深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第112話 魍蟲の群(前編)

「もう一度、久しぶりと言おうか」

 

 それは、偶然街中で出会ったかのような気安い声色での挨拶だった。

 

 U-NASA第七特務に所属する隊員が他部署の人間とどれだけ関わるかは、個々人の性格に大きく左右される。

 軍民問わず犯罪者が多くを占めている彼らだが、真の職務等機密さえ守るのであれば、U-NASAの施設をうろつく程度の自由は常に保証されていた。

 

 そのため他の職員に混じって気安く交流する者もいれば、身内で閉じこもる者もいた。

 

 今チャーリーの目の前にいる男は、前者である。

 職員やMO技術関係の戦闘員、派遣された軍人が雑談をしているとあらば顔を出し、戦闘訓練や飲み会が行われればさらっと混じっている。

 そんな社交的な彼の死は多くの同僚に悼まれていた。

 

「あまり経っていないはずだけど……こうするのも、随分と懐かしく感じるよ」

 

 その死んだはずの男が、今目の前にいる。

 未知の戦力ではないことを喜ぶべきか、悲しむべきか。

 悠然と歩み寄るデミアンに、チャーリーは微かな私情を振り払って拳を構える。

 

「ボクらが今まで何勝何敗だったか覚えてるかい、チャーリー」

 

 チャーリーとデミアンは、今まで何度も一対一の戦いを経験していた。

 軍人や裏アネックス搭乗員としての訓練から日常での意地の張り合いによる対決まで理由は様々であるが、純粋な近接格闘術での勝負とMO手術を込みにした戦闘、両方で争っている。

 

「12勝6敗……“(人為変態)”アリなら、2勝5敗」

「正解。しっかり覚えているあたり随分根に持ってるじゃないか」

 

 その結果だけを見れば、分が悪いとはいえ話にならない程ではない。

 特に生身の近接格闘に限って言えば、チャーリーはデミアンに大きく勝ち越していた。

 出力で大きく勝るαMO手術が相手ではあるが、MO能力を用いた戦いにおいても勝利を収めた時もある。

 

「戦績を見るに、無謀とまでは言わないさ。実際、勝手知ったる仲として初見殺しは通用しないし……キミの勝算も、十分ある」

 

 デミアンの評価も、またチャーリーと同じようだった。

 かつての勝負を懐かしむように呟き、デミアンは凡そ3メートル弱の位置で足を止める。

 

「純粋な徒手格闘じゃキミが勝ち越していて、人為変態込みだったらこっちの方が強い」

 

 一歩踏み込むだけでは遠く、両者が同時に動けばかち合う距離。

 先に仕掛けた側は届かず相手の動きを見てから対処できる後手が優位となる位置関係に、両者の視線が交錯する。

 

「それでもって──」

 

 基本的には、互いに奇々怪々な能力は持たぬ直接攻撃型の手術ベース。

 故にその戦いもまた、バグズ手術の時代より続く正道、近接格闘となる。

 早撃ちの決闘を思わせる空気に、デミアンは微かに笑い、

 

「──本当に殺し合ったことは、一度もない」

 

 言い終わるより前に、チャーリーの懐へと潜り込んでいた。

 

「──っ!」

 

 先に述べた通り、それは本来であれば一歩の踏み込みでは届かない距離だ。

 だがアリの強靭な脚力にものを言わせた跳躍めいた動きで、デミアンは虚を衝くように至近(クロスレンジ)へと踏み込んだ。

 蛇を思わせる曲がりくねった軌道で、その腕と先端に形成された曲刀の如き蟻の顎がチャーリーの喉へと伸びる。

 

「チッ……!」

 

 初撃から急所を狙った動き。

 チャーリーは首を傾け、喉を切り裂かんとする刃を掠めるような距離で回避した。

 同時に、不利が拡大したのを実感し舌打ちする。

 

