深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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今回の番外編は
テラフォーマーズ二次創作『インペリアルマーズ』とのコラボ企画となっています!
作者の逸環様にはこの場を借りてお礼を申し上げます!

・『インペリアルマーズ』のキャラクターをお借りしていますが、自分では上手く表現しきれずにキャラ崩壊が起こってしまっているかもしれません……それでも、という方はどうぞ!


特別番外編 エリシア「体を鍛えたいです」

「むむ……むぅ……うーん……」

 

 裏アネックス計画。

 アネックス計画を支援するために編成された彼らは、元々が協力を考えず各々勝手に計画していたという事情もあり、それぞれの支部を持つ国の事情が表よりも露骨に表れている。

 

 例えばそれは国の意思とは考え難い不審な隊員が多い第6支部、ローマ連邦。そして、それと同じくらい特徴的なのが、今現在裏アネックス計画実戦部隊幹部搭乗員に割り当てられた部屋を廊下から覗き込む彼ら、ロシア・北欧第3班である。

 

 その廊下を通りがかった人間がいるならば、即座に回れ右をして目的地へのルートを変更する事だろう。

 十人を超そうという数の大の大人たちが皆一様に一つの部屋を覗き込んでいるという異様な光景を目撃してしまったから、というのも理由の一つだが、最も大きいのはそこではない。

 

 彼らは皆、近寄りがたい凶悪なオーラを発しているからである。

 

「チッ……」

 

「テメェ……どけよ見えねえだろ……」

 

「あ゛ア゛? 死にてぇのか?」

 

 

 裏アネックス計画第3班。それは、犯罪者から特に身体能力に長けた人間を選抜した、曲者の多い裏アネックスの中でも特に武闘派、無秩序な人員が集まった班である。

 

 一般職員は既に業務を終え、残業にいそしむ一部だけが残る夜も深くなるこの時刻、まるで井戸に群がる世紀末のモヒカンの如く乱暴な言葉を(ひそひそ声であるが)吐きながら廊下を占拠する彼らの横を通ろうという人間がいるだろうか? いやいない。

 

 さて、問題はここからだ。彼らはこんな時間に何をしているのだろうか。

 彼らが覗き込んでいる部屋、それは彼らを束ねるボスである幹部搭乗員の私室である。不用心にも少しだけ空いたスライド式のドアの隙間、いや正確には彼らが部屋の主に気付かれないようこっそりと開けたのであるが、とにかくそこから見えるのは、机に向かいペンを片手に熱心に読書をする、彼らのリーダー。

 

 戦闘という点では間違いもなく精鋭、いくつもの修羅場をくぐり、中には命の奪い合いを経験した人間も少なくない豪傑達。そんな彼らが、その部屋に入る事を躊躇する程の、彼らのボスとは、一体――――

 

「……ん」

 

 ぴくり、と彼らのボスが動きを止める。一同に緊張走る。まずい、バレたか? と。

 

「……ふぁ……ぁ……」

 

 そして、欠伸を一つ。それを見た彼らの反応は、安堵……では無かった。

 

「っ……!」

 

「ほあぁ……やっばい……(小声)」

 

「おい……誰かカメラとか持ってないのかよ……!(小声)」

 

 自分の口を押え、溢れそうになる声を自ら制したのは、筋骨隆々の巨漢。

 班長補佐、副官のレナートである。

 

 他にも、各々の感想を言い合う班員達。

 同時に、部屋を常に覗けない位置にいる後方の数人から、小声でブーイングが上がる。

 

 さて、そろそろ彼らのボスがどのような人間なのか、語るべきだろう。

 

 

 成人用に作られた高椅子に座り、足は地面に着かずぶらぶらとさせており。

 

 ペンを持つその手は、力加減を間違えて握ってしまえば潰れてしまいそうなほど弱弱しく。

 

 欠伸によって零れた涙を袖で擦るその動作は、豪傑と呼べるようなものでは勿論ない。

 

 

 そこにいたのは、一人の可憐な少女であった。

 

 儚い印象を与える白の肌に、美しい銀の長髪。淡い水色の寝間着を身に着けているその少女こそが、彼らを束ねるボス、裏アネックスロシア・北欧第3班班長、エリシア・エリセーエフである。

 

 

 当然、彼らが部屋に入っていかないのは彼女を恐れての事ではない。そう、その理由は……!

