深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第90話です。色んなパートが詰まってる、そんな感じでございます。


第90話 暗底の騒乱

「別にどっちでも変わらないから適当に選ぶかな」

 

 

――その答えを聞いて、この怪物は全てを懸けてでも仕留めなければならない、と決意したのは忘れもしない、32年前の事だった。

 

 

 最初は、そのような意思など全く無かった。寧ろ、当時の私は一族の最上層部の一人たる彼と親交を深めようと思い、接触した事を覚えている。

 

 そこに、コネを作ろうとした等の裏があった事は否定できない。自分がいずれ父から引き継ぐであろう役目、血の薄い彼らをまとめ上げ上層にその意思を伝え、上層からの意思を伝える。

 それを手際よく進めるために、上層部への太いパイプを個人的な親交という形で持っておこう、そういった考えもあった。

 

 だが、一方で個人的な興味を惹かれたのも事実だった。基本的にあまり一族という立場として表に出る事をしない一族の中でもとりわけ特殊な、一族の者でさえごく一部を除きその所在を知らぬ上位者の一人。

 

 

 一族が危機に陥った時の備えとしてその身を一族に捧げた献身者。

 上位者として栄華と高い社会的地位を享受する事も無く、一族の為に暗闇に潜み続ける縁の下の功労者。

 

 親族が何故か吐き捨てるように言った、後に私の階級では本来知る事は許されない事だったらしい彼らの使命とそれに付け加えての情報から、私は実に好意的な印象を受けた。親族は偶像崇拝、などと冗談めかして馬鹿にしていたが、とんでもない。

 一族が円滑に動く為に骨を折る役割を背負った父と、その任をいずれ受け継ぐ自分と重なる部分があったからだろう。それに、自分にはその家系の血も流れているのだという。

 

 そんな特異な分家の主が、当主との会談の為に珍しく来訪するとの事だった。

 

 私はまだ若かった。両親の制止を振り切り当主に嘆願し、個人的な席を設けてもらった。

 

 

 そわそわしながら、用意した調度品は気に入ってもらえるだろうか、どんな方なのだろうか、普段の六割ほど増して華やかに飾られた、他ならぬ自分が飾った自宅の中庭で、私は待った。

 

 そして彼は訪れた。

 

 はじめまして、と軽く挨拶をして、階級としては遙かに下である自分に対し裏は無いと感じ取れるにこやかな友好の笑みを浮かべる彼に、私は想像していた通りの素晴らしい人物だ、とそれだけで考えた事を覚えている。

 

 

「おや、これはこれは……美味しいね、陸藍(ルゥラン)の淹れたものにも劣らないよ……ああごめんね、うちの執事の事なんだけどね、彼もお茶を淹れるのがとても上手なんだよ」

 

 

 そして、会話をした。紅茶を好んでいる、と事前の情報で仕入れていたため、一族の得意だ、という人間に教わって、材料も自分で最高と思ったものを仕入れた。彼がそれを口にした時、嫌な汗が噴き出した事を思い出せる。

 最良は尽くした、でも、所詮はにわか仕込みだ。造詣が深いであろう彼の口に会うものが用意できるだろうか、と。その結果を微笑みとともに伝えられた時、私は天にも昇る気分だった。

 

 いいや、ここまではどうでもいいのだ。私が当時若く多感な少年だったのか、彼の相手に気取られない人心掌握の技能が優れていたのかについては論じる必要は無い。

 

 私が彼との雑談の中で出した話題は、人間の精神、心と魂、自己についての一つの質問だった。

 彼と彼を作り出した一族がそれらについて研究をしているという事は事前に当主から聞いていた。

 

 私にそちらの方面の知識は無かったが、まあ触りの部分だけなら何とかなるだろうと。この簡単な部分を切り口としてご教授願おうと。

 専門性など特にない単純な、答えなどわかりきっている質問を、軽い気持ちで彼にしてみた。

 

「ふむ、難しい質問だ」

 

 顎に手を当て少し考え込み、一度カップに口を付けた後にぽつんと、笑みを崩さずに語った彼の表情に、初めて私の内心で違和感が芽生えた。難しい質問? これが?

