深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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『主なる神は言われた』

『「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。』

『彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」』

 
『そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。』

 

『創世記』より


第102話 Project:Garden of Eden 楽園の実

 人類が作り上げた、とある叡智の話をしよう。

 

 

 積層造形装置。

 持って回った言い方を避け一般の名称で語るならば“3Dプリンター”と呼ばれるその機械は、現在の地球において広く一般に普及している技術の賜物である。

 

 

 その名の通り、紙に印刷するのではなく3次元の物体を作り出す。

 1980年代に原型が開発されたこの3Dプリンティングという技術は、技術が発展するにつれ様々な用途に用いられるようになった。

 

 大量生産に入る前の製品の大まかなサンプル作成。

 機械部品の複製。

 

 数えていけばキリがないものの、特にこの技術の恩恵が大きかった分野のひとつとして『医療』が挙げられる。

 

 最初期には、血管や臓器の精巧な模型が。

 

 その後には、生物の器官を作成する事までもが可能となった。

 ただの模型などではない。

 

 作り出す器官の『設計図』を用意し、培養した細胞を一層、また一層と積み重ねることで、生きている臓器そのものを作り出す。

 

 なるほど夢のような技術ではあるが、当然ながら簡単なものではなかった。

 感覚で十二分に理解できるだろうが、それを叶えるためのハードルは極めて高い。

 

 複数種類の細胞と数多の化学反応が絡み合う一部の複雑な臓器を作成するのは、生半可な技術では不可能だ。

 そのような臓器の完全な作成が可能となったのは、研究機関用の高性能機でさえ2100年代に入ってからの話である。

 

 

──この技術に、目を付けた人間がいた。 

 

 人間を品種改良しようなどと試みる、変わり者の集団。

 その黎明期の当主は、ある日こう考えた。

 

 精巧な三次元の模型が作れるようになった。

 生きている臓器が作れるようになった。

 

 ……では、その次の段階も可能なのではないか? と。

 

―――――

 

「クロヴィスッ!」

 

 腹を貫かれ崩れ落ちた部下の名を叫びながら、しかし俊輝は脚を踏み出せなかった。

 

 

「それで、()。どうだろうか、治療すれば行動は続けられそうかな?」

「いや、これは……もう無理だね。毒も、体中に……回っているようだ」

 

 理由は、眼前に広がった光景への警戒。

 クロヴィスに仕留められ倒れ伏した男と、クロヴィスを背後から刺し貫いた男。全く同じ外見をした二人が言葉を交わしているという状況に、無策で突貫することを躊躇われたのである。

 

「そうか」

 

 しかしその光景は長くは続かなかった。

 納得したように、オリヴィエは落ちていた槍を拾い上げ。

 

「この体も安くはないのだけど。残念だ」

 

 倒れ伏していた自分と同じ姿の男へと、突き立てた。

 

 

「こんにちは、諸君。そこの二人は初めまして……だったかな?」

 

 その一突きによって再生能力の中枢であるMOを破壊したのだろう。

 ぼこぼこと泡立ちながら崩壊していく自分自身の肉体を背に、オリヴィエは悠然と侵入者たちを見据える。

 

 

「私はオリヴィエ……君たちの暗殺任務の標的だとも」

 

 黄金比を体現したかのように整った体型、容姿。

 まるで神話の一節かのように、槍の一族の王は悠然と四人へと歩み寄る。

 

「どうぞ、お見知りおきを」

 

 ひらりひらりと、槍を持っていない左手を振るオリヴィエ。

 次いでの挨拶の言葉と、その姿が4人の視界でぶれるのは同時だった。

 

「……っ!」

 

 余計な問答を交わす暇など無いだろう、とでも言うように。

 ひゅ、という風を切る音と共に、オリヴィエの槍が4人の内最も非力な人間──エミリーの左胸を目掛け迫る。

 動作の起こりを悟らせない縮地にも似た歩法とニュートンの脚力を組み合わせた、瞬間移動としか認識できないような動き。

 

 

 

「アンタ、ニュートンの中でもとんでもない奴なんだろうけど……」

 

 しかしその長槍は、同系統にして相反する武器──短槍によって弾かれた。

 

「俺よりはまだ……遅い!」

 

