守護者の観る水平線   作:根無草

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お姫様の誓い

 鎮守府の屋上──

 

 遠くに聞こえる波の音、頭上には降り注ぐような満点の星空。

 そんなロマン溢れるシチュエーションだというのに、眉間に深いシワを刻んだエミヤは耳に当てた白い折りたたみ式携帯に向かってうんざりとした口調で話しかけていた。

 

「キャパシティの限界など知らん。容量が足りないのならバックアップを取ってから脳内のフォルダを全て消去したらどうかね?その空いたスペースに新たな情報を詰め込みたまえ」

 

 通話相手は機械人形(オートマタ)かAIなのかと疑われるような内容だが、それはあくまでエミヤの皮肉が行き過ぎているだけである。

 電話の相手は疲れきった日渡提督だ。

 

 機械人形(オートマタ)では無いにしろ、上司が相手である事を考えればやはりエミヤの皮肉も言い過ぎというものだろう。

 

 しかし、エミヤの本音としては言い足りないくらいであった。

 というのも、例の無人島を視察する任務に加えて深海棲艦の子供を保護したという結果を報告したエミヤだったのだが、前例を見ない驚愕の任務結果に日渡提督の理解力が瞬く間に蒸発したのだ。

 ちょっとコンビニへと買い物を頼んでみたら、そのついでに車を購入してきたくらいの衝撃だったらしい。

 

 そして待っていたのは呆れと疲労が入り混じった日渡提督による質問責めだ。

 

 最初こそ敵対する生命体を保護してきた事や、その結果に生じた小さな戦闘のことを悪いと感じたのか黙って小言を聞いていたエミヤだったが、そんな我慢も数分で死んだ。

 どちらかと言えば小言を言うのも説教臭くなるのもエミヤの性分であり、他人に責められる程に自身を低脳だとも思っていない自負ゆえの我慢の限界である。

 

 報告に使った連絡手段が極秘通話用の携帯だった事がせめてもの救いだ。

 

『僕の頭はパソコンみたいに都合よくできてないんだよ……まぁ、今更なにを言ってもしょうがない。その深海棲艦の子供については僕とエミヤ君だけで情報共有しながらしばらく様子を見る事にしよう』

 

 仮に他の鎮守府や艦隊司令部上層部に知られればうっかり内戦が始まりかねないレベルの判断なのだ。キャパシティをオーバーしたとはいえ日渡提督の理解力も相当である。

 そのおかげか、電話口から聞こえる声は心底疲れた声ではあるものの、一応の納得はしたようだ。

 

「そうする他ないだろうな。それはさておき、話の内容と先に送った写真からあの子供の正体について何かわかるかね?」

 

『ああ、僕の管轄する海域でも目撃情報はないから断言できないけどね。おそらく彼女は【北方棲姫】と呼ばれる個体だろう』

 

「北方棲姫……しかし随分と曖昧な返答だな。これまでの戦争においてあの子供が前線に出てきた記録はないのか?」

 

『ない、という訳ではないんだろうけど彼女は深海棲艦の中でも異質でね。どうやら彼女には艦としての艦種というものが無いらしい。その上、北方棲姫が艦隊を率いて活動していたという記録も残ってないんだ』

 

 日渡提督の言葉にエミヤはどこか納得した。

 この世界に召喚されてそれほどの期間を過ごした訳ではないが、それでも深海棲艦については多少の知識も身につけている。

 そんなエミヤから見ても、あの少女はどこか異質だった。

 そもそも、単独であの様な廃墟に身を潜めている事が不自然なのだ。深海棲艦ならば隊列を為して海にいるはずだろう。

 

 エミヤの沈黙を受けて日渡提督も続きを語り始める。

 

『どうやら彼女は艦をモチーフにした存在とは異なる在り方で存在しているようだね。あくまで人類側の認識ではあるけど、彼女は陸上基地型の深海棲艦として認識されている』

 

「基地?そんな物までが概念として顕現するというのかね?いや、人形などに擬似的な魂を吹き込む魔術も存在する以上は否定しきれないのか……?基地にも何らかの原因で魂が宿り、そこに存在する逸話から英霊の座に召し上げられる事も無いとは言い切れないだろうしな……」

