深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

166 / 184






10,しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。

『レビ記』より


第106話 深淵より

「……?」

 

──今、この女は何といった? 死ぬ? 誰がだ?

 

 ロムアルドの思考は一瞬停止し、再び動き始める。

 死ぬ、と言ったのか? 今から、この私が?

 

「貴様……。気が触れたか?」

『いいえ、割と正気っすよ』

 

 不可解な言葉の意味を推測すれば、それは否定された。

 ならばこの操り人形は、何らかの根拠と意思を持って自分が死ぬと言っているらしい。

 

「ではなんだ。まさか、私に盾突きあまつさえそれが上手く運ぶとでも思っているまいな?」

 

 ロムアルドに怒りはない。画面の向こうの女が、ただただ哀れだったからだ。

 反旗を翻されること自体に特段の驚きはない。

 どれだけ主君が完璧であろうとも、分不相応の欲望を滾らせる配下はいる。

 逆恨み、妄想からの反抗。

 それらが決してあり得ないと考える程、ロムアルドはヒトという生物に期待していない。

 まるで、仏の掌の上で踊っている猿が如き思い上がり。

 大半の人間は、自他の能力を正確に測ることなどできないものだ。

 

『盾突くのは私というか本家の皆様っすけどね。もうちょっとで、でかいのがそこに着弾するっぽくて』

「……ほう?」

 

 脳内で罵倒の数々を希维にぶつけていたロムアルドは、微かな驚きに眉を上げた。

 少々……ほんの少々であるが、想定外の回答だ。

 

『撃たれたら撃ち返されるのが世の常識! ってワケで、ジョセフ様主導っすかねぇ? まあまあいいレーダー置いといたはずなんすけど、あと数分ってとこまで探知できないなんて本家の最新鋭兵器はモノが違うっすね!』

 

 さっきから鳴ってる警報、聞こえてるっすよね?

 希维が耳に手を当てるジェスチャ―と共に、もう少し詳しく状況を説明してくる。

 

「そうか……本家の愚物共は、何も理解していないのだな?」

 

 どうやら反撃が行われたらしい。

 その内容に、ロムアルドは嗤った。

 反抗勢力による、塵のような抵抗。

 天に唾を吐けばどのような結果になるかなど、幼児だって知っている。

 何を勿体つけて言い出したかと思えば、その程度の事は予見済みだ。

 

「ああ、小間使い程度には教えていなかったか! 神の座すこの地に、どれほど強固な守りが敷かれているか!」

 

 玉座の肘掛けを覆うカバーを外せば、その下からは機械的な意匠のスイッチが覗く。

 己の指一つで、虫けらの抵抗なぞ全て叩き落とすことができる。灰燼に帰すことができる。

 ロムアルドは悠然と、迎撃機構の作動とさらなる地球への攻撃を実行すべく、そのスイッチを押し込んだ。

 

『いや、そんなもの無いっすよ?』

 

 何も、起こらない。

 隠蔽されていたレーザー兵器が目覚めることもなければ、迎撃や報復用のミサイルが打ち上げられるわけでもない。

 外部からの攻撃に対処する装置が起動した様子は、何一つとしてなかった。

 

『骨董品を一発撃ち込むためだけの設備に、わざわざお金かけるわけないじゃないっすか』

「どういう、ことだ……?」

 

 不可解な状況に、ロムアルドの額から余裕の笑みが消える。

 はーやれやれと呆れたように肩をすくめる希维の反応が、端的な答えだった。

 

『そのまんまの意味っす。そっちには、攻撃に対処できるような設備も追加で地球に打ち込めるような武器も何もないんすよ』

 

 最初から、そんなものは用意していないのだ。

 この月面基地にあったのは、一族の遺産を復旧させた一発分のミサイルを発射できる試験用設備とロムアルドが座する区画だけ。

 

「そのような欺瞞があり得るか……! この私と信徒たちの目を盗むなぞ叶うはずもない! 下らん座興はいい、早くどうにかしろ!」

『うーん。教皇様が思ってるよりも、貴方の目って節穴だと思うっすよ』

 

 そう言われても、ロムアルドは納得できなかった。

 この基地は地球の神たる自分が住まう神座であり、下界(地球)の有象無象に裁きを与え抗うことを許さぬ大要塞だ。

 そのように建造したのだと、他ならぬ自分の記憶が語っている。

 

『だって──こんな空っぽの部屋を見て贅を極めたとか言ってんじゃないっすか』

 

 意味不明な言葉に、教皇は一瞬呆ける。

 何を言っている? この輝きに満ちた玉座が、空っぽ?

 

 そんなわけがない。証拠があるのだ。

 周囲を見渡せば、今までロムアルドが積み上げてきた栄光の数々がある。

 黄金の装飾で飾られた家具。磨き抜かれた宝石の数々。壁には、どれだけ金を積もうとも手に入らぬであろう絵画。

 

「──は?」

 

 それらが、瞬きと共に消えた。

 後に残ったのは、飾り気のない真白な床と壁。

 機材が運び込まれていない実験室を思わせる、白い部屋だけがある。

 

「な、何をした……! こんな、はずがっ」

『今何をしたかっていうより……今までずっといい夢を見させてあげてたってだけっすかね?』

 

 希维の言葉は、やはり不明瞭だった。

 

「……夢? 違う、そんな、はずがッ!」

 

 だが、身を苛む怖気にロムアルドは声を荒げた。

 一体何が起こっているのかわからない。ただ自分の座が偽りだと、そう言われたような気がした。 

 そんなわけがない。否定してやらねばならない。

 

「なあ、そうだろう! 私は全てを手に入れたんだ! お前たちにはわかるだろう!」

 

 絶対視していた己の認識だけでは、足りないような気がした。

 得体の知れぬ焦燥が、背筋を冷たく撫で回している。

 

