今回は説明回となります。
「それでは、もうしばしお待ちいただけますと幸いです。ご用があればお気軽にお申しつけください」
ロシア連邦首都モスクワ、政府ビルの特別客室。
その名称通り特別待遇の客人を迎えるためのここでは現在、四人の男女が約束の時間を待っている。
「いつ来ても緊張しますね……」
案内役の職員がドアの向こうに消えた後、最初に口を開いたのは小柄な少女だった。
その体に対して大きな椅子に行儀よく座る彼女は、このような場に慣れていないようで小刻みに震えている。
「もっと偉そうにしていいんだけどなぁ。お嬢、自分で思ってるよりだいぶ偉い立場だぜ?」
所在なさげな少女を窘めるように、隣に座っていた巨漢が話しかける。
そうは言われても、と少女はゆるゆると首を横に振る。
正論かもしれないが、やっぱり自分には向いていない。
「かもしれませんけど……私、皆さんにお世話になってばかりですから……」
裏アネックス計画ロシア・北欧第三班班長。
かつての任務における己の肩書を思い返し、少女──エリシア・エリセーエフは己の副官であるレナートに困ったような表情で応える。
「貴女に至らないところがあっても我々が補佐します。どうぞ、お気を強く持ってください」
「男どもの言う通りだよエリシアちゃん。わたくしのように上流階級としての余裕が大事でございますわよ。おほほ」
部隊長と副官、エリシアとレナートの会話に、残りふたりの声が加わった。
どこか貴族めいた高貴な身分を思わせる、皺一つない白のスーツに身を包んだ金髪碧眼の青年。
シックな黒のアフタヌーンドレスを着た、エリシアより少し年上かという年齢のアジア系と思しき少女。
エリシアの背後に立つふたりの反応は、彼女を気遣っているという部分は同じだが、態度としてはそれぞれ別だ。
どこまでも真面目に寄り添おうという青年と、冗談めかして空気を和らげようという少女。
「ところで……君の国では『馬子にも衣装』という諺があるのだったか、恭華」
「うっさいし。ヨハン君がサマになりすぎなんだってば」
かつて『裏切り者』の幹部としてエリシアと敵対したふたりは、紆余曲折あって今現在U-NASA第三支局に身を置いている。
火星からの帰還後、ヨハンと恭華はある程度の事情聴取を受けた後支局上層部と政府の意向により拘禁の身となった。
ふたりは解放するにしても殺すにしても問題が発生する、政治的に厄介な立場だ。
アネックス計画において、ロシアは自国独自の目的を果たすため、中国と手を組み事を進めていた。
しかし最終的には袂を分かつ結果となったため、現在ロシアと中国の結びつきにはグレーな領域がある。
その状況で捕虜となった『裏切り者』、つまり中国側の存在はこれまた微妙な立ち位置になってしまった。
公表して裁きを下すのは政治が許さない。それはアネックス計画におけるロシアの暗部を明かすことに他ならないからだ。
かといって自由の身にしてしまえば、多くの事情を知るふたりには潜在的なリスクがある。
その結果、飼い殺しという結論に至ったわけだが、この決定に意を唱えた者がいた。
「おふたりとも、ありがとうございます……喧嘩はしないでくださいね?」
ヨハンと恭華を捕えた当事者であり火星脱出時における現場指揮官、エリシアである。
エリシアには難しい政治の話などわからない。
だが、自分の母と呼べる存在が信頼し自分にも良くしてくれたふたりが悲劇的な結末を迎えるのは許せなかった。
かくしてエリシアは生き残った班員によるサポートの下、支局で行われた会談に乗り込み政府高官と支局の上層部に直訴してみせたのだった。
自分なら、ふたりを御することができます。ふたりに裏切りの意思はもうないと思います。火星からの帰路で何も起こらなかったことを考えれば、明らかなはずです。
未だ少ないαMO手術の被験者という価値を考えれば、秘密裏に処分したりずっと軟禁しておくよりは戦力として有効活用した方がいいでしょう。
このエリシアの提言が功を奏したのか、はたまた関係なく元から議論がそのような結論に至っていたかはわからない。
