深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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お久しぶりです、第104話です!


第104話 兆し

――それ(・・)に気付いた一般人は、どれだけいただろうか。

 空の一点の、またさらに狭い一点。

 そこに、ごく小さな光が瞬いた。

 

 ただそれだけでは何が起こったのか理解しようもない、一瞬の変化。

 これが、今日この日より世界全てを巻き込むこととなる嵐の兆しであったなどと、今はまだ誰も知らなかった。

 

―――――

 

 脈打つ肉塊を閉じ込めた異形の槍が、視界を覆っていく。

 

 近付く死に、俊輝は小さく溜息を吐いた。

 酷く、退屈そうな呼吸だった。

 

 彼の脳裏を埋めるのは、恐怖という感情だ。

 だがそれは、今から己に待ち受けている運命に向けてではない。

 

 己の死にさえ、然程の感慨も浮かばなくなってしまった自分自身の精神性に対してだった。

 とある人間の姿が、ふと浮かぶ。

 度重なる死線に研磨され、命に対する認識が擦り切れてしまった魔人。

 彼女は自分と同じく、邪教により人生を捻じ曲げられてなお生き続けた果てにああなったのだと、地球に戻ってから知った。

 

 心底恐ろしかった。自分もいつかああなってしまうのかと震え上がった。

 だからそうはなるまいと、確かに誓ったのだ。

 なのに。

 

 ……慣れすぎたな。

 

 諦め混じりに、呟く。

 それを最後に、俊輝は目を閉じ最期を受け入れ──

 

「させんぞ……!」

「おや?」

 

──怒りの籠った声が、死出の旅に歩み出そうとした俊輝を引き留めた。

 状況の変化を察し反射的に目を開けば、振るわれようとしていた大槍が、その主であるオリヴィエが、随分と遠のいている。

 

「隊長、皆様と共に撤退を。数分であれば、稼いでみせましょうぞ」

 

 回避行動として飛び退いたのだ。

 オリヴィエの行動の意味を察すると同時、では何故いま回避を? という疑問に答えたのは掠れた声だった。

 

「クロヴィス──」

 

 脇腹を庇いながら自分とオリヴィエの間に割り込んだ姿を見て、俊輝の目に光が灯る。

 だが、それも一瞬だった。

 

「ご覧の通りです。長くは保ちますまいな」

 

 脇腹に空いたいくつもの穴からは血が流れ続けている。

 銃と毒針を構えている手も、その体もふらりふらりと揺れている。

 俊輝の危機を救った部下の姿は、今にも朽ち果てそうな満身創痍としか言いようがなかったからだ。

 

 長く保たないというのは、稼げる時間だけではない。

 彼の命そのものの話だと、一瞬で察せてしまった。

 

「どうぞお気遣いなく。独断先行した懲罰部隊の隊員なぞ、切り捨てるのが道理ですぞ?」

「っ……」

 

 素早く周囲に目線を散らせば、健吾たちはふらつきながらもどうにか体勢を立て直している。

 このまま戦っても勝機はない。だが、オリヴィエの足止めさえできれば退路は確保できるかもしれない。

 ならば、戦術的に取るべき最適解は、一体なんなのか?

 

「無為に敗北し部下を見捨てて逃げるリーダーに、復讐の完遂を捨ててまで尽くそうとする部下。ああ、実に私好みだ。年を取ると涙腺が緩くなっていけないね。このままでは、君たちを見逃す気になってしまいそうだ」

 

 わざとらしく悠然と語り、制限時間を急かすように歩み寄ってくるオリヴィエが、答えを述べる。

 クロヴィスを後詰めにしての撤退。逃亡。

 それが現状における、最悪の中の最善だ。

 

「ほら、クロヴィス君が作ってくれた時間を無駄にしてはいけない。合理的に考えて、彼の言う通り逃げるのが正解だよ。クロヴィス君がただ殺されるだけで済むかは私次第だけど……君たちが逃げられたという結果には、何の影響も及ぼさないからね」

「……くそっ」

 