 

『いやいや、英霊の定義はわからないけど彼女についてはあくまで人類側の認識だと言ったろう?彼女の本質が何に由来するのか、その正確なところまでは僕達にすら把握できていない。便宜上は基地型というだけの話さ』

 

「なるほど。それで、彼女が基地型だという以外で何が異質だと言うのだ?」

 

『いくつかあるけど北方棲姫は海上移動が極端に苦手なようだ。決して出来ない訳ではないけど航行性能としては下級の深海棲艦並だと報告が上がっているよ』

 

「基地型と定義されるのであれば納得できるな。しかし異質と言うほどの事でもないだろう?」

 

『たしかにこれだけならば異質とはまでは言えない。むしろ話はここからだ。彼女も子供とはいえ【姫】だからね、動きの緩慢さが弱点にならないほどの火力と耐久力を有してるそうだ。基地型の特性なのか魚雷が全く効果を見せない事も大きな要因だろう。攻撃力にしたって戦闘記録によると、艦娘による爆撃の余波で起きた津波をたった一撃で消しとばしたなんて話もあるくらいだ』

 

 ここにきてエミヤに新たな疑問が生まれ、それは自然と口をついて出た。

 

「ちょっと待て、耐久力と言ったな?それについての信憑性は確かなのか?私達が発見した時のあの子は控え目に言って瀕死の重体だった。とても耐久力に定評があるとは思えんのだが」

 

 少なくとも逃走する足が鈍足である事を弱点としない程にタフなのだとしたら、あそこまでボロボロになるだろうかとエミヤは思ったのだ。

 しかし、日渡提督が言う本当の異質さとはここからが確信だった。

 

『……それは違うよエミヤ君。彼女が本気で戦闘に及べば大抵の艦娘はよほど練度が高くない限り北方棲姫の耐久を破る前に轟沈するだろう、彼女が異質なのはそれだけの力を持ちながら艦娘を前にすると逃走に全力を尽くすという点だ。攻撃も最低限しか行わない上にほとんどが目眩しのような使い方だったと報告されているよ』

 

「それは……たしかに異質だな。という事は北方棲姫による被害は──」

 

『ゼロだ。比喩でもなんでもない、小破を含めた一切の戦闘被害が報告されていない。つまり彼女には戦う意志そのものが無いと見るべきなんだろう』

 

 電話越しの日渡提督にはわからなかったが、エミヤは口元に薄っすらと笑みを浮かべていた。

 

(なるほど……どうやら電の言っていた事は紛うことなき真実だったようだ)

 

 あの現場において命をかけた暁型駆逐艦の末っ子、電。

 彼女は気を失うその最後まで北方棲姫を信じていた。それどころか、北方棲姫をここまで追い詰めた艦娘達を代表して謝罪したほどなのだ。

 

 付き合いは浅いものの、自慢の部下が見せた英断が真実に迫るものだったことを知ってエミヤとて嬉しくない筈がない。

 

『だからこそ少しだけ心が痛むね……あんな小さい子供が必死で非戦闘を訴えていたというのに、敵だというだけであんな大怪我を負わせていたとは……』

 

「あくまでそれは結果論だ、あの子を攻撃した艦娘とて嬉々として殺意を向けたとも限らないだろう。これが戦争である以上は日渡提督がそこまで気に病む事もあるまい」

 

『そうだね……少なくとも彼女を発見したのがエミヤ君で良かったよ。過激派の鎮守府に見つかれば無条件で殺されていたかもしれないし』

 

「それも今後の展開次第だ、あの子供がこちらに殺意を向けないとも言い切れないのは確かだからな。もっとも、そうならないよう手は尽くすつもりだが──」

 

 ある程度の報告や情報交換を済ませて気を抜いたその時、エミヤは不意に驚かされた猫のように身体を硬直させた。

 

 その原因は爆発でも起きたかと思うような破壊音。

 その衝撃は凄まじく、電話越しの日渡提督ですらその音を捉えていた。

 

『どうしたんだい!?エミヤ君の近くで爆発音のようなものが聞こえたけど、まさか敵襲を受けているのか!?』

 

