「ああ……熱いな……」
今度こそ、私は幸せな結末を迎えたかった。
自分の好きなものを好きなだけ食べる事ができ、命を狙われる事も無い、傍には今は思い出せない誰かがいて、そうして年をとって家族に囲まれ寿命を迎える。
故郷にいた頃の記憶はもはや何も思い出せない。思い出そうとすると頭に不思議な気持ち悪さがある。
だが、私はその故郷できっと、そんな何不自由なく家族と暮らす幸せな人間でも見かけたのだろう。
何もかもを奪われ、永遠の眠りへと無理矢理に沈められた時、私にあったのは激しい怒りだった。そして、再び目を覚ました時。私は今度こそ、そう、今度こそだ。それを叶えられると信じていたのだ。
周囲を、炎が覆っている。不快だ。人間が手を振るのと同じ感覚で、『能力』を振るう。
瞬間、その暑さは消える。同時に、周囲で喚きたてていた声も全て静まった。
「ひ……ぁ……」
退屈だった。探し物とやらは見つからず、その痕跡さえも掴めず。
だが、最早そんな事はどうでもいい。見つかるとも思っていなかった。
「……ン」
ふと目を下に向けるとソコに人間が落ちていた。運よく樹が盾にでもなったか。他の人間が盾にでもなったか。どちらでもいい事だ。
一瞬だけ、私に対する敵意の炎が目に宿る。だが、それはすぐに恐怖へと変わる。
仲間の仇。一瞬だけ威勢よく輝く意思の光は、即座にこれから自分が辿る末路を自覚しそれを想像し、その通りの色へと濁っていく。
ああ、美しい。それでこそ、生きているというものだ。
それを捌いていく。両手足は捥げているか、殆ど取れかけ。
スープに使えばいい出汁が取れるのだが、今はそれをしている暇は無い。
太腿だけを切り取り、微かに残っていた火種を落ち葉をかけて大きくし、それで炙る。
「疲れたろう。キミもどうだい?」
私が善意から差し出したそれを、彼は青ざめた顔で拒絶した。
残念だ。話し相手はいない。いる必要も無い。そもそも、私に話友達など必要も無いのだが。
それから、私は彼を捌いた。楽しい。何と、楽しい作業だろうか。
そうだな、今の文化で例えるとすれば……食品店で美味しそうな食材をいくつも選び、それで作れる料理を想像し、結局買わずに棚に戻す、そんな遊びに等しい。
「……ふむ」
耳を立ててみる。遠くから聞こえる銃声と、火の爆ぜる音。
銃声には嫌な思い出しか無い。
私の記憶の多くはどこかぼんやりと薄靄がかかっている。
死から蘇ったのだ、仕方の無い事だろう。しかし、それでも忘れられないものがある。
狭い船に押し込められ、多くの人間と共に荷物のように扱われ。
少しでも反抗の態度を取れば、その時は銃、という名さえ知らなかったそれで脅された。
憎しみは募り、それ以上に食欲が積もった。
ああ、商品である私を蹴り、殴り、犯した彼らの臓は、どのような味がするのだろうか。
私を慰め共に生きようと言った同じ境遇の荷物達は、甘いのだろうか。
「こっちかな」
長旅で人数は減り、辿り着いた先で労働をさせられ、私は逃げ出した。
私が自慢としていた、皆が褒めてくれた……らしい歌声はその生活で涸れ、残ったのは、非力な、力の無い女の体だけだった。
農民がやっていたような畑を耕す力も、逃亡生活の中で見かけたみすぼらしいガキがやっていた魚釣りの遊びさえも私はできず、弱っていった。
なんとまあ、歌姫などと持ち上げられ……その記憶は無いが、そう呼ばれ褒められていた事だけは覚えている。
哀れなものだ。どれだけ人々にもてはやされそうが、下々が献上するモノで生活していた家で生まれた私は、一人で生きていけるような人間では無かったのだ。
追手に連れ戻れて開拓の労働で死ぬか。空腹で死ぬか。まあどっちも同じだろう。死ぬのだから。
そうしてある日、ただ水を啜り雑草を食み何とか死を遠ざけようと必死だった私は、旅人を襲った。
なんだ、やってみれば簡単な話だった。
そこが始まりだった。
食べ物を手に入れた。死体は丁寧に埋葬した。今思えば、愚かな行いだね。
しかし、それは根本的な解決では決してない。私は食べ物を自ら作り出す手段など、何も知らなかったのだから。
何度かそれを繰り返して命を繋いだ末に、私が殺した旅人は食糧を持っていなかった。
必死でその鞄をひっくり返し、服を全て剥ぎくまなく探した。
だが、食糧はどこにも無かった。
そこで、私は気付いたのだ。食糧なら、たっぷりと目の前にあるじゃないかと。天啓だった。
私が人生で一番感謝したい人間を挙げるならば、二番目にはこの旅人と言うだろう。
彼が食糧を持ち歩いていなかった、もしくは切らしていたおかげで、私はこの素晴らしい味に気付けたのだから。
それからは、天にも昇る気持ちだった事を覚えている。
これに関しては、明確に思い出せる。父の顔も母の顔も思い出せないが、何人目の旅人のどこを何にして食ったかは、聞かれて思い出すのに時間を食う事は無いだろう。
百と二十一。その後に、私は彼と出会った。嗚呼、思い出せない。思い出せない!
力任せに落ち葉を蹴る。腹立たしい。何と忌々しい事だろう。
……彼は、ただの旅人だった。これまでの、私の家に積み重なった骨の山に混じるだけのはずだった。
歌に引き寄せられた彼を縛り上げ、絶望の表情を楽しんだ後、首を落とす。これまで幾度と繰り返したのと同じ事を再び行うだけのはずだった。
だが、彼は私の事を。旅人達がこれまでに私に対し向けた恐怖の目ではなく。
ああ、ダメだ。頭にノイズが走る。
思い出せない。彼の顔が、思い出せない。私に笑いかけてくれているはずの顔が、空白に覆われている。私の作った料理に喜んだ顔が空白に覆われている。
「……お前に、聞きたい事がある」
再び目が覚めた時、私はあの時の全てが悪い夢なのだと思った。愛する我が子を取り上げられ、彼は体に空いた無数の穴から血を流しぴくりとも動かず、私は無数の銃口を向けられている。そして途切れたその光景は、私の寝付きが悪かったが故のものなのだと。
「お前は、誰だ」
だが、違った。私は、私が生きていた遥か未来に起こされた。
起こされる前にいくつもの夢を見た。
それは全て、一辺の違いも無く私の過去の映像だった。
目の前に立っていた男は、私に言った。
君には取り戻したいものがあるだろう。願望もあるだろう。私に協力すれば、その全てを与えよう、と。
真っ赤に染まった視界が、元の色を取り戻す。
ピントがずれていた私の、思考の内では無く現実の目の前に立つ人間をはっきりと映し出す。
私と同じ赤い髪。彼と同じ、今は私を睨んでいる、しかし笑えばさぞ柔らかで愛らしいだろう容貌。そして、その手に持った刃。
ああ、ああ。きっと歌も上手いのだろう。聞きたい。是非聞かせてほしい。
君の歌を。君がどう生きてきて、どれだけの人を料理して、誰が一番おいしかったのかを。語り合おうじゃないか。
そして、最後には――
……ああ、頭の中の空白が埋まらない。
「エスメラルダ・オースティン。キミのご先祖様だよ、可愛い子孫」
観覧ありがとうございました。
翌日に81.5話を投稿する予定です。