深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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大変遅くなりました最新話です!!


第103話 穢殿の王

 ビブリオ・コレラ

 学名『Vibrio cholerae』

 

 コレラ菌と呼ばれるその生物は、MO手術の分野において高度な技術を持つ国々が一度は検討した種である。

 人類の歴史に幾度となく姿を見せ、多くの命を刈り取っていった疫病の主。

 しかし、この生物が採用された実例は存在しない。

 

 結論から言えば、生物兵器として用いるにはその毒は致死性で少々劣っていた。

『細菌型』を手術べースとして用いる理由『広域へ毒素の散布を行う生物兵器』として運用するには、より優れた種はいくらでも存在している。

 それ故にいずれの国でも検討段階で却下され、実際に手術を施すまでには至っていない。

 

 各国のMO技術発展史という観点でこの生物を語るとすれば、それだけ。

 

 だが──

 

 

 

 

「何もさせるなッ!」

 

 再び戦いの火蓋を切ったのは、俊輝の怒号だった。

 眼前の怪物が何を宿しどのような力を持っているのか、一切は不明だ。

 だが、隙を与えれば必ず最悪の結果が待ち受けていると断言できる。

 

 そのような相手に対する対処法は、至極シンプルである。

 

「……おう!」

 

 何一つ行動を許さずに殺す。

 その言葉を受けて、あるいはそれより以前に、三人は動いていた。

 

 健吾と俊輝が正面から、シロがその機動力によって死角である斜め後方に回り込み、エミリーが後方に控え支援の構えを。

 

 オリヴィエはそんな彼らの行動に対して、明確な迎撃の姿勢を取らなかった。

 ただ時間に任せて、距離を詰めてくるのを待つだけ。

 

 最初に到達したのは、健吾が繰り出したコガシラクワガタの大槍であった。

 

「おや、元気だね」

 

 オリヴィエは彼らの殺意を避けず、されるがままに攻撃を受けた。

 右腹を槍が貫徹し、勢いは止まらずそのまま背に抜ける。

 

 次いで、俊輝の刃が首に。

 オリヴィエの回避行動を想定した振るわれたそれは逆に本来の狙いを逸れ、斬首ではなく肩から右胸にかけてを引き裂くだけに留まる。

 無論、ただの人間が受ければ致命傷である。

 

 

 同時に、俊輝とは逆──左胸を背から一閃が貫いた。

 背後に回ったシロの、シオヤアブの口吻による刺突である。

 獲物の急所を一撃で刺し貫き絶命させる暗殺者が如き手術ベースの生態と同じように、それは人間の生命活動の中枢を確かに破壊した。

 

「……成程」

 

 絶命に至るだろう肉体損傷を三か所。

 それでも油断なく、一歩二歩踏み込めば追撃を浴びせられる距離を保っての包囲を維持し、後衛には行動を縛ることができる射手が控えている。

 

「素晴らしい」

 

 その状況に、オリヴィエは無感動の中に微かな恍惚を感じさせる声で呟いた。

 それは、一瞬にしてこれほどまでに人体を破壊して見せた敵対者たちへの賞賛か、己自身の力への評価か。

 

「ッ……!」

 

 俊輝は、それを後者だと判断した。

 瞬間的な攻防に置いて確かな優位を取っているはずなのに、本能が死の気配を嗅ぎ取っている。

 それに従い、彼は包囲の構えを解く判断を下す。

 

「健吾ッ!」

「お……ぐえ!?」

 

 健吾の襟首を掴み無理やりに引きずり、全力で退避。

 

 オリヴィエの腹部……俊輝が刃を突き立てようとした部位が不気味に蠢いたのは、瞬き一度にも満たない後だ。

 その微かな予備動作を置き、無数の槍が腹部より出でて俊輝がいた虚空を刺し貫く。

 

「最初からあのオッサンより速ぇし、今はもっと速くなってやがる……!」

「ああ、ロドリゲスの事かい? 彼に移植したのは完全じゃなかったけれど……直接戦って生き延びているのなら、なかなか凄いことかもしれないね」

 

 どっと冷や汗を流す俊輝に、オリヴィエは穏やかにゆるゆると賞賛を伝えた。

 その身から突き出た無数の槍を、体内へと引き戻しながら。 

 

 

──“コレラの魔槍”。

 幾度となく接近を拒み近接戦闘の間合い悉くを制圧するオリヴィエのそれは、細菌の多くが持つ“分泌装置”と呼ばれる構造体を人間サイズに拡大したものである。

 

 体内のタンパク質を合成し、彼らは無数の槍を作り出す。

 種によっては菌体以上のサイズに伸張するそれは細胞に孔を開け毒を送り込み、感染を効率的に成す手段として用いられている。

 