 

「君はビュリダンのロバという話を知っているかな」

 

 最初、難しい質問だ、という答えに彼は冗談を言っているのかと思った。次に、彼は哲学者めいた複雑な精神性と回答を持っているのだろうかと思った。

 だが、彼の全てはわからないが、少なくともこの状況では、そのどちらでも無かった。

 

 知っています、と私は動揺を押さえながら答えた。教育の中で知ったある種のたとえ話だった。

 

 

「お腹を空かせたロバが左右の分かれ道の先にそれぞれ美味しそうな藁があるのを見つけた。しかし、藁への距離、藁の量、まあ元の話には無いけど道の質による歩きにくさとかあれこれ……左右の道とその先の藁は、全く同じ条件だった」

 

 知っているそれを改めて説明する彼の言葉は、あまり耳に入って来なかった。意味が、わからない。恨むべきは、人類の品種改良、それによって高い能力を有していた私の頭脳は平均より遥かに優秀だった事だろう。

 

 本来であれば自分が彼にした質問とは関係が薄いだろうこの例え話を持ちだした理由、それが少しづつわかってきてしまったのだから。

 

「ロバは、どちらも選ばず餓死してしまった。何故だろうか? 簡単な事だ。このロバは機械の如く理性的で、かつ融通が利かなかったんだろうね。選べなかったんだ。どちらかを選ぶ事のできる必然的な理由が無かったのだから」

 

 彼の説明は、自分が知っている話から難しい部分を省いたそのままだった。全く同じ条件の二択、どちらか片方を選ぶ理由が見つからない。純粋な理性と合理の結果、むしろ最悪の結果が招かれてしまう。

 

「……まあ、人間の私はそういった状況に立たされた時、選べない、という選択肢を避ける事ができるのだけど」

 

 自分の表情が曇るのを認識し、私は少しでも顔を隠そうとカップに手をかけた。だが、すぐに離した。手の震えは、表情よりも雄弁だろうから。

 

「いや、ごめんね。楽しくてつい長話をしてしまった。答えを言おう」

 

 冗談であってくれ。自分が馬鹿で、変な勘違いをしただけなんだとその答えで否定してくれ。心の中で、私は彼が紅茶に口を付けた時以上に祈った。そして。

 

 

 

―――この男は、いずれ一族に禍根をもたらす。必ず、己の全てを懸けてでも息の根を止めるんだ

 

 

 そう、決意した。

 

――――――――

 

「だ、誰ー!?」

 

 少女がマイク越しに上げた悲鳴混じりの言葉に、同時に四人の方に一斉に向き直ったテラフォーマーの目線に、四人は同時に顔を引きつらせる。

 

 何だこの状況はという混乱と、多数のテラフォーマーに補足されたという脅威。

 しかし、即座に撤退を選ぶのもまた賢い選択とは言い難かった。身長の関係によりテラフォーマーの波で少女の姿を確認できず必死にジャンプしている美晴を横目に、四人のまとめ役である健吾は少女を観察する。

 

 紫を主体として所々に黒を加えた派手な衣装。黒髪黒目とその顔立ちから、アジア人と思われる。容姿は整っているが、あら可愛いなどと冗談でも言っていられない状況である。

 大げさな動作で手をぶんぶん振り驚きであわあわしているように見えるが、だがしかし。

 

 その瞳の奥底から、健吾が向けているのと同じ冷静な観察の目を向けている事が感じられる。

 馬鹿馬鹿しい仮定である事は健吾も承知だが、少女が何故かこの地下深くに迷い込みテラフォーマーを魅了してしまうような歌を披露している一般人であるという可能性も存在した。

 だが、それはその少女の一般人とは思えない観察の目で否定された。

 

