守護者の観る水平線   作:根無草

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本編とはほとんど関係のない日常編ですので飛ばしても問題はありません。
ありませんが、読んでもらえれば幸いです。


【幕間】ホッポちゃんのいる日々ー前編ー

 ──side エミヤ──

 

 ホッポが来てしばらく経ったとある日の深夜。

 草木も眠る丑三つ時、睡眠を必要としないサーヴァントであるエミヤは執務室で書類の整理に追われていた。

 日中は艦娘達に白兵戦の稽古をつけたり食事の準備をしたりと忙しく動き回っているため、こうした事務作業は深夜にこなすのが常となっている。

 決して金剛に押し付けているだけのダメ男ではないのだ。

 

 そんなエミヤが作業もひと段落して秘蔵の紅茶を楽しみながら一息つこうとしたその時、執務室のドアを小さくノックする音が聞こえた。

 

(こんな時間にいったい誰だ?)

 

 チラリと時計を確認するものの、夜間哨戒の任務を撤廃している現在の鎮守府では艦娘が起きているような時間ではない。

 茶葉の入った缶を戸棚に戻すと、エミヤはドアに向かって声をかけた。

 

「入りたまえ」

 

 エミヤの声を受けてドアが開かれる。

 そこに立っていたのは艦娘ではなく、全身が雪のように純白の少女だった。

 

「ホッポだったか。どうしたのだ、こんな時間に」

 

「…………」

 

 ドアを開けたホッポはモジモジとしながら俯いて何も喋ろうとしない。

 心なしか頬や耳が赤く染まり、どこか恥ずかしがっているような様子だ。

 わざわざこんな深夜に尋ねてきたというのに何も話さないホッポに疑問を抱いたのか、エミヤは彼女の近くまで歩み寄ると片膝をついてできるだけ優しく語りかけた。

 

「まいったな、黙っていられては私もわからないのだが。怖い夢でも見たのか?同室の電や響には何も言わずに来たのかね?」

 

「ウウン……違ウ。電ト響ハ、眠ッテルカラ起コシタラ、カワイソウ……」

 

「ならどうしたのだ?私に何か用があったのだろう?」

 

 余談だがこの数日でホッポの語彙力(?)はかなり向上した。

 というのも言葉数が少なく、どこかノイズがかった話し方だったホッポを気遣って、エミヤや電が必死に国語のお勉強を手伝っているからである。

 その甲斐あってか、現在では初日に比べてハッキリと言葉を話すようになり、どこかノイズのように聞こえていた声も年相応の少女のように明快なものへと変化してきている。

 

 そんなホッポなのだが、今夜は珍しくハッキリと喋ろうとしないのだ。

 

 既に眠っている電や響を起こしてしまってはかわいそうだという気遣いができるのは素晴らしいが、わざわざ起きている事がわかっているエミヤの元までやってくる理由とはなんだろうか?

 元から子供の扱いに長けているわけではないエミヤは、こんな時の子供に対する対応がわからない。

 故に困ったような苦笑いでホッポが口を開くのを待つ事しかできないのだが──

 

 今回はその時間をかけた判断が裏目に出た。

 

「エットネ……アノネ……」

 

 やっと顔を上げたホッポの表情を見た時、エミヤは不覚にもドキリとしてしまった。

 その瞳は蕩ける程に潤んでおり、顔は真っ赤に染まっている。

 外見には不釣り合いな程の妖艶さなのだが、髪や肌まで真っ白な少女が赤くなりながら夕焼け色の瞳を潤ませるというミスマッチさが背徳的なまでの艶やかさを演出するのだ。

 

 もちろん、エミヤにそういった紳士的嗜好はない。

 

 だからこそ出来る限り冷静に対応したのだ。ここまでは。

 

「う、うむ……言いにくい事ならば焦らなくても良い。他の者が寝静まった時間に私を尋ねてくるという事は、君にとっても重要な要件なのだろう?」

 

「…………トイレ」

 

「…………は?」

 

「トイレ……出チャウ…………」

 

 

 

 閑話休題

 

 草木も眠る丑三つ時。

 国の平和を守るために存在する鎮守府の建物内を、草木を叩き起こす勢いで疾走する小脇に少女を抱えた英雄の姿があった。

 

「大丈夫か!まだ我慢できるか!?というか私の所まで来る余裕があるのならなぜ最初から厠へと向かわなかった!?」

 

「1人ダト怖イカラ……ダメ、モウ我慢デキナイ」

 