 

「やっぱりやめられねぇな、『班長ウォッチング』は……!」

 

 訓練中の鬼気迫る彼らを知る人間からすればさぞ気味が悪いであろう、だらしない笑みを浮かべる班員達。

 誰ともなく同意の声が、静かに上がる。

 

 最初に彼らがエリシアと顔合わせをした時、この新たな小さい上司の言う事を聞いてやろう、などと考える者は一人もいなかった。副官であるレナートとマルクも、班長はあくまで兵器として扱い、部隊の指揮は自分達が行おう、と考えていた。

 

 しかし、顔合わせから約2週間で今の状況とあまり変わらないざまとなる事を、当時の彼らは思ってもいなかった。

 自分達に怯えてぷるぷる震えるその小動物的な姿に女性班員が数人陥落し。それでも勇気を振り絞って荒くれ者とお話しようとするその姿勢に過半数が崩れ。

 少数派となったこんなのはリーダーと認めない! 派閥も自作のお菓子を自信なさげに差し入れに持ってきたり、訓練で怪我をしたと見れば救急キットの重さによろめきながら慌てて駆け寄ってくるその姿に一人、また一人とその勢力を失っていき。

 班員の心は裏アネックスの他の班でも類を見ないレベルで早くまとまった。

 

 人柄は良いが罪人という事で印象が良くなかったダリウス、生真面目で厳格な性格に班員が慣れるまでに少しかかった剛大、最初は人間不信だったため班員と深く関わろうとしなかった拓也、そもそも部下に信用されようともされるとも思っていなかったヨーゼフ、信用とかそういうレベルではなかったエレオノーラ、と他の班は班長と班員の関係構築に難儀していたりもしていたが、この班が上手くいったのは、班員と班長の意識に大きな差が合った事が逆に有利に働いていた。

 

 

 そう、彼らはこれまでに会った事がなかった、もしくは長らく会っていなかったのだ。

 

 打算も何もなく、自分達に触れあい、純粋な好意を向けてくれる人間に。

 いつ敵に回るかもわからない傭兵や、裏切るかもわからない仲間。

 報酬を出し渋り、機密を守る為に任務完遂後に殺そうとしてくる雇い主。

 

 誰も信じられず、信じた人間から死んでいく、裏の世界。

 そのような場所で生きてきた彼らには、エリシアの存在は大きすぎた。

 

 

 ……まあ時々親の遺伝なのか何なのか知らないが腹の黒い所を見せたりするが、それもまたいいと。

 

 

「しかし……わからんな」

 

 レナートが顎に手を当て、呟く。

 何も、彼らは自分達の欲望、班長成分を摂取するためだけに覗きをしているわけではない。

 

 班員総出で彼らの愛する班長の様子を見ているのには、とある理由があった。

 

 最近、エリシアは何かを悩んでいる様子なのだ。

 訓練中も彼らが肉弾戦を行っている所を見て溜息をついたり、能力の都合上エリシアは戦わない対クローンテラフォーマーの演習を行っているのを見学している時でも、何かしょぼんとした表情を浮かべている。

 

 班員内チャットで会議が行われたが、直接聞いてみようという意見は無遠慮につっついてしまって傷つけたらどうするんだ、という事で却下。エリシアと親しそうな他国の班員に聞いてみよう、という案は怯えて逃げられたため失敗。

 もうどうしようもない、という事でじゃあこっそりエリシアの生活を覗き見れば何かわかるんじゃないか、という結論に至った。

 

 そんなこんなでエリシアは作業を終えたのか、机を降りベッドに向かう。

 今日も収穫なしか、と肩を落とす隊員達。

 

 そこで、エリシアが普段とは違う動きを見せた。

 

