「……寒い、ですね」
「……はい」
重苦しい沈黙に耐えかね、少女は口を開きとりとめも無い話を相方に振る。
異形の風景、そこに降り積もる雪、暗く曇った空。
なるほど、異形は別としても季節によってはこれが一日中続くのであれば、
気分が滅入るのも無理は無い。
そんな納得をしながら、二人は慎重に周囲を見回しながら、静寂の中を歩いていた。
静花と雅维が今この場所を歩いている経緯は、エリゼ宮殿大統領執務室前通路にいた時まで遡る。
苦戦の果てに何とか勝利を掴み、二人は標的、エドガー・ド・デカルトの待つ扉の前までたどり着いた。
二人共傷を負い、万全とは程遠い状態。このまま戦って、勝てるだろうか?
相手はニュートンの一族、その最上位に位置する一人だ。
MO手術は受けていない、という情報ではあったが、ニュートンの最新の血族は並みの戦士、レベル相手ならばそれが手術を受けていてなお生身で下す事ができるだろう。
勝算は、あるだろうか。少なくとも瞬殺、ができない事は確実と見て良い。
さらには、時間が経てば援軍の可能性もある。
決断に、迷い。その中で二人話し合い、何とか答えを出した後。
さあ、とそれを実行しようとしたその時、二人の持っていた通信端末が、同時に緊急回線での連絡を伝えていた。
相手は、U-NASAの研究者だった。
二人とも面識が無い、名前程度にしか聞いた事が無い相手だ。
龍将軍に持たされていた通信端末だ。相手は、中国の誰かだと思っていたのだが。
首を傾げる二人であったが、今は一秒でも時間が惜しい。
その通信の相手の話によれば、龍将軍はとある任務のため、フィンランドに赴いているという。
そこまでは、二人も知るところである。
しかし、その任務が厄介極まりないもので、さらに人員が必要、との事だった。
そこから、情報交換は始まった。
龍将軍の任務は中国という国から預かっていたものではなかったのか。
何故、龍将軍から渡された端末に、U-NASAの人間が出るのか。
それらの疑問を、隠すべきところは隠し、現状の把握と疑問の解決を進めていく。
流石に今要人暗殺がいいところです、とは言えなかったため、その辺りは軍人としての調査任務でフランスにいる、程度にぼやかしながら。
結論として、二人は任務を中断し龍将軍と同じ現場、フィンランドへと赴く事となる。
『世界が滅ぶ』。その言葉と証拠の提示、さらには龍将軍からの証拠を伴っての言伝をされては、
任務の続行という選択肢は選べなかったのだ。
少し後ろ暗い任務である事は承知の上だったのか、普通に出国するでなく、世界的な財閥の一つが用意したというプライベートジェットにより、フィンランドへ移動。
その間に既に現場に入り時には交戦もしているという龍将軍に代わりそのクロードと名乗った研究者からより詳細な事情を聞き、雅维は現地の地名を聞いて何故か顔を青くしながら、その話を聞いていた。
そして、今。話には聞いていたけど……というキャロルと剛大と同じ感想を漏らしながら、二人は森林地帯を歩く。
最新の情報として、百燐から標的と思わしき人間を発見した、これより交戦状態に入る、との知らせがあった。
そのため、二人は今現在百燐から伝えられた地点へと移動していた。
もうすぐたどり着く。自分達の他にも、U-NASAの戦力がいるらしい。
状況をあれこれ分析しながら、二人は考える。
相手は、生態系そのものを書き換える怪物。
個人の武力、としてのMO手術に収まらない、特異な系統の能力。時にそういった能力がある事も、存在自体は二人とも認知している。静花は自分の班に己を増やす、という能力の人間がいるし、雅维もまた、
だが、国や、ヘタをすれば世界などという規模に影響を与えるレベルのものまで存在するとは。
アダム・ベイリアル。その存在を詳しくすれば大いに納得がいく部分なのだろうが、二人はまだその知識について深くまで認識しているわけではなかった。
―――――そして。直後、彼女たちはその狂気の一端を身に迫った形で知る事となる。
「……!」
「っ……!」
巨大な腕が振り下ろされるのと二人が回避の動作を取るのは同時だった。
空を薙ぎ地面を叩く音。その膂力に細かな雪が舞い上がり、視界が一瞬陰る。
相手が腕を再び持ち上げる隙に距離を取り構えた二人は同時にその下手人を見据え、
そして驚愕と本能的な恐怖に表情を曇らせた。
「●●●●●●●●●」
何者。その問いかけに、答えるように、
それは、何か、としか形容のしようがなかった。
