ドイツ特集。班員の紹介はまだ先ですが。
「ク……ソが……」
「痛え……痛えよお……」
静香があの場を去って数分後、そこには凄惨な光景が広がっていた。
謎の水たまりはすでに姿を消しており、そこに残されているは、翼をもがれて苦痛に叫び苦しむ鳥たちの集団。あるものはその変態した翼ごと腕をへし折られうめきながら動けず倒れており、またある者は地面に思い切り叩きつけられた衝撃で要所の骨が砕け絶命している。
おびただしい量の血が流れ出し火星の大地を染め、飛び散った肉塊がそれを彩る、まさに地獄の様相であった。
そんな光景の中で、ただ一人だけ平然とその場に立っている人間がいた。
中年くらいの男だ。研究者、というイメージをそのまま反映したかのような丸眼鏡とやせ気味の体、U-NASA配給のスーツを身に纏う事もせずに白衣を着ている。
「ふむ、これほどまでに大規模な展開は初めてしてみたが、なるほど、悪くない」
薬剤を注入され苦しむモルモットを観察する研究者か何かのように、実際にその男は研究者なのだが、とにかくその男は無表情でそれを見つめていた。
それ以外の存在はこの場には無く、宇宙艦の入り口は固く閉じられている。
ただ一つ確かに言えることは、正常な人間はこの場には存在しないという事だ。
男はしばらく観察を続けた後、興味を失ったかのように背を向け、宇宙艦の入り口を叩く。
その動作はまるで知り合いの家を尋ねるような軽いもので、だがしかしそれに対応して宇宙艦の扉が開く事はなかった。
「……おっといけない、忘れていたよ。君達、まだ出てこないでくれ」
少しだけ思考を巡らせた後、男は宇宙艦の内部に向かって呼びかける。本来ならその声は聞こえるはずはないのだが、着陸後宇宙艦外部に取りつけられたマイクとスピーカーが内部の人間との意思疎通を可能にしていた。
「マジでその冗談やめてください、ヨーゼフ博士……俺達まだ死にたくないですよ……」
「すまないね」
無表情のまま申し訳ないというそぶりも見せずに謝った男、ドイツ・南米第5班班長、ヨーゼフ。
そんなヨーゼフに、近づく影が一つ。
いくつもの骨を砕かれながら、怒り怨みと根性だけで再び立ちあがり、今まさに復讐を果たそうとしている襲撃者の一人だ。
彼はその身を包む怒りと鈍る体、何故か頻発する肉体と精神の異常でまともな思考能力を失っていたが、それでも立ちあがっていた。もう手柄などどうでもいい。地球に帰られる可能性などどうでもいい。仲間達の仇をとるため、少しでも後続の負担を減らすため、ここでこの
相手は変態を解いている状態だし、ここで仕留められるはずだ。
彼は一歩一歩、ヨーゼフに歩み寄って行く。近づくたびに強まる頭痛や体中を駆け巡る痛み。
だが、もはや根性だけで歩いている彼にそんな事は関係なかった。
あと数歩。ここで彼は最後の力を振り絞り、駆け出す。
己のベースとなっている生物である猛禽類の強靭な握力で、その頭を握りつぶし、死んだ仲間の仇をとり、生きている仲間の安全を確保する。
「……そこで大人しく寝ていれば、恐らくこの場だけは凌げただろう」
突然、自分が襲いかかっている相手が言葉を発し、背を向けたまま頭だけ振り向いた。
しかし、彼は止まらない。今更止めて何になるのか。捕虜の屈辱を受けろというのか。
だったら、このまま突っ込んだ方がましだ。
「仲間を庇い、死んだ仲間の為に立ちあがり、己を犠牲にしてでも戦果を待つ仲間を安心させようとする、そう、君は主人公みたいな奴だな。さっきだって、ふらついた仲間を庇わなかったら、私から逃げ切れただろう?」