 この場でお互いが繰り出すのは、技術習熟を目的とした訓練の動きではない、敵の殺害を前提とした戦闘術だ。

 軍人であるチャーリーも当然、理屈の上では致命傷を与えない配慮が不要になったことで演習以上のパフォーマンスを発揮できるが──

 

「自慢できたことじゃないが、コッチの仕事はうんざりするような無慈悲なのばっかりでね」

 

──敵は、正規の軍人以上に血生臭い任務を主体とする暗部部隊である。

 同時に“相手を殺してはいけません”のお約束から解き放たれた場合、優位がどちらにあるかは明白。

 

「わかってンだよ……!」

 

 最初からわかりきっていた格上相手に、チャーリーは拳を叩き付けた。

 相対速度を乗せた打撃がデミアンの肩へとえぐり込まれ、その骨肉を軋ませる。

 

「おお、お見事……」

 

 強靭な筋力を持つアリの力を宿した肉体と言えど、決して無傷で済む一撃ではない。

 だが、デミアンは軽い調子を崩さずにうそぶく。

 

「くっ……」

 

 その軽薄さは強がりなどではないと、チャーリーは重ねた戦闘経験と己が知る敵の性格から直感する。

 地面を蹴り背後に倒れ込むようにバックステップ。

 同時、咄嗟に顔を背ける。

 

 そのチャーリーの横顔へと霧状の液滴が吹き付けられたのは、秒と経たぬ直後だった。

 

「づぁっ……!」

 

 チャーリーは体勢を立て直しながらも、焼けるような痛みにうめき声をあげる。

 その原因は当然、吹き付けられた液体だ。

 

──ギ酸。

 蟻酸、と漢字で表記することからもわかる通り、針を持たないアリの多くが噴霧する毒液の主成分である。

 腐食性、浸透性を持つこの物質は、主として自身や巣に襲い来た捕食者に対する防衛に用いられる。

 人間に対して苛烈な傷害を与える程のものではないが、人間大のサイズから放たれる量を受ければ、話は別。

 

「相変わらず鬱陶しい小技持ってやがる」

 

 肌が焼けただれるような痛み。幸いにも最悪の事態は免れたが、目に受ければ一時的な目潰しでは済まないだろう。

 ぼやいたチャーリーの眼前では、既にデミアンが手の届く位置まで追撃を仕掛けて来ている。

 

 元々は防御に用いるものとはとても思えない、積極的な攻勢。

 それは人間の手によって用いられ本来の生態を外れているが故の強み──では、ない。

 

 

 フォルミカ・アーチボルディ。

 日本にも多くの種が生息する、ヤマアリ亜科に分類されるアリの一種である。

 その形態自体は、決して日本でよく見られるアリから遠く離れているわけではない。

 毒針を持たず、小型のハチと並ぶような大型の海外種と比べてもはるかに小柄。

 仮に外来種として来訪し自然の中をうろついていたとしても、専門家でもなければ特段目に止めることはないだろう。

 

 そんな彼らの特異な点は、狩りの獲物とその手段、そして生態にある。

 彼らが狩るのは、同じアリ──アギトアリと呼ばれる仲間の、さらに特定の種類。

 二倍以上の体躯を持ち、強力な毒針、留め具のような特殊な体構造による超高速の咬合、といった武器で全身を固めた強大な獲物を、この小さな狩人は蟻酸を積極的に用いつつ俊敏な動きで惑わすことによって巧みに下してみせる。

 

「キミが残ってくれて助かった……単純に殴り合いが強い相手は、まさにお得意様だからね」

 

 チャーリーの迎撃をぬるりとすり抜け、その大顎が避けきれなかった肌に裂傷を刻む。

 さらに噴射された蟻酸が追撃を加え、より強い苦痛で継戦の意志を削り取る。

 

 柔よく剛を制す。

 東方(アジア)のことわざを体現するかのような戦闘スタイルは、シンプルな近接格闘一辺倒の敵を相手取る際には特に有効となる。

 

「……嘘つけ。俺がやるのが一番マシだったろ」

 