 偶発的な遭遇。恐らく、相手も状況としては同じだ。

 自分と同じく、相手もこちらの状況を図りかねている。モグラ族がここまで迷い込んできたのか。それとも、自分を仕留めに来たどこかの勢力の刺客なのかと。

 そして、相手は、優しさか余裕かはわからないが、仮に自分達が偶然ここに辿り着いてしまった一般人だった場合、見逃そうと考えている。もし目撃者を問答無用で消すという考え方であれば、わざわざ大慌ての演技などする理由が無い。

 

「……うん、少なくとも一般人じゃないみたいだね、貴方達!」

 

 どう動くか健吾が決めた瞬間、一手先に動いたのは少女だった。混乱していた様子はぴたりと止み、左手で四人を指差す。まあそう思うよなと顔を歪める健吾。テラフォーマーの大群という時点で、一般人なら絶叫して逃げ出すか気を失うか。それとも、無謀な善人であればなんかヤバそうな生物に女の子が囲まれている! と助けに飛び込んでくるか。

 ただ静観して状況を分析するという選択肢が、自分達がテラフォーマーという生物と関わりの無い一般人であるという事を否定してしまっている。

 

「みんな、捕まえちゃって! できる限り殺さないよう!」

 

 次いでの一言で、一斉にテラフォーマーが動き出す。半数が翅を開き、もう半数は退路に回り込もうとしているのか、各々が近いトンネルに向けて走り出す。

 

「っ! 使うぞ!」

 

 健吾の言葉に、四人同時にそれぞれの『薬』を打ち込み、自身に投与しながらトンネルの中へと後退する。

 相手はテラフォーマーがおおよそ40。上位戦闘員が二人に非戦闘員が二人。美晴は手術ベースがベースなのである程度は戦えるだろうが、翔に関しては厳しい。

 

 概算すると、狭いトンネルでの迎撃という地の利を生かせば何とか対処できるだろうか、という数だ。

 

 目の前のテラフォーマーから距離を取り、健吾は己の両腕に形成された『コガシラクワガタ』の大槍を繰り出す。

 喉に精密に穴を穿たれ崩れ落ちるテラフォーマーを槍に刺さったまま振るい、蓋をするように狭い通路を塞ぎ後続の接近を阻止。

 

 それでも完全な封鎖は望めないため数匹には突破されるが、それを武と美晴が迎撃する。

 今の所、戦況は小康を保っている。

 だが、そう長くは持たない。じりじりと押し下げられる戦線に、健吾は焦りを覚える。

 

 このままでは、数に押されて全滅だ。できる限り命は取らないで、と言っていたため、降伏すれば命は助かるのかもしれない。

 一度はその路線を考えるが、しかし脳内で却下する。相手が何者かわからない以上は、捕まった後どうなるかの保証が無い。

 もし降伏するとしても、最後の手段だ。

 

「翔! 地図、見せてくれ!」

 

 どう動く。考えていた健吾の頭にふと、ある考えが浮かぶ。

 非戦闘員でテラフォーマーとの交戦も難しいため手が空いていた翔の取り出した地下水路の地図。

 

 この辺りの巡らされたトンネルは幸運にも地図に記されていた。その配置を戦いの合間に見て、健吾は判断を迫られる。

 このまま続ければ、別動隊に背後を取られて終わりだ。自分達から正面突破して少女を押さえられるだけの打撃力も無い。ただ敗北を先延ばしにする、それならば。

 

「……武」

 

「っ、何だ!」

 

 よし、と決意を固め、しかし納得してくれるかなと悩みながら、健吾は迎撃を続ける武に向けて

 

「この場、お前一人に任せていいか?」

 

 思いっきり、無茶振りをした。

 

「へ!?」

 

「健吾、どういう……」

 

 困惑する美晴と翔、二人の異議有りの視線を跳ね除け、武に頼み込む。

 その言葉を聞き一瞬止まった武は、うーんと少し考え。

 

 

「またいつもの無茶かよ……いいだろう、やってみろ」

 

 

 いたずらっ子のように、笑った。

―――――――――――

 