 受話器からは心配そうに叫ぶ日渡提督の声が聞こえる。

 が、対照的にエミヤの表情筋はわかりやすく死んでいた。

 

「……通話の途中ですまないが一旦切らせてもらうぞ。ああ、敵襲ではないから安心したまえ」

 

『敵襲じゃない?なら今の音は?』

 

「さてね……どこかのたわけが聖女の逆鱗にでも触れたのだろう。おかげで聖女様は復讐者に反転したようだが」

 

『すまないがエミヤ君の言ってる事がさっぱりわからない……』

 

「こちらの話だ」と言って通話を終えたエミヤが深い溜息をつくのとほぼ同時、屋上のドアを蹴破る勢いで愛宕と隼鷹が駆け寄ってきた。

 

「あら、こんなとこにいたのね提督!ついさっき電ちゃんとあの子供が目を覚ましたんですけど大変な事になってて……助けてもらえないかしら?」

 

「いやぁ……アレに関してはあの2人の自業自得としか言えないんだけどねぇ。まっ、犠牲者が2人に増える前にとっとと『ズドンッ!!』……手遅れだったみたいだねぇ。ともあれさっさと来ておくれよ提督さん!」

 

 再び響いた轟音と、何かの救援を求める愛宕と隼鷹を前にして再び深い溜息をつくエミヤだった。

 

 と、いうのも──

 

 任務を終え無事に鎮守府へと帰ってきたエミヤと艦娘一同だったのだが、電は天龍の背中で眠っており、北方棲姫はエミヤの魔力で急場を凌いだとはいえ予断を許さない状況のままだった。

 一刻も早く手当てする必要があった為、任務の報告書などは金剛に任せて、エミヤと天龍と摩耶の3名は入渠設備へと向かった。

 入渠設備とはいっても形式は大浴場であるため、目を覚ました北方棲姫が万が一暴れた場合を想定してエミヤは脱衣所の外で待機。電と北方棲姫の入浴を天龍と摩耶で介護する形になったのだ。

 

 そう、ここまでは良かった。

 

 そして、ここからが良くなかった。

 

 深海棲艦の傷を艦娘用の設備で治癒できるかという懸念はあったものの、それは杞憂で終わり、電が傷を癒したのを追うように北方棲姫の傷も完治した。

 2人ともよほどの疲労があったのか、簡単に髪を乾かした後で運ばれた保健室のベッドで深い眠りに落ちた。

 

 で、その状況で何かしでかすのがこの鎮守府のお転婆娘である天龍と摩耶である。

 

 ──以下回想

 

「ったく、俺達に風呂の世話までさせといて本人は気持ちよく夢の中ってか?」

 

「まぁまぁ、アタシ達は今回の任務で大した事してないんだし良いじゃねぇか」

 

「それもそうだな……それにしても」

 

「ん?どうしたんだよ天龍、深海棲艦のホッペなんかつついて?」

 

「いやぁ、こいつがあの【姫】かと思うと信じられなくてよ。寝顔だけ見てれば電の妹みてぇじゃん?」

 

「あぁ……確かにね。ちょうど駆逐艦と同じような背丈だし違和感ないわぁ。って、おいおい!何してんだよ天龍!?」

 

「んー?せっかく寝てる事だし敵対はしなくてもイタズラくらいはしようかと思ってな!」

 

「だからって顔に落書きなんてするかねぇ普通……?しかもそれ油性じゃん!後で電にぶっ飛ばされてもアタシは知らねぇぞ?」

 

「ははっ、相手は電だぜ?こっちのチビだってまだガキじゃねぇか、返り討ちだっつーの。っつーか摩耶こそ何言ってんだ?ここにもう一本マジックの用意はあるんだぜ?」

 

「いや、天龍……それを早く言えって!」

 

「クックックッ、やっぱり摩耶もヤル気じゃねぇか。んじゃ俺はこのガキだけだとイジメみてぇだし電の顔にでも挨拶してやっかな!」

 

「おっしゃ!どっちが芸術的な落書きになるか勝負といこうじゃねぇか!摩耶様の本気を見せてやる!」

 

「上等だぜ!落書きにおいても俺が世界基準を軽く超えてるってとこを見せてやらぁ!」

 