 客観的な是認が欲しい。誰か、私が正しいと認めてくれ。モニターから聞こえる声が偽りだと、言ってやってくれ。

 縋り付くように、ロムアルドは今までいつも傍にいた給仕の女へと手を伸ばす。

 その動きに反応して、何も心配しなくていいと慈しむかのように、腕が伸ばされた。

 

 

 壁から生えた、硬く冷たい無機質なアームが。

 

『外科手術と暗示による、五感と認知の操作及び管理。目的ついでの実験だったっすけど、教皇様のおかげで実用化が進んだ技術っす』

「──。──?」

 

 言葉が、抜け落ちた。

 数年に渡ってロムアルドの侍従を務めてきたのは、意思なき機械の腕だった。

 彼にはそう見えていなかっただけで。

 

『……不思議に思えなかったんすか? 教皇様、“ニュートンの教皇”って自己紹介してたっすよ。自分が目立つ大舞台で大嫌いなご本家を大々的に宣伝してあげるなんて、変な話っすね』

「──」

 

 絶望する事すらできない。

 目の前の現実を飲み込めないまま、誘導されるように希维の問いについて考える。

 思考に、奇妙なノイズが走っていた。

 ああそうだ、演説の時確かにそう言った。自分はアポリエールの教皇、ロムアルド・イデア・アポリエールだ。

 確かに? アポリエール? ニュートン? 自分の口から出たのはどちらだった?

 

『まるで、やってる事が皆に嫌われる悪いことだってわかってて、本家の皆さんに責任をなすり付けたいみたいじゃないっすか』

「──」

 

 違う。そんなわけがない。これより地上の神として君臨する栄誉を、どうして奴らに譲ってやる必要がある?

 ……? だったらおかしいじゃないか。何故自分はああ名乗った?

 あれは本当に、自分自身の自由意思だったのか?

 

『まあ言っちゃえば、余興と時間稼ぎっす。各国と本家の皆様が想定より手早くて、正攻法じゃ間に合うか微妙だったので。今後の時短も兼ねて、盤面(情勢)をぐちゃぐちゃにしたかったんすよ。最初は無駄になるかと思ってたっすけど、オリヴィエ様のご意向通り月に仕込みしといて正解だったっすね』

「────」

 

 オリヴィエの意向? この月に玉座を築いたのは自分だ。

 信徒を率い、滅びた教団本部を捨て去り、この新天地に逃げ……到達した。そして基地を作り……待て、順番がおかしい気がする。事前に基地を作っておかねば、退避などできないだろう。月へと移住できる宇宙船を、教団は用意できていただろうか? では誰かが、事前に準備を整えていた? どういう事だ? この記憶は、本当に信用が置けるものなのか?

 

『ま、悪くない演説だったっすよ。流石、金だ名誉だって言ってオリヴィエ様(ゲガルド)に反逆しようとしただけはある無謀っぷり! そのせいですごく困ったことになったって、じいちゃんも言ってたっす。……死んでも払いきれない負債があるなら、当然墓から起きてきてもらうしかないっすよね』

「──────」

 

 オリヴィエの下から離れようとした? 最初から奴は、私の創造物であり配下だったはずだ。

 自分の治世では、ゲガルド家は既に我がアポリエール家の下僕だったはずだ。

 だというのに、その言い方はまるで、自分たちが今もずっと従属させられているような言い方だ。

 頭が痛い。何かを忘れている気がする。何だっただろうか。

 

『でも、オリヴィエ様は慈悲深いお方っす。“頑張ってくれたんだから、最後くらい彼に返してあげよう”とおっしゃったっす。よかったっすねぇ』

「──────」

 

 返す。何を?

 ロムアルドは、その疑問に対する解をすぐに知る事となった。

 これまでずっと思考を覆い続けていたざらつくヴェールが引きがされ、未だ曖昧に曇っていた認知が明確になる。

 彼の視界には、偽りなき光景が広がっている。

 

「あ」

 

 何もない、ただ広いだけの真白な実験室。

 小奇麗に整えられ生命が生きられる環境が維持されているだけで、それ以外は月面と何も変わらない不毛の荒野。

 開けた天蓋から見える空には、もはや望んでも届かぬ青い星が輝いている。

 

 その閉じた箱庭の中心に、楽園の光景と記憶を幻視し幸福に浸っていた男が独り。

 

 

『これが、貴方の世界っす』

 

 モニターの向こうで、女が短く真実を告げた。

 実験動物に注入する薬品の量を指示するような、感情に欠けた声だった。

 

 

「あ、ああ……あああああああ!!」

 

 そこで、彼の精神は破綻した。

 獣とさして変わらない叫び声をあげながら、ロムアルドは両手を振り回して玉座を蹴るように立ち上がる。

 まるで長い時間、一度も立ち上がったことがないかのように体が重い。

 ブチブチ、と何本ものコードが千切れた。それが今までずっと自分の背中や頭に繋がれていたなど、ついぞ気付くことはなかった。

 

「おかしいじゃないか、こんなこと、あっていいわけがないだろう……!」

 

 警報の音が、大きくなっていく。

 空の端に、何かが光った気がする。恐怖が生み出した幻覚か真実かは、もはやわからない。

 

「あ、あぁっ……出口は、どこだ……通気口でもいい、早く、あぁあっ!」

 

 壁を掻きむしっても、地団太を踏んでも、何も起こらなかった。

 のたうち回るように部屋中を探り、豪奢な衣が涙や鼻水、血で汚れていく。

 

『どこにも出口なんて無いっすよ。せっかく取り戻せた貴重な時間っすから、大切にするべきっす』

 

 ぱぁっと明るい笑顔と感情の籠らない声が、モニターから聞こえる。

 

「わかった、教団を明け渡す! 信徒どもは兵士にでも実験材料にでもすればいい! もう二度と逆らおうなどとは思わない! 生涯をかけて、お前たちに尽くそう!」

 

 それは、物理的でこそないが外の世界との唯一の繋がりだ。

 恥も外聞も投げ捨てて、ロムアルドはモニターへと縋りつく。

 