「……しかし、当主様……ジョセフ様が、私をお許しになると」

 

 

 そして、日本第二班、彼らの戦いの裏でもう一つ。

 

 華やかな和装の少女と、対照的に浮浪者にしか見えないボロ布を纏った中年の男が向かいあう。

 

 千古は、眼前のボロ着の男、ミルチャの先の言葉をおうむ返しする。

 

「ああ、そうだ。そして、私が来た理由はそれだけでは無い」

 

 

 それに肯定を示すと同時にミルチャが懐から取り出したのは、ケースに入った粉末状の『薬』だった。

 それを見た瞬間、千古は腰の刀に手をかける。

 

 だが、次のミルチャの動作で、千古はそれを振り抜く事はしなかった。

 

 

「……すまなかった……ずっと、君に謝りたかった……私の管理が届かず、君にあのような……」

 

「……」

 

 

 その『薬』を、ミルチャは放り捨て、まるで蹲るように姿勢を低くする。

 両手の平を、額を地に付ける謝罪。ミルチャの出身では馴染みの無い、しかし千古の出身、この日本に存在する最大限の謝罪を示す態度、土下座。

 

 悔恨の色を深く感じさせる、苦しみながら絞り出すかのような声とその態度に、千古はあっけにとられ、その表情が警戒、敵意から困惑に変わる。

 

「ミルチャ様、どうか頭をお上げください。貴方が私や父のような端の人間にも温情を与えてくださっていた事、私は深く存じております。それに―」

 

 困惑の表情のまま、千古はミルチャを助け起こそうとする。

 千古がミルチャに受けた恩は大きい。一族の、たとえどれだけ血の薄い人間であろうとも見下さず接する彼は、千古や一族である父や祖父にとっても気持ちの良い相手だ。

 

 さらに、自分が今置かれている状態が、以前のあの生活の苦痛がミルチャのせいだと言うのならば、それこそ感謝せねばならない、と彼女は思う。

 その態度は、ミルチャへとはっきり伝わった。自分は恨まれていない。それに安堵を覚えないかと言われればそれは嘘だ。しかし、それ以上に、続く事が容易に予想できるからこそ。

 

 

「私は、素晴らしい主に巡り合えたのですから」

 

 ぱあっと、まるで花が咲くかのような、幼さの混じった喜びと心からの感謝が籠った笑みを受け、ああ、残念だ、とミルチャは顔を伏せた。

 

「先に、告げておこう。オリヴィエ・G・ニュートンの排除は、一族の総意であると」

 

 

 それは決別の言葉だった。

 何をしてでもわかり合えない、千古のオリヴィエに対する思慕、忠誠と、ミルチャの、一族の、オリヴィエに対する敵意。以前から薄々と不穏な動きが見られ、二年前に起こった事件でその背心は決定的なものと判明した。

 

 そして先日、当の当主様(ジョセフ)と相対した時の会話で、公的に彼は一族の敵対者となった。

 

 一族の今解決すべき課題は多いが、だからといって野放しにしておくにはその野望は、有する技術は危険すぎる。

 

「そう、ですか。では私は、こう言うしか無いのでしょう」

 

「……ああ」

 

 先に続く言葉を、ミルチャはわかっている。彼女の事を良く知る、彼女の父の友人でもあったミルチャは、千古の性格をいやという程知っていた。こればかりは、予測なんてしなくてもよくわかる。

 

 

「ありがとうございました。そして、さようなら」

 

 ヒュンと空を切る音。一族の身体能力を以てしても困難な速度の居合で振り抜かれた太刀は、寸分違わずミルチャの首を刎ねる機動で振り抜かれ、

 

 

「本当に、残念だ」

 

 

 その一撃は、ミルチャが太刀の軌道に置くようにすっと上げた右腕によって止められた。

 その勢いこそ殺しきれずそのまま太刀に押される形で腕はミルチャの体にぶつかりふらつくが、勢いの乗った太刀を受けたはずの右腕は、切断は愚か血すら流れず。

 

 その腕は、金色の鱗に覆われていた。

 一瞬の動揺を突き、ミルチャは廻し蹴りを千古の顔に見舞い、同時に懐から二つ目の『薬』の容器を取り出し、それを吸引する。

 

 

 

 全身が右腕と同じ金の鱗に覆われ、両腕の甲側の手首から関節にかけて伸びた、一対の刃。

 

 その凶器が、元の生物では遊泳に用いるものであるとは、予想できるだろうか?

