深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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遅くなってしまいました、第18話です。


Mind Game:第18話 常在夢中

 

「さあ、お茶会はこれからよ!」

 

 

 咄嗟に場を飛び退いた百燐。

 そこに、魑魅魍魎の攻撃が殺到する。

 両腕と片足が変異した生物の武器として機能する器官、計13。

 

 貫かれた腹を庇いながら、百燐は微かに焦燥を表情に出す。

 首を落としても動く事ができた。

 その特性はアストリスがテラフォーマーから獲得したもの。

 

 運動のコントロールを胸部の神経中枢に持つが故の、人間離れした特性である。

 

「どうしたのかしら、もっともっと、楽しませてくださいな!」 

 

 片膝を突いて荒く呼吸をする百燐を、アストリスは楽しそうに見つめる。

 非細胞性生物型、その過剰摂取により目まぐるしく変わる両腕で、額の汗を拭いながら。

 

 

 その微かな隙に、百燐は刃を繰り出す。

 だが、それを振り抜くより先に襲い来たのは、強い生命への危機の直感。

 それに従って普通に刀を振るう時よりも1手早く回避動作に移った百燐を迎えたのは、これまで通りの変異した生物の器官による連撃だった。

 

 これであれば、先に回避に移る必要は無かったか? 臆病になりすぎたか?

 思案する百燐。

 しかし直後に自身の直感は正しかったと否応なしに思い知る事となる。

 

 巨大な毒針に変異したアストリスの腕、五分割されたその内の1本が百燐が先ほどまで立っていた空間を刺し貫く。

 

 だが、それで終わらなかった。

 一度変異したはずの毒針がさらに形状を変え、ハサミ状のものへと変質し百燐を追撃してくる。

 二段構えの攻撃に、それでも危なげなく対処する百燐。

 

 そのハサミはさらに変質し鳥の羽へと変わる。そこで、引き戻され攻撃は終わった。

 

 なんだ、あれは。

 毒針の回避だけならば、1歩早く回避に移らなくとも問題はなかった。

 だが、さらなる変質を行っての追撃、それを回避しきれただろうか?

 

 傷により鈍っている自分では不可能、というのが出した結論だ。

 

 過剰摂取による強化。それは純粋な身体能力だけではなかった。

 両腕がそれぞれ五分割され、様々な生物の器官へと姿を変える。

 その大きな特徴はこれまでの状態と何ら変わらない。

 

 しかし。

 

「眼が霞んで妙なものが見えているわけでは……なさそうですな」

 

 基本的に攻撃のタイミングでのみ変質していたそれは、一分一秒ごとにその姿を変え続けていた。

 万華鏡を勢いよく回した時のように、目まぐるしく様々な生物の器官が発現し、次の瞬間には別のものへと変質する。

 

 これまでの一度の変異であれば、百燐にも防げた。変異の初動である程度どのような動きをしてくる器官なのかも読める。

 だが、流石に二度三度と変化されては、対応のしようが無い。

 

 傷を負う事なくこちらから攻撃を仕掛けるのは困難だろう。

 しかしここで退くという選択肢はあり得ない。

 この状態で正面から殴り合い、勝算は如何ほど。

 

『―――――――!』

 

 通信機から聞こえる声も、今は思考の邪魔となってしまう。

 いっその事捨ててしまおうか、などと一瞬考え。

 

 

 その聞こえてきた内容から、いや、と百燐はひとつ頷く。

 数秒と置かずにアストリスが距離を詰め腕を繰り出そうとするが、百燐は先ほどのように下がろうとはしない。

 ただ、掲げた右手を下に下げただけである。

 

「ふわっ!?」

 

 その不可解な動作に疑問を覚えた瞬間、アストリスの視界を樹の枝とそこに茂る葉が遮断する。

 糸を繋いでおいた枝を手繰り寄せた。

 

 その答えに辿り着き、枝を振り払うのは一瞬の内だったが、しかし。

 

「……あれ?」

 

 百燐の姿は、目の前から消えていた。

 

――――――――――

「……島原さん?」

 