 相手の狙いはわかっている。言葉に反して、自分たちをこの場に留めさせるためだ。

 こちらが取るべき有効な選択をあえて肯定してみせ、反逆心と掌の上なのではないかという不安を煽る。重ねて、その選択を取り辛くなるであろう情報を開示して、意思をくじく。

 

 だがそんなものに乗ってやる程、皆の命は軽くない。

 俊輝が経たずハンドサインを下せば、苦渋の表情を浮かべる健吾が、エミリーに肩を貸しているシロが、早足で来た通路へ向けて駆けていく。

 

「クロヴィス……悪い」

「お構いなく」

 

 そうして、最後には俊輝も。

 オリヴィエと対峙するクロヴィスに小さく頭を下げ、背を向ける。

 自分は無様に逃げ出すのだ。

“復讐を果たさせてやる”という約束で入隊させた部下を裏切って。

 クロヴィスが己の罪だと語る独断先行は、言うほどの重いものではない。

 最初から、任務より己の復讐を優先すると聞いた上で、彼を迎え入れていた。

 にも拘らず、彼の温情に甘えて切り捨てる事しかできない。

 そのみっともない選択こそが、今できる最善だった。

 

「いいね。君も良い具合に仕上がってきたじゃないか。アポリエールの皆もきっと喜んでいるだろう」

「……」

 

 しかし、俊輝の足はオリヴィエの言葉で縫い留められる。

 アポリエール。自分の人生を捻じ曲げた、宗教団体の名前だ。

 こちらを弄ぶための戯言でしかない。惑わされるな。

 唇をきつく噛み、俊輝は逃げるための足を踏み出そうとする。

 

「私がどうして君を見逃してあげようと思ったか、わかるかな? 哀れな彼らに代わって、彼らが大事に暖めた神の卵がどれだけ成長しているか、見届けるためだよ」

 

 そこでもう一本の言葉の槍が、俊輝の足を貫いた。

 

「素晴らしい。まだ粗削りではあるが、確かに君は彼らが目的とした存在に近付いているよ。今回の選択で、また一つ磨き抜かれていくわけだ」

 

 さらに加えられたもう一本が、トドメとなる。

 戦い続けた果てに人間性が削ぎ落とされた怪物。

 それはつい先ほどの死の間際で恐れた、己が至る結末の姿だ。

 

──ここでクロヴィスと共に殿(しんがり)を務めるのが、人間として死ねる最後のチャンスなのではないか。

──今クロヴィスを見捨てて生き残ってしまえば、自分は何か違うものに代わってしまうのではないか?

 

 足が、止まる。

 ポケットの変態薬に、手を添える。

 

「それですぞ、隊長。そんなザマでよく無法者共の隊長が務まりましたな。不肖の部下を見捨てることにすら抵抗を覚え死地を選ぶなぞ、甘ったれとしか言いようがない」

 

 再び戦いに臨もうとした俊輝を制したのは、クロヴィスの罵倒めいた言葉だった。

 それの何が悪いんだ。

 望んで隊長になんてなったわけじゃない。そうするしかなかったんだ。

 

 もう、堪えているのも限界だった。

 子どもの駄々のような反論がいくつも浮かび、俊輝は情動のままに吐き出そうとする。

 

「……そして、そう考えられる瞬間があるならば──貴方はまだ、怪物ではなく人間として生きていける」

「──」

 

 だが、できない。

 クロヴィスは眼前のオリヴィエに、背後の俊輝に、最後に自分に、順に目を向けていた。

 そうして放たれた言葉は、いくつもの実感が重なっているように思われた。

 

「どうぞ、存分に後悔してくだされ。泣き喚いて失敗を悔やみ、より強くなれるよう努めるといい。墓参りは毎年欠かさず、お供えには二人分の懐石料理を頼みます」

 

 勿論、フルコースで。

 そう軽い調子で嘯くクロヴィスは、まるで仕事上がりに与太話をしている時のように気安い。

 

 彼の姿を見て、第七特務の隊長である青年は思い起こす。

 残酷な一面はあれど、頼りになる部下だった。

 年の功か、場の空気を緩ませる茶目っ気がある部下だった。

 

「わかった……楽しみに待っといてくれ……!」

「えぇ。約束を果たしていただかなければ化けて出ますぞ」

 

