今日は、奈瀬とワールド囲碁ネットの管理人が会う日だ。
『それで何で、来たんですか?』
佐為が尋ねた。
ここは、待ち合わせの場所――碁会所であり、そんな場所で男装斜陰は、おじさん相手に碁を打っていた。
(まあ、休みも増えたし、今日くらいはギリギリ許容できるかなって思って~)
そもそも、斜陰は奈瀬に今日が休日と教えたわけじゃない。
完全に偶然、斜陰の休日と、会う日が被ったというのが発端だった。
(それなら、来てみるのも面白いかな~って)
『ですが、もし奈瀬に見つかったらどう言い訳するんですか?』
佐為から突っ込まれる。
一応、今は入口からは死角になる場所で対局を行っているが、バレてしまう可能性は十分にあるだろう。
(ていうか、ユウと私の関係ってどうなっているだっけ? 明日美先生は和谷には言ってないと思うけど、明日美先生はどう思っているんだっけ?)
『ええっと、確か、ユウの時に待ち合わせの日時を指定して、その場所に奈瀬が来たらユウコさん――アイドルとしてのユウコさんがなぜかいたっていうのが、奈瀬視点だと思います』
(ユウと私との関係性みたいな話ってない?)
『それは一度もされたことがないかと……』
(なるほど……)
碁をぱちぱちを打ちながら、斜陰は考える。
(一番それっぽいのはなんだろう? ユウを私の弟っていう設定にするとか?)
『ですが、和谷には高校生って言っていませんでしたっけ? そうなるとユウコさんに同学年の弟がいるということに……』
(じゃあ、実はユウは中学生ってことにして、和谷には嘘をついていたっていうことでよくない?)
『確かに、それなら矛盾はないですか』
パチリ、斜陰は脳内でしゃべりながら、碁を打つ。
対戦相手のおじさんは、苦い顔をした。
「ひやぁー、坊主、強いね。中学生かい?」
「……そうです」
「いやー、こりゃまいったまいった」
そう言いながら、おじさんは逆転のための一手を盤に打ちつける。
「だが、おじさんも、そう簡単には負けるつもりはないぞ。しぶとさばっかり、上達するからいけねーや」
おじさんの放った一手は、確かに簡単な一手ではなかった。
盤面、確実に優勢なのは斜陰の方だ。
しかし、具体的にどの手を打てばいいかとなると、なかなかに難しい。すっきりしない。どの手でも良さそうに見えるし、けれど、大きなトラップが潜んでそうでもある。
――この者、自分で言うだけはある。なかなかに上手い勝負の仕方をしてきましたね。
佐為は内心、そう思った。
だが、しかし。
斜陰の心は違った。
(佐為、この一手は甘いよね)
『……さてどうでしょうか』
(ここは、こうでしょ!)
斜陰は、的確に咎める一手を放った!
「ん? なんだそりゃあ」
おじさんは斜陰の手の意味が分からない。
「こうして……たらどうなる?」
パチリ、パチリ、パチリと数手進み、斜陰が打ったところで、盤が止まった。
「まさか……!」
『ユウコさん、また一段と強くなりましたね』
(これはこの前の明日美先生との検討で、出てきた筋でしょ?)
局面としての、難易度はAsumiとshineとの対局の時よりもずっと低い。
しかし、この場面で、しっかりと斜陰は読み切り、この手を打った。
一見すると、手が広そうで、勝つだけなら実際、いろいろな手が考えられた。
その中で、最短で勝ちを決めると考えた場合――斜陰の一手はなんとなくで打てば、奈落に落ちる危険もはらんでいた。その中でしっかりと、斜陰は見切り、最善の一手を放ったのだ。
――やはり、ユウコさんの才はヒカルに並ぶ、もしくはそれ以上……かもしれない。
佐為は内心思ったのだった。
そして終局した頃、
「私、奈瀬明日美って言います! あの、本日はよろしくお願いします!」
そんな声が聞こえてきたのだった。
*
斜陰は手短に感想戦を行った。
そして、一時休憩の旨を受付に伝えて、盗み聞き――もとい、観戦のための場所を確保する。
奈瀬たちがいるのは部屋の壁際だったが、奈瀬はちょうど観葉植物を背にしており、その向こう側には休憩スペースがあった。
これはちょうどいい。
斜陰は休憩スペースのソファでくつろぐふりをしながら、奈瀬と管理人の会話の様子を盗み見る。
『管理人の方は30くらいの男性ですね』
(囲碁は強そう?)
『それは見ただけでは何とも……』
(佐為でも分からないの?)
『さすがにそこまでは……』
もし仮にできる人がいたとしたら、桑原本因坊くらいだろう。
2人の会話が聞こえてきた。
「しかし、まさか、あの奈瀬明日美さんと会うことになるとはなぁ」
管理人の声だろう。
「あの、って私、有名人じゃないですよ? 一回、斜陰ちゃんとテレビに出たくらいで」
「いや、そっちじゃなくて、ここんとこ、最近、ネットの死神と打っているだろう? それでネットの碁打ちでは有名人さ」
「え、ああ、確かに、私とはバレますよね」
そして、少し間があった後、管理人が言った。
「……さっきも言ったかもしれないが、ワールド囲碁ネットで稼ぐ気はないんだ。ただ純粋に世界中の人が気軽に碁をできる場所を作りたかっただけなんだ。だから、広告も最小限にしているんだ。維持するのにはサーバー代とかかかるからね。それの費用分の最小限だけ広告を置いている。本当はゼロにしたいんだけどね」
管理人は続ける。
「僕もよりよくしたいという気持ちもある。けれど、仕事とかいろいろ忙しくて、なかなか手が出せないんだ……だから、仕事の代わりにやれたらという意味でお金を出してくれたらやれると言ったのはそういうことだ」
管理人はさらに、言う。
「けれど、悪い意味で捉えないでほしいんだけど、お金を出すと言っても、奈瀬さんが出せる金額じゃあ大した額じゃないと思う」
「……いえ! あの、私が出すわけじゃなくて、別の人のお金っていうか! 具体的な金額はいってなかったですけど……くらいは出せます」
金額のところは、小声で聞こえなかったが、斜陰が言った金額と同じ、数百万と言ったのだろう。
「そんなに出せるのかい? それはもしかして、ネットの死神shineと関係があるのかい?」
「えっと、それは……」
「いや、言いづらいことなら別にいい。ネットの碁打ちたちはみんなshineの正体を知りたがっている。けれど誰も知らないということは隠したい事情があるのだろう。それは詮索しない」
「……」
「でも、奈瀬さん、提案がある」
管理人は少しトーンを落として言った。
「それだけのお金が出せるのならいっそ、起業してみても面白いんじゃないか?」
「え? え? え?」
話は予想外の進んでいくのだった。