目の前の無表情な科学者が何かを言っている。そんな事はもうどうでもいい。それに、長時間この地帯に留まっていた事により、すでに彼の感覚器はいくつかが機能不全を起こし、靄がかかっているかのように聞こえない。
「きっとあの子が生きていたのならこんな時にも『捕虜として生かしてあげましょう!』などと言うのだろうがな」
あと一歩、あと数十センチ。そこで、目の前の科学者の姿が変わる。背中の形が不気味に歪み、沸き立つかのように不定形へと変化してその質量を増していく。それとほぼ同時に彼が振りかざした手は巨大なスライム状の何かに絡め取られ動かせなくなった。足もまた同様だ。
「すまないね、私はあの子のように優しくはないんだ」
彼が最後に見たのは、ようやくこちらに体を向け、背中から巨大なスライム状の何かを展開しながら無表情で自分を見つめる科学者の姿だった。
――――――――――
「終わりましたか、博士」
戦闘を終え佇むヨーゼフに、何者かが声をかける。その声は、宇宙艦付近の地中から聞こえてきていた。
どうやらその声はドイツ班の一員のようで、ヨーゼフも警戒などはせず普通に話している。
「ああ、もう散布も止めたし出した分も大気に散って行っただろう、大丈夫だよ」
「ではご報告を。偵察の結果、小山を加工したサイズの大規模な基地が発見されました。班員に準備を整えさせ、攻撃を命じるべきかと」
「いや、大丈夫だよ」
「……と、申しますと?」
それからも少し会話が交わされ、両者は情報を交換しあい、宇宙艦の内部とも通信して今後の目標を話しあった。そしてついに、敵基地攻撃作戦が敢行されたのである。
―――――――――――――
U-NASA 2619年某月某日
「くう~、今日の仕事は疲れたなあ、劉さんよ」
一日の業務を終えたアネックス1号艦長、小町小吉はのびをしながら宿泊施設へと向かっていた。
その隣を歩くのは、長身の中年男性。アネックス計画中国班班長、劉である。
二人はU-NASAの研究棟を通り抜け、次の区画に進もうとしていた。
そこで、二人は足を止める。そこは、研究棟の中にあるアネックス計画搭乗員の訓練施設。その中でも最も厳重な警戒態勢が敷かれているクローンのテラフォーマーとの実戦戦闘訓練を行う設備の照明が、点いていたのだ。
二人はその戦闘訓練室の上階、何重もの層で固められた強化ガラスで守られた客席へと移動する。
この時間はアネックス計画の『戦闘要員』は業務を終え、帰途についている。
この棟で勤務している研究員は徹夜の日々で大変だという話を聞いて同情する小吉である。
幹部である小吉と劉ですら業務を終えたのだ。一般の戦闘要員はもう残っていない事だろう。
だとしたら、この施設が稼働している今のこの状況は。
何らかのトラブルにより、クローンのテラフォーマーが訓練の相手もいないのに出てしまった事が考えられる。
二人の懸念通り、さまざまな種のベース生物を持った人間が訓練を行えるようにかなり広く作られた訓練室の中には、十数体のテラフォーマーが放たれていた。
そして、もうひとつの考えられる可能性。それは。
「ああ、そういえばこの人、一応戦闘要員扱いじゃないんだったね」
「ストレス解消でもしてんのかな?」
アネックス計画に参加する『研究員』がこの戦闘用施設を利用しているというものだ。
一体のテラフォーマーの動きが止まる。喉を何かストローのようなもので貫かれたからだ。
テラフォーマーには仲間意識というものは存在しない。だがしかし、目の前に本能的に嫌う
喉を貫かれ絶命したテラフォーマーの背後から、一人の人間が姿を見せる。
痩せ型の少し頼りない体型に、丸眼鏡と白衣。すでに変態を終えているのか、そのテラフォーマーを屠ったストローのようなものが二本、左腕から生えている。