 しかし、いくつもの種類に分類される分泌装置の内一つ、コレラ菌より発見された“Ⅵ型分泌装置”はそれだけではない。

 

 その用途は“感染”ではなく“交戦”。

 

 生存競争におけるライバルである他の細菌を殺戮するため、さらには捕食者に対抗するため、対真核生物に最適化されたものさえ存在する。

 

 

 

「では、諸君……とても身勝手なお願いで悪いのだけどね」

 

 警戒を露わにする戦士たち。

 そんな四人を他所に、オリヴィエはのんびりと言葉を紡ぐ。

 

 

「すぐには壊れないでもらいたいな」

 

 刹那。

 オリヴィエの姿は四人の視界から消えた。

 

「……上ですわ!」

 

 真っ先に気付いたのはエミリーだった。

 動体視力や反射神経に最も劣る彼女だが、高速で動き回る人間についてはこの中の誰よりも見慣れている。

 だから、微かにも目で追うことができた。

 

 視線誘導を用いたニュートンの歩法ではない。

 シロの“セフェノミアヒツジバエ”のそれにも比肩する単純な速度で、オリヴィエが跳躍したのを。

 

「楽しませてくれたまえ」

 

 MOベース、細菌型“ブデロビブリオ”。

 他の細菌を捕食する彼らの狩りは、加速しての体当たりを用いて行われる。

 その速度は、一秒間に体長の約115倍の距離を移動する程だという。

 

「く、そっ……!」

 

 仕掛けてきた、という予備動作すら見えず、次の瞬間オリヴィエは俊輝の眼前へと降り立っている。

 だがその強襲にも、俊輝は応じてみせた。

 高速の機動を武器とする特性相手に慣れていたのが幸いした。

 闇MO手術の被験者は、コストと難易度の面で比較的負担が軽く、純粋な肉体強化の恩恵が強い昆虫型や節足動物型が多い。

 そのため、怪力や俊足といったシンプルな特性は隊員教本にも記された仮想敵だ。

 

 敵の動きが目で追えなくなったと認識した瞬間に、横に大きく跳ぶ。

 加速を乗せ付き込まれた槍を教本通りの紙一重で避け、俊輝はその腕の刃でオリヴィエの首を狙う。

 

「おや、これは中々」

 

 だが俊輝の刃、カミキリの大顎はオリヴィエの右腕で止められた。

 掴み取られたわけではない。腕をびっしりと覆っている赤茶色の金属層によって切断を阻まれたのだ。

 

──MOベース、細菌型“ガリオネラ”。

 『鉄バクテリア』と呼ばれる内の一種であるその細菌は、鉄イオンを素材として酸化鉄の殻を生成し纏うことで知られている。

 

「……頼む!」

 

 オリヴィエがその手に持った異形の大槍を振りかぶったのと俊輝が叫んだのは同時だった。

 

 最初に答えたのは、オリヴィエの顔目掛けて飛来する白の弾。

 エミリーが放った“バルバドスカギムシ”の粘液塊である。

 

 そして回避を試みた魔物を挟み込むように、健吾とシロ、前後から挟み込むように長短二本の槍が──

 

「惜しいね」

 

 

 届かない。

 

「がっ!」

「ぐ……!?」

「きゃ……!?」

 

 突然の鋭い痛みに、俊輝以外の三人が呻く。

 何が起こったのかと彼らが痛みの個所を見れば、そこには金属片のような何かが突き刺さっている。

 

──MOベース、細菌型“マグネトスピリルム・グリフィスワルデンス”。

『マグネトソーム』と呼ばれる鉱物を体内に生成する細菌。

 ガリオネラの殻と同じく酸化鉄、もしくは硫化鉄を主成分とするそれらは磁性を帯びた天然の磁石である。

 

「っ……そいつを早く引き抜いて──」

 

 俊輝は状況からある事実に気づき、咄嗟に警告する。

 鋭利な金属片ではあるが、人体に突き刺さる威力を持つにはある程度の速度が必要だ。

 そしてオリヴィエは投擲の動作などは行わずにそれを行った。

 

 力任せ以外での、金属の高速射出。

 それを可能とする原理に、覚えがある。

 

「残念だけど、一手遅いね」

 

 警告は間に合わなかった。

 オリヴィエの体を中心にバチリと光が走り、再びの苦悶の悲鳴が実験室に響き渡る。

 

──MOベース、細菌型“シュワネラ・オネイデンシス”。

 代謝を行う際に電流を発生させる細菌。

 嫌気性細菌のいくつかが持つ特性であるが、この種は比較的多量の発電を行うため、燃料電池の素材として研究されているという。

 

 