 突然、床に仰向けで寝転んだのだ。そして。

 

 

「――これは……!」

 

 膝を立て、両手を頭の後ろで組み、上体を起こす。

 

 それは、腹筋の運動だった。

 

 バカな。運動とは無縁の班長が、このようなトレーニングなど――

 

 1回、2回、3回。

 

 それで、エリシアはぐったりと寝込む。震えながら起き上がり、粗く息をついてベッドに潜り込み電気を消した。

 

「……撤収だ。これより臨時班員会議を開始する」

 

 レナートの、厳粛な声。それに、班員達は真面目な表情で頷く。

 

「レオン!」

 

 副班長としての、威厳を持った声。それに応じ素早くレナートに歩み寄るのは、一人の班員。

 

「……写真は撮ったな?」

 

「もちろんだ、レナート」

 

―――――――――――――――――

 

 それから、レナートの東西奔走が始まった。

 エリシアの悩み、その点に関しては何となく推測ができた。

 

 ならば、班長を支える副官として自分ができるのは、それを解決する方法を探す事。

 

 

「あらあら、あの子あんな事を気にしていたのね」

 

「……ふむ、新開発の薬があるが」

 

「無理をさせる必要は無いと思うが」

 

 他の班からも話を聞き、約二週間後。

 

 

「お嬢、少し俺に付いてきてくれくれないか?」

 

「へ……?」

 

 日曜日。休日のその日に、レナートはエリシアの部屋へと赴いていた。

 寝ぼけ眼で状況がよくわかっていないエリシアを連れ、レナートが向かったのは。

 

 

 U-NASAにある施設の一つ、トレーニングジムだった。

 困惑するエリシアを横に、レナートは堂々と足を踏み入れる。

 

 レナートはトレーニングをするにあたって本部の第三支局に割り振られた区画の訓練施設を使用していたため、各国共用の施設であるこの場所を訪れた事は無い。

 

 では何故エリシアを連れてここにやって来たかと言うと、会わせたい人がいたからだ。

 

 そのトレーニングルームでひときわ目立つ一区画。

 

「相変わらず、素晴らしい筋肉ですな……!」

 

「ハッ、お前もな……!」

 

 飛び散る汗。上下運動するバーベル。お互いを讃え合う、二人の男。

 ベンチプレスのコーナー。そこで、その二人は会話を交わしながら、その100㎏弱はあるのではないかというバーベルを持ち上げていた。

 

 エリシア換算で2.5人分くらいの重量物を容易く持ち上げる二人を見て、レナートは額に汗を浮かべる。自分もこれを持ち上げる自信はあるが、このように会話をしながら容易く、とまではできるかどうか、と。

 

「あ、アシモフさん!?」

 

 エリシアが驚きの声を向けたのは、その二人の内の片方に対してだった。

 片方は、アネックス計画第3班班長、シルヴェスター・アシモフ。

 

 同じアネックス関係の幹部搭乗員であるエリシアも色々お世話になっていて、レナートの憧れでもある、軍神と呼ばれた男である。

 

「ん? エリシアか……お前さんもトレーニングしに来たのか!」

 

「え、ええと……」

 

 エリシアに目を向け豪胆に笑うアシモフに、何と返していいのかわからないエリシア。

 

「ん……この子……ああいや、この方がそうなのか、レナート」

 

 その隣で、レナートとベンチプレスをしていたもう一人の男が会話をしている。

 彼は、まさに巨漢、と呼ぶべき人間だった。

 2mを超える長身に、しかしその長身を持っていても細さなどという言葉には全く無縁な、がっしりとした鎧の如き筋肉を持った巨体。

 そんな彼の名はディートハルト・アーデルハイド。アネックス計画第5班所属の戦闘員だ。

 ただでさえ他班との関係が希薄な裏アネックスが、アネックス計画の他の班の班員との親交など殆ど無いはずであるが、何故レナートはディートハルトとこうして言葉を交わしているのか。

 

 事はちょうど一週間前に遡る。

 