 つまりはタネを蒔いたどころか畑を耕して田植えをするくらいの暴挙を最初にやからしたのは天龍と摩耶である。

 

 ちなみにこの時エミヤは何をしていたかというと、相手が人間ではなく更には子供の姿とはいえ無闇に女性の眠る場所に立ち入らないという無駄な紳士っぷりを発揮して保健室の外で待機していた。

 保健室の中から尋常ではない大笑いが聴こえてきたので何事かと思って部屋に入った時には電と北方棲姫をキャンパスにした落書き(アート)は完成した後だった。

 

「……君達はいったい何をやっているのだ?」

 

「おっ、丁度いいぜ提督!どっちの落書きが完成度高いかジャッジしてくれよ!」

 

「なるほど、説明はもういい。私を巻き込むなとだけ言っておこう」

 

「んだよノリが悪ぃな。アタシの最高傑作を見てクスリとも笑わないってどういうことだよ」

 

「恐らく、笑えない事になるのは君達の方だ。そこの2人はひとまず寝ているようだから私は他の用を済ませてくるが……悪いことは言わない、電達が目を覚ます前に綺麗にしておく事をお勧めするよ」

 

 ──回想終わり

 

 その後、日渡提督へと報告の電話をしていたら愛宕と隼鷹に捕まってこの始末だ。

 溜息の一つや二つ、つきたくもなるだろう。

 

 手を引かれるように現場へと急行したエミヤ達。

 なにやら騒がしい様子の保健室にまたも気が滅入るが、それでも扉を開けて入室する。

 

「だから綺麗にしておけと言ったのだ、たわけめ……」

 

 そこにいたのは紛れもなく天龍、摩耶、電、北方棲姫の4名だった。

 電は北方棲姫の顔をハンカチで拭きながらオロオロとしている。

 

 対して、天龍と摩耶はといえば──

 

「て、提督……助けてくれ……」

 

「死ぬ……割とマジで死ぬ……」

 

 壁にめり込んでいた。

 

 例えるならばヒーロー系漫画『ワンパンマン』のボロス戦ラスト、戦慄のタツマキに突っかかったジェノスがめり込んだのと同じように、面白すぎるポーズのまま現代風オブジェのように壁と一体化していた。

 

「まったく。電、いくらなんでもやりすぎではなかね?」

 

「ご、ごめんなさい!この子が怯えてたのでつい……」

 

「あの2人については自業自得だからな、私とて何も言うことはない。しかしだ、君のような優しく大人しい淑女が壁を破壊するのは関心しないぞ?壁に罪は無いのだ」

 

「おいコラァ!どう見たって俺達が被害者だろぉが!さっさと助けやがれ!」

 

「っつーか人を壁にめり込ませる奴のどこが淑女だよ!?」

 

「ふむ、何が原因でこうなったのか理解していないようだな?こんな壁の破損くらい、私の投影ならば瞬時に修復可能なのだが……そこまで強気な発言をするのだ。別に、君達を埋め込んだまま修理しても構わんのだろう?」

 

「スミマセンデシタ……」

 

「カンベンシテクダサイ……」

 

 壁のシミ(物理)になるのが嫌だったのだろう、天龍と摩耶は即決で謝罪した。

 エミヤはフンと鼻を鳴らして2人を壁から引っこ抜くと壁の修復を開始する。

 

「しかし意外だったな。さすがに怒るとは思ったのだが、まさかここまで逆鱗に触れるとは。普段は気弱な電とはいえ乙女の顔に落書きされるのは腹に据えかねるといったところかね?」

 

 瞬く間に修繕されていく壁に手をかざしたまま、ニヒルというよりは苦笑いに近い表情でエミヤは電に語りかけた。

 

「うぅ……それもあるのですが……」

 

 問われた電は、電に抱きつくようにして怯えていた北方棲姫の頭を撫でながら目を泳がせる。

 

「この子と電が天龍さんと摩耶さんに落書きを抗議したら『あぁん?反抗的な態度だなぁ?そんな悪い子は煮るなり焼くなりして食っちまおうかぁ!!』と迫ってきて……この子も半分泣きながら『クルナ!カエレ!』と叫ぶばかりで……その……パニックになってしまい気付いたらこんな事になっていたのです……」