 そんな恰好の獲物扱いされたチャーリーはデミアンの言葉を否定する。

 手術形式からして人為変態時の出力で劣っていて、さらには相性が悪い。

 本隊の中にはデミアンと同じくαMO手術の被験者であるヨハンと恭華、(立場上ここで切れる札ではないが)搦手を用いるエリシアもいた。

 純粋な戦力面で言えば、デミアンを相手取るには彼女らの方が向いていたかもしれない。

 だがそれを踏まえてなお、チャーリーは自分がこうするのが最善手だと言い切った。

 

「手札をひとつ、死に札にしてやったんだからな」

「……」

 

 否定ではない。

 無言で薄らと苦笑するデミアンの態度が、チャーリーの選択が正しかったか否か、に対する答えだった。

 

 その理由が、デミアンの手術ベースが隠し持つもうひとつ能力。

 彼らは蟻酸と俊敏性だけではなく、目に見えないものを用いて敵を欺く。

 何故強敵を相手取って、首塚を築き上げるまでの数を狩れるのか?

 一説として考えられているのが、体表に分泌されるワックス状の物質だ。

 彼らが纏うこの成分は、分析の結果獲物とするアギトアリのものとほぼ一致したという。

 

 この事実から見出せるのはすなわち、彼らが化学的な擬態を行っているという仮説。

 これにより獲物を欺瞞している……という実証までは、この説が唱えられた2000年代当時には行われていなかった。

 

 しかし、化学物質による欺瞞を行うアリがMO手術ベースとして施されその性質を増強された場合、本来の対象である相手に限らない効果が得られる実例が存在している。

“サムライアリ”。

 かつてU-NASAを出奔しアネックス計画のバックアップ要員たちと対峙したという科学者が身に宿したこの手術ベースは、不倶戴天の敵たるテラフォーマーを同種と誤認させ意思疎通し得る能力を発現していた。

 

 この能力をより戦闘に向いた形で運用しているのが、今チャーリーと向かい合っている男が身に宿した生物の能力である。

 αMO手術によってさらなる強化が施されたその特性は、特定の種のみならず昆虫型全般に作用して敵対者の精神的高揚や敵愾心──すなわち戦意を無意識下で抑制し、行動を鈍らせる。

 

「まぁ、わざわざ否定する理由もないか。キミみたいなのを相手にするのは、想定の外でね?」

 

 蟲を以て蟲を制す。

 それは、同族狩りを主な任務とする第七特務支局が掲げる理念の体現たる手術ベースだった。

 

 闇バグズ・MO手術は昆虫型や節足動物型の生物で施されている場合が多い。

 そこにはバグズ手術より連なる技術的な蓄積があるため技術的なハードルが低く成功率も安定しやすく、戦力増強という面でシンプルな身体強化が多く扱いやすいという事情がある。

 

 故に遭遇する可能性が高い仮想敵を弱体化させ、その上で正面戦闘の強さに加え小技を複数有する手術ベースで叩き潰す。

 

「……だからだ。ソッチの手札を知っていて、昆虫型じゃない。今出せる中でマシなのは、俺くらいのもんだろ」

 

 チャーリーがこの戦域を担当すると自薦した理由がこれだ。

 戦意を鈍らせ朦朧とさせ、アリの基礎スペックによる暴力に化学兵器(蟻酸)と機動力での不意打ちを絡めて仕留める。

 幾度もの実戦で研がれたその刃は、相手さえ選べば幹部搭乗員(オフィサー)級の戦闘員の喉にすら届き得るだろう。

 昆虫型かつ初見でデミアンに勝てる可能性は、余程の猛者でなければ限りなく低い。

 

「それでも、キミはここに残るべきじゃなかったな」

「くどいぜ。時間稼ぎのつもりかよ」

 

 もし事前に敵の戦力配置を知っていて作戦を立てる時間が十分にあったと仮定しても、チャーリーはこの場に身を投じていただろう。

 その選択は、戦術的判断から鑑みれば何も間違っていない。

 