「て、めぇ……!」

 

 仲間を無力化され、自身も傷を負い。

 俊輝は、それでも喰らい付かんとする。

 

 思考が徐々にままならなくなってきている。

 ふとオリヴィエを見れば、その体の所々が、緑色を帯びている。

 そこから、何らかの気体が散布されているのが見えた。

──MOベース、藻類型“アナベナ”。

 

 まだ体は動くはずだ。俊輝はどうにか戦意を奮い立たせ、オリヴィエを睨み刃を振るおうとする。

 だが、その意思とは真逆に、腕が動かない。

 オリヴィエの腰から生えた触手が、俊輝を縛めていた。

──MOベース、軟体動物型“テナガダコ”。

 

 どうにかそれを振り払い放った一撃は、悠然と回避される。

 まるで、俊輝の動きがスローモーションにでも見えているかのように。

──MOベース、哺乳類型“ハツカネズミ”。

 

 

 

 ……細菌型は、MO手術の中でも極めて難易度が高い系統である。

 単細胞、原核生物という人間からかけ離れた体構造は、人間の肉体に組み込むに当たって多くのハードルを乗り越える必要がある。

 実用化にこじつけた中国でさえ、手術ベースとして引き出せた能力は毒素の産生と散布のみであった。

 

 実際、細菌の持つ力と言って多くの人間が思い浮かべるのも“病原性”だろう。

 現行の技術水準ではそれ以上は望めないし、実現性も無い。

 

 では、それ以上(・・・・)とは一体何なのか。

 回答は、俊輝の眼前に立っていた。

 

 

“自然形質転換能”“遺伝子の水平伝播”。

 周囲の生命体を滅殺する毒の槍は、その特性の準備段階に過ぎない。

 

 人間を始めマクロの世界を生きる生物にとって、進化とは基本的に世代交代を経て初めて起こる事象である。

 親個体から受け継がれた遺伝子が混ざり合い時に変異し、良し悪しは別として新たな形質を獲得する。

 そうして多くの世代を重ねて初めて、明確な変化が訪れる。

 

 だが、ミクロの世界の生命体は違う。

 彼らは環境中から取り込んだ遺伝子を己に組み込み、世代を経ることすらせず形質を変化させる。

 例えばそれは薬品への耐性であったり、毒素の生産能力であったり。

 

 そして、一部の細菌は『特定の物質がある場合、周囲の細菌の殺害と同時にDNAの取り込みが行われるようにする』というように、遺伝子発現の条件を組み合わせる事によってそれを能動的に行い自己を変質させる。

 

 もしこの力を、人間に組み込むことができたのであれば。

 

 

「……さて。手間取ってしまったけれど。そろそろ幕引きにしようか」

 

 抵抗の術を失った俊輝に、一歩、また一歩と終わりが近付いて来る。

 戦意は失っていなかったが、勝利の図は見えなかった。

 オリヴィエはただ無感情に笑い、槍を突き出そうとし。

 

「ッ……オオオォォ!」

「お、や……?」

 

 その胸から、一本の槍が生えた。

 コレラの槍ではない、昆虫の口吻である。

 オリヴィエが首だけをほぼ180度回転させ、背後を見る。

 

「どう、だ……化物……」

 

 そこには、痺れからどうにか立ち直り立ち上がった、シロの姿が。

 彼の繰り出したシオヤアブの槍は、オリヴィエの胸部中心を穿ち抜いていた。

 人間であれば、間違いの無い致命傷。

 一方で極めて高い再生能力を有するMO手術被験者であれば戦闘を継続できる程度の損傷。

 そしてオリヴィエは、それに該当する手術ベースたる知恵の果実(ヒトの胎芽)を身に宿している。

 

 高速の肉体修復を可能とする一部手術ベース相手では、握りこぶし大の貫通孔程度ではその命を穿つ事など叶わない。

 これまで幾度となく傷を修復された時と、同じように。

 

「……獲ったぞ」

 

 だが、例外が存在した。

 オリヴィエの動きが、止まる。

 反撃を警戒し即座に離脱しながらも、シロは己が与えた一撃に確かな手ごたえを覚えていた。

 

 通常の人間ではそこに存在し得ない臓器を、突き破った感覚だ。

 

「お前の、ホンモノの心臓だ……!」

 

 αMO。

 不死に近い再生能力を持つMO手術被験者にとっての生命中枢は、心臓ではない。脳ですら、破壊してもその命に届かない場合がある。

 だが、その不死性を維持している核たる部位を潰してしまえば。

 

「……」

 

 戦場に一時の沈黙が訪れた。

 ぽっかりと胸に空いた穴を、オリヴィエは呆然と見つめる。

 その表情に情動は無かったが、所作には微かながら驚きのようなものがあった。

 そして、戦士たちにとっては祈るような数秒の間を置き。

 