 オリヴィエの攻撃を弾き軌道を逸らしたのは、変態したシロの腕に生えた口吻。

 自身の反応速度を超えた妨害に、きろり、と瞳だけを動かしたオリヴィエの視線がシロへと向く。

 

「今ですわっ!」

 

 しかしその視界の先にもはやシロの姿はなかった。

 代わりに飛び込んできたのは、自身へと放たれた粘液塊。

 

 

 殺せなかったとしても、自分が狙われている、と気付いたエミリーは慌てて退避するだろう。

 彼ら4人の中で唯一飛び道具を持つ彼女の動きを縛れば、戦局はこちらに傾く。

 

 そう予想していたオリヴィエは、エミリーが一切退避する姿勢を見せず反撃してきたことに対し微かに目を細める。

 少し、彼らを過小評価していたようだ、と。

 

 

 当のエミリーは自身を狙うオリヴィエの動きを十分に目で追えていたわけではない。

 ただ、確信がふたつあっただけだ。

 

 一番弱い自分が真っ先に狙われる。

 

「助かりましたわシロ君!」

 

 そして、絶対に自分を守ってくれる人がいる、と。

 

 だからこそ、心臓を引き裂かんとする槍が見えたとしても、彼女は一歩も退かずに自身の武器を放つことができた。

 

 

「さて、どうしようか──」

 

 地球の戦場をふたりで生き抜いた逃亡者たちの連携は、オリヴィエに退避を余儀なくさせていた。

 槍を錨として急停止すると同時、オリヴィエは鋭角を描いて左後方に跳びエミリーの放った粘液塊を回避する。

 

 重力に引かれ投げ出されたかのように揺れる手足。

 未熟な人形師に無理やり糸を引かれたマリオネットのような気味の悪い機動で跳ね、オリヴィエは再び戦士たちから距離を離す。

 

 さて仕切り直しだ、と状況把握の為オリヴィエが周囲を見回した瞬間。

 

「合わせろ健吾ッ!」

「オーライ!」

 

 まるで昆虫の大顎が獲物を挟み込むように、左右から長槍と刃が同時に振るわれた。

 着地した瞬間の体のブレ、僅かな隙を狙って放たれた必殺の布陣。

 

 

「困ったな」

 

 だが、オリヴィエは少し首を傾げただけであった。

 

 右方からコガシラクワガタの大顎を振るった健吾の目に、槍の穂先が映り込む。

 左方から至近距離にまで接近していた俊輝の目に、ボコボコと内から沸き立つ衣服が映り込む。

 

 

 刹那、瞬き一度の暇も与えず一本と十数本の槍が同時に放たれた。

 

「ちぃっ……!」

「マジかよ、えげつねぇ」

 

 右目を狙ったカウンターの刺突を避けるため、健吾は攻撃を諦め離脱する。

 わかっていた事ではあるが、槍術の練度が違いすぎる。

 

 オリヴィエの衣服を突き破り体内から生えてきた多量の槍を、俊輝は身を大きく捩じって回避した。

 かつてU-NASAでの戦いでその不穏な予備動作を知っていたからこそ、すんでのところで攻撃を諦める判断ができた。

 

 かくして、最初の攻防は互いに傷を負わない結果に終わった。

 

 

 四人が同時に戦闘態勢を取りオリヴィエの動きに対応できたのは、不幸中の幸いだったといえよう。

 

 同じ顔をした人間同士が会話している上、片方を殺しているという光景。

 それを目にして少しでも動揺を見せた瞬間、オリヴィエの槍はその人間の喉を刺し貫いていただろうから。

 

 

 そう、彼らは既に理解していたのだ。

 

 全く同じ顔をした、二人の人間がいる理由。

 目の前の魔物が、一体()であるのかを。

 

 

──Project:GoE。

 

 槍の一族(ゲガルド)の絶対の機密たる、『人が神へと至るための図』。

 その全ての始まりは2120年代……ニュートンの一族の黎明期に立ち上がった計画であった。

 目的は『一族最新の遺伝子の、効率的な保護』。

 

 

 当時の当主は、会合の場で強い懸念を一族へと訴えかけた。

 

 事はまだ興ったばかりだ。自分たちの研究は、数百年に渡り続くことになるだろう。

 