「そういう意味じゃない……キミ、本気で戦ってないだろ。戦えてない、って言った方がいいかな」

「あ……?」

 

 半ば確信を持ったチャーリーの考えを、デミアンは否定した。

 その目に微かな怒りのような色が見えたのは、ごく一瞬のことだ。

 

「だから──気兼ねなくやり合えるようにしてあげよう。間が悪かったから、そろそろ時間だろうしね」

「なに、を」

 

 敵であり元友人が言わんとする意味を、チャーリーが認識するより早く。

 暗部部隊の副隊長であり槍の一族(ゲガルド)の使徒たる戦士は、口端に三日月を描いた。

 

────

 

「んぅ……ちょこまかしてる……」

 

 軽快な足さばきで距離を詰めるプラチャオに向けられたのは、不満げな感想だった。

 それを発したのは、己の背丈を超える大剣を携えた少女、イーリス。

 

──想定程の強敵ではないが、殺さずに止められるかは怪しい相手だ。

 先の迎撃で、プラチャオは敵の能力をそう分析する。

 

 筋力が極めて強い、という類のベースではない。

 空想の中にしか、もしくは儀礼用としてしか存在しないサイズの武器を軽々振るえるわけでなく、平時は重そうに引きずっていることからもそれはわかる。

 

 素体の強さ、という面でもそれほどではない。

 そもそもの年齢と性別という根本的な身体能力に制限をかける要素もあるが、技量を含めてより優れた戦士をプラチャオはいくらでも知り、そして時には下してきた。

 

「これなら……どう、かなぁ……?」

 

 だが、今までの敵とはまた別種のやり辛さがある。

 プラチャオが距離を詰めその脚で剣を弾き飛ばそうとした瞬間、それはイーリスの体ごと豪速で振り上げられた。

 

「くっ……!」

 

 重い武器を振り下ろすでなく、振り上げる。

 重力に逆らうその動きは当然、より強い力を必要とする。

 敵を殺傷できるだけの威力を込めようと思えばなおさらだ。

 

 だがイーリスは容易くそれを成し、さらにはただ振り上げただけには留まらない。

 そのまま彼女の体は高速で回転し、剣の軌跡で描かれた輪と共に後方へと跳ね飛んでいく。

 爆発でも受けて吹き飛ばされているかのような、冗談にしか見えない動き。

 だがそれが、戦いの中で何度もプラチャオの追撃を拒んでいる。

 

「ちょっと、くらくらするから……あんまりやりたくないの。だから、はやく降参するか……死んで」

 

 プラチャオが一瞬で攻撃を届かせることは叶わない数十メートル後方に着地し、イーリスは陰鬱な表情でプラチャオをじっと見る。

 その手首と足首には、先端が二股に分かれた棒状の器官が形成されていた。

 彼女はその器官を押し付けるように、壁に手を当て。

 

 直後、異様な空気の圧にプラチャオは半ば反射的に真横へと跳んだ。

 一瞬前にプラチャオがいた位置を、剣の嵐が通過する。

 

(跳躍という特性自体は決して珍しくない。だが……)

 

 僅か数秒で先と真逆の位置にまで移動した敵へと振り向きながら、プラチャオは今までの動きを脳裏で再生する。

 純粋な脚力や体を跳ねさせ高速で移動できる手術ベースは、昆虫型や節足動物型の能力としてそこまで特異なものではない。

 

 しかし、それに付随してあれほどまで高速で回転する生物は、一体何か。

 これが跳躍に合わせての蹴撃等であれば、タイミングを合わせての迎撃も可能だったかもしれない。

 一方でイーリスのそれは攻撃としての分類が全く違う。

 剥き出しのミキサーが迫ってくるかのような、刃の暴風とでも言うべき猛攻である。

 それを可能とするのが丸く小さい温和な虫である可能性など、今のプラチャオには思い浮かべる余地はない。

 

「……」

 

