雄叫び。
それは時折パークの喧騒を破り、静寂を連れてきた。
みんなは耳をそば立たせ、みんなはさっと身を隠す。
あの恐ろしい雄叫びは誰だろう?
なにを叫んでいるのだろう?
これは誰もがその耳で知っている、
だけど誰も知らない、『あの子』の話―――
「見て見て!イエイヌちゃん!谷!すっごいよー!」
女の子は雄大な自然を見渡して、ぴょんぴょんと跳ねている。
うっそうと茂る森林を別つ巨大な渓谷は、彼女にとって新鮮な驚きだ。
「ともえさん、落ち着いてください!足を滑らせたら大変です」
もうひとりの女の子も、ぴくぴくと犬耳を動かして応える。
彼女にとって、ともえの暴走は慣れたものだが…心配には変わりない。
ともえは自然に前に出て安全を確保するイエイヌに微笑み、首元を撫でる。
画材を取り出しながら、座り心地のいい倒木を見つけ2人並んで腰掛けた。
「そう言えばドン、ここはなんのちほーなんだっけ?」
ともえは足元でくつろぎ始めたラッキービーストに声をかける。
黄色いボディにソンブレロがトレードマークの彼(?)は、
ふたりが南メーリカ園を訪れた時に知り合った個体だ。
「ここは『けいこくちほー』ダーヨ。深い森や谷川に暮らすフレンズがいるーネ」
「へー!どんな子とお友達になれるのかなぁ…例えば?」
「データがないーヨ。現地ガイドからデータを取得してーネ」
ふたりはずっこける。本来は管轄から離れられない局地ガイドの彼だが、
ともえたっての希望で一緒についてきてもらっているのだ。
現地のラッキービーストからマップなどのデータを貰う必要があるので、
新しい園やちほーにあしを踏み入れるとこういう事が起こる。
「ごめんネ。同期範囲内に現地ガイドが来たらすぐに要請するーヨ」
「ヘーキヘーキ!あたしたち、ドンがすきなんだ。それが一番大事な事だよ」
「そうですよ!…そうだ!ともえさん、あれ、やりませんか?」
「ああーいいね!やろっか!じゃあドン、いつものお願いしていいかな?」
ともえはペンを走らせながら、ドンに目配せする。
ドンは短く「マカセテ」と呟き、尻尾からマラカスを取り出した。
イエイヌはわくわくした様子で尻尾を振り振り。
そしてドンが刻む軽快なリズムに合わせて、ともえとイエイヌは歌い出す。
「ひがっしーにー♪ほーえろ♪」「わおーん♪」
「にっしーにー♪ほーえろ♪」 「わおーん♪」
雄大な自然の中で、友達と楽しく、自由に歌う。
遠い鳥の歌もペンを走らす音も、みんなメロディに加えて。
まるで世界とひとつになったかのような感覚が、2人は大好きだった。
…いや、ぴょこぴょこと踊り始めたドンもきっと、そうに違いない。
3人が一緒に歌っていると、ふとイエイヌが歌うのをやめ、振り返った。
「どうしたの?イエイヌちゃん?」
「何者かがあそこに…フレンズの誰かでしょうか?」
イエイヌは茂みを指差す。図星を突かれたためか、茂みがギクリと揺れた。
「お…音もなく近付いたはずなのに…すごいんだね」
観念して姿を現したのは、小柄な鳥のフレンズだった。
金の目でじっと3人を見て、少し慌てた様子で口を開く。
「初めまして、かな?邪魔してごめんね、だけど…」
「ちっちゃかわいい…目、綺麗…これは絵になる…」
「ともえさん?」
つい、悪い癖が顔を出したともえの顔をイエイヌが覗き込む。
ともえはハッとしてスケッチブックを閉じ、満点の笑顔で挨拶する。
「あっ、ごめんごめん!あたし、ともえって言うの!よろしくね!」
「私はイエイヌです~ こっちはラッキービーストのドンさんです」
「……」
「これはご丁寧に…っと、ごめんね!自己紹介は後でいい?なにせ…」
『ウオオオオォォォォオオオオ!!!』
ビリビリと地を揺るがす轟音。ともえは小さく悲鳴を上げて身をすくめ、
イエイヌは瞬時に、敵を警戒する番犬の目をしてともえを背後に庇った。
「警告しに来たの。すぐにこの場から離れよう…さぁ、こっちへ!」
フレンズは音もなく飛び立ち、谷から離れる道を先導し始める。
そのただならぬ様子に、2人はドンを抱きかかえてその後を追う。
ただ、3人は聞く事ができなかった。飛び去る彼女の、小さなつぶやきを。
「……あの子のためにも、ね」
―――
先導するフレンズを追い、深い森をかき分けて走る2人。
ともえにとってはついていくのがやっとのスピードで進んでいく。
イエイヌはフレンズとともえのペースに注意しながら、先んじて藪を払っていく。
走りながらともえは、ふと思いつきドンに話しかける。
「はぁ…はぁ…ねぇ、あの子ってフクロウじゃない?ドン」
「うぇ?ともえさん、あの子とお知り合いなんですか?」
「いやぁ、前から森を目指してる事はわかってたからね
図鑑で森の動物をいろいろ見てたんだ!だからかな…」
生息域マップはなくとも、名前で検索すればわかるかもしれない。
ドンはしばらく唸った後、どうにかデータを見つけたらしい。
「あれはモリコキンメフクロウ、ダーヨ
音もなく飛行して狩りをするハンターで
別名、森の賢者と呼ばれているーネ」
ドンの声を聞きつけ、フレンズは驚いた様子でしばし羽を止める。
そのまま音もなく、ふわりと3人の前に舞い降りた。
「いまの、ラッキービーストが喋ったの?初めて聞いた!」
「はい!ともえさんはヒトなんです。だからドンさんや、
他のラッキービースト達がお話してくれるんですって!」
「いいなー!リコもお話してみたいの…ああっ、名前!」
フレンズは静かに飛び上がって周囲を警戒する。
そしてどうやら、当面の脅威は去ったと見たようだ。
イエイヌもかすかに鼻を鳴らし、頷く。
フレンズは安心した面持ちで3人に向き直り、自己紹介した。
「モリコキンメフクロウのリコだよ。お花さんや森さんの研究をしているの!