 自分たちの目的を成すためには、莫大な資金と世界各国の要人に対する繋がりが必要不可欠となる。

 そうして勢力が増すにつれて、必然的に敵も増えることになるだろう。

 

 そうなれば、破滅的な被害を受ける可能性は低いとは言い難い。

 

 品種改良した人間と言えど、空を飛べるわけでもなければミサイルを弾き返せるわけでもない。

 限度がある以上、不慮の事故や敵対者からの干渉による壊滅という最悪の可能性を考慮すべきだ……と。

 

 そうして皆を説得し彼自身が設計したのが『神殿』と呼ばれる施設だった。

 一族最新の肉体のクローンを作成し保管しておくための、強固に防護され隠蔽された地下研究所である。

 

 その最奥部に設置されたのが、二重螺旋を描く巨木を彷彿とさせる塔の如き機構だ。

 正式名称を“スーパーコンピュータ接続型積層造形装置”。

 

 空間中にある分子ひとつひとつの動きさえエミュレートできるほどの高度な演算機を3Dプリンターに接続して、彼らは何をしていたのか。

 

 

 

 

「人間をポンとプリントアウトしてるなんて、笑えねぇよ」

 

──その解答は、先ほどのオリヴィエの姿が示していた。

 

 冗談めかして言う健吾の額には、脂汗が滲んでいる。

 

 

 人体のクローンを高速で生成する装置。

 無数の水槽に並べられた、同じ顔、同じ体型の人間たち。

 

「そうかい? 大変便利で助かっているけれどね」

 

 しかし、である。

 それだけであれば、今オリヴィエと相対している彼らは、最初にその資料を見たノンナはそこまでの不快感を覚えなかったはずだ。

 

「ああ、それを便利って思えたんだとしたら、そりゃ便利だろうさ」

 

 健吾は吐き捨てるように呟く。

 仮に自分も同じことができたのだとしても、彼はとても実行しようなどと思えなかったから。

 

「……これまではよ、なるほどテメェがラジコンみたいに別の体を操ってんだ、って思ってたさ」

 

 彼が思い起こしたのは火星での記憶だった。

 脱出を目前としたところで襲撃してきた少年、マルク。

 地球に帰ってからの解析の結果、彼の脳には何らかの情報を通信していたと思わしき機械が埋め込まれていた。

 さらには、第三班の班員曰く健吾たちが相対した時の彼の性格はこれまで接していた姿とかけ離れていたのだという。

 

「どこかに本物が隠れて、ネチネチ陰湿にやってんだってな」

「ふむ、それは心外だ。こんなに苦労していたというのにね」

 

 意外なのか、不満なのか。

 酷く情動が小さいオリヴィエが何を思っているのかは健吾にはわからない。

 

「……ああ、その通りだ。てめぇは遠隔操作なんかしてなかった──」

 

 しかし、これだけは理解できた。

 感情が薄い、その程度で済むようなものじゃない。

 

 

「──全部の体に、それぞれ増やした自分をぶち込んでやがったんだからな」

 

 今自分が相対している人の形をした何かは、人間として当然の何かが欠け落ちている。

 

 

 

『既に生命の樹は獲得した。私が、それを思い描いた出発点の段階で』

 

 2100年代半ばのこと。

 当時のニュートン家当主、後にその座を退き槍の一族(ゲガルド)の当主となる男、オリヴィエ・ゲガルド・ニュートンはそう語った。

 

 古来よりヒトが求めて止まない理想のひとつ、不老不死。

 それを既に自分は手にしたのだと主張する男に、一族の人間は懐疑的な目を向け根拠を問うた。

 

 品種改良の傍らで、一族の人間たちは科学的アプローチから不老不死を叶えるべく、考えうる限りの手段を模索している。

 

 この時代でもっとも有力な手法とされていたのが『脳移植』だ。

 老いて病に蝕まれた肉体を、若く健康な身体へと移し替える。

 確かに、常人を超えた時を生き続けることができるだろう。

 

 だが拒絶反応など多くの条件を乗り越え脳を他者の体に移し替えたところで、肝心の脳そのものが劣化してしまえばどうしようもない。

 そもそもの話となるが、人間の品種改良を目的とする一族にとって自分より劣る器へと移るのは本末転倒だ。

 さらに言えばよりスペックの高い器は同じ一族の者が殆どであるため、不合理な共食いにしかならない。

 