 トビムシ。

 昆虫と極めて近縁であり、事実、過去には昆虫の一系統として分類されていた内顎綱に属する節足動物の一群。

 土壌性の分解者である彼らは極めて地味であるが、とある着目すべき性質を有している。

 

 それが、跳躍。

“トビ”ムシという名の通り、彼らは飛び跳ねる生物である。

 尤もプラチャオが思索している通り、それそのものが珍しいわけではない。

 1ミリ前後の体長に対し跳躍の高さは5センチ弱、比率としては約50倍。

 数値として見れば十分に驚異的だが、たとえばノミのようにこの記録を超える生物もいくらか存在している。

 

 トビムシの特異な点は、跳躍時の挙動である。

 それを成しているのは脚力ではなく、腹に備えられた“跳躍器”と呼ばれる特徴的な体構造。

 彼らが英名で“Spring tail(跳ねる尻尾)”と呼ばれる通り、二股に分かれた尾のようなこの器官は筋肉の収縮によりエネルギーを蓄え、地面に叩き付けることで身を跳ねさせ敵から逃れることを可能としている。

 さらに──

 

「ふぅ……デミアンが言ってたの……。あいつらは下等生物だから、わたしたちひどいことするんだって……」

 

 脚で、MO能力としてそこに発現させた跳躍器で、地を叩く。

 イーリスの身が跳ね、その手に持った剣が同時に宙へと踊り、彼女の体ごと高速で回転する。

 

──跳躍の衝撃によって、彼らは回転しながら空を舞う。

 ベース生物時点で、一秒間に最速374回。加速度にして700メートル毎秒。

 この数値はレーシングカーのモーターすら遥か上回ると実例を示せば、その凄まじい速度が伝わるかもしれない。

 

「……そんなの、んぅ……ゆるしちゃダメだよね……?」

 

 他に例えるとすれば、扇風機だろうか。

 興味本位で回転部分に触れたことがある人も、少なくはないだろう。

 その瞬間に指が弾かれ、カンという音と同時、爪にじんと痛みが走る。

 ただそれだけでも、二度とやりたくないと思うには十分だ。

 

 もしその回転部の速度が、十倍、さらにそれ以上だったら?

 もしその構造が事故防止の為の丸みを帯びたものではなく、逆に殺傷を目的とした刃だったら?

 

「──!」

 

 プラチャオに問いかけているようでそうではない、恨みの籠った声と同時に繰り出された刃を、彼は身を屈めて回避する。

 反撃の機会を、黙々と伺いながら。

 

 敵の動きは攻撃と離脱を同時に行う極めて厄介なものだが、決して完全というわけではない。

 プラチャオは今までの攻防から、自身とこの戦線における勝機、敵の弱点を見出していた。

 

 まず、機動力そのものは高いが動き自体は直線的であるということ。

 恐らく、微調整が利く類ではないのだろう。

 ならば相手の執念深さも相まって、攻撃方向を誘導するのは難しいことではない。

 イーリスと自分の先にチャーリーがいないよう位置取りを行う事で、プラチャオはチャーリーの側に介入させることを防いでいた。

 

「はぁ、ふぅ……もう……しぶとい……あたま……いたい、う、うぅ」

 

 より目立つものとしては、相手の消耗。

 着地しプラチャオを見るイーリスの表情は、目に見えて疲労の色が濃くその戦意も最初と比べて幾分か薄れていた。

 高速で動き高速で回転し、半ば勢いに振り回されるような形で重く巨大な剣を振るう。

 恐らく、それによる体力の消耗は並大抵のものではない。

 

 人の身である以上決して無視できない生理的機能として、目まぐるしく体が動けば三半規管が狂い、身に余る量の運動を行えば肉体的にも精神的にも疲弊する。

 大の大人ですらそうなるのだ、年端もいかない少女であるイーリスの身であればなおさらだろう。

 全方位に渡る攻撃範囲は脅威であるが、一方で対個人というシチュエーションでは無駄が多い動きとも言えた。

 