『不要っす。貴方たちからの捧げ物はとっくの前に受け取り済みっすから。とびきりキュートだったので、オリヴィエ様も大満足だったっすよ』

「ではどうすればいい!? なにをすれば助けてくれるのだ! た、頼む……私は、まだ、あ、あぁ……」

 

 何もいらなかった。ただ、死にたくない。

 命さえ助かれば、他にはなにもいらない。

 

『それでは、さようなら。次に目が覚める時があったら、もうちょっと分相応な幸せを抱けるといいっすね』

 

 そんなささやかな──彼と教団がこれまで数えきれない程踏み躙ってきたその願いを聞き届ける者は、どこにもなく。

 

 そして、空っぽの玉座は一面の光に包まれた。

 

―――――

――ローマ連邦・大統領執務室

 

『我々はッ! ここに一丸となって“ニュートンの一族”なる者たちの責任を追及すべきだ!』

 

 助けてくれ。やっぱり今から病欠って事にできねぇか。

 今日この日は、ルークがそう思った中でも三本の指に入るだろう。

 

 口八丁手八丁で国の運営に口出ししてきそうなカルト教団を足止めしながら、リモートで行われる緊急の首脳会談に顔を出す。

 ただでさえ多忙という域を超えた状況であるのに、その内容はさらに心労が積み重なるものだった。

 

 現在行われているのは、ヨーロッパ各国首脳による意見交換である。

 今回の件に対して直接的に脅迫を受けている、ローマ連邦とドイツの両トップを中心とした会合。

 

 ルークとドイツ首脳、ペトラの多忙極まる現況は各国にも容易に察しが付くところであったからか、内容としては最低限の情報共有のみ。

 事前にそう聞いていたため、ルークはどうにか分単位の予定調整で時間を取った。

 今、自分たち(人類)が足並みを揃えられないと、碌なことにならない。

 そう直感めいた何かが囁いていたからだ。

 

 自分たちで一致団結しどうにか困難を乗り越えよう!

 そうヨーロッパ諸国の絆を確認し合うことを目的とした会談……のはずだったが。

 

『まあ、落ち着いてください……お気持ちはわかりますが……』

『いえ、心穏やかではおられませんぞ! あのテロリストが語った通りであれば! 今回の件はかの一族が関わっているのではありませんか!』

 

 開幕早々、各国首脳の間には気まずい空気が漂っていた。

 周囲が宥めても止まらず、参加者の一人が怒りに声を荒げている。

 その内容は、テロリストの主犯と思わしき男が名乗った肩書“ニュートンの一族”に対して。

 

(……してやられたな)

 

 迂闊に発現しない方がいい状況だ。

 そう判断し、ルークは渋面で経過を観察していた。

 昂奮で若干呂律が回っていないように見える(・・・・・・)その首脳を、ちらりと見る。

 

 六十代半ば程の男性である。

 年の割には多い白髪、少しよれているスーツとあまり頼りになる印象を与える類ではない。

 彼が背景としている執務室には、白に青色の十字が走った国旗が掲げられている。

 

『フィンランド共和国は、この件について断固とした対応を求めたい!』

 

 フィンランド共和国大統領、サムエル・ハカミエス。

 先代大統領の急死によって後を継いだ彼の評判は、正直なところあまりよろしくない。

 その人格と政策を一言で表すとすれば、“臆病者”である。

 必要以上にリスクを重く見て推進すべきもの推進せず、退かずとも良いタイミングで退く。

 そのため、致命的な失政こそないがフィンランドの景気はじわじわと後退している……という有様である。

 

 今日のような複数国の首脳が集まった会合でも、隅に隠れてだんまりなのが常だ。

 そんな彼が、今日は嫌に口数多く語っている。

 

(……さぁて、どこまでわかった上で言ってんだか)

 

 ルークは知っている。

 このサムエルという男は、今現在ニュートン一族に敵対している集団の操り人形だ。

 それ故に、現在の場を荒らすような発言は連中に与する者としての意図がある。

 

 すなわち、大義名分を持った上での一族の活動制限。

 ニュートン一族をテロリストに与する悪辣な集団と糾弾し嫌疑をかける事によって、大手を振っての動きができないようにしようとしているのだ。

 

 無論、犯罪者が「自分は誰々の親戚だ」と自称するだけで一方的にその人間を貶められるというわけではないだろう。

 だが、『地球外から自前の核兵器を打ち込んでくるような技術と資金力を持った輩が、世界的に影響を持つと囁かれる一族の名を名乗った』となると、そこには狂言以上の意味が見いだせてしまう。

 

 ニュートンの一族が、そのような行いを許容したのか。

 もしかしたら彼らが買った恨みのせいで、地球全土が危機に陥っているのか。

 ……といったように、何かしらの関連性を自然な流れで見出してしまうのだ。

 そして必然的に「責任を取れ」「説明をしろ」と続く事となる。

 

『……スノーレソン大統領。先ほどからいかがなさいましたか?』

「ああ、いや……」

『ローマ連邦の様々な事業にも、彼らの一員と思わしき実業家が出資されていましたな。大統領にとっても頭が痛い話かと、心中お察しいたします』

 

 とうとう来やがった。

 弾んでいるのが隠せていないサムエルの声に、ルークは内心で舌打ちする。

 

『なればこそ! 我らヨーロッパ諸国は一丸となって彼らに説明を求めるべきかと! 私たちが今国民の為にできる事といえば、それしかありますまい!』

「……」

 

 ……普通に考えれば、なあなあで済む話ではある。

 ジョセフから届いた速報によれば、一族の自家用船を用いて密かに月面基地を走査した結果、同種のミサイルと思わしき熱源はもう存在していなかった。

 つまりあの一発は本当にただのハッタリだったというわけだ。

 そのため、既に『処理』は済ませたと聞いている。

 後はもう少し時間をかけて、月面基地の調査結果など既に地球から脅威は去ったという物証を得れば問題ない。

 それから一族の誰かに説明を求めて、『関与していない』と言ってもらう。それで終わりだ。

 ある程度の軋轢は残ってしまうだろうが、そこは仕方ない。大勢への影響は最低限に済ませられるだけで満足すべきだ。

 