 そんな戦友を切り捨てて、俊輝は悪魔に突き立てられた縛めを振り切って足を進めた。

 命を拾い、次へと繋げるために。

 

 

 

 

「……何故、彼らを見逃した? 貴様にそうする道理などないはずだ」

「理由はさっき言った通りだけどね。信用してもらえないとはなんとも悲しいな」

 

 取り残されたふたりは、刃ではなく言葉を交わす。

 クロヴィスの声色は、俊輝と話していた時とは一転して冷たい。

 詰問の如き問いかけに、オリヴィエは悲しげに眉を寄せ肩をすくめた。

 

「下手な芝居は止めろ。貴様に情など存在しないだろう」

「ふむ……それじゃあ……」

 

 俊輝たちを逃がしてやるとは言ったが、いつ翻されるかわからない。加えてクロヴィスが今聞いているように、その結論にどうして至ったのかも不明だ。

 少しでも時間を稼ぎ、可能なら今後に繋がる情報を引き出す。自分がどうにか逃げ延びられる、億にひとつ程度の可能性にかけて。

 それが、今のクロヴィスの考えだ。

 

「今から始まる壮大な喜劇を、彼らにも見てもらいたかった……なんて言えば、らしくなるかい?」

「喜劇だと……?」

 

 しかし、オリヴィエの説明は抽象的で要領を得ない。

 クロヴィスの意図を察し虚仮にするにしても、本来の目的を誤魔化して煙に巻くにしても、どこか不自然に感じられた。

 訝しげに問い返したクロヴィスが、その意味をさらに深堀りしようとした、瞬間。

 

 

『地球人類の諸君。これより、託宣を下そうではないか!』

 

 大仰な声が、壁に備えられたモニターより響き渡った。

 

 

――――――

――同刻・アメリカ、某州軍基地

 

衛星偵察システム(SBIRS)より、飛来物を観測!」

 

 その日、指揮所はにわかに騒がしくなっていた。

 

「目標、推定372秒後に大気圏に突入するとの予測が!」

 

 長年“予算の無駄遣い”と蔑まれてた衛星による観測システム──大気圏外へと向けられたそれが、地球目掛けて突き進んで来る高速の飛翔体を検知したのだ。

 

 レーダーによる迅速な分析の結果、隕石の類ではなく人工物である事が判明。

 居住区画のようなものは認められないロケット状の物体……すなわち、ミサイルの類である可能性が極めて高いとの続報に、指揮所の人員は気勢の声を上げた。

 

 世界一の座を中国に明け渡そうと、アメリカは未だ世界に冠たる大国である。

 その最新鋭装備を以てすれば、たった一発のミサイル如き恐るるに足りない。

 そして今回のこの飛来物は、ブラジルのリカバリーゾーン目掛けて進んでいるという計測結果が出た。

 仮に撃墜し損ねたとしても、致命的な問題にはならないだろう。

 ……などという慢心や怠慢は、彼らには存在していなかった。

 

 この場所に集う全員の意志が、煮えたぎるマグマが如く熱く融け合っていると言っていい。

 今度こそ、あの日の屈辱を晴らすのだ、と。

 

 西暦2610年に起こった『バグズ一号』帰還事件は、アメリカ軍の歴史に恥辱の記憶として強く刻まれている。

 迎撃に失敗し大気圏への突入を許し、しまいにはロシアに撃墜の誉れを奪われる始末。

 もはや二度とこのような愚は繰り返すまい。

 

 当時の彼らに驕りや不足があったわけではない。

 だがそうとわかっていても、受け入れがたい失態だった。

 

 故に彼ら……宇宙空間からの攻撃に対する迎撃を任のひとつとするこの基地の部隊は、あの日以来爪を研ぎ続けてきたのだ。

 

 完璧な速度、射点の計測。

 最新鋭のレーダーとミサイルによる迎撃。

 一切の抜かりはない。先以上に磨き抜いた練度と技術がある。

 故に──

 

「ッ!? 標的、軌道変更! 迎撃網を抜けました!」

「ありえん……! 秒速30㎞を超えた状態で、回避機動を行えるだと……!?」

 