 

「母性本能に関しては姉譲りという事か……いずれにせよそこまで気に病む必要はあるまい。諸悪の根源はこの通り反省しているようだしな」

 

 おでこに大きく『プラズマ』と落書きされた電は肩を落とした。

 それを慰めるようにして今度は北方棲姫が電の頭を撫でているのは見ていて微笑ましい光景だが、それよりもエミヤのジトっとした視線が天龍と摩耶に突き刺さる。

 

「私達が来た時には天龍は壁になった後でねぇ、愛宕は必至に電を止めようとしたんだけど本気になった電はどうにもできないって事で提督にヘルプを求めたのさ」

 

「もう!摩耶は素直で良い子なのに、たまに変なトラブルを起こすんだから!人に迷惑をかけちゃダメでしょ?」

 

 愛宕と隼鷹も呆れたような視線を投げかけた。

 いたたまれなくなった2人は電と北方棲姫に深々と頭を下げた後、逃げるように去っていった。

 その後、天龍と摩耶が『電だけは怒らせたらヤバい』という共通認識を抱いたのは言うまでもない。

 

「さてと──」

 

 逃げていく天龍と摩耶を見送ってから、壁の修復を終えたエミヤは北方棲姫の前へと膝をついた。

 

「傷については完治したようだが気分はどうかな、お嬢さん?」

 

「…………ダイジョウブ、ヘイキ」

 

 微笑みかけるエミヤに対しては天龍達ほどの警戒心を抱かなかったのか、電に抱きついてはいるもののエミヤの言葉に小さな声で応えた。

 

「それは良かった、突然のことで戸惑っているだろうが君はこれからこの鎮守府で暮らしていく事になる。その間、君の安全は私達が守ると約束しよう。ただし選択するのは君自身だ……君はここで暮らすのは嫌かね?」

 

 穏やかで優しい声色のままエミヤは問いかけた。

 依然として怯えているような様子ではあるが、それでも北方棲姫は必死にエミヤの言葉を頭の中で反復しながら考える。

 

 そして、自分の頭を優しく撫でてくれる電の顔を見ながら1つ確認した。

 

「プラズマモ……イッショ……?」

 

 電のおでこに大きく書かれた『プラズマ』の落書きを読んだのだろう。それでも決してバカにしている訳ではなく、まるで縋るように聞いてくる北方棲姫は真剣そのものだ。

 この時、思わず吹き出しそうなのを堪えるようにエミヤと隼鷹と愛宕が顔を背けたのは貰い事故のようなものだろう。

 

 問われた電も、まさか純真無垢な子供を怒る訳にもいかずに少しだけ苦笑いしながら答える。

 

「私の名前は(いなづま)なのです……大丈夫ですよ、あなたがここにいる限り電も一緒なのです。さっきの天龍さんや摩耶さんも悪ふざけが過ぎてしまっただけで、ここの皆は優しくて良い人ばかりなのです。電はここで一緒に暮らしてくれれば嬉しいのです」

 

 北方棲姫は困惑していた。

 

 深海棲艦として生まれてから、自分に優しくしてくれたのはたった1人だけだった。そんな1人ですら戦闘の中で逸れてしまい、それからは孤独しかなかった。

 それどころか理由もわからないまま襲われる毎日を過ごしてきたのだ。

 そんな日々の中で、いつだって願っていたのは楽しい海で平和に過ごしたいという思いだけだった。

 そんな素朴な願いすらも爆炎で吹き飛ばしてくるのがこの艦娘と呼ばれる少女達ではなかったのか?

