深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第65話、年内最後の更新です。


第65話 奈落の宣戦

「これをふー、ってするんだよ、■■■」

 

 夢を見ていた。そう、これは夢だという自覚があった。

 暗い部屋の中で一人の男の人がケーキに蝋燭を立てながら私に笑いかけてくる。

 

 私の見る夢は、いつもそうだ。嫌な夢ほどそれの中で夢という自覚は無く起きるまで恐怖や悲しみに苛まれるし、幸せな夢ほどそれは虚構なのだという自覚が意識に有りそれに耽る事はできない。

 

 もう一人、豪華な料理をテーブルに置いた女の人が、私の頭を撫でてくれる。これが全て幻なのだとわかりつつも、私は幸福と喜び、少しの照れに目を細めて頭をくしゃくしゃとかき混ぜるその手を押しのけようとする。

 

「やめてよ、私もう20になるんだよ……」

 

 ふふ、と笑い、女の人は私の頭から手を離した。ああ、やめてしまうんだ……と自分で拒絶しておきながら少し寂しくなる。

 

 何でなんだろう。

 

「さ、準備ができたよ」

 

 ねえ、何で?

 

 嫌だ、わかっている。これでこの夢は終わりなんだ。嫌だ嫌だ!

 突然泣き出した私に、慌てた様子で寄ってくる二人。

 まるで、幼子をあやすかのように抱きしめ、この場面そのものである、その言葉をかけてくれる。

 

 

 ああ、何で貴方達は私を置いていってしまったのですか?

 

 

 そして、何で――

 

「お誕生日おめでとう、エリン」

 

 

 

 

 

 薄暗い病室で、私は目を覚ました。視界に広がるのは、飾り気の無い天井。それと。

 

 

 

「おはようっす、エリンさん!」

 

 

 私のベッドを取り囲むように立つ、7人の異形だった。

 

 

 ああ、何で。これが現実で、あれが夢なのでしょうか?

 

――――――――――――――

 

 

 ベッドの周囲を取り囲む7人。夢から覚め、ぼんやりしていたエリンに、じわじわと入り込んでくるその現実。

 皆、出会った事も無い初対面の人間だ。それが、普通は入って来られないであろう夜中のU-NASAの病棟、その一室に入ってきている。人見知りの彼女にとって、それがまず何よりの恐怖。

 

 さらには、直接命を取り合う血生臭い世界とは縁が無かったエリンにも感じ取れる、歪な気配。

 

「……ああ、説明も無しにごめんなさい! 私、『槍の一族』当主、希维(シウェイ)・ヴァン・ゲガルトと申す者っす!」

 

 そこに居並ぶ皆より一歩前に出た、スーツを着た女性がこの静まり返った病室に似合わない自己紹介をする。

 槍の一族。俊輝達から聞いていた、彼らが追う事件のあちらこちらにその痕跡が伺えるという、そして、あのデータの元々の持ち主なのではないかと考えられていた組織の名前。

 

 それが、今この場所に現れた。

 これが何を意味するのかわからないエリンでは無い。ローマ連邦、そしてその裏にいる一族という彼らと敵対しているらしき集団が欲するデータを、エリンは盗み取った。その報復に来るのは、当然と言える。

 

「ぁ……いゃ……」

 

 氷が融けるかのように恐怖がこぼれ出し、悲鳴を上げようとしたエリン。だが。

 

「ン……煩いガキは嫌いだよ……」

 

 エリンの頭を掠めるように、槍と呼べるサイズの巨大なフォークがベッドに突き刺さる。

 

「ひぅっ……!」

 

 上げようとした悲鳴を引っ込めたエリンの目に映ったのは、赤毛の少女だった。きらびやかな、赤色を基調とした衣装を身に纏い、エリンのベッドに突き刺したフォークとこれまた長剣と呼べるサイズのナイフを持った少女は、熱に浮かされたような瞳でエリンの全身を見回す。

 

 エリンは少女を見て、震えを隠せなかった。これまで何度も見てきた、裏の仕事の依頼人、彼らの時々が瞳の内に宿すもの。

 