──彼らが再び敗れたとしたら、それは敵が尋常ならざる存在だったからに他ならない。

 

 すり抜けられた迎撃の穴を埋めるように、アメリカ以外の国からも対空ミサイルが次々と打ち上げられていく。

 だがその全てが、たった一発の敵を捉えられず空を切る。

 僅か数分の攻防で、既に標的は迎撃不可能な高度まで迫っていた。

 

 よかった、他国に横取りされる屈辱は免れた。

 そのように考える者は、この場に独りたりともいなかった。

“アメリカの敗北”ではなく“人類の敗北”に等しいこの結果がいかなる影響を及ぼすのか、誰にも予測が付かない。

 

 そして不幸中の幸いとでも言うべきか、天より落着した大槍は、過たずリカバリーゾーンにて炸裂した。

 

「……報告、急げ!」

 

 衛星による速報は、着弾地点の現状を知らせている。

 各国の対宇宙防空を司る軍部による情報交換が目まぐるしい速度でなされ、被害の詳細が詳らかにされていく。

 

「弾頭一つに付き半径10㎞程の森林が壊滅、爆心周辺における放射線量の急速な増加……特異な現象は、確認されていません」

ただの(・・・)、核兵器というわけか……」

 

 将官のひとりが、身体から力を抜いて椅子に背を預けた。

 ただの、と呼べる類の兵器でないことはわかっている。

 だが、状況の異質さを考えればそれでもこの言葉が最もふさわしかった。

 最悪、エイリアンの得体の知れない兵器によって地球が丸ごと消滅する、などというシナリオまであり得たからだ。

 

 だからといって喜んではいられない。

 同時に、失意も絶望もしている場合ではない。

 これで終わりとは、限らないのだ。

 故に少しでも次なる攻撃に備えようと、彼らは世界中の組織と通信を重ねていく。

 そんな職務に忠実な彼らだからこそ、気付かなかった。

 

『地球人類の諸君。これより、託宣を下そうではないか!』

 

 謎の飛翔体の観測より、少し前。

 市井に存在するモニターが一斉に、怪しげな男を映し出していたことに。

 

『諸君らは醜い。限られた財を奪い合い、隣人で殺し合い、家柄などという概念で上下を決する。これも全て、完全なる為政者の下世界が統合されていないからだ』

 

 一見して高位の聖職者を思わせる、高年の男だった。

 装飾過多な印象を与える祭服を纏い、頭を司教冠が飾っている。

 その手には、宝石のはめ込まれた錫杖が。

 

『だから統べてやろうというのだ。選ばれし者である、私が』

 

 だがその発言と表情はどこまでも傲慢で、人を人とも思わない侮蔑に満ちている。

 

『そう慈悲を以て告げてもひれ伏さないのは、わかっている。罰を下されるまで天に座する神の実在を信じないのが諸君らの悪徳だ』

 

 その頭上にはガラスの天蓋越しに黒い空が映っており、中央には青い星……すなわち、地球が映し出されていた。

 映像をそのまま信じるならば、この男は言葉通り天上に居る。

 だが、普通に考えてあり得ないだろう。

 待ち行く人々の大多数は、この突然の演説を新手の宣伝だと判断した。

 

『故に、私は諸君に裁きを下せる存在だと示してやる』

 

 映像に映った黒の空に、昇っていく何かが見える。

 それから、十数分の後。

 地球外からの攻撃が行われた事実を、人々は知るところとなった。

 

『私の力は、これで理解できただろう。難しい話はするまい。跪き、全てを委ねろ。そうすれば、永遠の幸福を約束してやろう』

 

 これが現実だと理解できず茫然とする者、恐慌する者。

 地球に住まう下々の反応を知ってか知らずか、男は満足げに頷く。

 その顔に、歪んだ笑みを張り付けながら。

 

『“ニュートンの一族”の教皇。このロムアルド・イデア・アポリエールがな』

 




ご観覧、ありがとうございました!
次回と次次回が本番みたいなところがあります!

年末年始でもう一話くらいは更新したい(願望)のでお楽しみにしていただけると幸いです!
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