「そ…んな…」
彼女は見れば直ぐに解るような絶望した顔をしている。そうだ、これでいい。いい顔すんじゃねぇか。
…頭が痛い。そうだ、「いい顔すんじゃねぇか」なんて言っちゃダメだ。
憎しみを押えろ。なるべく平常心で。もうこいつと関わらないように。
俺は平然と扉の前にいるアイツの横を通り過ぎ、屋上から立ち去る。
「ふぅ…あんなんでいいだろ」
階段を降りながら考える。
今のうちにきつく言っておけばもうあちらから関わってくることは無いだろうと思い、こちらの思いも全て…ではないがぶちまけさせてもらった。ともあれ効果バツグンのようで何よりだ。
屋上から下の階へ向かう階段の途中で、朝屋上で会った赤いメッシュの女とすれ違う。
彼女も俺も互いを一瞥してから足も止めずに階段を俺は下りていき、赤メッシュは上っていく。
きっと赤メッシュが階段を上って屋上に着いてドアを開ければ、目の前にはアイツが泣き崩れているだろう。アイツは笑われ者間違いなしだろうな…まぁ、それでも俺が笑うことなんてないんだが。
決して顔に出さず、心の中でアイツを嘲笑しながら独りの廊下を歩んで行く。
…心の中だけなら、どんな笑いでもいいだろうか?
…ダメだダメだ。そんな事考えるな咲実叶汰。…こんな事考えるのも、あれもこれも全部、
✤✤✤✤✤✤
「…えっ?ちょ、つぐみ大丈夫!?」
「ひっぐ…う、うぇ!?蘭ち゛ゃん?!」
「なんで泣いてんの!?」
「い、いや別に…」
「もしかして、さっきの男が朝言ってたヤツなの?」
「え…?蘭ちゃん顔怖いよ…」
「アイツが泣かせたの?」
「あの人は…咲実君は悪くないよ…!」
「隠さないで。つぐみを泣かせてる時点でアイツが最低な奴ってことは分かったから」
「ち、ちがっ…!」
「違くない。つぐみはすぐそうやって隠そうと、相手を匿おうとするよね。さっき階段上ってくる時に見たけど、平然と通り過ぎてったからね?あんな奴が良い奴とは思えない」
「それでも…!きっと咲実君にも事情があって…!!」
「事情…?」
屋上に行こうと思って扉を開けたら、つぐみが泣いてるから何事かと思ったが無事(?)で何よりだ。
さっきのアイツのせいで脅されてるのかもしれないけど、つぐみは必死にアイツを匿っている。
何故?普通の人なら泣かされた人に情なんて抱かないと思うんだけど…少なくともつぐみは普通の人のはずだし。
…まぁ、つぐみの話くらいは聞くけど。
そう思い口を開き始めたつぐみを見て耳を傾けた。
✤✤✤✤✤✤
とぼとぼと独りで夕暮れの中を歩いて行くと、向こうの方から二つの影が見えた。非常に見覚えのある影。きっと中学の時に一緒だった『アイツら』だ。
「よっ!」
「久しぶりだな」
「中学卒業してからそんなに経ってないけどな」
「あははっ!それもそうだな!」
俺に近づいてきた二人。中学の時にいつも一緒にいた
「…天翔は?もしかしてまだ…」
「大体ご想像の通りだよ」
「まだ氷川恨んでるっぽいぞ!」
「ちょっ!?俺が折角オブラートに包んでやったのに何喋ってんだよ!」
「だー!!ごめんごめんって!だから抓るな!!!」
「…そうか」
賑やかなのは変わりがないようで何かと安心した。
…いや、賑やかすぎるか?
