深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第10話です。ちょっと話が動くよ!


第10話 暗雲

自分でも何が起こったのかわからなかった。

 

最後に賭けをしてそれに負け、結局自分は不幸な男だと笑いながら死ぬことができればそれでよかった。

 

あの触れただけで地獄行きの触手に飛び込んだ後、どこまで自分はこの世に留まれるかな、と考えながらがむしゃらに歩を進めていた。だけど、いつまで経っても最後の瞬間は訪れず、目の前には仲間達を葬り去った悪魔の様な少女が唖然としながらも焦った顔でこちらを眺めてくる。

 

 

だから思ったんだ、賭けは俺の勝ちだと。どうせこの後援軍が来て自分は殺されるだろうが、それもそれで満足だ。そう考え、どこか気持ちいい感覚の中でその手に持った刃を振り下ろした。

 

――――――――――

 

「……ごめんなさい。でも、わたしも退くわけにはいかないの」

 

腕を切り落とされるという苦痛に耐え、ぼろぼろと涙をこぼしながらも、エリシアは男の首を右腕で掴む。

 

その直後、刀を振り上げ再び攻撃を加えようとした男は苦痛に身をよじった。

エリシアが触れた箇所が赤く染まり、見るからに痛々しいものへと姿を変える。

「うぐう……アアアアアァァ!!」

 

 

 

その身に擦りこまれた毒素は、海を彩る美しい宝石の仲間のものだった。

 

おそらくは多くの人間が知っているであろうサンゴ。

だがしかし、サンゴとはどんな生物で、あの植物状のものは一体何なのか説明できる者はそう多くはないだろう。

 

かの生物を植物の仲間だと思っている人間も多い。だがその正体は、クラゲやイソギンチャクと同じ刺胞動物の仲間である。あの植物状の体も、ポリプやヒドロ虫と呼ばれる小型の刺胞動物の群によって形成された住居のようなものだ。

 

その美しい造形は古くから宝石の一つとして扱われ高値で取引されてきた。

だが、そんなサンゴの一部の種類は、人間に害を為すまでに強まった毒を有している。

 

エリシアが有しているのも、そのサンゴの近縁種の中で最も強い毒を持つと言われている種類の一つ、『アナサンゴモドキ』である。

 

 

巧みに他の無害なサンゴの間に潜み、何も知らぬ人間が触れようものなら、その異名のとおり焼かれたような強烈な痛みが走る毒の刺胞を打ち込む暗殺者のような存在だ。

 

その痛みの強さから『火のサンゴ(ファイヤーコーラル)』と呼ばれ恐れられている。

 

海の中で美しい物を見つけても、不用意に触れてはならない。大自然の造形、それは時に人に牙を剥く時があるのだから。

 

 

「……大丈夫ですよ、死にはしませんから」

 

地に倒れ転げ回っている男を見下ろし、エリシアは告げる。

 

だが、男は諦めてもいないし聞いてもいないようだった。身を刺すような痛みをなんとか耐え、落ちている刀を拾いに向かおうとする。

 

しかしこの状況でエリシアがそれを許すわけもなく。

無情にも彼がエリシアにダメージを与え得る唯一の武器は蹴り飛ばされ、彼の手の届かない場所まで滑っていった。その彼が求めて這いずって行った刀の場所には、代わりにしゃがみ込んで彼の顔をじっと見るエリシアの姿。

 

そして、彼はさらなる絶望を突き付けられる事になる。

 

「これ、するときにちょっと痛いんですよ」

 

少し不満そうに頬を膨らませ、エリシアが肩にできた痛ましい切断の後を撫でる。

すると、男が賭けに勝利した証、切り落とした左腕が、肩口の傷から延長され、瞬く間に元の姿を取り戻した。

 

軟体動物の比較的多くの種類に見られる特性、再生能力だ。この時点で、彼はエリシアのベースがクラゲではないとなんとなしに考えた。たとえ真のベースがなんなのかわかったところで何ができるというわけでもないのだが。

 

「ははっ……結局賭けには負けちまったか……でも無駄になったとはいえアネックスの化物幹部サマに一発入れられたんだ、地獄でいい土産話ができたぜ、さあ、殺してくれ。正直かなり苦しいんだ」

 

 

諦め、少し慣れてきた痛みを感じながら、男は弱り切っているのか小さな声で目の前のエリシアに話しかける。

 

「何言ってるんですか、殺したりしませんよ。あなたは捕虜にします」

 

「……はい?」

 

言っている意味がわからず、困惑する男だったが、数秒してからその意味を理解し、かくんと頭を垂れた。

 

「ちなみに舌を噛み切ろうとか切腹しようとか考えたら、色々混ざった毒を入れて黙らせます」

 

 

「お嬢ちゃん、俺が刀持ってるから誤解してるんだろうけど、舌を噛み切って死ぬほど意志も強くないし、別に俺はサムライじゃないから切腹はしないんだよ」

 

「なんと」

 

