深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第19話、コラボ編最終回です。


Mind Game:エピローグ 盤外終結

――フィンランド共和国・大統領執務室

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 激しい動悸を抑えきれない様子で、彼――サムエル・ハカミエスは怯える子どものように表情を歪め椅子に力なくもたれていた。

 

 なんで。なんで、こんな事に。

 

 ここ数時間、彼の脳裏を駆け巡るのはずっと同じ言葉だった。

 確かに失政はあっただろう。

 つい先日の、モグラ族への対応に関する議会での失言は、彼の支持に大きな悪影響を与えた。

 だが、その時でもここまでの動揺はしなかった。

 せいぜい、自分の部屋をぐちゃぐちゃにしてしまった程度だった。

 

 しかし今の彼は周囲の物に当たるという気力すらも失ってしまっている。

 それもそうだろう。彼の状況は、絶体絶命という言葉がこれ以上無い程に似合っている。

 

 異形と化した森林、その対処として周辺住民を一斉に避難させた。

 事態が事態だ。一般に公表する事などできず、くだらない探りを入れられないためにも軍が厳重に警戒している。

 それがいけなかった。

 

 国民の立場になって考えるとしよう。

 ある日突然、家を捨てて避難する事を強要される。

 自然災害、疫病……何かしらの目に見える、ニュースに挙がっているような事態が起こってもいない状態で。

 急も急の事なので持ちだせる物も少なく、避難所は碌な設備が無いときたものだ。

 

 さらには、このような急な避難を促した理由もどこか口を濁している様子で判然としない。

 軍事攻撃を受けた可能性が……などと言ってはいるが、ではどこの国が?

 

 これで、仕方がないと頷ける人間がどれだけいるものだろうか?

  

 

「それでも、仕方ないじゃないか……!」

 

 呻きながら、乱暴に頭を掻く。

 最近めっきり増えた真っ白な髪が数本、床へと散る。

 

「私にどうしろと言うのだ! フランスと戦争でもするのか!」

 

 実際のところ、この一件はフランスによる軍事的な攻撃だ。

 だが、その真実そのままを公表するとどうなるか。

 

 今回の事故を彼の知る情報から言い表せば、『フランス軍の突発的攻撃によるテラフォーマー研究施設の破損、それによる検体の脱走』だ。

 何故森があのようなこの世のものとは思えない状態となっているのかはサムエルの知るところではない。

 テラフォーマー研究施設というのは言うまでもなく一般に明かせない機密だ。

 

 ならば、国民に説明できる真実は、『全部フランスがやらかしました』というものだけである。

 当然、フランスへの不満は爆発し、批判の矛先はサムエルから逸らされ……と、そう上手くはいかないのが世の中だ。

 

 此度の一連の騒動に対する両国民の不安と不満は、エドガーと対話していた時のサムエルの想像を遥かに超えていた。

 自身の支持と不満の矛先逸らしに利用できる段階を超えているのだ。

 

 フランスもまた、謎のテロリスト集団による襲撃で首都パリが大きな打撃を被っている。

 そんな不安定な政情で、他国から責任を追及する声明が出されれば、どうなるだろうか。

 

 両国の国民の不満は爆発し、憎悪が相手へとぶつけられる。

 パリの悲劇もフィンランドが一枚噛んでいるのでは、などという言論も噴出するだろう。というか両国民が知る事ができないだけで事実である。

 膨れ上がった憎悪はもはや、一戦交えでもしないと納得できないという程に達する可能性が高い。

 

 そしてそうなった場合、勝者はわかりきっている。

 国の規模が違う。

 目に見えている軍事力差による現場の士気と、一連の騒動で打撃を受けたとは言え未だ国内を強固に纏め上げるエドガー・ド・デカルトのカリスマと、指導者として失政続きの自分。

 他国の根回しという政治的実力からも、どうなるかは目に見えている。

 

 彼は決して有能な政治家ではないかもしれないが、自己を客観的に見る事はできていた。

 ここでフランスに責任を追及するのは最悪の一手だ。

 だが、国民にテラフォーマー云々の真実を明かす事などすれば、間違い無く彼は各国から制裁を受ける。

 テラフォーマーの存在の隠匿は、世界各国の密約なのだから。

 

「は、ハハ」

 

―――――――おや、彼は?