 この方法は、彼らが望む形での不死という条件を十分に満たしてはいなかった。

 

 だが、また別の方法をかつて当主であったこの男は見出したのだと言う。

 どのような手法なのか、と期待と疑惑が合わさった彼らにオリヴィエが見せたのは、一基の機械だった。

 

 それは、脳の形状とそこに流れる電気信号のマッピング装置。

 早い話が、人間の記憶と人格データをコピーし保存しておき、他に上書きするための装置である。

 

 説明を聞いて、一族の人間たちはそれ以上詳しい話を聞くこともなく落胆した様子で場を後にした。

 これが『己のこの意識を他人に移し替える手段』であったならば、間違いなくそれは不死の領域だ。

 

 物質的存在ではない意識の移植が可能になるのだとしたら、まさしく人間は永遠を手にすることができるだろう。

 

 だが目の前の技術を用いたところで、『自分と同じ思考の存在が増えるだけ』に過ぎない。

 己が死ぬという事象に、それでは何の影響も与えられない。

 

 

 

 誰もが記憶からこの日の事を忘れ去った十数年後、オリヴィエ・G・ニュートンは命を落とした。

 ゲガルド家の当主として一族の会合に参加しようとしていた際、何者かに襲撃される形で。

 

 

 元当主が暗殺される。

 突如として一族を襲った事件は、彼が懸念していた『敵対者による一族滅亡の危機』を真に迫った現実として皆に認識させるには十分であった。

 

 この一件により一族が打撃を受けた際の保険の必要性は強く訴えられ、その役割を担うゲガルド家の発言力と『神殿』への予算投資は右肩上がりを見せた。

 

 

 ゲガルド家の当主にとって、『自分が殺された』という点を除けばどこまでも都合よく事が運んだこの事件の犯人は、未だわかっていない。

 

 

 

 そして、一族を揺るがせた事件の本当の顛末は、4人が見たデータファイルに記されていた。

 

「……その上で、わかんねぇ。聞かせろ」

 

 故に健吾がオリヴィエへと尋ねたのは、以後尋ねることとなる内容は、全て事実の再確認でしかない。

 

 

 

「おまえの“一人目”はなんで、クローンに殺されたんだ?」

 

 健吾の質問は、ただの時間稼ぎだ。

 それとも、もしかしたら心の底で少しでも期待していたのかもしれない。

 

「身勝手に増やされた恨みで、反乱でも起こしたのか? 人生が嫌になって、後は全部任せたって投げ出したのか?」

「……ふむ、そんなに理解しにくいのかな?」

 

 自分たちが見た資料の記載が間違いであったと信じたかった。

 このような存在が理解し難かったから、勘違いであったと思いたかった。

 

 

「老いた器ひとつを切るだけでこれだけのリターンが得られるなら、そうするだろう?」

 

 健吾がそうしたのも、当然なのかもしれない。

 他ならぬ親族たちでさえ、本家の当主でさえ、彼の本質を違えていた。

 そんなはずがない、と思い込んでいたのだから。

 

「合理的だと、思うのだけどね」

 

 己の人格をコピーして増やす。

 その技術自体は、他に例が存在しないわけではない。

 ゲガルドの成立から遥か後の中国において、とある上級軍人がMO技術と組み合わせることで用いている。

 

 そのコピーたちの自分以外の自分に対する認識は、『自分の別の可能性』というものだ。

 つまり彼らは、己と同じ記憶を持ち同じ能力を有した存在はあくまでも『限りなく自分に近いだけの他人』だと考えている。

 

 だから、時に不和が生じることもあるだろう。

 自分がオリジナルになり替わるため、自分は一人だけでいい。

 基となった人格によっては自分同士の殺し合い、などという悲劇に発展するのもおかしくはないだろう。

 

 

「そう、かよ」

 

 だが、違った。

 最初から、彼の最初の一人と彼から生まれ落ちた複製体の意見は一致していた。

 

 他ならぬ彼のオリジナルが、書き記していたのだ。

 

 自分自身を殺させるように。

 己と同じ記憶を持ったコピーが、実行するように。

 自分(・・)が神に至るための計画である、と称して。

 

 

 それが示すのは──

 

 

 

「別に『私』が死ぬわけじゃないからね」

 