「良しわかった!もう喋らなくて良い!今は全ての力を忍耐に回せっ!」

 

 さすがは英霊、魔力による強化を施した全力ダッシュは音速もかくやという勢いだ。

 その反動で廊下の床が所々破壊されていくのだが、そんなもの現状では些事に過ぎない。

 

(落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け!この程度の窮地ならば他に幾らでもあっただろう!かの聖杯戦争に比べれば少女一人を手洗いに送り届けるくらい造作もないはずだ!おのれ、こんな時にマスターさえいれば令呪をもって瞬間的に──)

 

「アンマリ揺ラサナイデ!ホント二、モウ──」

 

「うぉぉぉぉおおおおおぉぉぉっ!」

 

 クー・フーリンのゲイ・ボルクを防いだ時でさえここまでの危機感を覚えたか怪しいだろう。

 

 ちなみにだが、この鎮守府は元学校の校舎を改築したものだ。

 その名残りからか、構造も昔の小学校に近い物になっている。

 

 エミヤがいた執務室は校長室だった部屋をそのまま使っており、つまりは教員用のフロアにあるという事だ。

 そしてトイレに関しても、もちろん教員用のトイレを提督や客人用として使用している。

 元々は女性教員のトイレもあったのだろうが、現在ではスペースの確保などの理由から取り壊しており男性トイレしか存在しないのだ。

 

 この時のエミヤは冷静さを欠いていて気付いていないのだが、緊急であるのなら男性トイレでも大の方であればホッポも使えただろう。

 それでなくとも、食堂に行けば女性トイレは設置されていたのだが……残念なことに今の切羽詰まったエミヤには艦娘達が住んでいる校舎の女性トイレしか連想できなかった。

 

 そして目的の女性トイレなのだが、それは艦娘達が宿舎として使っている元学童用校舎に設置されている。

 英霊のスピードであればあっという間に到達できる距離ではあるが、今はその数秒すら惜しい状況だ。

 普段であれば女性達が生活する区域内に侵入を試みるといった下衆な行為などエミヤがするはずはない。それもこんな真夜中だ、雄叫びを上げるなどもってのほかだろう。

 

 しかしこの時ばかりは脇目も振らずに叫んだ。

 脇に抱えた少女の名誉の死守と、次の瞬間には訪れるかもしれない最悪の結末を回避するために。

 

 そして──

 

「着いたぞ!限界は──間に合ったようだな!良し、行ってくるのだホッポ!!」

 

 目と鼻の先ほどの距離が水平線の向こうに思えるほど遠く感じた。

 しかし間に合ったのだ……幾たびの戦場を超えて不敗を貫いてきた錬鉄の英雄は、見事に少女を御手洗い(アヴァロン)へと解き放ってみせた。

 

 が──

 

「怖イ……ツイテキテ」

 

「なんだと!?」

 

 緊急任務発生。

 

 遥か遠い理想郷を目の前にして、少女は第2のミッションを発令した。

 考えてみれば道理であるが、ホッポは何も深夜の校舎が怖かったのではない。もしそうならば夜中の校舎を歩いてエミヤの元を訪ねたりはしないだろう。

 つまり、ホッポが怖かったのは深夜の校舎ではなく()()()()()()なのだ。

 

(馬鹿な!こんな歳とはいえ女性だろう!?何を言っているのだこの子は!?……いや、こんな歳とはどんな歳だ?そもそもホッポの年齢とはいったい幾つなのだ?……違う、そうではない!オレが中まで付き添って何ができるというのだ!?ここは女子トイレだぞ!こんな時に世間の親というものはどうしているのだ!?クソッ!こんな事ならば生前に結婚を……だからそうじゃない!馬鹿かオレは!こんな時に何を考えているのだ!)

 

「早ク!モウ限界ナノ!」

 

「〜〜〜〜ッ!!ええいままよっ!」

 

 エミヤ自身にも良くわからない類の覚悟を決めてトイレの扉を開け放った。

 ホッポをトイレに押し込んで自分は外で待機してやれば良いだろうという甘い考えと、我慢の限界が近いという焦りが安易な行動をとらせたのだ。

 

 その結果

 

「……あらぁ、残念です。まさかエミヤ提督にそんは趣味があったなんてぇ」

 

 待ち構えていたのは天使のような笑みを浮かべた悪魔(龍田)だった。

 