―――――――ふむ、サムエル君と言うのかい?

―――――――まあ、君よりは期待が持てそうだ。サムエル君……大統領になりたくはないかな?

 

 こうなってしまった、全て始まりを思い出す。

 一介の議員であった自分が、運よく……今思えば運悪く、大統領執務室を訪れた時の事を。

 

 顔の穴という穴から液体を垂れ流し、普段の傲慢さなど見る影も無い惨めな姿で許しを乞う大統領の姿。

 そして、そんな大統領に、続けて自分に向けて穏やかに微笑む人の形をした何か。

 

 そこで知ってしまった。

 この国は、得体のしれない何かの巣穴になっていたのだと。

 

 歴代の大統領たちは、彼と契約を交わしこの国の繁栄を享受していたのだと。

 自分は権力欲に弱い人間だった。 

 喜んでその手を取った。

 

 50と数年の人生の中で、最も都合よく何もかもが上手く行く経験をして、この部屋を手に入れて。

 それから、1ヶ月と経たない内だろうか。

 ()大統領が、不審な死を遂げた事を知った。

 立場を追われた苦による自殺か、などという新聞の記事を読みながら、彼は寂しそうな表情を作りつつ言った。

 

 秘密とはつい明かしたくなるものだから困るね、と。

 

「…………」

 

 ここが、潮時なのではないかと思う。

 あの時の会話からわかる事は2つ。

 

 腐った首はすぐにでも挿げ替えられる事。

 そしてもう一つは、その後でも、自身が知る全てを暴露しようとしない限りは命までは取られないという事。

 

 最初は、国のトップとして周囲が媚びへつらう姿に愉悦を感じていた。

 だが、このような神経を擦り減らす仕事はもう沢山だ。

 わざわざこの立場にしがみ付く事など―――

 

 

「……ん?」

 

 そこまで考えて、モニターの光が急にサムエルの顔を照らす。

 同時に響く音は、誰かからビデオ通話がある事を示していた。

 

 このモニターは大統領専用、各国首脳間のパイプラインの一つである。

 今この時間に、何かしらの話し合いの席は無かったはずだが。

 通話相手の欄に表示されているのは『南アフリカ共和国』の文字。

 新大統領就任の挨拶をした程度で、政治的な協力、対立関係は今のところ無かったはず。

 暇だったから通話して世間話をするという仲でも当然ない。

 

 訝しむサムエルの事など知った事か、とでも言わんばかりにビデオ通話は繋がり、相手を画面へと映し出す。

 

『これで繋がったかしら? そう、ありがとう』 

 

「貴女は……」

 

 画面の向こうに映る人間に、サムエルは困惑の色を強く浮かべる。

 

 

 その女性は、南アフリカ共和国大統領、ヴィクトリア・ウッド氏ではなかったからだ。

 

 一国の長としては異例の年若い女性という点ではかの国の大統領と同じである。

 しかし、その外見的特徴は大きく異なっていた。

 雪のように白い肌に、政界ではなく社交界に相応しいと思える深紅のドレス。

 

『このような形でのご連絡、失礼いたしますわ』

 

「……」

 

 その女性の挨拶に、サムエルは無言を返す。不満や怒りを感じているわけでは無く、状況が掴めずただ困惑しているのである。

 

『ですが、どうかお話を聞いてくださいますよう。貴方にとっても決して悪い話ではないわ』

 

「……何故貴女がこちらに? ベックマン氏」

 

 そこでようやく、サムエルは通話相手――モニカ・ベックマンに理由を問う。

 全く知らない相手では無かった。

 直接話を交わした事こそないが、その顔はニュースや新聞記事で何度も見た事がある。

 

