「要するに、これは反乱なわけね」
「ふむ」
電灯の人工的な光が照らす一室で、二人と一匹は椅子に腰かけていた。
滔々と語るのは、日傘をテーブルに立てかけた若い女性。
それを聞くのは、眼鏡の男性と一匹のテラフォーマー。
業務休憩中の雑談と呼ぶには異物が混じっているその様子に、この部屋に入って来る職員は誰一人としていない。
尤も、理由はそれだけではないのだが。
「"新界"の分家、"上月"。私の"ヴィンランド"の分家、"アポリエール"。そして本家"ニュートン"の分家、"ゲガルド"」
そこで一度息を付き、彼女、ニュートンの一族に名を連ねる者の一人、ファティマ・フォン・ヴィンランドは不服そうに両手を肩の辺りまで上げるジェスチャーをする。
「ゲガルド……あの連中の一族での位は何とも言えないけれど、他の二つは木っ端も木っ端よ」
「……」
眼鏡の男性、中国軍所属の科学者である雷はそれに対して相槌を打っているが、テラフォーマーの方は終止無言、無動作である。
「上月は頭まで筋肉みたいな連中だしそれこそいつ断絶してもおかしくない小さな家系、アポリエールは一族皆変な宗教に傾倒しちゃってるし、一族の面汚し……ってやつ」
「興味深い話をありがとう。しかし、君達の事情をそんなに軽々と我々に語ってしまっていいのかな?」
雷の言葉にファティマはそんな事は考えてもいなかった、という表情を浮かべる。おいおい大丈夫かこの協力者は、と少し呆れ気味な雷であるが。
「……なぁんて、冗談よ。知った所で、貴方達が何かできるわけでも助けてくれるわけでも無いでしょう? ただのお茶のお供にしかならないわ」
陰謀に満ちた意地の悪い表情で次いで語るファティマを見て、その認識を改める。
まあ確かにその通りである。
ニュートンの一族は現在、裏切り者の始末に追われているらしい。裏のネットワークでそのような話を聞いていたが、今回ファティマから得たこの情報で何か付け込めるというほどのものでもなく、かと言って協力してやる義理も無い。最終目的の一歩前まで協力、という関係ではあるが、その後どうなるかわかったものではないので、むしろ弱っていて欲しいくらいである。
「そういえば君」
テーブルに置いてあった菓子をつまみ出したファティマから目を離し、雷はテラフォーマーに話しかける。
ただのテラフォーマーではなく、頭髪に当たる部分が無く、額に・|・の形状の模様がある個体。後に<祈る者>と名付けられる事となるテラフォーマーの指導者は、雷の言葉に対しても反応を示さない。
「君をぶっ倒して自分がテラフォーマーの王になってやろう! みたいな雰囲気のヤツが火星に出たらしいな」
返答が帰ってこないのはわかりきっているが、暇を持て余したが故の独り言だ、と内心で呟き、雷は顎に手を当てて考え、直後ファティマが怒り出す事になる結論を口にするのだった。
「全く、神になるだの王になるだので争って、君達似た者同士なんじゃないかな」
――――――――
「一人はキツイな……」
一度後退し、俊輝は姿勢を整えていた。MO手術によって得た甲皮の所どころは破れ、血が流れ出している。
白兵戦において高い戦闘能力を誇る甲虫の手術ベース、それを以てしても、複数のテラフォーマーと銃を持った兵士の連携を一人で相手取るには厳しいものがある。
地球に帰ってから、猛特訓と実戦を繰り返して来た。命懸けの戦いを含んだ日々の中でその技量は鋭さを増し、今やアネックス計画の幹部搭乗員にも見劣りしないレベルに到達したと言っても過言ではないだろう。だが、その代償と呼ぶべきなのか、その損失を取り戻す為に修練を積んだだけと言うべきなのか、俊輝は致命的な欠点を抱えていた。
「やっぱ慣れねぇなぁ……」
血まみれの手で左の眼を触る。
これまでにこんな事をしたら、静香は目に血が入ったら危ないでしょうが! などとでも言ったのだろうか、と俊輝は自嘲とも何とも言えない笑みを浮かべる。
彼の視界の左半分は闇に覆われていた。戯れに、視界に映っていない爪の先でその眼球を突く。こんこんという、固いものに当たる小さな音と共に頭に伝わる細かな振動。
火星での戦いで、その左眼は失われている。今俊輝の左眼を埋めているのは、作りものの瞳だ。
隊長の就任記念にノンナがプレゼントしてくれたお手製の精巧なものとはいえ、それはあくまで外観を取り繕うためのものである。
「さて、と」
急ぎ足の音が近づいてくる。それを敏感に感じ取り、俊輝は思考を打ち切る。
十字路の曲がり角の壁に密着し、相手がやって来るのを待つ。
何という事は無い、慣れたやり方だ。
足音が近づき、それが最も大きくなった、その瞬間。
「よっ……」
それはまるで、偶然知り合いを見つけて手を振って挨拶をするような、そんな感覚。
ひょいと通路に向けて伸ばした手が、その手の凶刃が、首を刈り取る。