 だがそうした場合、必然的に直接の証言でも通信でも彼らと接触しなければならない。

 ニュートンの一族がその所在を表ざたにするタイミング。

 敵は、その瞬間を狙っている可能性がある。

 

 かといって文書など遠回しが過ぎる連絡手段では、さらなる疑念を呼び起こす恐れがあり本末転倒だろう。

 

 その危惧を公言したくても公言できないのが、ルークにとっては歯がゆい部分である。

 ローマ連邦が一族の手足である事を明かすも当然だからだ。

 

「それはだなぁハカミエス大統領……」

 

 ルークがのらりくらりと言葉を濁しながら周囲を見れば、各国の首脳は若干サムエルの側に傾きつつある向きがあった。

 サムエルのなにか含むところがありそうな挙動不審さを抜きにしても、『ニュートンの一族』に対しての不安は事実でしかない。

 今回の事件が与えた国民感情への影響を思うと、多少胡散臭い部分はあっても……というのが打算的な考えといったところか。

 イギリスの首相などは、微かに薄笑いを浮かべているのが見える。

 かつての大国として、この件でローマ連邦の発言力が削がれれば……などと考えていそうだ。この女狐め。

 そう内心で悪態を付いても、当然状況は改善しない。

 

 針の筵。

 それらしく窘めるのが丸い気はしているが、ここでサムエルが後出しに自分とニュートンが繋がっている証拠を提示してくると非常にまずい事になる。

 サムエルがそこまで頭の回る男だとは思わないが、背後にいる存在まで同レベルとは考え難い。

 最悪の可能性は考慮すべきだ。

 

 ただ同意してしまえば、後は一気に流れが傾きかねない。

 各国共同で、などという結論に着地してしまえばなあなあで誤魔化すのは困難だ。

 

『失礼。例外的ではありますが……ここで皆様に共有させていただいた方が良い情報が』

 

 冷や汗を流すルークへの助け舟は、意外なところから訪れた。

 

『……え、エイハイム首相?』

 

 サムエルが露骨に動揺した声を漏らし、その名を呼ぶ。

 あれやこれやと意見を交わしていた各国の首脳も、発言主が誰かを知り会話を止めた。

 皆の反応に頷き、ドイツ首相、ペトラ・エイハイムは再び口を開く。

 

大型昆虫(・・・・)が、大発生したとの報告が入りましたわ。今の話題は、次回以降に再度話し合うべきでしょう』

 

 大型昆虫。

 それは、国家の上層部レベルでは半ば周知でありながら、今のような多国に渡る会合では暗黙の了解で名を伏せられている存在を指す呼称だ。

 

『……まさか、人類の危機が二つ同時に起こるなんてね』

 

 すなわち──テラフォーマーを指す呼称である。

 

―――――──

──中華人民共和国・人民大会堂前広場

 

「どうなさったのですか? 早く主席との面会をんぐぺッ」

「──は?」

 

 執拗な挑発を繰り返していた宣教師の首が、いきなり90度折れ曲がった。

 その異様な光景に、対応に当たっていた兵士の口から間の抜けた疑問の声が漏れ出る。

 

 突然襲い来た死。

 一拍を置いて、兵士はそれを宣教師に与えた存在の正体を知ることになった。

 

 宣教師の傍に、大柄な人型が立っている。

 その背後に映る空を、鳥ではない無数の影が埋めている。

 

「じょうじ」「じょうじょう」

 

 銃声。

 

 

 ことこの件に関しては、特段変わった事が起こったわけでもない。

 そして、この国に限った話でもない。

 

 人類の歴史において、幾度となく繰り返されていた事象──すなわち、侵略戦争が始まった。それも、世界の主要各国に対して。

 ただそれだけの話である。

―――――──

 

「じ、じじ……」

 

 今日この日より、人の世は終わる。

 

 地上への道を進みながら、“彼”、額に『≒』の文様を刻んだテラフォーマーはニタニタと顔を歪めていた。

 各国の戦線から伝わってくる情報は、戦局がまだ序盤も序盤と言えど彼の推測通りに進んでいることを知らせている。

 

 隠れ潜んでいた地下や廃村からの強襲による、混乱の誘発と防衛線の破壊。

 ニンゲンの抵抗は頑強だ。現状の損害比率ではこちらが劣っている。

 だがそれでも、時間と共にこちらが押し勝つ。

 

「じじょう」「じょうじ」「じじ」

 

 その根拠が、“彼”に付き従うテラフォーマーたちにあった。

 地下水道を埋め尽くす程の大群を構成する彼らは、通常のテラフォーマーではない。

 身体の所々に細かな穴が開き、その甲皮は薄緑を帯びている。

 一匹残らず、寸分たがわず。

 

 M.O.型テラフォーマー、手術ベース──脊索動物型“チャツボボヤ”。

 その群は“彼”が火星より帯同させた側近の一個体から生まれ落ちた軍団である。 

 

 あらゆる大規模事業の進行において、兎にも角にも必要となるのが物量である。

 それが新天地で一から勢力を築き上げ戦争を始める、ともならばなおさらだ。

 火星でニンゲンとの戦いを経験した将としての経験から、“彼”は数と生産力の重要性をなによりも理解していた。

 本来のテラフォーマーの繁殖手段である卵生では、まだ遅い。

 テラフォーマーは生育の早い生物であるが、それでも戦力化には誕生からある程度の時間を要する。

 

 ならばどうするか。

 その答えが、多量の栄養さえ確保できれば成体のテラフォーマーを直接生産できる生ける兵力工場、出芽能力を持つ生物を身に宿したM.O.型テラフォーマーだった。

 

 脆弱な幼体の時期をスキップし、即座に兵力として運用可能な個体を生み出す。

 この特異な能力に最初に気付いたのが“彼”が火星にて戦果の見分を行っていた際である。

 ニンゲンたちの死体の中に、共通特性以外の特徴が同一の個体が複数存在した──すなわち、同一の手術ベースを持つ個体がいくつも確認された。

 テラフォーマーの身に移植してみても、特段戦闘に優れた形質が発現したわけでもない。一見して無意味に思われる生物だ。

 では、これは何なのか?