 世界で5指に入る大財閥、『ベックマン財閥』。その若き当主が画面の向こうで微笑む彼女だった。

 しかし、彼女が今このように通信を繋げてくる理由がわからない。

 それも、他国のトップの力を借りてまで。 

 

 

『今日は商談をしに来ましたの。大統領の席と国民の支持……それに、ヨーロッパの平和。お買い上げいただけるかしら?』

 

「なんですと?」

 

 そんなサムエルが抱く疑問の答えを口にするモニカ。

 一体彼女は何を言っているのか。

 首を微かに傾けるサムエルに、モニカは『商品』のプレゼンテーションをモニター越しに始める。

 

『今回の一件、ベックマン財閥による新製品テストの事故という事で収めましょう』

 

「……!?」

 

 理解が追いつかない様子のサムエルを無視し、モニカは説明を続ける。

 政府機関と共同で行っていたベックマン財閥の新製品テストの過程で大規模な事故が発生。

 機密関連の確認と交渉のため国民への説明が遅れた事を深くお詫び申し上げる。

 

 今回犠牲となった軍人の遺族には手厚い賠償を約束し、急な避難を強要された人々もまた同じく。

 加えて、フィンランド各所との関係強化、それによる多くの雇用を約束する。

 大統領のたゆまぬ交渉の結果、という発表も添えて。

 

「加えて、今森に蔓延している未知の病(・・・・)……開発中のワクチンも提供いたします」

 

「そ、それは本当ですかな!?」

 

 まるで、夢でも見ているかのようだった。

 本来自分が被るべき罪を全て被り、さらには自分の手柄にまでしてもらえるという。

 興奮に思わず大声を出すサムエル、だが、すぐにそれを恥じ誤魔化すように咳払いする。

 

『ええ。ですがこれは段階的なものです。大統領からいただけたモノ(・・)に応じて、となりますわ』

 

「……モノ、ですか?」

 

 サムエルは認識を改める。

 確かにそれはそうだ。資金的にも、企業イメージとしても、それを成した場合、ベックマン財閥は少なからず打撃を受ける事となる。

 そのリスクを追ってでも、自分やフィンランドという国から得たい何かがあるという事だ。

 それは何なのか? 

 

 結局サムエルは、それを言われる瞬間まで、気付けなかった。

 

 

 

 

『オリヴィエ・G・ニュートン。彼について、貴方の知る全てを差し出していただけるかしら?』

 

「―――!?」

 

 そして、瞠目する。

 何の関わりも無いであろう一経営者の口からその名が出た事と、サムエルの繁栄を支える対価について。

 

 

『ああ、言い忘れていたかしら。貴方に選択肢は残っていませんわ、サムエル大統領』

 

 魅力に溢れた微笑み。

 しかし、そこに得体のしれない不安を感じて。サムエルは言葉を返す事ができない。

 

『どの道、貴方にこれ以外の道など残っていない。考えてみてくださるかしら。もし話を受けなかった場合の事を』

 

『あの臆病者の外道が、失態を犯した、これからさらなる失態を犯して国を傾ける貴方を生かしておくと本気で思っていて?』

 

「……っ!」

 

 ぞくりと怖気が走る。

 同時に、自分の考えの甘さを呪う。

 そうだ、その通りだ。あの男が、私を生かしておくなど本気で信じていたのか?

 秘密を抱えた私を、命を賭してでも秘密を守るなどという真摯さには程遠い、現にこうして揺れている私を、本当に……。

 そう明言したわけでもないのに。先代よりもなお、失態を犯しているというのに。

 

 不安に駆られた心情が交渉相手に感づかれないようにポーカーフェイスを装うが、残念ながら今サムエルが相対しているのはその程度で誤魔化せる手合いではなく。

 

『さあ、全部話して、楽になりましょう……そうすれば、手厚い保護と繁栄を約束いたしますわ』

 

 まるで、誘惑するかのように。

 甘い声が、サムエルの脳の端を蕩かす。

 

 サムエルの態度でモニカは確信していた。

 彼は多くを知っている。

 シモンが実際に相対してのわずかな会話と、オスカルの一族としての知識。

 二つを合わせてなお、未知数の相手。

 