 

 

 

 ミルチャ・フォン・ヴィンランド

 

 

 αMO手術"魚類型"

 

 

 

――――マツカサウオ

 

 

 

 一瞬の攻防。ミルチャは素早く後方に飛び退く。廻し蹴りを受けた千古は、まるでそれを受けたのが大木であるかのように、防御をする事すらせず平然と立っていた。

 

 いや違う、とミルチャは警戒を強める。

 防御をしたのだ。しかも、『薬』を使わずに、己自身の技術で。

 

 

 ミルチャが一度瞬きをして、一瞬視界が閉じ再び開いた時。

 

 そこには、間近に迫った千古と空を薙ぐ太刀が映っていた。

 刃を受け止め、次は千古の顔に向け己の腕に生成された刃を、硬質化した鰭を振るう。

 目を狙った斬撃、しかし、それは太刀を持っていない右手で掴まれ、一瞬の内に勢いを失う。

 

 次いでの股間を狙って振り上げられたその脚を防御する術をミルチャは持たなかった。

 襲い来る鈍痛に、ミルチャは顔を歪める。

 

 世の男性は目をそむけたくなる一撃であるが、嫌という程知っての通り生殖器、特に男性のものは露出した内臓と言えばわかりやすいだろうか、紛れも無い人体の急所の一つだ。

 

 ミルチャの手術ベースである『マツカサウオ』は魚類でも屈指の強度を誇る鱗を有する生物であり、MOベースとしてのその刃物すら通さぬ防御は生殖器でも例外では無い。

 しかし、それでもこれだけのダメージを受けてしまうのだ。よろめいたミルチャが一時後退のため繰り出した打撃を、顔面への拳打を千古は再び防御の姿勢を見せずにそのまま受ける。

 

 紛れも無い、直撃。だが、千古が直撃の瞬間ほんの少しだけ後ろに引いただけで、その攻撃はほぼ全ての勢いが止まり無力と化す。

 

 ミルチャは、その絡繰を知っていた。上月家、千古や父と懇意にしていた彼は、己もそれを習得しようとしたが、武練に極端に偏ったその教育とニュートンの一族である彼でさえ顔を引きつらせる程の特訓の末にようやく身に着けられるものと聞き、諦めた。

 

 

『上月流』。それは、古い武家の家系であり、その力強さを見初められニュートンの血を受けた彼らが編み出した、一族の血とそれに付随するある能力を極めた武術、辛うじて近いものを挙げるとすれば合気道に近い技能だ。

 

 

『完全なボディ・イメージ』『空間認知能』。彼ら彼女ら、ニュートン一族は、己自身の体を把握しそれを動かす事において他の人間の追随を許さない。

 

 傾き、運動方向、加速度を感知する前庭感覚。筋肉の力の入れ加減と向きを司る固有覚。自分の輪郭や周囲の物体との相対的な感覚を知る触覚。

 通常の人間はこれらが十分に発達しておらず、『思った通りに動く』には長い訓練を必要とする。

 

 だが、彼ら(ニュートン一族)は、才能と訓練により、完全なそれを持っている。

 なるほど確かに便利な技能だ。

 

 

 ……だが、それだけか? 