「俺は天翔が本心でそんなことやってないって確信してるけどな!!!」
「お前それ本人の前で言うなよ?本人が自分自身で模索して気付くのがいっちばんいいんだからな?」
「うるさいのは相変わらずなんだな、慧呉」
「うっ、うるせぇ!!」
「その声もうるせぇよ」
言葉の一つ一つに感嘆符が付いているのが慧呉。それと比べては比較的冷静なのが柊だ。
こいつら…と天翔は俺の事を知っている
「慧呉お前、金髪やめたのか?」
「あー…まぁ色々あってだな」
「どうせ白鷺さんだろ」
「んなっ!?そこで白鷺が出てくる意味はなんだ!!!しょーがねぇだろ!あいつがうるさかったんだからよ!」
「ビンゴか」
「うぐっ…」
「楽しそうで何よりだな」
こいつらは俺とは違って花咲川に通っている。俺も花咲川にしたかった所だが、家からの近さも含めたら羽丘の方が良かったから今に至っている。正直アイツに会うくらいなら花咲川の方が良かったかもしれない。
「…なぁ」
「なんだよ柊」
柊が急に神妙な面持ちで話しかけてくる。
「湊と、その…リサは元気か?」
「あぁ…お前の幼馴染か…ちょっと見たくらいだけど多分元気だと思うぞ。……けどあれだな、今井は男と一緒にいたよ。彼氏かなんかか?」
「そっか…まぁ、そんなもんじゃない?」
ありがとな、と言い柊は笑うが、明らかに様子がおかしい。しかしここで問い質すというのも柊の癪に障る可能性もある。タダでさえ地雷を踏んだ可能性があるのだからここで聞くのも野暮な真似というものだ。
「叶汰はまだ笑顔…ダメか?」
「…何度も言ってるが、それだけはお前らに首を突っ込まれる筋合いはねぇよ」
「けどお前…兄の為にも…」
「…うっせぇ。兄さんはもういねぇだろうが」
「早く立ち直らないと…」
「あーもうこの話はやめだ。久々に会ったのに辛気臭い話も面倒だろうが」
「…それもそうだな」
「けど…「よせ慧呉。きっとあいつも気付いてくれるよ、そんな人が絶対あいつの前には現れる」…柊にそう言われちゃ信じるしかねぇな」
最後の慧呉と柊の話はよく聞こえなかったが、その後は普通の話をしながら帰った。
ごく普通に、けどどこかおかしくて、一人だけ笑いのない世界にいる会話。
けどきっとこいつらも何か抱えてる。さっきの二人の口ぶりからすれば、入学早々大変なことになっているのだろうな…
花咲川の方が入学式早かったらしいし。
「笑顔…」
…変わらなきゃいけないことぐらい、分かってるさ。
✤ ✤ ✤ ✤
「って言う訳なんだけどね…」
「いやいや、話聞いても印象変わらないよ?」
「そっ、そこをなんとか!!!」
大体の事を話しても蘭ちゃんはまだ疑っている。まだしっかり謝ってさえいないのに、ここで立ち退く訳にはいかないもん!!
「そもそも何でそんなにそいつに構うわけ?」
「え……?」
そういえば…何でだろうか。さっきも言ったようにしっかり謝る為…?いいや、何か違う気がする。
私が咲実君を庇う理由…?