 これは、尋常の手段では触れる事さえできない、触れようとすれば途端に引きずり込まれ手遅れとなる深淵に潜む異形、それに一撃を届かせる好機だ。

 

 そして、アーク計画の一翼を担う彼女は、妖艶に微笑んだ。

 

『もう一度、言うわ。『オリヴィエ・G・ニュートンについて、貴方の知る全てを差し出しなさい』。それだけが、貴方の生きる道よ』 

――――――――――――

 

「……人使いが荒いんすから、もう」

 

 異形と化した森林の奥で、希维はひとりぼやく。

 『痛し痒し(ツークツワンク)』の後始末を行い、ここフィンランドの本拠地に帰還したのはつい先日の事。

 休暇が欲しいっすねえと思いながらオリヴィエの玉座に戻った彼女を迎えたのは、オリヴィエの労いの言葉と、同時に告げられた無慈悲な「頼みたい事があるんだけど」だった。

 

 A.Eウイルス、その三種目の原種株の確保。

 アネックス、アーク計画の人員より先んじて、もしくはそれを奪い取ってでも……という事だった。

 最悪アダム君から貰ってもいいけど、自分の方でこっそりと確保しておきたいからね、という意向で。

 

 

 確かに私が一番向いてるっすけど……と渋る希维に、オリヴィエは語る。

「リンネを連れていってもいいから」と。

 

 その言葉で、主君が本気で臨むべき事案だと認識している事を知った希维は仕方ないっすね、と任務に臨む事となる。

 まあ、渋った理由としてはあくまでもやっと仕事が終わったと思ったら次の仕事が……という気怠さの話であって、任務の難易度という観点の話ではない。

 

 アネックス、アークの派遣された人員がアストリスを仕留めるか、逆にアストリスに返り討ちに遭うか。

 そうなった後で、負傷している勝利した側をさっくりと暗殺してアストリスの死体を持ちかえればいいだけの話だったからだ。

 

 それに、もし全面戦闘となった場合でも何ら心配は無い。

 もし仮に全員を相手にしても、制圧する自信はある。自分ではなく、リンネの力を使えば。

 

 とっとと終わらせよう。

 休暇の計画を考えながら、希维は木の枝の上に立ち交戦するアストリスと百燐を観察していた。

 

 両者とも、紛れも無い強者。

 健在な状態となれば、万全を期して挑んで何とか勝てるか勝てないか、というくらいか、と希维は思案していた。

 戦闘の経過が進み、両者消耗している様子。

 さてそろそろ割り込むか、と伸びをしていた、その瞬間だった。

 

――――ヒュン

 

「おひょぉ!?」

 

 空を切る音に、自身の首を正確に狙い刃が振るわれた事を感じ取る。

 それを認識した希维は思わず間抜けな声をあげ、樹から飛び降りた。

 能力を使用し隠密状態の自分が知覚された? ヘタな動きも見せていないのに、何故? 

 いや、そもそも――

 

「不自然な枝のしなり、懸かってそうな重さから、まあアナタでしょうね」

 

 バリトンボイスの渋い声色が、希维の耳に届く。

 何の問題も無く、地面に着地する。だが、雪がその体重で沈み、落ち葉が舞う。

 そこを、襲撃者は逃さない。

 

「もう少し気を付けた方がいいんじゃないかしら、ねえ希维ちゃん?」

 

「最近よく会うっすね、オスカルちゃん……!」

 

 再度の刃を躱し。

 

 相手――オスカル・新界を視界に捉え、希维は頬をひくつかせる。

 何故ここに、という疑問を浮かべる暇無く、襲い来る刃。

 

 身を翻しその射程から逃れ、希维は擬態を解く。

 

「なんすかこんなところに……観光にはイマイチの場所っすよ?」

 

 焦りながらもへにゃりとした笑みの希维。

 言葉とは裏腹に腰から銃を抜き、戦闘態勢に入っている。

 