ともかく結果として、ヨハンと恭華は第三支局お抱えの戦力として認められエリシアの配下に収まった。
自由の身とまではいかないが、監視付きでの外出程度なら許されている状態だ。
「……貴女がそう言うなら」
「やーい幼女趣味」
「お前らなぁ」
「あ、あのっ! これでも私、もうちょっとで成人に……!」
どたばたと騒がしい四人の有様は、火星から帰ってきたエリシアの新しい日常そのものだった。
元々レナートを初めとする第三班の班員は、帰る場所もないような問題児ばかりだ。
そのため帰還後もU-NASAで警備員などを務め、提供されている宿舎で日々を送っている。
「……はっ! いらっしゃいましたよ!」
そんな微笑ましいやり取りを交わす四人の耳に、小気味いいノックの音が。
そういえば自分たちは今、とても真面目な召集を受けているんだった。
四人は自分たちの現状を思い出し、口を噤む。
数秒の間を挟んでドアが開かれた頃には、すっかり部隊長とその頼れる護衛の姿勢になっている。
「失礼。遅くなった」
四人の前に現れたのは、ふたりの人間だった。
大柄な男と、傍らに控える秘書だ。
エリシアたちを呼び出した相手であるその男は、エリシアの真正面の席に腰を下ろす。
「待たせてしまったようで申し訳ない。始めようか」
「い、いえっ! とんでもないです!」
頭を下げる男に、恐縮するエリシア。
その様子に、エリシアの同行者である三人は微かな驚きを見せていた。
何の警戒態勢も敷かず、自分たちに一切の恐れなく向き合っている。
エリシアたちの内訳は、αMO手術の被験者が三人に、それに次ぐ力を持った強者がひとりだ。
それも、内ひとりは国に対する恨みを秘めていてもおかしくない出自で、ひとりは荒くれ者。残りのふたりはそもそも元敵対勢力。
いつ凶行に走ってもおかしくないだろう者たちを相手に、この男は護衛も連れずひとりで対話の席に付いている。
よほどの無謀か、己の立場を過信しているか。
ヨハンの脳裏に一瞬過った思考は、男の目に宿る光を見て即座に否定される。
その目には、冷たく燃えるような厳然たる意思の光が宿っていた。
エリシアに対する信頼。強い覚悟と矜持。
それを感じ取り、ヨハンは今一度居住まいを正す。
「よろしくお願いいたします、スミレス大統領」
「ああ。短くは済まないだろう。護衛諸君ともども、楽な姿勢で聞いてほしい」
エリシアがその名を呼び、会合が始まる。
──ブラディミール・A・スマイルズ。
一国のトップが直々に言い渡さねばならない内容を含んだ、会合が。
――――
「今現在、君たちに待機命令が出されているのは理解しているかと思う」
スミレスの言葉に四人が頷く。
突如としての、テラフォーマーの大発生。
世界各国を同時多発的に襲った此度の一大事は、もちろんこのロシアにも例外なく訪れていた。
軍は複数の地点から絶え間なく沸き出す敵と目下交戦中であり、一進一退の攻防が続いている。
現状の戦局こそ優位寄りに推移してはいるものの、決して予断は許されぬ状況だ。
テラフォーマーの攻撃は大規模な発生地点からだけでなく、少数個体による辻斬り的な襲撃も各地で起こっている。
重武装の正規軍が求められる大規模な正規戦に加えて、フットワークの軽い遊撃部隊が必要となる対ゲリラ戦が同時発生している現状。
このような状況において、対テラフォーマー戦の豊富な実戦経験を持つエリシア達第三班と『裏切り者』の元幹部であるヨハンと恭華は代えがたい人材だろう。
「はい。率直に申し上げて、意外なご判断であると考えていました」
ヨハンが三人の考えを纏めて代弁する。
戦力的には間違いなく有用にも関わらず、U-NASA第三支局に在籍している戦闘員たちには出撃の指示は出なかった。
むしろ逆に、施設内に留まるように通達が成されていた。
「エリシアちゃん、ゴキブリ相手だと無力だもんねぇ」
「うぅ……」
恭華の遠慮ない感想に、エリシアが弱々しく涙混じりでうめく。
今まで出番が来なかった理由のひとつは、エリシアの能力特性だろう。
専用装備と組み合わせ無数の刺胞生物の能力を発現させるそれは対人戦において極めて高い攻撃能力を持つが、テラフォーマーに対しては一転して無力となる。