“彼”はその疑問に、合理と人間じみた感情を合わせ持つスキンヘッド型の思考で答えを出した。

『本当に無意味なものをわざわざ複数用意するわけがない。きっと何らかの有用性がある』

 そして、検証を開始しチャツボボヤの特性は明らかとなった。

 

 加えて彼らには知る由もない話であるが、“チャツボボヤ”を始めとする出芽能力の欠点『適性を持つ限られた人間でないと増えた自己を受け入れられず精神に異常をきたす』という部分もテラフォーマーにとっては何ら問題がない。

 装置を用いた記憶の共有等が無ければ任務遂行に支障をきたすという事情も、本能によって行える活動の範囲が人間より広いテラフォーマーであれば影響は薄い。

 

 こうして生み出されたのが、一匹でも新天地に辿り着く事ができればそこに無数の戦力を形成する事ができる無尽の群体である。

 世界各国にこのチャツボボヤ型を送り込むことによって、“彼”は国家規模の侵攻戦を主要国全てに対し同時並行で可能とするだけの膨大な兵力を手に入れた。

 

「じ、ぎぎっ、ジョウ……」 

 

“彼”はこれより訪れる戦の相手を思い浮かべ、歯を剥き出しに笑う。

 お互いが全てを尽くせば勝つのはこちらだ、来訪神。

 

“彼”は人間を恨み憎み、見下している。

 テラフォーマーの社会において、数十年に一度この星を訪れるかの種族は、死と恵みを齎す一種の神が如き存在と考えられている向きがある。

 かつての“彼”もそれを知り、如何程のものかと考えていたわけであるが、実際に遭遇した彼らは事前に抱いていたイメージとは大きく異なっていた。

 

 戦闘態勢でなければ自分たち(テラフォーマー)にとって撫でる程度の打撃で傷を負う脆弱な生命体にして、一つに纏まることもできない個の集まり。

 

 しかし同時に、ある意味では評価していた。

 熱だ。

 逃れられぬ死を認識してなお、わずかな時間を稼ぐため己に挑んできた個体がいた。

 別の個体のために、死力を尽くして抗う個体がいた。

 それは、群の為に個を犠牲にするテラフォーマーの行動と同様に見えて、どこかが違うように思えた。

 

“彼”にはその差異がなんなのか説明することができない。

 それは未成熟なスキンヘッド型としての欠落なのか、人間の思考に近付いたスキンヘッド型でもなお理解の難しい概念なのか。

 

 だが、“彼”はその考えに半ば確信を持っている。

 “彼”は赤黒く膨れた己の左腕を見る。

 かつて己の腕を切り落とした怨敵から奪い取った、力の証。

 拒絶反応をねじ伏せ能力を移植したこの腕は、時折かきむしるかのような激しい不快感をもたらしてくる。

 それは主を失ってなお、仲間を傷つけさせまいと抵抗しているかのようだった。

 

 ニンゲン。

 愚かにして、得体の知れぬ熱を持つ者たち。

 この計算で弾き出せぬ炎に、自分は一度命の瀬戸際まで追い詰められた。

 

 だから“彼”はニンゲンとの戦いにおいて一切の慢心と油断を捨てると誓った。

 王に挑む前哨戦だから、などと手を抜くつもりはない。そうすれば一方的にすり潰せるなどとも驕るまい。

 支配者たる己の持てる最大限の策謀と力を以て、死闘の末に貴様らを破滅させてやろう。

 

 王に対する稚気じみた嫉妬と恨み、ニンゲンに対する様々な思い、多くの感情を抱えながら“彼”は征く。

 それが、彼自身は自覚できていない“ニンゲンの持つ熱”に近しいものであるなどとは、まだ気付かないまま。

 

 

 地上に着くまであと少し。

 そこで、“彼”の耳は激しい水流のような音を捉えた。

 ついに自分たちの存在に気付き、水を流し込んだのだろう。

 種族としての力の差を策で補って戦うのも、奴らのやり方だ。

 だが遅い、この知恵比べはこちらの勝ちだ、と“彼”は口端を歪める。

 もはや我らは止まらない。この程度の距離ならば、自分たちの身体能力であれば地上まで泳ぎ付ける。

 

 ニンゲンは自分に精一杯抗ってくる存在。油断ならぬ者たち。

“彼”は火星の戦いで戦士たちと相対し、そう学んだ。

 物語の魔王が勇者に向けるような、ある種の信頼と言ってもいいかもしれない。

 

 だから──

 

 

 

 

 

「じィっ……!?」

 

 押し寄せた肉塊の海が、群の一角を一口に飲み込む。

 

 

 

 

──彼は、人間の醜悪さ、邪悪さをまだ知らなかった。

 

―――――――――

「今日この日より、人の世は終わる」

 

 槍の一族の本拠地、神殿。

 強固に防護・隠蔽された地下研究室の最奥で、一枚布を巻き付けた時代錯誤の衣装を纏う男は静かに呟いた。

 

 神に至るための“自分”の調整と試験は終わったと、先ほどそのために外の施設へと出向いていた自分から連絡が入った。

 あとはただ、少しの時を待てばいい。

 それで詰みだ。

 

「思ったよりは手札を切る羽目になったが……まあ仕方ないかな」

 

 全ては、終末の時を確実に迎えるために。

 同盟者の頭を潰しておけば、後には世界中で無秩序に暴れるテラフォーマーたちが残る。

 ニュートン一族を政治的な立場で縛り付けておけば、神殿への総攻撃は困難になる。

 