 おそらくホッポ同様、夜中にふとトイレに行こうと目を覚ましたのだろう。その姿は普段の服装ではなく大人びたネグリジェだ。

 裾や襟にはフリルがあしらわれて胸元は大胆に開いており、姉と同様に世界基準を軽く超えた胸部装甲がこれでもかとその存在を主張している。

 ネグリジェの生地はシルクのように滑らかでありながらとても薄く、下着までハッキリと確認できた。

 

 つまり、エミヤは詰んだ。

 

「ち、違うのだ!これはホッポが──」

 

「ふふっ、言い訳はいらないわぁ。こんな夜中に小さな子供を人気のない場所へと連れ去るような悪い人はぁ……お仕置きですねぇ」

 

 甘ったるい声とは裏腹に、その手には龍田の装備である薙刀が顕現した。

 激昂した天龍のように艤装をフル装備しないだけまだマシなのだろうが、やはり天龍型はどこまでいっても天龍型である。

 

「待て!話を聞け!君は誤解しているだけだ!」

 

「そうやって必死に弁解するところが余計に怪しいですよぉ?それに、私の下着を見たのは誤解じゃ済まされないじゃない?ねぇ、そんなに死にたい?」

 

「バーサーカーか君は!?ええいっ!ホッポ、今のうちに行ってこい!」

 

「……?ウン!エミヤ、サッキハ凄カッタ!エミヤ、早インダネ!イッテキマス!」

 

「なぜ誤解を深刻化する言葉を残していくのだ!?」

 

「死刑確定ねぇ」

 

 

 

 翌日、妙にボロボロになったエミヤが鎮守府内の不自然な破損を修復する姿が目撃されたらしい。

 彼は小さな声で『なんでさ……』と呟いていたという。

 

 

 

 

 ──side 金剛型──

 

 のどかな昼下がり、麗らかな春の陽気に思わず欠伸が漏れそうになるのをこらえて事務作業にあたる金剛の元へと妹の霧島が訪ねてきた。

 

「失礼しますお姉さま、午前の哨戒任務の報告にきました」

 

「お帰りなサイ霧島、午前哨戒が帰港したならLunchの時間ネ!霧島も一緒に行くデース」

 

「はい、ご一緒します」

 

 ひとつ伸びをしてから金剛は席を立った。

 本来ならば提督が常駐している筈の執務室だが、提督であるエミヤは今頃キッチンであくせくと働いている事だろう。

 もう見慣れてきた光景とはいえ自分さえ外に出てしまえば伽藍堂のようになってしまう執務室がどこか寂しく見えてしまうのは、倉敷提督が殉職してから今も変わらないままだ。

 

「あ、そういえば──」

 

 食堂へと向かう廊下、隣を歩く霧島が不意に質問を投げかけてきた。

 

「ホッポちゃんはどこに行ったのですか?執務室には見当たりませんでしたが」

 

「あぁ、ホッポちゃんは提督と一緒にいるネ。電が任務でいない時はほとんど提督の側を離れまセーン」

 

「やはりそうですか……うーん、なるほどなるほど……」

 

 何の気なしに返答した金剛とは対照的に、なにかを熟考するかのような様子の霧島。

 当然、金剛にはそんな霧島の脳内などわかるはずもなくキョトンとするばかりだ。

 

「えっと……どうしたデスカ霧島?難しい顔になってるネ、Smile、Smile!」

 

「いえ、少し懸念すべき案件といいますか……お姉さま、率直に聞きますがエミヤ提督と将来的にはケッコンカッコガチまでお考えですか?」

 

「ひゃい!?」

 

 まるで瞬間湯沸かし器のように真っ赤になる金剛。

 そんな姉を内心で『金剛お姉さまはやはり可愛い』と再確認しながらも、霧島は真面目な顔のまま話を進める。

 

「いえ、漠然とした未来の話なのでお姉さまが困惑するのも無理はないのですが……エミヤ提督と仮に結婚するとなると私の分析では様々な問題が発生するといいますか……」

 

「わ、わわわ、わわっ、私とエミヤ提督が結ばれる事に何の問題があるデスカ!?いや、そもそも結婚できるかもわからないというか……できればしたいというか……でも私から言うのは恥ずかしいネ……」

 

「落ち着いてくださいお姉さま。問題というか……あの方が英霊で、いつまでこの世界に存在していられるかという点はひとまず棚上げするとして、目下の課題はホッポちゃんでしょう」

 