心底驚いた様子を見せるエリシア。彼女はロシア国民として暮らすようになってから一般的な常識なども勉強していたのだが、その辺りの知識は偏ったものしか持っていないようだった。

 

 

 

「おーい班長、大丈夫か……ってなんじゃこりゃあ!?」

 

「なんか生きてるな、この亀野郎」

 

静かになったのを確認した班員達が突入穴から顔を出している。

それを見て、エリシアはのんびりと報告を始めた。

 

 

思いの他強い力で倒れている男を引きずりながら。

 

ロシア班、現在16+1名。

 

 

――――――――――――――――――――

 

――同時刻

 

「うーん、本当に何にもないなあ……」

 

動くものがない火星の空を、低空飛行で飛ぶ影が一つあった。

 

 

裏アネックス計画日本第2班、偵察部隊の静香だ。

 

俊輝や拓也と違い飛ぶ事のできる生物が、正確にはMO手術ベースになっても飛行能力を残している生物がベースである彼女は、遮蔽物の無いこの火星の空を飛びまわって情報を集めていた。

 

「しっかしまあ敵さんの施設はそう簡単に見つからないだろうけど、テラフォーマーの一匹もいないなんて……」

 

これまで15分間の偵察で、空はおろか地上にすら生き物の気配が見えない。

 

この辺りはテラフォーマーの少ない地域だとは聞いていたが、まさかこれほどとは。

 

 

敵の戦力がアネックス1号に集中しているからなのだろうか。

 

 

「いやはや……これは一旦帰って二人に報告した方がいいのかな」

 

 

踵を返して帰還しようと思った静香だったが、視界に銀色の何かが小さく映ったのを感じ、振り返る。

 

 

確かに、銀色の、人工物のような物が小さく見えている。恐らく少し遠くにあるのだろう。

 

敵なのか味方なのかわからないが、とりあえず確認だけはしてみようとそれに近づき、その全容を拝んだ。

 

 

 

 

 

そこにあったのは、一隻の宇宙艦だった。

 

自分達日本班のロケットと同型の、裏アネックス計画用小型高速のそれだ。

 

機体側面には5、という数字が描かれている。

 

「第五班……ドイツだっけ」

 

仲間を見つけた。それはこの各班独立した状況で非常に喜ばしい事で、勿論静香はそれにさらに近づこうとしたのだが、とある事に気付いてその羽を止めてしまう。

 

 

 

宇宙艦の足元に、艦を取り囲むように巨大な水たまりのような何かができていた。

それが本当に水たまりなら、ただ単に不時着した場所が水たまりだったというだけで済んだだろう。

 

しかし、その水たまりは、ぐにゃぐにゃと脈動していた。

 

どちらかというと水というよりも、スライムのような粘性の高い何かに見える。

 

その不気味な姿に、静香は動く事もできずに見つめていた。

だが、その停止した時間も長くは続かなかった。

 

 

「うあっ……くう、何コレっ……!?」

 

突然の頭痛、そして目の痛みで視界が不鮮明になる。

 

不自然な体調不良。そして、空気の流れが変わったのも静香はその痛む頭を抱えながらも見逃さなかった。

 

 

自分とは逆の方向から、空を飛ぶ団体が宇宙艦に接近してくる。それはテラフォーマーではなく、人間のように見えた。恐らくは自分では無く宇宙艦を狙っているのだろう、とすばやく判断し、発見されないように静香は宇宙艦から離れながらも半分反射的に高度を落とす。

 

その次の瞬間だった。水たまりの一部がプロミネンスのように噴き上がり、静香の頭上を通過した。乱れて立っていた前髪の一部がそれにかすり、凍りつくような恐怖心を与える。

 

 

 

あとコンマ一秒でも遅ければ、あれに飲み込まれていただろう。

 

頭痛は治まらず、ある程度離れていてもあの水たまりのような何かは自分を探知している様子でその一部をこちらに向けているが、しばらく離れると興味を失ったように元の宇宙艦近くへと縮んでいった。

 

 

怖い物見たさも一部あり、離脱しながら宇宙艦の方を見た静香。

 

そこには、地獄が広がっていた。

 

 

宇宙艦に近づいていく鳥類ベースの集団。だが、一定の距離まで近づいたところでその体がぐらついたように見える。飛行不能、という程ではないが明らかに動きが鈍っている様子だ。そこを好機とばかりに水たまりの一部分が噴き上がり、それを飲み込んでいく。流石にそこから先は完全には見えなかったが、水たまりの中で苦しむ様子や、地面に叩きつけられ全身の骨がさようならしてしまっているだろうな、という様子が少しだけ映った。

 

 

早く、少しでも早くここから離れて、二人にこの事を伝えなくては。テラフォーマー以外の宇宙生物がいる、その事を。

 

焦る静香。だが、再びその翼は空中で止まってしまう。彼女の顔に現われたのは、困惑の色だった。

 

「あれ……? 私、どっちから来たんだっけ……?」




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