―――――

 エリシアの悩み、それは『自分の体が弱い事』であった。

 以前行われた裏アネックス幹部搭乗員腕相撲大会。そこでわかりきってはいたものの最下位になったエリシアは、自身の体の脆弱さを、身体能力の低さを改めて思い知らされる結果となった。

 ……仕方ない部分ではある。不完全なクローンとして製造されたエリシアの身体能力は、未成年の女の子という部分を差し引いてもさらに貧弱だ。それは、人間がチーターとかけっこしても勝てないのと同じ、そもそもの前提となる能力からして違う、とも言えるだろう。

 

 しかし、彼女はそれを気に病んでいた。同じ、『人間』として火星に渡り、目的を果たす。自分に良くしてくれている隊員の皆は、身体能力という点では平均をはるかに上回っている。

 自分が、足手まといになってしまう。それは嫌だと、彼女はずっと悩んでいたのだ。

 エリシアの能力『ムカデミノウミウシ』は専用装備を用いる事によってその身に取り込んだ刺胞動物の触手を自在に扱う事が可能である。しかしそれは、対人戦に置いては凄まじい制圧能力を誇るものの、テラフォーマーには通用しない。甲皮が、刺胞を通さないからだ。

 

 だから、テラフォーマーとの交戦になった場合、エリシアは班員任せで見ている事しかできない。

 

 それをどうにかしたい、と考えている事を推測や他班の幹部搭乗員に話を聞きに行き知ったレナートは、エリシアを彼女が望む形で鍛えてくれる、そのような人材を探していた。

 

 自分や班員がやるというのも手だが、どうしても厳しくできない予感がするし、それはエリシアも望んでいない事だろう。

 

 そして辿り着いたのが、トレーニングルームだった。

 アネックス第5班、班長の強さに頼りっきりで班員の中の戦闘員が1人か2人しかいないとか。

 戦闘能力第一のレナートからすれば興味が無かったその班員の一人がベンチプレスから体を起こした時、レナートは戦慄した。

 

 コイツ……なんて体をしてやがる……と。そして、レナートの口から自然に零れたのは、たった一言だった。

 

「俺と戦え」

 

 初対面の相手に対して余りにも無礼な、全くなんの話も進んでいないのにコイツは大事な班長を託せる相手なのか図ってやろうという勝手な理由と、単純に闘争を好むレナートが己が身に燃えるものを感じたという理由。それともう一つ。

 

 燃え盛る殺意にさえ近い闘志を突然ぶつけられた男、ディートハルトは突然の来客に驚きはしたものの、その熱意を感じ取り無言で頷く。

 近くにいたアシモフが止めなければ今この場でレナートが襲い掛かっていたであろう緊迫した場面は、訓練場へと移された。

 

 

 

 

 訓練場。対テラフォーマーでは無く対MO手術被術者を想定し裏アネックスの幹部搭乗員が存分に力を振るえるよう設計された特注のフィールドである。

 そんな場所で、2人の戦士は同時に自身に『薬』を打ち込む。

 

 変化していく2人の体。レナートの肉体が黒の甲皮に覆われ、その額には1本の長角と2本の短角が形成される。その腕には、力強さを感じさせる鉤爪。

 

 それは、戦神の、そして火星の名を冠する昆虫。『マルスゾウカブト』。それが、レナートのベース生物だ。単純にして絶対の強さ、腕力。その一点において、この生物に敵う存在はそこまで多いわけではない……だが。

 

「……何!?」

 

 レナートは目の前の、その変態によって姿を変えていくディートハルトを見て、驚愕に目を見開く。レナートもまた、2m弱の身長を持っているが、ディートハルトはさらにそれを上回る。そして今、それはさらに大きくなっていた。

 

 変態と同時にその肉体はまるで爆発するかのように膨れ上がっていく。筋肉が増加し、皮膚もそれに合わせて分厚くなる。

 変態が終わった時、そこには3mを超す巨体が姿を現していた。

 

「なるほど……な」

 

 その巨体以外から伺える手術ベースとなった生物の特徴、少し伸びた鼻。そこからディートハルトのベース生物を理解し、レナートは息を飲む。

 