「うっ……霧島は冷静な顔で深刻な悩みをついてきますネ……それにしても何でホッポちゃんなのデース?」

 

 どうやら金剛は何も気付いていないらしい。

 そんな無垢なお姉さまも素敵なのだが……それで興奮するのは次女の比叡の役割だろう。

 仮にも艦隊の頭脳を自称する霧島は眼鏡をクイっと直すと、静かな声で語り始めた。

 

「この戦争がいつまで続くのかは定かではないですが、私達艦娘には国の定めた終戦後の社会的保証があります。制海権を取り戻しつつある鎮守府に在籍する艦娘の中には、資格を取得したり企業見学に出ている娘もいるとか」

 

「あー、それなら私も聞いたことがありマース。終戦後は艦娘に人権を認め、人として社会に順応するための運動だとか……え?それがどうしたデース?」

 

「つまりですね……仮にエミヤ提督がこのままこの世界に留まってくれたとして、あの方の将来は軍が保証するでしょう。あの日渡提督がバックに付いているなら安泰です。しかし、ホッポちゃんはどうでしょうか?」

 

「どうでしょうかっテ……確かに無邪気で可愛い子供とはいえ深海棲艦、世間に溶け込むのは難しいかもしれないネ」

 

「そこですよ、お姉さま!」

 

 ガシっと金剛の両肩を掴む霧島。その眼鏡は碇ゲンドウばりの光を放つ。

 

「おそらく終戦後もホッポちゃんについては秘匿される筈です。つまりは誰かが引き取って面倒を見ていく事になるかと……そして恐らくですが、その()()とはエミヤ提督になる可能性がもっとも高いと私は分析しますね」

 

「……え?ちょ、マジで?」

 

「マジです」

 

 この金剛、理解がキャパシティを超えた時にアイデンティティが行方不明になりがちだが、今回ばかりは相当に青天の霹靂だったようだ。

 

 が、その理由は存外に優しいものだった。

 

「という事はエミヤ提督と結ばれた曉には私がホッポちゃんの……ママという事デスカ!?」

 

「へっ!?」

 

 霧島としては、愛する男性に本人の子供ではない子供が付いてくる事を懸念するのかと予想していたのだが……どうやらこの姉、想像以上に心根が優しいらしい。

 邪険にするどころか一切イヤそうな顔もせず、まるで息をするくらい当たり前にホッポの事を認知したのだからそれも相当だろう。

 

 ──とは言っても、エミヤと金剛が結婚すると決まった訳ではないのだが。

 このガールズトークに関してはエミヤに人権は認められていない。

 

「これは盲点だったネ……これからはホッポちゃんと親子の絆を深めなくては!!Hey霧島!さっそくホッポちゃんをLunchに誘いに行くデース!」

 

「お、お姉さまがそれで良いのならばお供します!」

 

 走り出す金剛──

 その背中を追いながら霧島は思う。

 

(まったく……我が姉ながら本当に優しい人ね、金剛お姉さまは……)

 

 思い返すは榛名や比叡が轟沈してからの日々。

 いつも4人で一緒にいたはずの姉妹がいなくなった喪失感、力の無い自分を憎みもした。

 冷静沈着を装っていたが、それでも眼鏡の奥の両目は毎日真っ赤に腫らしていたあの日々──

 この姉はいつだって自分を支えてくれた。

 誰よりも、何よりも辛いはずなのにいつでも霧島に寄り添って笑顔を向けてくれた。

 誰もが失意のどん底にいる中、鎮守府を守るために必死になって提督代理を務めた。

 たまにはドジなところや残念な部分もある姉ではあるが、それでも霧島にとっては胸を張って自慢できる最高の姉なのだ──

 

「ほら、早く行きマスよ霧島?」

 

「──はいっ!」

 

 常に自分の前をいく姉。だが、決して離れぬように振り返って手を引いてくれるお姉さま。

 その向日葵のような笑顔に霧島は今日もついていくのだった。

 

 

 

「Hey、ホッポちゃん!今日から私と一緒にご飯を食べませんカ?」

 

「……電ト、食ベルカラダメ!」

 

「ガフッ……」

 

 金剛大破。

 

「あぁ〜……ねぇホッポちゃん?ホッポちゃんはこの鎮守府で誰のことが好きなのかしら?」

 

「……?エミヤ!電!響!」

 

「ゴフッ……」

 

「お姉さまぁぁぁあああ!?」

 

 金剛轟沈。

 