二足歩行。二本の腕。胴体。頭部。全体的な形状が人型、である事はわかる。だが、それだけだ。
元々は透明に近いものであったのであろう、濁った色の触手に全身が覆われ、素肌の部分はほぼ見えない。
そこから、オオカミか、イヌ科の動物と思われる前足や魚の背びれのようなもの、蜂の毒針、数えていけばキリの無い、様々な動物の器官が覗いている。
そして、頭頂にはその奇怪な姿には不釣り合いな兎の耳が三本、髪の代わりだ、といわんばかりの触手の海からぴんと伸びている。
二人に攻撃を仕掛けたのは、火傷や毒により酷い水ぶくれを起こしたか、もしくは水死体か何かのように膨れ上がった、濁った触手を通してでも例外的に黒と紫に変色している事が伺える肥大化した左腕だ。
まるで、新人の人形士が扱うマリオネットのようなぎこちない動きで、全身を震わせながら
再び左腕を振り上げる。
「一体、なんなのかさっぱりだけど……」
「……そこは、通してもらいます……」
人間を極めた超人を天から引きずり降ろさんととフランスを駆けた少女たち。
二人は、この極寒の大地で深淵よりの怪物と激突した。
――――――――――――――――
「……島原さん!」
「はい、聞こえました」
果てが無い異形の森林を歩き続けていた剛大とキャロル。
そんな二人の耳に微かな戦闘の音が聞こえたのは、ヨーゼフとの通信を終えてから数十分後の事だった。
互いにがっぷり噛みあい転げまわる猛獣同士のものとは違う、両者が激しく動き回りながらのものであると推察できる、断続的に聞こえてくる、枝が、木が揺れその上に積もった雪が落ちる音。
銃声のような確定的な要素こそ無いが、それは人間と人間が交戦している可能性が高いように思われた。
今この場所で、そのような戦いが起こっているのであれば、予想できるものは一つしかない。
人間…ではないが、脱走したテラフォーマーと事態収拾にあたっているフィンランド軍の兵士、もしくは先に現地に入っているアーク計画の人員。
もしかしたら、この事件の元凶と交戦しているのかもしれない。
いずれにせよ、キャロルと剛大がそちらに向かわない、という理由は無かった。
味方の救援にしろ、目標の撃破にしろ、大きな進展に繋がるからだ。
二人は急ぎ、音のする方向へと駆ける。
数秒、数十秒。この辺りは大型の生物がよく移動するのか、雪が踏み固められていて足を滑らせそうになるがそれを何とか避けながら。
「……!」
そして、視界が急に開かれる。目の前の光景の奇妙さに、剛大とキャロルは微かな困惑を見せる。
木々が切られ付近の土が均されている。まるで、岩がテーブルと椅子のように並べられている。
そのテーブルの上には、ティーカップとそこに入った微かに色づいた紅茶と思われる液体。
そして、周囲には斬撃により絶命したと思わしき数匹のテラフォーマーの死体が。
人為的な何らかの活動の後と、この場で戦闘が起こった痕である。
戦闘に関しては、特別何らおかしいわけでもない。
少し音が近くなった戦闘音の主、その戦いに巻き込まれた結果であろう。
事実、クロード博士から聞いたところによれば、現地入りしている味方は
超一流の剣士であるという。
ならばこのテラフォーマーは彼との交戦により死亡したのだろう。
そう結論付けられる。
おかしいのは、今のこの開かれた場所、という部分そのものである。
敵の攻撃に備えた仮の拠点、などではない。防御力などあったものではない。
部分的とは言え木々を切り開くのは、自分の姿を監視衛星や偵察機といった空からの目に晒す危険がある。
こんな状況でテラフォーマーがわざわざ紅茶を用意しないだろうし、彼らは娯楽などどうでもよく、
いかに
だというのに、この場所はそれとは真逆の効果を示している。
そこに戦略や合理性はなく、あくまでも『お茶会』ができる場所を用意したかっただけ、に見える。
それらの情報を総合して、剛大とキャロルは同時に答えを出す。
まるで『楽しい事が第一』とでも言わんばかりの、テラフォーマーとは異なる非合理。それは、キャロルがアーク計画の任に当たるに際して聞き、剛大も今回でクロード博士から情報共有された、アダム・ベイリアルのイメージに近い。
一流の剣士であるアーク計画の人間と、最初に音を聞いてから今まで交戦を続けられる相手。
これらから導き出せる、答え。それは。
「……急ぎましょう!」
奇妙なお茶会の席を後にし、二人は駆け出そうとする。
相手は、アダム・ベイリアルの送り込んだ兵器……すなわち、この事件の元凶だ。
今すぐにでも、援軍に加わらなくては。
