深緑の火星の物語   作:子無しししゃも

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第113話です。
戦闘シーンオンリーとなります、話が進むのは次回から!


第113話 魍蟲の群(後編)

「……無理、か」

 

 絶えず襲い来る斬撃の嵐を紙一重で捌きながら、プラチャオはどこか虚しげに呟いた。

 

 命令の完遂を至上とする、一振りの刃であれ。

 だが同時に、己と己が相対する敵は血が通う人間である事実を忘れるべからず。

 

 冷徹な兵士として任務遂行のために努めれど、感情の全てを捨て去ってはならない。

 

 いつだって、戦いへと赴く時には自分にそう言い聞かせていた。

 それは中国班として火星で人類を裏切った過去も、裏アネックス連合として人類のため戦っている今も変わらぬ彼の信念である。

 

──もし可能であれば、命を奪わない形で捕縛したい。

──殺すしか、ない。

 

 だが、事前に抱いていた願望と戦いのさ中でたどり着いた結論は真逆だった。

 

 プラチャオは己の脚を、皮膚が削ぎ落されどくどくと血が流れる負傷を見つめ内心で渋面を浮かべる。

 命を懸けた闘争の相手を案じられるのは、こちらに余裕がある場合のみ。

 眼前の敵対者は、とても生かしたまま無力化できる状態にない。

 

「潰れろ……潰れて……!」

 

 そんな彼の思考を中断させたのは、恨みの籠った声だった。

 もはや何度目とも知れぬ刃の大車輪を、真横へと跳び回避。

 

 その勢いのまま振り返れば、回転を急制動し振り向いたイーリスの姿が映る。

 狂気に囚われた眼光がプラチャオの視線と交差したのは、ほんの一瞬だった。

 再び彼女の身が跳ね飛び、双方の距離がゼロに近付く。

 

「っ……」

 

 腕を然程伸ばさなくとも届く位置に、イーリスの頭がある。

 至近距離。プラチャオの修めた武術であるムエタイにおける、最適射程の一つだ。

 肘打ちや膝蹴りといった人体の特に硬い部位での殴打は、それだけで決着を狙うことができる攻撃手段である。

 

(……相手の方が、速い)

 

 しかし、プラチャオは一瞬の逡巡を挟んで迎撃の選択肢を捨てた。

 素早く繰り出すことができるそれらは、本来であればこの距離での戦闘を制する有効な手段と言えただろう。

 だがイーリスの剣は既に振りかぶられており、手から生えた突起は床に触れている。

 

 仕掛けていては間に合わない。

 即断し地を這うように姿勢を下げたプラチャオの髪を、剣の軌跡を追うように起こった風が撫でる。

 即死は避けられた。安堵もそこそこに下段から蹴り上げ、敵の頭を一直線に狙う。

 

「そんなのっ、当たるわけないでしょ!?」

 

 牽制に加え、あわよくば決着をと目論んだ蹴撃はあっさりと空を切った。

 上に跳ばれた。プラチャオがその認識より速く再度の回避に移った瞬間、宙より落下してきた刃が寸前まで立っていた位置へと叩き付けられる。

 

「……普通に戦っていては、手が付けられませんね」

 

 まるで映像を巻き戻すかのように跳ね上がってくる追撃の刃を、どうにか身を引いて躱す。

 頬に冷や汗を伝わせながらの呟きは、現状を端的に示していた。

 

 受ける形での防御はまず不可能な、高速で振り回される重量級の金属武器。

 ほんの一瞬の隙さえ与えれば攻撃圏外に離脱される機動力。

 手術ベースの特性、高速の跳躍とそれに伴う回転を万全に用いた攻撃と回避の両立。

 それは今この戦況から見て取れるように、人間離れした猛者でもなければ反撃を加える余地など存在しない無敵の戦術と言えた。

 

 付け入る隙だったはずのスタミナ切れすら、今や投薬による興奮状態で遥か遠のいている。

 暴走、という表現が相応しい特性の乱発を見るに、連続使用でかかる負担のリミッターも外れているのだろう。

 

 無論それは、疲労や肉体負担というデメリットを帳消しにしているわけではない。一時的に誤魔化しているだけだと推測できる。

 先程までの敵の疲労を考えれば、感覚を鈍化させている化学物質の影響が尽きた時点で戦闘不能になってくれる可能性は高い。

 時間切れを狙う、という選択肢は未だ消えていなかった。

 