 思わぬ伏兵、届かぬ激愛、金剛の恋路は遥かに遠く険しい事だろう。

 頑張れ金剛、明日は今日より一歩でも前へ──

 

 

 

 ──side 天龍型──

 

 天龍型のイメージといえば良くも悪くも戦闘狂だ。

 常に好戦的であり、鬼神の如き勢いで勇猛果敢に敵へと挑む一番艦の天龍。

 その見た目や言動とは裏腹に、天使のような笑顔で冷酷に命を刈り取る死神こと二番艦の龍田。

 

 そんな天龍型だが、だからといってバーサーカーように戦場のみを求めている訳ではない。

 非戦闘時は2人とも面倒見が良く、何かと頼りになるお姉さんなのだ。

 トラブルメーカーといえば否定はできないのだが、それ以上にムードメーカーである天龍。それをフォローしながら見守る龍田という絵は鎮守府の共通認識だろう。

 

 今回は、そんな2人が演習で海に出ようとした時に起きたお話──

 

「さて、と……おい龍田、今日は何を賭ける?」

 

「そうねぇ、確か今日のお夕飯はお刺身だった筈だから……負けた方はお刺身を献上でどう?」

 

「ほんっと刺身が好きだなぁ?上等だぜ!んじゃ行くとすっかぁ!」

 

 鎮守府に在籍する軽巡洋艦が天龍型のみという事もあり、2人が揃って演習に出ることは珍しい。

 エミヤが来てから夜間哨戒がなくなった事や、シフト制の休日を設けた事によって姉妹が揃って行動する事ができるようになったのだ。

 

 ちなみに今日の天龍は非番だ。だというのにこうして演習に出るあたりは、戦闘狂と呼ばれるにふさわしい自信に繋がっているのだろう。

 

 そんな2人に声がかかる──

 

「おや、これから演習かね?」

 

 海面に立ちながら船渠(ドック)を見上げると、ホッポを肩車したエミヤが立っていた。

 

「んだよ提督、こんな所で珍しいな?」

 

「それにホッポちゃん一緒なのねぇ。また良からぬ事を考えてなければ良いんですけど?」

 

「んんっ……コホン。今日の夕飯は仕込みが少なくてね、ホッポが海を見たいと言うから出てきたのだ」

 

 何か都合の悪い事でもあったのだろうか、バツの悪そうな顔で目を逸らした。

 

「天龍ト龍田ハ、何処ニ行クノ?」

 

「演習だよ演習。あそこに見える的を狙って砲撃すんだよ」

 

 天龍が指差す先、遥か彼方には豆粒程に小さく見える的が浮いていた。

 波間で漂うブイに括り付けられた的を狙って着弾精度を高める訓練らしい。

 

「遠イネ、アレ二当テラレルノ?」

 

「おいおい、俺を誰だと思ってんだ?世界最強の天龍様だぜ?あんなもん……オラァ!」

 

 不敵に笑う天龍の方向が火を噴いた。

 その弾道を目で追うと、3発の砲弾のうち2発が的に当たって爆炎を上げる。

 

「ちっ……1発はずしたか。まぁ、この距離ならこんなもんだろ?」

 

「スゴーイ!天龍カッコイイ!」

 

「フフフ、怖いか?俺にかかりゃこんなもんよ!」

 

「ホッポモ!ホッポモ、アレヤリタイ!エミヤ、イイデショ?」

 

 エミヤの肩の上ではしゃぐホッポ。

 戦闘は嫌っていても的当てゲームには興味深々のようだ。

 

「やりたいと言ってもだな……ホッポがやるとなれば難易度に問題があると思うのだが……」

 

「あらぁ、良いじゃない。子供は元気に遊ぶものでしょう?私達も夕飯のおかずを賭けてたところだし、ゲーム感覚で演習するのも肩の力が抜けて良いかもしれないわぁ」

 

「夕飯ノ、オカズ?」

 

「おう!1番多くの的を沈めた奴がビリから刺身をもらうってルールだ。やってみるかぁ?ま、どうせ俺が勝つんだから辞めとくのも勇気だぜ?」

 

「夕飯……オ刺身……ウーン……デモ楽シソウ!ホッポ、ヤル!」

 

「うっしゃぁ!そう来なくっちゃな!言っとくが勝負となったらガキンチョ相手でも手加減はしねぇぞ?なぁ龍田」

 

「そうねぇ、お姫様の実力も見てみたいし今回は真剣にやってみようかしらぁ」

 