 変異型テラフォーマーの屍で埋め尽くされた森の一角。

 そこを出ようとしていた剛大は、ぴたりと立ち止まる。

 

 その態度を不思議に思ったキャロルが名前を呼ぶが、剛大は立ち尽くすのみ。

 もう一度、キャロルが剛大の名を呼ぼうとした、その時。

 

 

 

―――――おぎゃあ、おぎゃあ。

 

 

 泣き声が、聞こえた。

 先ほどまでひっきりなしに続いていた変異型テラフォーマーの耳障りな産声ではなく、人間の赤子の声。

 

 ここに迷い込んだ一般人か? ならば、保護しなければいけない。

 頷き合い、その声の主を探そうと、目線を低くした、瞬間。

 

「……?」

 

 二人の視界に、妙なものが飛び込んできた。

 それは、地面をうっすらと覆う、泥のような色の何か。

 

 ただそれだけであれば、二人はこの非常時にわざわざ思考を割かなかったであろう。

 このような地形だったのだ、で済ませていたに違いない。

 

 しかし、今二人の目に映るそれは、奇怪な様子に満ちていた。

 

 その泥のような何かは、変異型テラフォーマーの死骸、その上に積み重なっているのだ。

 さらによく見れば、そこから寒天のような、半透明の固形物が分泌されているような――――

 

 

「……危ないッ!」 

 

「くっ!?」

 

 奇妙な光景に意識を奪われても対応が遅れなかったのは、二人の研ぎ澄まされた感覚の賜物と言っていいだろう。

 

 盾を構え剛大の前に出たキャロルと、キャロルの死角を庇うように構え、素早く蹴りを繰り出した剛大。

 それ(・・)は同時に着弾し、二人の迎撃と激しくぶつかり合う。

 

 ミツツボアリの筋力、それでもなお数歩後退したキャロルと、衝撃を殺しきれずに肉が裂けた様子でその脚から微かに血を流す剛大。

 

 二人は次弾を警戒しつつ、自分たちを攻撃したそれを確認する。

 

 サッカーボール大の球体である。数十本の棘、先端が錨のような形状になった攻撃的な外見をしている。

 盾にぶつかり、剛大の迎撃で、一部が砕けた中身からはまるで血のような赤い液体がどろりと流れ出している。

 

 なんだ、これは。

 兵器の類ではないだろう。有機的な意匠をしている。

 だが同時に、大型生物でこのような武器を持ちいる生物など聞いた事がない。

 

 ならば、その答えは。

 

「……」

 

 ふたりが出した回答の答え合わせは、次の瞬間森の向こう側から姿を現した人影によって成される事となる。

 だが、ふたりは同時に怪訝な表情をしてしまう。

 

 何故ならば。

 

「子ども……?」

 

 そこにいたのは、幼い少女だったからだ。

 歳としては6~7歳程だろうか。

 長い金髪と整った容姿である事が伺える、小さな人間。

 

「……なに、この子……」

 

 震えの混じったキャロルの言葉は、少女の外見と、そしてその纏う雰囲気に向けられていた。

 目立つのは、その服装。

 

 白の一枚布を巻き付けたかのような、次代錯誤の衣装。

 これだけであれば、特徴的なファッションの一般人と判断する事ももしかすればできたかもしれない。

 

 だが、髪の間から伺える額に浮かび上がった、松葉を何枚か放射状に並べたような模様。

 頭部から緩いU字を描くように生える、複数の透明な触手。

 そして、その中央、頭頂から生える、無機的な印象を与える多面体のような謎の物体。

 

 詳細はわからない。だが。

 

「MO手術被験者……!」

 

 即座にその予測を立て、二人は動き出す。

 先の一撃からして、敵対的なのは確実。

 

 外見的特徴から予想できる生物はわからないが、触手。

 恐らくは、身体能力がそれほど高い生物ではない。

 

 狙うべきは無力化だ。

 そう判断し、剛大は手術ベースも合わさった脚力で少女との20メートル程の距離を一瞬で詰める。

 

「……ん」

 

 一方の少女は、特別それに何かの対処をしようという様子もない。

 剛大が近づいても、何もせず。そのまま地面に組み伏せられても、表情一つ変えず。

 

 予想通り、力が強い手術ベースではない。

 もがくことすらしない、後ろ手にして腕を捕縛した少女の様子を見て剛大は考える。

 この少女は一体なんなのか、そもそも何が目的でやって来たのか?

