三日前、それは突然始まった。
愛は、緊張した面持ちでギラリと光る鋭い刃物を右手に握って上げたまま、少し動きが止まっていた。
「早く、やっつけちゃいなよ〜」
愛は声のする方に顔を向け、ほんの少し口元で笑いを作った。
悪友のマユの声に励まされて、愛は行動に出た。
鋭い刃物を大げさなぐらいに天にかざした時、眩い光と共に床に魔法円が現れた。
「眩しい〜」
思わず口にした愛は、凍った様に身体が動けなくなり、そして、光の中に消えていった。
朝の爽やかな目覚めと異なり、身体中が痛くて愛は目覚めた。
「成功したぞ」
愛は、ギョッとした。
そこは,さっきまでいた料理学校の実習室とは異なり、今まで見たことのない異様な雰囲気の場所だった。
愛の周りには、無数のローソクが円を描く様に配置され火が灯っており、一個一個のローソクが大きくて、なにかの文字が読めた。
そのローソクの円の外側を、十数名の見知らぬ人達が愛を見つめていた。
彼らは中世のような服装を着ていて、隣の人と愛には聞こえない小声で何かを話していた。
この部屋の大きさは教室ぐらいの大きさで、床と天井は年代を感じるさせる木で作られており、壁は綺麗な模様の壁掛けで、隙間から見えるのはこれまた年代を感じさせるレンガだった。
しばらくすると、その中のもっとも若くて、高貴そうな若者が愛に近づいて来た。
「ユリア様、彼は武器を持っていますので、危険です」
そう声が聞こえると、すぐにその若者は声のする方に向いて答えた。
「我々が彼を召喚したんだ。誠意を示さなければならないだろう」
「ですが・・・。
右手に武器を振り上げて、今にも襲いかかりそうな」
「彼からは、戦意を感じられない。大丈夫だ」
そう言うと若者は、さらに愛に近づいて来た。
彼?武器?
愛は、何を言っているのか意味が分からなかった。
ふと上をみると、右手を挙げた状態で牛刀をしっかりと握っていた。
すぐに牛刀を下に下ろした。
ここに来る前の状態を忘れていたのだった。
調理実習で、小豚の丸焼きに挑戦していた。
初めてだったので、気合いを入れる為に少し大袈裟にアクションを起こしたら突然の光。
“これって、ぱっと見は誰かを襲っている構図だよね。でも、突然の出来事だったし・・・。
でも、彼って?
それは、普通の女の子よりは出ている所は出てないですよ。
それに、料理の最中でしたから服装は男女同じ料理学校の制服だし。そして、髪を後ろで留めて・・・?”
愛は、改めて周りの人達をよく見ると、男性と思われる全員が髪を後ろで留めていた。
女性が数名いたが、どの女性も長い髪を下に伸ばしていただけだった。
彼女は、女の子の中ではかなり背が高い方だったけれど、近づいて来る若者は拳分ぐらい高かった。
「ようこそ、ウィーラント国へ。
私は、この国の第二王子のユリアと申します」
ユリア王子はそう言うと、愛に軽く会釈をした。
愛は、目の前にいるユリア王子と名乗る彼をジッと見てしまった。
これほどのイケメンとは今まで面と向かったことがなくて、まるでテレビの中の俳優が、テレビ越しに愛に挨拶をしている様な感じに襲われた。
身のこなしも優雅で、暫く愛は見惚れた状態になっていた。
これは夢なのかなと愛は思った。
「えーと、貴方様のお名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
ユリア王子は、さっき召喚した目の前の彼に睨みつけられて怒らせてしまったのだろうかと、少し心配になり始めていた。
なにせ、本人の承諾なしに古の魔法で勇者を召喚したのだから。
「私の名前は橘 愛です」
ジッと目の前の彼を見ていたと気付いた愛は慌てて彼から視線を外し、反射的に名前を言って軽い会釈をした。
どうやら夢ではなさそうだし、愛はこの状況を理解出来なかったので、丁寧な挨拶をしてくれた彼に詳しくこの状況を聞こうと思った。
きっと、色々教えてくれるはずだと思った。
ユリア王子は少し違和感を覚えた。
古に伝わる伝説の勇者を召喚するこの儀式で、この場にいる者全員が成功したと思っていた。けれど、こうして近くで見ると疑念が出てきた。
彼の分厚い胸板だと思っていたのが、近くで見ると女性特有の膨らみをしている。
そして、思っていた以上に身体も細っそりとしていた。
さらに、先程名前を名乗った時の声がまさに女性の声だったのだ。
いきなり女性ですか?とは聞けないので、当たり障りのない質問で何かヒントがないか探る事にした。
「この度、我々の勇者の召喚の儀式で勇者の橘愛様が来てくださり、皆ものを代表してお礼を申し上げます」
そう言うと、ユリア王子は先程の挨拶とは異なり、深々と頭を下げた。
と、同時に周りの人達も同じく深々と頭を下げた。
愛は一瞬頭の思考が止まった様な気がした。
“勇者?
召喚の儀式?
もしかして、この人達は勇者を召喚しようとして、間違って私を召喚した?
どうして?
いえいえ、それよりも、ここはどこなの?
とにかく、今は深々と頭を下げているユリア王子の頭を上げてもらって・・・。
でないと話が出来ません”
「えーと、ユリア王子でしたよね。頭をお上げください。
これではお話も出来ませんから」
ユリア王子はそれを聞くと、頭を持ち上げた。
質問をしようと口に出かけところで、愛が話しを始めた。
「先程から耳にする勇者ですが、私は勇者ではありません。元いた場所に返して下さい」
周りから落胆の声が聞こえてきた。
古の勇者を召喚したのに、いきなり本人の口から勇者でないと言ったのだから。
愛に聞こえるほどの大きな声で、失敗したとか言っている人達もいた。
愛は、落胆の目で大勢から見られると、ショックで心が萎縮してしまってこれ以上話を続けられなかった。
五年前、母親からの否定の言葉を急に思い出したからだった。
ユリア王子は、この状況はまずいと思った。
数年に及ぶ準備を経て、やっと勇者を召喚出来たと思ったら本人の口から勇者でないと否定されたのだから。
取り敢えずは、召喚した方をあらかじめ用意させておいた部屋に移動してもらって、その後の対策を考えなければと思った。
ユリア王子は騒然とした場の中で、透き通る、そして威厳のある声でその場を静かにさせた。そして、ドアの近くにいた者に指示を出した。
「マリサを呼んでくれ」
ドアの近くに居た者が、内側から掛かっている閂を抜き外に出て行った。
しばらくすると、青色の服を着ている薄い色の金髪の女性が入って来た。
背はさほど高くはないものの、利発そうな彼女は直ぐにユリア王子の近くまで進み出た。
「マリサ、この方を手筈通り部屋に案内して 寛いでもらってくれ」
「わかりました、ユリア王子 」
弾ける様な元気な声で返答したマリサは、愛に挨拶をした。
「貴方様のお世話を仰せつかっております、マリサと申します。
宜しくお願いします 」
そう言うと、マリサは愛に深々とお辞儀をした。
ユリア王子は、愛に平常心の時の様に冷静な声で話した。
「橘愛様。
元いた場所に返す術を我々は知らないのです。
取り敢えずは、こちらでお部屋をご用意させてもらっていますので、長旅の疲れを癒して下さい。」
愛は、この訳の分からない状況を把握できずにいるので、ただ機械的にユリア王子の言葉に頷いて、マリサの後について行くだけで精一杯だった。