何か、何かあるはずだ…そういえば朝モカちゃんが…
そうだ、それだ!確証はないけどきっとそう…だと思う。
「…モカちゃんが言ってたんだ。咲実君ね、私達が話してた時、もっと詳しく言うと私達が笑ってた時…かな?にすごい不機嫌な顔してたらしいんだ」
「その原因を知りたい…ってこと?」
「そういうことだよ蘭ちゃん!分かって、くれるかな…?」
「ッ…!?そんな頼み方されたら断れないじゃん…」
やった…!とりあえずは蘭ちゃんも分かってくれたみたいだけど…
「けど、完全にあいつを信じた訳じゃないから。怪しいと確信した瞬間つぐみから容赦なく切り離すよ」
「…うん!分かった!」
私はそれに満面の笑みで答える。そうだ。ここで泣いてばかりじゃいられない。
頬に伝っていた涙を拭い、座っていた足を起こして立つ。
私だって、進まなきゃ…
「で、話聞いてる限りだとつぐみがソイツに惚れてるようにしか聞こえないんだけど」
「えっ、えぇ〜!!??」
「見た目は確かにいいかもしれないけど…性格、ちゃんと見なよ?」
「ま、待って蘭ちゃん!!色々と誤解がぁぁあ!!!」
✤✤✤✤✤✤
「今日はとことんダルかったな…」
家に帰った後の自室でベッドに横たわりながら独り言ちる。
…まぁ明日からならあいつが絡んでくることもないだろうし、多少は楽だろう。
しかしなんだろうか。心の底に何かつっかえているような、モヤモヤした感じ。
はっきり言って気持ち悪い。吐き気を催す程の何か。その何かは一体何なのか、自分には心当たりもないので検討も付かない。
「考えても仕方ねぇ…ってか」
色々あり過ぎたんだ。少しくらい脳を休ませてやろうぜ。
また独り言ちながら、徐々に重くなっていく瞼に抵抗することもなく深い、深い眠りについていく。
────
此処は、何処だ?
何も無い。『虚無』という言葉の存在をその空間全体で表しているような真っ暗闇の中。
その中に俺はただ独りぽつんと立っている。
此処は、何処だ?
俺はあの後寝たはずだ。夢遊病とやらになっている可能性も無きにしも非ず、といった所だが、仮にそうだとしてもこの空間を説明できる根拠とする事はできない。
此処は、一体何なんだ?
ふと、暗闇の中に一筋の、と言ってもとても微量の僅かな光が射す。
次の瞬間、そこには後ろ姿を向けて顔も見えない
「おいお前ら、此処はど…ッ!?」
此処は何処かを聞こうとした瞬間にその誰かに押し飛ばされる。よく見えないが体格的にも恐らく男だ。
「てめぇ…何しやが…」
倒れた躰を起こし見上げたその男の手には、小さな、恐らく料理用等ではない、果実の皮を剥ぐ為に使われるナイフが握られていた。
「…は?」
状況が分からない。何なんだこの状況は。夢なら早く醒めてくれ。この意味の分からない空間から早く抜け出したい。
─そう思った瞬間だった。
男は羽沢の頬を掌で思い切りひっぱたき、その衝撃と重力に逆らわずに倒れた羽沢の上に跨る。
すると男はナイフを両手で握り、ソレを思い切り羽沢の腹部へ振り下ろした。
刹那、羽沢は口から勢い良く血を吐く。しかし何故か羽沢は
待て、やめろ。それは
笑いながら、刺されながらこっちを見て笑わないでくれ。
狙ってんのか?何とも悪趣味な夢だなおい。今すぐに醒めやがれってんだ。
グサッ、グサッ、と羽沢の腹部に刺さるナイフの音以外何も聞こえない。それがやけにリアルさを醸し出している事で尋常ではない程の吐き気がしてくる。
もう、どうでもいい。早くこの夢を醒ます為に男を羽沢から退かせようと男の元へ走り寄る。
「おいお前止めろよ!早くそこをどけ──」
俺が男の肩を掴んでこちらに顔を向けさせるようにぐいっと男を引っ張る。
そこに映っていたのは、その顔の、その男の正体は。
────俺だった。
しかし今の俺とは根本的に違う、羽沢を滅多刺しにしながらも満面の笑みに満ちた狂気としか取れないその顔。
違う。
これは俺じゃない。
けど俺だ。
俺であって俺じゃない。
…じゃあ、何者だ?