 

 そう呟いたのが、数代前の上月家の当主だった。

 

『自身に加えられる攻撃は、全てエネルギーの流れである』

 

 その理念を始めとし、完全なボディ・イメージをさらに発展させた武術を編み出した。

 己が身に当たる攻撃の角度、威力の大きさ、どの部位にどれだけの衝撃が加わったか。

 

 それらを全て高速の反射、知覚と本能の複合体により認識し、自身の身に加えられたエネルギーを筋肉の力加減と最低限の動きにより全身に拡散させる、もしくは外部に受け流し受けるダメージを極限する。

 

 無論、目まぐるしく状況の変わる戦いで常にそれを行うのは並大抵の事では無い。

 だが、彼らは血の滲む、を通り越し血の噴き出す修練と理論構築によりそれを完成させた。

 

 上月家の持つ血は薄い。本家、ニュートン家と遠縁な新界家のさらに分家という所から、それは伺えるだろう。

 

 

 ……だが、彼らの編み出したこの力は、その結晶たる今ミルチャと相対するこの少女は。

 

 

 

 

――武練という一点において、人類の頂点たる個体(ジョセフ・G・ニュートン)にさえ肉薄する。

 

 

 千古の拳が、ミルチャの腹を打つ。単純な打撃こそその強固な鱗の防御により通じないが、内蔵に浸透する衝撃が、徐々にその体の機能を狂わせていく。

 

 

「……君に、伝えなければならない事がある」

 

 傍から見ればその体には傷一つついていない、しかし荒く息を付きながら、ミルチャは手を止め、千古に語り掛ける。

 

 それは、ミルチャが最後まで千古に伝えたくない情報だった。

 

 千古が素直に此方側に帰ってきてくれるならば。何かの間違いで、自分が千古に勝ち、身柄を拘束する、もしくは最期を与える事になったならば。いずれにせよ、これを伝える事は憚られた。

 

 だが、ここまで追い込まれてしまったなら、これを伝えるしか無いのだ。命乞いがしたいわけではないが、自分が死ぬ前に、せめてこの残酷な真実を伝えたい。

 

 ……いいや、無意味な言い訳だ、とミルチャは自嘲する。これを言えば、千古のオリヴィエへの忠誠は揺らぎ、自身の命が救われる可能性が格段に高まる。それは確かな事なのだから。

 

 

 ああ、彼女はまた裏切られるのだ。彼女を好き勝手に利用した一族に、それを止められなかった私に、そして、ようやく見つけられた、忠を誓えると思った主に。

 なんと救いの無い事だろうか。だが、それを知らないままで、奴に従い続けるよりは。

 

 

 最後まで、彼女にそれを伝える決意ははっきりと固まらなかったが、だが、と。

 

 

 

 

「奴の新たな世界が築かれる時に、君や君の他の仲間達の命は他ならぬ奴の手で奪われる事になる」 

 

 その真実を、口にした。

――――――――――――――

 

「んー……」

 

 少女は、戦果の報告を待っていた。具体的には、テラフォーマーが唐突な乱入者、彼らをひっとらえ自分に『献上』する時をだ。

 

 こういう時に、いつも彼女はもどかしい気分になる。皆が頑張っているのに、自分一人、タネを巻いたら後は待つだけなんて。

 

 自分が今従っている人間はそんな事は気にするな、と言ってくれたが。

 

「ねー、どう思うかなぁ」

 

 彼女のライブホールと呼べるこの大部屋の頭上、ぽっかり空いた縦穴に向けて、彼女は暇を持て余すように、だがどこか心配そうに話しかけた。

 

 答えは、返ってこなかった。

 

 

「そこまでだぜお嬢ちゃん!!」

 

「ちょっ、よく見えな……ぎゃふっ!?」

 

 正確には、彼女が望んでいない明後日の方向から、返事ですらない何かが。

 

 それに反応して彼女が声の方向を向く。それは、部屋の天井に斜め方向に空いた太いパイプ状の水路だった。恐らく、洪水時に大部屋に水を流し込むためのものだろう。

 

 しかし、そこには誰もいない。

 彼女の反射能力はその声の主が既にそこから飛び降り着地した事を把握するには少し遅かった。

 

 

 目線を移したそこには、先ほどの青年が一人と、

 

「……えっと」

 