 そして──念押しとして、契約を交わした者たちにさらなる動乱を起こさせる。

 もしうまく行かなくとも、構わない。

 後片付けの手間が少しでも少なくなれば、それでいいというだけだ。

 

 世界に吹き荒れる嵐の中で誰にも邪魔される事無く、地の底で開花の瞬間を待ち臨む。

 ただそれだけの時間があればいいのだ。

 

「火星からの来訪者。人を極めし一族に、我々に、歴史を積み重ねた人間たち──」

 

 地球を舞台にひしめいている勢力を、ひとつひとつと思い浮かべていく。

 テラフォーマーに、ニュートン一族に、自分たち一族からの離反者、国で分かたれた人類。

 

「──それら悉くを楽園の土壌に帰し、私が遍くを統べる神となる」

 

 彼ら……自分ただ一人以外いずれも生かすつもりなどない。

 最初から、それが己の計画であったが故に。

 

「全てを押し流し、ここに新たなる楽園を築こう」

 

 五百年の時を経て、己が理想としていた世界を此処に。

 槍の一族の王は、神の泥人形は、瞳に虚無を宿したまま小さく微笑んだ。

 

―――――――――

「あろろろろ」「sあhfsげ」「eqえthさtx」「xあryy」「ぴゅいー、ぴゅいー」「qfxpfpu」「げじdじょんfl」

 

 突如として押し寄せた肉塊より、無数の異形が這い出でる。

 

 腕に形成された口で喉を噛み破る。全身に毒針を生やしたまま抱擁する。しゅうしゅうと煙を吐いている液体を吹き付ける。不規則に生えた棘を何度も突き立てる。

 個体ごとに全く違う性質を持った、辛うじて人型の名残が伺える何かの群れがテラフォーマーたちを貪っていく。

 

 経たずして反攻に転じたテラフォーマーたちだったが、個の戦闘能力と地の利によって戦力差は明らかだった。

 通路の横道。天井の排水路。下層に続くマンホール。前後左右上下、あらゆる方向より肉塊が追加で押し寄せ、通路を満たしていく。

 異形の群れを殺しても、後続が次々と通路の奥より現れる。足元の肉塊より立ち上がってくる個体もいる。

 

「じ、ギィっ……!?」

 

 なんだ、これは?

 急速に拡大して次々仲間を取り込んでいく肉塊と異形の強襲に、“彼”は対応できなかった。

 どういう事だ?

 通常のテラフォーマーには無い、感情と高い思考能力。

 皮肉にも、それが本能による即座の逃避を妨げてしまっていた。

 

「キ、ィィッ……?」

 

 どういう事だ。その疑問は、この肉塊と異形の存在に対して向けられたものではない。

 これらが何であるのかを“彼”は知っている。

 

 同盟相手の有する戦力のものだ。

 それが、何故自分たちに牙を剥いた?

 

 茫然と立ちすくむ“彼”の足元一帯は、既に肉塊で満たされている。

 その周囲から、いくつもの物体が起立する。

 

 異形の怪物ではない。鳥の嘴を思わせる形状をした棍のようなものと、細長く勢いよくうねる触手のようなもの。

 肉塊から直接生えた一部と思わしきそれらは“彼”に向いており、テラフォーマーたちの指揮官に対する明確な殺意が見て取れる。

 

「じ、いい……」

 

 彼は未熟だった。

 この段階で味方に裏切られるなどという事態を、想定していなかった。

 ニンゲンは自分に立ち向かってくる存在だと考えていたから、テラフォーマーを一方的に貪り喰わんとするなど、想像できていなかった。

 

 短慮の報いだとでも言うように、肉塊の濁流と殺意を持った打撃が、“彼”を飲み込もうとし──

 

「キイイィィ!」

 

 強い怒声が、響いた。

 同時に無数の触手と肉塊の海が、びくりと痙攣する。

 

 憤怒と共に、“彼”は左腕の力を開放した。

 一瞬の発光。後に、幾状もの線が周囲に放たれ、襲い来る悉くを貫通する。

 

「ハァー、ハァー……!」

 

 身にかかる大きな負担に“彼”は荒く息を吐く。

 それを気遣うことなど当然なく、瞬く間に欠損を修復した触手と棍が再び襲い掛かる。

 怒涛の如く、肉塊が波を打って押し寄せる。

 

「じっ……ギイイィィ!」

 

 足を飲もうとした肉塊を振り払い、“彼”は宙へ身を躍らせた。

 触手が、空を掴んだ。

 

 一瞬だけ背後を振り向けば、そこには次々と呑まれていく配下たちの姿が映った。

 手ずからローマ連邦を攻め落とすため組織した最精鋭たちだ。

 その中には、火星からの古き臣下も何個体かいる。

 

 きっと今までであれば、“彼”は怒りに錯乱し思考を呑まれ息絶えるまで戦っていたに違いない。

 だが、今は違う。

 ここは己の死地ではない。そう、どうにか判断することができた。

 

 

「じ、じょうじっ……ジョウジ……!」

 

 裏切り。敗北。

 若きテラフォーマーの指導者は、己の内に初めて訪れた苦々しい概念に歯を噛みしめながら、どうにかその場から落ち延びた。

 

―――――

──ローマ連邦・軍基地

 

 旧イタリアの北部に位置する特別自治区であり、現ローマ連邦の一州であるトレンティーノ=アルト・アディジェ州。

 その僻地に築かれた基地は、にわかに騒がしくなっていた。

 武装を済ませた兵士たちが、足早に輸送機やヘリコプター、車両といった輸送手段へと乗り込んでいく。

 

 彼らの装備は、機動力を重視した軽装歩兵一般のそれだ。

 だが通常の兵士と大きく異なるのは、携行装備としても物資としても大量の薬品を有していること。

 