 

 それは、命を刈り取る事に躊躇を持たない、それどころか楽しみを覚えてさえいる人間のものだ。

 

 

 

「……やめなさい、エスメラルダ。次は貴女の首を落とします」

 

 

 本能的に命の危険を感じ取り、身をすくませたエリン。だが、その狂気の標的はすぐに移り代わった。エリンの頭のすぐ横に突き立っていたフォークは、付け根の部分を切断されたのだ。

 赤毛の少女、エスメラルダはエリンから動作の主へと目を向け、殺意を滲ませる。

 

 そこに立っていたのは、和装の少女。丈の短い着物に、その手に握られているのは、小柄な身に似合わぬ太刀。

 エスメラルダとは対照的な、湖面に映る月のように静かな瞳はただ目の前の味方であるはずの殺人鬼を映すのみ。

 

「貴女もおやめなさい、今この場で争っている暇は無いでしょう」

 

 そんな二人の仲裁に入ったのは、片眼鏡に白衣といういで立ちの青年だ。

 研究者然とした服装の、片眼鏡以外はあまり目立たない地味な印象の彼は、強引に二人の間に割って入り、距離を開けさせる。

 

「おお……この少女が、おお……」

 

 その争いに関せず、エリンを見つめしきりに頷くのは、ふくよかな体形を修道服で包んだ大男だった。

 服装の端々からある程度位の高い聖職者である事が伺えるが、その瞳はどちらかと言えばエスメラルダのそれに近い色を宿している。

 

「ふふーん、皆さん子どもなんですから! もう少し私みたいにお行儀よく静かにするべきです!」

 

 そんな彼らの様子を見てえっへんと薄い胸を張るのは、暖かそうな黒の毛皮のコートに身を包んだ銀髪の少女。

 どこから持ってきたのか、体の所々に点滴が繋がれているのが印象的な彼女は、エリンにはそこまで興味が無い様子だ。

 

 

「……んぅ……」

 

 立ったまま希维にもたれ掛かり、そのズボンを掴みながら寝息を立てる、小さな女の子。

 目立たないその姿は、今の動揺しきっているエリンの意識から外れるのが当然と思われる。

 だが、夢うつつな状態でありながら周囲の異常な人間達に劣らずその存在感をエリンに与えているのは、他よりも一層強い不気味な気配。

 

 

「夜分遅くに失礼、我々は我らが主のご意思によりここにいるっす」

 

 周囲の混沌とした状況を収めるのは諦めたのか、希维はエリンの顔を覗き込んで、ゆっくりと落ち着いて話を始める。

 

「主……?」

 

 動揺と恐怖に支配されながらも、エリンは希维の言葉、その一つを反復する。

 先ほど、希维は自分の事を当主、と言った。しかし、今ここにいる集団は希维を含め別の、上にいる人間の意思で動いている、そのように読み取れた。

 

「その辺りは面倒なのでパスっす! それで、私達が今日ここに来たのは他でもなく――」

 

 もうダメだ。エリンはその時点で、自分の死を直感した。ここで、せめてもの抵抗とばかりに暴れてやるか。

 それで助かる可能性など当然ゼロだろうが、騒ぎを聞きつけて人が集まったら仇くらいは取ってくれるかも……? などと考えるエリン。

 

「あ、話は静かに聞いてほしいっす。……隣で寝てるお姉さんの命が惜しいなら、ね?」

 

 一瞬、希维の眼に邪悪な色が浮かぶ。その意味を一瞬で理解し、エリンは青ざめ、2度、3度、頷く。

 そうだった。あまりの状況に失念していた。今この部屋の隣のベッドには、静香が寝ているのだ。

 

 騒いで、起こしてしまったら。この正気とは思えない集団が目的以外の人間をどうするかなど、想像に易い事ではないか。

 

「あれ、お姉さんというかエリンさんと同い年……ああいやどうでもいいっす、本題に入るっすよ」

 