 ……顔面から着地したのかべちゃりと床に倒れている少女が一人。

 

 まさか、モロに水路を通って奇襲をかけてくるとは。だが、状況を把握した少女の周囲を守るものはいない。テラフォーマーは全て外に出している。

 

 青年、健吾の突撃を防ぐ事は――

 

 

「ごめんヘルプ!」

 

 瞬間、竪穴から人間が一人、流星の如く急落下し着地した。

 

 緑を基調とした、しかし光を反射し様々な色を放つ体皮に、両腕が鎌に変質した、少女と同じくらいであろう少年。

 流石に護衛はいるか、と新手を認識した健吾は即座に対応し、その腕の槍を少年に向け振るうが、しかし。

 

「なっ!?」

 

「悪いが死んでもらう」

 

 直後、少年は健吾の大槍の懐まで到達していた。その鋸刃の付いた鎌が、健吾の首に向けて振るわれ。

 

 

 

 

「……ってあれ? ミユちゃん? こんな所で何してるんですか!」

 

 

 その刃は、首を狩る直前でぴたりと止まった。

 健吾と少年、二人の視線は、それぞれの味方の方向へと向く。

 

 

「わ、私貴方の事なんて知らないアル、ミユなんて日本人な名前じゃないネー」

 

 起き上がり、少女の方を見て騒ぐ美晴。一方の少女は。

 

 露骨に動揺していた。冷や汗が額からだらだら流れ、必死に美晴から視線を外している。

 

 

「えっ……美晴、友達か何か?」

 

「知り合いなのか、美友(メイヨウ)?」

 

 

 男勢は何やら状況がはっきりとわかっていない様子である。

 健吾と少年は互いに首を傾げ、女子勢の推移を待つ。

 

 

「ほらやっぱりミユちゃんです! 非戦闘員と一般職員の戦いに参加できない同盟を結んだ仲じゃないですか!」

 

「ちがうもん! 知らないもん! ほら、ユルキ君も何か言ってやってよ! 知らない人ですって!」

 

 

「いや、俺が知らないのはそりゃそうなんだが」

 

 混乱してわけのわからない事をわたわたと言いだす少女、美友と至極全うな答えを返す少年、ユルキ。

 ……とりあえず、状況が収まりそうなのはこっちか、と健吾は判断し。

 

「ええと、とりあえず初めまして。俺、重森健吾。U-NASA第二支部の所属で……調査に来たんよ」

 

 槍が邪魔で手は差し出せないが、代わりとして槍の側面でこん、と少年の鎌に軽く振れる健吾。

 少年もまた、敵意が無い事を認識したのか、一度頭を下げる。

 

 

「これは失礼を。U-NASA本部補助人員、ユルキ・ハッカライネンと申します。彼女は同じく本部補助人員の秦美優。まさか同じ組織の人間とは思わず」

 

「いや、こちらこそ……」

 

 男子二人が紳士的な挨拶を交わす中、女子二人は未だぎゃいぎゃいと言い争っている。こちらの会話は聞こえていないようだ。一応話纏まったから、という空気になったその時。

 

「だから違うんだって! 私第七特務所属だもん! あなたが言うミユちゃんとやらとは違う所属だよ!」

 

「へぇーん! 第七特務ぅ? だったら戦えるわけないじゃないですか! はい論破!」

 

 

 レベルの低い言い争いを止めようとした健吾とユルキは、同時に別々の意味で凍り付く。

 

「……美友、お前は勘違いしている。我々は第七特務では無く」

 

 ユルキが少し目を泳がせながら、美友を窘める。だが。

 

 

 

「第七特務ってーと俊輝の就職先だよな……何でてめぇらみたいな腕利きのMO手術受けた連中がいる?」

 

 健吾の考えを止めるには、それは到底至らなかった。




観覧ありがとうございました!

 上月流、説明がわかり辛かったかもしれませんが簡単に言えばジョセフがやった発勁流しをあらゆる物理攻撃に適応できる、と考えていただければと……

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