「――!」
一緒に行動していた仲間の首が、唐突に地面に落ちたのを認識し、もう一人の兵士が素早く俊輝のいる場所に向けて銃を向ける。だが、一手遅い。
その銃口の先に、彼の同僚の仇はいなかった。
彼の視界に飛び込んできたのは、テラフォーマーの死体。彼に向けて放り投げられたそれは、重量を持ってのしかかってくる。
それを払い、押しのけるのに、約3秒。既に俊輝の姿は消えていた。
遠ざかっていく足音を耳にし、兵士は舌打ちする。
また逃した。奇襲により敵の戦力を削り、仲間を呼ばれる前に撤退する。
数で劣る、だが個人の戦闘能力で勝るが故の遊撃戦。
敵はたった一人だ。だが、その一人が捕えられない。
全員で一カ所に固まって行動すれば怖くないのではないか。一度はそう考えたが、その戦略はそこが相手側の本拠地、U-NASAだとは思えない爆薬の設置を見てしまった事により変更せざるを得なくなり。
結局は少人数でいくつかのグループを作っての行動、という結果に落ち着いた。
しかし、今彼は同僚を失った事により一人である。
「……っ」
周囲を見回す。次の瞬間、その首に先ほど見たあの刃が突き刺さらない保証は無い。遮蔽物の少ない通路とその所々に小さな個室へと繋がるドアがある、という構造のこの場所で、通路にいる人間に向けて身を潜めた状態から奇襲ができるという場所はあまり多くは無いのだが、心理的な圧迫は避けようもない。
「……! おお、助かる!」
そんな彼の耳に、また足音が入ってくる。だが、今回は怯える必要は無かった。それは、彼の味方であったからだ。
「じょう」
救援者、一匹のテラフォーマーはこくりと頷き、彼に医療器具と銃の弾薬を手渡す。
彼はそれを受け取り、テラフォーマーに向けて親指を立てた。
「ありがとな、戦友」
「警戒を怠るな!」
一方、俊輝は小部屋の中から敵の一団を覗いていた。
テラフォーマーが3匹と兵士が3人。その中の一人が指示を飛ばしているのを見るに、コイツが少なくとも現場の指揮官なのだろうと俊輝は判断する。
これを潰せば、指揮系統が混乱する。その隙に乗じて、施設に散った兵を狩ればいい。
問題は、タイミングである。
散っている兵士に、指示が途切れた場合ここを襲撃しろ、などという命令が下されている可能性もある。それが居住区であった場合、その被害は大きなものになるだろう。
今でこそ自分という脅威の排除を優先しているが、それが別の方向に向いてしまえば厄介だ。
タイミングを見計らい、綿密な襲撃の計画を立てる俊輝。
しかし、そう上手く行くわけはなく。
「……ここの職員がまだ生き残っていたか」
俊輝の目に飛び込んできたのは、老人と若い男性、二人が一団とばったり出くわし、銃を突きつけられているという光景だった。
一目でわかる、非戦闘員だ。というか、面識がある。第七特務で使用している機具の材料を取引している、個人経営の小さな工場を山奥で何とか……という人間だ。
防衛戦に用いる機材の一部を納入してもらっていて、そのままタイミング悪く襲撃に……という状況のようで、二人は両手を上げ降参の姿勢を取っている。
しかし、襲撃者達は目撃者は生かしておかない、のスタンスのようで、今にも二人を撃ち殺さんとしていた。
俊輝は考える。絶好の奇襲のチャンスだ。その銃口と注目は二人に向けられている。さらに、その一番のタイミングは、銃を撃つ、つまり二人が殺された瞬間だ。
銃声で足音がかき消され、ほぼ感付かれる事なく攻撃できるだろう。
リスクを考えれば、この場では二人を見捨てるのが正解と言える。
「……まぁ、俺らが撒いたタネだしな」
だが、と俊輝は駆け出す。その選択をした事を、内心で愚かだと失望の目を向ける自分がいる。だが、同時にそれでいいのだと言う自分もいる。
その選択が正しいのか、それは自身の行動が決める事だとその二つの自分を同時に振り払い、俊輝は懐からあるものを取り出す。
「貴様!」
素早く駆ければ、いくら隠密を心がけていてもいくらかの物音がしてしまうのは避けられない事だ。俊輝の動きを察知し、銃を向けたのは、兵士の内の一人。そして、テラフォーマー3匹全て。
銃撃が、俊輝を襲う事は無かった。
「あ……ぎいいぃぃ!?」
俊輝に反応でき銃を向けていた兵士が、苦悶の絶叫と共に銃を取り落す。その首に刺さっているのは、ガラスのような透明な素材でできた針のようなもの。
床に倒れ、首を掻きむしりのたうち回る兵士。その傷口と周囲は、みるみる間に赤く腫れあがっていく。
同時に襲い来るテラフォーマーを俊輝は捌く。
最初に突撃を仕掛けてきた一体目に向けて無造作に手を振るう。そこから飛び出した液体がテラフォーマーに降りかかり、そのテラフォーマーは一歩後ろに下がる。