吐き気がしてくる。いや、もう既に吐きかけている。良く考えれば同じ意味か?そんなことどうだっていいだろ。
念の為に口元を手で抑えておく。常人ならとっくに限界を迎えているであろう
しかし俺が吐き気を催している理由の90%はこの
何故この状況についてほとんど何とも思わないのか。滅多刺しにされているのが羽沢だからか?いや、それは違う。いくら俺でも人が刺されていれば真っ先に助ける。
…そうか。ある考えが頭を過ぎり、それがストンと腑に落ちた。多分、そういうことだ。
きっと…
やがて、笑い声が聞こえてくる。間違いなくこれは俺の声。けど声を発しているのはもちろん俺ではない。こんな状況でも、羽沢はまだ不気味に、けれどどこかに「無」を感じさせるような薄ら笑いを浮かべている。
羽沢のその笑顔と、そして
対照的な笑顔の筈なのに、一纏めにしてしまえば同じ『笑顔』なんだぜ?
オモシロイヨナ。オモシレェヨナ?
やめてくれ。
─これ以上ここにいたら気がどうにかなってしまう。
…いや、もしかしたらもう手遅れなのかもしれない。
ここに居続けたらきっと俺はこの俺になってしまう。ダメだ。そんなこと絶対に。俺はアイツとは違う。俺は違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う
出して。出してよ。夢なら早く醒めてくれ。早く。早く早く早く早く早く早く。
だしてよ、おにいちゃん。
✤✤✤✤✤✤
「─ッッ!?」
夢、か。
何て酷い夢を見てしまったんだろう。タイミング的にも最悪だ。今日だけでこの事を何回考えなければならないんだ?
神は俺に味方してくれもしないのか?
俺に地獄を味わえと、そう言いたいのか?
どうせまた考えても無駄、みたいなやつだろう。次はこんな夢を見ないように、強く祈りながら再び瞼を閉じようとしたその時だった。
「たのもーう!あれ?叶汰起きたの?」
「…うるせぇよ、
「もー!拗ねる叶汰も可愛いなぁー!!」
「離れろ。気持ち悪い」
「むっ、おねーちゃんそれは傷つくぞー?」
「言われ慣れてるだろうが」
「それもそうかもしれないかなぁ〜?」
もう紹介はそれだけで十分だろう。正直言ってあまり関わりたくはない。
「それでー?
「……何も見てない」
「嘘でしょ。嘘ついてる時に手が首の辺りに行くの、変わってないんだね」
「俺が何も見てないっつったら何も見てねぇんだよ」
「もしかして、お兄さんの事?」
「…そういう時だけ勘がいいんだな」
「図星!?私もついに叶汰の考えを当てることが「ウゼェんだよ!!」え…?」
「どいつもこいつも俺の気持ちを知らない癖にさっさと立ち直れだの言いやがって…俺は
「ごめん叶汰、お姉ちゃん別にそんなつもりは…」
「…出てけよ」
「叶汰…あの」
「さっさと出てけよ!!!」
「…ごめんね、叶汰」
今日で感情をむき出しにするのも二回目だ。もうそろそろ精神的に疲れてきている。
自分の部屋の扉が閉まる音を聞きながら、考える事も面倒臭くなってしまった思考回路を停止させる。
「はぁ…」
ゆっくりと、また眠りに落ちていく。
✤ ✤ ✤ ✤
「また、ダメかぁ」
叶汰に怒られたのもこれで何回目なのか分からない。
──救えるのは、私しかいないのに。
私が頑張らないでどうする?
叶汰はきっとこのまま大人になってしまう。
そしたらきっと、環境の波に耐えられずに最悪の場合自ら命を絶ったり…流石に盛りすぎかな。
けど、けどそんなことあったら私…!
お兄ちゃん…私どうすればいいのかな…?
…ダメダメ!!いつまでももういないお兄ちゃんに頼ってちゃダメだよね!
「まだめげないからね…!」
叶汰の部屋の扉の裏でそんなことを考えた後に、自分と叶汰のただ2人だけの晩御飯を作るために台所に向かう。
もうそろそろ亀投稿常習犯になっちゃうぜ