 頭に疑問符を浮かべる希维であったが、今は関係無いか、と首を振る。

 その、愛嬌のあると言う事もできるかもしれない仕草の一つ一つが、エリンにとっては恐怖の対象だった。

 次の動作が自身の首を掻き切る、というものにならないという保証が全く持てないのだ。

 

 表面的に見ればその人格は友好的なそれだ。だが、どこかでひどく不安定なものがある、そのように感じ取れるのだ。

 

「今日は、エリンさんに皆でご挨拶に来たんすよ」

 

 それは、エリンの想像していたものとは違った。ほんの2日前、第7特務の人間が依頼をしに来た時も、同じような勘違いがあった気がする。だが、彼らと今目の前にいる集団で決定的に違う部分が一つ。

 

「……こんばんは」

「今晩は」

「良い夜ですね」

「おお……おお……」

「こんばんは、お姉さん!」

「すぅ……」

 

 まともな人間など、1人もいないというところである。

 いや、第7特務の人間もそれはそれでまともでは無いのだが、今エリンを囲んでいる彼女達は。

 

 決してわかり合えない、わかり合ってはいけない、そんな存在のような気がする。

 もっと正確に言うならば、もしかしたらわかりあえるのかもしれない、だがその背後にある何かの気配が、それを決してわかり合えない、というレベルに強めている、そのような雰囲気が感じ取れる。

 

 

 くっく、くすくす、あははと各々で笑い声を上げている彼女達を振り返る事も無く、希维は自分の調子で話を続ける。

 

「何、で」

 

 今殺されるわけではない、という事はわかった。

 だが、へばりついた恐怖の感情が思考をかき乱し、エリンの口が鈍る。

 

「我らが主は、貴女の事を高く評価しているんすよ」

 

 評価? 今、評価と言った? 何を。自分を評価しているのは何なんだ?

 

「……やめて……」

 

 出てきた言葉の意味は、それを口にしたエリンにもわからなかった。

 何に対してのやめて、なのか。

 

「いやぁ、実際に見てみると確かに……中々……いや私には何もわかんないっすけど、いい子なんすね貴女は!」

 

 エリンの自分でも意味のわかっていない言葉、それを受け取った希维の表情が、へにゃっとした笑顔に変わる。

 

「さて、皆、もういいでしょう」

 

 そこで初めて、希维は他の6人の方へと目を向け、一度手を叩く。

 

「では、我々はこの辺りで。後日お迎えにあがるっす、エリンさん」

 

 それだけを言い、希维の姿がかき消える。同時に、他の全員の姿も。

 悪夢なのか現実なのか、それすら曖昧な、一夜の出来事。それを最後に、エリンの意識は再び闇へと沈んだ。

 

――――――――――――――

 

「……まさか、U-NASAが戦場になろうなんてな……」

 

 運び込まれる機材の置き場を指示しながら、俊輝はぼやいていた。

 敵襲が、近いうちにある。それもU-NASA、何も知らない多くの民間人も在籍している、ここにだ。

 

 奴らの目的は、はっきりしている。今エリンとノンナが解析しているデータの奪還と、それに加えてのもう一つ、エリンの身そのもの。

 先ほど聞いた、エリンの話。昨夜に集団で押しかけてきた、『槍の一族』の使徒達。当然ながら、U-NASAの警備は深夜であろうと甘いものではない。しかし、それをまるで無いもののように侵入してきた。

 

 一筋縄ではいかない相手だ。いや、最初からわかっていた事ではあるのだが。

 

「……イマイチ苦手だな、これ」

 

 そもそも人の上に立つ気質ではない、というのが一つと、防衛戦、というものがどうも苦手なのがもう一つの理由。

 一応、U-NASAの構造は大抵把握している。狙撃ができそうな位置、攻める側にとって効率的なルート、攻め落とした際に仮設の拠点として機能しそうな部屋、施設。

 それらを総合的に判断し、防衛線を築く。それも、一般職員には極力知られない形で。

 

 監視カメラがやけに多くなったな、何かドタバタしてるな、くらいは思われているだろうがそればかりは仕方ない。

 襲撃の予定は捕らえた敵の人員によれば6日後。だが、その情報が漏れた事は敵も恐らく承知のはず。

 これで襲撃が無いと安心した後に……という風に決行日を遅らせるか、それとも逆に、といったところだ。

 