もう一体のテラフォーマーに対して正面から迎撃し、一体目を牽制した返す刃でその喉を引き裂く。
最後の一体は勢いに乗って仕留める、というわけにもいかず、俊輝が選んだのは回避という無難な手だった。
腕から糸を出し、絶命したテラフォーマーを引き寄せ盾としてその裏に身を隠し、攻勢を防ぐ。
一拍遅れて残りの二人、隊長と思われる男と兵士の一人が俊輝を認識し、老人と男性の二人から俊輝へと照準を向ける。
「とっとと逃げろ!」
「……!」
目の前の一瞬の殺戮に茫然としていた二人。だが戦闘の熱のまま怒声に近い声を上げる俊輝とその声で正気に戻り、慌てて駆け出していく。
人質として役立つかもしれない。そのように考え、捕縛の指示を出そうとした隊長だったが、先の攻防で俊輝の素早さはわかっていたため、その隙も余剰の戦力も無いと考え見逃し、今持てる戦力の全てを俊輝へと向ける。
テラフォーマーが二匹に銃器で武装した人間が二人。本来であれば、一線級の戦士であろうとも正面からの勝利は難しいであろう数だ。
『裏マーズ・ランキング』元9位。MO手術ベース、『昆虫型』オオキバウスバカミキリ。
襲撃者は俊輝のデータを把握していた。特殊と言える能力は持たない正統派なベース生物。これであれば、例え強者と言えども遠距離からの砲火によって容易く制圧できる事だろう。そう考えてた。
だが、今のものは一体。針のような飛び道具。糸。そのどちらもが、彼のベース生物である昆虫を否定している。
「ああ、見ての通り、『複数ベース』だとも」
凶暴な表情で目元を歪める俊輝に、警戒を強める生き残り。
その様子を見て、俊輝は内心で悪いな、と考えていた。
別に俊輝はあれ以降さらに手術を重ねたわけではない。手術ベースはオオキバウスバカミキリのみだ。針と糸は、専用装備……と言えるのかどうか微妙な、部下の能力によって生成されたものを専用の容器で保管したものである。
「く……!」
相手も飛び道具を持っている。自分達の優位が崩れ去ったという事を認識し、兵士達の手に力が入る。
武装の優位は無くなった。ならば、する事は一つ。古代より変わらない、闘争での優位を得る手段。
先手必勝。
俊輝の頭と腹に向けて、兵士と隊長が同時にその手に持つ小銃を放とうとする。
「……わき見注意だ」
が、その先手は予想外の方向から一瞬の内に潰えた。兵士達の味方であったはずのテラフォーマーの内の一匹が突如として兵士に襲いかかり、その胸に風穴を開ける。
突然狂気に侵されたように暴れまわるテラフォーマー。それは、先ほど俊輝の振るった刃から散った液体を浴びた個体だった。
まるで泥酔しているか薬物中毒の末期であるかのように平衡感覚を失いぐらぐら揺れながら暴れまわるテラフォーマーを、もう一匹のテラフォーマーが押さえつけ、その喉を潰す。
「さようなら、だ」
「くっ……!」
隙を見せたそのテラフォーマーを仕留めようとしたとした瞬間、俊輝は身を翻した。
俊輝の直前までいた場所に銃弾が浴びせられる。
「やらせん……!」
銃撃による牽制、それと同時に、テラフォーマーを庇うかのように、隊長が前に出る。
俊輝の再度の一撃、俊輝が想定していた隊長の強さでは反応できないであろう一撃を、隊長はその銃で受け止めた。睨み返してくる隊長の目、その目に、強い意思の色を、まるで、火星で自分と静香を庇ってくれた拓也と同じような光の灯った目に、一瞬だけ気圧され。
しかし、絶対的な戦力差は覆らず、次いでの一撃で隊長は胸を貫かれ、崩れ落ちる。
最後に、暴走したテラフォーマーを鎮圧する事で弱ったテラフォーマーの喉を刺し、仕留める。
「すま……ない……お前達……」
胸に穴を開けられ、倒れ伏した隊長が、死した部下に、テラフォーマーに、手を伸ばす。
俊輝はそれに追撃を加えるなどという事はせず、別れの挨拶くらいはさせてやろう、とその死にゆく姿を見つめる。
呻きの混じった小さな声で、隊長はぽつぽつと言葉を紡ぐ。それは部下への謝罪なのか、俊輝にはわからなかったが。
……そして、動きが弱弱しくなっていく隊長の、部下とテラフォーマーを見つめるその表情が一変する。
何か、得体の知れないものを見たかのような。恐怖と、様々な感情が入り混じった、理解ができない、という愕然とした表情。
それを最期に、彼はこと切れた。
「……?」
俊輝にその意味はわからず。勢いに乗って本隊を叩いたが、これで散った兵士がどうなるかわからない。居住区への道を防衛せねば、と俊輝は立ち上がる。
背を向け去る直前、俊輝の目に映ったもの。敵の部隊と行動を共にしていたテラフォーマーの腕に巻かれていた、俊輝が火星で見た階級を示すミサンガとは全く違う、傷に当てられたと思われる包帯。
それに表現し難い気味の悪さを感じながら、俊輝はその場を後にした。
観覧ありがとうございました!