 

 疑問は尽きないが、ひとまずは素性を。

 剛大がそう考え、余計な怪我を負わせずに捕縛できた事にほっとしている様子のキャロルと話を交わそうとした、瞬間。

 

 

「っ!?」

 

 少女の肉体が、溶け落ちる。

 まるで肉が腐り落ちたかのように全身が液状化し、その骨を晒す。

 だが、それも一瞬の内に再生し、元に戻る。

 

 疲れが見せた幻覚か何かか。

 剛大は一瞬、眼を擦ろうとし。

 

 背筋に走った悪寒を感じ、少女を拘束していた手を離して全力でその場を離れる。

 それが、命運を分けた。

 

 直後、少女の周囲の生命全てが、溶け落ちる。

 木々が樹皮や葉の脈を残し、液状化し無惨に地面に流れ落ちる。

 地面に転がったテラフォーマー達の残骸も、同様だった。

 体内から夥しい量の液体が流れ出し、甲皮だけを置き去りに地に染み込んでいく。

 

「……」

 

「……なんだ、これは」

 

 言葉を失ったふたりに興味も無い様子で、少女は立ち上がる。

 自身の衣服についた泥を払い、平然とした調子で。

 

 相手は全く堪えている様子は無い。

 さらに、見た事も無い異常な攻撃手段を持っている。

 

 どうしたものか、と剛大とキャロルは考え。

 

「はい、そこまでっす」

 

 それは、少女と剛大とキャロル、向き合う両者の中間地点から唐突に聞こえてきた。

 

 パン、と手を叩く音。

 突如現れた新手に、三人の視線が向く。

 

 剛大とキャロルは、強い警戒を示す。

 何の気配もなく、突如としてその場に現れた。

 相応の使い手か、もしくは高い隠密性を有する手術ベース。

 

「私は希维、希维・ヴァン・ゲガルド……別に覚えてもらわなくても結構っす」

 

 ビジネススーツの女性だ。

 この場にそぐわぬ姿であるが、そうであるが故に歪な雰囲気を醸し出している。 

 

「本来であれば、そこの超絶可愛い女の子……リンネちゃんと一緒にお二方を始末して例のアレのサンプルを確保しに行くとこなんすけど……見ての通り、死ぬほど疲れてるっす」

 

 何を言いだすか、という剛大とキャロルだったが、その姿を見て納得する。

 全身傷だらけである。

 髪はところどころがほつれ、そのビジネススーツには何カ所も枝に引っ掛けた痕や破れている部分がある。

 敵勢力の介入者、というには少し威厳が無い姿と言える。

 

「……どうっすかね? ここいらで手打ちって事で」

 

 見るからに疲れている様子の希维。

 手打ちも何も、一体何目的でお前達が来ているのか知らないのだが。

 そう言いたくなるキャロルと剛大だったが。

 今ここで相手も望んでいない戦闘に突入するのは得策とは言えないだろう。

 

 

 かくして停戦は成立し、希维と少女、リンネは帰途に。

 剛大とキャロルは百燐の元に向かう事となるのだった。

 

――――――――――

「……どこに行かれたのかしら?」

 

 きょろきょろと周囲を見回すアストリスを、百燐は樹上で魚の鱗に変異した葉をブラインド代わりにしながら覗き込んでいた。

 

 ニュートンの卓越した身体能力や感覚器官とはいえ、索敵に特別優れているわけではなさそうだが、不意打ちで仕留めるなどという手段が通じる相手ではない。

 正面から戦うのは当然分が悪い。

 

 だが、それでも勝たなければならない。

 必勝の策を練らなければならない。

 