 ゆえに、プラチャオが導き出した対応策はスタミナ切れを待つ持久戦だった。

 殴り合って勝つための手段も講じなかったわけではないが、現状の戦況に最も適合しているのがこれだ。

 

 自分の相手は格上だと暗に語っていたチャーリーに助力したい気持ちはあったが、現状では拮抗しているようだった。ならば決着を急いたりはせず、今は下手に敵を合流させないのが先決。

 そう考え、プラチャオはイーリスがデミアンの側に支援へと行かないよう立ち回っていた。

 

 

 

「イーリス、おいで。そろそろ薬の時間だ」

 

──その1対1の戦いに、他方からの声が横入りした。

 今までこちらにはなにも介入してこなかった敵の声に、プラチャオは驚き交じりでその方向を見る。

 

「……何、しようってんだ」

 

 敵が悠然と話している。

 一瞬プラチャオの頭を過った最悪の予想は、警戒を露わにしているチャーリーの姿が否定してくれた。

 状況を見るに、あちらは一度距離を取り睨み合っている小康状態。

 幸いにも、チャーリーが敗れたわけではないらしい。

 

「ん……」

 

 しかし直後、イーリスの身が背後──デミアンとチャーリーの方面に向けて跳ねた。

 まずい、二対一の状況を作られる。

 危機感と共にプラチャオが駆け出すが、瞬間的な速度ではイーリスの方が遥かに上だ。

 

「……はやく、して。あたま、いたいの。だれかが、しゃべってるみたいなの……」

 

 チャーリーもまたデミアンの傍に着地した乱入者に警戒を強めるが、敵が戦闘態勢に入る気配はない。

 労うデミアンに対して、イーリスは途切れ途切れに何かを訴えながら手の平を差し出す。

 その隠し切れない疲弊と何かを恐れているような焦然とした様子へと、デミアンは柔らかな笑みを向け。

 

 

「ああ、勿論だ。キミの悩みを消してあげるのもちゃんと戦えるようにしてあげるのも、ボクの大事な仕事だからね」

 

 手から、透明な液体をどろりと染み出させた。

 

「……気分は晴れたかい?」

「ん……うん」

 

 強い粘性を帯びているのかゆっくりとしたたり落ちる液体を、イーリスは受け止めそのまま口にする。

 どこか熱に浮かされたように答えるイーリスに、チャーリーとプラチャオの内心に怖気が立つ。

 

「それは何より。自分がやるべきことは、忘れていないかな」

「みなごろし、だよね?」

 

 元々、どこか暗いものを抱えた雰囲気の少女だった。

 そんなイーリスが今顔に浮かべているのは、戦場には似つかわしくない、とろけるような喜悦の表情。

 しかし瞳の吸い込まれるような暗がりはそのまま、より深さを増していく。

 

「テ、メェ……」

 

 MO手術の産物によって、精神に作用する何らかの薬物を投与した。

 イーリスの様子とデミアンの行いから、チャーリーは即座に察する。

 そして、その表情は怒りの一色に染まっていく。

 

「チャーリー殿……細かいことはわからないが、まずい……!」

 

 一方のプラチャオは、まだ冷静に戦局を見ることができていた。

 これ以上の猶予を与えるのは危険だ。

 彼は強襲を仕掛けるべく、視界の先にデミアンを捉える。

 

「じゃまっ……しないでッ!」

 

 その視界を、銀の一閃が迎えた。

 怒りの声と共に真正面から襲い来た刃を回避、次の一手に対応する為プラチャオは背後を振り向く。

 

「──な」

 

 そこには、誰もいない。

 瞠目。そして想定していた現実から外れる光景に、思考がほんの一瞬止まる。

 

「下等生物……わたしとみんなに酷いことする、下等生物ッ……! だましてたんだ! ゆるさない……ぜったいゆるさない!!」

「くっ!?」

 