「だがそこまでは、こちらが保たない」

 

 ただし、それが現実的に可能かどうか、と問われればまた別の話である。

 プラチャオは一瞬だけ視線を落とし、負傷している己の脚を見る。

 ぎりぎりを掠めただけで、ヒクイドリの角質に加えツノゼミで強化されている表皮が一切の抵抗なく削ぎ落された。

 あと数センチ分でも退避が遅れていれば、使い物にならなくなっていたに違いない。

 実際に受けた傷こそ戦闘に支障が出る程ではなかったが、僅かなミスが即座に致命傷となる敵だ、という事実は重く圧し掛かってくる。

 

 こちらだけが体力を消耗する状態で、不明瞭な時間切れというゴールを目指す。

 さらには、その過程で相手がほんの気まぐれを起こせばその暴威は隣で戦っている友軍へと降り注ぐこととなる。

 ……どうすべきか。

 

「……降参、する? そのまま動かなかったら……楽に死なせてあげてもいいよ……?」

 

 プラチャオが判断を許された時間はごくわずかだった。

 縦長の影──大きくもたげられた大剣によりできた暗がりが、彼の体を覆う。

 そして、爆発的な回転という形で振り下ろされる。

 

 プラチャオは、それを避けなかった。

 

「フッ!」

 

 その代わりに、脚に力を込める。

 気勢の息を吐き、己へと降ってくる刃の側面を狙って爪先を振り抜く。

 少しでもタイミングを過てば体が左右に泣き別れする賭けへと、プラチャオは己の命を迷わずベットする。

 

「そこっ!」

 

 果たして、刃はプラチャオを引き裂くことはなかった。

 衝撃で軌道がぶれた刀身と大理石の床が、甲高い衝突音を立てる。

 その音と重ねるように、彼は左の拳をイーリスの右腕へ繰り出し、さらに顔へとえぐり込む。

 

「う、う゛ぅ゛っ!」

 

 今までのような回避ではなく、多大なリスクを伴った受け流しからの迅速な反撃。

 完全に肉を抉ったわけではないが、肌を切った感触があった。

 プラチャオの視界からうめき声と共にイーリスの姿が消え、一瞬の間を置いて数メートル後方に現れる。

 足の跳躍器を用いて咄嗟に飛び退いたのだろう。

 

 だが今までより移動距離が短い上、着地の瞬間体がぐらついていたのをプラチャオは見逃さない。

 加えて、先ほど手に伝わってきた感覚の通り、その頬には赤い線が一筋引かれている。

 こちらの反撃を想定していなかったが故の動揺。

 無理を押して動いたが故の、不完全な回避と明確な隙。

 

 そう判断した彼はそのまま足を踏み込み、即座に距離を詰める。

 同時に、先に繰り出したのと同じ左腕を引く。

 イーリスの目が一瞬の恐怖にぴくりと痙攣し、直後身を守るために剣が構えられる。

 

「──そこッ!」

 

 拳を握り込み、突貫の勢いを乗せ。

 プラチャオはそのまま蹴り(・・)を繰り出した。

 上半身を守るように傾けられた剣の防護範囲外となる脚を、薙ぎ払うかのように。

 

「は、あ?」

 

 想定外の攻撃に、唖然とした呟きが漏れる。

 フェイントを受けた。その事実にイーリスが気付いたのは、その両脚に一撃が到達する寸前だった。

 

「っ、あぁぁぁっ!!」

 

 怒りの絶叫と共に足の跳躍器が叩き付けられ、イーリスの身が宙に躍る。

 だが、避けきれていない。

 手に形成された鋭爪から伝わる肉を裂いた感触が、確かに攻撃が通じたのだとプラチャオに実感を与える。

 

「ゆるさ、ない……!」

 

 そして、両者の距離は再び遠く離れて……は、いなかった。

 声が一切減衰せずに届く距離で、イーリスはわなわなと震えながらプラチャオを睨む。

 対するプラチャオは、無言。

 言葉を交わすことなく、彼は一直線に敵対者目掛けて駆け出す。

 

 それに真っ向から応じたのは、怨恨の炎が瞬く瞳だった。

 イーリスは大剣を握り、右手に力を込める。

 突貫を選んだプラチャオへと、退避ではなく迎撃の姿勢を取る。

 