 アストリスから身を隠してから、時間にして三分。

 やっと、準備が整った。

 

 

 チャンスは一瞬、これを逃せば、いよいよ勝機は無い。

 アストリスの背を狙い木から飛び降りる、一つの影。それをアストリスの鋭敏な感覚は見逃さなかった。 

 

 即座に振り向き、その顔がこれまで何度もアストリスを楽しませてきた勇士の老人である事をはっきりと確認し、喜びの表情と共にその変異した腕を振るう。

 

 

 

「ぐおぉ……!」

 

 そして、その結末はいとも簡単に、残酷に訪れた。

 百燐の腹を毒針が刺し貫き、血が流れ出す。

 

 着地すらできず、剣を振るう事も無く、剣聖は串刺しにされた。

 

「ああ、とてもおもしろかった! 帽子屋さんのお話くらい!」

 

 

 ふう、と満足げに息を付き、アストリスは自身をここまで追い詰めた勇士に、微笑みと共にトドメの一撃を加えようとする。

 

 最期に改めてその姿を見よう、と百燐の全身を視界に映し。

 

 アストリスは首を傾げた。

 

 

 

「……あら? 勇士様、そんな服装――」

 

 疑問を口にした瞬間、アストリスの腕に触手(・・)が巻き付く。

 

 

「将軍! 今です!」

 

「――!?」

 

 そして、明らかな違和感の正体は、百燐の顔が性別からして別人に変化する、という事象を持って確信へと変わる。

 

「まあ、まあ! 駒鳥(クックロビン)さん! 私に会いに来てくださったのね!」

 

「私はあんまり会いたくなかったけど!」

 

 苦痛に顔を歪ませながら、百燐――に化けていた静花は叫ぶように声を出す。

 

 そして、静花によって塞がれた視界の死角から、銀色の一閃が放たれる。

 数十年の鍛練と実戦を持って研ぎ澄まされた一撃が、狂い無く静花を刺し貫く左腕を切り落とす。

 

 

 通信から聞こえてきた音声。

 それは、静花と雅维、二人が合流できるという連絡だった。

 二人は先日の戦闘で負った怪我とこちらでの戦闘で疲弊している。

 普通に正面から三人で挑んだところで勝てる相手かどうか。

 

 ならば、と百燐は告げた。

 もしかすると、命を懸ける事になるかもしれない。

 それでも、勝つために力を貸してほしいと。

 

 

 

 姿を現した本物の百燐に、笑みを強めるアストリス。

 過剰摂取による影響だろう、切り落とされた左腕も即座に再生し、元の姿を取り戻す。

 

「でも残念! どれだけ頑張って走ってもその場に留まっちゃうもの!」 

 

 いないと思っていた相手の友軍に、アストリスは目を輝かせる。

 彼女には不意打ちが卑怯だとかそのような考え方は無い。

 戦闘とは純然たる娯楽であり、相手がどのような手を打って来るのか見るのが大きな楽しみだからだ。

 そして、それを打ち破る事も。

 

 見事な奇襲だった。他の人に変身できる能力なんてすごいのね。

 楽しそうに笑いながらも、自身の勝利は揺るがないと確信できる。

 

 一度腕を落とされようとも、既に再生した。

 戦局は最初に巻き戻っただけ。

 ならば、このまま戦えば自分の勝ちだ。

 

 そう判断し、百燐へと腕を伸ばそうとするアストリス。

 

「……誰か、忘れていませんか?」

 

「へ?」

 

 しかし、伸ばそうとした腕は届かない。何者かに足を払われ、姿勢を崩してしまったからだ。

 足元を見れば、そこには少女がもう一人。今の今まで、百燐に意識を奪われていて認識ができていなかった。

 

 

 そして見えた隙を逃す百燐ではない。

 姿勢を崩したアストリスに剣を振るう百燐。

 

 それを迎撃し、変異した手足を振るうアストリスだったが、しかし。

 

「あら? あら、あれ?」

 

 不思議そうに、首を傾げる。 

 何故目の前の勇士様は、先ほどまで対応し切れていなかった私の攻撃を全て捌けるのかしら? と。

 