 プラチャオがそれをどうにか躱せたのは、頭上から降ってきた憤怒の言葉と圧し潰すような殺気で本能が先だったおかげだ。

 断頭台の如く落下してきた刃が身を掠め、完全に避けきれなかった右脚の鱗が野菜の皮を剥ぐかのようにあっさりと削ぎ落される。

 一拍置いて流れ始めた血と痛みを認識してようやく、プラチャオの思考は状況を把握した。

 

 こちらに向けて跳躍した直後、振り向く前に天井へと跳ねた。

 その後さらに天井から下方へと。

 先程までは一回一回間を挟んでいた特性の行使を、合計で三度連続。  

 それも、先ほどまで疲労していたはずの体で。

 

「何を、しやがった……!」

「甘い甘いボク特性の調剤だ、キミも一口どうだい。そうした方が、腑抜けた態度も取れなくなるだろう?」

 

 明らかに動きが先とは違う。加えて、発言から伺える精神状態も。

 おおやる気十分だ、とおどけた態度のデミアンにチャーリーが吠えれば、彼は再びその手の平にごぽりと液体を湧き立たせた。

 

「甘い……アブラムシか……!」

「ご名答」

 

 デミアンの言葉と状況から、チャーリーはその解答に己で思い至った。

 チャーリーはデミアンの手術ベースについて、本命たるαMO手術のものしか知らされていない。だが追加の手術を施している可能性は考慮していた。

 

──ヨモギヒゲナガアブラムシ。

 アリとアブラムシの関係は“共利共生”の典型例として広く知られている。

 アリが捕食者による攻撃からアブラムシを守り、アブラムシは甘露という栄養満点の分泌物をアリに分け与える。

 

 お互いに利益を与えあう、人間の目線で見れば理想的な種間関係。

 この種も他の例に違わず、アリとこのような友誼を結んでいる。

 

 表面上(・・・)は。

 その性質が白日の元に晒されたのは、アブラムシを保護するアリの、極めて攻撃的な挙動に対する疑問から。

 一般的に、アリとアブラムシの共生関係はアリに優位なものとされている。

 何故ならば、やろうと思えばアリの側はアブラムシの保護を打ち切って逃走……つまり裏切ることが可能だからだ。

 にも関わらず、実際にそのような動きが見られた例は殆ど存在しない。

 むしろ、返り討ちに遭う可能性がある強大な捕食者にすら、苛烈に攻撃を仕掛ける例が多く見られた。

 果たして、何故なのか?

 

 甘露の成分を分析した結果、とある事実が判明した。

 アリが好む栄養素の他に、多量のドーパミン……人間にとっても重要な興奮や快感をもたらす物質が多量に含まれている。

 つまり──この成分によって、アリは敵対者に対して極めて攻撃的にさせられている(・・・・・・・)と。

 

「悲しいことだけど……誰もが前を向いて生きて、勇敢に戦えるわけじゃない。だから、これが必要でね」

 

 不敵に笑い、デミアンは激しく宙を跳ねプラチャオに襲い掛かる部下を見た。

 適性量の分泌──ストレスの低減、幸福感、精神疾患の抑制。

 過剰量の分泌──各種依存症、妄想、幻覚、精神疾患の悪化。

 

「……デミ、アン」

「昔は殺しが仕事で、今は世界滅亡計画の共犯者。そんな人間にまさか──」

 

 低く押し殺した声で、チャーリーは敵の名を呼ぶ。

 繰り返すが、チャーリーはデミアンが二種目の手術ベースを宿している可能性を考慮し、警戒していた。

 だがそれが悪辣な性質のものであるとまで予想していなかった理由は、明確だ。

 

「──お友達だから本気出せません、なんて言わないよな」

 

 地を抉るような勢いでの突貫が、デミアンの問いに対する答えとなる。

 望み通りの反応に、第七特務の副隊長は目を細め構える。

 

「ボクたちが何のためにここにいるのか、思い出せたようで何よりだ」

 

 どこか、喜色が混じったような声と同時。

 猛獣の爪と猛虫の大顎が、再び火花を散らした。




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