何より佐為は美しかった。
芸能界でイケメンたちに見慣れているとはいえ、16歳の女の子。そんな子が、佐為のような美しい男に悪感情を持つわけがないのである。
だからと言って、特段好印象を持ったわけでもない。
斜陰の目は本当に肥えているし、何より疲れていた。
アイドルが恋愛すれば不祥事となるが、そもそも恋愛をしようとするエネルギーすらない。
斜陰はお家に帰りたい一心だった。
東京のとあるマンション。
そこの前までプロデューサーの方が送ってくれた。
「ありがとうございます」
斜陰は律義にそうお辞儀をした後、マンションの中へと入っていった。
それを見届けてから、プロデューサーは車を発進させた。
『ここ知ってます! ビルっていうんですよね!』
佐為ははしゃぐ。
斜陰はいつも通りに自宅の部屋へ帰った。
「たっだいま~」
すってってって、ばたん!
斜陰は幸せそうにベッドに突っ伏した。
「おやすみ~」
『え?』
「zzzzzz……」
斜陰は一瞬で寝たのだった。
※
次の日。
pllllll
pllllll
斜陰のプライベート用の携帯が鳴る。
朝を起きない斜陰のために、プロデューサーが毎朝電話をかけてくれるのだ。
斜陰はいつものように着信拒否を押した後、むくりと起き上がった。
一方の佐為は斜陰が寝ている間、家の中を見てみたが両親がいる様子はなかった。
普通、斜陰くらいの女の子であれば両親と一緒に生活するのが普通であるとこは、ヒカルとの生活の中で理解していた。
『ユウコさん、ユウコさん、ご両親は一緒に住んではおられないのですか?』
佐為は聞いた。
ちなみにユウコとは斜陰の本名である。
プライベートなところまで斜陰の名前を持ち出されたくなかったので、ユウコと呼ばせることにした。
同じアイドルとして仲の良い子も、ユウコと呼ばせるわけにはいかない。いつ口を滑らすか分からないから……
そして本来ユウコと呼ぶべき家族とは、斜陰は離れて暮らしていた。
「まあね……ふわぁ」
斜陰は何でもないことのように同意する。
地元は地方なので親元を離れて暮らすのは、斜陰にとって当然のことだった。
斜陰は両親とはすでに絶縁状態になっていた。
中学時代に稼いだお金が、親に勝手に取られていたから。
中学の内に稼いだお金は総額1億くらい。
――育ててくれたのは感謝してるし、1億くらいはあげてやる。
斜陰はそう思っていた。
実際、今の生活を続ければ、一年で2億くらいは稼げるだろう。
中学を卒業したことで、アイドル活動も児童労働ということにはならない。すでに親に縛られる意味もないし、斜陰は天下のアイドルだ。親がいなくたって他の人が支えてくれた。
斜陰はいつもの朝のルーティーンを行う。
水を飲んだ後、服を脱ぎ捨て、シャワーを浴びるのだ。
しかし今日はいつもと違う。
『あわわわわわわ』
と慌てる佐為がいた。
※
『ユウコさん、心の片隅に住まわせてもらっている身ですが……やはり、女子として人前で裸になるのは』
2人は車に乗っている。
『事前に言っていただければ、見るような行為は致しませんから……』
(ふふっ、佐為、顔を赤くしてたもんね)
『そっ、それはっ……別にっ……』
佐為は扇子を口に当てて、押し黙った。
か、かわいいっ!
その反応に斜陰は少しキュンとした。
天下のアイドルとして不動の心を持つ斜陰を、少しキュンとさせるとは、物凄まじいことだったりする。
しかし佐為にそんな自覚はない。
(ねぇ、佐為。あなたが私の心に蘇った理由って何?)
『分かりません……ヒカルと出会う前でしたら迷いなく“神の一手を極めるため”と答えたと思いますが、今となっては』
(そっか)
『ええ。碁は未来につながっていくのです。師匠から弟子へと想いのバトンが繋がれ、そして弟子はまた、師匠となる――
――ヒカルは今どうしているのでしょう?』
(ヒカルって私の前に取り憑いてた人のことだよね?)
『はい。今は高校2年生になっていると思います……ああ、高校2年生のヒカルですか~どうなっていることでしょう? あかりちゃんとは上手くやれているといいのですが……あ、でもヒカル、進学しないって言ってましたから、プロ一本で行くのかも』
(碁のプロなんだよね? 本名は?)
『進藤ヒカルです』
(分かった、調べといてあげるよ)
斜陰は何気なくそう言った。
しかし直後――
『――え!?!?!? ホントですか!?!?!?』
佐為の突然のハイテンションに、斜陰は驚きと同時に、少し困惑した。
それほどまでにヒカルという存在は、佐為にとって大きいのか、と思った。
佐為が囲碁というゲームに惚れ込んでいるというのは、分かっていた。
神の一手を極めるために千年もの時を生きるのだから……
未だ16歳の斜陰に、千年という時は途方もなく長く、そしてそんな途方に長い千年間の間ずっと、囲碁をやり続けるなんて本当にすごいことだと思った。
でもその囲碁への想いと同じくらい、そのヒカルという人に対する思い入れはあるようだと、斜陰は見抜いていた。
――千年をかけた囲碁と同じくらい、ヒカルのことも大切なの??
こんなことを面と向かっていきなり聞けるほど、2人は仲良くないし、斜陰の心は強くなかった。
いや、正確に言うと、斜陰は聞こうと思えば聞けた。
トップアイドルとしてメンタルの作り方は“習得できる技術”として、完璧だった。
しかし単純に疲れることはしたくなかった。
そうやって心に負荷のかかる質問をするのは、地味に疲れるのだ。
斜陰の心は陰キャの心なのだから……
「あ、もしもし? 私、斜陰だけど……うん、進藤ヒカルっていう囲碁のプロがいると思うんだけど……うん、うん。その人のことを調べて欲しいんだ……え? 男だけど……うん、うん。え? 不祥事はダメだって? 大丈夫だって、このスケジュールじゃ恋愛したくてもできないでしょ……うん、うん。ありがと、じゃ」
ポチ。
パタン。
斜陰はガラケーを閉じた。