 ただ感情的に対抗しようとしただけではない。

 敵の致命打が到達するよりも、こちらが跳ねて相手の首を刻む方が速いと経験則から判断したからだ。

 危ない相手だった。でも最後で過ちを犯した。先の攻防がうまくいったせいで、調子に乗って踏み込んできたのだ。

 それが、イーリスの認識である。

 戦闘の熱による狂奔と幼いながらも戦士としての判断が、彼女に正面からの衝突を選択させた。

 

 これで、終わり。

 イーリスはぐっと剣を握り、右脚の跳躍器に力を込める。

 そして今まで幾度となくそうしてきたように、殺戮の嵐を繰り出そうとして。

 

「──え?」

 

 その体は、跳ねなかった。

 

「……先の交戦で、爪を掠めさせました。その器官は筋肉の収縮で力を貯め込んでいるのでしょう?」

「っ、あ」

 

 何を言われたのか、半分も頭に入ってこない。だが、何かをされたことだけはわかる。

 静かに語るプラチャオの目を追い、イーリスは自分の足元を見る。

 

「だったら……断裂に至らない程度の傷でも機能しなくなるはずだ」

 

 その視界に映ったのは、鉤爪によって薄く裂かれて血を流しているY字状の器官──跳躍器。

 どこか力無く項垂れているように見えるそれは、今や微かな力すら発揮できずにいる。

 自身の特性が無力化された原因がほんの小さな裂傷であることなど、今の彼女には理解が追い付かない。

 

『筋繊維を収縮させエネルギーを貯め込み、それを開放する』。

 それこそがトビムシの跳躍の原理である。

 ならば、強く張り詰めた状態の筋肉に少しでも傷を付けられてしまえばどうなるか。

 

「で、でもっ!」

 

 非常事態を把握するや否や、イーリスは咄嗟に右手を地に付ける。

 脚が使えないなら、腕の側で。

 

「無駄です……そちらも、先ほど。もう貴女は動けない」

「……!」

 

 しかし、退避のための跳躍は行われない。

 わざわざ右腕を掠める遠回りの動きで顔を狙ってきた、不自然な機動の拳打。

 その原因に思い至り、イーリスの顔が今度こそ蒼白に染まる。

 

 彼女の敗因となったのは、皮肉にも継戦と強化を目論んで施されたデミアンからの投薬だった。

 極度の興奮状態が、平時の認識能力を奪った。

 痛覚の鈍化により、自身の武器が損傷したことに気付けなかった。

 そして。

 

「う、嘘つきっ! まだ残ってるのに……!」

 

 全ての跳躍器が破壊されたわけでないと把握するのが……言葉によるフェイントを見破るのが、遅れた。

 

 人為変態したイーリスの身にある跳躍器は、両手首と足首の合計四本。

 それら全てを短時間の攻防の中気付かれない程度の傷で無力化するのは不可能だった。

 故にプラチャオが狙ったのは、戦いの中で使用頻度が高いように見えた……つまり利き手と利き足側に生えているであろう一本ずつ。

 

 無論、慣れている手足でしか使えない特性ではないのはプラチャオも織り込み済である。

 ただ『非常時に咄嗟の意識が向き使用できない事に動揺する』という瞬間が欲しかっただけだ。

 完全に無力化できなくともいい。必要だったのは、一瞬の隙を生み出すことだけ。

 

「……恨んでください。君に生の道を与えられるだけの強さは、僕にはなかった」

 

 進路全てを破壊するような猛攻ではなく、ただ命脈を断つだけの狙い澄ました一撃を、繰り出す隙を。

 

 ひゅ、と空を切る音が、小さく響いた。

 イーリスの首に横一文字の傷がぱくりと開き、飛沫いた赤色が床を汚す。

 

「か、ふ……」

 

 致命傷を受けたことで、体にも限界が訪れたのだろう。

 鮮血をほとばしらせる少女の体が、糸の切れた人形のように力を失う。

 その表情は、地に伏せるまでの微かな時間で目まぐるしく移り変わっていく。

 茫然とし、憎しみに燃え、何かに助けを求めるように歪み。

 そして、どこか安堵したように微かに和らぎ。

 

 その身は、動きを止めた。

 

「……っ」

 

 そして、プラチャオもまたがくりと膝を突く。

 少しでも加勢したいのが切実な心境である。

 だがそうするには疲労が色濃く、傷を塞ぐ隙がなかったせいで血を流し過ぎた。

 治療と回復に専念せねば、まともに動く前に命脈が尽きるだろう。

 