──この男は、己の『個我』に一切の価値を見出していない。

 

 

 

 ……哲学的な問いになるが、『自分』を『自分』たらしめているものとは何であるのだろうか。

 記憶と肉体の完全な写身が目の前にいたとして、それでも己は眼前の存在とは違う人間だ、と考えられる根拠とは。

 

 明確な回答など存在しない問いであるのは承知の上。

 だがそれでも一つの解を挙げるとすれば、それは『個我』ではないだろうか。

 

 世界は誰の視点から観測されているか。

 たとえ何百何千という己の複製体が世界中に散らばっていたとしても、同時に世界各国の光景を見ることも、それに感動することもできないだろう。

 

 目の前に広がる視界の主は、今この文章を読んで「何言ってんのかわかんねえよ」などとため息をついているのは、他のどの複製体でもない一個体とそこに宿った心である。

 

 今こうして思考している、世界の中心点。主観的な視点の持ち主。

 それこそが、『自分』と呼ぶべきものなのではないか。

 

 

 

 納得できるかはさておいて、この理屈を踏まえた上で、とある話をしよう。

 男の親類が、かつて彼に尋ねた問題と、その解答に関する話を。

 

 

 

『目の前に、自分と全く同じ記憶と体を持ったクローン人間がいる。どちらかが死ななければならずその選択権が己にあるとしたら、どうする?』

 

 きっと、迷う人間はそう多くない。

 多くの人間が、相手を死なせる選択をするだろう。

 自分が死にたくはないから。

 

 少しの人間は、自分が死ぬ選択をするだろう。

 相手が死ぬのは可哀想だから。自分はもう生きていたくないから。

 

 

 どちらを選んだにせよ、その理由が何にせよ、選択した人間は同じ結論に至っている。

『目の前の存在は、自分に限りなく近いだけで自分ではない』。

 

 その価値が等価ではないと考えているからこそ、どちらかを選択できる。

 

 

 さて。

 この至極シンプルな問題に、男はこう答えた。

 

 

“どっちでも変わらないから適当に選ぶかな”

 

 ……と。

 

 

 

「……っ」

 

 健吾が、一段と表情を険しくする。

 再び思い返すのは、火星で最後の最後に立ち塞がった少年の器。

 

 

“初めまして”

 

 だから、こういう事ができる。

 自分の肉体ですらない器に意識を発生させられてなお、平然と自分ではない自分の目的のために命を落とせる。

 

 

“それではね……諸君”

 次に浮かぶのは、U-NASAで奴を仕留めた時の記憶。

 平然と己の死を受け入れ、再びまみえる事を前提にしたかのような挨拶。

 

 だから、こういう事ができる。

 彼にとって己の死は、死ではなかったのだから。

 

 

“この器も潮時のようだ。いい具合に使い潰し、地下に潜るとしよう”

 資料に記されたかつての当主は、己を殺す計画にそう書き添えていた。

 

 だから、こういう事ができる。

 計画の為に自ら死を選ぶ。それを殺される当の本人が『多少の損益である』という程度の認識で行える。

 ……彼にとっての自己の定義とは、主観の主である己自身ではないのだから。

 

 

 

──彼は既に、今もなお一族が求めている生命の樹を手にしていた。彼にしか認識できない、不死の在り方を。

 

 

 機械による肉体と自己意識の複製。

 各個体の脳に埋め込んだ高度な通信装置による、リアルタイムでの記憶情報の同期。

 

 ……そして、主観的な自我を持つ己ではなく、複製された総体を『自分』として認識する精神性。

 

 それこそが、ニュートンの深淵たる魔物の不滅性の所以である。

 

 

 技術が発展した今になってなお精神の転移ではなく複製を行っている理由は、至極簡単だ。

『自分と同じ記憶と思考を持つ存在』と『自分』は、完全にイコールで繋がる存在だと認識しているが故に。

 己の精神を複製し肉体に植え付け増やすという行いは、彼にとっては新しい手や足を生やす、そのような認識でしかない。

 

 

「さて、と。質問はそのくらいでいいかい? 長話に付き合わせてしまって申し訳ないね」

 

 伸びをするように上半身を細かく震わせるオリヴィエ。

 一方の健吾は、俊輝に目配せをする。

 