 

 ディートハルト・アーデルハイド

 

 

『マーズ・ランキング』8位

 

 

MO手術『哺乳類型』

 

 

――――――アフリカゾウ

 

 

 『ゾウ』VS『ゾウカブト』

 

 

 

「さあ、始めようか!」

 

 

 

 大きさは、強さ。力が強い方が強い、と同じく、それは単純にして絶対の真理。

 

 その体現者は、レナートに向けてその腕を振るう。

 肉弾戦なら望む所だ、とばかりにレナートはその腕を正面から受け止める。

 

 筋肉と筋肉が、まるで火花が散っているのではないかと観客に錯覚させるほどに激しくぶつかり合う。

 

「……っ!」

「グ……オオオォォ……!」

 

 純粋な腕力で言えば、それは互角の戦いだった。その攻防の勝敗を分けたのは、両者の位置関係。

 

―――ベキッ

 

「しまっ……!」

 

 テラフォーマーの中でも特に強靭な肉体と強力な身体能力を持つ力士型と呼ばれる個体。

 それさえも一撃で押しつぶす程の重量とパワーを受け続けた結果。

 

 訓練場の地面がひび割れ、足場が不安定になったレナートの姿勢が崩れる。

 形勢不利だと判断したレナートは力を抜き、ディートハルトの側面を取ろうと動く。

 

 レナートの抵抗を失った事によりディートハルトの両腕は地面へと叩きつけられ、その破壊痕をより大きなものとする。

 

 その隙に、レナートは自身の腕の鉤爪をディートハルトの右足へと食らいつかせる。

 カブトムシの仲間の中で最強とも言われる、ゾウカブトの木にしがみ付く際の鉤爪の強さ。

 それはディートハルトの太腿の辺りへと食い込み。

 

 

 その威力は、血を流すまでも無く止められた。

 レナートがそれを理解し、退避する程の時間は与えらず、レナートの脇腹に横殴りに一撃が叩きこまれる。

 

 元の人間からして強靭な、さらにそれが変態によって鍛え上げられる、強靭な筋肉と分厚い皮膚。それは、比喩表現でも何でもなく、外部の攻撃を無力化する鎧である。

 

 派手に吹き飛ばされ、壁に叩き付けられるレナート。口の端からは血が流れ、甲皮の所々にはヒビが入っている。このまま戦闘を続行すれば、恐らくは後に影響を出す傷を負いかねない。

 

「まだ、続けるか?」 

 

「いや、止めだ……テメェが強い、って事はよくわかった」

 

 ディートハルトは、いきなり決闘を挑んできたこの男にどんな事情があるのかはわからない。毎週恒例のトレーニングの時間を邪魔されて、不快ではない、とは言えないだろう。

 

 だが、レナートの目には、その行動には、自分では無く誰かの為に動いている、そのような意思が感じ取れた。

だから、このような無理な事を受けたのだ。

 

 それは、レナートも同じだった。見ず知らずの相手に、今日出会ったばかりの相手にいきなり班長を任せるなど、彼がするはずもない。しかし、今回初対面の相手にそれをしようと思ったのは、ディートハルトに確かな何かを感じ取ったからだ。

 

「じゃあ、事情を聞かせてもらおうか? ……それと、プロテインの好みでも聞いておこうか」

 

「ああ……プロテインは――」

 

―――――

 

「……レナートさん、後で罰です」

 

 エリシアのジト目を受け、レナートは身をすくませる。

 それもそうだ。他の班の班員にいきなりケンカを挑むなど、迷惑以外の何事でもない。

 

「えーっと、エリシア班長、でいいですか?」

 

 ディートハルトはエリシアに向かいあい、軽くかがんで目線を合わせてから話しかける。見た目はどうみても一般人の女の子だが、その実は『裏マーズランキング』の頂点たる一人である。

 

「あ、はい……」

 

 人見知りしがちなため声が小さくなるものの、ディートハルトに対して何とか返事をするエリシア。

 