 

 

 

 

 

 

 その穴は、映像を逆に回したかのように塞がった。

 

「──は?」

 

 誰かが、呆然と言葉を吐いた。

 

「……ふむ。丈夫さにかまけて動きが雑になってしまっていたかな。年甲斐も無くはしゃぐのは程々にしないとね」

 

 以降、オリヴィエの肉体に一切の変化は無い。

 死を迎えるわけでもなければ、過剰変態によって細胞が暴走している様子も見られない。

 先と変わらない、十全のまま。

 

 

「これは、ダメだ」

 

 最初に目の前の現実を受け入れたのは、健吾だった。

 

 何が起こったかを説明するのは簡単だ。

 破壊したαMOを再生された。

 

 ただ、そんな事は起こり得ないはずだった。

 ごく一部の例外こそあれど、基本的にどれだけ再生能力が高かろうとMOは再生できない。

 髪を染めても新たに生えてくる毛の色は変わらないのと同じだ。

 それがMO手術という技術におけるある種の限界であり、MO手術被験者の逃れられない弱点である。

 

 ではどうして、MOは再生できないのだろうか。

 簡単な話だ。

 人間という生物の設計図に、後付けで移植した臓器の情報は保存されていないからである。

 奇跡的なレアケースを除き、MOや手術ベースの因子は親から子に継承されないところから、その事実が伺えるだろう。

 

 ならば、目の前の光景は何故その事実を裏切っているのか?

 それもまた、簡単な話だった。

 今までの交戦から得られた幾ばくかの情報と、ノンナから共有された研究資料。

 彼らが得た知識から、答えは必然と導きだせた。

 

 

「……MOを完全に自分のモンにしてやがる」

 

 オリヴィエの肉体は、既にMOを“元々肉体に存在してしかるべきもの”として取り込んでいるのだ。

 αMO手術ベース、細菌型“ビブリオ・コレラ”。

 

 

 その真価は、ただMO能力を取り込み多種多用な力を行使できるようにするだけではない。

 外来の遺伝子を己の一部として完全に融合させ、合一する部分にある。

 MOですら例外ではない。

 

 生物の特性を“後付けの武器”としてではなく“己そのもの”として取り込む能力。

 地球に遍く拡がる生物たちの力を統合し、究極の一種として再誕する権能。

 

 それこそがニュートンの異端者が見出した、MO技術で神に至る手段の回答“生命の果実”である。

 

「……MO能力の発現に必要な遺伝子量は想像以上に少ない、というのは知っているかな?」

 

 戦意を砕かれ、シロが後ずさる。

 殺し合いの場とは思えない程穏やかに、魔物が微笑む。

 もはや、勝負にすらなっていない。

 

「つい最近、日本の研究書でも同じような話があるらしくてね。ある種の細菌に由来するDNA合成酵素を用いれば、他者との僅かな身体接触で得られたDNAサンプルを用いるだけでその相手の特性を発現できる、とかね」

 

 オリヴィエにとっては最初からそうだったのだと、俊輝は気付いた。

 この男は、自分たちと戦ってなどいなかった。

 実験動物を相手に薬品を弄り回し試行錯誤する以上の認識を、オリヴィエは抱いていない。

 

「ならば──その力を十全に用いられる生物を使えば……こういう事ができるのは、必然だと思わないかい?」

 

 オリヴィエが、腕を差し出す。

 その腕から、一本の刃がメキメキと音を立て生えてきた。

 俊輝の腕から生えているものと、寸分違わぬ虫の大顎である。

 

 それが体に溶けていき、次いで生えてきたのは大槍。次いで、小槍。

 俊輝と共に今戦っている、戦友たちの武器だ。

 恐らく、攻撃を受けた時に遺伝子を取り込んでいた。たったそれだけの接触で、特性を複製することができる。

 

「……君たちのおかげで、良い実験ができたよ。感謝しようとも」

 

 最初から、規格が違うのだ。

 生命を喰らい、自己の能力を拡張し続ける魔物。

 俊輝たちが今相対している存在は、肉体も精神性も、もはや人の範疇に無い。

 

「さて、長話に付き合わせてしまってすまないね。ここまで付き合ってくれたお礼として、クロヴィス君共々痛みが無いように……」

 

 慈悲に満ちた声で、無表情で、オリヴィエは一歩、また一歩と俊輝に近付いていく。

 今度こそ、抵抗の術はなかった。 

 

 罪人を処刑するかのように、あるいは神託を下すかのように、肉塊を詰めた異形の槍が向けられる。

 

 そして──




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