 

 だというのに──

 

 この電という少女が頭を撫でる手が、北方棲姫に優しさをくれた人物とそっくりなのだ。

 正直に言えば怖い。

 この少女達もいつかは自分に襲いかかってくるのではないのかと思わない訳ではない。

 それでもこの優しい温もりから離れたくないと思う理由は北方棲姫にもわからない。

 

 北方棲姫は一度だけ目を瞑ると真っ直ぐにエミヤを見つめた。

 

「ココニ……イタイ」

 

「そうか。だがその前に……当然だが、ここにいるメンバーに攻撃したり人間を襲うような事があれば一緒にはいれなくなる。それどころか私達は君と敵対するだろう、もちろん全力で戦う事になる。その上で、誰も襲わないと約束できるか?」

 

 北方棲姫が見つめるエミヤの瞳──それは先程までの優しいものではなく、まるで猛禽類のように鋭い眼光だった。

 当然その眼に込められた感情に脅迫めいたものは含まれていない。真に北方棲姫を守るのならば避けては通れない条件であり、それだけ真剣だという心の表れである。

 そこに害意や敵意が無いことは北方棲姫を含めたその場にいる全員が理解しており、だからこそ空気も緊張感を増した。

 

 そして、その眼に気押されるように硬直する北方棲姫だったが、それは恐怖というよりもやはり緊張が主な様子だ。それを察してか、電が優しく微笑んでやると身体の強張りが幾分かほぐれた。

 やがて大きく深呼吸をするように息を吐くと、今度は怯えた目ではなく確固たる意志を持って言うのだった。

 

「ヤクソク、スル!」

 

 一切の迷いも無く、怯えて掴んでいた電の服さえ手離して北方棲姫はエミヤの正面から誓った。

 

「……承知した。ならば私達も命の限り君を守ると誓おう、約束だ」

 

 北方棲姫の誓いを確かに受け止めたエミヤは、再び優しい眼で北方棲姫に約束を交わした。

 

 守れるものならば、この手が届くのならば、何があっても守る。

 そんな思想に基づいて機械のように在り続けたエミヤにとって、切り捨てる側だったはずの命を守ると誓う経験は、実はこれが初かもしれない。

 しかし、それほど悪い気がしないのはどこまでいっても本質的にエミヤがお人好しだからだろう。その顔は満足気に微笑んでいた。

 

「さて、そうと決まればやるべき事は目白押しだな。手始めに君の名前を確認したいのだが、自分の名前はわかるかな?」

 

「ナマエ?ワカラナイ……」

 

「そうか、では私達の間で呼ばれている君の名前だけでも教えておくとしよう。君は【北方棲姫】と呼ばれているそうだ」

 

「ホッポウセイキ?ソレガ、ナマエ?」

 

「私達が勝手に呼んでいるだけだがね。気に入らなければ別の名を名乗るのも良いだろう。なんなら電が名付け親になっても良いんじゃないか?」

 

「はわわっ!電がですか!?」

 

「どうやらこの子は電に最も懐いているようだしな。未婚のまま名付け親になるのに抵抗があるようなら無理強いはしないが……北方棲姫はあくまでも敵の個体識別用の名前だ、君としてもそんな物騒な名前で呼ぶのは抵抗があるだろう?」

 

 名付け親やら未婚やらのキーワードに照れたのか、耳まで真っ赤に染め上げてワタワタと慌てる電。

 しかし、北方棲姫という人間が敵につけた名前を呼ぶ事は電としても芳しくないようだ。

 

「で、では……名前というよりあだ名なのですが……ホッポちゃん、なんてどうでしょう……?」

 

 顔から火が出そうな程に恥ずかしがりながらも、電の口から新たな呼び名が提案された。

 

「ホッポか。うむ、語感も良いし覚えやすい。それに電らしく可愛らしい名前じゃないか。君はこの名前で呼ばれるのは嫌かね?」

 

「ホッポ……ソレガ、ワタシノナマエ?」

 

「ああ、電が君につけてくれた名前だ。お気に召したかな?」

 

「ウン!ワタシ、ホッポ!アリガトウ、イナヅマ!」

 

「気に入ってもらえて電も嬉しいのです!ですが……なぜか物凄く恥ずかしいよぉ……」

 

 さっきまで怯えていたのが嘘のようにはしゃぐホッポと、悶えるように赤面する電。

 そんな2人を見ながらエミヤや愛宕、隼鷹も嬉しそうに笑うのだった。

 

「よし、それではさっそく約束を果たすとしようか」

 

「約束?提督が誰とどんな約束したってのさ?」

 

「そこのお姫様2人だよ。帰ったら美味しいご飯をお腹いっぱい食べよう、とね。私が直接した約束ではないが、耳に入った以上は叶えるのが大人というものだろう?それとも、その約束は隼鷹か愛宕が果たしてくれるのかな?」