 稼いだ時間分の作戦案は立てられたか、と。

 

 敵に悟られないように小さく頷く俊輝。

 彼は、その間に今回の任務続行について結論を出していた。

 

 撤退すべきだ。

 これ以上の交戦は無駄だ。

 

 殺すことができたとしても滅びない。

『自己』という絶対の存在であるはずのものを、何の感慨も抱かず使い捨てることができる。

 

 目の前の存在は、肉体的にも精神的にもヒトの範疇にない魔物なのだ。

 

 だがその情報を得られただけでも、不滅性を支えているものの正体がわかっているだけでも、収穫と考えるべきだと。

 

 

「……成程。君たちはどうやら、私から尻尾を巻いて逃げようとしているらしい」

 

──クロヴィスをどうにか回収して、全力で撤退する。

 俊輝が目くばせで皆に意思を伝えようとしたのとオリヴィエが静かに頷いたのは、同時だった。

 

「だとしたら、どうする。お前に俺達全員を殺せるだけの強さは無い。違うか?」

 

 努めて冷静でいて、かつ強気に。

 俊輝がオリヴィエへと告げたのは、極めて妥当な戦力分析だった。

 

「やろうと思や幾らでもやれるんだぜ? 爺さん連れてトンズラこいた方が都合がいいってだけでな」

「挑発なら無駄ですわ! あなたは何度殺されても平気だってコト、わかってますの!」

 

「こいつらの言う通りでな」

 

 オリヴィエに食って掛かる健吾とエミリーを制しつつ、しかし俊輝はふたりの言葉を肯定した。

 先程の攻防で、わかった事がある。

 自分たち4人で挑めば、オリヴィエを殺すこと自体はできるだろう。

 

 しかし一方で、それは即座に成せる状況ではないのも事実だ。

 極まった槍術に加え、体内から突き出す複数の槍。

 守りに徹されたら、相当な時間を稼がれることは間違いない。

 加えて、犠牲者も無しに勝てるほど甘い相手とも考えていない。

 

 戦闘の末にどうにか殺せるだろう、というだけだ。

 一方で、いくらでも肉体の替えを用意できるオリヴィエはたとえ殺されたとしてもさしたる問題ではない──

 

 

「いいや、挑発とは違うのだけどね。ただ、今の私と相対しているというのは、君たちにとっても貴重な機会だ……という事だけは伝えておきたくてね」

「……なに?」

 

──はず、だった。

 オリヴィエの言葉は想定の外にあり、俊輝から思わず疑問が零れる。

 

「まあ知っての通り、基本的には別にいくら死んでも懐が痛むくらいなのだけど……今の私が殺されるだけは、すごく困る」

 

 普段彼が明確に感情を見せる時のような、どこか演技臭い態度ではない。

 そこには、小波程度の小さなものであるが、確かな情動があった。

 

 

「この肉体は、神の器だよ。何百という私を潰した末にようやく成功した傑作だ──こう言えば、伝わるかな?」

 

 オリヴィエの言葉が意味するところは、四人には読み取れない。

 ニュートンの最先端を行く当主の写し身。

 神の器とは、クロヴィスが仕留めたものと同じ、クローンで増やされたその当主の肉体を指すのではないのか? と。

 

「ああ、やっぱり。その反応を見るに、アレの中身を最後まで見たわけではないのだね」

「……そうだ。お前が何を言っているのか、俺達にはわからない。言葉の意味だけじゃなく、わざわざそんな情報を話す理由がな」

 

 確かに、オリヴィエが何を言っているのかはわからない。

 だが、言葉の意図だけはわかる。

 

『君たちにとっても貴重な機会』『今の私が特別』『神の器』。

 

 それらの言葉を正直に受け取るならば、オリヴィエは

『逃げない方がいい。今ここで自分のこの体を殺すべく挑むのが、君たちにとって最良の選択だ』

 と、そう俊輝たちに言っているのだろう。

 

 その内容はこうしてオリヴィエと相対する4人にとって有益な情報でしかない。

 そんなにも大切な体なのであれば、何も伝えず4人が帰るのを見送ればいいだけであるのに。

 わざわざ親切にもこの事実を伝える意味が、理解できなかった。

 

 

「それは確かにね。……体も暖まってきたし、丁度いい頃合いだろう」

 