 後は引き金を引くのみでオスカルを撃ち抜く事ができる。

 だが、そんなものはどうという事はないとでもいいたげに、オスカルは肩を竦め会話を続ける。

 

「イケメンの上司に言われたのよ。『邪魔が入るからそれを止めてほしい』ってね」

 

「へぇ」

 

 オスカルの冗談めかした回答に、希维は少し困った様子で頬を掻き、そして。

 

シモン様は(・・・・・)ずいぶんと本気なんすねえ?」

 

 表情に一切の変化を見せないオスカルに希维は微笑みかける。

 オスカルの上司とやらは、ニュートン本家……ジョセフではない。

 アーク計画実働部隊を束ねるシモンである。

 

 別にこの問答になにかの意味があるというわけではなかった。

 オスカルは自分がアーク計画に関わっている事を明かしはしなかったが、それを知られたからと言ってそう動揺はしないだろう。

 槍の一族の情報網なら知られているわね、と思う程度である。

 希维もそれは承知の上でちょっとした嫌味を言っただけだ。

 

「ええ。アナタとアナタの主……オリヴィエに釘を差しに来たのよ」

 

 その返答は、刃を振るわんとする腕。

 ムキになったのではなく、これ以上の問答は不要だと戦士としていっそ冷徹なまでに抜き放たれる一撃。

 

 ……だが。

 

「オリヴィエ様に釘を差す? あんまり面白くない冗談っすよ~」

 

 オスカルの刃は、振るわれる前に希维に踏み付けにされる形で止められる。

 

 まるで、刃を振るう軌道が事前にわかっていたかのような動きだったからだ。

 希维が一族の中でも上位の戦闘能力を持っている事は疑うべくもないが、それでも反応が速すぎる。

 何らかのMO手術による能力を使っている。

 

 そしてなにより、希维の表情。

 普段の笑顔は消え去り完全な無となったそれは、普段の彼女を知る人間からすれば、別人のように思える程の変化である。

 泥を丸めてはめ込んだような、彼女の主のそれに似た情動を持たない眼光がオスカルを貫く。

 

 

 想定よりも厄介な戦いとなる。

 即座に判断し、バックステップを切り刃を構えるオスカル。

 その動きもまるで事前に読めていたと言わんばかりに背後に跳び、銃口を向ける希维。

 

 

「あまり図に乗らないで欲しいですね。分を弁えるがいい、我らが神に沈められる小舟の漕ぎ手如きが!」

 

 

――――そして、剣閃と弾丸が交差する。

 

 

 

 

「……というのが、私の執事がボロボロにされた経緯だよ。会議の席に崩れた格好で参加していた事を許してあげてほしい」

 

「えぇ!? この流れで希维ちゃん負けるの!?」

「……」

 

 アダムの本気で驚いた表情と、エドガーの生温い視線。

 

 玉座の隣で、希维は耐えがたい恥辱に何とか耐えていた。

 任務を遂行できなかった罰というわけでは無く、オリヴィエ様はただこの流れが公表されて私がどう思うかについて無頓着なだけ……いやなおさらタチが悪いっす、と時間が過ぎ去るのをただ待っている。

 

 モニターに映し出されたアダムの隣に立っている傷跡だらけの男性と、エドガーの隣に立っている理知的な眼鏡の女性……自分に近い立場、両者の側近であろう二人は無表情ながらも同情めいた目線を向けてくれている事だけがせめてもの救いだろうか。

 

「……それで? 部下の無様を晒して何が言いたい」

 

 つまらなさそうに呟くエドガーは今にも退席しようとしていた。

 それも無理は無い事である。

 今現在、終結した『痛し痒し(ツークツワンク)』の振り返りは既に終わり、もう解散という雰囲気の場だったのだから。

 

「はっきりとさせておこうと思ってね。いやエドガー君、私の完敗だ」

 

 相も変わらず感情の無い笑みを浮かべながら、モニター越しのエドガーへと語り掛けるオリヴィエ。

 

「盤内の戦争はまあ、両者敗退という事で五分だったけれど……。それ以外のあらゆる面で、私は君に遅れを取ってしまった」

 