 

「たははっ、愛宕ならともかく私はパスだね。とてもじゃないけどお子様に食べさせるような物は作れないよ。私にできるのは酒の肴くらいなもんさね!」

 

「私も遠慮しておくわ。きっと提督が作ったご飯の方が美味しいでしょうし、この子達もそれがご希望みたいですし」

 

「謙遜が過ぎるだろう、重巡洋艦愛宕といえば料理でも有名だった筈だが?とはいえ、私もこればかりは譲る気がないのだがね。そういう訳だ、今夜は特別豪勢な夕飯を振る舞うとしよう」

 

「やったのです!今日はご馳走なのですよホッポちゃん!」

 

「ゴチソウ?ホッポモ、タベテイイノ?」

 

「当たり前なのです!エミヤ司令官さんの作るご飯は絶品ばかりなのです、ホッポちゃんも絶対に気にいるはずなのです!」

 

「ホントニ!?ホッポ、タノシミ!アリガトウ、エミヤ!」

 

 外見相応の子供らしいはしゃぎっぷりに呼び捨てされたエミヤですら怒る気にもならない有様だ。

 

「うちの提督を呼び捨てとはなかなか肝の座った子供だねぇ。こりゃあ将来が楽しみだよ」

 

「あら、子供らしくて良いじゃない。それに電ちゃんの側にいれば素直で良い子になると思うわよ?」

 

「そもそも私の部下という訳でもないのに提督と呼ばれても困るというものだ。私のことなど好きに呼べば良い。それよりもだ、電、ホッポ──」

 

 スッと立ち上がったエミヤはいつもの意地の悪い笑みを浮かべて告げるのだった。

 

「食事の前にその顔をどうにかするべきだと思うがね?せっかくのレディが台無しだ」

 

 お互いの顔を見てキョトンとした後、大笑いする電とホッポ。

 天龍と摩耶の芸術も喉元過ぎれば笑いのネタにすぎないようだ。

 

 こうして新メンバー加入の初日は幕を閉じた。

 

 この日の晩御飯は同じ釜の飯を食べるというエミヤの粋な計らいでお好み焼きとなった。

 彼が子供好きなのかは不明だが、怖いくらいに気合いの入った献立と、食堂にズラリと並んだ投影の鉄板焼きセットはホッポの度肝を抜いたという。

 

 ちなみに、天龍と摩耶は終始正座で固まっていたそうな。




【某軽空母の証言】

「いやぁ、アレはさすがに死んだと思ったね。だってホラ……私達は日頃から爆音なんて聞き慣れてるじゃないか?それでもあの音はねぇ……」
「人が壁に激突する音じゃなかったよ。まるで超弩級戦艦の主砲さ」
「え?その時の電かい?」
「……笑ってたよ。あれが鬼気迫るってやつなのかねぇ?天龍を仕留めたと思ったら次の瞬間には摩耶に狙いを定めてた」
「武器だって?バカ言っちゃいけないよ!本気になった電が武器なんて使うもんか」
「あいつが武器を使うのは相手への気遣いとも言えるねぇ……本気の電はステゴロ最強って言葉を体現したような奴だからさ」

【某重巡洋艦の証言】

「ここからは私が説明するわ」
「私と隼鷹が駆けつけた時には既に天龍ちゃんは壁の一部になっていたの。え、何を言っているのかって?そのままの意味よ、天龍ちゃんの身体が壁に埋もれていたのだから」
「そしてそれを実行した電が次の標的にしたのが私の妹である摩耶だった……なのに私は動けなかったわ」
「そうね、薄情とも言えるわ。でもね……アレを目の前にしたら誰だって動けなくなるわよ?」
「私だって普段なら戦艦相手でも引けをとらない自負はあるのよ?でもアレは別……少し火力があるとか、実戦経験が多いとか、装備が豊富とか……そういう次元の話じゃないのよ」
「気付いた時には隼鷹と一緒になって提督を探しに走り出していたわ……だって、あの時あそこにいたのは電じゃなくーー」


プラズマだったのだからーー


次回

『なのです×なのです×なのです=破壊力』

乞うご期待!(大嘘)

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