「あなたは、何故体を鍛えよう、と?」

 

 そこで、エリシアの顔色は変わった。一度レナートを見て、それからまたディートハルトに目線を戻す。

 何度も、誰かに頼もうと考えた。でも、勇気が出せなかった。これは、そんなエリシアに降って湧いた機会だ。

 

「……私は、皆を守りたいんです! 足手まといになりたくないんです!」

 

 理由としては単純なそれ。だが、弱弱しいその身を振り絞った願いに、ディートハルトはゆっくりと首を縦に振る。

 

「甘い道ではないですよ」

 

 ディートハルトは考える。裏アネックス計画幹部搭乗員の手術ベースは機密事項であるため知る事はできないが、恐らく目の前にいる少女のものは特殊な能力に重きを置いているだろうと。

 一瞬見ただけでも筋肉とは無縁に思えるこの少女が幹部搭乗員として一部隊を任され、『裏マーズ・ランキング』の3位に座する強者である事から、それはほぼ確定と言っていいだろう。

 

 それを生かそうと思えば、体を本格的に鍛える事に意味など無いと言えよう。体を鍛える時間でその能力の練度を高めた方が、戦力という面では明らかに利益となる。しかし、当の本人がそれを望むのならば。それを信じる班員達が、そうして欲しいと望むなら。

 

「はい……お願いします!」

 

 エリシアの、力強く、とは程遠い、少しでも弱気になれば霞んで消えてしまいそうな声。

 だがそれを見てディートハルトは根拠など何も無し、ただ直感で思う。

 

 これは磨けば光るのではないか、と。

 

 

 

 そこから、エリシアの特訓の日々が始まった。

 

 『象さん式ブートキャンプ!』と表紙に書かれたエリシア手製のメモ帳に、日々の特訓が書き込まれていく。

 

 

 最初に行ったのは、腹筋だ。現状のエリシアがどのような感じなのかを知ろうとしたディートハルトは、3回で力尽きるという衝撃的な展開に驚いたりもしたが、それはそれとして初歩的な所から進めていこう、という路線に。

 

「もっとこう……力を入れて……」

 

「は、はいっ!」

 

 毎週日曜日は一緒に特訓だ。さらには、『象さん式ブートキャンプ!』に書かれた内容に従い、日々鍛錬を続ける。

 一か月して、エリシアに少し変化が。

 他の班員と同じように走り回っても、脱落するまでの時間が明らかに遅くなったのだ。

 

 

 ディートハルト式の特訓。それは本来、元々鍛えている人間をさらに上に押し上げるもの。

 そのため、そもそも脆弱なエリシアには負荷が強すぎる。

 

 ……というのも、日曜に授業参観の間隔で班員一同ディートハルトのトレーニングを受けに行った際に、張り切ったディートハルトが本格的なものを施したところ、鍛えているはずの班員の大半が筋肉痛で翌日全身筋肉痛、元からあまり鍛えていなかった副官のマルクやトレーニング中と言っても元が致命的に弱いエリシアは翌日そもそもベッドから出る事ができなくなり、訓練が中止になるという非常事態に。

 

 本当に大丈夫なのか班長は、という班員の声が噴出したが、そこは普段は大丈夫、という当のエリシアの声により収まった。

 

 そして、幾月が経過しただろうか。

 

 いよいよ、『アネックス1号』が火星に飛び立とうという日がやって来た。

 

「ディートハルトさん、今まで……ありがとうございました!」

 

「いいえ、エリシア班長の頑張りがあったからこそでしょう」

 

 

 固く握手をし、表の戦闘員と裏の班長はお互いに背を向けてそれぞれへと歩き出す。

 ディートハルトはアネックス1号、火星の悪魔を斃し地球を救う旅路へと。

 エリシアは裏アネックス、それの裏で動く悪意ある人間達を狩る戦い、その最終準備へと。

 

 

 今ここに、その戦いは始まり―――

 

 

 

―――――――

 