……しかし。剛大とキャロルは、大いに誤解していた。
アメリカを襲撃した、"悪鬼"。ニュートンの一族と正規軍の部隊をいとも容易く殺戮し、
"人類最強"がその命を削ったドーピングを自らに施し挑み、それでもなお一時的な撃退に留まった、正真正銘の怪物。
単騎の力で世界を滅ぼせるのではないか、と思えてしまう"生物最強"。
それと対を成す"妖魔"が、ただ強者一人と長時間打ち合える個人戦力、それだけの存在であるのだと。
確かに、環境を歪め書き換えるその権能は脅威であり、世界すら滅ぼしかねない。
だが、それは病としての脅威であり、即座に差し迫った暴力的な脅威ではない、と思っていたのだ。
確かに、それは間違っていない認識であり、これまで二人が戦ってきた動物たちを見た事実だ。
アストリスによる環境の書き換え、それによる生物の戦闘のみを飾り立てさせる進化は、急速に進むとしても武力としての脅威になり得るのは月、年単位での話だろう。
生物は刻一刻と選別され、戦闘に特化した機能のみに研ぎ澄まされていくが、それが人間の手に負えない強さとなるのは、正しく進化、という言葉の意味である、世代を経ての大きな形質の変化が入り混じってのもの。
『鎌の生えた狼』『魚と同じように泳げる熊』程度の現在の変質した生物では、軍が本気を出して鎮圧しようとすればあっさり終わるレベルの話に過ぎない。ウイルスそのものの方が人間への影響も遺伝子汚染による遺伝子資源の壊滅、という意味でもよほど差し迫った脅威である。
言ってしまえば、アストリスの力による生物の変異は、武力という点では子どもによる悪趣味な箱庭ゲーム、の域を出ない。
それが、大自然を強く、弱くとも戦略的に、それぞれの形で生き抜きこれまで進化してきた、自然の動物だけに適応される話であれば。
――じょう、じ
戦闘の音とは別の方向から聞こえたその鳴き声を、剛大とキャロルは聞き逃さない。
だが、テラフォーマーといえど、今はそれより優先すべきだと判断できる相手がいる。
戦力の規模だけ確認しようと、二人はそちらを向き。
そして、固まった。
十匹ほどのテラフォーマーの群れだった。
アストリスの変異の力が影響を及ぼしているのか、彼らにもまた、それぞれ変化が生じている。
角や甲殻や鎌、頭足類の触手、長い爪、などそれぞれ個性に溢れた武器。身を包むのは、短い毛皮と、ネズミのものだろうか? 尾が生えている。
そんな彼らは、剛大とキャロルにはまだ気付いていない様子であった。
何故ならば――
「じ、じぃッ……♡!」
「じょうっ♡ じょうっ♡ じょうッッ!」
同族を押し倒し、情熱的な行為に及んでいたのだから。
具体的な描写はするまい。
「じっ、キィイィィィイイィイィ♡」
その行為は、組み伏せられた側の叫び声で終わりを迎える。
だが、異常はそれで終わらない。
組み伏せられていたテラフォーマー達の体が痙攣し、白目を剥き涎を垂らしながら、
尻から黒いカプセル状の物体を産み落とす。
それは、卵鞘だった。
地面にぼとりと落ちた後、それには見向きもせずに再び交尾を始めるテラフォーマー達。
その周囲では、それより以前に産み落とされていたのだろうか、既に転がっていた卵鞘からテラフォーマーの幼体が生まれる。
そして、何らかの改造が施されているのか、みるみる内に成長を始める。
成長して目立つ、その身。
鎌と触手が複合した個体。
全身を鎧のような甲殻で覆い、さらに無数の棘のような突起が生えている個体。
エラが生えており、それ以外の呼吸の手段を変質で失った個体、そもそもテラフォーマーとしての形を成していない個体といった成長できず既に息絶えている個体たちをよそに、親の形質が複合した特徴を持った個体たちは起き上がり、滅茶苦茶に交尾を行う自分の両親たちを見る。
そこには、隠しきれない欲情の色。
交尾、産卵、孵化、成長。
交尾、産卵、孵化、成長。
交尾、産卵、孵化、成長。
交尾、産卵、孵化、成長。
繰り返されるたびに、生まれる子の体には生物の器官が複合し、増えていく。
――――――――すまないね、アダム君。君から貰ったサンプルも逃げ出しちゃったみたいだ
彼らは、アダム・ベイリアルの狂気の産物。
『異常繁殖型テラフォーマー』。
テラフォーマーの肉体に、『アンテキヌス』という、死ぬまで交尾を止めない旺盛な繁殖欲求を持つネズミに近い外見の有袋類の一種を組み込んだ特殊な個体である。
正気を失い、強靭な肉体も劣化し。その代償として得たのは、異常なまでの繁殖力。