 悲しそうな表情を浮かべながら、オリヴィエは記憶を掘り返すかのように続けていく。

 エドガーはそれに対して無言、アダムはなにかを考え込んでいる様子である。

 

「アダム君が用意してくれた追加戦力も片方を確保されてしまい、それを使った本拠地へのエドガー君の攻撃も結局こちらでは解決できずに灰陣営の諸君任せだ。いやあ、参ったね」

 

「それに、有力な戦力も失ってしまった。必要な事だったとはいえ、ルイスやブリュンヒルデはまあまあの痛手だったなぁ……あとアヴァターラはとても惜しい……アダム君、目を逸らしてどうしたんだい」

 

「何でもないよー、ぴひょー」

 

 しみじみ話すオリヴィエが目を向けると、アダムは露骨に目を逸らして下手な口笛を吹いている。

 手駒の一人、ブリュンヒルデを切る事にしたのは主にアダムのせいだからである。

 

「でもそれを言ったらエドガー君だって同じくらい被害出してるよ! 優秀な部下、沢山失ってるよね! コミコミで考えると同じくらいの被害じゃないかな?」

 

 誤魔化すかのようにエドガーへと話を振るアダム。

 その内容は決してあてずっぽうでは無く事実を捉えている。

 『痛し痒し』は灰陣営、アメリカ合衆国を守るため尽力した戦士たちの勝利で終わり、オリヴィエとエドガーは両者敗退、その過程で多くの駒が命を落としている。

 

 オリヴィエがこのゲームに参加した目的は元々が『身内の不安要素を使い潰す』という理由が大きい。

 そのため、駒の死も本人の言の通り痛くはあるが、元々想定していたもの。

 

 だが、エドガーの参戦理由はまた違う。駒の損失には相応の被害があるのではないか、という指摘である。

 

「いや、それは違うかな」

 

「クハハ、やはり羽虫は羽虫か。余を誰と心得る?」

 

 しかし、その返答はどうという事はなしという嘲笑。

 この場でアダムに味方無しである。

 

「そこのスペアのようにこの程度の損害を惜しむ程、余は矮小ではない」

 

「だろうね」

 

 あるぇー? と疑問な様子のアダム。

 一方のオリヴィエは理解している様子である。

 

「君の陣営ならば、戦力の補填はすぐにでもできるだろう」

 

 羨ましいね、と溜息混じりのオリヴィエは玉座に頬杖を付く。

 

「やはり、一国そのものを動かせると動員できる戦力も違う。外部にも色々と持っているだろうしね」

 

「数百年を懸けても国すら御せぬ貴様と比べるな」

 

 エドガーの辛辣な言葉に、オリヴィエもまた返す言葉もない、と苦笑する。

 

「そんなわけで、エドガー君は人員の損失すら大した問題じゃないのさ。私の一人損というわけだ」

 

「殊勝な事だ。気味が悪い程にな」

 

「まあ、しばらくは大人しく反省でもしているよ。根本的に計画を立て直す必要もできたしね」

 

 今回のゲーム、楽しめたという点では大きな収穫だ、とも言い残し、オリヴィエは話を締める。

 

 

「それではね、エドガー君。もうこうして画面越しで会う事は無いだろうね――」

 

 エドガーにひらひらと手を振るオリヴィエ。

 彼ら二人は本来不倶戴天の敵である。

 今回こそアダムの誘いに乗り席を囲んでいたが、そのような特例が無ければ彼らが接触する事は無いだろう。

 

 

 

 

 

「――次に会う時には気の利いた遺言を聞かせておくれ」

 

―――ただ一度、神の座を争い激突する場合を除いて。

 

 

 一瞬、ほんの一瞬だけおぞましい気配を纏わせ、オリヴィエは通信を切る。

 

 

「……泥人形が」

 

 言い逃げされたエドガーもまた、一度鼻を鳴らし通信を切り。

 

 

「……いや、だから僕を放置してバラ色の世界に入り込まないでよ!」

 

