元に戻さねば
「……また来るわ。今日は始まったばっかりですもの」
そう青年に告げたナーベラルは部屋から出ていく。目的地は現状ナザリックに残っている唯一の至高の御方「アインズ・ウール・ゴウン」の書斎。今朝の青年の意思を確認して、その内容をアインズに報告することがプレアデスの務めである。
そして本日の青年の世話係はナーベラルであり、今朝は青年への意思確認と懲罰を行ったことを報告に行くところであった。
ナーベラルは歩きながら考える。何故、青年は至高の存在に戻ろうとしないのか?
ただ自分たちプレアデスに嬲り者にされる現状よりも、自らの罪を認めアインズ様の許しを得て至高の存在に戻ることの何が気にくわないのか?ナーベラルには理解できなかった。
(私にとっては確かにどちらでも良い。いえ、むしろ……)
ナーベラルの足は自然と早くなる。
今日は確かに始まったばかりだが時間は有限だ。
だとすれば急いで損はない。
アインズの元へ向かうナーベラルの前から見知った顔のメイドがやって来る。
赤い髪に褐色の肌、そう彼女は
「あれ?ナーちゃん、今から報告っすか?」
「ルプー……ええ、その通りよ」
『ルプスレギナ・ベータ』ナーベラルの姉にしてプレアデスの次女。
その彼女が自分とすれ違うように前から来たのだった。
「あー、その様子だと今日もダメっぽいっすね。今日はもう何かしたんすか?」
「数発殴ってきて、ポーションで治療してきたところよ」
「朝から激しいっすね」
「……まあいつも通り答えは変わらずだったんだけど……いつになったら戻ってくれるのかしら……」
「……早く至高の座に戻ってきて欲しいっすね」
そんな会話をする二人の顔は内容に対して嬉しさを隠すようであった。
基本的にほとんどの僕が青年が至高の存在への復帰を望んでいる。
だがプレアデスだけは違う。良くも悪くも彼女たちはおもちゃを手に入れた。それは普通では決して手に入らないような特別なおもちゃだ。それをみすみす手放すつもりはない。彼女たちもまた異形種なのだから。
一拍の間をあけた後、ルプスレギナは何かを思い出したのかその場を後にする。
「――それじゃあ、ナーちゃんはアインズ様への報告があるようなので私はこれで失礼するっす。後でプレゼントがあるのでお楽しみに!」
「……プレゼント?」
ナーベラルが聞き返す前に既にルプスレギナはその場から消えていた。
はて、プレゼントとは一体何のことか?ナーベラルに思い当たる節は全くない。
だが、ルプスレギナは昔から快活な性格をしている、何か思いつきで行動したのかもしれない。だとすれば、自分のあずかり知らない、と言ったところでどうしようもないという訳だ。
ナーベラルは再び歩みを進める。
それから少ししてアインズの書斎に到着する。
アインズからの許しを得て入室した途端一番先に目に映ったのは、アインズの書斎にある机の上だ。山積みの資料があり至高の存在としての仕事の多さが目に見えて分かった。
今回の彼の意思を確認したことを報告する。アインズは「そうか」と一言つぶやいた後、腕を顎に当て考えるそぶりを見せた。そして何かを思いついたのか口を開く。
「ナーベラルよ、たまには飴を与えてはどうだ?」
「飴ですか?」
「いつも虐待してばかりでは余計に意固地になるだけかもしれない。逆に少しの優しさを見せればそれがきっかけで心を開いてくれるかもしれない。試してみる気はあるか?」
「ですが……どのようなことすれば?」
「確か後輩はリンゴが好きだったはずだ。食堂に行き盛り合わせを貰いプレゼントすると良い。きっと喜んで受け取って食べてくれることだろう」
「わかりました。やってみます」
アインズに丁寧な退出の言葉を述べると書斎を出ていく。
アインズの言う通り、自分はこれまで彼に対して暴力や屈辱を与えることで自分の思いをぶつけてきてばかりだった。鞭ばかりでは人は壊れてしまう。偶には飴をあげよう。アインズ様のお墨付きもあるのだから。