 要請した軍の臨時駐留部隊が到着するまで3日。それまでに、軍以外の配置を考えておかなければならない。

 U-NASAは元々軍事的な施設では無いため、常設されている戦力と呼べるようなものは軽量の銃器を装備した警備員とアネックス計画に関わった人間や第7特務のようなMO手術を受けた人間に限られてくる。

 

 建物の周囲はそこまで見晴らしが悪い地形、というわけでもなく、流石に戦車のようなものを持ち込まれる事は無いと思いたいが、そこは相手がどんな無茶をしてくる集団かわからないため、一応、念には念を入れて考慮に入れておく必要があるだろう。

 

「さて……後は、っと」

 

 書類を持ち、俊輝は席を立って廊下へと出る。お偉いさんにハンコをもらいにいかなければならないのだ。気まずいなぁ、とその足の進みは若干鈍る。

 

 つい先日、喧嘩してしまったばかりなのだ。それは、俊輝が提案した病棟の入院患者の一時的避難について、上層部が却下した事について。

 U-NASAの病棟には訓練中の事故、例の病によるもの、など様々な患者が入院している。この場所が戦場となる可能性がある以上、一般職員と違い迅速な避難が望めない彼らを事前にどこかに遠ざけておいた方がいいのではないか、という提案である。

 

 ……そこに、個人的な事情があった事は否定できない。だが、それを除いてでも彼らをここに置いておく事には反対だ。そんな俊輝の意見は、例の病に関して最も研究が進んでいるこの場所以外に離しておいてそこで病状が悪化、最悪の事態が起こったらどうするのか、相手に本格的にこちらが防衛態勢を整えている事を悟られてしまうのではないか、という理由で却下された。

 

 

 

「なあ拓也、暫く休暇でも取ってさ、旅行でも行ってこいよ!」

 

 できる限り明るい声で、表情で、言うように努めた。U-NASAに在籍している友人達に、そう声をかけてみた。

 だが、結果は伴わなかった。皆が、いきなり何言ってんだ、などという事は……言わず。ただ神妙な表情で、それを断った。

 わかっていた。わかってはいたのだ。戦力として利用できる彼らを、U-NASAがこの窮状で手放すわけがないのだ。

 だが、と俊輝は未練がましく考える。ここは地球じゃないか。火星を戦場とした、命の奪い合い。彼らの仕事はそんなものじゃなくて、U-NASAの各施設での業務、平和的な、人類の未来の為に日々頑張るそれじゃないか、と。

 なのに、この仕打ちなのかと。また、彼らを地獄へと引きずり込もうと言うのかと。

 

 あらゆる手段を尽くして、彼らをU-NASAから引き離そうとした。その全てが失敗に終わった。闇の部隊、などという物々しい肩書であろうと、実情はU-NASAの為に手を血に染める末端に過ぎない。自分にできる事など、たかが知れていた。

 

「ホント、無残なもんだよなぁ」

 

 自嘲の笑いを浮かべる。

 火星で必死に抗い、罪人と嘲られ、死を与えられる事を承知の上で守ろうとしたものがあった。

 地球で築き上げた、彼にとって何よりも尊いもの。

 

 それが、再びこうして、邪悪に晒されようとしているのか。

 自分では、組織に抗う力など無い。ならば、今自分が取れる手段は一つ、だ。

 

 いいだろう、と自身の胸倉を一度握り、覚悟を決める。

 

 そう、覚悟を決めたのだ。彼は。それを――

 

 

 

 その日のうちに発揮する機会が訪れる事になるとは、この時彼は予想していたのだろうか?