 アダムは一人、黒のモニターにツッコミを入れるのだった。

――――――――――――

―――中国 某省

 

 

 商店街の中を歩く少女が二人。

 足取りは軽く、その手には買い物袋が握られている。

 

 

 今回の戦いの祝勝会……という事で龍将軍に提案された会食の時間までやる事が無かったふたり。

 そういえば、街を歩き回って買い物なんてした事なかったかも? というお嬢様だったらしい雅维を静花が半ば無理矢理引きずり出しての今日のこの状況である。

 

 静花も箱入りのお嬢様、雑多な街で様々な物品が売り買いされている光景に圧倒され、目を輝かせ。

 気が付けば、日が落ちかけている時間になっていた。

 

 夕焼けの中、街角のベンチに座り今日あったあれこれを話し合う。

 そんな中、雅维の表情が曇る。

 

「ねえ、静花ちゃん」

 

「どうしたの?」

 

 体調が悪いの? と心配する静花の言葉を否定し、雅维はそれを語り始めた。

 

「もし、もしもの話だけど……。私が静花ちゃんと静花ちゃんの大事な家族の皆さんに酷い事をしなきゃいけない時が来たら……」

 

 それは、いずれ犯すかもしれない罪の告白だった。

 結局のところ、雅维と静花が今回の任務で築いた友情は偽りの上に成り立っている。

 U-NASA第四支局所属、裏アネックス第四班搭乗員の雅维は正しくは槍の一族の一員である。

 

 神にも等しき主の命令は絶対、もし命があれば、こうして僅かな期間ではあるが苦楽を共にし親交を結んだ友人やその家族であっても、刃を振るわねばならない時が来るかもしれない。

 

 それを命令されたら、雅维はどう動くか決めていた。

 命令は絶対。でも、それに失敗して死ぬのはただの実力不足だから仕方ないよね、と。

 

「……その時は、わたしを―――」

 

「なに言ってるの。そんな事したら、ぼこぼこにしてあげる」

 

 もしそうなったら、静花ちゃんは遠慮なく自分を始末してほしい。

 そう続けようとした雅维に返ってきたのは、予想外の答えだった。

 その想像以上にバイオレンスな回答に苦笑する雅维。

 

 そして、それに心から安心する。

 いつか裏切る自分なんか気にしないで、この子は正しい選択をしてくれると。

 

 

「ぼこぼこのぼこぼこにして……それで、無理矢理連れ帰るわよ」

 

「へ?」

 

 しかし、その雅维の安心は本人の想定していない方向に裏切られる。

 軽く言ってのけた静花に、きょとんとする雅维。

 

「友達が間違った事したら、そうするもんでしょ」

 

 それが当然だとさらっと言いきる静花。

 想定外の反応に混乱している雅维に、違った? と首をかしげる。

 

「違いません……違いませんけど……。」

 

 否定できない。

 本当なら、連れ帰りなんてしなくていい、と言いたいのにそれが言えない。

 自分でも困惑している雅维。

 

「ほら、変なこと言ってないで行きましょ。高級料理が待ってるわよ!」

 

 しかし、そんな悩みなどどうでもいいのだと言いたげに、静花は彼女を急かす。

 

「た、楽しみです……!」

 

 ほの暗い未来が見えている。

 大事な人たちを裏切らなければならないかもしれない未来がある。

 しかし、今だけはそれを忘れてもバチは当たらないだろう。

 

 こうして、此度の戦乱を戦い抜いたふたりの少女は、連れ立って頼れる上司の待つ場所へと歩き始めた。

 

――――アメリカ U-NASA本部

 

「二人とも、今回は本当にお疲れ様!」

 

「ラヴロックさんには大変お世話になりました。私の班員にも見習っていただきたいくらいです」

 

「そそそそんな……そこまで褒められるほどの事じゃ……!」

 

 あれから一週間が経ち、帰還したU-NASA本部の一室でキャロルと剛大は完全な任務完了の報告をしていた。

 それを聞く青年、シモンの表情に浮かんでいるのは穏やかな笑顔。

 