「……君たちを各地の遊撃に割り振らなかったのは、今後真に収拾すべき事態が起こると予測していたからだ」
エリシアを気遣う意図があったのかは定かではないが、スミレスが語った理由は四人の予想とは少し違った。
「
スミレスの拳に力が入り、手元のペンがばきりと音を鳴らした。
その表情はいつも通りの鉄面皮だったが、声色と瞳の奥には激憤の情が揺らめいている。
純然たる戦闘能力ではスミレスに勝るはずの四人が、思わず気圧される程に。
「続けよう……38時間前だ。テラフォーマーの襲撃を受けていた一都市からの連絡が途絶えた」
内に猛る炎を押さえこむように長く息を吐いた後、スミレスは今現在
「それとほぼ同時に、周辺地域で奇妙な死体が次々と発見され始めた」
説明と共に、スミレスの隣に控えていた秘書が紙の束を取り出す。
そこに印刷されていた写真を見て、恭華とエリシアが堪えきれず声を漏らす。
屋外と思わしき場所に倒れている、兵士の死体だった。奥にはテラフォーマーの死体もある。
それも、ただ死んでいるだけではない。
白く細長いものが穴という穴から、あるいは皮膚を破りびっしりと生えた、奇怪で無惨な姿になり果てていた。
加えて、写真全体が若干曇っているようにも見える。
「検死と大気調査の結果、菌類の胞子と思わしきサンプルが採取された。極めて強力な、異常な活性状態にある菌体だ。既存の抗真菌薬では、命に係わる症状の発生を遅らせることしかできなかったそうだ」
秘書を手で制し自ら説明を始めたスミレスの声には、重たい響きがあった。
ただでさえ人類対異星生物の戦争中であるにも関わらず、さらに謎の病原体が現れた。
「幸い、
宇宙人の侵略と
「このままでは、テラフォーマーに対処できたとしても世界が滅ぶ。そのような予測も過言ではない」
非常事態に非常事態が重なった、まさに危機的な状況だ。
「それで、あたし達はどうすればいいんですか? 悪の親玉をやっつけて解決! で済む話じゃなさそうですし……」
「当たらずとも遠からずだ」
恭華の皮肉めいた予想は、半ば事実なのだと肯定された。
彼女の反応を待つことなく、スミレスは端的に今回の原因を告げる。
「──解析の結果、胞子にはごく一部だが人間のDNA断片が含まれていた」
「MO手術の能力によるもの、というわけですか」
四人の中で最もMO技術の知識に長けたヨハンが、真っ先にスミレスの意図を理解した。
MO手術の被験者は、人間であると同時にベース生物の特徴を内包した状態となる。
その能力によって発現した器官や部位を分析すれば、必然的にそこにはベース生物のみならず元となった人間のDNAが検出される。
「この胞子の拡散範囲と死体の発見箇所を地図に記していくと、連絡を断った都市を中心とした円形になる」
今までの説明とロシアを襲っている現状を照らし合わせれば、何が起こっているかは明らかだ。
都市を制圧して、得体のしれない生体兵器をばら撒いている者がいる。
「付け加えれば、この菌類は分析の限り“致死的ではあるが即死するわけではない”。まともな状況報告の暇もなく連絡を断ったということは……少数かつ精鋭の戦力を以ての奇襲を受けた可能性が高いだろう」
そして敵は、単騎ではない。
組織的な攻撃を以て仕掛けてきたと考えられる。
「手っ取り早く焼き払っちまうって手は? 歩兵はそりゃ足りてないだろうが、ぶち込めるミサイルくらいは残ってんでしょう」
仮にも軍属であるレナートが出したのは、物騒ながらも有効な案だった。
ファーストルック・ファーストキル。近代における空戦の原則であるが、それは空に限らず戦闘における理想形だ。
先に見て先に殺す。すなわち、反撃を許さない一方的な殲滅を仕掛ける。
わざわざ奪還を試みずとも、元凶ごと焼き尽くしてしまった方がよほど確実なのではないかというワケである。
泥臭い
「敵の手には、おそらく完成した治療薬が存在する」
「あぁ……失礼。ンな事、大統領が思いついてないわけなかったですね」
ただ、今回に関してはそれを行えない要因があった。