 

――――――――――――――

 

 日も変わろうかという頃合いの夜間、一般職員は帰宅する者、寮に戻る者、それぞれの場所に帰っており、巡回する警備員のライトのみが薄暗い廊下を照らしている。

 変化に気付いたのは、その警備員だった。

 

「なっ――!」

 

 そこに現れたのは、十人ほどの人型の影。それは、ライトにはっきりと照らされ、その正確な数と姿を現す。

 

 

 武装した兵士が6人と5匹の人型の生物、合わせて11。

 

 

「制圧、開始」

 

「じょう」

 

 兵士を率いる男が、命令を下す。それと同時に、人型の、黒い質感を持った生物が目にもとまらぬ速さで駆け出し、警備員の首をもぎ取る。

 

「先遣部隊、到着しました。これより制圧を開始します」

 

「貴様らは彼らを援護しろ、すまない、護衛は頼んだぞ」

 

 男は部隊に指示を出す。掩護、それに従い、人間の兵士達は駆け出した生物の後を追う。そして。

 護衛を頼んだ、男がそう指示を出し、それに頷き人間の兵士を守るように陣を組むのは。

 

 黒の人型生物、すなわちテラフォーマーの一群だった。

 警備員が咄嗟に手を伸ばした警報装置、それはわずかに届かず。監視カメラも、彼らの姿を捉えない内に破壊される。

 

 だが、彼らは気付いていなかった。壁に密かに埋め込まれた、また別の目があった事を。

 

 

 

 

 

 

「隊長、お客さんだよ。あはは……せっかく色々苦労してたのに無駄になっちゃったね」

 

 薄暗い仕事部屋。そこで3つのモニターとそれに表示された大量の監視カメラの映像を見ながら、ノンナは俊輝に通信をしていた。帰ってくるのは、無言。ちょっと怒ってる事が感じ取れたため、すぐに通信を切る。

 

「あの……大丈夫なの?」

「私も……!」

 

 先ほどまで夜のお菓子パーティに興じていた2人の客人をちらりと横目で、本当に顔の左右に3つずつ形成された目、その左側で見ながら、ノンナは苦笑する。

 

「静香さん、ステイステイ。怪我人と一般人、そしてボクみたいなか弱い非戦闘員はこうして後方待機だよ」

 

 か弱い、と自称するノンナの、白衣の下に透けて見える体。それは黒の頑丈そうな甲皮に覆われ、弱そうな要素は微塵も感じられないが。

 

「エリンちゃん、ガム取って! ああ薬の方じゃなくてお菓子の! これ以上使ったら作業できなくなっちゃうからね!」

 

 もう1人の客人、エリンに食糧供給をお願いしながら、第7特務の過労担当、機械の方面でもシステムの方面でもエンジニア、ついでに研究者、ついでに後方支援全般を担う少女は笑う。

 

 さあ、今回はどんな事になるのかな、と。

 

 

 

 

 

 

「ええ、ええ、これは残業代と特別手当がたっぷり貰えるのでしょうね」

 

 眼鏡にパジャマから着替えたカローラは、早足で指定された場所へと向かっていた。

 声に怒りの色が浮かんでいるのは、気のせいではない。

 

 せっかくの仕事終わり、自分の部屋に戻って趣味を楽しんでいたら、突然の敵襲のお知らせである。

 そりゃ怒るでしょうな、という仲の悪い同僚の老人の不快な笑いはともかくとして、だ。

 

 夜に出勤を命じられた事はともかく。普段なら、拒否して布団に潜っている場面ではあるが。

 ようやく手に入れた今の職が組織ごと潰れる、などという事があってはならない。

 

 その体は、銀と黒の混じった体表と細かい毛のようなものに覆われ、額にはノンナと同じ、しかし配置が少しだけ異なる左右3つずつ、計6つの目。

 第7特務会計担当兼部隊長秘書は、頭の中で計算をしながら、戦場へと一歩、また一歩と近づいていく。

 

 その表情は、無表情なりの怒りから、徐々に喜びに近いものへと変化していった。

 

「本当にもう、次の給料日が楽しみです」

 

 

 

 

 

 

 

「ところで隊長、私の家は女性がやたら強い家系でしてなぁ……私は立場が無かったといいますか」

 

 無線通信を世間話の場に使うな、という返答にもめげず、クロヴィスは話を続ける。

 夜に溶け込む黒いコートを身に纏っている彼ではあるが、それでも寒いのか、気を紛らわせるためである。

 