ナーベラルは考える。リンゴを受け取った嬉しそうな彼の顔を……。思えば至高の地位を剥奪されてからはナーベラル自身は彼の喜んだ顔を見たことはなかった。一体どんな風に笑うのか、どんな顔をするのか、反逆者に落ちても変わらないのか。見たい。見てみたい。
ナーベラルはいつもの仏頂面の仮面が壊れかけ、その中から狂相といっても過言ではない笑みを浮かべる。もし通りがかった人がいれば目を疑ってしまうような表情であった。
それくらい楽しみであるのだ。
誰もいない廊下でナーベラルは再び仮面をかぶり直し食堂へと向かう。
目的は勿論、ナザリック産の最高級リンゴを剥いてもらい彼に食べて貰うためだ。
歩きながらナーベラルは思っていたことを考える。
(さすがアインズ様。至高の御方の助言は意義深い。ああ、あの反逆者の喜ぶ顔が見れるなんて……。そのまま飴を与え続けてもいいし、すぐに鞭を振りかざして苦痛に落とすのもいい。ふふ、今から迷ってしまうわ)
異形種の愛は歪んだものが多い。
ナーベラルは愛というものを理解しきれてはいない。
だから苦痛も快楽も愛情として伝えてしまう。
◆
ポーションと鼻血、それと涙に濡れた顔を腕で拭うように擦る。
この部屋には時間を確認できるものはない。だが、いつも余計な世話をしてくれているプレアデスが交替してナーベラルが来たということはきっと朝なのだろう。
……朝っぱらから俺はボコられたのかと思うと自然と腹が立つ。まあ、口答えしたせいで二、三発多く殴られて首まで絞められたのだが。それにしたって鼻の骨が折れるまで殴るのは酷いと思う。
「はぁ、家に帰りたい……父さん……母さん……元気にしてるかな……」
現実の世界で生きているであろう両親のことを思うとこんなところでグズグズとしてはいられない気持ちになる。多分だが俺が失踪して心配していることだろう。……してるよね?現実世界のマズイ飯も今思うと懐かしい。あの頃に帰りたい。
……ダメだ、思考がマイナスに傾いてしまう。先が分からない未来に落ち込むばかりで元気が出ない。
俺は壁に寄り添うように体育座りをする。
あー、髪と服がベタベタして気持ち悪い。
「お風呂に入りたい」
自分で喋っていて悲しくなる。
というか普通に考えてこの部屋は何もなさすぎる。シャワーぐらいあって、自由に浴びさせて欲しいものだ。
「異形種だった頃は汚れなんて気にもしなかったんだけどなあ」
俺は少し前まで異形種と呼ばれる人間とは別の存在であった。だが先輩と喧嘩したせいで人間になった……いや、戻されたというべきか。戦闘能力もなく格下であった一般メイドにすら負ける可能性すらある現状では脱走は難しい。だから今は大人しく従う他はない。
そんなお風呂に入りたがっている俺の牢獄に、誰かが入室してくる。
ナーベラルが帰ってきたのかと思い、顔をあげるとそこには予想とは別の人物がいた。
「おはようっす!」
「何だ、ルプスレギナか……おはよう」
そこにいたのはプレアデスの次女『ルプスレギナ・ベータ』だった。
プレアデスの中では俺に対して直接、危害を加えてくる方ではないのでまだマシな方であると言える。ただ、本質はやはりカルマ値がマイナスというだけあり悪質ないたずらを仕掛けてくることが多々あるので信用はできない。
「何だとは失礼っすね!もしかして何か困っているんじゃないかと思って来てあげたのにその言い草はあんまりっす!」
「……それはすまなかった」
確かに今は体と服にへばりつくように付着している血とポーションを今すぐ洗い流したいと思いがある。本来ならナーベラルの仕事の筈なのだがどういう訳かルプスレギナが助っ人に来てしまった。
匂いとべた付きは正直苦痛だ。仕方ないルプスレギナに頼るか。
「ルプスレギナ……悪いけど風呂に連れて行ってもらえないか?」
「しょうがないっすね!それじゃあ、ナーちゃんが帰ってくる前にパパっと洗ってあげるっす!」
「一人で入れるんだけど……やっぱりお前も来るのか……」