 俊輝の疑問に、オリヴィエは疑問も尤もだ、と肯定を返し体を微かに沈める。

 大きく肉体を動かす前兆。

 

 跳躍、もしくは高速で駆け寄っての襲撃に備え、俊輝と健吾が武器を構える。

 シロとエミリーが、油断なく敵を見据える。

 

 

 

「簡単な理由だよ。私にとって益になるからこそ、今こうして伝えたんだ」

 

 だが、4人の警戒はほんの一瞬だけ杞憂に終わる。

 オリヴィエの体は彼らとは逆方向、大きく後方へと跳んだ。

 

 

 ゆらりと重量を感じさせない動きで宙を舞い、オリヴィエは壁際に並ぶ水槽、そのひとつの縁に(あやま)たず着地した。

 

 手にしていた槍を手放し、その場に捨て置く。

 それから彼にしては珍しい、力任せの動きで蓋を開き培養液の海へと手を入れ。

 

 

「年甲斐もない話で恥ずかしいのだけどね。私はどうやら、子供のように舞い上がってしまっているらしい」

 

 

 異形の槍を、中から引き抜いた。

 

「せっかくの貴重な機会に……試運転がしたくて堪らないんだ」

 

 鳥籠を縦に引き延ばしたかのような、金属が格子状に編まれた円錐型の大槍である。

 その内に閉じ込めるように充填されているのは、脈を打つ肉塊。

 

「まず、い」

 

 オリヴィエが飛び退いた瞬間には既に、4人は攻撃態勢に移っていた。

 

 場を包み込むのは、全体が底なしの沼に沈んでいるかのような息苦しく怖気の走る気配。

 激しく警鐘を鳴らす生存本能に従い、戦士たちは一刻も早くオリヴィエを仕留めんとする。

 

「今か今かと逃げる隙を伺っているようなものではなく……」

「何かされる前に──」

 

 だがその突貫は間に合わない。

 星を掴もうとした手が空を切るのと同じくらい当然に、必然に。

 

 

 

「必死に、命を懸けて挑んでくる人間を相手にしてね」

 

 手に握った新たな槍の重量を確かめ、どこか満足げに頷き。

 オリヴィエは懐から変態薬を取り出し、己へと打ち込んだ。

 

 

 

 

 

「さて、観客が少ないのは寂しいが。どうか諸君、万雷の喝采を」

 

 変質が、始まる。

 

 脊椎から延長されるように、生体器官というよりは機械的な印象を与える尾が一本、伸びる。

 彼が宿したもう一つの手術ベース、その外見的特徴でもある器官が。

 

 

 

 そして、これまで押さえこんでいたものが溢れ出すかのように、オリヴィエの肉体のいたる箇所が波打ち泡立ち、その姿を変える。

 

 

 背から生えた肉塊が脈動し形を変えていくそれは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 燕の、梟の、鷹の、鷲の、鵯の、駒鳥の、鴎の、鸚鵡の、鵜の、鶉の、鶯の、鵲の、目白の、鴨の、川蝉の、雉の、鵠の、鸛の、鷺の、鴫の、雀の、鵆の、鶸の、鶫の、鶴の、鳩の、雲雀の、鵯の。

 

 

 

 蜻蛉の、虻の、蠅の、蜉蝣の、蛾の、蝶の、蟷螂の、螽斯の、螻蛄の、鍬形の、蟋蟀の、蜂の、玉虫の、七節の、飛蝗の、蛍の、椿象の、天牛の、蚊の、水黽の、金亀子の、筬虫の、蟻の、蝉の。

 

 羽の一枚一枚が別種の生物のもので構成された、一対の異形の翼。

 

 

 

 腰を突き破り複数生えるのは、頭足類のそれを彷彿とさせながらも先端に人間の手が形成された奇怪な触手。

 

 両腕をびっしりと覆う、体内から析出したと思われる赤茶の所々に黒が混じる金属の欠片。

 

 分裂を繰り返す無数の瞳がぎっしりと詰まった、異形の左眼。

 

 

 それらの肉体の変質と呼応するように、彼が携えた格子状の槍の隙間から零れ出すように肉塊が増殖し続ける。

 

 

 

 

 言うまでもなく、単一の生物の特徴などではない。

 無数の生命体から体組織を剥ぎ取り合一したかのような、禍々しい躯体。

 