 その答えは、二つ。

 

「貴女は、こう言っていた。『テラフォーマーの真似』と」

 

 ひとつは、アストリスの体の動きが鈍くなっているため。

 それは、百燐の刀に刷り込まれた化学物質の効果だ。

 

 『ナルボンヌコモリグモの毒』。 

 昆虫類に対して強い毒性を示すそれは、本来であれば細胞という構成単位ですらないアストリスには効果が薄い。

 だが、テラフォーマーの特性を色濃く発現している状態であれば、話は別。

 先ほど左腕を切断したのも、再生されるのは承知の上で毒をさらに体内に流し込むためだ。

 

 

 

「――――貴女は、とてつもない怪物です。だが、弱い(・・)

 

 ……それは、百燐のような猛者だからこそ、アストリスの動きが鈍っているからこそ露呈する弱点だった。

 無数の生物の集合。一切の規則性が存在しないランダムな攻撃・防御手段。

 

 本来であれば、それに対抗する事など不可能である。

 未知はそれに対する防御を困難にし、予想だにしない形での反撃を恐れさせて攻撃を踏みとどまらせる。

 

 だが。

 

 武を極めた真の強者だからこそ突くことができる隙が、ここにひとつ。

 

 アストリスは、振るう無数の能力の錬度を高める事が一切できない。

 それは彼女が怠惰だからというわけでは一切なく。

 

 想像してみて欲しい。

 剣術を学ぶ際に、素振りをする度に長さ、重さ、強度……振るう刃を構成するあらゆる要素が変化するとしたら、まともに技術を修めることなどできるだろうか?

 

 同じ例えを持ちいるならば、アストリスのそれは剣どころの話ではない。

 振るたびに槍にも斧にも変わる武器の技術をどう習得できるというのだろう。

 

 実戦で使われれば、振るたびに何もかもが変わるそれはまともな戦士では対応する事は確かに不可能だろう。 

 しかし、扱う技術としては素人同然のそれは、歴戦の戦士を相手にすれば途端にボロを出す事になる。

 

 

「そして、貴女の能力は守勢に回れば不安定に過ぎる」

 

 眼前に迫った百燐の剣を左腕で防ごうとするアストリスであったが、その左腕が変異したのは、熊のような力強い腕。

 強靭な獣の腕。たしかに悪くない変異だった。

 だが、達人の剣を止めるには不足に過ぎる。

 

 攻勢や互いに防御をせずに殴り合うような状況においては、肉体の変異は相手に硬度を悟らせないという点で優位に働く。

 しかし、一方的に攻撃を受ける側となれば話は別だ。

 安定した防御が不可能なそれは、守勢に耐え続ける事が出来る代物ではない。

 

 百燐の腕が跳ね上がる。それに伴い、銀の一閃がアストリスの胸部中心を貫く。

 首を落としても止まらなかった。

 

 彼女の言葉通りであれば。その特性が、ヤツらと同じなのであれば。

 ここを破壊すれば、動きは止まる。

 

 

 そして、それでも止められなければ、勝機は潰える。

 静花と雅维の実力を決して過小評価するわけではないが、それでも二人には手に余る相手だと断言できる。

 

 

 そして、その結末は。

 

 

「……ああ、なんて事。塀から落ちてしまったのは、わたしだったのかしら」

 

 静花に向けて振り下ろそうとした右腕。

 雅维を引き裂こうとした左腕。

 それが、動かせない。

 

 そして、口から夥しい量の血液が零れ出す。

 

「……こんなのじゃ、ダメなの」

 

 肉塊が、脈を撃ち拡大していく。

 不安定なベースを不安定な形で肉体に組み込んでいた。

 それも、ニュートンの素体で辛うじて耐えられる、というレベルのものを。

 変態薬の過剰摂取。

 

 その末路が、もはや辛うじて人の形を留めている、あと1分も経たずにただの肉塊へと変わる、この姿だった。 

 

「わたし、は……わたしは……」

 