 どうやらホッポの飛び入り参加で話はまとまったらしい。

 ホッポは可愛らしくエミヤの肩から飛び降りるとそのまま海に着水した。

 

「航行が苦手というのは本当らしいな。大丈夫かホッポ?良ければ手を貸すが?」

 

「ンーン、大丈夫!ホッポ頑張ルカラ、エミヤハ見テテ!」

 

「ふっ、承知した。では僭越ながら私が審判を務めるとしよう。ルールはどうする?」

 

「そうねぇ、キリが無くなっても困るし1人10発の持ち弾でどうかしらぁ?あ、天龍ちゃんはさっき3発撃ったから残り7発ねぇ」

 

「マジかよっ!?チクショー、それならもっとマジで狙っとけば良かったぜ……ま、残り7発もありゃ十分だけどな!」

 

「勝負において正々堂々と泣き言を言わない辺りは流石といったところだな。その素直さが普段からあれば言うこともないのだが……ホッポはそのルールで問題ないか?」

 

「ウン!10回撃ッテ1番二ナレバ、ホッポノ勝チ!」

 

 こうして天龍vs龍田vsホッポの戦いが始まる。

 順番に関しては公平にジャンケンで決め、1番手は天龍となった。

 

「さぁて、それじゃあ始めるとすっかぁ!」

 

 既に1発ハズしているとは思えないほどの自信で的を見据える天龍。

 波間に揺れるブイに標的を合わせると、ほどなくして真剣な目付きへと豹変した。

 

「…………いくぜっ!」

 

 獰猛なまでの笑みで放たれる砲弾。

 1発ずつ間を空けて撃つのではなく、まさかの息もつかない連続砲撃。それはまるで吸い込まれるように的へと向かっていく。

 7発の砲弾が一瞬のうちに放たれた数秒後、遥か彼方に7本の水柱が打ち上がった。

 

「まさか早撃ちで望むとは、よほど腕に覚えがあるということか。さて、判定のほどは──」

 

 耳には砲撃の余韻がまだ残っており、あたりは硝煙の匂いが満ちている。

 そんな中、エミヤは遠方の的を数えていく。

 

「浮いたままの的は2つ。先の3発を加えて合計7つの的に的中させたか、あの早撃ちでこの結果とは恐れ入ったよ」

 

「調子が良けりゃ全弾命中なんだけどな。ま、ガキンチョ相手にゃ良いハンデだろ?」

 

 全弾命中とまではいかなかったものの、どこか満足気に笑う天龍。

 結果から見る限り、早撃ちなどせずに丁寧に狙っていたならば本当に全ての的を仕留めていたのかもしれない。

 

「天龍ちゃんに慎重なんて言葉はないものねぇ。うーん……それじゃあ私も同じ条件でやってみようかなぁ?」

 

「君も早撃ちで挑むのかね?確実に勝ちを求めるならお勧めはしないが」

 

「ふふ、慎重に狙って勝ったとしても天龍ちゃんは早撃ちだったし仕方ないなんて言われてもねぇ?癪じゃない」

 

「……やはり姉妹艦だな、君達は良く似ているよ」

 

 こうして2番手の龍田が所定位置につく。

 早撃ちに挑むと宣言した以上、波を読むようにその時を待つ。そして──

 

「…………それじゃあ、いくね?」

 

 浮かべた笑顔は穏やかそのものだが、その笑顔には余りにも不釣り合いなまでに苛烈な砲撃音が辺りに響く。

 天龍の時と同様に、その砲弾のほとんどが真っ直ぐ的へと向かって飛んで行った。

 

「ひゅう!さすがは俺の妹だぜ。やっぱ天龍型は最強だな!」

 

「ああ、見事な早撃ちだ。早さも精度も申し分ない。しかし龍田……どうして9発しか撃たなかったのだ?」

 

 エミヤは確かに見ていたのだ。弓兵であるエミヤをして見事と評する早撃ちではあったが、その数はリミットに1発たりていなかった。

 未だに爆炎と水飛沫が晴れない水面を見ながらエミヤは尋ねる。

 

「そうねぇ、私は天龍ちゃんみたいに早撃ちなんて滅多にやらないからかしらぁ……妖精さんがビックリしちゃったみたいねぇ。少し調整してみるから残りは後にしてちょうだい」

 

「そういう事か、承知した。では結果だが……7発命中だな。1発残して天龍と同点につけるとはやるじゃないか」

 