小吉はその姿を見て、自分の鞄の中からある資料を取り出す。
「ん? 艦長、それなんです?」
劉が小吉を見て疑問を投げかける。
「ああ、名簿表だよ、アネックス裏表の」
小吉がぺらぺらとページをめくり、ある1ページを開く。
そこは、『裏アネックス計画』の幹部のページだった。
ヨーゼフ・ベルトルト MO手術ベース:アメーバ動物型『
「おや、あの人のプロフィールとベースですか。ネグレリア・フォーレリ? 聞きなれないなあ」
眼前でテラフォーマーと対峙する男、ヨーゼフと小吉の持った資料を交互に見て、劉は顎に手を当てる。
「ふっ、劉さんよ、俺はちゃんと幹部のベースに関して勉強してきたのだよ!」
「ご教授願えますか」
「モチのロンだ!」
劉の反応に満足げに頷き、小吉は恐らく本を読んでそのまま暗記してきたであろう内容を劉に話す。
そんなさ中、訓練場では大きく状況が変化していた。
ヨーゼフの右腕が変形し、スライムの様な半固体の形状になっている。
それはテラフォーマーの頭を丸ごと包み込み、それを握り潰した。
そして次々と襲いかかる後続のテラフォーマーだったが、どこか様子がおかしい。
足腰もおぼつかないし、どこか反応が鈍くなっている。
それを次々と変形した右腕で喰らうヨーゼフ。
「あー、ひとつ質問いいですか、艦長」
「なんだ?」
「なんか完全にあの人、人外っぽい姿になっているんですが、MO手術ってあんなに体が変化するもんなんですか?」
今は隠しているが、『ヒョウモンダコ』をベースに持つ劉は、変態すると触腕がが3本生えてくる。
そんな大きな変化をする劉ですら、目の前の光景は奇異なものに見えていたのだ。
劉の触腕は後付けで生えてくるものだ。だが、ヨーゼフのそれは明らかに元々あった右腕という部位が異形のものに変質している。そんな事が可能なのだろうか。
ネグレリア・フォーレリ。人間の体内に入り込みさまざまな障害を引き起こし、最終的には脳で急激に増殖してそれを喰らい尽くしほぼ確実に死に至らしめる恐怖のアメーバ。恐らく右腕の変質はアメーバのそれなのだろうが、正直言ってかなり不気味だ。
「あー。劉さんも説明されてないパターンかあ……」
「?」
小吉の、何故か安心したかのようなため息に不思議そうな顔をする劉。
「どうやら裏の方の幹部が受けてる手術って特別らしくてさ」
「ああ、それは知ってます」
「いや、俺もそれだけは知ってたけど、それがどんな手術なのか詳細は知らなかったんだよ」
テラフォーマーを全て始末し、部屋を出て行くヨーゼフを背景に、小吉は話を続ける。
「どうやらその手術、メッチャ成功率低い代わりに、かなりベースの生物との親和性が高いみたいなんだ」
ベースの生物との親和性。それは、ベースの生物の能力をどこまで使いこなせるかに影響してくる。
簡単に言えば、もう一つの手術、小吉がまだその名を知らないαMO手術は、普通に変態しただけでも普通のMO手術で言う過剰摂取に近い力を出すことができるのだ。
「へえ。今度うちの裏の方にも聞いてみましょうか……ッ! すいません艦長、僕先に帰りますんで!」
話をしている途中で突然弾かれたかのように立ちあがり、早足で部屋を去っていく劉。
それを唖然とした様子で見守ることしかできなかった小吉は、背後の気配に気がつき、そしてその人物の発言を聞き、劉の行動を理解した。
「これはこれは、艦長ではないか。……ふむ、この本は……世界の危険な微生物、か。よろしい、私がネグレリアでもなんでもゆっくりと解説してさしあげよう」
もうこれは逃げることはできない、睡眠時間はほぼナシだと悟った小吉は、小さな声で呟いていた。
「劉さん、ホント判断早いよねー」
観覧ありがとうございました。