 ローマ連邦陸軍第9空挺中隊『ヴィヴェルナ』。

 空飛ぶ怪物(ワイバーン)の名を冠するに相応しく、彼らは近年軍事利用が進んでいるMO技術をローマ連邦において初めて本格運用し始めた、最古にして最新鋭の特殊部隊である。

 

 銃弾はじめ長射程かつ致死的な武器兵器が飛び交う戦場の中で、個々の武力を伸ばす事に如何程の意味があるのか。

 その答えの一端を、ローマ連邦は戦術研究の中で導き出した。

 彼らに与えられる任務は、少人数での斬首作戦(強襲と暗殺による要人の排除)

 専用の薬品ひとつで金属探知機に引っかからない凶器を確保できる。本来は専門のオペレーターと精緻な機器で運用するレーダーを、歩兵個人で一部とはいえ代替する事が可能となる。

 

 MO手術被験者の性質は、高い隠密性と少人数で多くの役割をこなす技能が求められるこの任務に極めて高い適性を有していた。

 

 そして彼らが今出撃の準備を整えてるということは、その刃が振るわれる機会が訪れたからに他ならない。

──槍の一族本拠地、『神殿』への強襲。

 

 ニュートン本家からの情報によって、敵の本陣は既にわかっている。

 しかし正規軍などの大規模な戦力を送り込むのは難しいのが現状であった。

 表向きは何もしていない国に対して軍事侵攻を行うのは、国際社会というしがらみの中では極めて難しい。

 加えて、軍の多くは世界各国に出現したというテラフォーマーへの警戒と国内の調査に追われている。

 だからこそ、患部のみを密やかかつ迅速に切り落とす彼らのような部隊が必要とされているのだ。

 

 背から翅を生やした数人の隊員がヘリの周囲を飛び、複眼による広い視野を以て生ける光学センサーとなり周囲を偵察する。

 同類との交戦も想定した、高い空戦能力を誇るトンボ目を手術ベースとした隊員たちだ。

 地上を警備する人員も、変態こそ済ませてはいないが銃と同時にいつでも『薬』を使用できる態勢を整えている。

 

 航空機が最も無防備となる、掩体壕からの移動と離陸直後までのタイミング。

 そこに付け入る隙を潰すべく、彼らは油断なく警戒を続けていた。

 

『……ヴィヴェルナ3! 回避機動を!』

 

 故に、その飛翔体を空中哨戒に当たっていた兵士のひとりは即座に発見した。

 砲弾というには小さいサイズのものが、一発、次いでもう一発と離陸直後のヘリに直撃する進路で迫る。

 

 高速ではあるが、捉え切れない程ではない。

 最悪、爆発に巻き込まれてでもヘリを守る。

 軍人としての矜持で、躊躇うことなく彼は飛来物へと突貫し。

 

 夜空を、光と爆音が騒がせた。

 

閃光手榴弾(スタングレネード)……っ!」

 

 それへの対策が為されていたヘルメットによって難を逃れたヘリのパイロットが、飛来物の正体を口にする。

 爆風の代わりに閃光と音で眩暈やショック症状を誘発し無力化する、非殺傷兵器。

 対テロや暴徒の鎮圧に高い適性を持つそれは、本来このような攻撃にはあまり用いられない。

 無体な話、遠慮なく殺した方が早いからだ。

 

 が、今の状況では話が違う。

 

「ぐっ……! 目が利かない……! 離陸急げ!」

 

 空中で哨戒を行っていた兵士たちは、潰された視界の中でもどうにか飛行姿勢を保ちパイロットへと警告する。

 彼らはMO手術で手に入れた幅広い視野によって、その閃光を通常以上に捉えてしまっていた。

 強化された反射神経によって飛来した弾体に注目できてしまったのも、より大きな被害を受けるのに繋がった。

 

 敵は明確に、索敵の目を潰しに来た。

 ならば、本命となるのは──。

 

「……Cazzo(クソッ)

 

 ヘリのコクピットから覗く空に、人間がひとり踊り出てくる。

 ところどころ人間のそれではない質感に変化した肌と、節くれだった脚。それが仲間たちと同じ存在(MO手術被験者)だと一目で察し、パイロットは諦めに小さく悪態を付いた。

 

 閃光の余波も止まぬ空に、花火のように爆炎が散る。

 飛行能力を失ったヘリが落下したのは、不運にも装甲車の上だった。

 

 連続した爆発に、地上の兵士たちは息を呑む。

 その一瞬の隙に滑り込むように、基地に入る影があった。

 

 退避を試みた装甲車が、その影を捉える。捉えて、味方でない事を即座に認識しひき潰そうとする。

 そして、真正面から叩き潰された。

 

「よぉ、同業者さんよ。別にアンタらの動きが悪かったわけじゃない……そこは恥じなくてもいい。ただ、相性が悪かったな」

 

 燃え盛る炎を背景に、暴力的な破壊を成した男は悠然と兵士たちの前へと姿を現した。

 息を呑む。銃口を向ける。『薬』を打ち込む。侵入者に対する兵士たちの対応はそれぞれだったが、心の奥底には同じ思考が浮かんでいた。

 

“勝てない”。

 それは男の威風堂々たる態度のせいなのか、それとも兵士たちの宿した生物たちの因子が、男の内にあるものへと本能からの恐怖を感じ取ったのか。どちらなのかはわからない。

 

 男が語る通り、彼我の練度に大きな差は無かった。むしろ、きちんとした教育課程を受けたローマ連邦側の方が兵士としては優秀だったのかもしれない。

 故にこの結末を導いた要因の一つは、両陣営の性質である。

 

「同類を食うのが、俺らの仕事だったもんでね」

 

 彼らは“MO手術を戦術に組み込んだ軍人”で、襲撃者は“MO手術被験者を狩る専門家”だった。

 トレンチコートを身に纏ったその男は、どこか皮肉そうに呟く。

 