スミレスの答えに、レナートは己の浅慮を詫びる。
「……都市を襲撃した者たちであれば、自分たちが感染した時の為の対処法を用意しているだろうからな」
一都市の研究施設を破壊するだけの攻撃は可能だ。最悪、普通の戦争では使えない兵器を打ち込むという選択肢も存在する。
その迅速な対処法を選ばなかったのは、敵の手にあるだろう解決法を失わないため。
「でも少数精鋭っぽいったって、相手は街ひとつ落とせるだけの戦力持ってるんですよね? あたし達四人じゃいくら何でも厳しいと思うんですけど……」
うんざりした表情を隠せていない恭華が、尤もな懸念を挙げた。
αMO手術被験者が相当の戦力に数えられるのは間違いないが、真に一騎当千と言える人員は限られてくる。
対多数をコンセプトとして手術を施されているエリシアはともかく、ヨハンと恭華は強力な個人戦力の域を出ない。
潜入任務のプロフェッショナルというわけでもない以上、成功が危ぶまれるというのが正直な見解だった。
「今回の任務は、
「……対応遅れたら世界滅亡ですもんねぇ」
その逃げ道も、四人には残ってはいなかった。
「そう、ですか……」
エリシアは、スミレスの目を真正面から見る。
わざわざ迂遠な手を用いないといけない理由がある。
世界が、破滅の瀬戸際に立たされている。
成功を信じられると、他ならぬ
「承りました、大統領。私の
ならば、身を投じるのが己の務めだろう。
みんなは、自分がもう戦いの場に立たないように尽くしてくれた。
だったら自分は、こんな自分を大切にしてくれるような大切な人たちの為に残された命を使う。
フラスコの中で生を受け外の世界を知った少女は、いつか姉と妹たちの墓前で誓った。
「期待している」
今が、その時だ。
「改めて、任を受け渡す。“ニジニ・ノヴゴロド
大統領より直々に国家存亡を懸けた任務を賜る。
本来であれば、粛々と頷くべき場面だ。
しかし、それを受けた四人の反応は違った。
聞いたことがあるような……と首を捻っている恭華に、微かに目を見開いたまま沈黙するエリシアとヨハン。
ニジニ・ノヴゴロド。ここモスクワの南東に位置する都市の名前であり、エリシアたち四人全員が知っている地名である。
そこに、何かがあった。
「4……ってのは?」
レナートが、自身の疑問を口にする。
聞き間違いではないだろう。
その地名の最後には、何故か数字が付随していた。
「閉鎖都市に付けられる仮称だ。大抵の場合、どの都市の近隣に存在するかで決まる」
スミレスに先んじてヨハンが答える。
その声には、隠し切れぬ感情の揺らぎが。
「……大統領。失礼を承知だが、本当に敵の攻撃が原因なのか? もしかしたら研究してた何かが暴走したとかで、その後始末──」
「違います」
機密研究施設を拠点にばら撒かれている生物兵器という、できすぎた状況。
そこに疑念を抱いたレナートの言葉は、途中で遮られた。
意外な程に冷たい、意外な人物からの反応にレナートはぎょっと言葉を止める。
「エリシア君の言う通りだ。かの都市で、そのような研究は行われていなかった」
疑いをかけたことも回答を横取りした無礼も責めず、スミレスはただエリシアの言を肯定する。
「……だから、私なんですね」
「お嬢?」
そうそう聞くことのない声色に、レナートが思わずエリシアを呼ぶ。
その都市の名を聞いた時、最も顕著な反応を示していたのは彼女だった。
「説明する必要は──」
ヨハンが、無理に言わなくていいとエリシアを止めようとした。
かつて自分の母親……のような存在に向けられていただろう青年の優しさを、エリシアはそっと手で制する。
「ニジニ・ノヴゴロド4。かつてクローン技術の機密研究が行われていた閉鎖学術都市──」
胸の前でぎゅうと手を握り、エリシアが一言一言を絞り出す。
胸を締め付けられるような苦しさがあって、いつものように言葉が出てこない。
でも今ここで、共に戦う皆に知ってもらわないといけない。そう思った。
「──私
ご観覧ありがとうございました!
次回から徐々にドンパチやる前触れだったりテラフォ二次の醍醐味だったりが出てきます