 そんなクロヴィスの手、指と指の間に挟む形で持たれているのは、数本の透明な針のようなもの。

 それを、暗闇の空へと向けて投擲する。

 

 何かが、落ちてきた。それは、人間のような、だが数種類の生物が入り混じったかのような異形の生命体。

 腹に刺さった針、致命傷とは程遠いであろう小さなそれに、しかしもがき苦しむそれを足で踏みつけ検分しながら、クロヴィスは再度、空を見上げる。

 

 そこには、群れを成して飛行、あるいは滑空する、同種と思われる生物達が。

 自分はハズレを引いたようだ、と苦笑し、第7特務で最も表に出る事のできない男は、針を構えるのだった。

 

「やれやれ、私は人間相手が得意なのですが……体を動かすのは嫌ですが仕方ありませんな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、と俊輝は刃を構える。目の前にいるのは、一人の人間。何という事はない。ただの、刃物を持っているだけでは勝ち目などなさそうな、小銃と防弾チョッキ、暗視ゴーグルを身に着けた軍人と思わしき人間だ。

 邂逅の瞬間、軍人は無言で銃を構え、俊輝へと向ける。

 だがその瞬間、彼の視界は俊輝の姿を見失った。……目が潰える事によって。

 

 そして視界の喪失から秒と経たぬ内に、その意識は永遠に失われる事となった。

 

 切り落とした首を見て、俊輝は冷ややかに笑う。

 ああ、もう何も感じなくなってしまったな、と。

 

 堕ちてもいい。それで、守れるものがあると言うのなら。いいや、自分という弱者が自分の為に正義を成すには、暗がりに足を踏み入れねばならないのだ。火星でローマ連邦の幹部搭乗員を破り、脱出ポッドを奪い取った時。地球で、その裁きを受けた時。任務で、俺には娘がと泣き命乞いをする標的を……時。

 

 病み痛むはずの心、それすら、融け落ちてしまったのだろうか。だが、それでもいいのだ、と俊輝は刃の血を払い、無線で各隊員に命令を飛ばす。

 

 

―――『槍の一族』とこの世に生きる人間達、その最初の戦いであるU-NASA本部防衛戦は、こうして幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第一班臨時部隊、出動ってか」

 

 鳴り響く警報、大規模な侵入者を意味する色のランプが光る中、健吾、拓也、武、美晴の四人は廊下の一角に集っていた。

『有事の際のMO手術被術者の参戦義務』。これまで聞いた事も規約で見た事もなかったそれを聞かされたのは、各々でバラバラのタイミングではあるが数日前の事。

 俊輝が有給取って旅行でも行って来いよ、という謎の誘いを皆にかけたのは、その後。

 なんとなく、察してしまう。今に、何かが始まるのだと。そして、俊輝はそれに深く関わる立場にあるのだと。

 

「変わっちゃったよなぁ」

 

「……あんな水臭い奴だったとはな」

 

「困っちゃいますねぇほんとに!」

 

「……」

 

 それぞれの言葉と、無言の拓也。『薬』は義務を聞かされた際に携帯しておくように、とU-NASA

職員から数個渡されているため、やろうと思えば即座に戦闘に移る事ができる。まあ、そんな危険物を渡しておくほどに切迫した状況なのだろうとさらに察してしまったが。

 それはともかくとして、、まずは情報を得なければならない。このU-NASAに襲撃を仕掛けてきたのが、何者なのかを。

 

 そんな彼らに、いつの間にか近寄って来た人のようなものが、1人。

 

 

「おや、やっと人がいた! ちょっと道をお尋ねしたいのだけど」

 

 

 4人は、一斉にそちらを振り向く。そう、それは、人間。

 

 

「第7特務の寮ってどこなのかご存知ないかな?」

 

 

 背中に槍を背負い、時代錯誤な衣装、トーガに身を包む青年だった。




 観覧ありがとうございました!
 皆さま良いお年を、そして人によって読むタイミングが違うので先に言っておきますが明けましておめでとうございます!
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