 その姿は、邪教の神像を彷彿とさせた。

 

 

 

 

『型も手術難易度も生存率も度外視した、数えきれない回数のMO手術による能力の複合体』。

 

 ニュートンの強靭な肉体が耐えられるからこそ可能とする、無謀極まりない試み。

 それこそがこの世界を喰らわんとする怪物の能力の正体である。

 

 

 役職上、MO手術の中でもさらに表沙汰にできない応用技術について知る俊輝とシロは、オリヴィエの力をそう推察する。

 

 

 

 

 

 

 

 否。

 

 

 彼らの認識は部分的に真実を突いていたが、しかし決定的な箇所で違えていた。

『無数の能力を宿しているという眼前の現実がある以上、無数の手術を繰り返したに違いない』と。

 

 だがこの姿を見て、誰が即座に荒唐無稽としか言いようがない事実へとたどり着けるだろうか?

 

 

 

 

 目の前の悪夢のような光景の全ては、一度の手術で組み込まれた一種の生物を核としたものであると。

 

 

 

「再び、全てをここから始めるとしよう」

 

 神の泥人形が、ゆらりと動く。

 

『既に生命の樹は獲得した。私が、それを思い描いたその出発点の段階で。だが、それでもまだ足りない』

 

『私は、もう一つの生命の樹を手に入れなければならない』

 

 

 己が手にしたその力が、真に到達点へと届き得るものなのか確かめるために。

 

 

 

 

 

 

――――生命の果実。

 

 M.O.技術によって神へと至るための最後の1ピースとなる生物を、槍の一族の王はそう呼んだ。

 

 その起源は人間よりも遥かに古く。

 その体構造は、人間よりもはるかに原始的かつ単純である。

 

 だが彼らは、我々人間の常識から見れば特異な性質を数多と有していた。

 マクロの世界を生きる生物とは法則からして全く異なる、ミクロの環境で繁栄するために。

 

 

 それは例えば、『分泌装置』。

 彼らは体内で合成した物質を複雑に編み、無数の槍を生成する。

 身体から突き出し標的を貫いて毒を打ち込むそれは、彼らの餌といえる相手だけではなく、時に競合相手との生存競争にも用いられるのだという。

 

 

 それは例えば、『遺伝子の水平伝播』。

 彼らはある時には生命の設計図を他者と交換することで、またある時には環境中に遊離したそれを取り込むことで、世代を経ることすらせず己の形質を変化させることを可能とする。

 

 

 

 

 およそ、600年前。

 彼らの生態について、とある研究成果が報告された。

 

『極小の分子機械を用いた競合相手の殺傷』。

『環境中からの遺伝子の取得』。

 

 二つの特性を発現するための遺伝子は、いずれも特定の環境条件を引き金として同時に制御されるようになっている、と。

 

 この研究結果が示す事実とは。

 

 

――『周囲の敵対者を殺戮し、その遺伝子を喰らい取り込み自らを変異させる』という一連の過程を、彼らは能動的に行っているということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「原初の海より芽吹き、星の隅々へと広がった大樹の枝葉」

 

 

『生命の樹』。

 

 旧約聖書においてエデンの園の中央に生えた、喰らえば不死の存在となる果実を実らせる樹。

 

 

 

 

「その遍くを束ね──」

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──私が、唯一絶対の神と為る」

 

 

 

 生物学において、系統樹を示す語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエ・ゲガルド・ニュートン

 

 

 

 

 

 国籍:?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 529歳 28歳 0歳 ♂  190cm 97kg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 専用装備:生体器官複合型重機械槍『ペルペトゥウム・セフィロート』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               +

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脳神経接続型量子通信装置『定足感知(クオラムセンシング)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            MO手術"哺乳類型"

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――ヒト―――――――――――――――

 

 

 

 

 

――――――――――発生初期胎芽

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 +

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

            αMO手術―――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 "細菌型"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――ビブリオ・コレラ―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――知恵の果実(ヒト)

 

 

 

 

 

―――――生命の果実(ビブリオ・コレラ)

 

 

 

 

 

 

――淵澱の造物主(オリヴィエ・G・ニュートン)萠芽(ジャーミング)




ご観覧、ありがとうございました。
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