 故に、プラチャオに今できるのは見届けることだけ。

 彼の視線の先──もう一つの戦いも、決着の時が迫っていた。

 

────────

 

「ハァ……ふぅゥ……!」

 

 体内に収まりきらない怒りを吐き出すように、荒く息を付く。

 友と呼んだ男の悪逆に対する激情と共に頭を埋めていたのは、己の歩んできた道についてだった。

 

──平々凡々とした、夜通し語れるほどの内容もない人生。

 

 それが、チャーリー・アルダーソンが歩んできた道についての自己認識だ。

 アメリカの一般家庭に生まれ、優秀とも落ちこぼれともつかない成績で進学。

 幼い頃から憧れていた軍人の道に進み、別段注目されることもなければ問題視されることもなく陸軍に入隊し訓練に励んだ。

 

 特別真面目だったわけではない。同僚たちとバカ騒ぎをし上官に拳骨を落とされた事もある。

 だがそれも、軍人なら誰でもひとつやふたつ持っているあるあるな経験談だ。

 

 そこから改造人間になって火星に派遣された話だけは、いくらか自信を持って話すことができるだろう。

 ただやはり、この程度なら任務を共にした連中の方が面白いエピソードを織り交ぜて語れるに違いない。

 

「クソ……」

 

 闘争の場で過去を振り返るのは、別に走馬灯を見ているわけでもない。

 ただ、嫌でも思い出してしまったのだ。

 それは今殺し合いに臨んでいる目の前の相手と、かつて語り合った話だったから。

 場所が通路からU-NASA出店のバーに移り、暇つぶしの雑談だったはずが人生相談のような一幕となり。

 

 そうして話した互いの過去はいっそ笑える程に違っていて、冗談交じりの『お前の方が恵まれていて俺は不幸だ選手権』は不毛に過ぎたがなんだかんだで愉快な時間だった。

 

「……はは、懐かしいな」

 

 そんなチャーリーを見て、相対する青年はどこか皮肉げに笑った。

 相手は今、自分と同じようなことを考えているのだろうと。

 

──海面で木片にしがみ付いて嵐に揺られているかのような、激動の人生。

 

 それが、デミアン・メルテンスが歩んできた道に対する自己認識だ。

 祖国フランスの出身州で十指に入る資産家の家に生まれ、その跡取りとして相応しく在るべく教育を受けた。

 とりあえず社会的地位が高いものを、という程度の理由で医師を志しとんとん拍子で成功し、大きな問題もなく外科医として働き始めた。

 

 順風満帆だった人生が変わってしまったのは、それからすぐ後のこと。

 親の勧めでコネを作るべく軍の任務に同行し、紛争地とはいえ安全なはずだった後方の陣地に突然砲弾が飛来し周囲は混乱状態に。

 退却の過程で重大な命令違反をしでかし、安泰だったはずの人生から一転して身柄を狙われる立場となってしまった。

 そこで偶然潜入任務を行っていたU-NASAの特務部隊に拾われたのは、奇跡としか言いようがない。

 

“──どうせあの時終わってた命だ。隊長が叶えたい願いの為に、如何様にでも使ってくれよ”

 

 そしてどんな奇縁か、今は一転世界を滅亡させる計画の片棒など担いでいる。

 

 

「どうだいチャーリー、あれから変わったことはあったかな? ボクから話せることは、そりゃもうたくさんあるが」

 

 短い人生の振り返りを終え、デミアンは肩をすくめた。

 激しい怒りをぶつけられているとは思えない、軽薄な態度で。

 

「今からゆっくり語らうのも悪くない……時間稼ぎもできるしね?」

 

 そうしてから、地に片膝を付いたチャーリーの周りを歩く。

 まるで獲物に喰らい付く隙を伺う獣のように、ゆっくりと距離を詰めながら。

 

「本気でやれといったが……そうしても勝てないんだし、キミにとってもこっちの方がいいだろ?」

 

 デミアンが冷ややかに告げたその言葉は、客観的な事実を物語っていた。

 幾度かの攻防を経て、その度にチャーリーの体には傷が増えていく。疲弊も激しくなっていく。

 デミアンも無傷でこそないが、平然と立っている彼とそうでないチャーリーの様子からわかるように消耗の差は明らかだ。

 