「天龍ちゃんに比べたらまだまだよぉ、やっぱり不慣れな事はしたくないわぁ。それじゃ、最後はお姫様の出番ねぇ」

 

 龍田は残弾を残す結果になったが、いよいよ大トリのホッポの出番である。

 

「ネェ、エミヤ……」

 

「む、どうしたホッポ?」

 

「ホッポ、早撃チッテ、デキナイカモ……ドウシヨ?」

 

「そんなことか。それはあの2人が好きでやったに過ぎない、ホッポが気にする必要はないさ。君は落ち着いて1発ずつ丁寧に狙えば良いだろう……というか、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……?ワカラナイゲド、ホッポ頑張ル!」

 

 拳を握って意気込むホッポは龍田と入れ替わるようにして所定位置に立った。

 

 初日ぶりに目にする彼女の艤装は既に修復されており、深海棲艦である事が一目でわかる異形のそれは、遠方の的にしっかりと狙いを定めている。

 

「おぉ……艤装を見たらやっぱり深海って感じがするよなぁ。問題は【姫】の名に恥じない実力かっつー事だけどよ」

 

「そうねぇ、少なくとも初日と違って調子は万全でしょうしお手並み拝見ねぇ」

 

 それぞれが見守る中、場の緊張感も最高潮に高まっていく。

 そしてその時は訪れた。

 

「…………沈ンデ!」

 

 ホッポの声と共に放たれた砲撃は超弩級戦艦と思う程の轟音と衝撃余波を伴った。

 打ち出された砲弾はたったの2発だったが、それだけでホッポを中心とした海面に大きな波が起きる程だ。

 想像以上に想像以上な衝撃を受けて、天龍と龍田も驚愕の表情を浮かべている。

 しかし、真に驚くのはここからだった。

 

 たった2発の砲弾──

 それがもたらした結果にこそ2人は度肝を抜かれたのだ。

 

 着弾地点に的があったかはわからない。

 少なくともピンポイントで当たったかの判定はできるはずがなかった。

 砲弾が海面を叩いた瞬間、天龍たちとは比べものにならない規模の爆発が起き、その衝撃は天を衝く程の水柱を生み出した。

 遠方で発生した波が自分達のところへと届く程である。

 

「ホッポ……次弾の砲撃は少し待つように」

 

「ナンデ?後、8発アルヨ?」

 

「弾はな。だが、恐らく的が無い」

 

 表情筋が完全に硬直した2人に対して、この結果をどこか予想していたかのようなエミヤ。

 苦笑いを浮かべながらも、大きく波打つ海面を注意深く観察するように的だった物の存在を確認していく。

 

「……どこを見渡しても的はないようだな。ホッポの成績は見ての通りだ。勝負の結果は天龍型は同点でホッポの1人勝ちとなるが異論はあるかね?」

 

「ちょ、ちょっと待て!あんなのアリかよ!?砲撃精度もクソもあったもんじゃねぇだろ!」

 

「この勝負のルールは1番多くの的を沈めた者が勝者、これは天龍自身が言い出した事だったはずだが?それとも、こんな子供を相手に物言いをつけるか?」

 

「いや、そりゃそうだけどよ……ガァァァ!おい龍田!お前は納得してんのかよ!?」

 

「んー……しょうがないわねぇ。ルールはルールだし今回はお姫様に勝利を譲るわぁ。あんな砲撃を見せられたらお姫様のご機嫌を損ねたくないし」

 

「マジかよ!?」

 

「龍田もこう言っているのだ、今回はおとなしく負けを認めたまえ。夕飯のことであれば心配しなくとも──」

 

「ちょっと待てっ!まだ負けた訳じゃねぇ!提督はどうなんだよ!ここまで来て提督だけ傍観なんてダセェ事言うなよ!?提督も参加しやがれ!いや、参加しやがれ!」

 

「言い直せていないぞ……しかし、どちらがダサいかはさて置き天龍の負けず嫌いは承知の上だ。本来ならばこのように幼稚な勝負には決して参加などしないのだが、君達がどうしてもというのならば本当に仕方なくだが渋々と参加するのもやぶさかではない。君がそれで納得するならば付き合うとしよう……あくまでも仕方なくだがな!しかし覚悟はしておけよ天龍。私にまで勝負を挑む以上は夕飯における手心はなくなると覚えておくがいい!」

 

「上等だっ!天龍型は逃げも隠れもしねぇ!」

 

 延長戦、エミヤの特別参加が決定した。

 