この地下牢の隣の部屋は風呂に改装されており、プレアデスが持つ鍵で足かせを外してもらって自由になったところでやっと入れる様になっている。正直、このシステムは面倒だと思うし、プレアデスに裸を見られるのは少し恥ずかしかったりする。それでも、風呂はこの牢獄生活の中での数少ない癒しなので入れるときに入る。
足の枷と腕の枷を外されてやっと自由に動けるようになる。
「やっぱ繋がれていると結構ストレスたまるんだよなあ」
「逃げようとするから悪いんすよ!さっさと至高の座に戻ればこんな扱いを受けずに済むのに……」
「そうだな……今のところ戻る気はないが……もし、戻ったら今度は嘘つきの人狼メイドを鎖でつなぐことにしようかな」
「それは酷いっす!それに私は嘘なんてつかないっす」
「どうだか。お前の下らないいたずらで何度、俺が酷い目にあったことか。それに人狼は嘘つきであると相場が決まっている」
「そんなこと言ってると本当に酷い目にあわせるっすよ」
俺の言葉にルプスレギナは頬を膨らませて怒っているような素振りをする。
偶には俺だって毒を吐きたいときぐらいあるのだ。だが、ナーベラルやソリュシャンなんかはすぐに力を振るってくるので気を付けなければならない。逆にルプスレギナは軽く受け止めてくれるので言葉を選ばすに済む。
逃げないようにルプスレギナに手を引かれ隣の浴室につく。
俺は汚れた服を脱ぎすて、腰にタオル一枚を巻いた状態になる。やっぱり素っ裸は恥ずかしいのである。
そこまでは良かった。だがどういう訳かルプスレギナまでもが服を脱ぎだしたのだ
「……自分一人で入れるんだけど」
「遠慮しなくていいっすよ。背中も流してあげれるし、それになにより混乱に乗じて脱走するつもりかもしれないっす。だから、見張りも兼ねてってことで!」
「人狼ってのは嘘つきなだけでなく、疑り深いんだな」
「当り前じゃないっすか!せっかく手に入れたおもちゃを手放したくないっす。だから疑り深くなっても仕方ないというものっす!」
おもちゃって……深く考えるのはやめよう。俺が反逆したその日から扱いが悪くなることは分かっていた。ソリュシャン当たりなら食料と言われていたかもしれない。
俺は腰にタオルを巻いてあれを隠す。ルプスレギナも衣類を取っていく。
恥ずかしいが乗り気のルプスレギナを見ると、引くに引けない。
浴室に入ると既に浴槽には湯が張られた状態にあった。やっぱ魔法ってすごい。
先に髪を洗うためにシャワーを出す。ナザリックの洗髪剤はどれもが一流品らしい。ナザリックを作る時そんな設定をした覚えはないのだが、それでも使えるものは使う。
ルプスレギナはシャワーヘッドとシャンプーを手に取ると俺の髪を洗っていく。
「痒いところはあるっすか?」
「いや丁度いいよ。あと胸を押し付けるな。胸を。服濡れるぞ」
「またまたぁ、本当は嬉しいくせに!」
「はぁ……俺はケモナーじゃないからそういう趣味はないよ」
「ケモナー?」
「あー、覚えなくていい。忘れろ。メコン川先輩に怒られちゃうから」
性的な興奮がないわけではない。だがそれを悟られると負けてしまう。弱みなんて一切握らせるわけにはいかない。
それは別として人に髪を洗ってもらうのは気持ちが良かったりする。
昔、妹と一緒に風呂に入ったのを思い出す。
「何、ニヤニヤしてるんすか?」
「えっ!……ああ、昔、妹と一緒にお風呂に入っていた時があってさ、今のルプスレギナみたいに髪を洗ってあげたんだ。懐かしいなあって……」
「……へぇ」
その言葉以降ルプスレギナは黙ってしまった。
うっかり口を滑らせてしまったのがまずかった。基本的に彼女たちはリアルの話を好まない。俺からすれば帰りたい場所だが、彼女たちからすれば返したくない場所だからだ。あのお喋りなルプスレギナが黙ってしまうぐらいには機嫌が悪くなっている。
その後トリートメントをしてもらった後に、背中を流してもらう(流石に前は自分で洗った)。その時もルプスレギナは終始黙った状態であって何となく恐い。