ねぇ、もしかしてともえちゃんも何か研究してるの?
ラッキービースト…ドンちゃんよりも早くリコの事わかったし!」
リコの質問に、ともえの目がきらりと光る。図鑑を手に取り、応える。
「そうだね…あたし、動物が大好き!昔の事はよく覚えてないけど、
この図鑑を何回も読み返したり、ドンの話を聞いたりして…
どんなフレンズちゃんに会えるか、すっごく楽しみで!だから…ね?」
さっきまで慌ただしく、遠巻きだった彼女が身を乗り出して興味を示しているのだ。
こんなチャンスを逃す手はない。ドンと図鑑を丁寧に地面に置き、目を輝かせる。
「リコちゃぁ~~ん!!かわいい羽毛、モフモフさせて~~♡♡」
全身のバネを使って、飛び上がる様に襲い掛かるともえ。
反射的に身を翻し、木々の隙間に飛び上がるリコ。
ともえはそのまま、藪の中に頭から突っ込んでしまった。
「ともえさん!リコさんがびっくりしちゃうじゃないですか!
モフモフなら…その…」
イエイヌが慌ててともえに駆け寄り、助け起こす。
ともえはイエイヌのお腹をモフモフしながら、リコに元気よく頭を下げた。
「うへへ…あの子みたいにはいかないかぁ。ごめんね!リコちゃん!
あたしったらつい自分を抑えられなくなっちゃって…!」
「そんな、ちょっとビックリしただけだよ…ヒトって変わったフレンズなんだね?」
「私からもすみません…ともえさんは変わってますけど、すっごく優しいんですよ!」
「(イエイヌちゃん、変わってるって事は否定しないんだね…?)」
尻尾をブンブンと振り回しながら、イエイヌがフォローを添える。
ともえはひとりきりモフった手を休め、リコに問い掛けた。
「ねぇ、リコちゃん。さっき『警告』って言ってたけど、あの声…」
ともえはチラリとイエイヌを見やる。イエイヌは真剣な目で続ける。
「さっき、すごい勢いで『けもののにおい』が近付いてきてました。
私たちはあのにおい…声の主から逃げてきたと言う事ですか?」
リコは話が速いとばかりに頷く。
「あの声はこのけいこくちほーの魔獣、『ビースト』ちゃんなんだ…
リコはこの森に詳しいから、他のちほーから来た子にはリコが警告するの」
「へぇ…どんなフレンズちゃんなの?」
「違うよっ!『ビースト』ちゃんはとぉ~~っっっても怖い魔獣なの!
絶対誰にも近付かせないように言われ…じゃなくて、警告してるの!」
リコは金の目を光らせて詰め寄る。…ぶわっと汗をかきながら。
「『ビースト』ちゃんには絶対に近付いちゃダメだよ!
本当に本当に危ないんだから!声が聞こえたら急いで逃げるんだよ!
イエイヌちゃん、『けもののにおい』には気を付けてね?」
ともえとイエイヌはガクガクと頷く。なんだか有無を言わせぬ迫力だ。
言うべき事を言い終わり安心したのか、元の和らいだ雰囲気に戻るリコ。
「そうだ!この先にリコが育てた花畑があるんだ!一緒に来ない?」
「わあ、素敵!めっちゃ絵になりそう!ねぇ、リコちゃんと一緒に描いていい?」
「いいよー!『ビースト』ちゃんに気を付けてくれればなんだっていいよー!」
リコは先程の調子で木に止まり、森の隙間をゆったりと飛んでいく。
その様子をしばし見て、ともえは静かに、ドンに耳打ちした。
「ドン、ゆっくりでいいから、あの声の主が誰か調べてくれる?」
ドンは「リョウカーイ」と呟き、かすかな電子音を立て始める。
「あの、ともえさん?確かにリコさんからはすこしだけ
『嘘をついてるにおい』がしますけど…まさかとは思いますけど…」
「うんうん、どういうわけで近付いちゃいけないのかわからないけど…
イエイヌちゃんならあたしの気持ち、わかってくれるよね?」
「ふふっ…しょうがないんですから、ともえさんは!」
頑張って忠告してくれたリコちゃんに少し悪いと思いながら…
このドキドキは止められそうもない。ともえは小さな声で叫んだ。
「あたし、『ビースト』ちゃんとお友達になりたい!」
「ふー…これで荷造りは終わりましたかね…♪」
「ちょっとロバ!これこれ、忘れないでね!」
「ああー!ありがとうございます!じゃあこっちに…」
「おい!こっちにも散らかってるじゃねぇか!」
「しまったあー!じゃあこっちに…」
「まだまだ終わりそうにないわね…いいわ、のんびりやりましょ」
「のんびりは性に合わないぜぇー!」
[つづく]