 気乗りしない風な事を言ってはいたが、誰がどう見てもノリノリである。

 根こそぎ吹っ飛んだ的の補充を終えた後、エミヤが最後の舞台へと立った。

 

 余談だが、黒シャツと黒パンツという普段着スタイルだった筈のエミヤはいつの間にか真紅の外套を纏っている程の本気っぷりだ。

 

「いいか!7発だぞ!提督が7発以下なら提督の負けだからな!その時は晩飯における全ての権利を没収してやる!」

 

「作り手の権利を没収したら私達の晩御飯も無しにならないかしらぁ……楽しそうだから別にいいけどねぇ」

 

「エミヤ!頑張ッテ!」

 

「ふっ、頑張るのは構わんが……別に、全ての的を射抜いても構わんのだろう?──I am the bone of my sword.」

 

 普段からなにかと目にするエミヤの投影魔術だが、武器の投影となるとやはり迫力から違ってくる。

 魔力の奔流が肌で感じられる程に本気になったエミヤ、その背中には空中に固定されたかのように浮かぶ8本の刀剣が投影された。

 

「イチ、二、サン……エミヤ、数ガ足リナイヨ?」

 

「私は提督である前に弓兵(アーチャー)だからな、7つ以上という条件ならば私には8本の刀剣があれば事足りる」

 

「舐めやがって!あとでやり直しっつっても遅ぇからな!!」

 

「良いだろう、一本でも外せば私の負けだ。一本でも外せばだがね……さあ、刮目して見るといい!」

 

 弾けるように射出された刀剣は鋭い風切り音と共に的へと向かっていく。砲撃のような派手さは無いものの、まるで意思を持って獲物を穿たんとするその様は余りにも幻想的だ。

 しかしその刀剣がどうなったのか、それを目視で確認するには的が遠すぎる。

 

「ふう……こんなところだろう」

 

「いや、何を満足気な顔してやがる!?これじゃあ的がどうなったか──って、なんだコレ?」

 

「私が投影した双眼鏡だ。それで的を見てみるといい」

 

 双眼鏡を手渡してニヤリと笑うエミヤ。

 何のことか理解できないまま、天龍は言われた通りに双眼鏡で的を確認する。

 

「マジかよ……8本とも的のど真ん中に刺さってやがる……」

 

「これが実力の差というものだ。君も精進するのだな」

 

「グッ……いや、まてよ?ルールは的を沈めた数で勝負だよな……っつー事は的が沈んでねぇ以上、カウントはゼロって事に──」

 

 天龍が言い終わるよりも早く、エミヤはまるでマジシャンのように『パチンッ』と指をスナップする。

 その音に反応するかのように遠方で8本の蒼い火柱が上がった。

 

「カウントが……何かね?」

 

「チックショウがぁぁぁぁぁあああ!!これじゃあ天龍型の2人負けじゃねぇかぁぁぁあああ!!」

 

「──えいっ♪」

 

 苦悶して頭を抱える天龍のすぐ隣、可愛らしい声と共に1発の砲撃音が響いた。

 

「やったぁ、的中ねぇ。残り1発が当たって私の成績は8発成功……エミヤ提督と同点だから天龍ちゃんの1人負けだよぉ」

 

「…………マジ?」

 

「お刺身は貰い損ねちゃったけど、減らないだけ良しとするわぁ。じゃ天龍ちゃんはお姫様にお刺身献上ねぇ?」

 

「ガァァッデェムッ!!!!」

 

 この日、カウンターの隅で漬物と味噌汁だけでご飯をかきこむ天龍の姿があったという。




ご拝読頂きありがとうございます!
本来でしたら高雄型と軽空母組の話まで載せたかったのですが、文字数の都合上カットして前編後編と分ける形になりました。
なにせタグにも載せているレベルでシリアス寄りな文章しか書けないもので、こういったほのぼの系の話を間に挟まないと全体が重くなりすぎて書く気も読む気もなくなってしまうと考えての【幕間】でした!
次回はこの話の後編として高雄型と軽空母組を予定しております!

そして私事なのですが、8月上旬にお店のオープンが決定しました!
屋号は【創作酒場 鳳翔】となります!
まだHPなどもできていませんが、鳳翔さんのように料理が上手で最後まで沈まないお店になるよう精進します!(本作においての鳳翔さんが轟沈している件については触れるな、わかるね?)

それでは、亀更新の拙い文章ではありますがまた次回まで!

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