体を流し終わった後に恐る恐る聞いてみる。
「ルプスレギナ……怒ってる?」
「……」
何も答えないということが答えだった。
確かに俺は現実へ帰りたいとは思っている。だがそれとは別にこいつらNPCを嫌っているわけではない。仲良く終われるならそれに越したことはないまでだ。
「悪かったよ……リアルの話して」
「……そうっすよ。私の、いえ僕の前でリアルの話なんてして……本当に悪い子……」
そうしてルプスレギナは大きく口を開けて、小さく呟く。
「これはお仕置きっす」
瞬間、肩に鈍い痛みが走る。
斜め横に目をやると俺の肩を噛むルプスレギナと目が合う。
本気で噛んでいないことは分かる。本気なら今頃、肩はない。
数十秒経ちルプスレギナはそっと口を肩から離す。
肩には目立つように歯形がくっきりと残っていた。
ルプスレギナはその細い指で歯形をなぞるように滑らせていく。
「おい、もういい――――グっ!」
次は反対の右肩に、その次は二の腕と次々に歯形を俺の体にまぶして行く。痛いには痛いが朝の骨折に比べればまだマシと言えるだろう。
俺は犬を飼ったことがないからどういうつもりでルプスレギナが歯形を残しているのか分からない。ただ、暴力、それも酷い奴でないことに安堵する。
「もう満足か?……そろそろ服を着たいんだけど……」
「ふふ、良いっすよ。ナーちゃんへのプレゼントの用意も出来たっすから」
「どういうことだ?」
「その姿をナーちゃんが見たらどう思うんすかね?」
「…………ああ、クソ」
ナーベラルの気持ちを分かった上でルプスレギナは歯形を付けたのか……。
やっぱり人狼は信用できない。
確かに見せられねえよな。
◆
ナーベラルは手にバスケットを持ち、反逆者が囚われている牢獄へ続く道を歩いていた。バスケットの中身は彼の好きなリンゴが綺麗に切られて入っていた。
これもアインズからのアドバイスがあったからこそである。
牢獄に入ると彼がいたが、その姿は出ていく時とは違っていた。血とポーションで汚れているはずが綺麗になくなっていたのである。
「あら?見ないうちに小綺麗になって、どういう仕業かしら?」
「その、ルプスレギナが来て風呂に入れてくれたんだ」
「ああ、なるほど」
本来であれば勝手な真似をしたということを理由にいたぶっているところだが、今回はそこをぐっと我慢する。
飴と鞭だ。
……それにしては様子がどこかおかしい。
落ち着かないというか、汗をかいているというか、何かを隠しているような。
ナーベラルはドッペルゲンガーである。人の表情には敏感であった。
彼が着ているYシャツの襟首を掴み問いただす。
「何を隠しているの?」
「何も……」
嘘だ。一瞬、目をそらしていた。
ナーベラルは思いっきり締め上げると服の隙間から一瞬見えた『肩』に目がいく。
見間違うはずもない、綺麗な噛み跡が見えた。
「どういうこと!」
「やめっ――――!」
思い切りYシャツを破るようにして裂く。ボタンは宙を舞い、青年の上半身が露になる。そこには『いくつもの噛み跡がくっきりと残っていた』
まるで『そういうこと』をした後ですと見せびらかしているようであった。
手には無意識のうちに力が入る。
「いや、これは、ルプスレギナが無理矢理……」
「今日は、」
「え?」
「アインズ様に言われてあなたのためにリンゴを剥いてきたの。だから全部が終わったら、あなたに食べさせてあげる。だからしっかりと意識を保っていてね」
ナーベラルはこれがルプスレギナのいたずらであることはとっくに分かっていた。それでも嫉妬してしまう。
(これが嫉妬するということなのね……)
この反逆者の当番は今日だけは私の筈なのに。それなのに……!
甘いリンゴを与える前に最高の苦痛を与えよう。もう二度と私を嫉妬させないように。
ナーベラルの仮面は本日二度目の崩壊を迎える。
次回はエントマかシズ辺りとイチャイチャしたい