 血を吐き、もがくような声。

 最早、長くはない。誰が見てもそう取れる。

 

 百燐たちは、その光景をただ静かに見つめていた。

 狂人が生み出した兵器を、看取るかのように。 

 

 これで、此度の任務は今度こそ終わりだろうか。

 

 

「終われない、ここでは終われないもの!」

 

「……!」

 

 

―――否。

 

 体を構成する肉がまるで独立した生命のように蠢き、体を突き破るように無数の腕が生える。

 

 鉤爪、鎌、毒針……それは、数えていけば限りのない、生物が戦闘や捕食の為に用いる器官の数々。

 『赤の女王仮説』。

 それは、自身を脅かす強大な敵に対抗するための進化の在り方を記した仮説だ。

 そして、その仮説の通り。

 目の前の1個体は、自身の危機に適応し、こうして進化を始めようとしている。

 

「……」

 

 だが、目の前で起こる変質は、機械的なまでに物理法則に支配された、遺伝子による変異ではなく。

 

「わたしは……アダムおじさまの……みんなのために、もっとすてきな世界を……!」

 

 一人の人間の、意思の力によって引き起こされているものだった。

 それは、本人の生き続けるという意思が弱まればすぐにでも崩壊する、薄氷の上に立っているかのような状態である。

 

 満身創痍の二人を背に庇うように刀を構えた百燐は、ああ、と息を吐く。

 

 自分は、読み違えていたのだ。

 彼女は、アストリスは、与えられた肉体とその力に見合わない幼い心が故の残酷さだけでその力を振るう怪物ではなかった。

 

 彼女はただ、愛する親のために、その親が囁いた理想に憧れてそれを達成しようとしていただけだったのだと。

 戦闘の熱に狂うあの姿は、興味津々で寄り道をしてしまう幼さによる未熟だったのだと。

 

 そして、思案する。今刀を振れば、彼女を殺す事はできるか。

 答えは、否だった。

 自分の怪我は重い。相手もそれは同じだが、このままではみるみる内に肉体の変質に伴い回復していくだろう。

 殺そうとすれば、恐らくさらなる速度で進化は促進される。

 

 百燐は、眼を閉じて永遠にも感じられる数秒、思考を巡らし。

 

 

 

「『兎さん、そんなに急いで、どこに行かれるのですかな?』」

 

 剣を下し、アストリスへと話しかけた。

 まるで、童話を読みきかせるかのように、穏やかな調子で。

 

「……」

 

 生まれてすぐから、アダムに聞かされていた古典文学、彼女のお気に入りの作品の一節になぞらえた言葉。

 それを聞き、微かに理性の色が戻った瞳で百燐を視界に映すアストリス。

 

「おじさまがね、言ってたの。私の力を使えば、世界はもっと素敵になるんだって。だからわたし、頑張らないと。私しか、できないみたいだから」

 

 まるで、記憶の底から大事な思い出を掘り起こすかのように。

 アストリスはアダムに伝えられた言葉を繰り返す。

 

「……そうでしたか。貴女は偉いですね」

 

「ふふ、そうでしょう? おじさまもそう言ってくださったわ」

 

 それに、微笑まし気な賞賛を返す百燐。

 アストリスも混濁した意識の中、無邪気に微笑む。

 

「……ですが、もうよろしいかと」

 

「……?」

 

 だが、と百燐は続ける。

 それが、彼女の願いなのだとしても、と。

 

「疲れたでしょう? 子どもはもう寝る時間なのですから」

 

「ダメよ、わたしは、まだ――」

 

 あくまでも優しく、もういいのではないかと穏やかに話す百燐。

 だがそれに対し、いやだ、とアストリスは首を弱弱しく横に振る。

 

 

 

「いいえ。あなたが無理をする必要など、どこにも。貴女達のような子どもが笑って暮らせる世界を作るのが、私や貴女のおじ様のような大人の仕事なのですから」

 

 それはこの場には似合わないやり取りだった。

 英雄の刀と怪物の爪がぶつかり合うべき戦場。

 そこには、まるで子守歌のような穏やかでゆっくりとした言葉だけが流れる。 

 