「……いいや。もう、楽しく話せるような段階は終わってんだよ」

 

 にも関わらず、チャーリーは首を横に振る。

 ゆっくりと立ち上がり、再びデミアンと向かい合う。

 

「はぁ、強情だな。もうちょっと柔軟な方がモてるぜ?」

 

 冗談を飛ばしながら、デミアンは相手の動きに合わせるかの如く両腕の武器を構える。

 特務部隊の副隊長として多くの獲物を狩ってきた大顎に、蟻酸の発射機構。その全てが、チャーリーの命脈を断たんと向けられる。

 

「イマイチ気が乗らない任務だったけど……ま、知り合いと話ができただけでも悪くない。それだけでもわざわざ地獄から帰って来た甲斐があった」

「……そうかよ。だったら、とっとと叩き返してやる」

 

 互いの出方を伺う時間は、数秒も続かなかった。

 チャーリーが地を蹴り、その身に宿した猛獣が如くデミアンに躍りかかる。

 一歩一歩が地を踏み固めるような深い踏み込みに、床が騒がしく音を立てる。

 

(期待外れ……とまでは言わないけど、もうやぶれかぶれだな)

 

 大柄な軍人の突進、只人であれば恐怖を覚えるであろう光景にデミアンは一切動揺を見せなかった。

 彼がかつての友に向けていたのは、どこまでも冷静な指揮官としての分析である。

 

 チャーリーの手の内の大半は、ありし日の模擬戦で割れている。

 以前より多少は腕を上げていたようだったが、異常だとか爆発的だとかそのように形容できる程ではない。

 

 MO手術ベースについても、今までに見た以上のものを警戒する必要は薄い。

 哺乳類型、クズリ。

 時速40㎞にも及ぶ脚力と極めて高い咬合力、同じイタチ科に属するラーテルにこそ及ばないが頑丈な皮膚に高い骨密度が合わさった耐久力。

 近接格闘に必要な要素を無駄なく取りそろえた、扱いやすい手術ベース。

 逆に言えば、それだけとも言える。

 特異な能力は持たず、不利からの一発逆転を狙えるような類ではない。

 

 決死の抵抗を見せるMO手術の被験者を、ただ必然の流れ仕留める。

 それは、今まで数えきれない程に繰り返してきた第七特務の任務と同じだ。

 

 心を努めて平静に保ち、デミアンは突撃してくるチャーリーを解体する手はずを実行しようとし──

 

「ゴアァァッ!!」

 

──標的の体が、一回りサイズを増した。

 

「なッ……」

 

 ……違う。

 デミアンは幾度か瞬きを繰り返し、自分が認識したその光景が錯覚であると認識する。

 だが理由もなくそんな誤認をするなどあり得ない。

 

 先とは明らかに違う、毛皮越しにすらわかる筋肉の張り。

 人間ではなく猛獣を相手にしているかのような、息の詰まる圧迫感。

 チャーリーの姿と気迫は、突如としてこれまでと異なる変化を見せていた。

 その体躯を、巨大な獣に錯覚してしまうほどに。

 

「ずアッ!」

「おっとぉ!?」

 

 自分が今戦っている相手は、明らかに何らかの切り札を切った。

 デミアンができた推察は、それが精々だった。

 振り降ろされた爪と拳を、正面から受け止める。

 素体の筋力では劣るものの、手術ベースのそれでは勝っているという戦力差。問題なく受け止められるはず。

 

「ぉ、ぐ……!?」

 

 彼の予想を、現実は裏切った。

 

 鈍い破砕音。

 その出元は、力負けし指が砕かれたデミアンの右手と中程からへし折られた蟻の大顎。

 馬鹿な、筋力はこちらの方が。

 痛みより先に奇異な現実に対する冷や汗が流れ、デミアンは咄嗟に思考を回す。

 いや、馬鹿はどちらだ。

 あの外見が見せかけであるわけがないにも関わらず、判断が遅れたこちらの失策。

 

──過剰変態か? いや……。

 

 あの様子は一体何だ。

 予想を立て、即座に最初の可能性を否定する。

 職業柄、最後の抵抗とばかりに大量の薬を打ち込む獲物は見慣れている。

 脳裏に過ったその姿の数々と比べれば、今のチャーリーの変化は小さすぎた。

 

“薬”を一本多く使った分の変化はあれど、それ以上ではない。

 ならば要因が他にあるはず。

 