「想像以上に大変なことになっちゃったけど……なんとか済んだね」

 

 ほっとした様子でシモンは二人を労う。

 アメリカとフランスの騒乱から、世界の滅亡にまで話が発展した今回の騒動。

 その解決には多くの人間が尽力した。

 

 前線に立っていたアネックス、裏アネックス、アーク計画の戦士たちだけでなく、その何十何百倍の人員が不断の努力を続けた結果、今の平穏なアメリカの日常が保てている。

 

 ♂型プロトタイプ、アストリスから採取された原種サンプルを解析しワクチンを1週間と経たない相変わらずの正気と思えない速度で作成した後、「明後日は筋肉痛だ」と言い残してそれぞれの寝室に姿を消したクロード博士とヨーゼフ博士、寝室にすらたどり着けず死屍累々となっている研究チームで溢れている実験棟を見れば、彼らには彼らの戦場があった事を否定できる人間などいるまい。

 

 キャロルと剛大にも♂型プロトタイプの感染が確認されていたため、しばらくの間は厳戒態勢の病院に詰め込まれていた。

 ワクチンの目途が立ち病状が落ちつき、こうしてようやく面と向かっての報告の機会が訪れたのだ。

 

 

 キャロルの活躍にどんなに自分が助けられたかという事をひたすらに語り続ける剛大と恥ずかしそうにそれを遮るキャロル。

 

 ふたりに任せて正解だったなぁ、とシモンは改めて思う。

 

 

「では、私はこれで」

 

 もう少しゆっくりしていけば、と勧めるシモンと同調するキャロルだったが、剛大は首を横に振る。

 お気持ちはありがたいのですが班員たちを鍛えねば、と。

 どうせ土産話をせびられてしばらくは訓練にならないでしょうから、と苦笑しながら。

 熱心な隊長さんだ、と微笑みながら剛大を見送るシモン。

 

 

「島原さん!」

 

 扉を開け、去っていく剛大に声をかけるキャロル。

 何か忘れていたものがあっただろうか、と剛大は振り向く。

 

 

「みんなを……世界を、絶対守りましょう!」

 

 そんな彼が聞いたのは、共に戦った同僚の、改めての覚悟の言葉。

 

「……ええ!」

 

 普段の元気さに溢れたキャロルと、普段の彼には珍しい、強い感情の籠った調子で答える剛大。

 元警察官だったふたりは、かつての職場と変わらない、人々を守る戦いに身を投じる戦士たちは同時に敬礼をする。

 

 共に守る仲間達が、大事な人達がいる。

 自分の誓いは決して変わらず、崩れはしないのだと、互いに再び確認して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは戦いの終わりではなく、彼らの本当の戦いはここからが本番だ。

 「ずっとしあわせにくらしましたとさ」で物語を締めくくるには、この世界を襲う災いは何も解決してはいない。

 

 

 しかし、盤上と盤外の戦いは終結し、世界を食らわんとする怪物たちはこの戦いで得た成果を咀嚼し傷を癒すべく、しばしの眠りに着く。

 

 青き命の星、地球。世界を救わんと深緑の星に旅立たんとする二年前。

 この世界は、こうしてひと時の平穏を得たのだった。




観覧ありがとうございました!


気が付けば20話構成にもなっていたコラボ編、お楽しみいただけましたら幸いです。
改めまして、『贖罪のゼロ』KEROTA様、『インペリアルマーズ』逸環様、コラボいただいた両作者様にはお礼申し上げます!
 一足先に終了した私は1読者として両作のコラボがこれからどう動くのか楽しみにさせていただきますぜ……。

 お付き合いいただいた読者様方もありがとうございました!
 拙作からコラボ先の2作を知っていただけた方(果たして存在するのか)、
 コラボ先の2作から拙作に興味をお持ちいただけた方(果たして存在……していればいいなぁ)。
 色んな方がいらっしゃるかと思いますが、もしよろしければ今後もコラボ先の2作と拙作にお付き合いいただけますと嬉しいです!

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