「……そうなの?」

 

 今までずっと、自分だけがそれをできる、頑張らなきゃと思っていた。

 でも、違うだなんて。ゆっくりと瞬きしながら、アストリスは百燐に問いかける。

 

「ええ。きっと、次に目を覚ます時には素敵な世界ができあがっていますとも」

 

 子どもを寝かしつける時のように。

 百燐は穏やかな調子で語り続ける。

 

 

「……わからないわ。わたし、このために作られたのよ? わたしがいなくてもそうなるなら、なにをすれば」

 

 困惑した様子のアストリスは、百燐へと不安気に話す。

 新たな世界、アダムおじさまはとっても愉快で素敵な世界だと言っていた。

 それを自分がやらなくてもいいなら、自分は他に何をすればいいのだろうと。 

 

 

「そうですな……ピクニックなど、いかがでしょう? 暖かな草原で敷物を広げて、共に行った人々と語らいあったり、自然の中を走り回ったりと」

 

「……アダムおじさまとヴォーパルもいっしょに?」

 

 自然の中で、穏やかに時間を過ごす。大好きな、家族と。

 そういえば、そんな時間は今までなかったような気がする。

 ふと思い返して。

 その光景を、想像して。

 彼女は眼を細める。

 

 

「勿論。大事な人たちと共に行けば、きっと楽しいでしょうな」

 

 それは、虚飾だった。

 アストリスの抗う意思を挫き、この戦いを終わらせるための。

 世界とはそう簡単に暖かさと笑顔で満ちるものではなく、アストリスが愛する家族だという二人の人間は共に人類の脅威であり、それを言った当の百燐の所属するアーク計画が、人類が殲滅すべき対象でもある。

 

 なんと醜い、うわべだけを飾り立てた偽りの言葉だろうか。

 

 

「そう」

 

 だが。

 

 

 

「だったら……早く、寝ないと……とっても……楽しみね……」

 

 死に至る幼子に、その安寧と安心より優先して伝える事実などあるものだろうか?

 

 

 

 

「ああ……とっても眠たいのだけど……でも、そう……夢を見る時間はもうおしまいなのね」

 

 過剰摂取による限界を迎え、自身の意思により保っていた進化が停止する。

 それによって得た、体の至る所に生えた生物の器官が、まるで在るべき場所へと還っていくかのように、一本、また一本と根本から脱落する。 

 

 

「……それではごきげんよう、素敵な勇士様たち――」

 

「――こんどは、夢の中で会いましょう?」

 

 満足げに微笑み。

 その肉体は変異を止め、ぼろぼろと崩壊していく。

 

 専用装備の限界と、本人の意思。二つが合わさり、ウイルスと細胞の中間によって構成されていた肉体の結合がほどけ、彼女の肉体は塵と化していく。

 

 

 戦いの結末を彼方に伝えるかのように、さあ、と風が吹く。

 異形の森林にはふさわしくない、強く、しかしどこか優しいものだった。

 

 

 そして、風に浚われたその姿は跡形も無く消え失せる。

 

 

 それを、勇士は無言で見送った。

 

 そこに残されたのは、肉体に埋められていた専用装備の残骸と、彼女に由来するものではない、そして皆が求めていたウイルスの原種が組み込まれどす黒く変色したαMOだけであった。

 

 

 

 

 

 彼が英雄だったからこそ、彼女という怪物に届く刃があり。

 彼がただの人間だったからこそ、彼女というただの人間に届く言葉があった。

 

 

 

 かくして、盤外の戦争は終わりを迎える。

 そして―――




ご観覧ありがとうございました!

―おまけ
Q,希维なんでズタボロなの?
A,次話でそれについて彼女が愚痴るパートがあるのでお楽しみに

Q,リンネとの戦闘は果たして必要だったのか
A,元々はエロフォーマーの王みたいなのが誕生してそれと激戦を繰り広げる事になってましたが諸般の事情により没になった代わりの部分です、あと作者の情報出したがり癖を抑えきれませんでした
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