 同時に。

 男に警戒の全てを向けていた兵士たちの背後に、ふたつの影がゆらりと現れた。

 

 

 

 

「相変わらず見事な手際でやすね、()隊長殿」

「まあな。今度は裏切ろうと思えなくなったか?」

 

 壊滅した基地の中で、元U-NASAの戦闘部隊ひとつを統べていた男は瓦礫に背を預け息を付く。

 男の剣呑な質問に「ひひっ」という引き笑いで答えた小柄な影は、余った閃光手榴弾をリフティングして遊んでいた。

 

「この程度は当然だろう。苦戦するような醜態を晒していたなら、私がその首を叩き落していた」

 

 会話する両者にこれまた物騒な言葉を告げたのは、黒の長髪を後頭部で結んだ青年だった。

 その右腕からは、一本の長物が生えている。

 左右が外側に向け湾曲し、中央に一本が伸びた三又の槍。

 翅と槍を身に宿したその青年の周囲には、頭部を切断された死体が散らばっている。

 

「で、可愛い後輩たちは来やすかね?」

「さて、どうか。──二度目の生だ。精々楽しませてもらいたいものだが」

 

 好き勝手な反応を見せるふたりに、男は首を小さく横に振る。

 これも、己への罰なのだろうと。

 

「……次行くぞ。もう十分休んだろ」

 

 これ以上、思考を続けたくなかった。

 二人の部下に短く告げ、男は歩き始める。

 その手に持ったタブレットに表示された地図は、ローマ連邦の各軍基地の座標が記されていた。

 

―――――

ロシア連邦・某所

 

「じ、じょう……じ……」

 

 各国に襲来したテラフォーマーの群は、組織的な集団戦闘を以てして人間の抵抗と相対していた。

 ここロシア連邦の防衛線も、例に違わぬ攻撃をどうにか耐え凌いでいた。

 

 ……先ほどまでは。

 

 最初の異常は、とある旧閉鎖都市を襲撃していたテラフォーマーたちに訪れた。

 戦線のひとつで、突如としてテラフォーマーが恐慌に陥り始めた。

 苦しげに口から泡を吹き、なにかから逃れようと狂奔するその様はどう見ても正常ではない。

 

 毒ガスの類が使用されたのかと前線の兵士は疑ったが、すぐにそれは間違いだと気付かされた。

 どさりと倒れたテラフォーマーの表皮を破り、内側から白く細い何かが伸びてくる。

 その何かから、白い綿のような、雪のようなものが空に向けて放たれる。

 

「……?」

 

 どういうことか。部隊に確認を取ったが、研究練を本部に置いた司令部からは何の連絡もないという。

 というよりも、通信が繋がらないらしい。

 仕方ない。手ずから、何が起こったのか確認すべきだ。

 慎重に周囲の状況を確認し、味方の支援を受けながらその死骸に近寄り。

 

 

 そのテラフォーマーと同じ末路を迎えた。

 

 

 

「報告ご苦労さま」

 

 都市の中枢たる研究棟の最上階で、彼は撮り立ての記録映像を見終わった。

 視線を暗くなったモニターから窓の外に向ければ、雪に混じってまた違ったものが散っていた。

 

 全て、事前の計画通りに事は進んでいる。

 今映像で流れたものと同じ光景が、街の所々に溢れその領域を広げていっている。

 

「それじゃあ引き続き、諸君は侵入者の排除を……おっと、侵入者は僕たちの方だったか」

 

 白衣に片眼鏡の青年は、そこに居並ぶ同行者たちへと指示を飛ばすと同時にとぼけてみせる。

 しかし、場を和ませるための冗談に対して笑い声は微かしか返ってこなかった。

 

「つれないな……。最後の一人が合流すれば、また変わるだろう──」

「……はかせ」

 

 反応の悪さに肩をすくめる青年の袖を、小さな手が引く。

 

「おや、これはいけない。待たせてしまいましたか?」

「はい……」

 

 隣に立っていた相手の催促に、青年ははっと気づいたようにそちらを見た。

 此度の計画の核となる人間は、どうやらもう待ちきれないらしい。

 

「……いよいよですからね。あの人たちの無念を……私たちが、代わりに果たすといたしましょう」

 

 主より預かった精兵たちを下がらせ、ふたりは眼下の街を臨む。それから、地平線の彼方にある世界を想う。

 主は世界を滅ぼすといった。だが、その手を煩わせるつもりは無い。いいや、待ちきれない。

 

 主にも(・・・)それは譲らない(・・・・・・・)

 

 全ての幕が上がってしまったこの場所で、全ての幕を下ろすのだ。

 白衣の青年が、エスコートするかのよう手を差し出す。

 

「うん……みんな、滅んじゃえばいいんです」

 

 それを、彼女──空色の瞳を深い絶望に曇らせた少女は、迷わず手に取った。

 

――――――

 

 人間とテラフォーマー。地球と火星。

 二つの種族が死力を尽くし二つの星を舞台とする物語の第二章は、青き命の星を舞台とした動乱を迎えることとなる。

 

 

祈る者(インヴォーカー)”がついにその腰を上げ、ニュートンの一族が世界を統べんと動き出す、一年前。

 テラフォーマーの王に手を伸ばさんとする者と一族の異端者が引き起こした大戦があった。

 

 私利私欲のため、この戦いに臨んだ者がいた。

 

 己が命を、信ずるために燃やし尽くした者がいた。

 

 ただ自分と自分の大切な人たちが生きるために、武器を手に取った者がいた。

 

 千差万別、各々の想いを胸に、人々はこの危機へと向かい合う。

 奈落の底より這い出でた魔物による、世界滅亡の計画。

 

 それを成さんとした者たちと抗った者たちの記録は、迫り来る窮状より新たに始まる。




ご観覧ありがとうございました。

これにて第三章は終わり、次回から第四章となります。
各地がどうなっているのか、どのように立ち向かっていくのか、もしよろしければ今後もお付き合いいただけますと幸いです!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。