「はっ、専用装備か……! ここぞって時まで隠してたってワケかい!?」

 

 瞬き数度の内に行われた高速思考の末、間を置かずたどり着いた第二の予想にデミアンは納得する。

 

 専用装備。

 アネックス計画参加者の中でも上位に位置する戦闘員向けに開発され預けられたそれは、手術ベースの特性を時にサポートし時に補う強力な武器となる。

 裏アネックスの幹部搭乗員(オフィサー)に渡された、ただでさえ“兵器”と称される能力をさらに拡張する装置は、強化という意味ではその代表と言えよう。

 

 では幹部搭乗員たちに次ぐ7位というランクを持つチャーリーもまた、彼らのような複雑かつ特殊な機構を手に戦っているのだろうか。

 

「変態薬に上乗せドーピングなんて、原始的な……!」

 

 答えは否だった。

 U-NASAの専用装備開発担当部門は考えた。

“シンプルな力比べを得手とする特性の戦闘手段を、わざわざややこしくする必要などどこにもない”と。

 

 特別調製変態薬『狼呑み(グラットン)』。

 それが、チャーリーに与えられた装備の名だった。

 決して、複雑でも特異なものでもない。

 変態薬にいくつかの成分を複合させることで一時的に身体能力や感覚器を強化する、ドーピングにも似た薬品だ。

 

「似合ってんだろ?」

 

 皮肉交じりに、チャーリーが短く推測を肯定する。

 返事代わりに、デミアンは右腕に力を込める。

 

 正面から相手をすればバカを見る。ならば視界を塞いで、仕切り直す。

 砕かれてはいるが組み合ったままの状態から毒霧を噴き出すべく、デミアンは腕を相手の顔に向け構える。

 

「──させねぇよ」

 

 だが、不発。

 遅れて聞こえてきたチャーリーの声に、彼はほんの一瞬呆気にとられる。

 

「読み通り、だなァ?」

 

 挑発の言葉に、遅れて訪れた痛みに、デミアンは己に起こった事態を把握する。

 振るわれた太く鋭利な爪で右腕が引き裂かれ、発射機構が大きく損壊していた。

 手首に発現した発射口から噴霧されるはずだった毒液が裂傷からしたたり落ち、床に零れ落ちる。

 

「曲者気取りだが、肝心なトコでわかりやすい。根っこの真面目さが隠せてねぇんだよ……!」

 

 事前に受けた攻撃に気付かなかったわけではない。

 目潰しの為に顔を狙うという動きを予測され、先読みで爪を繰り出された。

 

「く……!」

 

 デミアンは咄嗟に退こうとするが、黒茶の毛皮で覆われた腕が胸倉を鷲掴みにする。

 その勢いのまま体が引き寄せられ、相対速度の乗った掌底が顎をかち上げる。

 

 血反吐を吐きながらも、痛打を受けたデミアンは反撃に腕を伸ばす。

 正確に喉を狙った、アリの大顎による刺突。

 

 それを、チャーリーは軽いステップにより最小限の動きで躱す。

 同時、交差するように繰り出された左拳がデミアンの脇腹を強かに突き刺して臓腑を揺らす。

 

(参ったな……こんなにわかりやすいのに、捉えきれない)

 

 チャーリーの動きに、基本から大きく外れている特殊な箇所などない。 

 何度にも渡る模擬戦でデミアンも知る、アメリカ陸軍の軍隊式格闘術にどこまでも忠実な体運びだ。

 

 だが、ただ速い。加えて状況から相手の行動を推測し、いち早く対応の一手を取る鋭さがある。

 基本となる動きを無駄なくミスなく、ただ強く扱う。

 その一点を以て、チャーリーの動きはαMO手術を施された強者の処理能力を飽和させ抑え込む。

 

 本来であれば手術形式による根本のスペック差で押されてしまう状況を、専用装備での一時的な強化によって補う。

 そうして差が埋まったことで見えてくる技巧の比べ合いとなれば、チャーリーには負けるつもりなど毛頭なかった。

 

「怪物みたいな手術ベースだとか手の込んだ機械だとか、正直ちょっと羨ましいと思ってたが……」

 

 初めて明確な焦りを顔に出したデミアンへと、静かに語る。

 

──特筆すべき点はない実直な手術ベースに、軍人という実直な戦闘能力。

 良く言えば堅実で、悪く言えば平凡。

 それが、自他共に認めるチャーリーの評価である。

 