さらにこの虚飾の庭園で得たのは、次から次へと移り変わり増えていく、他の生物達の肉体。
「じょうっ♡ じっ、じょうっっ!!♡ ……じ?」
……そして。
そんな彼らは、どうやら次のお相手を視線の先に見つけたようだった。
――――――――――――――――
―異形の森・西端部―
「……」
U-NASAの戦士達の交戦から遠く離れた、森の西端。
拡大していく異形の森林地帯を、ぽつぽつ歩く人間が一人。
―――――――ごめんね、少し、頼みたいことがあるんだ
脳裏に浮かぶのは、自分におねがいをしてきた、●●の顔。
その足取りは軽いものではないが、そこに臆している、というような感情の機微は見られない。
ただ、それが当然なのだとでも言いたげに、一直線に歩いていく。
そして、間もなくしてその人間は、十数匹のテラフォーマーに囲まれた。
領域に侵入する人間を殺しにかかる。それは、テラフォーマーとしての本能に根差した殺意であり、
同時にこの庭園の主である女王の、自分の元に辿り着くような素敵な方とお茶会がしたい、という意向でもある。
「……」
目の前の怪物たちに、その人間は大した反応を示さなかった。
足を止めこそすれど、興味も無さげにテラフォーマーを見つめるのみだ。
テラフォーマーもまた、相手を観察する。
ニンゲンの幼体。雌だ。それ以外に、特筆するような要素もなし。
人間にテラフォーマーの個体差がわからないように、テラフォーマーも人間の個体差を意識的に学ぶか認識しようとでもしない限り、それを構成する要素の多少の差異に気付きもしないのである。
その人間は、テラフォーマーが自身を見ている事に反応したのか、
すぅと左手を上げ、まるで指を指すように前に伸ばす。
その行為に何の意味があるというのか。いいや、何の問題も無い。殺すべき対象だ。テラフォーマーは、その人間に、襲い掛かろうとして。
瞬間、その少女の腕が、
肉が、皮が、液状となりその身に纏う白の一枚布を汚しながら地面に落ち、骨を晒す。
それは、少女の全身で起こっていた。
肉体が泥を水に入れた時のように溶けていき、骨がずるりと姿を見せる。
しかし、その過程も一瞬の事だ。
失われていくと同時に、その肉体はまるで映像を逆再生するかのように
修復され、即座に元通りになる。
突然の不可解な事象に、一瞬だけ判断が遅れたテラフォーマー。
だが、それが意味を為さずに始まり意味も無く終わった現象であると結論付け、全個体が少女に向け殺到する。
怒涛の如く押し寄せる黒の群れ。細身の、自衛手段など無いであろうか細い身は、
テラフォーマーの一撃を受ければ無惨に砕ける事だろう。
最早止まらない勢いのまま、テラフォーマーの群れは棒立ちの少女に襲い掛かり。
刹那。少女の周囲から、命が絶えた。
「……じ」
テラフォーマーの目から、液体が零れ出す。
それが溶け落ち液状となった眼球、脳、その他細胞である事など、もはや彼は知覚する事はできなかった。
鼻、耳、肛門、関節の隙間といった穴からも、同じく。その液体が全身の筋肉と内臓器官、神経系の末路である事もまた、もはや彼にはわからぬ事である。
まるで水袋にいくつも穴を開けた時のように、少女に襲い掛かったテラフォーマーの、不幸にも付近を飛んでいた鳥の、動物の、木々の穴という穴、あるいは肉体そのものから、液体が零れ地面に流れ出す。
重力に負け崩れ落ちる、体内が全て流れ出しそれだけが残された十数匹のテラフォーマーの甲皮。
空から落ちてくる、不幸な鳥の白骨と、遅れて落下するばらけて散った羽毛。
まだ熱を保っていたのか、周囲の雪を微かに溶かした、かつて生命だった液体が広がる中。
少女はそれに何の感慨も持っていない様子で表情を変えず再び目的地に向け歩きだす。
歩くたびに脚から地面に固着し広がっていく、肉でできた根のようなものが、周囲に広がった液体を吸い上げ、さらに拡大していく事に、大して興味も無い様子で。
観覧ありがとうございました!
~用語、キャラ紹介~
異常繁殖型テラフォーマー(贖罪のゼロ)
死ぬまで交尾し続けるお盛んな有袋類の一種、アンテキヌスの遺伝子を組み込まれたテラフォーマー。
正気失ってるし戦闘力は通常の個体より劣るけど
2,3分で卵から孵り1分ほどで成体になり交尾して増える。
あ、あとあらゆる生物が交尾の対象らしいです。
やべーぞ交尾だ!
……地獄かな?
~オマケ~
アダム「おしゃべりロドリゲスくん、どうだった?」
オリヴィエ「おかげさまで娘に土下座する事になったよ」
アダム「えぇ……」