 裏アネックス計画第3班宇宙艦。

 彼らはエンジンのトラブルにより不時着し、火星へと降り立った。

 そして、そこに襲撃してきたのは、火星の黒い悪魔、テラフォーマーの群れ。

 

 エリシアの能力では歯が立たない、その敵。

 

 歯が立たない。確かにそうだ。その能力であれば。

 

 ……では。

 

 

「……じ!?」

 

 

 突撃をかけたテラフォーマーの顔が、陥没する。

 力を乗せた一撃によりその表皮は軽々と砕かれ、体液を撒き散らす。

 

 テラフォーマーはほぼ失われた視界で、その相手を映した。

 

 

 溢れんばかりの筋肉を持った、憎むべき人間の姿だった。

 テラフォーマーは頭を潰されてもまだ活動が可能だ。その敵を叩き潰そうと再度の攻撃を仕掛けようとしたが。

 

 その体は、ぴくりとも動かなかった。全身を支配する痺れ。それにより、テラフォーマーは活動を停止する。

 

 

 他のテラフォーマーは、思わず後ずさる。これは……何だ?

 

 

「ああ、簡単な事だったんですね」

 

 人間は笑う。それは、テラフォーマーのそれと同じか、それ以上に邪悪なものであり。

 

「甲皮に刺さらないのであれば、拳で貫いて直接体内に送り込めばいいんです」

 

 そこに立っていたのは、一人の、筋肉の鎧に身を包んだ銀髪の少女だった。

 

 

 

 

 エリシア・エリセーエフ

 

 

 

『裏マーズ・ランキング』  2位

 

 

 

 

 

 

 

178cm 96kg

 

 

 

 

 

「うわああああぁぁぁ!!」

 

 断末魔の悲鳴のような声を上げ、レナートは布団を蹴り飛ばし体を起こした。

 体中から汗が止まらず、服はびしょびしょに濡れている。

 

 何という悪夢だろうか。これは笑い話にすらできはしない。早く忘れたい。催眠術か何かを……。

 

 そこまで考えて、レナートは少しだけ落ち着きを取り戻す。

 

 忘れたい、というには少し、いや、中々面白い夢を見た気がする。最後の最悪のインパクトのせいなのか、そもそも夢とはそういうものなのか、その中で出会ったはずの誰かの顔は、不思議と思い出せない。

 

 

「レナートさん、レナートさーん」

 

「……おう、お嬢」

 

 部屋の外から聞こえる声に、レナートはぎこちなく反応する。

 

 ドアを開けると、そこに立っていたのは……

 

 

 大丈夫、いつもの小さい、筋肉の欠片もない可愛らしい班長だった。

 今日は休みだったが、さてはて。

 

「えっと、ちょっとでも皆さんに付いていけるように体を強くしたいなー、って思って」

 

 廊下を二人で歩き、突然日曜日にやってきたエリシアの事情を聞きながら、レナートは夢を思い返す。

 

「教えていただけそうな人を探したら、表の方の5班にそういうのが得意な方がいるそうで!」

 

 アネックス……第5班……。何かを思い出せそうな気がするが。

 

「それで、トレーニングルームにいらっしゃるそうなので……レナートさんに付いてきていただきたいなぁ……って」

 

 もちろん、断れそうはずもない。他ならぬ班長の頼みだ。だが。

 

「ああ、でも、その前にちょっと買い物だけさせてくれ」

 

「?」

 

 何か確証があるわけでもない。思い出せた事もない。だが。

 

 何となく、本当に何となく新たな出会いでもありそうな気がする。

 

 お近づきの印、なんぞ自分らしくもないか、と思いながら、少しだけ、楽しい気分で。

 

 

 

 レナートは、特に理由も無く、大豆原料のプロテインを手に取った。




 観覧ありがとうございました!

 ドイツとロシアのマッスルとあと班長の物語、いかがだったでしょうか? 
 面白く読んでいただけたならとても嬉しく思います……



 改めまして、ディートハルトという素晴らしいキャラクターを作り出し、お貸しくださいました逸環様、そしてお読みいただいた読者の皆様にお礼を申し上げさせていただきます!
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