 戦術級の兵器と比較されるような物理的破壊能力は持っていない。

 

 文字通り海千山千の生物を知り尽くしその知識と複雑極まりない特性を以て戦うわけでなければ、多数の猛毒生物を使い分けられる物騒な代物というわけでもない。

 

 素体は“魔人”と畏怖される怪物には遠く及ばず、手術ベースは跳躍に牙に怪力に毒にと無数の武器を取り揃えた仰天生物と比べれば随分見劣りするだろう。

 

 歴戦の将帥に城塞が如き堅牢なベースを備えた己の上位互換のような人間がいれば、昔はUMA扱いだった化物を使いこなしているヤツもいた。

 

 彼らと比べれば、自分の力など如何程のものだろうか?

 

「でもな……今のも存外気に入ってんだ。超人ども以外で最強、渋くてカッコいいだろ?」

 

 だが、彼らを除けば自分が一番強い、という自負と誇りがあった。

 

「おいおい、思い上がるなよ……。それ、裏アネックス(キミたち)だけで作ったランキングだろ……?」

「はっ。お前が入っても最高で8位だ」

 

 そして、矜持と覚悟を持ってこの場にいるのはチャーリーだけではない。

 チャーリーは獰猛に、デミアンは不敵に。

 互いに退けぬ任務のさ中で手傷を負っているにも関わらず、何の関係があるとばかりに両者は歯を見せて笑う。

 

 笑ってから、構える。

 デミアンは未だ無事な左腕を向け、チャーリーは姿勢を低くして。

 傍で起こったもうひとつの戦いの結末には目もくれず、敵を見据える。

 

「おい、ひとつだけ聞かせろや」

「嫌だって言ったら?」

 

 互いに、理解していた。

 消耗は激しく、傷は深い。

 今からの一合で決着が付き、どちらかが敗れて死ぬと。

 

「あの嬢ちゃんに薬を盛ってたのは……ホントに、使い捨てるためだったのかよ」

「さあね」

 

 だからチャーリーは最後に問うた。己の友は、本当に唾棄すべき邪悪だったのかと。

 だからデミアンは最後に答えた。それを今更知る必要など、どこにも無いのだと。

 

「──!」

 

 ふたつの言葉が途切れる瞬間が、衝突の合図だった。

 影が交わり、互いの凶器が一直線に振るわれる。

 デミアンの左腕がチャーリーの頭へ、チャーリーの拳がデミアンの左胸へ。

 

 ズグン、という鈍い音が、小さく響いた。

 

「が、ぐっ……」

 

 殴打の衝撃で頭を揺らされ鋸刃によって頬を大きく引き裂かれ、チャーリーの体ががくりと崩れる。

 デミアンは目を細め、小さく笑った。

 

「……ふ、は」

 

 左胸を全霊の拳打で割り開かれ、とめどなく溢れ出る己の血を見て。

 

 最後に残った力で、頭を上げる。

 命が尽きるその間際に仰いだのは、相対していた男の顔だった。

 

「隊長とみんなには、悪いけど……それ以外は、まあ、どうでもいいか」

 

 同じU-NASAに属していた軍属の人間であり、MO手術被験者。

 真正面からの殴り合いが強いだけのベースに、弛まず鍛えた軍人という素体。

 そこにこれまた地味な、ただ身体能力を一時的に強化するだけの専用装備をひとつまみ。

 チャーリーが持っていた武器は、ただそれだけ。

 

 その結果が──“正面からの対人戦闘”という単純にして純粋な土俵において、彼に勝る者が幹部搭乗員以外に存在し得なかったからこその、7位。

 

「キミの勝ちだ、チャーリー」

 

 短い賞賛を伝え、デミアンの体が揺れ仰向けに倒れる。

 

「……おう」

 

 友の最期の言葉に短く応じ、チャーリーもまた受け身すら取らずに地へと伏せる。

 

 勝利と敗北、生と死こそ分かたれはしたが、この場に戦える人間はひとりも残らず。

 中央実験棟、その大玄関たる施設を巡る争いは、かくして決着を迎えたのだった。




ご観覧ありがとうございました!

第七特務のふたり、具体的には過去になにがあったの?という部分に関しては章終了後のキャラ紹介である程度触れようと思っていますのでもう少しお待ちくださいませ
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